電話のベルが鳴り、恐る恐る受話器を取ると、霊さんの声が聞こえた。
「もしもし。夜分にすみません」
昼間は泣き声だったのに、今は落ち着いている。
「いえ、大丈夫です」
「あの……あれからもう一度、娘と話し合ってみました。それで、幸介さんに見てもらいたいということになりまして」
「本当ですか?よかった。どんな結末になっても、後悔はさせません」
「はい。私たちはもう、これが最後になると思っています。幸介さんを信じたいと思います」
俺の名前は須藤幸介。四十歳になる前に、自分の病院を持つことができた。それは俺の一つの夢だった。
俺は整形外科医であり、一人娘を持つシングルファザーだ。
俺と娘には、悲しい過去がある。
俺は二十八歳で最愛の人と結婚した。妻との間にはすぐに子供が生まれ、エマと名付けて愛情をたっぷりと注いだ。妻はエマが小学生に上がると、外に仕事に出るようになった。エマはとても明るい子で、友達も多く、学校生活を楽しんでいた。
だが、幸せな毎日を送る俺たちに、残酷な運命が待っていた。
その日も妻はいつものように家を出て、仕事に向かった。俺が妻の交通事故を知ったのは、勤務先の病院だった。電話を取った瞬間、嫌な予感がして、その場に崩れ落ちた。半送先の病院からの電話だった。
妻は交差点にスピードを落とさずに侵入してきた車に轢かれ、即死だった。
エマは学校で先生から説明を受けたらしいが、その日から人が変わったように口数が少なくなった。俺たち親子は、妻という存在を失い、暗闇に葬られたようだった。明るく前向きだった妻を失い、家の中は俺とエマの二人だけ。静かな家の中は、息が苦しかった。
俺は一生懸命エマを励ます毎日だった。しかし、子供は親のことをよく分かっている。俺が無理やり元気を出していることに、エマは気づいていたのだろう。エマはどんどん口を閉ざすようになり、家での会話は激減した。おまけに、いつ頃からか学校にも行きたくないと言い出し、家にいることが多くなった。
最初は少し休ませてもいいだろうと思っていたが、エマは一向に学校へ行こうとしない。先生や友達が家の前まで迎えに来てくれることもあったが、それでも嫌だと言って部屋に閉じこもっていた。
一体どうしたらいいのか、俺にも分からなかった。母を失ったのだ。全てのやる気がなくなって当然だと思った。家にいてもやることもないし、少しは風に当たらないといけない。そう考えて、俺は自分の職場の生骨員にエマを連れて行くことにした。
生骨員の奥には事務所があり、そこは俺が個人的に使っている部屋でもあった。窓を開け、エマが時間を潰せるようにと折り紙やお絵かきセットを机に広げておいた。
「エマ、ここで待っていてね。パパはお仕事に行ってくるよ」
「うん」
エマは小さく返事をして椅子に座った。エマは大人しい子でしっかりしているから、一人にするのは心配していなかった。お昼には戻って一緒にご飯を食べ、仕事の合間には看護師が様子を見に覗きに行ってくれた。家にいるより、大人でも誰かと会う方が精神的にもいいだろうと思った。
俺たちは朝起きて支度をし、一緒に生骨員に行くという生活をしばらく続けることにした。
そんなある夕暮れのこと。仕事が一段落し、事務所へ早めに戻ることができた。すると、部屋に入る前に中からエマの声が聞こえる。
誰かいるのかと思ってドアを開けると、エマは窓の外に顔を出して誰かと話していた。
「あ、お帰り、パパ」
「ああ、仕事終わったよ。エマ、誰かいるの?」
俺が窓の方へ近づくと、そこにはエマと同じくらいの可愛らしい女の子がいた。
「あ、こんにちは」
「こんにちは」
急に俺が現れたので、少し驚いているようだった。
「この子は同じクラスのめちゃん。私に学校のプリント持ってきてくれたの」
