会社で腰をやられて病院に向かった。エレベーター待ちに耐えられず、腰をかばいながら階段を上った次の瞬間、足を滑らせて誰かに突っ込んでしまった。頭を上げると、見知らぬ美女医がこちらを見ていた。そして、めくれた彼女のスカートの下に、大きな火傷の跡が見えてしまった。慌てて視線をそらすと、彼女は意外な言葉を口にした。「あ、見ちゃいましたね。じゃあ、責任取ってくれますか?」。その言葉が、俺の人生を大きく…

会社で腰をやられて病院に向かった。エレベーター待ちに耐えられず、腰をかばいながら階段を上った次の瞬間、足を滑らせて誰かに突っ込んでしまった。頭を上げると、見知らぬ美女医がこちらを見ていた。そして、めくれた彼女のスカートの下に、大きな火傷の跡が見えてしまった。慌てて視線をそらすと、彼女は意外な言葉を口にした。「あ、見ちゃいましたね。じゃあ、責任取ってくれますか?」。その言葉が、俺の人生を大きく...

朝から腰に激痛が走った。ダンボールを持ち上げた瞬間、腰に電気が走るような痛みが走り、その場に膝をついてしまった。これはただごとじゃない。近くの総合病院に行くことにした。

玄関をくぐり、なんとか受付までたどり着くと、張り紙が目に入った。「本日は混雑のため、エレベーターのご利用まで10分ほどお時間をいただきます。」10分も待てるはずがない。意を決して階段を選んだ。

腰をかばいながら、一段一段ゆっくりと上がっていく。もうすぐ踊り場に着くという時だった。右のつま先が階段の角に引っかかり、バランスを崩した。そのまま数段転がり落ち、誰かにぶつかってようやく止まった。

「やばい。誰かにぶつかった。」

恐る恐る顔を上げると、白い服を着た女性が驚いた顔でこちらを見ていた。医者だろうか。そして、ふと気づく。彼女のスカートの裾がめくれていたのだ。反射的に視線をそらしたが、どうしても気になってしまう。ちらりと見えた太ももには、色の変わった火傷の跡があった。

「あ、見ちゃいましたね。」

彼女が微笑みながら言った。その口元は穏やかなのに、瞳の奥はどこか笑っていないように見える。

「じゃあ、責任取ってくれますか?」

冗談めかしたその言葉に、顔が一気に熱くなった。頭は真っ白で、何も言い返せない。

「冗談です。というか、大丈夫ですか?」

彼女はそれ以上責めることなく、静かに微笑んだ。名前も知らないまま、ただ胸に妙な引っかかりだけが残った。

その後、彼女が呼んでくれた看護師のおかげでようやく診察室のソファーに腰を下ろすことができた。あの火傷の跡も、あの冗談めかした言葉も、すべてが頭の中でぐるぐる回っている。

「前田陸さん、診察室へどうぞ。」

名前が呼ばれ、診察室に入ると、そこにいたのはやはりあの女性だった。整形外科の青山先生。彼女は何事もなかったかのように、事務的に診察を始める。

「痛みはどの辺りですか?」

その態度は、さっきの出来事が嘘だったかのようだった。診察が終わると、数日後の再診を指示された。診察室を出た後、胸の奥に小さな火が灯ったような感覚が残っていた。また彼女に会える。そのことが、ほんの少し楽しみになっていた。

通院を重ねるうちに、少しずつ彼女の表情が変わっていくのを感じた。ある日、診察の合間に彼女がぽつりと話し出した。

「あの、前田さんって、あの時、傷の跡見てましたよね。」

時間が一瞬止まった。今まで見ていないふりをしてきた。お互いに触れずに過ごしてきたのに。

「はい。見ました。」

嘘はつけなかった。彼女は少し俯きながら、幼い頃に火傷の怪我をしたこと、その跡がコンプレックスでスカートも履けないこと、家族からは「火傷のある医者なんて信用されない」と言われ続けてきたことを話し出した。

