「化け物は消えなさいよ。その顔を見ていると気分が悪くなるの」──職場の朝礼で、部長が若い女性社員の顔の痣を皆の前で嘲笑った。彼女はいつも黙って俯くだけ。誰も何も言えない空気の中、私は堪らず立ち上がった。すると部長はニヤリと笑って言った。「あなたが彼女の代わりに首になってあげたら?」その一言が、数週間後にこの会社を揺るがす真実へと繋がることになると、その時の私はまだ知らなかった。部長の満足げな…

「化け物は消えなさいよ。その顔を見ていると気分が悪くなるの」──職場の朝礼で、部長が若い女性社員の顔の痣を皆の前で嘲笑った。彼女はいつも黙って俯くだけ。誰も何も言えない空気の中、私は堪らず立ち上がった。すると部長はニヤリと笑って言った。「あなたが彼女の代わりに首になってあげたら?」その一言が、数週間後にこの会社を揺るがす真実へと繋がることになると、その時の私はまだ知らなかった。部長の満足げな...

「化け物は消えなさいよ。なんだかその顔を見ていると気分が悪くなるの。分かるかしら?」

いい年をした部長が、若い部下の女性をこうも公然と罵る。最初は仕事のミスを咎めていたのに、すぐに悪口に変わり、しまいには彼女がコンプレックスにしている顔の痣のことまで言い出した。

あんまりな言葉を浴びせられて、俺は堪らず抗議した。

「いつもあなたはそうやって彼女をちやほやして、随分気に入っているみたいね。だったらあなたが彼女の代わりにこの責任を取って、首になってあげたらどうかしら」

部長はとんちんかんなことを言って、まともに取り合おうとしない。俺も頭に来た。

「分かりました。じゃあそうしましょうか。私が首になる筋合いはありませんが、私はもうこの会社を辞めますよ」

部長とくだらないやり取りを繰り返して、俺はほとほと嫌気が差していた。これからもこんな非常識がまかり通るのかと思うと、もうたくさんだった。

急な退職でみんなに心配をかけたが、俺にはある策があった。お嬢様育ちだからと言って、勝手なことを言っていられるのも今のうちだ。

俺は退職届を出し、会社を後にした。

俺の名前は高田。五年前に機械メーカーへ転職し、営業部に配属された。

「本当にどん臭いったら。報告書はまだできてないの? 一体いつまでこの私を待たせるのよ」

今日も営業部には、井口部長の高い声が響いている。部下に対するこうした高飛車な態度はいつものことで、俺たちはもう慣れっこだった。嫌味ばかり言う井口部長は苦手だが、仕事にはやりがいがあり、俺の真面目な働きぶりを先輩や同僚は評価してくれていたので、転職して良かったと思っていた。

「江ノ本さん、あなたは仕事ができない上に、男の人には媚を売って、本当に困った人ね。仕事はもっとテキパキやってもらわないと」

井口部長が営業事務の江ノ本さんを目を吊り上げて、まだ文句を言っている。江ノ本さんを目の敵にしている井口部長は、普段から特に彼女に当たりが強い。

「私は今日、お父様の誕生日でフレンチのお店に予約を入れているの。だから報告書ぐらいさっさと仕上げなさいよ」

井口部長は資産家で名家の出身というのが自慢で、何かと言うと実家の話をする。いい年をしてお嬢様気質が抜けていないようで、常に上から物を言ってくるので、社員たちには人気がない。

「井口部長はどうして江ノ本さんに小言ばかり言うんだろうな。江ノ本さんが営業補佐についてくれると、仕事がしやすいし俺たちは助かるのに」

「ああ、江ノ本さんは仕事ができるのに、いつも叱られてばかりで気の毒だよ」

「井口部長は、若くて美人な江ノ本さんが気に入らないだけだろう」

井口部長は知らないだろうが、彼女が席を外すと、社員たちはこぞって陰口を言っている。うちの会社は産業機器や部品の開発、製造、販売まで手掛けていて、仕事は地味で正確さが要求される。江ノ本さんの仕事はいつも迅速丁寧で、営業社員の間でも評判が良く、俺もそんな彼女にいつも助けられていた。

お嬢様で負けず嫌いの井口部長は、きっとそんな江ノ本さんの姿が余計に腹立たしいのだろう。しかし、井口部長も、よほど忙しくても江ノ本さんに頼めば完璧な仕事をするのは分かっているはずで、頼りにしているところもあるだろう。

