やっとの思いで自分のカフェを開いた。独立のために10年、アルバイトで修行を積み、経営のノウハウを学んできた。オープンして間もないけど、常連さんも増えてきて、経営はまずまず順調だった。いずれは全国展開も夢見ていた。
「いらっしゃいませ」
そう言って顔を上げると、店のドアが開き、スーツ姿の男が一人、入ってきた。
「よ、邪魔するぜ」
「こちらへどうぞ。ご注文はお決まりですか?」
「お前が店長か?」
「はい、そうですけど…何か?」
「おたくさ、店を出すって、うちにちゃんと報告してるか?この辺りの土地は井原組が管理してるんだがな」
「井原組…?」
「俺はこっちの筋のもんでな。井原組の渡辺だ。よく覚えとけ」
突然現れた客は、ヤクザだった。
彼はにやりと笑って続けた。
「で、どうすんの?ここは俺たちの島なんだよ。店を出すって報告して、管理料も払ってほしいんだがな」
「私はきちんとした手続きをして、ここにお店をオープンしました。あなた方に許可をもらったり、お金を払う必要はないと思います」
「まあ、一理あるな。確かに法律上はそれで十分だ。だが、俺の言うことを聞いていた方が身のためだと思うけどな」
「私はヤクザと関わりたくありません。どうぞお帰りください」
「ははは。随分と嫌われたもんだなあ。まあいいや。今日のことを後悔する日が来ると思うけどな」
そう言い残して、彼は帰っていった。最後の言葉が少し気になったが、その日は店が忙しくなり、深く考えることはできなかった。
翌日のことだ。
土曜日なのに、店に客が一人も来ない。街は人で溢れているのに、店内はがらんとしていた。嫌な予感がして、外を確認しに行くと、すぐに理由が分かった。
「この店、くっそまずいから入らない方がいいぞ。おまけに店長は性格の悪い女だ。ぼったくられるぞ」
渡辺とその仲間たちが、店の前で道行く人たちに悪口を言いふらしていたのだ。
「何やってるの!」
「俺たちはただ話しながら歩いてるだけだよなあ」
「昨日の仕返しのつもり?」
「何言ってんだ?散歩してるだけだって言ってるだろうが」
警察を呼ぶと言っても、証拠がないことは明らかだった。奴らは「散歩していただけ」と言い逃れするに決まっていた。歯を食いしばって、私は店に戻った。
すると、渡辺が仲間を引き連れて店に入ってきた。
「全然客入ってねえじゃねえか。俺たちが注文してやるよ」
見ると、彼らは意外にもおとなしく料理を食べて、「結構うまいじゃねえか」と会計を済ませて帰っていった。強く言い過ぎたかな、一瞬そう思った。
だが、それは甘すぎる考えだった。
次の日から、渡辺は毎日店の前に現れるようになった。店に入ろうとするお客さんに悪口を吹き込み、客は怯えて来なくなった。唯一の客は、渡辺たちだけ。安価なパンを一つだけ注文して、にやにやしながら座っている。そんな日が何日も続き、私はどんどん追い詰められていった。
数日後、その日も客を追い払った渡辺が、店にやってきた。
「よお、顔色が悪いじゃねえか。俺たちしか客は来ねえし、経営がうまくいってないようだな」
「誰のせいだと思ってるのよ」
「はは、そうかそうか。よし、俺たちが責任を取ってやる。この店を儲かるように、俺たちが手を貸してやるよ」
「どういう意味?」
「俺がな、経営を立て直す知恵を授けてやる。その代わり、俺たちも経営に参加させろ」
そして彼は好き勝手な計画を言い始めた。
「まず料理の値段を上げるんだ。これじゃあ儲かるもんも儲からない。それからな、色気のある女を雇え。客から踏んだくれるだけ踏んだくるんだ。もちろん、金はうちからも出してやる。いい話だろ?」
本当に店を畳まなければならなくなるかもしれない。その不安に付け込まれて、私はすぐに拒否することができなかった。渡辺は「明日また答えを聞きに来る」と言い残して帰っていった。
あの時、管理料を払っておけば、こんなことにはならなかったのかもしれない。そんな思いが頭をよぎり、私は深い絶望に落ち込んだ。
翌日、修行時代から常連だった、小玉さんが来店した。彼は私の作る料理を気に入ってくれて、よく声をかけてくれる優しい客だ。
「久しぶりだな。いつもの元気がないじゃないか。店の方はどうだ?順調か?」
「実は…」
小玉さんの優しい言葉に、私はつい渡辺に店を乗っ取られそうになっていることを打ち明けてしまった。彼は頷きながら、最後までしっかり話を聞いてくれた。
