「エリ、今日から両親も同居させる。用意しておけ」
新居のタワーマンションに引っ越したその日、夫のトキは悪びれもせず宣言した。同居なんて初耳だ。私は呆れを通り越して、静かに返した。
「同居なんて初耳だけど。トキが勝手に決めたの?」
「言う必要ないだろ。お前は俺に従っていればいいんだよ」
「エリスが悪いのよ。息子に指図するだけで無能なんだから。嫁のくせに口答えするんじゃないわよ。嫌なら追い出すからね」
義母が畳みかける。新築タワマンを購入した途端、この態度だ。トキの父は今日は来ていない。だからこそ、この2人は好き放題に私を貶すつもりだろう。
しかし、私は取り乱さなかった。
「じゃあ、今すぐ嫁をやめますね」
「はい、どうぞ。離婚届よ」
私は用意していた離婚届を差し出した。夫も義母も一瞬固まる。
「離婚届なんて用意してたのか。面白い冗談だな」
「どうせハッタリでしょ。どこまで頭が悪いのかしら」
本当にバカな2人だ。私は全てを知っているのに。
「まあいいわ。すぐに笑えなくなるのだから」
私は引き出しから1枚の書類を取り出し、義母の前に差し出した。義母は怪訝な顔でそれを受け取り、目を落とす。すると、すぐにその表情が困惑へと変わった。
それは、夫に貸した3400万円の借用書だった。
「これは一体どういうことなの? こんなもの、私には全く理解できないんだけど」
義母は夫を問い詰めるが、夫は黙り込むだけ。私は代わりに一歩前に出た。
「見ていただければ分かるように、それは借用書です。離婚の前に、彼に貸した3400万円をきちんと返していただきたいという意味です」
義母は鼻で笑った。
「あなた、頭がおかしいんじゃないの? トキが借金なんかするわけがないでしょ。あなたみたいな無能な専業主婦とは違って、この子は社長なのよ」
彼女は我が子に疑いもなく、会社の経営者だと思い込んでいる。何も知らないで人を侮辱するとは、なんて哀れなのだろう。
「トキは私に言いました。会社を立ち上げるためにどうしても必要だ、お願いだから貸してくれと。だから3400万円を貸したんです。間違いなくトキは私に借金しています」
私の言葉に、義母の顔色が変わった。彼女は夫を睨みつける。
「トキ、あなた、嫁に借金して会社を作ったの? 出資者がたくさんいるし、貯金もあるって言ってたじゃない」
夫は義母から目を背けるだけだった。私は話を続ける。
「トキは会社なんて設立していないんです。あの話は全部、口から出任せにすぎません」
「そんなことありえないわ! トキが自分の会社を持っていないなんて、そんなの嘘よ! 私たちと同居するためにタワマンだって買ってくれた。しかもローンも組んでいない。そんなの社長じゃなきゃできないでしょ!」
義母はそう叫ぶと、借用書をビリビリと破り捨てた。勝ち誇ったように笑う。
「エリスさん、偽物の借用書で私を騙すつもり? 残念だけど無駄よ」
しかし、その行動も予想の範囲内だった。私は心の中で冷たく笑った。
「それはコピーですので、破っても問題ありません。原本は別の場所に保管しています。3400万円という大金でしたので、弁護士立ち合いのもと正式に借用書を作成しました。もし嘘だと思うなら、弁護士に確認してみてください」
義母の顔から徐々に余裕が失われていく。
「弁護士まで持ち出すなんて、随分と手が込んでるわね。嘘よ。トキは毎朝会社に通ってるし、名刺だって見せてもらったわ」
「3400万円の使い道ですが、会社設立のためだというのは全くの嘘です。実際には、トキは私を欺いて、そのお金で勝手に新居を購入してしまったんです」
義母の顔に一瞬、驚きと戸惑いが浮かんだ。
「って、もしかして私たちがこれから住むタワマンのことを言っているの?」
「トキ、あんた、いつまでこの嫁に好き勝手なことを言わせておくつもりなの?」
無言で固まる夫に、義母が苛立ちを隠さず問い詰める。しかし夫は冷静なまま、義母が破り捨てた借用書の切れ端を拾い上げ、口元に軽い笑みを浮かべて言った。
「エリが言っていることは全部事実だよ。3400万、確かに借りた」
その言葉を聞いた瞬間、義母の顔色が一変した。
「じゃあ、さっきの借用書は本物だったってこと? 本当にこの嫁から3400万円もの大金を借りていたって言うの?」
