「リナ、明日から両親の介護な。当然、東京に来るからそのつもりで。先に言っておくけど、これは確定事項だからな。ね、母さん。」
「ええ、そうよ。はっきり言って、リナさんは元気の寄生中でしょ。もう甘えないでくれるかしら。」
今日はゴエルディの新築祝いで、義兄夫婦も来ている。夫と義母は、彼らにバレないように私を台所に呼び出し、いきなりこんな宣告をしてきたのだ。
私は驚きも焦りもなく、冷静に聞き返した。
「元気とお母さんが、相談もなく勝手に決めた。そういうことで合っていますか?」
「そうだよ。というか、お前に相談なんか必要ない。嫁っていうのは介護要因だからな。グダグダ言ってないで認めなさい。」
「まあ、リナさんが認めなくても関係ないけどね。」
「嫁は介護要因ですか?じゃあ、私は介護する必要ないですね。だって、私は元気と夫婦ではありませんから。」
「は?」
夫と義母の声が同時に漏れる。何も知らない二人からすれば当然の反応だろう。私はこの日のために準備を進めてきたのだ。
「元気、お母さん。私は全て知っているの。あなたたちがどれだけバカなことをしているのか、私が分からせてあげるわ。」
夫はにやりと広格を上げて笑い、義母は呆れた顔をしている。
「何言ってんだ、お前。いつ俺たちが離婚したんだよ。社会のルールも分からないのか?離婚ってのは正式な手続きが必要なんだよ。本当にバカな嫁ね。」
「もう話をする必要もないわね。さあ、元気、みんなのところに戻りましょう。」
散々笑った後に、夫と義母はリビングへ戻ろうとした。私は淡々とした口調で事実を明かした。
「あなたたちこそ、何を言ってるんですか?私は役所に提出してきただけですよ。元気から渡された記入済みの離婚届けをね。」
「はあ?俺が渡した離婚届け?何のことを言っている?もう冗談はいいぞ。」
「あら、覚えてないのね。じゃあ、ちょっと待っててくれるかしら。今から証明してあげるから。」
1分後、夫と義母は驚愕した。私の手に数十枚の離婚届けが握られていたからだ。正確な枚数は30枚。全てに夫のサインがされている。
「どうでしょうか?この中の1枚を役所に提出してきたので、正式な手続きだと思うのですが、社会のルールを知らないのは私なのでしょうか?ねえ、答えてくださいよ。」
「ちょっと元気、どういうこと?なんでリナさんが記入済みの離婚届けを持ってるの?しかも、あんな枚数。覚えてないはずないでしょ。」
「いや、本当に覚えてない。リナ、お前が勝手に俺の名前を書いたんじゃないのか?」
「いいえ、確かにあなたが書いたわ。毎日毎日飲み歩いてベロベロに酔っ払ったあなたがね。まるまる1ヶ月間も書いてくれたから、31枚もあるのよ。1枚は提出したから、今私の手には30枚あるわ。」
半年前のある日から、夫は家に帰るのが遅くなった。残業、接待、休日出勤。何もない日も朝から出かけて行く。帰ってきたかと思えば泥酔状態で、まともに会話することもできない。夫は酔っ払いながら楽しそうに私を馬鹿にするようにもなった。その中で夫が離婚届けを使い、「いつでも離婚してやるぞ」と私をからかっていたのだ。それを覚えていないのだから、本当に間抜けな人だ。
「俺に断りもなく勝手なことしてんじゃねえ。何を考えてやがる?非常識にもほどがあるだろう。」
「嫁が介護要因とか言ってる人に常識を語らないで欲しいわ。それに、嫁いびりのために毎日離婚届けを書く方がおかしいでしょう。元気、はっきり言って、あなたは普通じゃないわ。夫でいることなんて無理なのよ。」
「リナさん、事情は分かったわ。でも勝手に離婚届けを出すなんて、あなたも十分普通じゃないわよ。そもそも元気と離婚して、生活はどうするの?あなた1人で生きていけないでしょう。」
私は離婚届けと一緒に持ってきていたものを見せた。それは私の通帳だった。
「お母さん、私は1人で生きていけるように貯金もしていました。ですが、元気は私の通帳から何度もお金を引き出していたんです。お金が必要なら事前にちゃんと相談して欲しい。黙って引き出すのはルール違反。そう何度もお願いしたんですけどね。やっぱり元気は普通じゃないですよ。だから、離婚届けを出すことも躊躇しませんでした。」
「え、元気がリナさんのお金を?それも初めて聞いたわよ。元気、なんでわざわざリナさんのお金を使ったのよ。あなたは高収入なんだから必要ないでしょ。」
「いやいや、母さん。嫁の金は俺の金でもあるだろう。だから何もおかしいことじゃないよ。リナ、俺は何度も言ったよな。お前の金も俺のものだ。」
夫は顔を真っ赤にして激怒しているが、私はただ呆れるばかり。義母は信じられないといった顔で夫を見つめている。自分の息子が勝手に嫁のお金を使っていたなんて予想もしていなかったらしい。ただ、何も知らずに私を規制中していた義母も似たようなものだ。義母にも現実を分からせる必要がある。
「ちなみに、お母さんは知らないと思いますが、新居は私が購入したんですよ。当然、名義も私です。」
「はあ?次から次へと何なの?あなたなんかに家が買えるわけないでしょ。」
義母は私の言葉を信じたくない様子だった。私はあらかじめ用意していた土地と建物の登記簿を取り出すと、新居が私名義であることを証明して見せた。義母は目を見開き、何度も何度も書類を確認する。しかし事実は変わらない。ブルブルと震え出した義母は夫に向き直った。
「元気、どういうことなの?俺が金を出したと確かに言っていたわよね。もしかして、事実を隠すためにあえて言っていたの?」
夫は気まずそうな表情を浮かべ、同時に私を睨みつけてきた。これまで従順だった私が反抗したことに腹を立てているといったところだろう。今まで夫は私を脅し、力で抑えつけてきた。気が弱かった私は言いなりになってしまったが、もう怯えるのはやめて覚悟を決めていた。彼を追い込むためのネタはまだまだたくさんある。
「お母さん、もうお分かりいただけましたか?私は元気に規制中なんかしていません。むしろ逆。規制中は元気の方ですよ。彼は勝手に私の貯金を使った。新居の購入も私任せ。それに生活費すら入れてくれません。まあ、入れたくても入れることはできないでしょうが。だって、元気は仕事をやめて無職ですからね。母さんには高収入だと脅されていましたから、黙ってましたけど。」
「う、嘘でしょ?さすがにそれはいくらなんでも。リナさんの作り話を信じろって?」
未だ夫は黙ったまま私を睨むだけだ。夫が高収入なんて笑わせてくれる。そんなのは過去の話。確かに夫は結婚当初はバリバリ働いていたが、彼の最悪な人間性が露呈されると会社も見過ごせず左遷。プライドだけは高いので、夫は会社を自主退職。今はアルバイトの面接にすら苦戦しているというのに。そのちっぽけなプライドを守るために、私を力で抑えつけて口を封じていたというわけだ。
事実を聞かされた義母は真っ青になっていた。
「ごめんなさい、リナさん。私、何も知らなくて、ひどいことばかり言ってしまったわ。」
「分かっていただければ大丈夫です。もう手遅れではありますが。ちなみに、私が新居を購入できたのは、元気が無職になったと同時に仕事を始めたからです。友人と会社を起業し、順調に軌道に乗っています。例え元気に貯金を使われたとしても、私は1人で生活できますよ。」
早々に義母は頭を下げて謝罪してくれた。ただ、知らなかったとはいえ人を規制中するのは間違っている。簡単には許すつもりはないが、これ以上は何も言わない。自分の過ちを認めて謝罪さえしてくれれば、私の溜飲も少しは下がる。ああ、夫が謝罪してくれればよかったのだが、簡単に認めないのが夫だ。
「何謝ってんだよ、母さん。嫁に頭下げる必要ないだろ。それに離婚届けだって本当に出したか怪しいしな。こいつに大それたことできやしないって。リナは何もできない女なんだから。」
「ふーん。まだ認めようとしないんだね。でも、そんな強気で大丈夫?後ろで見ている人たちはご立腹のようだけど。」
「あ、父さん。兄さん、いつから聞いてたんだよ。」
「俺に相談もなく勝手なことしてんじゃねえよ。台所からお前の大声が聞こえてきたと思って来てみれば、さっきから何をバカなことを言っている?誰が聞いても非常識なのはお前の方だろ。わざわざ新築祝いの合間に嫁いびりか。ここまで元気が腐った人間だったとは知らなかったよ。見てみろ。俺の嫁も親族を軽蔑しているぞ。」
岐阜の義兄、正道さんと義兄嫁のまきさんは、ひっそりと私たちのやり取りを聞いていたのだ。彼らは夫と義母の背中側にいたので気づいていなかったというわけだ。正道さんは夫の言動に大激怒して顔を真っ赤にしている。まきさんは顔面蒼白になりながら夫のことを見つめていた。二人とも普段は温厚で物静かであり優しい。そんな二人が大激怒しているのを見るのは、私だけでなく夫と義母も初めてだったのだろう。
夫は見苦しく反論し始めた。
「嫁いびりなんかじゃないよ。皆が勝手に離婚届けを出したって言うから、怒っていただけで。」
「何を言ってんだ?どう考えてもお前に原因があるだろう。リナさんを脅し、新居を買わせた挙げ句、無断で同居。離婚されない方がおかしいんだ。どうなんだ、元気。なんとか言ってみろ。嫁はお前の道具じゃないんだよ。こんなことを言わないといけないなんて、どうかしてる。無駄に高いプライドを守ろうとしやがって。恥を知れ。」
「悪かったって。俺がどうかしてたよ。結婚してすぐに仕事がうまくいかなくなって、それから何をしてもダメだったんだ。俺の友人たちはどんどん成功してるのに、追い抜かれたようで焦ってたんだよ。そしたらリナも仕事で成功し始めて、ほとんど嫉妬みたいなものだったんだ。」
