「あなた、これで最後にしましょう」
お盆の朝、私は仏壇の前で夫の写真に手を合わせながら、そう心の中で語りかけていました。今日は家族そろっての墓参りです。
夫を亡くしてから、市役所を定年退職してから、毎朝こうして夫と話すのが日課になっています。45年間働いて、これからは息子家族との時間を大切にしたい。そう願っていたのに、最近の嫁のみすずの態度はどこか冷たくなっていました。
「お母さん、今日は早めに終わらせてもらえますか」
玄関に現れたみすずは、不機嫌そうな表情でそう言いました。車に乗り込むと、みすずが工事に小声で話している声が聞こえてきました。
「お母さんからの嫁いびり、もう我慢の限界」
その言葉に、私は思わず息をのみました。でも、二人は私の声など聞こえないかのように、前を向いたままです。
私はこれまでの日々を思い返していました。大学までの教育費2500万円。結婚のときの結納金500万円。マイホーム購入の頭金1000万円。月々15万円の生活費援助、もう8年になります。総額3500万円以上。市役所で45年かけて貯めた退職金と貯金のほとんどを、息子家族のために使ってきたのです。
それなのに、最近のみすずは何かにつけて文句を言います。
「お母さん、この掃除の仕方は違います」
「もっとちゃんとやってください」
料理の味付けから洗濯物の畳み方まで、全てにケチをつけられる日々。それでも私は嫁なんてこんなものだと思い、みすずも仕事と育児で疲れているのだろうと我慢してきました。
墓地に着くと、夏の日差しが容赦なく照りつけていました。夫の墓を拭きながら、私は心の中で語りかけます。
「あなた、今年もお盆に来ましたよ」
すると、背後からみすずの鋭い声が飛んできました。
「お母さん、そんな掃除の仕方じゃだめです。もっと丁寧にやってください」
振り返ると、腕を組んだみすずが不満そうに立っています。私は戸惑いながらやり直しましたが、みすずの不満は収まりません。
「お父さんがかわいそうじゃないですか。こんな雑な掃除じゃ」
そんな言葉に胸が締めつけられる思いでした。45年間夫と二人三脚で生きてきた私が、夫の墓を粗末に扱うはずがないのに。
線香を取り出して火をつけようとすると、今度は工事が口をはさみました。
「母さん、線香のあげ方が違うよ。そんなやり方じゃだめだって」
いつからこんなに私を責めるようになったのでしょうか。工事の大きな声に、周りで墓参りをしている人たちが振り返るのがわかりました。恥ずかしさと悲しさで顔が熱くなります。
そこへ、みすずの両親が合流してきました。私は少しほっとしました。場の空気が和らぐかもしれないと期待して。でも、その期待は見事に裏切られます。
「光子さん、実はみすずから聞いているんですけど」
みすずの母親が険しい顔で近づいてきました。
「あなたの嫁いびりで、みすずが病んでいるそうじゃないですか」
私は言葉を失いました。嫁いびり? 一体なんのことでしょう。
「嫁として最低ですよ。みすずがどれだけ苦しんでいるかわかっていますか」
みすずの父親も怒り出します。周囲の視線が痛いほど突き刺さってきます。
「私が嫁いびりなんて、そんなことは一度も」
震える声でそう言いかけたとき、みすずが涙を流し始めたのです。
「お母さんは私のやることなすこと全てに文句を言うんです。料理も掃除も育児も、何をやっても認めてくれない」
それは全く逆でした。文句を言われているのは私の方なのに。でも、みすずの涙に、工事もみすずの両親も完全に騙されているようでした。
「母さん、みすずをいじめるのはやめてくれ」
工事の言葉が、鋭い刃のように私の心に突き刺さります。
「光子さん、あなたは本当にひどい人ね。みすずは毎晩泣いているんですよ。あなたのせいで」
その言葉を聞いたとき、私の中で何かが音を立てて壊れるような気がしました。毎晩泣いている。私こそ、みすずの冷たい態度に傷ついて眠れない夜を過ごしているというのに。
「お母さん、私も限界なんです」
みすずが大げさに肩を震わせながら言います。その演技じみた素振りで、私はようやく気づきました。これは全て計画的に仕組まれているのではないかと。
「光子さん、今すぐみすずに謝りなさい」
みすずの父親が圧力的な口調で迫ってきます。まるで私が本当に悪い嫁であるかのような視線を向けられる中、私は立ち尽くすしかありませんでした。
