「高が町の貧乏社長の葬儀なんて時間の無駄だっての」 夫の電話の向こうから、後輩の女の笑い声が聞こえた。父の葬儀の直前だった。私はその日、彼の裏切りを確信した。そして心の中で誓った。この2人を、必ず地獄の底へ落とすと。私が彼らの不倫を暴くために動き出した時、父の人徳が思わぬ形で味方になった。彼らが気づいた時には、もう手遅れだった—— 続きが気になる方は、ぜひコメント欄へ👇

「高が町の貧乏社長の葬儀なんて時間の無駄だっての」 夫の電話の向こうから、後輩の女の笑い声が聞こえた。父の葬儀の直前だった。私はその日、彼の裏切りを確信した。そして心の中で誓った。この2人を、必ず地獄の底へ落とすと。私が彼らの不倫を暴くために動き出した時、父の人徳が思わぬ形で味方になった。彼らが気づいた時には、もう手遅れだった—— 続きが気になる方は、ぜひコメント欄へ👇

「ああ。だから何?俺には関係ないでしょ。高が町の貧乏社長の葬儀なんて時間の無駄だっての。」

電話の向こうから聞こえてきたのは、全てを嘲笑うかのような夫の声だった。私は父の葬儀が始まる直前に、必死で彼に電話をかけていた。

「そんな暇あったら、もっと将来性のある人間と付き合うつうの。お前1人で見送ってやればいいだろ。俺はこれから大事な用があるから切るわ」

そう言って一方的に通話を切ろうとする彼の背後で、聞き覚えのある女の声がした。

「こうちゃん、早く切っちゃいなよ、そんなの」

私の後輩、下田花の声だった。父が亡くなったその瞬間でさえ、夫は愛人と一緒にいたのだ。怒りを通り越して、私の思考は急速に冷静になっていく。心の中で何かが静かに、しかし確実に凍りついていくのを感じた。

「わかった。好きにして」

私は短く告げ、自ら通話を切断した。そして静かに父の家を見つめ、固く誓った。人の道を外れたあの2人を、必ず地獄の底へ叩き落としてやると。

私の名前は杉岡千恵。大学卒業後、父・公明が営む町工場で事務として働き始めた。穏やかな日々だったが、愛猫の相棒が逃げ出したことで私の日常は一変する。半べそで近所を探し回っていると、知らない番号から電話がかかってきた。

「もしもし。猫ちゃんの首輪にあった番号に電話しました。探していますか?」

電話の主こそ、後に夫となる杉岡甲子郎だった。彼が教えてくれた場所へ駆けつけると、震える相棒を優しく抱きしめる彼の姿があった。動物に優しい人に悪い人はいないと確信し、私たちは自然と交際をスタートさせた。

しかし彼は、良くも悪くも少し変わった金銭感覚の持ち主だった。私の誕生日には、彼の収入に見合わない高級ブランドのバッグをくれたのだ。その直後、彼は申し訳なさそうに私に頭を下げた。

「ごめん、今月ちょっと使いすぎちゃってピンチなんだ」

その日からデートは公園での散歩や私の家でカップ麺を食べるだけの質素な生活になった。金銭的な計画性が皆無な彼に呆れながらも、根は優しい人だと信じていた。

交際から1年が経った記念日。彼が改まった表情で小さな箱を差し出した。

「俺の全財産の半分を注ぎ込んだ。千恵、結婚してください」

彼のあまりの無鉄砲さに呆れつつも、私が支えなければという気持ちが芽生えた。

「はい、喜んで。よろしくお願いします」

こうして私は彼の婚約の申し出を受け入れたのである。

プロポーズを受け入れた私は、早速両親に甲子郎を紹介するため、両家挨拶の日程をセッティングした。料亭の個室で私の両親と私が緊張した面持ちで待っていると、先に到着していた甲子郎の両親が深々と頭を下げる。