ようやく観念したのか、夫は深々と頭を下げながら胸の内を明かした。私も夫の友人たちのことは知っている。大企業で働いた後にそれぞれが独立し成功を収めたエリートたちだ。もちろんそこには血の滲むような努力があったはず。夫のようにプライドだけでやっていくのは不可能だろう。でも夫は上だけを見て焦ってしまったようだ。その焦りをごまかすように私をいびっていた。なんとも情けない話だが、そんな夫の言いなりになってしまった私も本当に情けなかったと反省している。
「俺はリナのことを道具だなんて思ってないよ。父さんや母さんが心配で、介護して欲しいと思って同居を提案したんだ。本当にそれだけなんだよ。」
「嫁っていうのは介護要因」という夫の言葉を、夫は義兄夫婦が知らないことを利用して言い逃れするつもりなのだろう。私が話せばすぐにバレるというのに、よっぽど追い込まれているようだ。だが、こんなものでは足りない。
「介護なら、まきさんにしてもらってね。だって、まきさんは元気の新しい嫁だもんね。」
「何を言ってんだ。まきさんは兄さんの奥さんだ。俺の新しい嫁なわけないだろ。離婚したからって、好き放題言ってんじゃねえ。」
夫は一瞬で顔を赤くし、異常なほどに取り乱して大激怒した。普通、兄の奥さんと浮気だなんて考えられない。夫が怒るのも無理はないのだが、その場の全員が沈黙していた。夫の取り乱し方が尋常ではなかったことに加え、今までの彼の悪行を照らし合わせると、可能性はゼロではなかったからだ。
「おい、元気、まさかとは思うが、まきに手を出してないだろうな。リナさんの言ってることは嘘だよな。」
「嘘に決まってるだろ、兄さん。リナは俺を困らせたいだけなんだよ。ねえ、まきさん、俺たちが浮気なんてありえないですよね。」
まきさんは顔面蒼白のまま小さく頷いたが、それが余計に疑惑を深めてしまったようで、正道さんの表情がどんどん曇っていく。義両親も夫の隠された事実に半信半疑ではあるものの、疑いの目を向けずにはいられないようだった。
「どうしてくれんだ?変な空気になっちまっただろ?証拠もないのにふざけんな。すぐに撤回しろ。」
「絶対に撤回しないわ。だって、私は事実を言っているだけだもの。それに、私が何も用意してないと思ってるわけ?どこまで気楽な人なのかしら。これを見てから、同じこと言ってみなさいよ。」
私はスマホを取り出し、夫の目の前に突きつける。夫は目を大きく見開いて冷や汗をかき始めた。そこには夫とまきさんが高級ブランド店で買い物する姿や、ホテル街を仲良さそうに歩く姿が映っていたのだ。彼らはぴったりと顔を寄せ合っており、誰が見てもカップルにしか見えない。
「なんだよ、これ。なんでお前がこんなものを持っている?」
「尾行して撮影したの。あなたが私の貯金を使って何をしているか気になっていたからね。酔っ払うまで飲み歩いていたくらいだから、散財しているのかと思ったけど、そうじゃなかった。まきさんのために私のお金を使っていたなんてね。元気、ふざけているのはどっちなの?ねえ、なんとか言ってみなさいよ。」
「俺にも聞かせてくれ。元気、言い逃れられるわけないか。どう考えてもお前の方がふざけているからな。どんな気持ちで今日の新築祝いに参加してたんだ?教えてくれよ。」
静かにぶち切れる正道さんに、夫とまきさんも絶句していた。私でさえ正道さんの鬼の形相にゾクッとしたのだから、夫たちにとっては生きた心地がしないだろう。でも、これは完全に自業自得だ。これまでの夫の言動を思い出すと、改めて彼はとんでもないクズだったのだと実感する。
この場がシーンと静まり返ってしまうが、最初に口を開いたのはまきさんだった。
「本当は、私、参加するつもりはなかったの。元気君がどうしても来て欲しいってメールくれたから、仕方なく。だけど、実際に来てみたら元気君とリナさんが言い争ってて、ずっとビクビクしてたのよ。」
まきさんの言葉に、正道さんは大きなため息をつき落胆していた。目の前で自分の嫁の浮気が確定したのだから、そうなるのも無理はない。ちらっと夫を見ると、彼は疑問の表情を浮かべていた。
「何言ってんだよ、まきさん。俺はメールなんて送ってないぞ。」
「え、でも確かに元気君からのメールだったよ。ほら、履歴も残ってるわ。」
「本当だ。俺は全く身に覚えがない。」
「当然よ。だって私だもの。元気のスマホでまきさんにメールを送ったのは。あなたが寝ている隙に指を借りて、指紋認証を解除したの。」
「はあ。まさかお前、俺に復讐するためにまきさんを呼んだのか?」
私がこくりと頷くと、夫の体が小刻みに震え出した。何もできないと思っていた女にやられたのだ。これほどまでに屈辱的なことはないだろう。私自身、酷いことをしているとは自覚していた。わざわざ親族を集めてまで暴露する必要なんてない。時間を設けて話し合いをするのが普通だろう。でも、私は夫のことがどうしても許せなかった。私を道具のように扱い、家族を騙していた夫に、彼に一生消えないほどの後悔を与えたい。それだけを考えて準備してきたのだ。
ちなみに、夫が介護をさせようとしていたのも、私を縛り、まきさんとの時間を作るためだ。仕事に家事に介護と時間を縛れば縛るほど、私が干渉できる時間もなくなって浮気をしやすくなる。不満が悪くなれば、私を脅して離婚し、追い出せばいい。それが夫の考えていたことだった。
「元気、さっき頭を下げて謝罪したのも、全部演技なんだな。」
「はあ。お前には失望した。もう2度と顔も見たくない。すぐに荷物をまとめて出ていけ。俺とはやっていけないよ。よりによって弟と浮気だなんて。」
「待ってよ、まさ道。離婚だけはしたくない。まさ道がいなかったら生きていけないわ。ずっと働いてこなかったからお金もないし。本当にごめんなさい。許してください。」
涙ながらの土下座を披露するまきさんだったが、それだけで簡単に許せるはずもない。夫とまきさんにできるのは、全てを認めて謝罪するだけだ。自業自得で救いようはないが、もう責めるべきではないだろう。ただ、次の瞬間、私はありえない光景を目の当たりにすることになった。
「まきさん、謝ることないですよ。兄さんと離婚して、俺と再婚すれば丸く収まるじゃないですか。俺はリナと離婚して、父さんにも絶縁された。もう邪魔するやつはいないですよ。なんだ、最初から堂々と言えばよかったんだよ。リナは用済みだし捨てる。兄さんにまきさんはもったいないから、俺にくれってね。」
そう言った瞬間、夫の体が吹っ飛び、壁に叩きつけられた。「うっ」という短いうめき声と共に、夫は崩れ落ちる。正道さんが夫を勢いよく突き飛ばしたのだ。
「何が丸く収まるだ。何が用済みだから捨てるだ。リナさんがどんな気持ちだったか、考えたことはないのか。人を道具のように扱っておきながら、平然としてやがる。俺はお前みたいな人間が一番許せない。」
ふう、と鼻息荒く正道さんは怒りをぶちまけた。自分のことよりも先に私のことを思って怒ってくれている正道さん。自分のことしか考えず、くだらない言葉で人を傷つける夫。兄弟でありながら、夫と正道さんは正反対だと改めて気づかされた瞬間だった。
正道さんの鋭い言葉と視線を浴びながら、夫はゆっくりと体を起こす。そして、笑いながらこう吐き捨てた。
「道具のように扱って何が悪い?リナは俺のものだ。どう使おうが勝手だろ。それに、兄さんは何も分かっていない。まきさんは兄さんと別れたがっていたんだ。兄さんは真面目なだけが取りえで、彼女を満足させていなかったからな。要は飽きられたってことだよ。まきさんには収入がないから、兄さんにしがみつくしかなかったんだ。仕方なく夫婦をしてただけだ。バカが。」
夫の汚い言葉が正道さんに届いた瞬間、事態は急変した。正道さんはうつろな目のまま、台所にあった包丁へと手を伸ばす。私はすぐに正道さんを止めた。これ以上は危険だと、置いてあった包丁を全て手に取った。緊迫した中でも夫は笑っていた。夫の底知れない最悪な人間性に寒気がしたが、力に頼って夫を抑え込むのはダメだ。それこそ夫と同じレベルに落ちてしまう。
夫以外の全員が、ゆっくりと落ち着くように正道さんをなだめる。正道さんは深呼吸をした後、「すまない」と小さくつぶやいた。
「なんだ、もう終わりかよ。だからつまらないんだよ、兄さんは。じゃあ、まきさんは俺がもらうから、さっさと離婚してくれよ。さあ、まきさん、行きましょう。俺に任せてくれればいいですから。」
震えているまきさんを半ば強引に引っ張って、夫は新居から出て行こうとする。そんな夫に、私は最後の忠告をした。
「このまま出ていったら、必ず後悔するわよ。あなたの人生、取り返しのつかないことになるわ。それが嫌なら、今すぐ謝って。いい?これが最後のチャンスよ。」
「はあ?もういいって。そういうの。俺は今まで通り、自分の好きなように生きる。お前とは他人になったんだから、俺の人生に関わるなよ。じゃあな。」
薄汚い笑い声をあげながら、夫は去ってしまった。誰も夫を追いかける人はいない。何を話しても無駄だと、全員が悟っていた。
「皆さん、辛い思いをさせてしまったね。気づくのが遅すぎたよ。息子があんなにも狂っていたとは。本当にすまない。」
「ごめんなさい。私が悪かったのよ。何も知らないくせに、元気とひどいことをしてしまったわ。私が止めないといけなかったのよ。」
義母は勢いよく土下座し、何度も何度も謝罪を繰り返した。さっきも言ったが、分かってくれたらそれでいい。簡単には許せないが、元々夫が義母に嘘を言っていたのが原因だから。
「さっきは取り乱して悪かった。リナさん、俺も協力するから、元気に謝罪させよう。このままじゃあまりにも君がかわいそうだ。」
