「おじさん、裏切り者が隣にいるのに、どうして一緒にいるんですか?」…

「おじさん、裏切り者が隣にいるのに、どうして一緒にいるんですか?」...

あのロビーで、世界経済を動かす男の前で、10歳の子供が指を差した。
「おじさん、裏切り者が隣にいるのに、どうして一緒にいるんですか?」
その一言が、すべてを変えた。

午前9時、東京のはずれの古いアパートで、20歳の春夜は台所に立っていた。母を亡くしてから、春夜は弟・颯斗にとっての母であり兄だった。父・裕介は交代勤務の警備員で、家のことは春夜の役目だった。

弁当の風呂敷を結んだ時、携帯が鳴った。建設現場の急なバイトの依頼だ。今日の日当があれば、公共料金が払える。しかし、父の弁当を届けるのは誰か。春夜は隣で寝ている颯斗を見た。10歳の子供に丸の内まで行かせるのは心苦しいが、他に方法はなかった。

「颯斗、ごめんな。兄ちゃん、どうしても外せない仕事ができたんだ」
「うん、兄ちゃん心配しないで。僕が持っていくよ」

颯斗はバスを2度乗り継ぎ、巨大なガラス張りのビルに辿り着いた。ロビーで父を見つけ、弁当を渡すと、父は目を潤ませた。

その瞬間、ロビーの空気が変わった。鋭い靴音とともに、白髪の老人が現れた。グローバルテック会長、リチャード・ホルト。そばには、15年間彼を補佐してきた高木専務がぴったりと付き添っていた。

「おじさん、裏切り者が隣にいるのに、どうして一緒にいるんですか?」

颯斗の澄んだ声がロビーの静寂を破った。裕介は顔面蒼白になり、謝罪を繰り返す。しかし颯斗は一歩も引かなかった。

「おじさん、鼻の頭が見えますか? 歪んで赤身を帯びています。それは信じていた人間に足を救われ、財産が全て流れ出ていく印です。今日の午後、しようとしているサイン、絶対にしないでください。それをしたら、おじさんの会社は他人のものになります」

リチャードは冷たく笑った。
「いいだろう。一つの賭をしよう。もしお前の言う通り、私の周りから本物の裏切り者が現れたなら、1億円をやろう。だが、間違っていたら、お前の父親は詐欺罪で刑務所だ」

裕介の膝から力が抜けた。しかし颯斗は揺るがなかった。

リチャードが去った後、ロビーに残った人々の視線は裕介と颯斗を刺した。日本支社長が怒鳴りつける。
「この警備員が! 自分の子供にどんな教育をしたら、会長の前でそんな口を聞くんだ! 今すぐ出ていけ!」

裕介は土下座し、妻の話をした。妻もまた人の顔の運命が見える力を持っていたこと。その力が息子に受け継がれたのだと。しかし支社長は聞く耳を持たず、警備員に二人をロビーから叩き出すよう命じた。

ビルの外で、管理部長が淡々と告げた。
「解雇だ」
裕介の胸からネームプレートが引きちぎられた。5年間、雨の日も雪の日も休まずに守ってきた。それなのに、たった数分で全てが水の泡になった。

颯斗は父の手を握った。
「父さん、ごめん。僕のせいで」
「でも父さん、僕は本当に見たんだ。あのおじさんの顔に悪いものがたくさんあった。嘘はついてない」

裕介は息子を責めることができなかった。ただ、汗で濡れた息子の手を握り返した。

一方、専用エレベーターの中、リチャードは奇妙な沈黙に包まれていた。高木は言った。
「会長、先ほどの件はお気になさらないでください。警備員が子供を使って人心を試そうとしたのでしょう。実に下品なことです」

しかし、リチャードの右手は無意識に自分の鼻先を撫でていた。化粧室の鏡で見た時、確かにそこには赤い点があった。午前中にはなかったそれが、明らかにそこにあった。

その日の夕方、M&A契約の調印式が都内最高級ホテルで行われた。リチャードがペン先を署名欄に近づけた時、颯斗の声が頭の中で響き渡った。
「サインしないでください。それをしたら、おじさんの会社は他人のものになります」

