「ここからのプレゼンは、私の部下の茨木が行います。彼は英語が堪能で、我が社期待のホープです」…

「ここからのプレゼンは、私の部下の茨木が行います。彼は英語が堪能で、我が社期待のホープです」...

プレゼンの冒頭、課長が突然こんなことを言い出した。

「ここからのプレゼンは、私の部下の茨木が行います。彼は英語が堪能で、我が社期待のホープです」

普段は中卒のニートと見下している相手が、なぜこんなことを? 俺は目を見開いて課長を見た。すると彼は、俺が困り果てる姿を想像してか、口元をニヤニヤと緩めて楽しそうに微笑んだ。

ああ、なるほど。俺に恥をかかせる気か。俺なんかが英語を話せるわけがないと思っているんだな。大事な商談の場を使って、こんな幼稚な嫌がらせをしてくるとは。腹の底から怒りが湧いてくるが、ぐっとこらえて、俺は壇上に上がり一礼した。

──まあいいさ。その浅はかな思い込みのせいで、お前が全てを失うことになるのだから。

俺の名前は茨木悠也。営業部に所属している。中学生の時に父を亡くし、それからは体の弱い母と二人で暮らしていた。父の遺産はわずかで、母は体を押して働き始めたが、仕事も休みがちで生活は苦しくなるばかりだった。俺も新聞配達で家計を助けていたが、十分な暮らしとはいかなかった。

そんな時、海外に住んでいた母の兄、つまり叔父が帰国し、俺たちの生活を見かねて一緒に暮らすことを提案してくれた。俺は母と話し合い、中学卒業と同時に二人で叔父の家へ引っ越すことになった。

それからは、現地で会社を経営していた叔父の仕事を手伝いながら、三人で肩を寄せ合って穏やかな生活を送った。叔父の元で十年ほど過ごした後、叔父の仕事関係の人の紹介で今の会社に就職した。営業部の仕事は大変だが、やりがいもあり毎日が新鮮だった。

だが、一つだけ悩みがあった。上司の長谷川課長だ。彼は、中卒で就職歴もない俺を、引きこもりのニートだったと思い込んでいるらしく、ことあるごとに馬鹿にし見下してくるのだ。

「ちょっとい茨木君、京都から朝っぱらに大声で呼ばれる」

本日中に提出しなければならない書類があったが、上司の言葉を無視するわけにもいかない。ため息をこらえて課長の席へ足を運ぶと、彼は嫌みを口にした。

「来るのが遅い。なんだ、中卒のニート君は頭だけでなく耳も悪いのか。今日までの書類、どうなってるんだ? 出してないのは君だけだよ」

俺はひとまず頭を下げた。

「すみません。今中には提出しますので」

すると長谷川課長は、獲物を見つけたとばかりに嫌みを連発する。

「『今』って、夏休みの最終日に焦る子供じゃないんだからさ。こういうのはできるだけ余裕を持って出して欲しいんだよね。だって君、大人でしょ? 分かってるのかな?」

腹立たしかったが、彼が言っていることは嘘だ。一週間前、俺は部内で誰よりも早く書類を提出していた。だが締め切り直前に、書類の不備を理由に突き返されたのだ。どこが不備なのか尋ねても、「そんなの自分で考えろ」と取り付く島もない態度ばかり。それでも仕事は仕事だ。何とか期限内に再提出できるよう、俺は必死で書類と格闘していた。

目の前の長谷川課長は、そんなことはお構いなしに、自分の言葉で俺が傷つく様子を楽しむかのように続ける。

「まあ、中卒ニート君にはちょっと難しいかな。茨木君はもうちょっと大人にならないといけないね。だってこれは仕事なんだから」

言い返したい気持ちをぐっとこらえ、俺はもう一度頭を下げて自席へ戻り、仕事を再開した。長谷川課長の嫌がらせは、もはや日常茶飯事だった。不毛な言い合いをする暇があったら、目の前の仕事に時間を使いたい。

──そんなある日。

「この度、X社との商談が決定した。営業部からは課長の長谷川君、そして茨木君」

部長の発表に、部内がにわかにざわめいた。X社は国内外に拠点を持つグローバル企業で、話がまとまれば弊社にとってこの上ない大きな取引となる。営業部から商談チームに加われるのは二人だけ。将来を左右する大抜擢だった。