「正道さん、私のためにありがとうございます。ですが、もう何もする必要はありません。元気は最後のチャンスを失いました。もう彼の人生は終わりです。」
私がニコッと微笑むと、全員が困惑した様子だった。決して強がったわけではない。夫は重要なことを見逃しているのだ。それに気づいた時、夫は一生後悔することになる。私は確信していたのだった。
それからしばらく立ち、私がある場所で待っていると、元夫である元気から電話が来た。思ったより早かったなと呆れながら電話に出ると、これまで聞いたことのないくらい焦った声が電話越しから聞こえてきた。
「助けてくれ。このままじゃ俺、海に沈められてしまう。」
「へえ、そうなんだ。ちょうど8月だし、いいんじゃない?じゃあ、私は忙しいから切るわね。」
「待て待て待て。切るな。いや、切らないでください。リナ、お前しか俺を助けられないんだ。頼むから、今から1000万用意してくれ。」
「無理よ。私は言ったよね?最後のチャンスだって。あの場で謝罪していれば、考える余地はあったけど、もう取り返しつかないわ。それに、私は他人だもの。あなたの人生がどうなろうと知ったこっちゃない。あなたも言ってたでしょ?『俺の人生に関わるな』って。」
そう突きつけると、元気は沈黙した。今、元気が置かれている状況というのは、莫大な借金を払うことができず、闇金から逃げているというものだ。実は、元気は1000万以上の借金を背負っている。ただ、その借金は元気のものではなく、まきさんのものだ。元気とまきさんの浮気写真には高級ブランド店で買い物するシーンが映っていたが、どうやらまきさんは借金してまでブランド品を買い漁っていたらしい。正道さんはまきさんに必要以上にお金を渡さないようにしていたので、闇金に手を出してしまった。その借金の連帯保証人として選んだのが、元気だった。元気はまんまと騙されて借金の連帯保証人になったが、彼女は姿を消してしまい、元気が追われているというわけだ。ちなみに、これを調査してくれたのは、私と起業した友人だ。友人には浮気調査も協力してもらっていたのだが、その過程でまきさんの借金にもたどり着いて、今に至っていた。
しばらく様子を伺っていると、元気がボソボソと話し出した。
「両親や兄さん、元同僚や友達にも電話をかけたんだ。でも、誰も繋がらなかった。……リナだけだったんだよ。俺はお前にひどいことをしたのに、本当にすまなかった。」
ようやく元気は本心からの謝罪をした。私が宣言していた通り、何もしなくても彼は私に頭を下げることになった。ここまで追い詰められないと自分の過ちに気づけないなんて、本当にバカな人だ。
「勘違いしないでくれる?別に元気を信じたんじゃないわ。私は、あなたが後悔するところを見届けたかっただけ。ずっと待っていたのよ、あなたが電話してくるのを。もちろん、助けるわけがない。そもそも助けてもらえるなんて思わないで。私は今でも鮮明に覚えているわ。あなたが正道さんに言った言葉を。『リナは用済みだし捨てる』って。」
「おい、嘘だろ?このまま見捨てるつもりか?俺が海に沈んだら大事件になるだろう。なんとかしろよ。」
「海の中で一生後悔すればいいわ。そうそう、最後にいいこと教えてあげる。まきさんはあなたのことを『ATM』だと言ってたそうよ。使えなくなったら捨てるつもりだったらしいわ。見事なまでに応報ね。それだけ伝えて、返事は聞かずに電話を切った。」
その後、元気はと言うと、相変わらず闇金に追いかけられているようだ。元気が海に沈められることはないということを、私は最初から知っていた。というのも、私が元気からの電話を受けた時にいたある場所というのは、彼の後ろの物陰だったからだ。元気は「海に沈められる」と言っていたが、それも嘘。私の同情を誘うために人芝居を打っていたというわけだ。元気が闇金に追われているというのは本当だが、あの日彼は一人きりの状態で電話をしてきた。それを見ながら私は電話を受けていたので、正直笑いそうだった。これから元気はお金を返すまで追いかけられることになるだろうが、それこそ私の人生には関係ない。私が望むのは、元気が地獄に落ちることだけ。彼はそれだけのことをしてきたのだから。
一方、姿を消したまきさんは、警察のお世話になっていた。お金に困った彼女は窃盗に入ろうとしたらしいが、あっさり見つかって通報されたそうだ。正道さんが迎えに行くことになったが、その流れで離婚と慰謝料の請求を突きつけたと聞いている。まきさんは正道さんという素敵な男性を裏切ってまで自分の欲望を満たそうとした。そんな彼女の未来はお先真っ暗だと言えるだろう。
私はと言うと、独身になってからさらに仕事は順調で、会社もどんどん成長している。元気との離婚を見据えて始めた仕事だったが、今では生きがいとも呼べるほど楽しむことができていた。5LDKの新居には私の両親を呼び、同居している。元々元気と離婚するつもりだったので、新居は両親のために購入したようなものだった。私の両親は二人とも体を悪くしているので、今後は介護が必要だろう。もちろん、私は喜んで引き受けるつもりだ。両親からは再婚の話も持ちかけられたが、当分結婚はこりごりだ。今は独身生活を謳歌したいと思っている。
「今日から、武志たち長男夫婦と同居する規制中の私にお説教なんてないからな。」
「そうそう。邪魔だから出ていってよ、母さん。孫の顔が見れただけでもありがたいと思ってくださいね。」
「ふーん。そうなんだ。OKよ。拒否するつもりなんて1mmもない。私は出ていくけど、後で泣きついてこないでね。」
理不尽な要求に対し、私は平然としていた。むしろ堂々とした態度に、夫の勝也と長男夫婦は目を丸くする。彼らは何も知らない。私の正体を。私を追い出せば、自分たちが追い込まれることを。彼らの考えはお見通し。私は全て知っているのだ。すでに反撃の準備も整っている。見てなさい。必ず相応の報いを受けさせてあげるわ。心の中で笑いながら、私は冷たい視線を夫たちに送る。
目を丸くしていた彼らは、やがて笑い始めた。
「何強がってんだよ。俺たちがお前に泣きつくわけないだろ。母さんもバカだね。そんなんだから捨てられるんだよ。」
「本当に惨めですね。じゃあ、私たちは海外旅行に行ってきますね。」
そう言って、勝也は生まれたばかりの子供を抱いて出ていってしまった。
「旅行中は邪魔だから電話してくるな。離婚届けにサインだけしとけ。お前の荷物は1つも残すなよ。」
さり際に夫が言ってきたが、ため息しか出てこなかった。2週間後、私のスマホに大量の着信が入った。どうやら夫たちが旅行から帰ってきたようだ。しばらく放置していたのだが、私はそろそろ潮時かと思い、電話に出る。
「もしもし。」
「おい、佳織、一体どういうことだ?」
電話の向こうで夫は切れていて、何と言っているか聞き取れないほどだ。
「何がどういうことなのよ。」
「とぼけるな。どうして家の中に何もないんだ。」
「そうだよ、母さん。これじゃ俺たち生活できないじゃん。母さん、勝手なことしないでくださいよ。」
夫や長男夫婦の言葉に、「ああ、なるほど」と呟いた。でも、それは当たり前だ。だって、勝也が言ったんじゃない。「お前の荷物は1つも残すなよ」って。だから、業者に依頼して持っていったのよ。
「はあ?何を意味のわからないことを。この家にあるものは全部俺のものだぞ。」
「あなた、何言ってるの?あれは全部私が買ったものよ。そんなことも忘れたの?」
そう言うと、夫は思い当たる節があるのか黙り込む。夫はどうやら私を養っているつもりでいたようだ。仕事をして稼いでいると言っても、その給料の多くは自分のために使っていたくせに。生活費すら、私が言わなきゃ家に入れようとしなかったくせに。
「だからって、全部持っていくとは何事だ。これじゃ俺たちが生活できないだろう。」
「そんなの、自分たちで買い直せばいいだけじゃない。元々は私が結婚する前から持っていたものだし。年数が経ち、古くなってきたからと買い換えたのも私である。それなのに、俺のものだって。本当、ふざけてるわね。」
電話越しの夫に聞こえないようにため息をつく。それでも夫は家にあった家具家電は自分のものだと主張し、返しに来いという。私は冷静に告げた。
「私が自分で買った家具家電なのだから、引っ越しの時に持っていったに過ぎないわ。だから、あなたに文句言われる筋合いはないの。もう何を話しても無駄ね。近いうちに離婚届けを持っていくから、それまで待っていて。」
それだけ伝えると、私は電話を切る。切る前に夫たちは何かを言っていたが、そんなのは知らない。そして、私はある人物に電話をかけるのだった。
数日後、私は離婚届けを持ち、ある人物と夫たちがいる自宅へと行く。いや、もう元自宅だ。勝也と20年近く一緒に住んでいた家。きっと今日でお別れね、なんて思いながらインターフォンを鳴らすと、不機嫌そうな夫が出迎える。同時に、隣にいる人物を見て驚いていた。
「ど、どうして渉が?」
「どうしてって?僕も家族でしょ。どうなるか見届ける義務があるし。それに、話したいこともあるんだよね。」
夫の言葉に構うことなくニッコリと笑うのは、長男の弟にして次男の渉である。私が家を出ると決めた時、わざわざ隣の県から駆けつけてくれ、引っ越しに協力してくれたのが次男だ。そのおかげで、私はスムーズに家を出ることができたのだ。夫は次男のことは可愛がっていたし、家族である次男を無下に扱うことはなく、一緒に家の中に入れてくれる。それでも、彼は渉より勝也の肩を持つ方が多いけどね。などと思いながら、夫の後ろを歩く。
「あ、母さん。彼、もう少しかかるって。」
「そう。」
次男がこっそり耳打ちしてくれる。私は頷き、リビングへと向かう。