「そういうことだよ。エリが借用書を書かなきゃ金は貸せないって言うからさ。仕方なく書いたんだ」
「どういうことなの? そんなの、ちゃんと説明してくれなきゃ納得できないわよ!」
「説明も何もないさ。借用書があるし、俺もちゃんと認めた。もういいだろ」
義母は唇を震わせ、何とか言葉を探そうとするが、焦りを隠せない。
「いいわけないでしょう! 大体、どうして専業主婦のエリさんがそんな大金を持ってるわけ? そのお金、一体どこから手に入れたの? まさか違法なことでもしたんじゃないでしょうね」
義母の視線は、まるで犯罪者を見るように冷たく私に向けられた。私は笑いをこらえながら、穏やかに微笑んだ。
「お母さんがご存知ないのも無理はありませんが、実は私、トキと結婚する前に友人たちと一緒に会社を設立したんです。事業は順調に成長し、会社の業績も非常に良好なんですよ」
「え、会社を設立した? まさか、エリさん、あなた?」
「そうなんです。実は社長になったのは、トキではなくこの私なんです。ですから、経済的に頼っているのは、どちらかと言えばトキの方になりますね。さっき義母が投げかけてきた言葉を、今度はそのまま返してあげます」
義母は一瞬驚き、唇を震わせた。一方、夫は自分が言われているにも関わらず、スマホの画面を無関心に見つめ続けている。この態度に、私は改めて彼の無責任さを痛感した。
「エリスさん、そんな大事なこと、結婚する時には一言も言わなかったじゃないの。そんなの、私たちを騙していたようなものじゃない!」
「結婚前にトキにはちゃんと話しました。彼はそのことを知っていたはずですけど、お母さんに伝えていなかったんでしょうか?」
義母は混乱した表情で夫に問い詰める。
「トキ、あなた本当なの? そんな大事なことをどうして黙っていたのよ!」
「言わなかったのは、後で色々面倒なことになりそうだったからだよ。それに、エリだってずっと黙ってたんだから、俺だけが悪いわけじゃないだろう」
夫の言葉に、義母はすぐに私に視線を向け、怒りを滲ませた。
「そうよ! やっぱりトキの責任じゃないわ。私に直接言わなかったあなたが悪いのよ!」
「それはおかしな話ですね。私の話をまともに聞いてくれたこと、ありましたか? 何度か話しかけようとしましたけど、その度に嫌味や暴言で返されて、結局話す機会がありませんでしたよね」
「あなたが嫁としての役目を果たしていないから、苦言を呈してあげただけのことよ。それをおいて、トキは私のせいにするなんて!」
義母はいつもこんな調子だった。彼女にとって嫁とは、ただの召使であり、自分よりも下の立場にあると決めつけていた。家に来ては私の家事に文句をつけ、料理を勝手に捨てたこともあった。夫に相談しても、彼は当然のように義母の味方をする。夫は義母に異常なほど従順で、まるで操り人形のようだった。
こんな2人のことがどうでも良くなった私は、今までのように従順な態度を取ることをやめ、自己主張することを決めた。これが今の状況につながっている。
「さて、トキとはもう夫婦の関係ではなくなりますし、お母さんとも他人の関係に戻るわけですから、私の仕事のことは今更どうでもいいことですよね。それよりも、離婚前に3400万円の借金はきちんと清算していただきたいので、できるだけ早く対応をお願いします」
私の毅然とした態度に、義母は焦りの色を見せ始めた。
「ちょっと、トキ! 本気みたいよ。3400万、どうするのよ!」
「大丈夫だよ、母さん。3400万なら返す手立てがあるから、心配しないで」
夫は相変わらず自信満々だ。しかし、私は彼のその自信がどこから来るのか知っている。
「それともう1つお知らせがあります。トキ、3400万円とは別に、500万円払ってね」
この一言で、ようやく夫はスマホから目を離し、訳が分からないという表情で私を睨みつけた。
「500万? そんな金額、請求される覚えなんてないぞ!」
「あなたに覚えがなくても関係ないわ。絶対に払ってもらうからね」
「なんだその態度は? お前、俺のこと舐めてんのか?」
ナイフのように鋭い目で威嚇してくる夫。でも、その刃は私には届かない。
「私はあなたを舐めているわけではなく、権利を主張しているだけよ」
夫に自分の立場を理解させるため、私は電話をかけた。すると、すぐに玄関のチャイムが鳴り、ある人物が現れる。私が出迎えると、夫と義母は驚きと困惑の表情を浮かべた。