「そうだったんだ。先生に頼まれたの?ありがとうね」
俺はその子にお礼を言った。最近は先生も友達も家には来なかったし、プリントもまとめてポストに入っていたから、少し寂しかったのだ。俺は嬉しくなって、めちゃんにいろいろ話しかけた。
「家じゃなくて、ここにエマが来てるって先生に聞いたの?」
「はい。でも最初は先生に頼まれて届けていたけど、今は自分が来たくて来てます。エマちゃんと話したいし」
「そうか。ありがとう。エマ、せっかくめちゃんが来てくれたんだから、お外で一緒に遊んだら?」
俺はよかれと思ってそう言ったのだが、エマは途端に表情を変え、いきなり窓を閉めてしまった。
「そういうことしたくないの、今は」
「そ、そっか。ごめん。無理にとは言わないよ」
「パパ、ちょっと外に行って、めいちゃんとお話ししてくるね」
俺は急いで建物の裏に回った。めちゃんは急にエマに窓を閉められて、少し困惑したような顔をしていた。
「ごめんね、めちゃん。俺が余計なこと言ってエマを刺激しちゃったんだ。悪く思わないでね」
「いえ、それなら大丈夫です」
めちゃんはエマよりも背が高く、なんとなく大人びた印象だった。目がぱっちりした、はきはきとした学級委員タイプだ。
「今までもエマと仲良くしてくれてたの?」
「うん。今まではグループが違うからそうじゃなかったんだけど、私はエマちゃんとお話ししたいなって思ってたの。学校に来なくなっちゃって、私がプリントとか届けてあげれば会えるかなって思って」
「そうだったんだ。めちゃんみたいな子がいるなんて知らなかったよ。これからもエマをよろしくお願いします」
俺が丁寧に挨拶すると、めちゃんはにっこり笑ってくれた。
「じゃあ、明日も来ます」
手を振りながら彼女は駐車場の方へ歩き出したのだが、その時、俺は何か違和感を感じた。めちゃんは右の足を少し引きずっているような気がする。
俺はめちゃんに声をかけようとしてやめた。もしかしたら転んだだけかもしれない。お節介はこの年頃の女の子には禁物だろう。
それからめちゃんは、毎日きちんとエマのところへプリントを持ってきてくれた。晴れの日も、雨の日も、風の日も。俺が仕事で忙しい時は、二人で楽しく喋って帰って行くようだった。しかし、俺が見かける時、めちゃんはやっぱり足を引きずって歩いている。あんな足なのに、ここまで来てくれるのはなぜなのだろうという疑問も湧いた。
ある時、俺は思い切ってめちゃんに聞いてみた。
「めちゃんはさ、その足は痛いの?」
一応整形外科医としては、無視してはいけないような気がしたのだ。
「ああ、足ですか?これは大丈夫なんです。ずっと前に事故にあったんだけど、その時に怪我したところなの。でも歩けるから、平気です」
必死でそう教えてくれたが、事故の後と聞いて、ますます気になった。必要な手術やリハビリは受けたのだろうか。毎日来てくれる彼女に恩のようなものも感じていたから、なんとかしてあげたいという気持ちになっていた。
「じゃあ、また」
「めちゃん待って。足が痛かったら、ここに来てもらわなくてもいいんだよ。ていうか、ここまでどうやって来てるの?」
学校から遠いわけではないが、この足でここまで来るのには時間がかかりすぎる。
「あそこにママが待ってるの。車で来てるから、大丈夫です」
いつもめちゃんが帰って行く方向に、うちの病院の駐車場がある。そちらを見ると、めちゃんが指差した車に女性が乗っているのが見えた。
「あ、あれお母さんかな?」
俺がそちらを見て会釈すると、女性は車から降りてぺこりと挨拶した。笑顔はなく、硬い表情の人だった。どこか元気がなさそうで、おどおどしている風でもあった。
