高級レストランの入口で、消毒スプレーを顔に吹きかけられながら、私は呆然と立ち尽くしていた。
「農家のくせに高級レストランに来るなんて、勘違いもはなはだしいわ。早くお引き取りを」
店長と書かれた名札の女は、まるで害虫を追い払うように私を見下していた。
私は世界的に有名な三つ星レストランのオーナーだ。だが、その日は久しぶりに地元の農家を訪れ、食材探しをしていた。収穫中の農家の人がバランスを崩して倒れそうになったのを支えた拍子に、一緒に転んで服に泥がついてしまったのだ。
着替えも持っておらず、遅刻するよりはこのまま行こうと決めたことが、ここまで酷い扱いを受けることになるとは思ってもみなかった。
「仕事の帰りに寄ったんですが、泥が汚れてしまっていて……」
そう説明しても、店長は聞く耳を持たない。
「仕事終わり? ここは農家が来るようなレストランじゃないの。高級レストランなんですよ。お引き取りを」
大声で追い出され、店員たちが怯えた顔でこちらを見つめる。この店長が日頃からこんな態度で接しているのだろうか。
「ここは高級レストランですよ。あなたのような人が来る場所じゃないって言っているんです。畑仕事しているような人には、支払いもできないでしょう」
私の言葉は一切聞き入れられず、ついには消毒スプレーを吹きかけられた。
「ここに泥を持ち込まれても困りますので」
楽しそうに笑いながら、店長は私にスプレーを浴びせ続ける。我慢の限界だった。
「ちょっと失礼すぎるんじゃないですか。農家を馬鹿にすることは、食材を馬鹿にしているのと同様ですよ。農家がいないと食材がない。食材がないと料理が作れない。なぜそこまで農家を蔑むことを言うんだ」
だが、店長は相変わらずアルコールスプレーを私に浴びせてきた。
これ以上いても無駄だと、私は慌ててレストランを出た。振り返ると、店長は満足そうに笑っていた。
どうしようもなくなり、私は招待してくれた宮沢さんに電話をした。宮沢さんは中学高校と同じクラスだった旧友で、今は同じ業界で高級レストランを経営している。私が食材探しをしていることを知り、彼女も一緒に農家を回りたいと言ってきて、その流れで彼女の店に食事に来ることになっていたのだ。
「ちょっと待ってて。今すぐそっちに行くから」
電話口の声は、学生時代と変わらずテキパキとしていた。すぐに駆けつけてくれた宮沢さんは、私の服を見て絶句した。
「なんてことを……本当に申し訳ない。想像以上に吹きかけられたのね」
「いや、俺も泥がついているのを気にしてはいたから」
「それでも悪いことは悪い。本当にごめんなさい」
深く頭を下げる宮沢さんと共に、再び店に入る。すると、またしても店長がやってきた。
「どうされたんですか? またこの人入ってきてる」
店長が再びアルコールスプレーを手に取ろうとした時、宮沢さんが静止した。
「やめなさい。お客様に対してその態度は失礼よ」
「お客様? この人はただの農家ですよ」
「こちらはあの世界的に有名な三つ星レストランのオーナーよ」
店長は私と宮沢さんを交互に見て、徐々に顔を青ざめていった。
「忙しい合間を縫って、私たちが星を獲得するレストランになるためのアドバイスをもらおうと招待したの。私が招待したお客様にあなたは何をしたの?」
冷静に問い詰める宮沢さんに、店長は言葉を失っていた。
「そもそもここに来てくれるお客様へ、あなたの偏見で対応を変えていたの。さっきから黙ってるけどどうなの?」
何も答えられない店長は、その場に座り込んでしまった。
「大変失礼しました。申し訳ございません」
さっきまであれだけ高圧的だった人物とは思えない、か細い声で謝罪してくる。
私は普段なら「いいよ」と許してしまう方だ。しかし、今回は人として許すことはできなかった。
「あなたには、おもてなしの心が欠落している。そんな人が入口にいるレストランは、三つ星は取れない」
はっきりと言い放つと、店長は顔を上げるも何も言えずにうつむいた。
「あなたの処分は後日考えるから、今日は帰りなさい」
宮沢さんの迫力に圧倒された店長は、とぼとぼと店を後にした。
その後は気を取り直して、私たちは食事に集中した。店長は散々だったが、他のスタッフたちのプロ意識は素晴らしかった。宮沢さんと食事を楽しみながら、お店の相談や業界の未来について様々な意見交換をした。
あの日の出来事をきっかけに、私はますます創作意欲が掻き立てられた。当日思い立ってレンタルキッチンで試していた試作品も無事完成し、その料理は地元の食材を使いたいと地元の農家とも契約を結び、目標の一つにしていた地産地消を推進する取り組みにも一役買うことができたのだ。
その後も宮沢さんとは今でもよく連絡を取り合っている。食事の後、手紙が届いた。そこにはお礼と店長について書かれていた。彼女は解雇処分になったらしい。しかし、どうしてもやめたくないと懇願したその熱意に、最後のチャンスを与えたようだ。今はおもてなしの心を叩き込むために、下っ端から頑張っているという。
「大変だろうけど、自分で選んだ道だ。僕を攻め立てられる迫力があったんだから、乗り越える気合いは持ち合わせているだろう」
そう信じて、私は手紙の返事を書いた。
「彼女におもてなしの心が身についたら教えてください。今度はあの人に、もてなしてもらいたいから」
そう書きながら、自分自身ももっと成長していかないとなと思った。ペンを置いて、愛用しているリュックを背負う。
「そうだ、見つけるぞ。まだ見ぬ食材を、行ってきます」
今日も私は、新しいメニューのために食材探しの旅に出かけるのだ。