「私が何を謝るんですか」
やっとの思いで絞り出した言葉も、誰の耳にも届かないようでした。工事はみすずの肩を抱き、まるで私から守るようなそぶりを見せています。
「母さん、いい加減にしてよ。みすずの実家にまで恥をかかせるつもりか」
その言葉で、私は完全に孤立してしまったことを悟りました。夫の墓の前で、こんな見苦しい争いをしなければならないなんて。
すると、みすずが突然大きな声をあげたのです。
「お母さんの嫁いびりはもう許せません! 」
その叫び声は墓地中に響き渡りました。みすずは周囲の人たちに向かって訴え始めます。「みんな聞いてください。この人は私を毎日いじめているんです」
まさかの展開に、私は言葉を失いました。お盆の墓地という神聖な場所で、こんな騒ぎを起こすなんて。
「みすずさん、ここは墓地ですよ。静かに」
私がそう言いかけた瞬間、工事が前に出てきました。息子の顔は怒りで真っ赤に染まっています。その表情は、まるで私を憎む敵を見るような冷たさでした。
「母さん、いい加減にしろよ」
工事の怒鳴り声に体がびくりと震えます。幼い頃から大切に育ててきた息子が、こんなに激しく私を責めるなんて。あの優しかった工事は、もうどこにもいません。
「嫁いびりはやめろって言ってるだろう」
その言葉と同時に、工事が私を強く突き飛ばしました。よろけて後ろに下がった私は、墓石に足を取られそうになります。周りの参拝者たちの驚いた視線が、私に突き刺さります。
「工事、やめなさい。お父さんの前なのよ」
必死でバランスを取ろうとする私に、工事はさらに近づいてきます。その目には、今まで見たことのない冷たい光が宿っていました。
「母さんのせいでみすずが苦しんでるんだ。わからないのか」
そして次の瞬間、信じられないことが起きました。工事が足を振り上げて、私の足を蹴ったのです。夫の墓の前で、夫が眠る場所で、息子に蹴られるなんて。
膝から伝わる痛みが、じわじわと全身に広がっていきました。
「これ以上みすずをいじめたら許さないからな」
工事の言葉が、まるで他人のもののように聞こえてきます。これが本当に私が愛情を込めて育てた息子なのでしょうか。夜中に熱を出せば徹夜で看病したあの子なのでしょうか。
みすずの両親も、まるで当然のような顔をして見ています。いえ、むしろ満足そうな表情さえ浮かべているように見えました。まるでこれが計画通りだとでも言うように。
「最低な嫁ですね。息子さんが怒るのも当然です」
みすずの母親がそう言い放ちます。周囲の参拝者たちも、ひそひそとささやき合っていました。きっと私が本当に悪いのだと思っているのでしょう。
「お母さん、私たちはもう限界なんです」
みすずが工事の腕にすがりつきながら言います。その姿は、まるで暴力的な嫁から守ってもらっている被害者のよう。でも、実際は全てが逆なのです。この茶番の中で、私だけが真実を知っているのです。
膝をついたまま顔をあげると、工事が冷たい目で私を見下ろしていました。その視線には、かつての親子の絆のかけらも見当たりません。
「母さん、みすずに謝れよ。土下座して謝れ」
土下座。息子が母親に土下座を要求するなんて。しかも墓参りの場で、夫の墓前で。45年間働き続けてこの子を育てあげた母親に対して。
「工事、私は何も悪いことはしていないわ。お父さんに誓って」
震える声でそう言ったとき、みすずの父親が割って入ってきました。
「まだ言い訳するんですか。同情の余地もないですね」
その瞬間、私の中で何かが完全に壊れてしまったような気がしました。今まで必死に守ってきた家族という幻想が、音を立てて崩れていく感覚。
「光子さん、あなたみたいな嫁がいるから若い夫婦が苦しむんですよ」
みすずの母親の言葉が追い打ちをかけます。でも、私にはもう反論する気力も残っていませんでした。真夏の暑さと心の痛みで、意識が遠のきそうです。
膝の痛みよりも、心の痛みの方がずっと深い。3500万円という莫大な援助をし、孫の世話も家事も全て息子家族のために尽くしてきたのに。その結果が、墓前での暴力と屈辱だなんて。
「母さん、わかったか? これ以上みすずに近づくな」
工事の最後通告のような言葉が耳に響きます。立ち上がろうとする私を、誰も助けてはくれません。
ゆっくりと立ち上がった私は、夫の墓を見つめました。墓石に刻まれた夫の名前が、涙でにじんで見えます。
「あなた、見ていますか?