「すみません、井口部長。報告書ならもうすぐできますので」

今日も急に報告書の作成を頼んだ井口部長が悪いのに、江ノ本さんは謝っている。江ノ本さんはいつもこうして言われるままで、傍から見ていると歯がゆい。

社員たちの江ノ本さんへの高評価は本人にも伝わっているはずだが、彼女は自己肯定感がかなり低い。実は江ノ本さんは顔立ちが整った美人なのだが、左の頬に大きな黒子があり、いつも髪を垂らして隠すようにしている。そのせいか普段から俯いたまま仕事をしていることが多く、表情が暗く見えてしまう。江ノ本さんの顔の痣は生まれつきだと聞いている。仕事もできるのだからもっと堂々としていればいいと思うが、若い女性なら顔の痣が気になるのは当然で、仕方がないのかもしれない。

「江ノ本さん、報告書ができたら喉飴を買ってきてちょうだい。喉がひどいのよ」

井口部長はまだ江ノ本さんに何か言い続けているが、江ノ本さんは黙って頷いている。

「井口部長、江ノ本さんに買いに行ってもらわなくても、俺の喉飴でよかったら一つ差し上げますよ」

俺は立ち上がって井口部長のデスクに喉飴を置いたが、彼女はお礼も言わずに不機嫌そうな顔をしている。急ぎで報告書を仕上げている江ノ本さんに対して、よくも次々と何か頼めるものだと思うが、これについて何か言う人はいない。井口部長が今日は江ノ本さんに当たり散らしていても、気まぐれな井口部長のことだから、いつそれが自分に向けられるか分からない。みんなはやはりそれを恐れているのだろう。この営業部にいる以上、部長の機嫌を窺いながら働いていくしかないのだろう。

そんなある日の夕方のことだ。俺が営業先から戻ると、部屋には江ノ本さんだけが一人残って仕事をしていた。

「今戻りました。江ノ本さんは残業ですか? もしかして、また井口部長に?」

「あ、ええ、まあ」

俺が声をかけると、江ノ本さんは頷きながら答えてくれた。

「江ノ本さん、これは大変だ。私も手伝いますよ。一人では無理です」

見ると、江ノ本さんはパソコンで作業を進めているが、デスクには大量のファイルがうず高く積み上げられている。どうせまた井口部長が急に指示した仕事なのだろうが、この量ではいつ終わるのか分からない。しかもファイルの中身を見てみると、これは井口部長がやるはずの仕事で、一人で終わらせる内容でもない。

最近よく見るのだが、井口部長は夕方になると江ノ本さんに自分の仕事を押し付けて帰ってしまったり、急ぎでもないのに急かして仕事をさせている。

「あれ、どうしたんですか? 何かファイル山盛りですけど」

俺がデスクに座ると、後輩の営業社員が帰ってきた。

「ああ、そのままだよ。ひどいもんだな。井口部長は仕事を江ノ本さん一人に押し付けて帰ってしまったんだ。お前が戻ってきてちょうど良かった」

みんなで手分けして仕事を片付けることになった。

「ありがとうございました。助かりました」

仕事が終わり、江ノ本さんは丁寧に頭を下げてくれたが、俺たちもいつも江ノ本さんにはお世話になっているので、お相子でもある。気がつけば時計は九時過ぎになっていて、会社を出てみんなで最寄りの駅まで歩いた。俺たちがいなかったら、江ノ本さんはいつ帰ることができたか分からない。井口部長も分かってやっているのだろうから、これはかなり悪質な嫌がらせだ。こんなことが度々あるとは、にわかには信じがたい。俺たちも疲れたが、いつもポーカーフェイスの江ノ本さんも、今日はさすがに疲労感が窺える。こんな根拠のない嫌がらせが続けば、心身ともに疲れ切ってしまうのも当然だろう。

泥のように疲れた俺たちは、その後それぞれの駅で降りて帰宅した。

そんな中、一ヶ月ほど経ったある朝のことだ。

「本当に申し訳ありません。こちらのミスでご迷惑をおかけいたします。すぐに伺わせていただきます。はい、失礼いたします」

新人の営業社員がペコペコとお辞儀しながら電話で謝っている。電話を切った新人は井口部長に近づき、自分の発注ミスを報告した。数量を一桁間違えて発注し、取引先に大量の部品を送ってしまい、驚いていると連絡があったようだ。

