「おい、高卒の君にはお似合いの席だろう。ゴミ箱でゆっくり休めよ」…

「おい、高卒の君にはお似合いの席だろう。ゴミ箱でゆっくり休めよ」...

同期の連中がひそひそ話をしている。矢神が俺の耳元でささやいた。

「どうだ?高卒の君にはお似合いの席だろう。立派な席を用意しようと思って、あちこち探し回ったんだよ」

テーブルの上にはゴミが置かれ、椅子はゴミ箱にゴミ袋をかぶせて座面を作っただけの代物だった。周りでは、ここの枝や鳥巻きが腹を抱えて笑っている。

「ああ、素敵な席ですね。こりゃどうも」

「高卒はゴミ箱がお似合いだろ?なあ、ここの君」

こいつらは笑いながら頷いて、先輩社員の言葉に同意している。

「どうだ?先輩に逆らったらひどい目に遭うってことを覚えたな」

俺は片手で矢神の手を振り払った。

俺の名は七瀬サト。二十五歳で就活中だ。これまでちょっとした事情があって、転職活動を始めた。ぎりぎり第二新卒枠で就活を始めることができ、ひとまず内定を受け取ることができた。

俺が希望した企業は大手商社だ。海外との取引が中心で、輸入はもちろん、現地法人からの逆輸入や日本からの輸出の橋渡しも行っている。縁あって内定を勝ち取ることができたのだ。

今日は待ちに待った内定式。半年後の入社式に向けてビジネスマナーを学ぶなどの事前研修が待っている。内定式が終わった後には内定者懇親会を行うことも知らされていたので、同期の内定者たちは少々浮き足立っていた。

「おお、お前、高卒だったよな」

俺の肩をがっしりと掴み、声をかけてきたやつがいる。同期入社予定のここの枝だ。一次試験の集団面接の時に同じグループで、それから会うたびに俺の顔を見ては絡んでくるやつだった。俺としてはうざいの一言なのだが、就活の場でそんなことを言えば相手に逆恨みされかねないので黙っていた。

「何しとんのや。高卒ってば。高卒でよくこの会社に入社できたな。大卒しか取らないんじゃなかったっけ?」

「こ、入社かよ。だったらなおさら卒と仲良くしておかなきゃな。お前の身内と仲良くしておけば偉くなれそうだし」

こいつはよく喋る。俺はため息をついた。

「俺らはよ、超難関有名大卒の肩書でこの会社に入ったんだよ。お前みたいに裏口とかコネじゃなくって、正攻法で内定をもらったんだからな。覚えとけよ」

「おいおいおい、学歴マウントかよ。言っておくが、俺は高卒でも裏口やコネ入社でもない。俺も正攻法でこの会社の内定を勝ち取った一人だ」

「なあ、こいつ高卒の裏口入社だぜ。俺たち正攻法で内定もらったのに。高卒に入社資格あったんか?」

ここの枝のグループは出来上がっており、仲間の数で俺のことを笑い飛ばそうとしているようだ。大きな声で高卒だの正攻法だの言っているが、この態度は会社の採用担当者が黙っていないのではと思う。だから、俺は完全無視を決め込んだ。

「お、ここの枝君、元気にしてた?」

「あ、矢神先輩!お疲れ様です!」

途端にここの枝が背筋を伸ばして挨拶をする。釣られて、枝の仲間たちもビジネスマナーの教科書通りのお辞儀をした。

爽やかなイケメンは矢神新一という入社三年目で、いわゆる中堅を担う社員らしい。何でもこの会社の若手ホープらしくて、超難関有名大卒業後、最短で主任へ昇進したという。矢神さんのおかげで本日を迎えることができました、と枝が言う。

「俺は何もしてないよ。最終面接の対策で模擬面接を引き受けただけだから」

「いえ、それでも心強かったっす」

「そういえば、矢神先輩と枝は同じ大学の先輩と後輩か。それじゃ馬が合うのも分かるよな」

俺は軽くため息をついた。

「そうそう。矢神先輩、こいつ、高卒入社っすよ。この会社に高卒なんて採用枠ありましたっけ?」

「俺は人事じゃないから、そういうことは把握していないな。でも、高卒を採用するなんて我が社も落ちたな。ほら、うちの会社は超難関有名大の学生を中心に採用するからな」

この言葉には嘘はない。社長が超難関有名大の卒業生で、同級生を引き上げているという噂もあった。就活サイトを見ると、コネ採用、学歴フィルターあり、要注意とか書かれていたっけ。内定をもらったのだから、俺は黙りを決め込んだ。