工事が私を蹴りました。あなたの大切な息子が」
心の中で夫に語りかけながら、私は一つの決意を固めていました。もう限界です。息子への愛情も、援助も、全て終わりにする時が来たのかもしれません。
この瞬間、私の中で何かが完全に変わったのです。
墓地から帰宅した私は、一人静かに座っていました。膝の痛みはまだ残っていますが、それよりも心の傷の方がずっと深い。工事たちは墓参りの後、何事もなかったかのように実家に寄ることもなく帰っていきました。きっとみすずの実家で、私の悪口で盛り上がっているのでしょう。
「もう終わりにしなければ」
私はそうつぶきながら、書斎の引き出しを開けました。そこには、今までの援助の記録が全て保管されています。通帳のコピー、振り込み明細、領収書。几帳面な性格が幸いして、全ての記録が残っていました。市役所で45年間培った書類管理の習慣が、今役に立つ時が来たのです。
教育費1500万円の明細を見返すと、工事の大学時代の笑顔が思い出されます。入学式の日、「母さん、ありがとう」と言ってくれたあの顔。でも、もうその思い出に縛られている場合ではありません。
結婚資金500万円。住宅購入の頭金1000万円。そして月々15万円の生活費援助が8年間で1440万円。総額にして3440万円以上。私の退職金と貯金のほとんどを、息子家族に捧げてきたのです。自分の服は何年も買わず、美容院にも行かず、友人との外食も断って。全ては工事のため、孫のためだと思って。
これだけ援助して、蹴られるなんて。苦い笑いが込み上げてきました。
でも、実は援助の話だけではないのです。私には、工事たちが知らない重要な事実がいくつかあります。
まず一つ目は住宅ローンの連帯保証人。工事がマイホームを購入する際、私が連帯保証人になっていました。もし私が保証人を降りれば、銀行は別の保証人を要求するか、最悪の場合は一括返済を迫ってくるでしょう。
二つ目は土地の名義。実は工事の家が立っている土地の一部は、私の名義になっています。夫が生前、相続税対策として私名義で購入した土地を、工事に使わせていただけなのです。
三つ目は会社への申告。工事は会社に私を扶養家族として申告し、扶養手当を受け取っています。でも実際は私が工事を援助している。これは明らかな不正受給です。
「全部終わりにしましょう」
私は携帯電話を手に取りました。まず銀行に連絡です。連帯保証人の解除手続きについて相談したいと伝えると、担当者は正当な理由が必要だと説明します。
「実は息子から暴力を受けまして、もう関係を断ちたいんです」
暴力という言葉に、担当者の声のトーンが変わりました。
「それは大変でしたね。暴力被害の場合は特例として解除が認められることがあります。診断書などの証拠があれば、手続きを進められます」
診断書。そうだ、膝の傷を見てもらわなければ。病院で診断書を取れば、暴力の証拠になります。
次に私は知り合いの弁護士に電話しました。市役所時代からお世話になっている田中弁護士です。
「光子さん、お久しぶりです。どうされました? 」
事情を説明すると、田中弁護士は真剣な声で答えてくれました。
「それはひどい話ですね。土地の明け渡し請求も可能ですし、今までの援助金の一部返還請求もできるかもしれません」
返還請求もできるのですか? 「はい。暴力を振るわれたという事情があれば、不法行為に基づく損害賠償請求として認められる可能性があります。息子さんはあなたの好意に基づく援助を受けながら、その好意を裏切ったわけですから」
私の中で、復讐の炎がメラメラと燃え上がってきました。今まで我慢してきた分、きっちりと清算する時が来たのです。
夕方になって、私は全ての準備を整理しました。明日から動き始めます。まず病院で診断書を取り、保証人解除の手続き、弁護士と正式な契約、そして会社への通報。
「お父さん、見ていてください」
仏壇の前で手を合わせながら、私は静かに決意を新たにしました。工事への援助は今日で終わりです。墓前で私を蹴った息子に、もう情けは無用です。