「本当に申し訳ございません。息子がまだこちらに到着しておりません」

約束の時間を30分も過ぎていた。私は慌てて甲子郎に電話をかけるが、何度呼び出しても彼が出る気配はない。

「これはどういうことかね。社会人としてあまりに非常識ではないか」

父の怒りはごもっともだった。気まずい沈黙が流れる中、ようやく折り返しの電話がかかってきた。

「もしもし。甲子郎?今どこにいるの?みんな待ってるんだよ」

すると電話の向こうから、彼の焦った声ではなく、陽気な声が聞こえてきた。

「ナイスショット」

一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

「え、今なんて?」

「あ、ごめん、ごめん。今大事な取引先の接待ゴルフでさ、急に呼ばれちゃってどうしても断れなかったんだよ」

父が私のスマートフォンをひったくり、スピーカーモードにして叫び出す。

「君は娘との将来とゴルフとどちらが大事なんだ?」

「申し訳ありませんが、これも仕事ですので。埋め合わせは必ずします」

一方的に電話は切られ、その場は最悪の雰囲気に包まれた。結局、その日の挨拶は中止となった。

その夜、私が自宅で落ち込んでいるとインターフォンが鳴る。そこに立っていたのは、なぜか全身泥まみれの甲子郎だった。彼の手には立派な山菜や高級そうなキノコが大量に抱えられていた。

「本当にごめん。お詫びと言ってはなんだけど、これ、さっきのゴルフ場の近くで必死に採ってきたんだ。お父さんとお母さんに渡してくれないか?」

彼の必死な姿に、私は少しだけ毒気を抜かれてしまう。

「でも、ゴルフの声は……」

「あれは近くでプレイしてた他人の声だよ。俺は接待そっちのけで、ずっと千恵の家族が喜んでくれそうなものを探してたんだ」

あまりに突拍子もない言い訳だったが、彼のボロボロの姿を見ていると、それも本当なのかもしれないと思えてくる。後日、山菜とキノコを実家へ持っていくと、あれだけ怒っていた両親も彼の必死さに呆れ、最終的には笑って許してくれたのである。

その後、私たちは結婚式の準備を始めた。しかし彼は「仕事が忙しい」の一点張りで、準備には全く協力的ではなかった。

「ねえ、ウェディングドレスなんだけど、どっちのデザインがいいと思う?」

「うーん。どっちでも似合うんじゃない?千恵の好きにしてよ」

式場のパンフレットを見せても、彼は碌に見ようともしない。結局、衣装選びから式場の決定、招待客のリストアップまで、そのほとんどを私1人で行うことになった。孤独を感じることもあったが、これも彼を支えるということなのだろうと自分に言い聞かせて準備を進めた。

そしてあっという間に結婚式当日を迎えた。多くの友人や親族が祝福してくれる中、1人の女性がスピーチのために高砂へと歩み寄ってきた。大学時代の後輩で、現在は大学病院の院長令嬢である下田花だった。彼女の父親は次の国政選挙への出馬が有力視されている地元の名士であった。

「千恵先輩、ご結婚おめでとうございます。先輩の幸せそうな姿を拝見できて、私も本当に嬉しいです」

花がにこやかに祝辞を述べている間、隣に座る甲子郎がうっとりした表情で彼女を見つめていた。そして彼は私の耳元で、小さな声でこう囁いたのだ。

「あの子、本当に可愛いな」

祝福の言葉に包まれる華やかな披露宴会場で、私の胸には小さな棘が刺さったような違和感が残った。

結婚生活が始まって半年が過ぎた。甲子郎は相変わらず仕事を理由に帰りが遅い日が多かったが、私は夫を支える妻としてそれを信じて疑わなかった。

ところがある日、友人から送られてきた写真に映っていた店の名前を検索した際、私はスマートフォンの画面に表示された「知り合いかもしれません」の欄に見覚えのある顔を見つけてしまう。大学の後輩である下田花のアカウントだった。軽い気持ちでそのアカウントをタップした私の目に飛び込んできたのは、私の知らない甲子郎の姿がこれでもかというほど並んでいる、帯付きのカップル写真だった。

高級ホテルのスイートルームでシャンパンを片手に寄り添う2人。海外のリゾート地でお揃いのサングラスをかけて微笑む2人。そして私の目を釘付けにしたのは、見覚えのある場所で撮影された1枚の写真だった。それは甲子郎が全身泥まみれで我が家を訪れた、あの両家挨拶の日に投稿されたものだった。