「ああ、君、先輩社員を無視するなんてあんまりだな。不本意なことを言われても、にこやかにするのがビジネスマナーってもんだよ」

「それはどうも申し訳ありませんでした。でも、無視されるようなことをおっしゃったのはそちらではありませんか? 辞者を貶めるような発言や事実と異なる発言は慎しむようにと聞いておりますが」

俺は一礼してその場を立ち去った。俺の背中の向こうで、あいつらの笑い声が聞こえる。ああいう奴らとは関わりを持つだけ疲れるので、距離を置こうと心に決めた。

そして、内定者懇親会の時間になった。ここでは先輩社員の話が聞ける場として設けられていた。もちろん、同期内定者同士の横のつながりを作る場でもある。女性内定者たちは気軽に声を掛け合い、にこやかに話をしている。開催前には一応席につくこととされているので、俺は受付でもらったパンフレットを頼りに自分の席を探した。

「なんだよ、これ」

俺は自分の目を疑った。席にはゴミが置かれ、椅子はゴミ箱にゴミ袋をかぶせて座面を作っただけのものだったのだ。内定者たちはすでに見て見ぬふりだ。中には、やばい内定者だと思われているらしく、俺を指差して「あの人だわ」なんてことを言っているやつもいた。

さすがにぶち切れそうになったが、これは切れた方が負けだ。俺は椅子をどかす前に、スマホで画像を撮影しておいた。

「どうだ?高卒の君にはお似合いの席だろう」

矢神がまたやってきた。周りでは枝たちが腹を抱えて笑っている。俺は怒りを押し殺して言った。

「ああ、素敵な席ですね。こりゃどうも」

「高卒はゴミ箱がお似合いだろ?なあ、枝君」

枝たちは笑いながらも頷き、矢神に同意している。

「どうだ?先輩に逆らったらひどい目に遭うってことを覚えたな」

矢神が俺の耳元でささやいたが、俺は片手で払った。

「あんた、誰にモノ言ってんだ? 首」

俺はこれまでにない鋭い目つきで矢神を睨みつけ、さっきの矢神のささやきよりも低く、沈んだ声で伝えた。矢神は一瞬ひるんだが、先輩風を吹かせようとしている。

そんな時、内定者の誰かがこの席のことを社員に伝えに行ったらしく、専務が慌てて席に駆け寄ってきた。

「どういうこと?何があったの?」

矢神は逃げようと体をひるがえしたが、俺がすかさずスラックスのベルトを掴んだので、体を動かせなくなった。言い逃れを決め込もうとした枝たちのグループも、俺に睨まれて体を縮こまらせている。

「ああ、専務、これを見てください」

俺は一連の動画や画像を専務に見せた。専務の顔が見る見る怒りの色に変わっていく。

「ってことで、枝たちのグループは内定式どころではなく、人事へ連行されていく。社員の矢神は事情聴取として別室へ連れて行かれそうになった」

「おそらくこの社員は内定者がしでかしたことと言い逃れしようとするはずです。携帯の画像などを解析すれば、この状況を誰が作ったか分かるはずですので、徹底的にお願いしますね」

その場に居合わせた他の内定者たちは、「誰、あの人」という会話をしている。専務と親しく話をしているし、専務が一人の入社予定の学生の言うことを聞いているのはおかしいと見えたようだ。

枝たちは人事部で、今までの言動の内容などを踏まえ、新入社員としてそぐわないと判断され、その場で内定取り消しの判断が出された。枝たちは「先輩にそのかされた」と抗議した。しかし、矢神にそのかされる前に、俺に絡んでいた。俺はその言葉さえも録音していたのだ。その時の言動を重く見て、内定取り消しが下された。