「あら、こういうことは気をつけないとね」

井口部長はミスを報告されても、目を丸くしていつになく甘えたような緩い口調で話すだけで、新人に強く言う様子もない。

「そうよ。こういうところは間違いやすいものなの。まあ仕方がないわね」

「ええ、私もついうっかりして」

井口部長は新人に言い聞かせるように話しているが、取引先に迷惑をかける大きなミスがあったという感じではない。二人でのらりくらりと話し続けている。実はこの新人は井口部長のお気に入りなのだ。井口部長は彼に早く結果を出させたいという思いがあるらしく、新人だというのにすでに大きな案件を多く任されていた。だがどう考えても、入社してまだ半年の彼にできる量ではない。今回のミスも、キャパオーバーが原因のように思えた。

「ちょっと、江ノ本さん」

しかし井口部長は突然立ち上がると、厳しい表情で江ノ本さんの背後に立ち、声をかけた。

「私はあなたに新人の発注を補佐するように言ったはずよ。それなのに、こんな大きなミスを起こして、これはあなたの責任ね。大量に余ってしまう部品を、一体どうしてくれるのよ」

井口部長は今まで何やらデルデルと新人と話していたくせに、突然の高い声で江ノ本さんを怒鳴りつけた。この豹変ぶりには営業部員たちはみんな呆然とした。俺はことに口を結んだ。

「はい。すみません」

みんなの面前で叱責された江ノ本さんは、やはり小声で大人しく謝罪するだけだった。江ノ本さんはこの新人社員の補佐役ではあったが、他の社員の営業補佐もしており、さらには井口部長に様々な雑用まで押し付けられていて、最近は飲み物や食事の買い出しまでさせられている。江ノ本さんがこれだけ忙しいのだから、新人の仕事の全てを補佐するのは不可能だということは、営業部のみんなもよく分かっている。

「江ノ本さん、そんな小さな声で謝って、あなたは本当に悪いと思っているの? 謝罪するなら、きちんと私の目を見てはっきりと謝ったらどうなの?」

井口部長は江ノ本さんにさらに近づき、耳元で大声を上げた。周りを見れば、もう営業部だけでなく他の部署の人たちまでも、何事かというように井口部長と江ノ本さんを見つめている。新人社員はもう取引先に出かけてしまったが、あまりにも彼への態度とは違いすぎる。これは元を言えばあの新人のミスだ。しかも入社半年の新人にいくつもの大きい案件を任せるように仕事を指示したのは井口部長だし、ミスが起きたのは、それをきちんとフォローしきれていない井口部長自身の責任だろう。だから本来なら、江ノ本さんが謝っただけで十分なのだが、井口部長はまだネチネチと江ノ本さんに責任をなすりつけようとしている。

「申し訳ありません」

「あら、よく聞こえないわよ、江ノ本さん。だから声が小さいって言っているの。もう一度、私を見て大きい声で言ってくれる?」

江ノ本さんはわざわざ立ち上がり、井口部長の指示通りはっきりとした声で言ったというのに、井口部長はまだ意地悪く言葉を言い続ける。そしてもう一度謝罪の言葉を言おうとしたのだろう、江ノ本さんが顔を上げた時だ。

「嫌だわ。ひどい顔ね。見にくいったらありゃしないわ。化け物は消えなさいよ。なんだかその顔を見ていると気分が悪くなるの。分かるかしら」

井口部長は今度はジッと江ノ本さんを睨みつけると、低い声で吐き捨てるように言った。江ノ本さんはもう何も言わずに、その場に立ち尽くしている。俯いている江ノ本さんの表情は髪に隠れてよく見えないものの、その隙間から何か光るものが見えた。

「あなたのこの化け物みたいな顔が、不愉快でたまらないの。あなたはいつも男の人に仕事を手伝わせて、自分は楽ばかりしている。だからこんなミスが起きるのよ。あなたはもうこの会社に必要ないわ」

打ちのめされる江ノ本さんに、井口部長は追い打ちをかけるように容赦ない言葉を浴びせ続け、しかもニヤニヤと笑っている。その姿に、俺は気づいたら動いていた。

「待ってください、井口部長。それはおかしいですよ。江ノ本さんの仕事はいつも完璧で、誰も手伝ってなんかいません。大体、人の容姿をとやかく言うなんて、どうかしていますよ」

俺はその場で立ち上がり、猛然と抗議した。井口部長は一瞬驚いたようだったが、すぐにギロリと睨みつけてくる。

「高田さん、これはあなたには関係のないことよ。口を挟まないで」

「関係ありますよ。江ノ本さんは同じ営業部の仲間ですから。目の前でひどい目に会っているのに、黙ってはいられません」

「ひどい言い方をするのね。それじゃあ、まるで私が江ノ本さんをいじめているみたいじゃない?」

「その通りですよ。これがいじめや嫌がらせ以外の何だって言うんですか?」

俺もつい大声を出してしまい、今度は俺と井口部長の言い合いのようになってしまったが、ここで簡単には引き下がれない。井口部長の江ノ本さんに対する嫌がらせは、今まで俺が見てきただけでも立ちが悪く許せないものだし、こんな横暴な言動は江ノ本さんだけの問題ではなく、営業部全体にも関わることだ。