写真の中で甲子郎は泥一つついていない綺麗なスーツを着て、満面の笑みで花の隣に立っている。2人の足元には、私が父に届けたものと全く同じ立派な山菜やキノコが山になった高級スーパーの袋が置かれていた。その投稿には、私を嘲笑うかのようなコメントが添えられていた。

「大事なゴルフの後はこうちゃんのおねだりで3歳パーティー。婚約者さん騙されてて受けるんだけど」

別の投稿では、私が1人でウェディングドレスを選んでいた日に、2人が高級ブランド店でペアリングを購入している写真もあった。

「結婚式の準備で忙しい彼女さんごめんなさい。でも本命は私だから許してね」

血の気が引いていくのが自分でも分かった。両家挨拶の日、彼はゴルフ場にいたと言っていなかったか。私が夫のためにと1人で結婚式の準備を進めていた全ての時間、彼は花と関係を重ね、私を笑い物にしていたのである。彼の嘘と裏切りに、全身が激しく震えた。

しかし私の怒りと悲しみを、さらに深い絶望へと突き落とす出来事が間もなくして起こった。父・公明が倒れたのだ。診断は過労による心不全だった。父はお人好しな性格から、資金難に苦しむ取引先や知人を助けるために身を削って働き続けていたのである。

「あそこの店の回転資金は親父さんが黙って貸してやったんだ」

「俺が事業に失敗した時、保証人になってくれたのは社長だけだった」

後から聞く話は、父の優しさを物語るものばかりだった。その無理がたたり、父は帰らぬ人となった。悲しみに暮れる暇もなく、私は喪主として葬儀の準備に追われることになる。通夜と告別式には、父の人柄を慕う本当に多くの人々が参列してくれた。町工場の従業員や取引先はもちろん、地元の商店街の店主たちまで、誰もが父の死を悼んで涙を流してくれた。

しかし、その場にいるはずの甲子郎の姿だけがどこにも見当たらなかった。何度も電話をかけるが、コール音が虚しく響くだけだ。親戚からは「旦那さんはどうしたんだ?」「なんて情けない男だ」と攻められ、私はただ頭を下げることしかできない。告別式が始まる直前、ようやく彼に電話が繋がった。

「もしもし、甲子郎。今どこにいるの?もうすぐお葬式が始まるんだよ。お願いだから顔だけでも出して」

私の必死の訴えに対し、電話の向こうから聞こえてきたのは、全てを嘲笑うかのような明るく弾んだ声だった。

「ああ。だから何?俺には関係ないでしょ。高が町の貧乏社長の葬儀なんて時間の無駄だっての」

その言葉は私の心に深く冷たく突き刺さった。

「そんな暇があったら、もっと将来性のある人間と付き合うつうの。お前1人で見送ってやればいいだろ。俺はこれから大事な用があるから切るわ」

電話の向こうから「甲子郎、早く切っちゃいなよ、そんなの」という、紛れもない花の暢気な声が聞こえた。怒りを通り越し、私の頭は急速に冷静になっていく。全ての感情が消え去り、心の中に静かで硬い何かが生まれたのを感じた。

「わかった。好きにして」

私はそれだけを告げ、自らの手で通話を終了させた。そして静かに父の家を見つめ、固く、固く誓った。父が残してくれた人の繋がり、その温かさを無惨に踏みにじったあの2人を、この手で地獄の底に叩き落としてやると。

甲子郎との電話を切った後、私は呆然と立ち尽くしていた。父が築き上げてきた全てを、あの男は土足で踏みにじっていったのである。込み上げる怒りと悲しみで唇を噛みしめていると、背後から穏やかで、しかし芯の通った声がかけられた。

「千恵ちゃん。辛かっただろう。だが、もう大丈夫だ」

振り返ると、そこに立っていたのは父の古くからの親友であり、私が幼い頃から実の孫のように可愛がってくれていた鬼ヶ原正さんだった。彼は現在、日本の政治を動かす与党の幹事長を務める政界の重鎮である。父は生前、鬼ヶ原さんとの関係を自慢するようなことは一切なかった。しかし、一国の政治を左右するほどの人物が多忙な時間を割いて父の葬儀に駆けつけてくれたという事実が、父の人徳の厚さを何よりも雄弁に物語っていた。