「あなた、どうしてここに? 今日は帰れないと言っていたのに」
義母が声を上げる。そこに立っていたのは、今日は来ないはずだった義父だった。
「遅れてすまなかったね」
義父はそう言うと、一枚の書類を取り出し、夫に突きつけた。夫はそれを目にし、顔面蒼白になった。
「知らないとは言わせないからな」
義父が持ってきたのは、500万円の慰謝料請求書だった。それを持つ夫の手が震え出す。
「父さんまで何を言ってるんだ? 俺は慰謝料なんて請求される覚えなんてないぞ!」
本当に心当たりがないという夫の様子に、私は呆れ果てた。バレないと思っているのか、バレても平気だと思っているのか、どちらにしても許せない。
「トキ、あなたの浮気相手の名前はルナでしょ」
私がその名前を告げると、夫の顔が瞬時に強張った。彼は私が浮気に気づいているとは思っていなかったようで、慌てた様子で言葉が詰まっている。
「そ、そんな名前、聞いたことがない」
明らかに動揺している夫は、それでも必死にトボケようとする。すると、義母がすぐに反応した。
「トキ、一体どういうことなの? 浮気なんてしてるの? ルナって一体誰?」
「もう一度言いますね。ルナはトキの浮気相手です」
「うるさいわ! あなたには聞いていないのよ! 私はトキに直接聞いているの!」
「では私もトキに話しかけますので、お母さんは黙っていてください。トキ、弁護士さんにもすでに相談済みだから、きっちり慰謝料を払ってもらうわよ」
「何をバカなことを。お前の妄想に決まっている。適当な名前をあげて、俺を脅そうとしているだけだ」
「妄想? 3400万円を渡した直後から、あなたの言動は明らかに不審だった。あれだけ浮気の匂いを漂わせておいて、私が何も気づかないとでも思っていたの?」
会社設立の準備だと偽って深夜まで帰らなかったり、泊まりで帰ってこなかったりする日が続いた。帰宅しても、私のものではない香水の匂いがした。上着のポケットや財布には、高級レストランやブランド店、ホテルの領収書が大量に入っていた。
「白を切っても無駄よ。正直に認めなさい」
「そんなのお前の憶測に過ぎないだろう。妄想で父さんまで巻き込んで、どうかしてるんじゃないのか」
「どうかしているのは、まだ浮気がバレていないと思っているあなたでしょ」
「お前は決めつけてばかりだ。証拠もないのに、父さんや母さんまで巻き込むな!」
案の上、夫は浮気を認めようとしない。しかし、次の瞬間、義父が待ってましたと言わんばかりに口を開いた。
「証拠なら、ここにたくさんあるぞ。探偵から受け取った調査報告書だ」
義父は報告書を取り出して夫に突きつける。それを見た夫の顔色が一変した。
「こんなの、いつの間に…」
「エリさんから相談を受けてね、知り合いの探偵に依頼したんだ」
義父は私を見つめながら事実を告げる。私は、夫が入浴中にスマホの内容を全て写真に納め、車にはGPSを仕掛けたことを説明した。証拠を集めた後、義父に相談する決断をした。義母に相談しても、夫の味方になるだけだと知っていたからだ。
義母の嫌みを受け続け、夫がかばってくれない時、義父だけが私の話を真剣に聞いてくれた。いつも私に対する義母の理不尽な態度を注意し、夫の親離れできない態度を叱ってくれた。私にとって唯一の頼りになる存在だった。
状況を理解した義母は、夫に確認するしかなくなった。
「トキ、大丈夫なの? 本当に浮気はしていないの?」
「母さんまで俺を信じてくれないのか?」
「いえ、私はトキを信じるわ。でも、あなたの味方よ」
義母が夫の手を取り、優しく頷く。私は構わず話を続けた。
「浮気相手のルナは社長令嬢よね。トキは彼女を騙して、借金を払わせようとしていたんですって。だから『3400万なら返す当てがある』だなんて強気に言えたのよね」
「そんな女は知らない。俺だって会社を設立するのに協力者が見つかったんだ。ちょっと遅れたが、もう準備はできている。事業が軌道に乗れば、3400万くらいすぐに返せるんだ」
夫はまだ苦しい言い訳を続け、認めようとしない。私はため息をついた。
「苦しい嘘はやめたら? 私は浮気相手のルナにも会ったのよ。本人から直接話を聞いたんだから」
「それこそ出鱈目だろう。適当なことを言って、俺を落とし入れようとしているんだな」