めちゃんはお母さんの方へと帰ろうとして、途中の段差に突っかかってしまった。前へ転んだめちゃんは膝を抑えている。
「いたたたたた」
めんはめちゃんにかけ寄る。俺も慌ててめちゃんのそばに近づいた。
「大丈夫?痛いところを見せて」
俺は急いでめちゃんの膝の関節を確認する。骨は折れたりしていないが、軽く捻挫していそうだ。
「だ、大丈夫です。ママ、帰ろ」
「え?……ああ、うん」
お母さんはめちゃんを抱えながら、車まで連れて行った。俺は何もできず、ただ二人を見送ることしかできなかった。めちゃんの足は心配だが、それを隠そうとする行動がさらに心配だった。あまりお節介がすぎても、めちゃんに嫌がられては困るし、エマにも怒られそうだ。
それからも、めちゃんは毎日エマに会いに来てくれた。めちゃんが持ってきてくれたプリントを次の日までにやっておいて、めちゃんに提出してもらうというのが、彼女たちのルーティーンになっていた。
ある日、俺が夕方に事務所へ戻ると、エマがニコニコ顔になっている時があった。
「どうしたの?今日もめちゃん来たの?」
「え、パパ見て」
エマはとても嬉しそうに、一枚の便箋を俺に見せた。可愛らしい字で「エマちゃんへ」と書かれた、めちゃんからの手紙だった。可愛いシールやスタンプが押されている。女子らしい手紙に、俺も感動してしまった。
「わあ、すごいな。エマもお返事書いたら?」
俺がそう言うと、エマは目を輝かせて言った。
「エマ、レターセット持ってないから、今度買ってくれる?シールとかスタンプも、めちゃんみたいにしたい」
エマの楽しそうな顔を久しぶりに見た俺は、嬉しくなって提案した。
「うん、もちろん。今度パパと買いに行こう。ショッピングモールに行けば、何でもありそうだよ」
こうして俺とエマは久しぶりの外出をした。人の多いところはエマが嫌がるかと思ったが、レターセット選びに夢中で、そこは気にならないようだった。週末のショッピングモールに行くのは久々だったが、気分の良さそうなエマを連れていけて、俺も嬉しかった。
家に帰ると、エマは可愛いレターセットをたくさん並べて、早速お返事の手紙を書いていた。
次の日、エマはドキドキしながらめちゃんを待っていた。
「これ、私もお返事書いたよ」
「え?」
今日も足を引きずりながらやってきためちゃんは、びっくりした顔をして笑顔になった。
「嬉しい。ありがとう。後で大事に読むね」
二人のやり取りは、本当に見ていて癒される。
「はい、これは今日のプリントだよ。前のプリント、全部正解だって先生が褒めてたよ」
「本当?よかった」
今日は二人ともテンションが高く、会話が弾む。この流れで、俺も一度めちゃんのお母さんに挨拶をしようと決めた。
めちゃんが帰ろうとするところを見計らって、俺は言った。
「あ、ちょうど駐車場の方に行こうと思ってたんだ。めちゃん、一緒に行こう」
しらじらしい嘘をついたが、めちゃんは何とも思っていない。
「はい、いいですよ」
足を引きずっているから、とてもゆっくり進む。めちゃんと一緒に、俺は車の方へ進んだ。
俺が来るのが分かったのか、お母さんはまた車の中から出てきてくれた。
「こんにちは。ご挨拶が遅くなりまして。須藤エマの父親の幸介と申します。いつもめちゃんにはお世話になっています」
「あ、名の母の霊です」
気まずそうにそれだけ言うと、霊さんは車に乗り込むめちゃんを抱えた。
それだけかよ、とツッコミを入れそうになったが、彼女はそういう雰囲気ではないのかもしれない。冷たい返しに、俺は一人で落ち込んでいた。
「ママ、エマちゃんにお返事もらった」
嬉しそうに見せるめちゃんにも、うっすら笑いかけるだけだった。
「じゃあ、失礼します」
