「中卒君の手柄で昇進できた。ありがとう。これからも俺のためにせいぜい頑張ってくれよ」
そう言ってニヤついた笑みを浮かべているのは、俺の上司だ。この人は中卒という理由だけで俺を散々いびった挙げ句、手柄を横取りし、ボーナスまで奪い取った。ぶち切れた俺は、ある計画を実行する。そして、俺の上司のせいで会社は大混乱に陥った。
俺の名前は本田。37歳。小学生の時に父が事故で亡くなり、母と2人で生活していた。母はパートを掛け持ちしてお金を稼いだが、生活は楽にならない。働き詰めで無理をしたせいか、中学2年生の時に母が病気になり、まともに働けなくなってしまった。
「今度は俺が母さんを支える番だ」
そう決意した俺は、高校進学せず中卒で働くことを決意する。地元の中堅企業に就職し、住宅建設部門の現場に配属となった。最初は雑用係だったが、誰よりも早く出勤し、一番遅く帰る日々を送った。そんな俺の努力が認められたのだろう。30歳で営業部に移動となった。
羽岡と出会ったのは移動直後のことだ。廊下ですれ違った際に急に話しかけられた。
「ああ、君は確か本田君だったか」
「羽岡部長、こんにちは」
この時の羽岡は人事部の部長を務めていて、当時から仕事ぶりが話題になっていた。
「ずっと前から君と話したいと思っていたんだよ。今日の昼、一緒にどうだい?」
断る理由もなかったので了承する。
「実は俺も中卒でね、認めてもらうまでに何十年もかかったんだ」
羽岡はみんなから慕われているように見えたが、裏では数えきれないほどの苦労をしてきたらしい。
「君はもっと早く周りに認められる。会社をそういう場所にしたいんだ」
俺が就職できたのは人事部の羽岡部長の働きかけによるものだと知ったのは、この後しばらく経ってからだ。羽岡部長が人事部のトップになって以降、我が社は中卒や高卒の社員が一気に増えたらしい。俺もその一人だ。
「俺に協力できることがあれば何でも言ってください」
俺がそう言うと、羽岡は嬉しそうに笑った。羽岡はこの出来事から5年後に専務となり、学歴重視の風潮を変えようと尽力しているが、なかなか成果は出ない。俺が営業部に配属となってから7年経つが、未だに平社員のままだ。
ある日、馴染みの居酒屋に集まっているのは、同期で中卒の仲間たちだ。年齢と学歴が同じ8人の仲間とは定期的に飲み会を開催している。特に仲のいい須藤が俺の肩をポンと叩いた。
「なんかあったのか?」
「係長にいびられてるんだよ」
「ああ、小坂係長か」
須藤の口から出てきた名前に、俺は思わず顔をしかめる。小坂係長は、3年前に病気で退職した係長の後任として移動してきた。係長は有名な国立大学の出身者だ。しかし仕事の実力は伴わず、学歴と年功序列だけで営業部の係長に就任できたらしい。
小坂係長と同年代の人たちはもっと上の役職にいる。そのことに対してコンプレックスを抱いているのか、それとも単純に俺のような低い学歴の人間が嫌いなのか。移動してきた当初、俺は係長に対して礼儀正しく接していた。しかしある日、部長が俺の名前を挙げて仕事ぶりを褒めるのを、係長も聞いていたらしい。その翌日からいびりが始まった。
「今日、終業時間直前に仕事を押し付けられそうになってさ、俺が飲み会だって知ってたみたいで嫌がらせされたんだよ」
「ひどいな」
「だから言ってやったんだ。『その仕事は急ぎですか?急ぎでないなら明日片付けますので』って」
「すごい不服そうな顔してたな」
俺が係長に反発しているのは普段のいびりも原因だが、1年前の事件も大きく関わっている。小坂係長が仕事で大きなミスをした際、俺に罪をなすりつけようとしたのだ。俺は必死になって否定したが、学歴と役職が上の係長の言うことを信じる人も多く、一部の人たちの中では俺のミスという認識になっている。
「最近いびりがさらにひどくなってるんだ」
「なんかしたのか」
「営業部の一部の連中が噂してるんだよ。小坂係長は何の手柄も出していない。一方、俺は長年営業部に貢献してきた。人事移動で俺が係長になるんじゃないかって」
あくまで噂だが、外れでもないと思っていた。本人も自覚しているのか、あるいは噂を耳にしたのか。以前にも増して俺をいびるようになった。
「中卒の底辺のくせに生意気なんだよ」
人気のない廊下でいきなり怒鳴られたことを思い出す。俺に当たり散らしている暇があるなら、仕事を頑張ればいいのに。そう考えても、本人には言えない。