「鬼ヶ原さん。お父さんが……」

「知っている。公明君は、わしにとって最高の友人だった。彼のいない日本は、あまりに寂しい」

彼の優しい言葉に、こらえていた涙が堰を切ったように溢れ出す。私は泣きじゃくりながら、これまでの全てを鬼ヶ原さんに打ち明けた。甲子郎が私の前から姿を消した両家挨拶の日のこと。花という後輩の存在と、結婚前から続いていた裏切りの数々。そして、父の死を「貧乏社長の葬儀」と嘲笑った、あの許しがたい暴言の全てを。

私の話を聞き終えた鬼ヶ原さんは、それまでの穏やかな表情を一変させ、静かな、しかし燃えるような怒りをその瞳に宿らせた。

「なるほどな。わしの親友であり、日本の宝とも言うべき技術者であった公明君を『貧乏社長』だと?」

彼の全身から放たれる凄まじい気迫に、周囲の空気さえも凍りつくようだった。

「そして、その不貞の相手が大学病院の下田院長の娘だと?許せん」

鬼ヶ原さんは懐からスマートフォンを取り出し、隣に控えていた秘書に低く、しかし明瞭な声で指示を出した。

「今すぐ下田院長に電話をつなげ。わし個人の携帯からだ」

秘書が慌ただしく電話をかける。数コールで繋がった電話を、秘書は恭しく鬼ヶ原さんに手渡した。

「もしもし。下田君かね。鬼ヶ原だ。単刀直入に言う。君に出向していた国政選挙への出馬要請だが、今この瞬間を持って全て白紙にさせてもらう」

電話の向こうで下田院長が息を飲む気配が伝わってくる。

「理由は、君の教育方針と、それに伴う君自身の人間性に重大な疑義が生じたからだ。異議は認めん」

一方的にそれだけを告げると、鬼ヶ原さんは通話を終了させた。それからわずか15分後のことである。葬儀場の入り口が騒がしくなり、息を切らした1人の男が、文字通り転がり込むようにして式場へと入ってきた。大学病院院長・下田啓介、その人だった。彼は参列者たちの間を掻き分けるように進むと、鬼ヶ原さんの姿を認めるなりその場に崩れ落ちた。そして周囲の目も一切はばからず、土下座をしたのである。

「お、鬼ヶ原先生、これは一体どういうことでございましょうか?私が何か先生のお気に触るようなことをいたしましたでしょうか?」

政治家生命をかけた大事の話が消えたのだ。彼の必死さは当然と言える。しかし鬼ヶ原さんはそんな彼を冷たい目で見下ろしながら、静かに言い放った。

「まずは亡き友、公明君に手を合わせるのが人としての筋ではないのかね、下田院長」

その言葉に下田院長ははっとしたように顔を上げ、父の遺影と自分の愚かな行動を見比べて、さらに顔を青くさせるのだった。

下田院長は鬼ヶ原さんの厳粛な言葉に促され、おぼつかない足取りで父の祭壇へと進み、深々と頭を下げた。その震える背中に向かって、鬼ヶ原さんは静かに、しかし式場全体に響き渡る声で語りかけた。

「公明君は、君の病院で使われている特殊な医療器具の部品を、長年にわたり無償で提供し続けていたのを、君は知っているかね?」

下田院長は驚愕に目を見開き、ゆっくりと振り返った。

「そ、それは本当でございますか?私はそのようなことは一切……」

「彼はそういう男だ。決して恩を着せるようなことはしない。だが、その恩を仇で返すような真似を、君の娘がしでかしてくれたようだ」

そこで初めて、下田院長は事の重大さを理解したのだろう。鬼ヶ原さんの口から娘である花と、私の夫である甲子郎の不倫関係。そして2人が父の葬儀を無視し、あろうことか侮辱した事実が語られると、彼の顔からは完全に血の気が失せた。

「そ、そんなバカな。うちの花がそのような非道なことを……」

信じられないという表情で呻く下田院長に、鬼ヶ原さんは冷徹に告げた。

「事実だ。そして、その愚かな娘を育て上げたのは、紛れもなく君自身だ。下田院長」

下田院長はわなわなと震えながらポケットからスマートフォンを取り出した。そして震える指で番号をタップし、耳元へと当てる。電話の向こうで花の呑気な声が聞こえたのだろう。次の瞬間、下田院長の怒声が式場に響き渡った。