翌朝、私は早速行動を開始しました。まず病院で膝の診察を受けると、医師が心配そうな顔をしています。
「これはひどい打撲ですね。どうされたんですか? 」
「実は息子に蹴られまして」
医師の表情が一変します。親への暴力は、医療関係者にとっても見過ごせない問題なのです。
「診断書を作成しておきますね。警察への被害届も検討された方がいいかもしれません。親への暴行は立派な犯罪ですから」
医師の言葉に、私は深くうなずきました。診断書という確かな証拠を手にした私は、次に銀行へ向かいました。
「連帯保証人の解除手続きをお願いします」
担当者に診断書を見せると、彼女の表情が曇りました。
「すぐに手続きを進めます。暴力被害ということで、特例として解除を認めさせていただきます。光子様には長年お世話になっておりますし、このような理由での解除は本当に心苦しいです。ご主人様には別の保証人を立てていただくか、一括返済していただく必要があります」
「それで結構です」
私の断固とした態度に、担当者もうなずきました。手続きは1週間ほどで完了するとのこと。工事には銀行から直接通知が行くことになります。彼がどんな顔をするか想像するだけで、胸がすく思いでした。
その後、田中弁護士の事務所を訪れました。
「光子さん、準備は整いましたか?
」
「はい、診断書も取りました。土地の明け渡し請求と援助金の一部返還請求をお願いします」
田中弁護士は書類を確認しながら言います。
「3440万円の援助に対して暴力という報い。これは明らかに信義則違反です。少なくとも1000万円程度の返還請求は可能でしょう。判例から見ても十分に認められる範囲です」
1000万円。その金額を聞いて、私は改めて自分がどれだけの犠牲を払ってきたかを実感しました。でも今は、その一部でも取り戻す時なのです。
その日のうちに内容証明郵便が作成されました。援助停止、土地明け渡し請求、そして損害賠償請求。全てが法的に正当な要求です。
3日後の朝、工事から慌てたような電話がかかってきました。
「母さん、銀行から連帯保証人解除の通知が来たんだけど、どういうことだよ」
パニック状態なのが電話越しにも伝わってきます。
「文字通りです。もうあなたの保証人は降りました」
「そんな、別の保証人なんて見つからないよ。一括返済なんて無理だ」
工事の声は悲鳴のようでした。住宅ローンの残債はまだ2500万円以上残っているはずです。
「それはあなたの問題です。私には関係ありません」
「母さん、お願いだ。保証人に戻ってくれ。このままじゃ家を失ってしまう」
「墓前で私を蹴った人の保証人になる義務はありません」
電話の向こうで、みすずの声も聞こえてきました。
「お母さん、ひどいじゃないですか。私たちの生活はどうなるんですか? 」
「月15万円も援助してもらいながら、まだ足りないんですか? それとも、その援助で買ったブランド品の方が大切なのかしら? 」
みすずの悲鳴が響きます。
「そんな、生活できない」
でも、これはまだ序章に過ぎません。翌日、工事の会社の人事部に匿名で通報の手紙を送りました。扶養手当の不正受給について、証拠を添えて。市役所で培った行政知識が、こんな形で役立つとは思いませんでした。
1週間後、工事から再び電話がありました。今度は怒りではなく、絶望がにじんだ声でした。
「母さん、会社から呼び出しを受けた。扶養手当の件で」
「そう」
私は淡々と答えます。
「不正受給で懲戒処分になるかもしれない。最悪だ」
「自業自得でしょう。私を扶養しているなんて嘘をついて、手当てを受け取っていたんですから」
「母さんが通報したのか」
「さあ、どうでしょうね」
その頃、内容証明郵便も工事のもとに届いていました。土地の明け渡し請求を見て、工事は完全にパニックになったようです。
「土地も母さんの名義だったなんて。知らなかった」
「知らなかった?
