店の入り口の扉が勢いよく開いたのは、夕暮れ時の準備中だった。サングラスに派手なスーツ、太い金のネックレス。一目で普通の客じゃないと分かる男が、店内を舐めるように見回して、私を見て鼻で笑った。
「天主はお前か?」
「ええ、そうですが。まだ開店前なんです」
警戒しながらも笑顔で応えると、男は大げさに肩をすくめた。
「俺は上や木組の金田だ。この辺りは俺たちの島だ。みかじめ料、払ってねえだろ」
「みかじめ料?」
「そうだ。この店の規模なら100万だな」
あまりにも突然のことに言葉を失っていると、男は態度を変え、テーブルの上の皿を払い落とし、グラスを床に叩きつけ始めた。ガシャンという音が響くたびに、私の心臓は早鐘を打つ。
「やめてください!」
「警察にでも連絡してみろ。その前に店をめちゃくちゃにしてやるからな」
金田は電話線を引きちぎり、冷蔵庫を開けて食材を次々と床に叩きつけた。必死に止めようとする私を、男は見下ろして嗤う。
「払えなくても、どうにかしてでも払うんだよ。金策を紹介してやってもいいんだぜ」
「やめて…お願いです…」
恐怖で声が震える。その時、店の奥から騒ぎを聞きつけた母が姿を現した。
「お母さん、危ないから下がって!」
「なんだ、母親もいたのか。お前の娘が100万払えないって言うんだ。どうにかして支払わせてもらうぞ」
金田が母を脅すと、母は無表情のまま、何も言わずに奥へと引っ込んだ。逃げたのかと思った。だが、すぐに母は戻ってきた。その手には、分厚い札束があった。
「100万用意しました。これで気が済んだら、お引き取りください」
金田は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに札束を奪い取ると、満足そうに懐にしまった。
「ああ、来月も徴収に来るからな。楽しみにしてろよ」
金田は上機嫌で店を出て行った。静まり返った店内には、割れたガラスと散乱した食材が転がっている。
「お母さん…どうしてそんなお金を持ってたの?」
「そんなことより、片付けましょう。電話機も買い直さないとね」
母はいつもの優しい笑顔のまま、何事もなかったかのように片付けを始めた。胸に引っかかる違和感を抱えながらも、私はそれ以上問い詰めることができなかった。
翌朝、私は店の片付けをするために早く起きた。すると、もう身支度を整えた母が玄関に立っていた。
「今日は朝から用事があるの。店のことはお願いね」
そう言って出ていく母の様子が、昨日から少しおかしい。昨日の夜も、こそこそと誰かに電話をしていた。心配になった私は、母の後を追った。
母がたどり着いた先は、見たことのない大きな屋敷だった。門の看板には「条や木組」と書かれている。昨日、金田が名乗った組の名前だ。まさか、母がこんな場所に来るなんて。どういうことなんだ。
私は物陰に隠れて様子を伺った。すると、屋敷の中から昨日の金田が鼻歌交じりに出てきた。
「朝長に呼ばれるなんて、昨日の功績に対する褒美か。もしかしたら若頭昇進とか、あり得るかもな。それに50万儲けたしな」
金田は独り言を呟きながら、また屋敷の中へと消えていった。50万? 母が払ったのは100万のはずだ。金田は、差額の50万を自分のものにしたのか?
私はこのまま帰るわけにはいかないと覚悟を決め、屋敷の庭に忍び込んだ。窓から中の様子を覗くと、そこには母が座っていた。そして、隣にはうちの店の常連客である男性がいる。たしか、朝長という名前だったはずだ。
部屋に金田が通されると、朝長が鋭い声を発した。
「金田。お前、彼女の娘の店からみかじめ料を取ったそうだな」
「はあ…それが何か問題でも?」
「問題だ。彼女とは昔馴染みでな。俺はあの店の常連なんだ。大事な店で暴れたそうじゃないか」
「それは…俺は何も知らなかったんです!」
金田が言い訳をした瞬間、朝長が立ち上がり、その顔面に拳を叩き込んだ。金田が床に倒れると、朝長の部下たちが取り押さえて殴り始めた。
「あの店には近づくな。この組では常識のはずだったんだがな」
すると、母が立ち上がり、金田を見下ろした。
「ところであなた、昨日私が支払った100万を、本当に朝長に納めましたか?」
金田の額から冷や汗が流れる。
「何言ってんだ! ちゃんと渡したに決まってるだろ!」
「おかしいわね。俺が受け取ったのは50万だけだったはずだ」
朝長の言葉に、金田は言葉を失った。母はハンドバッグからボイスレコーダーを取り出し、再生ボタンを押した。
『今日は俺の勝ちだな。馬鹿な母子からみかじめ料として100万回収したんだよ。組には半額を収めれば問題ないだろう。今までだって同じようにやってきて、バレたことなんてねえしな』
「これは…これは何かの間違いです! 編集されてるんです!」
「編集なんかしてないわ。これはあなたが昨日、キャバクラで録音してもらったものよ。私、結構顔が広くてね。お金を払ったら、みんな協力してくれたの」