霊さんは、まるであまり関わりたくないかのように、逃げるように帰ってしまった。俺は肩透かしを食らったような、何とも言えない気持ちだった。歩み寄ろうと思ったのに、さっとかわされた感じだ。
「うん……まあ、しょうがないか」
俺はブツブツ独り言を言いながら、エマのいる事務所に戻った。
俺は何か知っているかもと、担任の先生に電話をかけてみた。しかし、先生も足の怪我のことは詳しく知らないようだ。
「でも、めちゃんは自分から積極的にエマさんのところへ行くと手を上げてくれたんです。足が辛いから無理しなくてもいいよと止めても、『絶対自分が行く』と言って聞かなくて……」
先生も俺も、以前はそこまで仲良しではなかったはずなのに。どうしてめちゃんがそこまでこだわるのか、不思議だった。
それから数日後、エマのところに来ためちゃんは、いつもより一層足が痛そうだった。
「めちゃん、本当に大丈夫?」
俺は思わず、またそう言ってしまった。
「うん、大丈夫」
めちゃんは苦笑いでそう答えるだけだった。
「はい、エマちゃん、またお手紙書いてきたよ」
「あ、ありがとう」
エマも辛そうなめちゃんを心配そうな顔をして見る。俺は断るめちゃんを、転ばないように車に送ることにした。
車から出てきた霊さんは、いつものように冷たく会釈するだけだ。
「お節介かもしれませんが、治療はしているんですか?こんなに痛そうなら、うちで痛み止めくらいは出しますよ」
俺は様子を見ながら提案したつもりだが、霊さんの心を動かすことはなかったようだ。
「ありがとうございます。でも、お気遣いは結構です。失礼します」
やはり逃げるように去っていく車を見つつ、俺はどうやってこの状況を変えられるのか考え込んでいた。
その日、最後の診察が終わると、患者さんから声をかけられた。
「最近、ここの建物の裏に女の子が来てるわよね。あの子、うちの近所の子なのよ」
そのおばあさんは、めちゃんをよく知っているようだった。
「うちの娘に会いに来てくれてるんですよ」
「そうなの?お友達がいてよかったわ。あの子のお父さんはね、小さい時に事故で亡くなられたのよ。同じ車に乗っていた、あの子だけが怪我で済んだの」
それは、父親と二人で出かけためちゃんたちが交通事故にあったという話だった。
「今は二人になってしまったけれど、頑張って生活しているみたい。本当に偉いわよね」
俺は今までのめちゃんたちの壮絶な人生を思うと、胸が締めつけられるようだった。エマと同じように片親を失い、足を怪我しても、懸命に明るく生きているめちゃんに、尊敬の気持ちすらあった。そして俺は、もっとできることがあるような気がしたのだ。
次の日、俺は強い気持ちで霊さんに話をしようと決めていた。俺の気持ちを察したのか、自発的なのか、エマも一緒に外で待つと言ってくれた。
「めちゃんも痛いのに頑張って運んでくれるから、エマも何か頑張らなきゃと思って」
めちゃんの健気な姿に、エマも何か心を動かされたようだ。
「エマちゃん」
駐車場に車がつくと、めちゃんは俺たちを見つけて嬉しそうに手を振ってくれる。しかし、今日もかなり足が痛むのか、車を降りてからなかなか前に進めない。
「エマ、あそこまで俺たちが行こうか」
「え、行こう」
エマの方が俺の手を引っ張って、霊さんの車の方へ進んだ。こんなに頼もしい目つきのエマを見たのは久しぶりだった。
「こんにちは。私が行くからいいのに。めちゃん、そんなに痛いなら、うちのパパに見てもらって」
俺が言おうとしてたことを、エマがそのまま言ってくれた。
「え?……いやあ、大丈夫。エマちゃん、ありがとう。でもね、めいは大丈夫よ」
「何が大丈夫なんですか?こんなに痛がってるのに、何か見つかってない問題があるかもしれないでしょう」
俺は我慢できなくなって、つい大きい声が出てしまった。