リチャードがペンを置いた。
「この契約は保留にする」

宴会場が凍りついた。高木が血相を変えて腕を掴む。
「会長、何を言われるのですか! 全世界のメディアが見ています!」

しかしリチャードは揺らがなかった。
「書類を最初から全て見直せ。全ての情報、全ての数値を再確認するんだ」

その数時間後、秘書が震える手でタブレットを差し出した。パートナー企業が巨額の粉飾決算を隠蔽していた事実が発覚したという。実際の負債額は公表額の10倍以上。もし調印していたら、グローバルテックは数千億円の隠れ負債を抱え、一瞬にして破産していただろう。

リチャードは悟った。あの少年の言葉は真実だった。

しかし、その夜、匿名掲示板に衝撃の投稿が流れた。
「グローバルテック会長、10歳児の占いで数千億円契約を破棄」
翌朝、メディアは一斉に報じた。「呪術経営疑惑」。株価は暴落し、ニューヨーク本社は緊急会議を招集。リチャードは説明を求められたが、何も言えなかった。そして、役員会は「会長職務執行停止」を決議した。

リチャードは、誰も信じられなくなった。唯一の拠り所は、あの少年だけだった。

彼はタクシーを呼び、ジャンパー姿で下町の急な階段を登った。古びた家の前で、裕介と颯斗が質素な食事をしていた。裕介はリチャードを見て、顔を真っ白にして謝罪する。

リチャードは裕介の荒れた手を握った。
「私が間違っていた。君を解雇したことも、この子の言葉を無視したことも、全て私の過ちだ。どうか、私を助けてくれないか」

颯斗はリチャードの顔をじっと見つめ、言った。
「おじさん、とりあえず中に入って」

狭い部屋の中で、リチャードは幹部たちの写真を並べた。颯斗は一枚一枚を指で辿り、9枚目の写真で指を止めた。高木専務の写真だった。

「この人の耳、後ろにぴったり張り付いてるでしょ。こういう耳を反骨っていうんだ。主人を裏切って後ろから刺す印だよ。唇も薄いでしょ。心の中に毒みたいな欲が渦巻いているんだけど、絶対に表に出さない」

リチャードは目を閉じた。最も信頼していた男。息子のように思っていた男。その男が、自分を売ろうとしている。

颯斗はリチャードの手を握った。
「おじさん、悲しまないで。泥棒はもう動きを終えている。今大声を出したら、証拠を全部消しちゃうよ。眠ったふりをするんだ。何も知らないふり。泥棒が荷物を持ってドアから出ようとした瞬間に、鍵をかけるんだ」

その言葉に、リチャードの中の悲しみは冷たい怒りへと変わった。

翌日、リチャードは装った。記憶が途切れる、文字が頭に入らない。高木はその姿を見て、確信した。
「あの老人は終わった」
高木は、ライバル企業との密会を重ね始めた。日本の基幹技術が詰まったサーバーを売り渡す代わりに、合併後の新会社の代表の座を求めた。

しかし、それは罠だった。リチャードは、解雇された裕介に影となるよう頼んでいた。裕介は警備員時代に培った観察力で、高木の密会を撮影した。

取締役会の日、高木は得意満面で売却案を発表した。しかし、その瞬間、リチャードは立ち上がり、全ての映像をスクリーンに流した。高木の裏切りが、白日の下に晒された。

「この鼻息は、今や君自身を焼き尽くす炎となったのだ」

高木は逮捕され、警察に連行された。リチャードは裕介をセキュリティ部長に昇進させた。そして、颯斗を抱きしめた。
「ありがとう。君が私の目を開かせてくれた」

颯斗はリチャードの鼻先を見て、微笑んだ。
「おじさん、もう点は消えてるよ。すごく明るい太陽がおじさんの顔に登ってる」

その数日後、リチャードは取締役会で宣言した。
「本日、教育財団を設立する。一億円を寄付し、颯斗君のように澄んだ目を持つ子供たちを守ろう」

それから10年。ニューヨークのグローバルテック本社で、20歳になった颯斗はリチャードと再会した。リチャードは聞いた。
「君の未来はどうなんだ? 君は将来、どんな大人になるのだ?」
颯斗は笑った。
「僕は将来、おじさんみたいに素敵なスーツを着て、おじさんの側で困っている人たちを助ける。おじさんの本当の友達になるんだって言いました」

リチャードの目が潤んだ。颯斗は言った。
「人相は生まれ持った運命じゃないんです。会長がこの10年間積み上げてきた善意が、会長の相を変えたんです。今の会長のお顔は、まるで星人のようです」

リチャードは颯斗を強く抱きしめた。窓の外では、ニューヨークの夕焼けが二人を温かく包んでいた。

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