「そうだったのか。それは大変だったな。それで、その渡辺ってのは、どこの組の者だい?」
「えっと、確か…井原組だと」
その時だ。店のドアが開き、渡辺が現れた。
「よお、昨日の答えを聞きに来たぞ。さあ、答えてくれ」
私が言葉を失っていると、小玉さんが静かに口を挟んだ。
「こいつが例のヤクザか」
「誰だ、お前?」
「俺か?俺は小玉というものだ。八組の頭だが」
その瞬間、渡辺の顔が青ざめた。八組は全国的に有名な組織で、小玉さんの存在を渡辺も私も知っていた。
「は、八組の小玉さん…?な、なんでこんな店に…?」
「店長の料理が絶品でな。特にこのナポリタン。昔ながらの味付けが好きでな。店長が別の店でバイトしてた頃から通ってるんだよ」
「そ、そうなんですか。実は俺もこの店の料理のファンでして、俺は焼きそばが好きだな」
「あ?この店に焼きそばなんて置いてねえよ」
「あ、すみません。別の店と記憶が混ざってしまったようです」
渡辺はへらへらと嘘をついてごまかそうとしている。すると小玉さんは突然、渡辺の胸ぐらを掴んで怒鳴った。
「嘘ばかりつきやがって。それでお前はどこの組の者だ?さっさと答えろ」
「も、申し訳ございません。俺は井原組の渡辺と申します。店長さんと仲良くなりたくて、今日はこうして尋ねてきたわけで…」
「まだ言うか。この野郎…!」
小玉さんはさらに渡辺を締め上げる。組長としての迫力は凄まじく、渡辺は恐怖に震え上がっていた。
「すみません!すみません!助けてください!もうこの店には手を出しません!」
渡辺がぺこぺこと謝り、逃げ出そうとしたその時、小玉さんが言った。
「ちょっと待て。俺もこの店の経営に一枚噛ませてもらいてえんだ」
「へ?どういう意味ですか?」
「俺もこの店の経営に参加したいと言っているんだ」
「さすが組長!そう来なくっちゃ!八組さんが一緒にやってくれるなんて、こちらも願ったり叶ったりです!」
渡辺はさっきまでの震えを取り戻したように、嬉しそうに声を上げた。私は愕然とした。小玉さんまで渡辺と一緒に、この店を乗っ取ろうとしているのか。裏切られた気分だった。
「では明日の店の経営について、この店で俺たち三人で話し合おう」
そう言って、小玉さんと渡辺は店を出ていった。残された私は、片付けをしながら呟いた。
「なんでこんなことになるんだ…。もう終わりだ。何もかも。店なんかやらなきゃよかった」
翌日、約束の時間の10分前に、渡辺が一人で来店した。
「よお、アイスコーヒーくれや」
まるでもう自分の店だと思っているかのような態度だ。それからしばらくして、小玉さんが二十人ほどの若い者たちを連れてやってきた。
「待たせたな。よし、早速始めるとしようか」
「はい。まずはお前の案を聞かせてくれ」
「はい!料理の値上げをして、男好きする女を雇う。これで舐めた客からがっぽがっぽ金を取って設けましょう!」
渡辺は得意げに提案したが、小玉さんの表情はみるみる険しくなっていった。
「…お前、一体何の話をしているんだ?」
「何のって、この店を八組さんと井原組で乗っちまおうって話じゃないですか?」
「この店はな、料理もうまいし、店長の人柄もいい。これからも長く続いていくべき店なんだ。だから俺たちで出資して、この店を支援しようという話し合いだと思ったんだが」
「へ?何をおっしゃってるんですか?それじゃあ一円も儲かりませんよ」
「儲けるだと?」
「もちろんです。金だけ出して店を良くするなんて考えられません。何の得にもなりませんぜ」
「この店が安定し、店長が成長していく。その姿を見ることができるだけで、十分メリットだと思うが」
「はあ。俺はとにかく儲けて金が欲しいんです。何ですか?店長の成長って。お涙ちょうだいのテレビドラマじゃあるまいし。くっ…」
その瞬間、小玉さんが激怒し、笑っている渡辺の顔を凄まじい勢いで殴った。渡辺は吹っ飛ばされて壁に頭をぶつけ、うめき声を上げた。
「いてえ…」
「そもそもこの店の料理の値段は、店長が材料費や利益を考えて設定してるんだ。お前ごときに分かるわけねえだろう。女を使ったところで、この店の雰囲気や客層とちっとも合わねえ。お前の提案に乗ったところで、儲かるわけがねえだろう。お前は、店がうまくいってるのが面白くなくて、嫌がらせしてるだけだろうが。因縁の付け方もやり方も、筋が通ってねえな」
私も黙っていることができず、口を挟んだ。