「もっと早く見抜くことができたら、いい人材を確保することができたのに」

「おばさん、これからだよ」

「そうね。戦いはこれからよね」

川保は俺のおばである。言ってしまえば、社長は俺の祖父の父親、つまり曽祖父だ。これを種明かしすれば、俺自身コネ入社疑惑を否定できなくなるのだが、おばは採用に直接関与しない仕事をしているため、俺の疑惑は否定される。社長は自分の妹の子供である俺なんて眼中になかったので、就職試験は楽にパスさせてもらった。

専務が人事部へ電話を入れたところ、矢神は事実無根だと主張しているとの話があった。

「母校の学生が矢神君の弁護をしたのね。呆れるわ」

実はこの会社には学閥が根強く残っており、いわゆる社長側とされる超難関有名大卒組が優勢なのだ。おばと俺は、矢神たちが卒業した超難関有名大よりもランクが高い海外のハーバード大卒だ。おばは企業風土を変えたいと、少数派である他の大学の卒業生と一緒に立ち上がった。ハーバード大院卒の俺は海外資本の証券会社に勤務していたのだが、おばの企業改革を手伝うべく、第二新卒枠で転職することにした。俺自身は、社長である曽祖父と専務の娘という構想に巻き込まれた形なのだが、面白いから乗ってみたというのが、ここに転職を決めた理由だ。

「へっ、手っ取り早く親子の構想に終止符を打つ方法としては、社長を退任させておばが社長になることだ。しかし、なかなか決め手が見つからないし、超難関有名大卒の連中が許さないだろう」

俺は注意深くこの動向を見守ることにした。

春になり、俺たちは正式採用の辞令を受け、入社を迎えた。

「おお、高卒は入社できたんだ。しかも監査部配属って、なんで高卒のくせにそんなところに配属されるんだ?」

「私は海外のハーバード大院を卒業し、二年間外資系の証券会社に勤務しておりました。高卒ではなく、第二新卒です。そこをお間違いなきよう」

俺は矢神を睨みつけながら言葉を正した。監査部は社内の会計やコンプライアンスに関して実態を把握し、問題点があれば是正を促す部署だ。俺は無能な社員たちに引き抜かれた形で監査部に配属された。矢神は社内の警察機構とも言える部署に配属された俺を見て、やばいと思ったようだ。内定式の事件では、首の皮一枚残った状態で事無きを得たと思っていることだろう。俺と関わることをやめ、新卒社員向けのチューターも辞退したようだった。誰かをからかうことや貶める言動を取ることもやめ、大人しく自分の仕事だけをこなすようになったそうだ。

しばらく平穏な日々が続いた。しかし、ある日大事件が起こった。会社のパソコンがウイルス感染したと連絡が来たのだ。どうやら外部のメールから感染したと見られる。その感染源を突き止めるようにエンジニアに依頼したところ、矢神の元に届いたメールが原因だったことが分かる。矢神がそのメールの添付ファイルを開いたもんだから、ネットワークを経由して会社全体のパソコンがまたたく間に感染したのだ。矢神は慌てふためきパソコンのサーバーの電源を落としてしまい、会社全体はもちろん、取引先までもろともシステムダウンを招いてしまった。

どうして矢神が慌てふためくことになったのか。エンジニアがウイルスが添付されていたメールを復元したのだが、その中身には驚くべきことが書かれていたのだ。

「私はこの会社の内定を勝ち取るために矢神先輩に十万円支払った。俺も他の三人も一緒だ。金を返せと散々言ってきたが、ずっと無視され続けてきた。最後通告だ。早く金を返せ」

なんてことだ。俺は専務とこのメールを確認して絶句した。就活活動に関してチューターが金を取っていたというのか。そこまでして超難関有名大卒の勢力を固めたかったのか。単純に矢神が利益を得るために個人的に起こしたことかもしれない。いずれにせよ、チューターを辞退して手のひらを返したように大人しくなった態度と合致する。

俺と専務が矢神に事情聴取をしようとしたら、矢神とは連絡が取れなくなってしまった。彼に関しては数日後、退職代行業者より退職の電話連絡が入ったのだ。

そこで枝たちをそれぞれ会社に呼び出して事情を聞くこととなる。もちろん彼らも悪いことをしていたことは重々承知しており、金を支払うことになった経緯は絶対に口を割らなかった。誰もが矢神に対する恨みしか話さない。あそこまで来て就活が振り出しに戻ってしまった枝たちは、未だに就職できずにいて、今ではコンビニとみなしバイトで食いつないでいる。「金を返して欲しいが、訴えたくても訴えることができない」こんな趣旨のことしか言わないのだ。