霊さんは悲しそうな顔をして、話をしてくれた。
「私たちも、色々な病院にかかりました。辛いリハビリも、めいは耐えて頑張りました。でも、どの先生にかかっても、良くはならなかったんです。何度挑戦してももう無理だ、治らないと言われて、めいはとても傷ついてしまったんです。それでもう治療はしない。このままでいいって。私も、辛いことを娘にさせたくありません。私たちは、十分やってきたと思います」
俺は彼女の言葉に、自分の勝手な憶測を反省した。霊さんもめちゃんも、決して諦めて放置してきたわけではなく、辛い道のりを二人で乗り越えてきたのだった。霊さんは目から涙をこぼしている。それは、娘を愛する優しい母親の顔だった。
めちゃんはママを心配そうに見つめ、そんなめちゃんの手をエマが握っていた。
「すみません。お二人のこれまでのことを知らずにお話ししていました。それは心から謝ります。でも、僕はエマをここまで笑顔にしてくれためちゃんを、なんとかしてあげたい。医者として、僕がやれることはそれくらいだと思うんです。どうか僕にチャンスをくれませんか?」
俺はいちかばちか、霊さんにそう言った。いつもはドライな感じの霊さんも、今日なら俺の話を聞いてくれそうな気がしたのだ。
「あの……めいと話し合ってみます」
小さな声で霊さんはそう言った。
「分かりました。前向きに考えてみてください。完全には治らないかもしれないけれど、今よりは快適な生活ができるように策を探します」
俺は自分の連絡先を霊さんに渡した。そんなわけで、その日はめちゃんと霊さんと別れたのだった。
俺は家に帰ってからも、どんな返事が来るだろうかと考えてしまって、なかなか寝られなかった。もし断られてしまったら、どうやって説得していいか分からない。
そんな時、俺のスマホが鳴った。
「もしもし」
恐る恐る電話に出ると、霊さんの声が聞こえた。
「もしもし。夜分にすみません」
霊さんは昼間は泣き声だったが、今は落ち着いている。
「いえ、大丈夫です」
「あの……あれからもう一度、めいと話し合ってみました。それで、幸介さんに見てもらいたいということになりまして」
「本当ですか?よかった。俺に見せてくれたら、後悔はさせません」
「はい。私たちはもう、これが最後になると思います。幸介さんを信じます。よろしくお願いします」
次の日にいつもと同じ時間に病院へ来てもらう約束をして、俺は電話を切った。エマにそれを話すと、彼女もとても喜んでくれた。
「パパ、めいちゃんを助けてあげて」
早速、俺はめちゃんの診察を始めた。諸々の検査を終えて、めちゃんの足は手術が必要だと判断したのだ。
「手術は嫌です」
「大丈夫。手術って言うと怖いけど、何も痛いことはないよ。少し眠って、目が覚めたら終わってるから。めちゃんが頑張らなきゃいけないのは、その後のリハビリだね」
「そうじゃなくて、手術って高いんでしょ。うちはお金がないもん」
しょんぼりするめいに、俺は丁寧に説明する。
「それも大丈夫。大体このくらいはかかるんだけど、今は国の補助もあるから、すごく高いお金は払わなくていいんだよ。手続きで分からないことがあれば、何なりと言ってください、霊さん」
「お恥ずかしい限りです。何から何まで、ありがとうございます」
そして、いよいよ手術の日を迎えた。
「めちゃん、頑張ってね」
「うん。私、頑張るよ」
「治ったら、私と一緒に遊んでくれる?」
「うん。一緒に遊ぶ」
二人は手を取り合って言い合っている。霊さんは優しい眼差しでそれを見ていた。
「じゃあ、どうかよろしくお願いします」
「はい。任せてください」
俺とめちゃんは手術室へ入った。