私たち夫婦があなたのために用意した土地だということを忘れたんですか? でも、もう家を建てちゃったんだ」
「それなら土地を買い取ってください。値段で3000万円ほどです。不動産鑑定士に評価してもらいました」
工事の声が震えていました。
「そんな金、どこにあるんだよ」
みすずも電話を代わって、泣きながら訴えます。
「お母さん、お願いです。私たち本当に困っているんです」
「困っている? 墓前で私を蹴らせた時は、そんなこと考えなかったでしょう」
「あれは感情的になってしまって」
「感情的? 計画的に私を悪者に仕立て上げたくせに」
みすずは言葉に詰まりました。そう、全てはみすずの演技から始まったのです。でも、その代償はあまりにも大きかった。
2週間後、工事は会社から懲戒処分を受けました。解雇は免れたものの、手当ての返還と罰則で給料は大幅に減ることになります。
さらに銀行からは最後通告が来ていました。1ヶ月以内に新しい保証人を立てるか一括返済するか。どちらもできなければ、家を差し押さえられることになります。
みすずの両親も、事態の深刻さにようやく気づいたようでした。
「光子さん、娘が失礼なことをして申し訳ありませんでした」
みすずの母親から謝罪の電話が来ましたが、もう遅いのです。
「墓前で夫の前で、息子に暴力を振るわせた。その罪は重いですよ」
「でも、これでは浩司さんたちが」
「それはあなた方が考えることです。私はもう関係ありません」
1ヶ月後、工事たちは家を失うことが決定的になりました。保証人も見つからず、一括返済もできない。差し押さえられる前に、任意売却することになったようです。
「母さん、全て失うことになった」
工事の声は、もう怒りも憎しみもなく、ただうつろでした。
「仕事も減給、家も失い。みすずと別れることになりそうだ」
「離婚?
」
「みすずの両親が、もう無理だって。経済力のない男とは一緒にいられないって」
因果という言葉が頭に浮かびました。援助だけが目当てだった。みすずは金の切れ目が縁の切れ目だったようです。
「母さん、俺が悪かった。墓参りのこと、本当に申し訳なかった」
今さらの謝罪でした。でも、もう私の心は動きません。
「工事、覚えておきなさい。親への暴力は必ず自分に帰ってくるんです」
電話を切った後、私は窓の外を眺めました。工事たちが全てを失っていく一方で、私は自由を取り戻したのです。援助に使っていた月15万円は今は自分のために使えます。連帯保証人の重圧からも解放されました。これが墓前で私を蹴った者への報いです。完璧な復讐が、ついに完了したのでした。
あれから3ヶ月が経ちました。私は今、新しいマンションの窓から町を見下ろしています。工事への援助で使っていた月15万円を貯めて、さらに土地の売却益も合わせて、ずっと憧れていたマンションを購入したのです。1LDKの小さな部屋ですが、誰にも気を使わない自分だけの城です。
「お父さん、私やっと自由になれました」
リビングに飾った夫の写真に毎朝報告するのが日課になっています。きっと天国で安心してくれているでしょう。
先日から、ボランティアセンターで活動を始めました。市役所での45年間の経験を生かして、高齢者の生活相談に乗っています。
「光子さん、本当に頼りになります」
「光子さんのアドバイスのおかげで問題が解決しました」
そんな言葉をいただくたびに、心が温かくなります。本当に必要とされる場所で自分の力を発揮できる喜び。これこそが私が求めていたものだったのです。