金田は開き直って叫び始めた。
「だったらなんだ! 昔馴染みの常連だったからって、朝長に告げ口しただけだろ! てめぇ自身は何の力もねぇ片田舎の女のくせに、強がってんじゃねぇよ!」
その瞬間、母の表情が変わった。
「私の娘の店を荒らした上に、娘を脅しておいて?」
母は怒りに震える手で金田の胸ぐらを掴むと、連続で顔を殴り始めた。母が誰かを傷つける姿など、初めて見た。私は呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
その時、屋敷の前に高級車が止まる音がした。車から降りてきたのは、渋いスーツに身を包んだ中年の男性。私は目を見開いた。
「お父さん…?」
仕事に出かけているはずの父が、なぜこんな場所に。私が驚きの声を漏らした瞬間、後ろから肩を叩かれた。
「お嬢さん。こちらへどうぞ」
父の部下らしき男性が、優しい表情で立っていた。私はそのまま部屋へと連れて行かれた。部屋の中では、父が金田を見下ろしていた。
「久しぶりだな。おい、組長」
「あ、組長…これは痛い…」
金田が怯えた顔をすると、母が淡々と言った。
「この人は私の夫で、鳥山組の組長よ。あなたもヤクザなら、鳥山組は分かるでしょう」
「とっ、鳥山組だと…」
金田は絶望の表情を浮かべた。そして父は冷たい声を発する。
「妻から聞いたが、お前はどうやら上納的にみかじめ料を懐に入れていたようだな。今回も娘と妻から奪った100万のうち50万を自分のものにしたそうじゃないか。妻が支払った100万を返してもらおう。それから、娘の大事な店で暴れた迷惑料として500万払ってもらうぞ」
「そ、そんな金、払えるわけないじゃないですか!」
「払えないわけがない。お前は上や木組の金にも手をつけているだろう」
「は? 何のことですか! そんなことできるわけない!」
すると母が、何やら写真のようなものを取り出して朝長に渡した。金田が組の金を横領した証拠の数々だった。
「くそっ、くそっ! なんだよ、俺は! いつまで経っても下っぱで、少しぐらい金を俺がもらったって、誰も困ってねぇじゃねぇか! なんで俺ばっかりこんな目に遭わなきゃいけないんだ!」
金田は開き直って大声で叫び始めた。父が冷たい声で朝長を見る。
「こいつは今日限り、波紋で構わないよな。金を返してもらうつもりだったが、どうもこいつの性根は生きてる限り簡単には治らねえようだ」
「もちろんです。組の金にまで手をつけたとあっては、条や木組としても許すわけにはいきません。もううちの組とは関係ねえ。鳥山組の方で海に沈めるでも山に埋めるでも、好きにしてください」
金田の体が震えるのが、私からもはっきりと分かった。
「ええ、すみませんでした! 反省しました! 金もちゃんと返すので、どうか命だけは許してください!」
金田が命乞いを始めると、父は少しだけため息を吐いた。
「死ぬよりも苦しんで生きることを選ぶということだな。いいだろう。おい、連れて行け」
父の合図で部下たちが金田を取り囲んだ。その時、母が手を挙げた。
「ちょっと待って。娘に謝りなさい」
母の凛とした声に、金田は目を見開いた後、ゆっくりと頭を床につけ、土下座を始めた。
「…本当に申し訳ありませんでした」
「もういいです。そのお金だけは、きっちり母に返してください」
私はどう答えたらいいのか分からず、絞り出すようにそう言った。母が小さく頷くと、部下たちは金田を抱えて外へ連れ出していった。
一週間後、店の修繕が終わり、再開の準備が進められていた。母の話によると、金田は波紋され、ヤクザ界からも追い出されたらしい。賠償金は支払われたものの、逆恨みした金田が母を公園に呼び出して襲おうとしたこともあったという。
「でも、あなたの攻撃を全てかわした母が『もう二度と私たちの目の前に現れるな。見逃してやるのは今回だけだ』と脅すと、金田は怯えて逃げ出してしまったのよ」
「お母さん…まさか、あの常連客が朝長だって知ってたんだね」
「ええ。でもお客さんとして来てくれてるし、お互い身分を気にせず、余計なことは言わずに楽しんでいたの」
「まさか父さんがヤクザだとは思わなかったよ。母さんもヤクザなの?」
「私は違うわ。ヤクザなのは父さんだけ。今まで隠しててごめんなさい。父さんがヤクザだからという理由で、ひなこの人生に影響を与えたくなかったのよ」
「お母さん、色々考えてくれてありがとう。正直最初は驚いたし、怖いって思ったこともあった。でも、それ以上に父さんや母さんをすごくかっこいいって思ったよ。頼もしい一面を知ることができて、誇りに思ってる」
母は照れながらも、本当に嬉しそうに笑った。数日後、私の店は無事に営業を再開した。私は大好きな母と、忙しくも充実した日々を再び送れるようになったのだった。