「もちろん出鱈目なんかじゃない。浮気相手のルナは、夫が既婚者とは知らず、結婚するつもりでいたのよ。何も知らなかった彼女は、夫に騙されていたことを知り、全面的に協力してくれると言ってくれた。ちなみに、私がルナの詳しい事情を知っているのは、浮気調査をしたからではなく、別の理由があるの。あなたの浮気相手のルナはね、私の友人なの」
夫は息を飲んだ。
「まさか、それも俺を落とし入れるための嘘だな?」
「そんなわけないでしょ。疑うなら、今この場でルナに電話してもいいわよ」
私がスマホを取り出すと、夫は「もういい」と電話をかけようとするのを阻止した。
ルナは高校時代からの友人で、私と一緒に事業を起こした仲間のうちの1人だ。社長令嬢でもある彼女の知識があったからこそ、会社も順調に軌道に乗ったという背景もあった。
「これでもまだ認めないのか?」
「まさか、エリとルナが友人だったとは…」
ようやく観念したのか、夫は言葉を失い項垂れた。それでも義母だけは諦められないのか、私に噛みついてくる。
「トキは悪くない! 悪いのはエリさんよ! 社長なのにそれを隠して騙すような、エリさんが悪いのよ!」
「お前が甘やかすから、トキはそうなったんだ」
様子を見ていた義父が、とうとう切れた。義父が怒ることは滅多にないので、夫と義母はびっくりして黙り込んだ。
「トキもトキだ。いい大人がこんな馬鹿げたことをしておいて、反省するどころかエリさんのせいにするとは情けない。いいか? 何があっても自分で落とし前をつけるんだ。借金の3400万円と慰謝料の500万円、計3900万円は必ず払え」
「お、俺が悪かった。本当に反省しています。この通りです」
義父の剣幕に、夫は怯えながら即座に土下座して謝罪した。義母も涙を浮かべながら夫の隣に座り込み、「どうか許してやってください」と何度も頭を下げる。
「トキ、なんで浮気なんかしたんだ。エリさんはお前のために尽くしてくれていただろう?」
下座したままの夫は、義父の問いに恐れをなしてポツポツと話し始めた。
「母さんが、後継ぎを産まない嫁なんていらないって言うからさ…」
その言葉に、私の胸が痛むのを感じた。実は私は不妊症で、子供を持つことができない体だ。私たちが結婚する際、この問題について2人でしっかり話し合い、理解と納得の上での結婚だったはずだった。
「なんで今頃そんなことを引き合いに出すの?」
「母さんが、やっぱり孫は見たいって言うし…」
「だって、嫁が子供を産むのは当たり前でしょ。エリさんが嫁の務めを果たせないんだから、浮気されても仕方ないじゃない」
義母の冷酷な言葉に、夫も小さく首を縦に振りながら同意する。その姿に、私は愕然とした。結婚前の夫は本当に優しく、不妊に対しても理解があった。それなのに、今は…。
「せっかく3400万円も借りたし、母さんと同居する家を買うことにした。それでエリが居づらくなって出ていくと思ったんだ」
「じゃあ何? この家は私への嫌がらせに買ったというわけ?」
「お前がしつこく母さんと合わないって言うから、なかなか離婚したいと言い出せなかったんだ」
「お前たち親子は、我ながら人間として最低じゃないか。エリさんを追い出すために嫁いびりをしていたなんて。しかも、ひどい理由で浮気を正当化するなど、お前たちはどうかしている」
静かに聞いていた義父が、感情を抑えた声で私に謝罪してくれた。
「エリさん、本当に申し訳ない」
「頭をあげてください。お父さんだけはいつも味方でいてくれました。今回も色々と協力してもらって、本当に助かりました」
義父は夫と義母に向き直り、冷静かつ厳しい口調で指摘した。
「嫁が子供を産むのは当たり前だ、そんな考え方はおかしいだろ。そもそも、お前がいつまでも親離れできずに、夫婦の問題に口出しするからこうなるんだ」
義母は縮こまりながらも「あなただって、孫の顔を見られないのは嫌でしょ」とブツブツ言い続ける。義父はそれを無視して、夫に強い口調で叱りつけた。
「問題がある時こそ、夫婦として寄り添うべきなんだ。トキが一番に考えるべきは、エリさんのことだろう。いつまでも親離れできずに、何でもかんでも母親を頼るな」
「母さんは、俺のためを思ってくれただけだ」
この状況でも義母をフォローしようとする夫に対し、義父は冷やかに義母に1枚の書類を差し出した。