「さっきから聞いていれば、美辞麗句を並べ立てるのは結構だけど、取引先にまで迷惑がかかっているのは現実なのよ。そんなの、庇っているだけじゃない」

「今回のミスは、元々江ノ本さんの責任ではありませんよ」

「へえ、いつもあなたはそうやって江ノ本さんをちやほやして、随分気に入っているみたいね。だったら、あなたが江ノ本さんの代わりにこの責任を取って、首になってあげたらどうかしら」

井口部長は俺を馬鹿にしたように笑っている。どうせ俺とまともに話をするつもりなどないのだろう。どうせ口先だけだ、と見下す姿勢に、俺もかっとなった。

「分かりました。じゃあそうしましょうか。私が首になる筋合いはありませんが、私はもうこの会社を辞めますよ」

井口部長とくだらないやり取りを繰り返し、俺はもうほとほと嫌気が差していた。これからもこんな非常識なことがまかり通っていくのかと思うと、もうたくさんだった。降り言葉に買い言葉で、気づけば退職を受け入れていた。

「待ってください。そんなことをされたら、私が困ります。私が辞めますから、高田さんは辞める必要はありません。いくらなんでも急に辞めるだなんて、落ち着いてくださいよ」

「高田さんが辞めたら、私たちはどうしたらいいんですか?」

俺が突然会社を辞めると言い出したことに、江ノ本さんや他の営業部員が動揺して引き止めてくれた。

「大丈夫ですから、心配いりませんよ」

俺は笑顔でそれだけ言うと、椅子に座って仕事に戻った。

「いい厄介払いができて、ちょうど良かったわ。みんなもこれに懲りたら、余計な口は出さない方が身のためだと分かったわね」

井口部長は満足そうに高笑いを響かせている。江ノ本さんやみんなは心配そうに俺を見ている。俺はみんなを見回してもう一度ニッコリと笑ってみせたが、みんなは困惑したように俺を見つめるだけだった。

その日の夕方、俺は仕事終わりに社長宛てに退職届を出すと、ある人に連絡を入れた。

「もしもし。久しぶり。ちょっと頼みたいことがあって」

相手も忙しいこともあり、俺は要件だけ話すともう一度連絡をもらうことにして、すぐに通話を終わらせ帰宅した。

そしてその数日後のことだ。その日は俺が担当していた取引先との大口の商談が予定されていたが、もちろん退職した俺が出席することはない。同僚から聞いた話では、その仕事の担当になったのは、案の定、井口部長のお気に入りの新人だそうだ。

「さて、どうなるかな」

こんなことを考えていた矢先、携帯が鳴った。見てみると、井口部長からの着信だった。

「高田さん、今どこにいるの? すぐ会社に来てちょうだい。急なのよ」

「まさか、おかしなことをおっしゃるんですね。私を首にすると言ったのは、井口部長、あなたですよ。今更、何のようですか?」

「お願い。とにかくすぐに会社に」

いつになく必死な井口部長が、電話の向こうで泣き出さんばかりに懇願している。それに思わず吹き出しそうになったが、それをぐっと堪え、代わりに大きなため息をついた。

「ああ、今すぐですか? 分かりました。では、今から出ますよ。仕方ないですね」

俺はわざと渋々といった感じで返事をすると、目の前のドアを開けた。

「宝田さん!」

井口部長は、悲鳴と驚きの声を同時に出し、応接室のソファーから転げ落ちた。そこは商談が行われている応接室で、突然現れた俺の姿に井口部長はよほど驚いたのだろう。井口部長の隣に座る新人も、転げ落ちてはいないが目を丸くしている。

「社長。江ノ本さんも」

さらに俺の後から、社長と江ノ本さんも部屋に入ってきた。もう井口部長は床に座り込んだまま、呆然として大きく口を開けたままでいる。

「ああ、ヒロミ。会うのは久しぶりだな」

そこで取引先の社長が俺に親しげに声をかけてきた。俺もニッコリと笑ってみせる。

「父さん、久しぶり。元気そうでよかった」

そう、実は今日の商談の相手は俺の父の会社だった。そして、俺が以前勤めていた会社でもある。俺は社長の息子として、子供の頃から周囲にちやほやされ、気を使われるのが当たり前の環境で育ってきた。だからと言って、周りの人間とトラブルを起こすようなタイプではなかったが、両親が心配していたのは、社会に出た俺が社長の息子という肩書きありきでしか周囲と接したことがないということだった。