「まっすぐここに来い!杉岡君とやらも一緒だ!いいから来いと言ってるんだ!このバカどもが!」

電話を切った下田院長は、再び鬼ヶ原さんの前にひれ伏し、ただひたすらに謝罪を続ける。それからほどなくして、1台の派手なスポーツカーがエンジンを響かせながら葬儀場の前に乗り付けた。車から降りてきたのは、高級ブランドの服に身を包んだ甲子郎と花だった。2人はめんどくさそうに腕を組みながら式場へと入ってくる。

「ちょっとお父さん、大声出して何なのよ。高が貧乏社長のお葬式でしょ。私たち、これからディナーの予約があるんだから」

周囲の悲しみに沈む参列者たちを嘲笑うかのような花の言葉に、式場の空気が一瞬で凍りついた。甲子郎もそんな花を窘めるどころか、下田院長に呆れたような視線を向ける。

「そうですよ、お父さん。こんな人気のない場所に長居するのは時間の無駄です。それより僕たちの将来について、もっと建設的な話をしましょうよ」

その時だった。それまで黙って甲子郎の顔を見ていた私が、静かに口を開いた。

「私と結婚したのは、私が経営者の娘だったからなのね」

甲子郎は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに開き直ったように薄気味悪い笑みを浮かべた。

「ああ、そうだよ。社長令嬢と結婚すれば俺の人生も安泰だと思ったからな。まさかこんなしがない町工場の貧乏社長だったとは。そこがっかりさせられたぜ」

彼は集まった200人以上の参列者たちの前で、臆面もなくそう言い放った。

「でももういいんだ。俺には大学病院の院長令嬢である花さんがいる。これからは花さんと一緒に、もっと高みを目指すことにしたんでね」

そう宣言すると、甲子郎は下田院長の足元に駆け寄り、媚びへつらうような満面の笑みを浮かべた。

「見てください、お父さん。あんな貧乏社長なんかより、社会的な地位も資産もお持ちのお父さんの方が、何百倍も立派です。これからは僕がお父さんの右腕となって、全力でサポートさせていただきますから」

必死に媚びを売る甲子郎の姿は、醜悪そのものであった。しかし下田院長はそんな彼を、血を吐く虫でも見るかのような冷えきった目で見下ろすと、静かに、しかしはっきりと告げたのである。

「黙れ。貴様のような男に、お父さんと呼ばれる筋合いは一切ない」

その拒絶の言葉は、未来が完全に断たれたことを示す無慈悲な宣告だった。下田院長からの完全な拒絶を受け、甲子郎と花は呆然とその場に立ち尽くしていた。自分たちの犯したことの重大さを、ようやく理解し始めたのだろう。

しかし彼らを取り巻く地獄は、まだ始まったばかりであった。父の葬儀には政界の重鎮である鬼ヶ原さんが出席することもあり、有力者の動向を取材しようと多くの報道人が詰めかけていたのである。彼らはこの政界の不倫劇と御仁への冒涜という、またとない格好のネタを決して見逃さなかった。院長令嬢と既婚男性の不貞、亡き御仁の葬儀の場で繰り広げられたあまりに非常で身勝手な暴言の数々。その一部始終はまたたく間にテレビのニュース速報やネット記事として日本中に拡散されていく。SNSでは2人の顔写真付きで情報が拡散され、前代未聞の大炎上騒ぎに発展した。

「人間のクズとはこいつらのことだ」

「こんな奴らがのうのうと生きてるなんて許せない」

日本中から非難の声が殺到したのである。

この騒動の余波は、すぐに甲子郎の職場にも及んだ。彼が務める会社の社長は、かつて父の技術支援がなければ倒産の危機を免れなかったという、大きな恩義を感じている人物の1人だった。

「杉岡君。君を雇ったのは、公明さんのご令嬢の夫だったからだ。その御仁の顔に泥を塗るような真似をした君を、我が社に置いておくことはできない」

本来であれば即刻解雇されてもおかしくない状況だった。しかし社長は「公明さんへの最後の恩返しだ」と言い、甲子郎を解雇する代わりに、人の目につかない地下の資料室へと左遷し、給料も最低限の額まで大幅に減額する処分を下す。甲子郎の社会的生命は、事実上ここで断たれたも同然だった。