「え、あなた…」
差し出されたのは、離婚届だった。それを見て、義母は息を飲んだ。
「お前と夫婦として寄り添うことは無理だと判断した。まさか、俺も裏切られているとは思わなかったよ」
実は、義母も浮気していたのだ。義父が私に紹介してくれた探偵は、元々義父が義母の浮気調査を依頼した人だった。義母は若い頃から金遣いが荒く、そのために夫婦はよく喧嘩になっていた。結婚してからも浪費癖は収まらず、頻繁に義父にお金を無心していた。それでも足りなかったので、お金を得るために浮気を始めたらしい。SNSでお金を持っていそうな男を探し、その男に結婚させるよう迫るつもりだったという。
「あなたがお金をくれないから、仕方がなかったんです」
「まさか、母さんが浮気をしていたなんて…」
必死な義母と動揺する夫。そんな2人を見て、私は「似た親子だ」と感じた。そして、こんな人たちのために悩んだり我慢するのは馬鹿げていると痛感した。
「もう、お前たちには愛想が尽きた。親子2人で好きにすればいいさ」
「待って! あなたに捨てられたら困るわ! トキも無職なのよ!」
「そんなことは、もう私には関係ない。慰謝料もきっちり払ってもらうぞ。トキ、お前とも親子の縁を切る。ただし、3900万円の支払いが終わるまでは監視するからな。それがせめてものエリさんへの罪滅ぼしだ」
この時の義父の言葉は氷のように冷たかったが、私の心には温かいものが流れた。夫と義母は再び義父に向かって土下座し、何度も謝罪の言葉を口にしたが、義父は首を横に振り続けた。
「謝る相手が違うだろう。私より先に謝罪しなければならないのは、エリさんに対してだろうが」
義父の言葉に、ようやく夫と義母が私に謝罪をした。
「子供が欲しかったのは、母さんのためだけじゃない。周りに子供が生まれるようになったことで、俺も子供が欲しくなったんだ。悪気はなかった。本当にすまなかった。もう子供が欲しいなんて言わないから、もう一度やり直そう」
「私もトキの子供が見たかっただけなの。孫が欲しかっただけで、エリさん自身が嫌いなわけではなかったのよ。許して」
しかし、夫と義母の言葉は、私には何ひとつ響かなかった。彼らがどんなに言葉を尽くしても、私の心には届かないと知っていたからだ。
「あなた以上に、私だって子供が欲しかったわよ。でも私は不妊症で、簡単には授かることができない。その現実を受け入れた上で、あなたは私に結婚を申し込んだのよね。お母さんも、今一度よく考えてみてください。世の中には私だけでなく、子供が欲しくても授かることができない人がたくさんいるんです。『嫁が子供を生むのは当たり前』なんて考え方、私は絶対に認めません。それに、あなたがたを許せるほど、私は心が広くありませんから」
きっぱりと夫と義母を突き放し、私は改めて離婚と借金の返済、そして慰謝料の請求を厳しく突きつけた。彼らがどれほど反論しようと、私の決意は揺がない。
私は、新居になるはずだったタワマンを義父と共に後にした。心に残るものはなく、ただただ冷静に次のステップへと進むことだけを考えていた。
その後、私と義父の離婚手続きは無事に進み、成立した。義父は改めて私に対して深い謝罪の言葉を述べ、夫と義母に対しても報いを受けさせると約束してくれた。
約束通り、義父は離婚後も夫と義母を監視し、彼らは借金返済と慰謝料のために必死に働き続けた。夫は3400万円の借金と500万円の慰謝料の支払いに追われ、義母もまた夫への慰謝料のために苦しんでいたが、次第に耐えられなくなり、とうとう逃げ出してしまった。逃げること自体は一時的な解決策に過ぎなかったが、その後彼らの状況はさらに悪化し、次第に2人は人生のどん底に陥っていった。結局、夫と義母は全てを失う結果になった。
私は義父が様々な手を尽くしてくれたことに感謝し、新しい人生をスタートする決意を固めた。夫や義母とは完全に絶縁したが、義父とは今も時折連絡を取り合っている。義父には心から感謝の気持ちを伝えたい。
幸いにも両親に恵まれた私は、再婚し、新しい夫の協力を得て不妊治療を開始した。数年後には念願の子供を授かることができ、今は幸せな家庭を築いている。過去の苦しみを乗り越え、新たな人生を歩むことができたことに、心から感謝している。