「お前が本当に係長になったら嬉しいな。中卒でもやれるんだぞって胸を張って仕事ができるよ」
須藤が少し悲しそうに笑う。この場にいる中卒仲間たちは、全員学歴のせいで不遇な目に遭っていた。
「本田、いびりに負けないで頑張ってくれ」
「何言ってんだ?一緒に頑張ろうぜ」
「ああ、そうだな」
その様子を見ていた仲間たちは穏やかな笑みを浮かべていた。
ある日のこと。営業部の部長から大きな仕事を任された。
「重要案件を本田に任せたいんだが、頼めるか」
「はい。精一杯頑張ります」
成功すれば夏のボーナスに大きく反映される規模の案件だが、部長から渡された詳細を見て思わず眉を寄せる。監督者は小坂係長か。小坂係長と組まされたことは過去にもある。その際、係長は俺の邪魔ばかりしてきた。今回の案件も邪魔されるだろう。俺の嫌な予感が見事に的中した。
「中卒で無能のお前にできるはずない。絶対失敗するぞ」
案件の初回の打ち合わせ、2人きりの会議室で小坂係長は早速俺を罵倒してきた。
「失敗しないように頑張ります」
「だから、無能な額がないお前には無理だって言ってんの。俺の言葉が理解できないのか?話の通じない相手をするのは疲れるな」
疲れるのはこっちだという言葉は飲み込む。打ち合わせは係長の罵倒で幕を閉じる。小坂係長は俺の妨害が一つの仕事になったらしい。必要な情報を回さず、案件に関するメールはわざと俺だけ宛先から外した。さらに小坂係長はサポート係の社員たちに別の仕事を振り、俺を孤立させる。
「小坂係長、監督者として仕事の割り振り方を見直していただけませんか?」
妨害をやめるよう遠回しに伝えたが、係長はいつもの嫌味な笑みを浮かべながら返した。
「適切に割り振っているが、仕事が進まないのはお前の実力不足だ。周りのせいにするな」
俺のことが嫌いなのはいいが、ここまでするかと呆気れてしまう。しかし相手は俺より立場が上の係長だ。表立って反抗することもできず、仕方なく一人で仕事を進める。連日残業を強いられたが、なんとか完成直前まで漕ぎ着けた。
「係長、成果報告書です。ご確認ください」
この書類が小坂係長に承認されれば仕事はほぼ完了だ。しかし長は報告書を受け取らず、突然椅子から立ち上がった。
「会議室に来い」
確認だけなら会議室に行く必要はない。どうしてだと思いつつ、小坂係長の後に続く。そして会議室に入るや否や、小坂係長は俺の成果報告書を引ったくり、目の前で破り捨てた。
「中卒が作った粗末な報告書なんて誰が読むんだ?ゴミにしかならないだろう。俺が書き直してやるよ」
呆然とする俺を置き去りにして、係長は会議室から出ていく。人目のない場所を選んだのはこのためだったのだ。しばらく俺は動けなかった。床に散らばった紙切れを拾いながら、情けなくて悔しくて目の奥が熱くなる。
「この程度で崩れてたまるか」
涙をこらえ、俺は静かに立ち上がった。
その後、小坂係長は自分の名前が記載された成果報告書を提出。手柄は係長のものとして処理され、案件成功のボーナスも横取りされてしまう。さらに、報告書は俺の不備で提出が不可能となったため、係長が急いで代わりに作成したという噂が長によって流れた。係長が提出した成果報告書は、俺が作ったものとほぼ同じ。俺が作った報告書のデータを、会議室での一件の前に盗んでいたのだ。そして小坂係長は案件を成功させた功績が評価され、課長への昇進が決定。一方の俺は大きなミスをした役立たずという認識になり、周りから冷めた目で見られるはめとなった。
「お前は倉庫整理をしてろ」
部長から雑用を押し付けられ、倉庫の片付けをしていると小坂係長がやってきた。
「中卒君の手柄で昇進できた。ありがとう。これからも俺のためにせいぜい頑張ってくれよ」
ニヤついた笑みを浮かべ、小坂係長は踵を返す。その後ろ姿を見送りながら、俺の中で決意が固まった。
「もうあなたに利用されるつもりはありません」
遠ざかる長には聞こえなかったようだが、別に構わない。ポケットにしまっていたスマホを取り出すと、メールを一斉送信した。送信先は同僚の中卒仲間8人だ。
その日の夜、馴染みの居酒屋に集まった仲間たちは、俺の口から語られた事実に険しい表情を浮かべていた。
「本田、なんてことを!」
須藤が怒りを露わにする。こうして俺のために怒ってくれる人がいる。今の俺にとって、その事実が何よりもありがたかった。
「今までは波風立てたくなくて、小坂係長のいびりはスルーしてきた。でももう限界だ。今回の件は、どう頑張っても飲み込めない」