「母さん、やっと来たのかよ。家具家電を返す気になったのか。……って、なんで渉がいるんだよ。」
「いや、兄さん、久しぶり。なんか家族がバラバラになりそうな感じだったし。身内である僕も見届けないとって思ってな。」
「何言ってんだ、渉。」
「え、だって父さんは母さんに離婚を迫って、さらに兄さんたちも便乗して母さんを家から追い出したんでしょ。」
長男に対しても、夫の時と同じように答える次男。次男の言葉に、長男は少し罰の悪そうな顔をする。「家族がバラバラ」という言葉が嫌だったのだろう。しかし、その言葉を気にしない人物がいた。
「だからって、今この場にあなたは関係ない人じゃない。お母さんとお父さんの離婚は決定事項よ。そして、この家を出ていくの。私たちの願いはただ1つ。お母さんが持っていた家具家電を全部返してもらうこと。それだけよ。」
「関係ないなんてことはないんですよ。僕はどちらかと言うと、あなたに用があるんです。姉さん。」
渉はそう言って、長男嫁を見ながら笑う。しかし、その目は笑っていないため、長男嫁は後ずさる。そんな次男は、元々私に相談したいことがあると言って連絡してきたのだ。だが、私が家を出ることになったので、先に引っ越しを手伝ってもらったのである。
「そういうわけだから、先に渉の話を聞いてくれるかしら?」
夫や長男の返事を聞く前に、私は次男をせかした。次男は頷くと、長男嫁を見据えたまま話し出す。
「実は、僕の会社の同僚夫婦が離婚の危機にさらされているんだ。」
「はあ?お前の同僚が離婚の危機?それがどうして恵さんと関係あるんだ?」
「兄さん。それに父さんも、まだ話の途中だよ。僕だって最初は驚いたさ。でも、内容が内容だったから、相談を受けることにしたんだよ。」
「内容だと?」
「うん。僕の同僚、末光って言うんだけど、末光が浮気をしてしまったって相談を受けたんだ。」
次男が口にした名前に、長男嫁がビクッと肩を揺らす。しかし、夫や長男の視界には彼女がいないため、そのことに気づいていない。正面にいた次男は、長男嫁の変化に気づいているだろう。
「末光は既婚者なんだけど、会社の飲み会に誘われたんだって。自分は既婚者だからと最初は断ったみたいなんだけど、人手が足りないから、顔合わせで来てほしいと頼まれて、飲み会に参加したそうなんだ。」
次男は一旦言葉を切ると、長男嫁を見据えた。あまりにも次男の表情が真剣だったため、夫も長男も長男嫁を見る。長男嫁は冷や汗をかいていた。
「その飲み会で、お姉さん、あなたと出会い、浮気をしてしまったと末光は話してくれたんだ。」
「はあ?恵と浮気?だと?」
「ち、違う。私、そんなことしてないわ。」
「本当か?」
「本当よ。何?私よりその子の言うことを信じるの?」
長男夫婦は少し言い合いになるが、次男が話を続けるので一旦収まる。
「さらにお姉さんは、末光に子供ができたと報告し、末光と末光の奥さんに訴えたんだ。」
「こ、子供だとな。何を訴えたんだ?」
「お姉さんは末光が既婚者なのを知っていた。それで浮気をして、子供ができたんだよ。なら、やることは1つじゃないか。子供の養育費ね。」
私が答えると、次男はニッコリ笑う。長男嫁はガタガタと怯えた表情を見せる。
「母さんの言う通り、お姉さんは末光から身を引く代わりに、子供の養育費を末光に要求したんだ。今はまだ、その話し合いで揉めているんだよね。」
「渉、ふざけるな。恵がそんなことするはずないだろ。」
「でも、浮気は事実だよ。」
「恵、渉の言っていることは本当なのか?」
「そ、それは、その……」
長男は自分の嫁に詰め寄る。夫も呆然としながら長男嫁を見ていた。少し前に長男嫁に子供ができたのは事実。妊娠した時期も長男と結婚してからだったので、夫と私は出産の祝いを送っている。しかし、同時期に次男の同僚とも浮気していたのなら、子供の父親は誰なのかという疑問が出てくる。
「え、変なこと言わないで。この子は勝也と私の子供よ。」
「そ、そうだぜ。意味のわからないこと言って、俺たちをこの家から追い出したい魂胆なんだろ。」
「そういうわけじゃないよ。ただ、兄さんには真実を知って欲しかったんだ。騙されている兄がかわいそうで。」
「そ、そこまで言うのなら、お前たちは孫の父親がどちらなのか知っているのか。」
「父さん、当たり前のことを聞かないでよ。そうじゃなかったら、ここに来てないよ。」
夫の言葉に、やれやれと次男はため息をつく。その時、家のインターフォンが鳴る。突然のことに、夫や長男夫婦は驚いていた。
「あ、ちょっと待ってて。」
私はそう言って、玄関に向かう。玄関を開けると、私はニッコリと笑い迎え入れる。
「さあ、主役が揃ったわ。」
「ああ、末光さん。我が家へようこそ。」
次男の言葉に、長男嫁はガタガタと震え出す。夫と長男は困惑した表情をしている。
「さて、あなたたちには病院に行ってもらうわ。予約はしてあるから。」
「はあ?なんで病院に?」
「まさか。嫌よ。私は行かないから。」
「なんで?あなたは証明しないといけないでしょ。子供が、たけると自分との子だって。だから、病院でDNA鑑定をしてもらうわ。そのために、末光さんにも来てもらったんだ。」
「嫌って言ってるでしょ。この子は私とたけるの子よ。」
「だから、それを証明しないといけないって言ってるでしょ。末光さんに養育費を求めるなら、なおさらね。今のあなたの行動は、駄々をこねている子供と同じよ。」
「だから嫌だって。」
「子供の証明ができないなら、養育費は払わないから。」
そう言うと、長男嫁は渋々だが同意した。説得するための言葉とはいえ、さっきまでのごね方が嘘のようにすんなりと。まあ、その時点でボロを出しているようなものだけどね。こうして、長男と長男嫁と次男の同僚で病院に向かい、検査を受けに行ってもらうことになった。結果が出るまで2週間ほどかかるだろう。私は改めて集まることを約束し、この場は一旦お開きになった。
想定した通り、鑑定結果は2週間後に出た。私たちは再び集まったが、長男は見るからに顔色が悪かった。その表情が全てを物語っている。
「たける、どうだったんだ?」
「お、俺の……俺の子供じゃなかった。」
結果、長男の子供ではなく、次男の同僚との子供だったのだ。長男嫁は膝から崩れ落ちる。
「これからのことは、改めて話し合うつもりだ。」
「そうか。じゃあ、また何かあったら言ってくれ。力になるから。」
「ああ、渉。ありがとう。」
次男の同僚は家へと戻っていった。それを見送る夫と長男の顔には、絶望感が漂っている。夫にとって初孫、長男にとって待望の息子だったはずが、全く別の男性との子供だった。これ以上にショックなことはないだろう。
「恵、どうしてだ?どうして嘘をついたんだ?それに、浮気。結婚してるのに、どうしてだよ。」
「騙される方が悪いんでしょう。私は悪くないわ。」
とうとう浮気が発覚した長男嫁は、猫を被るのをやめたのか、長男と喧嘩をし出す。
「さて、あなたたちの喧嘩は後にしてちょうだい。これからが本題よ。」
私は長男夫婦の喧嘩を止め、夫に向き直った。
「勝也。あなたたちのことでいっぱいいっぱいになってると思うけど、私とあなたの話はこれからよ、勝也。え?あなた、ずっと私のことを『稼ぎのない寄生中』だと馬鹿にしていたけど、私はあなたより稼いでいるわよ。」
「はあ?」
私の言葉に、夫は意味が分からないという顔をする。
「あれ?父さん、母さんの仕事のこと知らないの?」
「仕事だと?」
「ええ、そうよ。以前、私が働いていた場所を覚えてる?私は妊娠するまで手工芸専門店で働いており、認定講師の資格も持っている。自慢するわけではないけど、手工芸の技術はプロ並みの腕前だ。子育てがてら、趣味は続けていた。私が作ったアクセサリーはママ友の間でも評判だったの。まあ、私の手工芸のことは、あなたもたけるも関心がなかったしね。」
「そ、そんなことあったか。」
「あんな手作り、何の役にも立たないじゃん。」
「そんなことないよ。母さんの手工芸は本当にすごいんだよ。その価値が分からないなんて。父さんも兄さんも、どこを見てるんだか。」
次男は呆れたように夫や長男を見た。そう、次男だけが私の手工芸の腕前を褒め、商品化するとアドバイスしてくれたのだ。そんな渉が、私に提案してくれたことがある。
「ええ、渉はIT会社に就職した後、私のためにホームページを作成してくれたの。『絶対に商品化するべきだ』って言ってね。」
「そう。それで、母さんには商品を作ってもらうことに集中してもらって、それ以外の管理とかを僕が手伝ったんだ。ホームページで公開し出すと、またたく間に評判になった。注文が殺到し、飛ぶように売れたのである。」
「それなら、さらに知名度を上げようということで、次男が私のために手工芸の動画チャンネルを作成してくれた。誰かの前に出ることは恥ずかしかったけど、今後のことを思うと挑戦しようと思ったのだ。すると、予想に反して多数の登録者と再生回数を得て、収益が出るまでになった。」
「はあ。間にそんなことをしてたんだよ。」
「そりゃ、あなたが仕事で家にいない間に決まってるじゃない。」
「だから、母さんの仕事を2つ合わせると、利益は父さんの稼ぎを超えてるよ。」
「う、嘘だろ。」
「嘘じゃないわよ。そして、家を出た私は1億のタワマンに引っ越したわ。さらに、貯めてたお金を使って手工芸教室を開いたの。」
「い、1億のタワマンだと?母さん、嘘だろ?どこからそんな大金が出てくるんだよ。」
私の言葉に、夫たちが驚きの声を上げる。私は次男と頷き合い、仕事のホームページと動画のチャンネル。さらには売上収益の証拠となるものを見せた。その売上収益を見て、夫たちは呆然としている。