「お客さんが来なくなったのは、こいつらが店の前で道行く人に悪口を吹き込んでいたからです。『料理がまずい』だの『店長の性格が悪い』だの、悪い噂を立てられました」
「何だ?お前は本当に根性の腐った野郎だな。同業者として情けねえよ」
小玉さんに怒鳴られ、渡辺は青ざめて縮こまっている。そこへ小玉さんが追い打ちをかけた。
「ところで、お前の店を乗っ取る計画に、井原組はどの程度関与してるのかね?それとも、お前個人の判断か?」
「へ?そ、それはもちろん俺が勝手にやりました!組長や若頭はこの件に絡んでいません!」
「また嘘をついてねえだろうな。お前、井原組の幹部だろう」
「ち、違います!俺は幹部とは程遠い下っ端です!」
「お前、また嘘つきやがったな。幹部が店の乗っ取り計画を一人で進めるわけがねえ。俺の調査では、お前は組の幹部だ。井原組は落ちぶれたもんだな。お前みたいな朝顔の野郎が幹部だとは。お前も組も滅ぼしてやる」
そう言って小玉さんが再び激怒すると、渡辺は土下座して泣き叫んだ。
「申し訳ございません!俺も二度とこの店には近づきません!命だけはお許しください!」
「この店に因縁を付けた。それが運の尽きだったな」
「大変申し訳ございません!どうか命だけは!」
「うるせえな。どれだけ吠えようが土下座しようが、お前の地獄行きは決まってるんだ。店長、悪いが少しばかり暴れさせてもらうよ」
そう言うと、小玉さんは容赦なく土下座している渡辺の頭を蹴り上げた。それを合図に、二十人の若い者たちが一斉に渡辺に飛びかかった。もはや渡辺は、ボロボロになって地面に倒れ伏すしかなかった。
若い者たちが渡辺を痛めつけるのを止める。小玉さんが言った。
「よし、では最後に店長も交えて、この店の今後について確認するか」
「え、はい」
「この店の店長を差し置いて、勝手に話を進めるわけにはいかないからな」
こうして、私と小玉さん、そして這いつくばった渡辺で再び話し合いが始まった。小玉さんは私に向き直って言った。
「俺はこの店に出資したい。店長を応援したいんだ。だが、ヤクザから金を受け取っているとなると、世間体が悪いだろう。だから匿名で出させてもらう。どうだろうか?」
「ありがとうございます。でも、お返しできるものが何もありません」
「年を取ると、人の成長を見るのが楽しみでな」
「ありがとうございます。頑張ります」
すると小玉さんは、うずくまっている渡辺に視線を移した。
「お前、井原組を潰されたくないと言ったな」
「は、はあ…」
「なら条件を出してやろう。組から五千万、この店に出資すること。そうすりゃ、井原組は潰さず残してやる」
「ご、五千万?そんなことしたら組の金がなくなっちまいます。俺は手を引かせていただきます」
渡辺はそう言い残すと、残りの力を振り絞って、逃げるように店を出ていった。
「たく、最後まで情けねえやつだな。あとは俺に任せとけ」
そう言って、小玉さんたちも店を出ていった。
それから三日後、ニュースで「井原組の事務所に大型トラックが三台突っ込み、事務所が全壊した」と報じられた。
私はと言えば、店の立て直しに必死で、日々仕事に没頭していた。あの一件から二ヶ月後、店はすっかり以前の賑わいを取り戻していた。
「いらっしゃいませ。あ、小玉さん」
「よお、久しぶりだな。お、ほぼ満席状態じゃねえか」
「先日はありがとうございました。お客さんも戻ってきてくれて、本当によかったです」
「君の実力なら乗り越えられると思っていたよ」
「ありがとうございます。ご支援していただいて、本当に助かりました。それと…小玉さんのことを信じきれずに、ひどいことを言ってしまって、すみませんでした」
「そんなことか。まあ、俺はヤクザだからな。そう言われるのには慣れてるよ」
「本当にすみませんでした。小玉さんは、私やお店のために色々と考えてくれていたんですね」
私が深々と頭を下げると、小玉さんはふっと笑った。
「お、それなら俺からも一つ、聞いてもらってもいいか?」
「はい、何でも言ってください」
「前みたいに、これからもちょくちょく来たいんだが。俺みたいなヤクザが来ると、迷惑かもしれねえが」
「迷惑なんて、そんなこと全然ないですよ!これからもぜひ来てください」
「よし、ではお言葉に甘えて、寄らせてもらうとするかな。とりあえず、ナポリタン頼むよ」
そう言って、小玉さんは優しく微笑んだ。その後も小玉さんはよく店に立ち寄ってくれ、末永くお店を気にかけてくれたのだった。