私は静かに聞いていた。彼女の言葉の一つ一つに、長い時間をかけて沈殿してきた重さがあった。

「俺は、見た時、綺麗だと思いましたけど。」

思わず口から出ていた。自分でも驚くほど真っ直ぐな言葉だった。彼女は目を見開き、小さく息を飲んだ。

「火傷の跡も含めて、先生が歩いてきた人生そのものなんだなって思ったら、すごく綺麗だなって。」

「そんな風に言ってくれる人、初めてです。」

彼女の声は震えていた。ようやく、強がりの笑顔が少しだけ柔らかく崩れていった。

また別の日。診察がすべて終わり、誰もいなくなった病室で、彼女が私に打ち明けてくれた。

「私、クリニックを開こうかと思ってるんです。」

「え、本当に? それって、開業ってことですよね?」

「でも、実家の病院には何度も戻ってこいって言われてて。今のうちに戻らないと、誰も面倒を見てくれないとか、地元なら許してもらえるとか…。」

彼女は唇を結んだ。親族からは「異物」扱いされてきたこと、それでも「帰ってこい」と言われること、丸め込まれて全部なかったことにされるのが怖いと話した。

「先生は、どうしたいんですか?」

そう聞くと、彼女は少し驚いた顔をした。

「誰かに決められた道じゃなくて、先生自身が自分のために選んだ場所になる。それってすごく大事なことだと思うんです。俺は、先生にここにいて欲しいです。正直、もう患者と医者って関係だけじゃ済ませたくないくらいに気になってます。」

「前田さんって、本当に不思議な人。でも、あなたみたいな人がいてくれてよかった。」

そう言って彼女は微笑んだ。そして、真剣なまなざしで言った。

「私、自分の意思で生きる場所を選びたいんです。誰かに決められた人生じゃなく、自分で選んだ場所で自分の足で立っていたい。」

開業には現実的な壁がたくさんある。資金、物件、そして何より経営者としての知識。彼女は不安そうに話す。

「それなら、もしよければ協力しましょうか。俺、経営関係の会社に務めてるんですよ。」

「え、そんな、お忙しいんじゃないですか?」

「俺でよければ、力になります。逃げません。ちゃんと向き合います。先生がここで生きるって決めたなら、俺もその隣で支えます。」

彼女の目に、涙が浮かんでいた。あの日の冗談は、もう冗談じゃない。今度は人生に本気で向き合う人からの真剣な申し出だった。

それから、俺たちは本格的に動き始めた。物件探し、資金計画、行政への申請書類。やることだらけで何度も頭を抱えたけれど、彼女は一度も弱音を吐かなかった。時折見せる不安げな表情に、俺がどれだけ支えられたか。

ある日、彼女が業者との打ち合わせで外出している時、事務所の電話が鳴った。

「はい、青山クリニック準備室、前田です。」

数秒の静寂の後、低く鋭い男の声が返ってきた。

「あなたが前田さんですね。」

青山先生のご実家の方だった。

「娘が、意思でもない無名の男と手を組んでクリニックを立ち上げると聞いて。一体何様のつもりですか?」

「失礼ですが、それはご家族の都合ではないですか? 先生は自分で決めました。ご実家の名ではなく、自分の足で立ちたいと。」

「あなたが責任を取れる立場なのですか? うちの娘が世間の笑い者になって潰れたとして、その時どう責任を取る?」

「何があっても、彼女を1人にはしません。私の立場は経営のパートナーであり、それ以上の存在です。恥や失敗を恐れて、誰かの夢を潰すような真似はできません。」

電話を切った後、事務所のドアが開いた。彼女が立っていた。

「ごめんなさい。私、またリクさんを巻き込んでしまった。」

「それは違う。巻き込まれてるんじゃない。俺は自分でここに立つって決めた。先生と一緒にやっていくって決めたんだ。」

そして、開業当日。新しいクリニックの玄関には「青山クリニック」の看板が掲げられた。彼女は一人一人に丁寧に挨拶をし、微笑んでいた。その姿を見て、はっきりと自覚した。やっぱり好きなんだ。

開業からしばらく経ったある夜。診察室の明かりがほのかに揺れている。

「先生、俺にとって先生はビジネスパートナーじゃありません。」

彼女は小さく首をかしげる。

「それって、どういう意味ですか?」

「俺にとって先生は、誰より信頼できて尊敬できて、気がついたらずっと目で追ってて、気づいた時には好きになってました。先生の夢を支えるつもりでここに来たけど、それ以上に先生と一緒にいたくなってしまいました。」

「私も、ずっと前から前田さんのことが好きでした。火傷の跡を見た時、目をそらさなかった。哀れみの目でもなくて、ちゃんと私を見てくれてた。あの時言ってくれた、『綺麗だと思いましたよ』って言葉、今でも忘れられません。」

「じゃあ、俺たち両思いってことですかね。」

「そうみたいですね。」

「先生、付き合ってください。」

「はい。喜んで。」

そうして、俺たちは2人で未来を描き始めた。そして、開業から1年が経った春。桜が咲き始めた公園で、俺は彼女にプロポーズした。

「結婚してください。俺があなたの居場所になりますから。辛い思いも寂しい思いもさせません。絶対に。」

彼女は涙を浮かべながら、そっと頷いた。

それから数年後。リビングには、俺と彼女の間に生まれた娘の笑い声が響いている。

「パパ、あね、先生になるの!」

「おや、それは心強いな。」

夕日が差し込む部屋。あの日、桜の下で思い描いた未来は、今、確かにここにある。

Thumbnail