「それに、私知ってるのよ。あなたが会社のリストラ対象になっていることを。」
「どうしてそれを……」
「え、父さんがリストラ?なんで?」
長男が嫌な顔をして夫を見る。夫は私がなぜ知っているのか疑問に思っているようだ。
「そうよ。この人はね、会社の業績が悪化したことで、リストラの対象になっていたの。退職するか、遠方の子会社に出向するかの2択だったんだけどね。夫はそのどちらも選ぶことなくごねて、本社に留まっていたのだ。そのため、評価が落ちて給料は激減となっていた。だから、あなたは私よりも稼いでいないの。むしろ、私があなたを今まで養っていたのよ。」
私が現実を突きつけると、夫は膝から崩れ落ちた。
「なぜだ?どうしてリストラのことを知っている?」
「ああ、それはね。実は、夫が長男夫婦と旅行中に、最終通告が来ていたのだ。期限までに身の振り方を決めなければ、退職扱いとすると書かれていた。」
「どうして連絡をしなかった?」
「だって、あなたが『連絡するな』って言ったんじゃない。」
そう言うと、夫は黙り込む。夫に連絡はしなかったが、家を出る時に置き手紙として残しておいた。気づく場所に置いていたつもりだったのだが、帰宅した夫は家具家電がないことにパニックになったので、すぐに置き手紙に気づかなかったのだろう。
「じゃあ、俺は……期限も過ぎているから、もう退職扱いにされている、ってことか。」
「そんな……」
「あなたは自分の給料が入れば、ゲームの課金や、恵さんに何か買ったりしてあげてたようだから、当然お金は残ってないわよね。それで、この数日よく生活ができたわね。と、私は思う。」
夫は気づかぬうちに自分が退職扱いにされていることにショックを受けている。
「そんな……父さんがリストラで退職なんて。これからどうやって生活すればいいんだよ。」
「そうよ。それならなおさら、家具家電を返してくださいよ。お父さんより稼いでいるなら、新しく買えるでしょ。」
今まで黙っていた長男嫁が叫ぶ。まだ叫ぶ元気があるのかと、私と次男はため息が出そうになる。何度も同じことを言わせないで欲しい。
「あなたたちは、私が何もしてないと思っていたようだけど、実際はあなたたちよりもちゃんとしていたのよ。どちらかと言うと、あなたたちの方が規制中だったってわけ。だから、これからは自分たちのことは自分たちで何とかしてね。僕に頼ってきても無駄だからね。母さんをないがしろにした父さんたちのことを助けるつもりなんてないから。」
私と次男はニッコリ笑うと、夫に離婚届けにサインさせ、家を出るのだった。
私が家を出た後、夫たちはたちまち生活が苦しくなった。夫は収入がなくなった上、堅実に貯金するタイプではなかったからだ。夫は元々自分の趣味であるゲームなどに課金をしていたし、さらに長男夫婦には甘いところがあったので、何かといろんなものを買い与えていたのを私は知っている。そのことを次男と話をしていた時、次男は長男嫁の浮気は1度だけではないと推測していた。
「やっぱり渉もそう思う?」
「うん。どうしても今回の兄さんと末光さんのことが、偶然じゃない気がするんだ。」
次男の言葉に、私は頷く。私も初めて長男嫁と会った時から怪しいと思っていた。結婚したらトラブルを起こしそうだと予感がしていたので、結婚には反対していたのだが、夫と長男が乗り気だったので、そのまま結婚を許してしまうと、今回のことが起こってしまったのだ。だから、私と次男は長男嫁について興信所に依頼して、過去を調べることにした。調査の結果、驚くべき事実が判明した。
私は長男からこのように聞いていた。長男嫁は普通のOLをしていたが、会社が倒産してしまった。その後はアルバイトしていたと。しかし、それは嘘だったと調査報告で知る。長男嫁は短大を中退しており、それからはホステスをしていたようだが、一時期ホストに狂ってしまい、借金を抱えてしまったらしい。それからは、その借金を返すために、男を騙して金を稼ぐことを繰り返していたという。
「これはひどいわね。」
「うん。絶対に兄さんに伝えた方がいいよ。」
「そうね。」
私は久しぶりに長男に連絡した。最初はあんなことがあったし、応じてくれないかと思っていたが、長男はちゃんと私の話を聞いてくれる。長男が私の説明を聞いた後、自身の状況を教えてくれた。
「俺の会社も不景気で全然給料が上がらなくて、生活費節約のために父さんたちを頼り同居したはずだったのに。……たける、恵はいつまでたっても仕事をしない。あいつ、浮気が発覚してから開き直ったみたいで、いつも喧嘩ばかりなんだ。さらに、元夫からは『今まで養ったり物を買い与えていたんだから、もっと金を出すように』と言われて困っている。」
「でも、母さんたちのおかげで目が覚めたよ。俺もあれから、恵のことは疑ってたんだ。」
「大丈夫?」
「大丈夫。ありがとう、母さん。」
その声がどこかすっきりとした感じになっていたので、私と次男は長男なら大丈夫だと思うことにした。それから、長男はすぐに行動を起こす。元々長男自身が長男嫁に惚れ込んで結婚したが、私と次男が長男嫁の正体を教えたことで腹を決め、離婚をした。駄々をこねていた長男嫁を無理やり家から追い出したのである。長男の顔には少しも後悔の色が見えなかった。彼の決意は硬かったし、私たちも彼を止める気はなかった。
嫁がいなくなったことで、家の中は静かになった。わがままを言う人間が1人減ったことで、生活は少しマシになったようだ。しかし、それでも男2人の生活は厳しい。食事の準備、洗濯、掃除。特に元夫は働いていないので、長男の負担が大きくなっていた。働けと長男は元夫に何度も言い続けた。嫁の時と同じように、彼もまた元夫に対して苛立ちを隠せなかった。しかし、元夫は年齢のこともあって、雇ってくれるところがない。ソファーに横たわり、テレビのリモコンを握りしめながら不満をこぼすだけの日々が続いていたようだ。そんな元夫を、長男はついに見限った。ある日、家を出ていくと言い残し、彼は荷物をまとめて出ていったのだ。元夫との同居も解消し、長男も新たな生活を始めた。家に残されたのは、孤独と絶望に染まった元夫だけだった。
そんなある日、私が開いている手工芸教室に、元夫が現れた。授業が終わった直後だったので生徒たちには迷惑がかからなかったが、教室の前で騒がれるのは困ると思い、彼を中に入れた。元夫の姿は以前とは比べ物にならないほど憔悴していた。服はヨレヨレで、髭は伸び放題。顔には疲れと苦悩がにじみ出ている。
「頼む。助けてくれ。」
夫は弱々しい声でそう言い、私に頭を下げた。まるで、かつての自信満々な態度が嘘のようだった。しかし、私はそんな彼を冷ややかに見つめる。出会った頃の私なら、彼の言葉に心を動かされたかもしれないけれど、今は違う。もう、私は変わったのだ。
「佳織、俺が悪かった。本当に反省してる。だから、やり直そう。な?やり直してくれるなら、次こそ頑張るさ。」
元夫は懇願するように私に言った。しかし、その言葉はあまりにも軽かった。何度も繰り返された反省の言葉が、どれほど空虚な響きを持っているか、私はすでに知っている。
「今更やり直そうなんて、虫が良すぎるわね。散々私のことを『寄生中』だの『役立たず』だのと言っておきながら。」
「うっ、悪かったよ。訂正する。佳織は寄生中でも役立たずでもないから。だから、俺を助けてくれ。」
夫は土下座をして、私に謝罪し続けた。その姿はあまりにも見窄らしく、私の心にはかつての彼への情が全く残っていなかった。
「分かった。」
私がそう言うと、元夫の表情が一瞬希望に満ちた。しかし、次の瞬間には再び暗い影が落ちる。
「なんて言うと思った?勘違いしないで。あなたと離婚する時、私は何も請求してないわ。それは、あなたから何ももらう必要がなかったからよ。」
私は静かに言い放った。元夫は呆然とし、次第に顔色が青ざめていく。思い出すのは、彼に散々侮辱された日々だ。稼ぎがないことを理由に、何度も貶められた。働かないなら家のことを完璧にやれと命令された日々。体調が悪く家事が思うようにできなかった時には、何度も家を出ていけと言われたことが、のど元に蘇る。
「あなたが私と復縁したいのは、お金のためだけでしょ。」
「そ、それは……」
元夫は言葉に詰まる。彼の視線が泳ぎ、私の目を避けている。
「私が気づかないとでも思ったの?馬鹿にしないで。それに、私は言ったはずよ。『私は出ていくけど、後で泣きついてこないでね』って。自分が困った時だけ頼ろうとするなんて、恥ずかしくないの?」
私の言葉に、元夫はさらに縮こまった。俯いたまま、何も言い返せない。
「ちなみに、あなたが恵さんに片入れしていたのは、彼女に頼まれたからよね。『私の態度が気に食わないから、なんとかしてくれ』って。さぞ楽しかったでしょうね。若い女に喜んでもらえて。」
その瞬間、元夫の顔はさらに青ざめ、ただ黙り込んだ。
「あなたの態度を見ればよくわかるわ。あなたは私を妻としてではなく、都合のいい道具として見ていた。これまでの言動が全てを物語っているわ。」
「すまない。」
彼はようやく絞り出すように謝罪の言葉を口にしたが、もう遅い。
「今更そんな謝罪を、私が受け入れると思ってるの?勝也、私たちはもう離婚してるのだから、あなたとは赤の他人よ。私にとって、あなたは寄生中であり役立たずよ。もう2度とここに来ないで。私に関わらないで。私は、何もいらないから。」
その言葉を最後に、私は彼を突き離した。元夫は唇を噛みしめ、うなだれたままトボトボと手工芸教室のドアを出ていった。その背中は、かつての彼とは全く違う哀れな姿だった。その後、元夫から連絡が来ることはなかった。もちろん、手工芸教室にも顔を出すことはない。私はやっと自分の平穏を取り戻せたのだと実感する。