そこで父は俺に、社長の息子であることを隠して働くよう命じた。父の取引先であり、友人が経営するこの機械メーカーに転職することになったのである。だが首になったあの日、俺は父に連絡を入れ、井口部長の横暴な振る舞いをなんとかするべく協力を頼んだ。今回だけは、取引先の社長の息子という肩書きを使ってでも、井口部長をなんとかしなければならないと考えたのである。今日は事前に社長と江ノ本さんにも事情を話し、協力してもらっている。

井口部長も相当驚いているようで、やっと立ち上がったものの、顔は青ざめているし、汗が流れている。しかし父はそんな井口部長に向かってニッコリと微笑むと、何ともわざとらしく質問をする。

「ところで、さっきまではなぜ高田の姿が見えなかったのですか。高田は確か、うちの商談の担当のはずですが」

「いえ、社長。それは、それは私が説明させていただきます。高田さんは、首になったんです」

俺の父に質問され、しどろもどろの井口部長の代わりに口を開いた江ノ本さんは、俺が自分の代わりに首になったことを説明して、父に謝罪した。

「あの、そうじゃないんです。元を言えば、高田さんが会社を辞めることになったのは、私の責任です。私が発注ミスをしたのが悪いのです」

新人もついには喋り始め、俺が首になったことに対して、それぞれ自分の責任だと言わんばかりだ。もちろん、本当の原因は井口部長にある。

「皆さん、ありがとうございます。もういいんですよ。私が勝手に辞めると言い出したんですから」

俺が告げると、社長が小さく咳払いをして口を開いた。

「井口君の日頃の社内での問題行動については、彼が首になってようやく私の耳に入ってきました。大切なご子息をお預かりしておきながら、申し訳ない」

社長は父に対して謝罪すると、今度は井口部長へ視線を向けた。

「高田君は営業成績が良く、社内でも評価の高い社員だ。井口君、そんな社員を首にした君の責任は大きいぞ。さあ、高田君に今すぐ謝罪しなさい。それと、江ノ本君にもだ」

自分の悪行が社長にも知られていると分かり、がっくりと肩を落としている井口部長に、社長は厳しい口調で言い放った。

「ああ。はい。申し訳ありません」

井口部長は社長に促され、江ノ本さんと俺に、ぐったりとした放心状態のままで謝罪をする。その姿は、今までのあの傲慢な井口部長とは別人だ。

「井口君、ここはもういいから出ていきなさい。君の処分については追って連絡するから、それまで自宅待機とする。いいな」

社長が静かに告げると、井口部長は力ない足取りでよろよろと応接室を出ていってしまった。

「高田さん、会社に戻ってきてくれますよね。もう井口部長もいないことですし。高田さんが社長の息子さんだということは、黙っていますから」

「俺からもお願いします。俺も、慢心を捨てて頑張りますから」

「二人とも、私からも頼む。それに、君の退職届はまだ受理していないよ」

社長までもが俺を引き止めてくれた。

「分かりました。これからも、よろしくお願いします」

そう言って俺は深く頭を下げた。

「父さん、今日はありがとう」

「何? 別に何もしていないさ。お前もこの会社で、またしっかりと働きなさい」

その日、俺が担当に戻って商談を進め、話が終わると父は帰っていった。その後、井口部長は平社員に降格の上、地方支社へ左遷となったが、ほどなくして退職したようだ。資産家でお嬢様なのだから、どうせ生活には困らないだろうと思っていたが、どうやらそういうわけでもないらしい。いい年して問題を起こした彼女は、年老いた両親の怒りを買い、勘当されたという風の噂を聞いた。

一方、井口部長のいなくなった職場は、実に快適だ。みんな井口部長の顔色を窺う必要もなく、晴れ晴れとした表情で働いている。新人社員も適正な仕事を任されて、働きやすくなったようだ。そして、のびのびと働けるようになった江ノ本さんも、必要以上に顔を隠すことをやめたようで、徐々に自信をつけていっているように見受けられる。最近は、忙しい時には髪を一つに束ねているくらいだ。江ノ本さんが生き生きと働く姿に刺激されたように、彼女の補佐を受ける営業部社員たちにも活気が出ている。

俺も一社員として会社に戻り、一度は首になったことなど、まるでなかったかのように再出発して、さらに充実した日々を送っている。

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