会社の学閥が超難関有名大卒業者を固めたいために仕組んだのか、単純に矢神が私腹を肥やしたいだけだったのかは、分からずじまいだ。社長をはじめとする学閥グループは矢神の暴走だと言い出し、矢神に全てを押し付けて幕引きをするつもりらしい。

「監査部の立場から言わせてもらいますが、なぜ自己都合で退職した矢神さんに給与以外の金が振り込まれているのでしょうか?彼はまだ入社三年目で退職金をもらう権利すら持っていないはずですよ」

俺は会社の金の流れで不自然な点を見つけたので、経理部へ行って調べたところ、見舞い経費の名目で矢神に二十万円が振り込まれていたのだ。

「どういうこと?十万円以上の個人宛ての送金は上層部の決済が必要よね」

俺とおばは超難関有名大卒の経理部長を追及に追及しまくった。すると、やはり口止め料の名目で二十万円を矢神に渡したようだ。当時、上層部は学閥グループを強化するため、就活で超難関有名大卒の学生を確保すれば矢神の昇進を検討すると伝えた。矢神は囲い込みを行ったが、定員数の兼ね合いでLINEぎりぎりの枝たち数名に「十万円で会社に入れてやる」と伝え、連中から現金を受け取ったそうだ。

懇親会の時に枝たちが正攻法と何度も言っていた意味がようやく分かった。彼らは正攻法ではない形で内定を勝ち取ったからこそ、自分たちを正当化させるために正攻法という言葉を連呼していたのだ。矢神は枝たちからもらった金を懐に入れ、会社からもリベートを受け取っていた。矢神は枝たちを手なずければ学閥グループの躍進が見えていたのだが、ゴミ箱座席事件で矢神は罪を被らず、枝たちに押し付けてしまった。

「矢神先輩、さすがにまずいっすよ」

「大丈夫大丈夫。君たちには同窓の大先輩がついているし。こんなの軽い冗談だよ」

「冗談。毎年内定者の誰かがゴミ箱座席に座るんだ。その役を高卒になってもらうんだよ。それなのに俺は止めたんすよ」

そう一言、社員に告げたという。

「十万円支払ったのに内定取り消しかよ」

枝は会社に駆け込んで訴えたが、会社側はもう入社は終わったとして跳ねつけたらしい。会社に訴えても無駄だと分かり、枝たちは攻撃対象を矢神に変えたというわけだ。枝たちは金を渡した側なので、表立って訴えることはできない。

一方で、矢神が高卒と馬鹿にしていた対象は、ハーバード大院卒で格上の証券会社からの第二新卒で監査部属と分かる。手のひらを返した矢神がパニックを起こしてここに至るという真相が分かった。

これに激怒したおばは、会社問題に詳しい弁護士を雇って、曽祖父を中心とした学閥グループを解体させてしまった。この行動力の速さは俺でもびっくりするほどだった。それに、新入社員を巡る増収事件があったと週刊誌にリークし、その後警察が動いたことで、社長を退任させることに成功したのだ。

こうなれば、この商社はおばの一人天下だ。おばの川保は社長に就任し、卒業した大学などを関係なく働ける新しい会社風土を生み出すべく奔走し始めた。

「ちょっと待ってよ。サト君、会社辞めちゃうって本当?あなたのために監査部長か専務の席を開けていたのよ」

「俺がこの会社に残ったら、おばさんと甥っ子っていう関係だけではなく、ハーバード大卒という学閥が残ってしまうじゃないですか。俺の使命は曽祖父の社長退任で終わっていますし」

「でも、あなたの力が欲しいわ」

「そう言ってくれるのはありがたいですが、前の職場の証券会社から戻ってきて欲しいと言われたので、戻ります」

俺はおばが満足する姿を見て、それで終わったと思った。だから、おばさんの会社を辞め、元の職場に復帰することにしたのだ。半年ほどの転職だったが、いい経験だった。そう思うことにしたい。

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