元夫を突っぱねてから数日後、今度は長男が私の元を訪れた。元夫の時と同じように、手工芸教室が終わった後だった。私は仕方なく、自分の家に招待した。家に着くまでは無言だったが、家に着いた途端、たけるは土下座した。
「た、たける!」
「母さん、本当にごめん。俺、母さんにずっと謝らないとって思ってたんだ。」
「たける、俺、ずっと考えてたんだ。そして、今までの自分の行動を悔やんだよ。俺は、自分のことを立ててくれる恵に溺れたんだ。優しくて甘い言葉に乗せられて、本当どうかしてたと思う。いつも母さんに『人を見る目を養え』って言われてたのに、全然見る目を養えてなかったよ。」
そう言って、長男は自分に人を見る目がなかったことを反省している。確かに、私は長男が学生時代の時から、人を見る目を養った方がいいと教えていた。ただ、自分の心のままに従うことも必要だと教えている。今回、長男は自分のことを思ってくれていると勘違いしていたのだ。それほどまでに、長男嫁は人の心を操るのがうまい。それに騙されていたと気づけただけでも、上出来だろう。
「そう。そこに気づいてくれただけでも、母さんは嬉しいよ。」
「母さん。俺、これからやり直そうと思う。1から頑張りたいんだ。」
「たける、分かった。母さんが協力するわ。」
「あ、ありがとう、母さん。」
長男は素直に自分の過ちを認め、謝ってくれたので、私たちは和解した。長男は業績不振に陥った会社をやめ、本当に1からやり直すというので、私の伝手を使い、長男に仕事を紹介してあげたのだ。その転職先で、長男は何とかやっている。私はやっぱり、自分の子供だから見捨てることはできないと思った。
それから、私のことを助けてくれた次男は独身だったが、前々から結婚を約束した彼女がいた。次男の彼女は私の手工芸教室の教え子で、人柄もよく知っていたので、教室内でもよく話をしていたのだ。だから、次男の彼女だと分かった時には本当に驚いた。優しく心遣いができる彼女に、私は好感を覚えていたので、次男と彼女の婚約を喜んだ。次男は、長男が必死に立て直そうとしていることを知っていたので、長男の生活が落ち着いた頃に結婚する。次男の結婚式。私は長男と一緒に参加し、次男の結婚を祝った。
「渉。俺のようになるなよ。」
「僕は兄さんみたいなヘマはしないよ。彼女は本当に最高の女性だから。」
長男は冗談混じりに笑いながら言う。次男も負けじと、長男より幸せになると豪語した。私はそんな息子たちが笑っていることに、幸せを感じている。それから、次男夫婦は結婚してすぐにおめでたとなった。孫ができたことに私は喜び、次男家族のためにいろんなものを揃えるのだ。その後、私は次男夫婦と孫に囲まれて、幸せな生活を送っている。
「お前は本当に役立たずだな。母さんの言う通りに家事もできない。小さな会社で働いて安月給。俺がいなかったら生きていけないだろ。ねえ、母さん。」
「ええ、そうね。おまけに実家はお化け屋敷みたいにボロボロ。ご両親は農家で毎日ドロドロだもんね。しかも、智子さんは不妊だし、可哀想にね。」
次々と心をえぐるような言葉が飛びかうが、今に始まったことじゃない。彼是1年間の義母と結託し、これでもかと嫁いびりを続けていた。そして、私はいつも黙って頷くだけだった。ただ、この時の私は冷静に言い返した。
「今すぐ実家に帰ります。5000万の車で、1億の豪邸に。」
「は?5000万の車?1億の豪邸?なんだよ、その負け惜しみは。珍しく言い返してきたかと思えば、バカなこと。俺の愛車のベンツでも700万だぞ。女って怖いよな。智子、出ていきたいなら出ていけよ。まあ、どうせすぐに戻ってくるんだろうがな。」
夫は心底楽しそうだった。ただ楽しむために、私をいびっているのだ。でも、もう夫は終わりだ。私は全てを知っているから。何も知らない夫に、現実を教えてやる。ぐっと奥歯を噛みしめた私は、その時が来るのを待つのだった。夫はまだ大笑いをしている。義母も笑いながら、すぐに私の方に向いて冷たく言ってきた。
「もう正樹、その辺にしておきなさいよ。そんなに笑ったら、智子さんがかわいそうでしょ。智子さん、まさは有名大学を卒業して一流企業に就職したの。周りの人からも羨ましがられて、鼻が高いわ。それだけじゃなくて、父さんのことも私のことも支えてくれたのよ。何度言ったら分かるの?田舎の高卒の頭じゃ覚えられないのかしらね。」
やれやれ。また始まったと思いながら、私は聞いていた。結婚してからというもの、義母は息子である正樹がどれだけ優秀であるかを長々と説いてくる。そして、私のことはやれ高卒だのと見下すのだ。義父は長年自営業をしていたのだが、病気と寿命で10年前に亡くなったと聞いた。義母も義父の自営業を手伝うという理由でだいぶ前に引退したが、それまでは通訳として活躍していたそうだ。それ以来、1人になった義母を夫が支えているということだ。今までの結婚生活において一番苦痛だったのは、子供ができないことを責められることだった。子供が早く欲しいとは、私だって思っていた。義母の嫌味の件も含めて夫に相談したりもしたのだが、「不妊で家事ができないお前が悪いんだろう」と冷たく突き離される。そして、夫も義母のように私をいびるようになって、今に至る。
いつものように私を見下した発言で盛り上がる義母と夫。ここで、私は義母が知らない事実を突きつけることにした。私は通帳を2つ出した。これを見て、夫は顔面が蒼白になった。
「これがどうしたの?」
「まず1つ目は、2人で共用している通帳です。」
私はゆっくりと通帳のページをめくる。結婚した当初から、お互いの給料を貯めてきた形跡がしっかりと残っている。そして、最後のページをめくると、600万が一気に引き出されている。
「これ、正樹さんが車を買うために下ろしたんですよ。共有財産を、私に無断で使ったんです。」
2人は固まってしまっているが、私は2つ目の通帳の最終ページをめくった。
「まささんのベンツは700万だと言いましたよね。600万じゃ足りません。その足りない分は、ここから出されていました。2つ目の通帳には、私が独身時代に貯めたお金が入っていた。そこから200万、共有財産が引き出されたのと同じ日に出されていたのだ。」
「いや、それは勘違いだよ。確かに無断で使ったのは悪かったけど、車を買うのに使ったわけじゃ。」
夫は声を震わせながら言い訳をしているが、私はもう1つを持っていた。
「とぼけないでよ。これ、車買った時の契約書でしょ。お金を下ろした日と契約日、一緒じゃないの?契約書のある場所まで私が把握しているとは、さすがに思っていなかったようだ。夫は無言で下を向いている。私のことを散々『安月給』と言っていたくせに、その嫁である私のお金に手を出すなんて、随分矛盾したことをしてんじゃない。」
ここで2人が謝ってくれていたら、少しはマシな未来もあったかもしれない。しかし、夫と私の様子を交互に見た後に、義母はとんでもない言葉を口にしたのだ。
「正樹、顔をあげなさい。あなたは何も悪くないわよ。こんな不良品の嫁を、今まで養ってあげたんだもの。それに、共有財産も嫁のお金も、結婚したら夫にも自由に使う権利があるのよ。」
この人は何を言っているんだろう。どうやら、息子がやったことに怒っている様子は、これっぽっちもないようだ。ふと夫の方を見ると、義母が味方をしてくれたことに気をよくしたのか、ニヤリとした表情をしている。義母は私の背中を両手で押して、玄関まで連れて行った。夫も後ろから黙ってついてくる。
「というわけで、さようなら。貧乏人さん。」
それを促すように、夫は玄関のドアをガラッと開けた。自分たちの中では、無理やり私のことを追い出そうとしたつもりだったのだろうが。私は冷静に言い返した。
「あら、ちょうど迎えが来たわ。というわけで、お世話になりました。」
「え、なんでここに?」
玄関の外を見た瞬間、夫は驚いていた。驚いているというより、目を輝かせている。そこに止まっていたのは、夫の憧れの車の1つであるランボルギーニだったからだ。夫の趣味は車であり、将来は会社を複数持ちたいとも言っている。夫は休みの日も私を無視して1日中愛車のベンツをいじっているくらい、車に目がないのだ。
「本物はやっぱりかっこいいな。5000万円の車。」
すると、車のドアがガチャリと開いて、作業着姿の人が2人出てきた。
「突然呼んでごめんね、お父さん、お母さん。」
私がそう言うと、両親は丁寧に夫と義母に挨拶をした。
「どうもご無沙汰しております。娘がお世話になっております。さっきまで仕事をしていたものでね。見苦しい恰好で失礼いたします。」
義母と夫は状況が飲み込めず、2人で顔を見合わせている。両親はニッコリと笑っていたが、目の奥には怒りの表情が見える。すると、夫はゆっくりと私の両親に向かって口を開いた。
「あの、お父さん。この車、どうしたんですか?」
「実は、私の父も正樹君と同じく車好きでね。今は年を取って免許は返納したけど、あの頃の父は仕事に趣味にと、バリバリ車を乗り回していた。そこで、以前から欲しいと言っていたこの車を、還暦祝いにプレゼントしたんだ。」
「こんな高い車をプレゼント?」
「そうですよ。普段は農作業ばっかりしているから軽トラに乗っているけど、今日のためにこの車に乗ってきたんです。」