さらに父が地域に残した人徳の輪は、彼らの私生活をも確実に蝕んでいく。甲子郎は会社の付けで近所の居酒屋を毎日のように利用していた。その居酒屋の店主もまた、店の回転資金を父に融通してもらったという恩がある人物だった。

「おい、甲子郎。お前、もう2度とこの店の敷居をまたぐんじゃねえぞ。公明さんの顔を潰すような恩知らずに食わせる飯は、うちにはねえんだ」

そう言い放つと、店主は甲子郎の顔に1枚の請求書を叩きつけた。

「これまでのツケだ。男なら一括で綺麗に払っていきやがれ」

そこに書かれていた金額は、甲子郎が到底すぐに支払えるような額ではなかった。

制裁の刃は当然、花にも向けられる。彼女が自慢の美貌を維持するために通い詰めていた会員制の高級スポーツジム。そのオーナーは創業時に父から画期的なトレーニングマシンの設計協力を受けたことで、事業を軌道に乗せることができた1人である。ジムの支配人は花に冷たく言い放った。

「下田さん、大変申し訳ございませんが、本日付けで強制退会とさせていただきます。亡き御仁のご令嬢を悲しませるような方を会員としてお迎えすることは、当施設のイメージに反しますので」

同じように、彼女が常連だった高級エステサロンやネイルサロンからも、次々と出入り禁止の通告が届く。それらの店のオーナーたちもまた、父の人脈紹介や経営アドバイスに救われた過去があったのだ。そしてあれだけ花を持ち上げていた女子会の仲間たちも、父親である下田院長の失脚や今回の騒動のとばっちりを警戒し、手のひらを返したように彼女の元から去っていった。2人は、父が築き上げた温かい人の輪によって、その居場所の全てを奪われたのである。

社会的な信用と居場所の全てを失った花だったが、その傲慢なプライドは少しも揺らいでいなかった。彼女は周囲の冷たい視線を物ともせず、こう豪語したのである。

「別にいいわよ。ジムもエステも、もっといいところを探せばいいだけだし。それに私と甲子郎の間には、誰にも邪魔できない真実の愛があるんだから」

そして勘当を言い渡そうとする父・下田院長の制止を振り切り、わずかな荷物だけを持って家を飛び出した。

「お父さんなんて大嫌い。私は甲子郎と2人で新しい人生をスタートさせるわ」

一方の甲子郎も、会社での惨めな待遇に耐えきれなくなっていた。地下の資料室で誰とも顔を合わせることなく、ただひたすら古い書類を整理するだけの毎日。プライドだけは異常に高い彼にとって、それは耐えがたい屈辱だった。我慢の限界になった彼は社長室に乗り込み、辞表を叩きつけたのである。

「こんな会社、こっちから願い下げだ。俺はもっとビッグになって、あんたたちを見返してやるからな」

こうして2人は世間からの非難を尻目に、まるで悲劇のヒーローとヒロインにでもなったかのような気分で、2人だけの新生活をスタートさせた。

しかし現実がそんなに甘いはずもない。元々金銭感覚が完全に破綻している甲子郎と、生まれた時から金の苦労などしたことのないお嬢様育ちの花。そんな2人に、まともな生活が送れるはずもなかった。あれだけ豪語していた花の「真実の愛」は、銀行口座の残高が減っていくにつれて急速に色あせていく。

最初は都心のタワーマンションに住んでいたが、家賃が払えなくなり、すぐに追い出された。その後、いくつものアパートを点々としたが、どこも長続きはしない。甲子郎は日雇いの肉体労働などで食いつなごうとするものの、きつい仕事に耐えられずすぐにやめてしまう。花に至っては、その高すぎるプライドが邪魔をして、アルバイトの面接にすら行こうとしなかった。

「私がコンビニでレジ打ちなんてありえないでしょ。世間が何て言うか分かんないの?」

「じゃあ、どうするんだよ。俺が稼いだ金だけじゃもう生活できないんだぞ」

かつて高級レストランで愛をささやき合っていた2人の姿は、もうどこにもない。今では家賃5万円の日当たりの悪いボロボロのアパートの一室で、互いの遣いの荒さを罵り合うだけの毎日であった。贅沢な暮らしに慣れきった2人の生活レベルは、そう簡単には落とせない。食事は日に日に貧しくなり、ブランドものの服やバッグは生活費のために1つ、また1つと手放していく。そしてあれだけお互いを運命の人と呼び合っていた2人の関係は、日に日に冷えきっていった。