結果、手術は大成功に終わった。めちゃんは術後すぐにリハビリを頑張ってくれた。こんなに強い子だと俺も驚くほど、意欲的だったのだ。しばらくすると、めちゃんは以前よりだいぶ歩けるようになってきた。痛みがないからか、引きずって歩くこともなくなった。もう少しリハビリを続ければ、走ることだって可能だ。
「めちゃん、良かったね」
「私、めちゃんと一緒に学校に行こうかな?」
「うん。エマちゃん、一緒に行こうよ。私、エマちゃんを迎えに来るよ」
エマはめちゃんが頑張る姿に触れたのだろう。俺が待ち望んでいた一歩を、踏み出そうとしていた。胸いっぱいになっている俺に、霊さんは涙を浮かべて微笑んでくれた。初めてのその笑顔が眩しくて、俺は霊さんに特別な感情を抱くようになった。
それから、めちゃんとエマは一緒に学校に行くようになった。めちゃんはめきめきと筋肉をつけて、すっかり普通に動かせるようになったのだ。俺はやっぱり勇気を出して治療をして良かったと思った。
そしてもう一つ、俺には頑張ることができた。それは霊さんとの関係だ。
シャイな霊さんをデートに誘うのは大変だった。でも、今の霊さんは初めて会った頃と表情が全然違う。無愛想でクールな人だったが、今では柔らかい笑顔を振りまく優しい女性だ。あまりに笑顔が素敵なので、他の男が寄ってこないか心配になるくらいだった。あの患者さんのおばあちゃんにも、「最近、あのお母さん変わったわね」なんて言われたりしていた。
初めて二人で出かけた時は、お互い緊張してぎこちなかったが、次第に心を開いてくれるようになった。二人の会話はもっぱら子供たちのことが多かったが、だんだんとお互いの人生について話すことも多くなった。霊さんも俺も、お互い大切な人を失っている。亡くなったパートナーを嫌いになったわけではない。でも、そろそろ新しい人を好きになってもいいのではないかと、なんとなく考える時期に差しかかっていたのは確かだ。
二人で過ごす時間はとても楽しかった。そのうちに愚痴や弱音も吐けるようになって、俺にとって霊さんは心の支えになっていた。
そんなある日、俺とエマは霊さんの家に夕飯をご馳走になるためにお邪魔していた。
「うん、全部美味しい。めちゃんのママのご飯、私大好き」
「そうでしょ?ママ、料理上手だもんね」
四人で他愛もないおしゃべりをし、楽しい夕食の時間を過ごしていた。すると、エマが突然爆弾のような発言をしたのだ。
「ねえ、パパ、もうめいちゃんのママにプロポーズしたの?」
「え?」
俺は口の中のものを出しそうになった。霊さんも顔を真っ赤にしてどもっている。
「パパ、めちゃんのママが大好きなんでしょ?早く二人、結婚しなよ」
「そうだよ。そしたら私とエマちゃん、姉妹になれるね」
「そうだよね。嬉しい」
二人でそう盛り上がっている中、大人だけは気まずくて、もじもじしていた。
「時期が来たら言おうと思ってたんだけど、こんなタイミングで言うことになるとは……」
俺は改まって霊さんにそう言った。
「俺は、霊さんとめいちゃんが大好きです。俺たちと、家族になってくれませんか?」
霊さんも箸を置いて、俺の目を見て答えてくれた。
「是非、よろしくお願いします」
「やった!パパ、ママ、おめでとう。これで私たち、家族だね」
エマとめちゃんは両手を取り合って喜んでいる。
「よかった。振られなくて。子供たちの前で赤っ恥をかくところだったよ」
「もう、幸介さんたら」
そんなことを言い合いながら、四人で笑い合った。今この時が俺たちにとって幸せな時間だと、実感した瞬間だった。
人生は悲しいことや辛いこともあるが、幸せなことや楽しいことも同じだけあると信じたい。俺と霊さんは、二人のキューピットに縁を結んでもらい、家族になることができた。俺はこれからも、この家族を守って、幸せな人生を送るつもりだ。