学歴のせいだ。仕方ないと自分に言い聞かせてきた。ここにいる連中は全員同じ思いをしている。しかし、これ以上は黙って見過ごすわけにはいかなかった。
「みんな準備はできてるな。明日の株主総会で会社を変えるぞ」
俺の言葉に8人の仲間が一斉に頷いた。
翌日、今日は社内で一番大きな会議室で株主総会が開催される。総会には小坂係長と俺も参加していた。自社株を1株でも持っている社員は参加できるのだ。株を持つきっかけになったのは7年前。羽岡に昼を誘われた時に自社株の購入を進められたのだ。
「会社に関わる方法は仕事だけじゃない。退職後に株を売ればまとまった金も手に入るしな」
羽岡のアドバイスで株を購入したおかげで株主総会に参加できる。心の中で専務にお礼を言い、その時を待った。
「では質疑応答の時間に入ります」
俺は勢いよく手を上げる。司会者に指名され、ゆっくりと立ち上がった。
「この会社には、学歴を理由に社員を踏み台にする文化が今も根付いていますね」
何も飾らない俺の言葉に会場が静まる。俺は構わずこう続けた。
「羽岡専務が学歴不問採用を推進してくださったにも関わらず、現場は何も変わっていない。その証拠を提示します」
そう言いながら、俺は鞄の中から様々なものを取り出す。中卒仲間たちが集めた証拠だ。上司や同僚からの嫌味を記録した録音。どのようなひどい扱いを受けたか詳細をまとめた書類など、数多くの証拠が揃っている。仲間たちが証拠を集め始めたのは1年前。小坂係長が俺にミスをなすりつけた事件がきっかけだ。このままだと係長に潰される。そう確信した俺が証拠を集め始めると、みんなそれに続いた。全ての仕事データは、係長の知らないクラウドにも保管するようにしている。いつかこういう日が来ると分かっていたからだ。
「本田の件は他人事じゃない。同じ中卒で立場の弱い俺たちにも起こりうることだ。いつかこれを暴露して会社を変えないか」
いつもの居酒屋で須藤が冗談混じりにそう言ったのを覚えている。俺は笑いながら頷いた。
「それいいな。でも会社には拾ってもらった恩もある。変えるのは、学歴で判断する今の会社だ。羽岡さんが目指している新しい会社作りを俺たちも手伝おう」
俺が会社を変えると言った真意はこれだ。誰もが働きやすい会社に作り替える。そんな決意を胸に、俺は今この場にいるのだ。小坂係長の一連の行いは腹が立つきっかけになった。目を丸くしている係長を一瞬見て、会場に視線を戻す。
「まずはこちらをお聞きください」
差し出したノートパソコンで再生したのは、俺に対する小坂係長のひどい扱いの発言の数々だ。スピーカーから係長の声が流れた瞬間、会場がしんと静まり返った。それまで俺を冷たい目で見ていた何人かが、ゆっくりと視線を係長へ向ける。係長は顔を真っ赤にしたかと思えば、次の瞬間には青ざめていた。続けて他の仲間たちが集めた録音も聞かせた。仲間をひどく扱っていた参加者にも視線が集まる。
「それと先日小坂係長が提出した成果報告書ですが、あれは俺が作った報告書の盗用です。係長は自分の手柄だと嘘をついています」
俺の予想外の行動に小坂係長は驚いて呆然としていたが、この言葉にはっと我に返ると慌てて立ち上がった。
「この男は会社への不満から虚偽の告発をしています。皆さん騙されないでください。大体、このような場で個人攻撃をするなど非常識にもほどがある」
会場の後方から静かで力強い声が響いた。
「私が許可する。続けなさい」
羽岡だ。専務も株を所有しているため総会に出席していたのだ。
「非常識なのは認めますが、このくらいしないと俺の話を誰も聞いてくれません。あなたが嘘の話を広めたせいで俺の信用が地に落ちてしまったからです」
少し焦りつつも小坂係長はニヤリと歪んだ笑みを浮かべる。自分がまだ優位だと思っているようだ。
「そう。お前の信用はゼロだ。こんな奴の言うことを誰が聞くんだ?」
「本田君、成果報告書を君が作ったという明確な証拠はあるのか?」
羽岡が静かに問いかける。
「もちろんです。係長は成果報告書のデータを盗みましたが、実は係長が知らない別の場所にバックアップ用にデータを保管していたのです」
パソコンにデータの保管場所を表示させ、羽岡専務のところへ持っていく。
「最終更新日時は、係長が成果報告書を提出した日の半月前。中身は係長の報告書とほぼ同じです」
「お、本田が俺のパソコンからデータを盗んだんだ」