「お前がもっと計画的に金を使っていれば、こんなことにはならなかったんだ」

「あなたの稼ぎが悪いのがいけないんでしょ。甲子郎のせいよ」

互いを罵り、憎しみ合う声だけが狭い部屋に虚しく響く。父が残した人徳の輪から弾き出された2人は、自らの愚かさと身の程知らずさによって、あっという間にどん底の貧乏生活へと転落していったのである。

甲子郎と花が転落の道を突き進んでいる間、私は淡々と法的な手続きを進めていた。父の葬儀から1ヶ月後、甲子郎との離婚は正式に成立した。そして私は弁護士を通じ、元夫である甲子郎とその不倫相手である花の双方に対し、多額の慰謝料を請求したのである。当然、2人が素直に支払いに応じるはずもなかった。私の元に届いた配達証明付きの郵便には、彼らの汚い字でこう書かれていたのだ。

「一円とも払うつもりはない。貧乏人は麦でも食ってろ」

しかし、そんな彼らの反応は全て私の想定の範囲内であった。私が彼らの不倫をSNSで発見したあの日から、私の復讐はもう始まっていたのである。私はすぐに究極の弁護士に連絡を取り、水面下で黙々と準備を進めていた。探偵を雇い、2人の密会の証拠は完璧に抑えてある。さらに弁護士の協力のもと、2人がそれぞれ所有する隠し口座や資産状況は完全に把握済みであった。2人が支払いを拒否したことで、私は一切の躊躇なく次の段階へと駒を進めた。

裁判所から強制執行の通知が届いた時、2人はようやく事の重大さに気づいたようである。甲子郎と花が住むボロボロのアパートに、執行官たちが乗り込んでいく。差し押さえの対象は、彼らが最後まで手放さなかった高級腕時計やブランドバッグなど、換金可能な全ての私物に及んだ。

「やめて!これは私のお父様に買ってもらった大切なものなのよ!」

「ふざけるな!これは俺が汗水垂らして稼いだ金で買ったもんだ!」

2人の虚勢ともいえない絶叫がボロアパートに虚しく響き渡る。しかし法の前では、そんな言い訳が通用するはずもなかった。全ての財産を失った2人は、当然のように家賃も払えなくなり、アパートを追い出されることになった。甲子郎は泣きながら実家に電話をかけたようだが、「杉岡の恥さらしめ。2度と連絡してくるな」と完全に勘当されたそうだ。花もまた父親である下田院長に連絡を試みたものの、電話番号は変えられ、実家の門前で追い返されたと風の噂で聞く。

頼るべき場所を全て失った2人は、最終的に路上生活者へと転落したのである。父の恩と人の温もりを踏みにじった彼らにとって、それはあまりにふさわしい罰であった。

一方、私は父の会社を信頼できる後継者に譲り、新たな人生を歩み始めている。父の葬儀に参列してくれていた若手の実業家の1人が、私を熱心にスカウトしてくれたのだ。彼は父が生前に無償で提供した技術アドバイスによって、会社を大きく成長させることができた人物だった。

「あなたの誠実な人柄と事務処理能力は、公明社長のお墨付きだ。是非、私の会社でその力を貸してほしい」

私は彼の申し出を受け、大手企業で重要なポジションを任されることになった。そしてその新しい職場で、私は運命的な出会いを果たしたのである。彼は私の父・公明の仕事ぶりとその温かい人柄を心から尊敬している、誠実で優しい男性だった。

「君のお父さんのような偉大な技術者になるのが、僕の夢だったんだ。君を見ていると、公明さんの面影を感じるよ」

私たちは父の思い出を語り合ううちに、自然と惹かれ合っていった。父が残してくれた人の縁は、私の深い悲しみを癒し、そして新しい幸せへと導いてくれたのである。

天国のお父さん。見ていてくれるだろうか。私は今、あなたの娘であることを心から誇りに思う。

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