「特に茨木君は社長の推薦だ。まだ若いが、貴重な勉強の場だと思って大いに頑張ってほしい」

同僚たちは「社長の推薦だって」と目を丸くしながらも、温かく送り出してくれた。

だが、部長が目線を外した隙に、長谷川課長が俺を睨みつけてきた。

「なんでお前みたいな中卒ニートが選ばれるんだよ。いいか? 俺の足を引っ張ったら承知しないからな」

聞こえない小声で言い捨てると、彼はすぐに愛想のいい顔で部長と話し始めた。そんな裏表の激しい彼と同じチームになることに一抹の不安を覚えつつも、せっかくの機会を無駄にしないよう、俺は気合いを入れ直した。

一か月後の商談当日。あっという間にやってきた。その間、準備はまさに目が回るほどの忙しさだったが、なんとか整えて、長谷川課長がプレゼンを行うのを待つばかりだった。資料を作っている時も何かと嫌がらせはされたが、いざ本番を前にすると、さすがに緊張しているのか、彼は大人しかった。

そして、いよいよプレゼンの時間。俺は長谷川課長のフォローをするため、彼の横に立ち、パソコンを操作してモニター画面の調整を行う予定だった。

だが、突如長谷川課長が大げさな動作で一礼すると、寝耳に水のことを言い出した。

「では、ここからのプレゼンは、ここにいる私の部下の茨木が行います」

「え、課長?」

戸惑う俺をよそに、彼は大仰な言い方で説明する。

「彼は英語が堪能であり、我が社期待のホープでもあります。グローバル企業であるX社へのプレゼンには、彼より他いないと判断しました」

何を言っているんだ? 俺は思わず目を見開いて長谷川課長を見た。すると彼は、俺の驚く顔を見て、こらえきれないとばかりに口元を吊り上げた。

「それでは、茨木君。しっかり伝えなさい」

表面上はにこやかに笑うと、彼は俺を一人壇上に残し、さっさと会議室の隅へ下がっていく。

──確信した。彼は初めから俺に恥をかかせるつもりで、この場を利用したのだ。あれだけ「仕事なんだから」と嫌みを言っておいて、小さな自己満足のためなら、その仕事さえも簡単に放り出す。ふつふつと怒りが湧いてきたが、今は感情に振り回されている場合ではない。

俺は顔を上げ、室内を見渡した。相手方の担当者、そして弊社からは社長をはじめとした上層部が数人。会議室はそうそうたる顔ぶれだった。

深呼吸を一つ。そして、一礼すると、使い慣れた英語で流暢にプレゼンを開始した。

相手方はさすがグローバル企業と言うべきか、全員が英語に堪能なようで、俺のプレゼンに時折頷きながら聞き入ってくれている様子だ。俺は聞き取りやすい速さで話を進めていった。

「弊社の提案は以上となります。では、引き続き質疑応答に移らせていただきます」

そう言って目線を動かすと、視界の隅に、悪意に取られた様子で俺を見ている長谷川課長の姿が映った。今更何か反応するのも馬鹿らしく、すぐに視線を外す。相手方からの質問にも全て英語で答えていく。

「では、他にご質問がないようでしたら、ここで失礼いたします。ご清聴ありがとうございました」

俺が再び頭を下げたと同時に、会議室は拍手に包まれた。相手方の反応も悪くないようで、ひとまず成功と言ったところだろうか。

すると、その様子を見て取って、社長がにこやかに立ち上がった。

「皆さんの仰る通り、最近は弊社の社員にも積極的に語学の勉強を進めておりましてな。ここにいる茨木君は十年間海外暮らしをしていたこともあり、ご覧の通り若手では群を抜いて英語が堪能なのですよ」

社長が鼻高々といった具合にそんなことを口にした。周りからも「十年も」「ネイティブと変わらないね」と声が上がる。

「茨木君のおじさんが海外に拠点を置いていらっしゃるんだよね」

「はい。父が亡くなり、残された母と私を心配して、叔父が自身の元へ呼び寄せてくれたのです。また叔父は現地で会社を経営しておりましたので、私もそこで学生の頃から手伝いをしておりました」

そう──俺は日本では中卒だが、叔父の力添えもあり、海外ではそれなりの大学を出ている。日本へ帰国したのは、母がこちらの病院に入院することになったからだ。英語に慣れていない母は、入院するなら慣れた日本の病院がいいと言い、それに合わせて俺もこちらで就職することにした。その時に紹介してくれたのが、今の会社だった。叔父は以前より、弊社の社長と親交があったらしい。