父の話を聞いても、夫と義母は信じられないという様子だ。先ほど義母がちらっと言ったように、私の実家は農家であり、家もかなり古い。根っからの都会育ちだからなのか知らないが、普段から2人は私の実家を「暗くて何か出てきそうだ」「年寄りばかりで陰気臭い」「汚い」などとけなしてきたのだ。数日前も、実家から届いた野菜で晩ご飯を作っていると、その料理と野菜を2人は無言で捨ててしまった。私だけ悪く言われるならまだいい。だけど、大切な両親と彼らが手間かけて作った野菜まで否定されるのは許せない。堪忍袋の緒が切れた私は、その後すぐに実家に電話をかけて、今までされてきたことの全てを説明したのだった。
「そんなの嘘だろ?この車だって、レンタルでもしてきたんだろう。大体、農家の収入なんて大したことないじゃないか。レンタル料だって見栄を張るために無理したんだろう。」
「そうよ。あなたたちが高級車を買えるわけないのよ。」
いつもと変わらず、2人は農家を馬鹿にしてくる。だけど、この2人は我が家の地元や実家のことを何も分かっていない。それを今からたっぷりと、私と両親が教えてあげるわ。
「まささん、今『農家の収入は大したことない』って言っていたわよね。じゃあ、具体的に私の両親の年収いくらだと思ってる?」
「そんな子どもでも分かるような質問するなよ。せいぜい年収2、300万だろ。それに比べて、俺の年収は1000万。半分より低いじゃねえか。笑える。」
「あんたの年収なんか聞いてないっつうの。夫婦なんだから知ってるわよ。ちなみに、今の答えは大外れ。0が1つ少ないです。」
「え、2000万?3000万ってこと?まさかの倍以上ってこと?」
「はい、そうです。どうですか?これで今までの私の実家に対する暴言は撤回してくれますか?」
義母と夫の顔は、驚きとショックに満ちている。そんな中、母が口を開いた。
「あなたたちは『農家』と言うだけで、私たちを貧乏人と決めつけていましたね。まあ、実際に収入が少ない時期もありましたから、それに関しては言われてもしょうがないわ。だけど、そのことで大事な娘をいびっているなら、話は別ですね。」
今まで穏やかに様子を伺っていた母が、語気を強めた。夫と義母はさらに目を丸くしたものの、またしても反論をしている。
「いびっているなんて、人聞きの悪い。嫁としてなっていないところがあったから、少し助言していただけですがね。」
「まさ、そうだぞ。お前のためを思って母さんは言ってんだ。」
「ちなみに、これ、もう両親には見せたからね。」
そう言って、私はスマホを操作して動画を見せた。今まで私をいびってきた夫と義母の様子の数々である。先ほど言っていた料理と野菜を捨てた時の動画も、きちんと残っている。
「気づかれなくて良かったわ。いつか使えるだろうと、小型カメラを家に仕込んでいたのよ。」
証拠映像まで撮られていると知らなかった義母と夫は、言葉を失っていた。ここまでされたら、もう認めざるを得ない。
「このことは、とっくに両親も知っているのね。」
両親は冷たい目で2人を見ている。
「人を見た目で判断するような奴には、うちの娘は任せられん。智子、帰るぞ。」
そうして、私は父が運転してきたランボルギーニに乗り込んだ。夫と義母に反撃するために、慣れない車を運転してきてくれた父と母に感謝だ。
「改めてありがとう、お父さん、お母さん。」
すると、両親は先ほどまでの険しい表情から一転、車の中で大笑いをし始めた。
「ああ、すっきりした。あんなにきついことを言う父さん、久しぶりだわ。」
「そりゃなあ。わしらのこと何も知らんと大口叩きやがって。もっと言ってやればよかったわ。でも、明日も頑張らんといけんけんね。智子も、仕事が決まるまで手伝ってよね。」
ほがらかな両親。これが彼らの普段の姿なのだ。こんな両親が私は昔から大好きだ。30歳間近で再び甘えることになって申し訳ないが、私は次の相談を両親に持ちかけた。
「もちろん、運転も手伝わせてもらうわ。けど、もう少し協力して欲しいことがあるの。」
私の話を聞いて、両親はあっさりと賛成してくれた。
「うん。わしらもそんな気がしていたんだ。」
「楽しみね。ふふふ。」
そんな会話をしていると、車は実家に到着していた。実家に帰ってからの数日は、農作業を手伝いながら気持ちよく過ごした。結婚してからは自然に触れることがめっきりなくなっていたし、何よりも嫌がらせをする夫や義母がいなくなったから、田舎の空気がより一層美味しく感じられる。両親と3人で畑に行く準備をしていると、見覚えのあるベンツが家の近くに止まった。それを見て、「やっぱり来たか」と心の中で私はほくそ笑んだ。ベンツから出てきたのは、案の定、夫と義母だ。田舎には似つかわしくない、いつもよりキラキラした服装だ。「農家と私たちの住む世界は違うわよ」と見せつけているのだろう。
「やっぱり相変わらずのボロ屋ね。うわ、臭い。この町、虫と獣しか住んでねえんじゃねえの。」
わざとらしく嫌な顔や仕草をしながら、2人は私の実家を指さして笑っている。
「人がここにおるがな。で、朝早くからここに来て、何の用じゃ?」
父が2人に近づいてこう言うと、夫が笑いながら返した。
「年収ウン千万とか、やっぱり嘘だろ。貧乏人が肩寄せ合って住むようなボロ屋じゃん。おまけに汚れた軽トラ。どう見ても、これ金持ちの家と車じゃねえだろう。嘘つきは泥棒の始まりって言うわね。ああ、こんな場所じゃ泥棒も逃げていくか。」
両親は呆れて深いため息をついた。「相変わらずなのは、あんたたちの失礼な言動だろうが」と言わんばかりだ。
「そんなに汚いとか言うなら、最初から来なければいいのに。……父さん、あれをお見せするしかないわね。」
「そうだな。2人とも、少しついてきてくれないかね。」
そうして、私たち5人はある場所へ歩いて向かった。時間にして5分少々だが、その間も夫と義母は「歩きにくい」「靴が汚れる」などとブツブツ文句を言っていた。
「さあ、着いたぞ。この田舎にはちょっと似合わないけどね。」
「でも、お父さんもお母さんも随分思い切ったよね。何回か写真で見せてもらったが、本物を見て私はより一層驚いた。」
着いた先は、普段両親が住んでいる老朽化した実家とは対照的な大邸宅だ。しかし、私よりびっくりしているのは夫と義母である。きっと2人は思い出していることだろう。「じゃあ今すぐ実家に帰ります。5000万の車で1億の豪邸に」という私の言葉を、冗談だと思っていたのに、本当だったと知って言葉が出ないようだ。先ほど述べた通り、この大邸宅を建てたのは、紛れもなく私の両親だ。
「うわ、この前のランボルギーニ、それにあれもこれも超高級車だ。ベンツ、ロールスロイス、ベントレー。何台あるんだよ。」
広い駐車場には高級車が何台も止まっている。この車の数々は、祖父のコレクションである。夫は大好きな高級車の数々を目の前にして、興奮している。
「これ全部売ったら、何千万。いや、億超えだぞ。」
車に詳しい夫にとって、車の値段や相場を把握しておくなんて基本中の基本だ。夫は手を震わせている。義母も口をポカンと開けて、立ち尽くした。ようやく私の実家がお金持ちだと分かったらしい。
「あの、これだけの家が建てられるなら、どうしてあんな古い家に住んでいるの?」
おずおずと義母が両親に訪ねた。少し間を置いた後、父がゆっくりと話し始めた。
「私たちだって、最初からこんなに順風満帆じゃなかったんだよ。農業というのは天候に左右されるから、毎年安定した収入があるわけじゃない。智子が学生の頃に、水害や台風で畑が荒らされた頃は、そりゃもう生活は苦しかった。そんな中、智子はこの状況を理解してから、一番近い高校に進んで働いてくれたんだよ。それでも、贅沢はできなかった。」
「ちょっとお父さん、余計なこと喋らんでよ。」
「そんな時だった。私の父と母が見かねて、自分たちが住んでいた家を譲ってくれたんだ。それが、さっきのボロ屋さ。」
父は誇らしげに、夫と義母に説明した。
「外見でしか物事を判断できないあなたたちには、分からないでしょうけど。あの家は、私たち家族にとって思い出のたくさん詰まった家なのよ。だから、あのまま残しているの。あの家に移ってからは、だいぶ生活が楽になった。農業も時代と共に整備されて、効率も上がった。何か両親に恩返しできればと考えていたんだ。それが、この新しい家なんだ。もう1回言わせてもらうけど、大切なのは見た目じゃないの。物も人も、その中身を知って初めて価値が分かるのよ。頭がいいのに、あなたたちはそんなことも分からなかったのね。」
義母も夫も下を向いて、「はい」と小さく返事をした。とりあえず一件落着かと思って、両親が安堵のため息をついた、その時だった。
「ふふふ。あはははは。」
突然、義母と夫が大声で笑い始めた。両親は「今度は何を言いたげな」という顔で2人を見た。
「ちょっと、何がおかしいのよ。私たちが貧乏でないってことは、もう分かったわよね。」
すると、夫は私を見てフンと鼻息を立てた。
「確かに、両親は素晴らしいよ。だけど、その両親から生まれたのは、不妊の役立たずもんな。」
「そうよ。この役立たずを、優秀なまさがもらってあげたのよ。感謝しなさい。」
またこいつは、娘を馬鹿にした。そう思った父は、夫に掴みかかった。私は父の手を優しく下ろした。
「まあまあ父さん、落ち着いて。興奮する前に、これを見てくれる?ほら、お母さんも。」
私がスマホの画像を見せると、3人が同時に「えっ」と目を丸くした。写真には、夫が産婦人科に入っていく様子が映っていた。
「まあ、まさ。不妊の嫁に内緒で検査に行っているなんて、優しいのね。」
「そうですよね。不妊とけなしながら、こっそり検査してくれるなんて。それは嬉しいことです。そこまではね。で、結果はこれでした。」
「嘘でしょ?なんで?なんでお前がこの写真を持っている?」
