葬儀が始まろうとしているのに、夫はまだ来ない。私、ゆみは、たった一人で、六歳の息子ハルトの葬儀の喪主を務めようとしていた。
夫の達也と、彼の両親と姉は、ハルトが心臓発作で息を引き取った夜も、リゾート地でクルージングを楽しんでいた。私が「ハルトが亡くなった」と連絡しても、彼らは「設定を続けるな」と笑い飛ばした。
冷え切った式場で、私はスマホに映る彼らの楽しげな投稿を見つめていた。借金を肩代わりしてもらい、豪華な食事にシャンパン。その写真の下には、「最高の週末!」というコメント。
その時だった。式場の扉が静かに開き、逆光の中に、一人の老紳士が立っていた。杖をついた、その姿。絶縁したはずの父だった。
父は私の前に歩み寄ると、予想に反して、深く頭を下げた。
「細くなって、すまなかった」
その声は震えていた。20年前、母の葬儀で一滴の涙も見せなかった、冷酷な大企業グループの会長である父の声とは思えなかった。
父は、私が夫の家族から受けてきた扱いをすべて知っていた。このマンションの家賃も、ハルトの治療費の足りない分も、すべて父が影から支えてくれていたのだ。私は父を恐れ、絶縁したまま、夫の家族に虐げられる日々に耐えていた。父もまた、私が助けを求めてくるのを待ちながら、プライドが邪魔をして手を差し伸べられずにいた。
「ハルトを送るのは、わしが責任を持ってやる。最高の式にしてやろう」
父はそう言うと、私が録音した夫との電話の内容を聞いた。そこには、妻の悲痛な訴えを「設定」と笑い飛ばす、夫の残酷な声が記録されていた。
父の目が、悲しみの色から、凍てつくような怒りの色に変わる。
「今すぐ、あの者たちが乗っている船を特定しろ。そして、わしのリゾートに機動隊を回せ」
父の報復は迅速だった。夫たちが自慢していたリゾートも、住んでいたマンションも、すべて父の所有物だった。彼らは水着姿のまま逮捕され、会社は解雇。住む家も失い、莫大な賠償請求を突きつけられた。
マンションのエントランスで、夫は初めて真実を知った。私が、彼がゴミのように扱ってきた大企業の令嬢であることを。
「さようなら。地獄で後悔してね」
私は冷たく言い放ち、彼らを永遠に私の人生から追い出した。
それから月日が流れ、私は父と共に、ハルトの遺品を整理していた。箱の底から、一冊のスケッチブックが見つかる。
そこには、ハルトが見ていた世界が描かれていた。怒っているパパ。辛そうなママ。そして、あるページには、杖をついた祖父の絵が描かれ、こう書かれていた。
「じじは、いつも見ててくれる。ママのこと守ってくれてる。こわい顔だけど、本当はとっても優しいよ。僕、知ってるよ」
ハルトは、眠っている間にこっそり見舞いに来てくれていた父の存在を知っていた。そして、父が泣いている姿も見ていた。六歳の小さな子が、私たち親子の不器用なすれ違いを、すべて理解していたのだ。
最後のページには、私へのメッセージがあった。
「ママ、パパたちがママをいじめたら、じじのところに逃げてね。僕がいなくなっても、ママは一人じゃないよ。じじと仲良くしてね」
ハルトは、自分が長くないことを悟り、私を父に託そうとしていたのだ。その愛に、父と私は涙を流し、ようやく本当の親子として向き合うことができた。
あれから一年後、私は大取ハルト記念小児医療支援財団の理事長として、記者会見の場に立っていた。ハルトのような思いをする子供たちを減らすために。それが、私が息子から託された使命だ。
会見を終え、父と二人でハルトの墓前に立つ。空は、ハルトの瞳のように澄み渡っていた。
「見ててね、ハルト。ママはもう、泣かないよ」
私は空に向かって、小さく手を振った。雲の切れ間から一筋の光が差し込み、私たちの行く道を照らしていた。