……ただし、俺はコネで入社することに抵抗があり、周りの学生たちと同じように、きちんと試験や面接を突破して入社した。その後、社長の言葉で商談は一旦終了となった。

相手方を見送りつつ、社長を始め上層部数人と共に、俺や長谷川課長も会議室へ戻る。相手方から出た質疑応答に対して、今後の対応を詰めておくためだ。

だが、そこで営業部長が首をかしげて口を開いた。

「そういえば長谷川君。当初の予定では、プレゼンは君が行う予定じゃなかったかい?」

「そ、それは……」

どことなく呆けたような顔をしていた長谷川課長が、その問いにぎくりと肩を揺らす。上層部の視線までもが集まった。長谷川課長は途端にそわそわと落ち着きをなくし、油汗を垂らしながら俺を睨んだ。

「い、茨木君が是非自分でプレゼンしたいと。英語には自信があるので任せて欲しいと言ってきて……私も止めたのですが、どうしてもと言い張って」

──責任転嫁する気満々だ。俺はもはやため息も出ず、逆に笑ってしまいそうになった。俺はその場で静かに手を上げる。皆の視線が俺に集まった。

そこで俺は、先ほどの長谷川課長と同じように、一度にこやかに笑うと、ここぞとばかりに英語でまくし立てた。

「お言葉ですが、長谷川課長のおっしゃっていることは事実とは異なります。私は入社以来、長谷川課長から度重なる嫌がらせを受けてきました」

どうやら長谷川課長は、それほど英語が得意ではないらしい。自分が言われていることは分かるようだが、異国の言葉を弾丸のような速さで吐き出し始めた部下を前に、どうしていいか分からないのか、意味なく手を上げたり下げたりしている。

一方、彼を除いたこの場の全員は英語に堪能なようで、俺の早口の訴えを理解するそばから、絵に描いたような渋い顔を浮かべてくれた。

そして、俺はダメ押しの一言を添える。わざと日本語で。

「証拠がということになりましたら、音声のみですがこちらに。全てではありませんが、私に対する長谷川課長の嫌がらせ行為の一部始終が録音されています」

俺は、スーツの内ポケットから小型のレコーダーを取り出し、上層部の前に掲げた。

「なるほど」

そこまで無言で話を聞いていた社長が、何かを悟ったように呟いた。そして、眼光鋭く長谷川課長を睨むと、重々しい口調で続けた。

「どうやら、部下からの訴えが上がってきているが……まあ、君の申し開きは社長室で伺うじゃないか。じっくり時間をかけてな」

横にいた社員に脇をがっちりと固められ、小さな悲鳴をあげながら、長谷川課長は早々に連れて行かれた。

「すまないが、茨木君。質疑応答の部分をまとめて、明日提出してくれるか?」

「はい、承知しました。ありがとうございます」

動揺をまとわりつかせながらも、冷静にそう言った社長に、俺は頷き、深く頭を下げた。

──その後、長谷川課長は改めて社内調査を受けることとなった。結果、勤務中に一部の部下に対して不適切な言動があったとして、平社員に降格させられた上に、窓際部署へ移動となった。

社内では長谷川課長の処分が話題となり、それを受けた各部署も今一度組織内の風通しを見直した結果、会社全体の雰囲気がより明るいものへと変化した。また、それに伴い、ハラスメント再発防止のための研修や指針の策定なども積極的に行われるようになった。そのおかげで、社員同士の円滑なコミュニケーションや、個々の能力を重視する風潮が広まり始めた。

一方、俺はあの時のプレゼンが高く評価され、引き続き商談の担当として抜擢された。さらに、その件が発端となって、会社主体で社員一人一人のスキルを上げることを目的とした学びの場も設けられることになり、俺はそこで英語の社内講師を務める傍ら、自身も中国語を学び始めた。

それから、プライベートの方でも素晴らしい変化があった。入院していた母の手術が成功し、この度めでたく退院となったのだ。退院当日、病室の片付けをしていた俺に、母がゆったりと聞いてきた。

「悠也、お仕事の方はどうなの?」

「大変なこともあるけど、毎日が新鮮だよ。それに、海外暮らしの経験を生かして、今は英語の社内講師をしているんだ」

俺がにっこりと笑って答えると、母は嬉しそうに笑って頷いた。

「あら、まあ、そうなの? それは良かった」

聞けば、叔父も近々帰国できるように仕事を調整しているらしい。その時には、これまでお世話になった礼を伝えると共に、一回り成長した自分の姿を見せられるよう頑張ろう。俺は改めて気合いを入れるのだった。

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