「私、この前言ったでしょ?『あんたが私をいびっている証拠を集めるためにカメラを仕込んだ』って。そしたら、あんたが慌てながらこの診断書を隠す様子が映っていたのよ。部屋に入っていくのもバッチリ分かったわ。ただ、あんたの部屋すごく汚いから、見つけるの大変だったわ。そして、これが私の検査結果。」
3人は私と夫の検査結果を何度も見比べていた。そして、再び冷たい目で夫の方を見た。今までと違うのは、義母までもが夫に対して怒りを覚えていることだ。
「まさ、あんた、なんで今まで黙ってたの?」
検査の結果、不妊だと判明したのは私ではなく、夫の方だったのだ。夫の方はうまく隠し通せたと思っていただろうが、私はとっくに気づいていた。しかし、嫁いびりをされた上に、自分の不妊を隠して義母と結託して私を不妊だと言ってきた。ただその場で問いただしたのでは、私の気が済まない。だから、あえて今日まで泳がせてきたのだ。義母はもう一度、大声で夫を問いただした。すると、夫は泣きながら答えた。
「怖かったんだ。俺が不妊だと知られて、軽蔑されるのが怖かったんだ。だから、智子が不妊ってことにして、いびっていたんだ。母さんには苦労をかけたから、感謝しているから、失望して欲しくなかったんだ。」
義母は少し困った顔で夫を見ている。そこで、母が義母に鋭い口調で問いかける。
「あなた、おっしゃいましたよね。『子供ができないのは役立たず』って。それじゃあ、あなたの息子さんであるまささんは、役立たずなんですか?」
「ご、ごめんなさい。」
義母は今までとは打って変わって、頭を深々と下げた。それと同時に、床に膝をつき、手をついた。夫もそれに続くように土下座した。私と両親は、しばらく黙っていた。何と言葉をかけてやろうか迷っていた時、夫が急に私の足を掴んで言った。
「今までいびったり、実家の悪口を言って、挙句に不妊を隠していて悪かった。これからは、お前に寄り添えるいい夫になる。家事についても口出ししない。だから、戻ってきてくれ。」
「まさの言う通りよ。これまでのことは謝るし、責任も取らせるから、また一緒に都会で生活しましょう。お父さんもお母さんも、これまで以上に仲良くしましょうね。」
「あなたたち、自分が何を言っているか分かりますか?母が言ったように、人間の本質は中身です。あなたたちのように、外見は良くても性格は最悪。つまり、中身が腐った人の元には戻れません。さっさと出ていってください。お父さん、お母さん、仕事に戻ろうか。」
「だから、心を入れ替えるって言っているでしょ。待ってくれよ。こんな田舎中にわざわざ来てやってんだぞ。」
「うるさいわね。近所迷惑だから、さっさと帰れって言ってんの。もう2度と私たちの前に現れないでくださいね。」
ギャーギャー言ってわめく夫と義母を置き去りにして、私たちは今日の作業へと向かった。作業を終えて夕方家に帰ると、諦めて帰ったのか、夫の車はなくなっていた。
夕食の後に、私は改めて両親にお礼を言った。
「今日は仕事前に時間を使わせてごめんね。あんな人と結婚したばっかりに、迷惑かけたね。ずっと味方してくれて、ありがとう。」
「娘のためなら、どうってことないわよ。それに、あんなひどい嫁いびりを受けていたなんて、私たちも気づけなくて悪かったわ。」
私と母が会話していると、風呂の準備をしていた父が入ってきた。そして、意味ありげに笑っている。
「残念だが、このままじゃ終わらんだろうな。あの2人。」
「え、まだ?」
「思い出したわ。あいつ、まだ隠してることあるわ。」
そう言いながら、私はあるものを両親の前に出した。両親は呆れているのを通り越して、笑みを浮かべた。そして、3人で最後の反撃のための準備をするのだった。
数日後、私は両親の指示で、ある場所に身を隠していた。
「やっぱり来たわね。」
独り言を言いながら、私は様子を伺っていた。その男は手にバールを持って、ひょっこりその場所にやってきた。辺りをキョロキョロ見回して、誰もいないことに安心しているところで、私は声をかけた。
「そこで何してるの?まさ。」
「うわ!なんでそこにいるんだよ。」
「そりゃ、私たちの家だからいるわよ。そんなもの持って、何をしようとしてたの?」
私と夫がいる場所は、あの豪邸の駐車場だ。実は、私と父は夫がまたここに来ると予想していたのだ。きっかけとなったのは、夫が高級車を見て話した言葉だ。「これ全部売ったら、何千万。いや、億超えだぞ」この時、彼の目の奥に何か黒いものを感じたのだ。さらに、夫にはまだとんでもない隠し事がある。それを今からガッツリと突きつけてやろう。
「まさ、ズバリ言うけど、その車盗もうとしてたんでしょ。」
「なっ、そんなわけないだろう。もう1回見たかっただけだ。」
「じゃあ、その手に持っているバールは何なの?まあ、あなたには車を盗まざるを得ない理由があるもんね。」
「は?何の話だ?俺に車を盗む理由なんてない。」
「あなたは、私の貯金と夫婦の貯金でベンツを買った。その時点で気づいていたけどね。不妊の証拠を掴んだと同時に、あなたが借金をしているという動かぬ証拠を掴んだのよ。」
「借金?そんなの知らないな。」
夫はそっぽを向いているが、分かりやすい冷や汗が流れている。
「そもそもおかしいわよね。高収入で貯金もしっかりあるはずなのに、どうして自分のお金で買えないのよ。」
それは、一生懸命に白を切る方法を探している夫に、私は持っていた封筒を投げつけた。夫が内容を確認すると、見る見るうちに顔が青くなっていった。封筒の中には、借用書と写真と探偵の調査結果が入っている。
「病院に行っていたのも、治療していたのも、建前だったのよね。本当は、若い看護師に会うことが目当てだったんだよね。探偵の調査の内容には、夫が看護師に言い寄っていたという事実だけではなく、会話の内容までがしっかりと記録されている。看護師には独身だと偽って近づいて、ブランドも貢いでいたのよね。おかげで、全て貯金はなくなった。それでも、彼女を口説くためにベンツを私の貯金で買ったのよね。」
夫は唇を噛みしめて黙っている。ここまで綿密に調べられていたと知って、悔しいのだろう。私はさらに追い詰める。
「お母さんに失望されるのが怖いってのも嘘。本当は、私と別れて彼女との再婚を画策していただけ。今までお母さんを世話していたのも、ただ遺産を全額もらいたかっただけ。本当は、邪魔な存在だってね。全部、調べはついているのよ。」
「ああ、そうだよ。俺の代わりに智子をいびってくれていたから、利用しただけだよ。兄弟も父親もいねえから、遺産は独占できるしな。お前の言う通り、俺は離婚して彼女と結婚するんだよ。」
「だ、そうです。どう思われますか?お母さん。」
「まさ、よくも今まで嘘ついてたわね。」
「え、なんで母さんもいるんだよ。」
車の影から、義母が現れた。目を吊り上げて怒っている。
「あんたがここに1人で現れたからって、呼び出されたのよ。もう、あんたに母さんなんて呼ばれたくないわ。」
そう言いながら、義母はわーっと泣き始めた。そうなのだ。私と両親は、夫が豪邸に入ってきた直後に義母を呼び出したのだ。私の実家から車で30分ぐらいしか離れていないからか、すぐに応じてくれた。この際だから、夫の本性をしっかりと見てもらおうと思ったのだ。
「ち、違うんだ。これは智子の作り話だ。俺は母さんの悪口なんて言ってない。」
夫は義母の手を掴もうとしたが、手を払いのけられ、張り手を食らわせられた。
「触るな。この前も、智子さんが不妊だって嘘をついていたのに。そんなこと、信用できるわけないでしょう。もう2度と、家の敷居をまたがないで。」
そう言うと、義母は早足で去っていった。残念ながら、夫の地獄は母親に見捨てられるだけでは終わらない。その豪邸はセキュリティがしっかりしていて、夫が駐車場に侵入した時には、もうシステムが作動していた。警備員数人は、夫を捕まえて連れて行こうとしている。
「話せよ!俺は盗みなんてしていない!ただ見ていただけだ!おい、助けてくれ!」
「じゃあ、手に持っているそれは何だ?いいから来い。」
夫はギャーギャー言いながら、警備員に連れて行かれた。当然のことながら、しばらくは警察のお世話になることになるだろう。
その後、たくさんの証拠を準備していたため、私と夫の離婚はあっさり成立した。風の噂では、夫が看護師と浮気をしていることは、とっくに会社にバレていたそうだ。元夫が例の看護師と仕事後にデートをしている姿を、同僚が何回か見かけていたという。それが原因で一部の同僚から嫌がらせを受けているが、借金返済のためにやめることができないでいるようだ。同時に、嫁いびりをしていた自分がいかに愚かだったかを思い知らされたらしく、何度も私に謝罪のメールを送ってくる。当然、今更許す気にもならないので、無視している。義母にも頭を下げたが、門前払い。さらに、浮気相手だった看護師は、実は既婚者であるということも判明した。元夫は完全に1人ぼっちになってしまったようだ。
ちなみに、私を一番にいびっていた義母は、近所の人から「嫁いびりをして追い出した鬼姑」と指を刺され、これまた肩身の狭い思いをしているらしい。一方、私はと言うと、地元に戻って就職が決まった。「しばらく家にいたらいいのにと」両親は言ってくれたが、ここまで協力してもらって、さらに甘えるわけにはいかないと思い、1人暮らしをすることにした。その代わり、休日は実家に農業の手伝いに行ったり、祖父母の元にも遊びに行っている。両親は基本的には新築の豪邸で祖父母と暮らしているが、実際は老朽化の進んだ家で過ごしていることの方が多い。
「建てておいてなんだけど、私と父さんには、やっぱりこっちが落ち着くのよ。」
母は笑っていつもこう言う。こういう思い出には、何者にも代えがたい価値がある。私は両親を見て、そう思うのだった。