ある日、ボランティア仲間の佐藤さんが心配そうに話しかけてきました。
「光子さん、息子さんとはその後どうですか? 」
「ええ、完全に縁を切りました」
私の言葉に、佐藤さんは少し驚いたような顔をします。
「でも、親子なのに」
「親子だからこそ、許せないこともあるんです。墓前で暴力を振るわれた時、親子の縁は切れました」
佐藤さんは黙ってうなずいてくれました。きっと私の決断を理解してくれたのでしょう。
工事の近況は、風の便りで聞こえてきます。離婚が成立し、安いアパートで一人暮らしをしているそうです。仕事も減給のままで、生活はかなり苦しいとか。みすずは実家に戻りましたが、あの騒動のせいで再婚も難しいようです。
自業自得ですね。そうつぶやきながらも、心のどこかには複雑な思いもあります。でも、もう後戻りはできません。いえ、する必要もないのです。
最近、新しい趣味も見つけました。絵画教室に通い始めたのです。
「光子さんの絵は、とても優しいタッチですね」
先生にそう褒められて、照れくさくなってしまいました。68歳にして、新しいことに挑戦する楽しさを知ったのです。
月に一度は夫の墓参りに行きます。一人で静かに手を合わせる時間。もう誰にも邪魔されることはありません。
「あなた、工事は相変わらず謝罪の手紙を送ってきます。でも、もう読みません」
墓石を優しくなでながら、私は続けます。
「あの日、墓前で私を蹴った瞬間、息子は亡くなったんです」
風が吹いて、線香の煙が揺れました。まるで夫が「それでいい」と言ってくれているような気がします。
ボランティアセンターでは、同じような悩みを抱える方たちに出会うことも多いのです。息子夫婦からひどい扱いを受けている。援助ばかり要求される。でも、親だから我慢しなければ。そんな相談を受けるたびに、私は自分の経験を話します。
「我慢する必要はありません。親にも尊厳があります。暴力や理不尽な扱いを受け入れる義務はないんです」
私の言葉に、多くの方が勇気づけられているようです。
「光子さんのおかげで、私も立ち上がる勇気が出ました」
そんな言葉を聞くと、私の経験も無駄ではなかったと感じます。
夕方、マンションに帰ると管理人さんが笑顔で迎えてくれます。
「光子さん、お帰りなさい。今日もボランティアでしたか? 」
「ええ、充実した一日でした」
エレベーターで自分の部屋に向かいながら、私は思います。これが本当の幸せなんだと。誰にも縛られず、自分のペースで生きられる日々。経済的にも精神的にも完全に自立した生活。
3500万円を失ったように見えて、実はもっと大切なものを取り戻したのです。それは自分の尊厳であり、自由であり、本当の意味での幸せです。
工事を許すことはないでしょう。でも、憎み続けるつもりもありません。ただ、もう関わらない。それが私の出した答えです。
親を蹴る者は必ず報いを受ける。この言葉を私は多くの人に伝えていきたいと思っています。どんな理由があっても暴力は許されない。援助には感謝の心が必要。そして、理不尽な扱いに屈する必要はないということを。
今日も一日が終わろうとしています。窓から見える夕日がとても美しい。明日はまたボランティアセンターで新しい出会いがあるでしょう。絵画教室もあります。
私の人生は68歳にして新しく生まれ変わったのです。墓前での屈辱は、結果的に私を自由にしてくれました。工事への復讐は完璧に成功し、私は完全な勝利者として新しい人生を歩んでいます。
これが私の選んだ道。そして、これからも胸を張って生きていくつもりです。