小坂係長が焦ったような声を上げるが、俺は冷静に言い返した。
「報告書は係長が一から作ったんですよね。なら、今この場で報告書を作り直しましょうよ。完全再現は無理でも、ある程度同じ形で作れるでしょう。俺は作れますよ。なんせ連日残業して必死に作った報告書なので」
小坂係長の動きがぴたりと止まった。
「やれますよね、係長」
全員の視線が小坂係長に集まる。ほぼ全員が疑いの目で長を見ていた。
「あの報告書は俺が作ったもので、まだ言いますか?仕方ないですね。これは出さないでおこうと思ったのですが」
そう言いながら、俺はポケットからスマホを取り出す。そしてある録音データを再生した。
「君の手柄で昇進できた。ありがとう。これからも俺のためにせいぜい頑張ってくれよ」
あの日、俺にニヤつきながら言い放った小坂係長の言葉だ。
「あ、ちょ、中卒のくせによくも俺を陥れやがったな」
焦った小坂係長がいつもの調子で罵倒の言葉を口にする。羽岡が目を細め、係長を睨みつけた。
「今、部下を罵倒したね。いつもそんな風だったのかな。本田君が提示した証拠に信憑性が増したね」
小坂係長がしまったという顔をするが、すでに手遅れだ。羽岡はため息をつくと、参加者に向かい口を開いた。
「私もこの会社の学歴の風潮には長年疑問を持っていた。学歴というくだらないレッテルに縛られているせいで、今回のような事件が起きてしまったんだ」
会場は静まり、専務の言葉を聞いている。
「私もかつて学歴がないというだけで何度も踏みにじられた。本田君たちには同じ目に遭ってほしくないと思っていたが、現実はこれだ。すまなかった」
専務が俺に向かい頭を下げる。俺は首を横に振って答えた。
「専務のせいではありません。悪いのは他人を学歴でしか判断できない一部の人たちです。その人たちが会社を腐らせている。俺は会社を変えたいと思い、この場に立っているんです」
俺に向けられる目は様々だ。学歴重視の連中は険しい目を向けている。しかし俺に賛同する目を向ける人たちも多かった。
「君がくれたチャンスは絶対に無駄にしないと約束する。ここからは私の出番だ。任せてくれ」
「わかりました。専務、頼みます」
俺と羽岡が頷き合う。続いて羽岡は小坂係長にこう言い放った。
「それはそれとして、小坂係長の件はコンプライアンス違反だ。今後は調査を行った上で対応を決めるので、そのつもりで。他の社員をひどく扱っていた人たちにも聞き取りを行う」
専務の宣言に、参加者の何人かは冷や汗を流していた。中でも小坂係長は取り乱しっぱなしだ。
「そんな、頑張ってください。俺の話を聞いてください」
「ああ、後でゆっくり聞いてあげよう」
羽岡は冷めた目を係長に向けている。どう足掻いてもまずい状況をひっくり返せないと悟ったらしい。小坂係長は少し迷った後、俺に謝罪してなかったことにするという方法を選んだ。
「本田。悪かった。この通りだ。二度とお前に危害を加えない」
「その言葉を今更信じられるとお思いですか?あなたには散々裏切られ、貶められてきた。今更謝罪したところで無駄ですよ」
小坂係長の目から徐々に光が失われていく。
「人の足を引っ張るのではなく、自分の力で昇進する努力をしていれば、こんなことにはならなかったんですよ。今更後悔したところで遅いですけどね」
係長はフラフラしたかと思ったら、その場に膝をついた。立っていることもできなくなったらしい。
「ちくしょう……!」
うずくまり、後悔の涙を流す小坂係長だったが、誰も手を差し伸べようとはしなかった。株主総会は大混乱の中、幕を閉じる。羽岡が主導で調査を進めた結果、中卒社員たちへのひどい扱いが認められた。小坂係長の昇進は取り消しとなり、俺の手柄も正式に認められた。その後、小坂係長は住宅建設部門の現場へ移動となった。しかし1ヶ月もしないうちに退職を提出。中卒の仲間たちをひどく扱っていた連中も、降格や移動など厳しい処分を受けた。
気の毒とは思わない。社内の学歴重視の空気は徐々になくなり、最近はかなり働きやすくなったように思う。失われた俺の名誉もすっかり回復した。
「係長昇進おめでとう!」
いつもの居酒屋で、須藤や仲間たちが俺をお祝いしてくれた。みんな自分のことのように喜んでいる。
「みんなのおかげだよ。ありがとうな」
もし俺一人だったら、このような結末を迎えられなかっただろう。仲間たちのおかげで今があるのだ。みんなへの感謝を胸に刻み、俺は今日も頑張って働いている。



