真冬の深夜、俺はシャッターの降りた商店街の外れで、小さな診療所の扉を叩きながら泣いていた。背中には四十度近い熱でぐったりした三歳の妹がいる。呼びかけても返事はなく、熱い息だけが首筋にかかる。財布の中は小銭が数百円だけ。母は夜勤で電話は繋がらない。もう駄目だと思ってその場に蹲った時、診療所の奥に明かりが灯った。
出てきたのは白髪混じりの大柄な年寄りだった。寝巻きの上に白衣を引っ掛け、サンダルのまま俺の前に立った。俺は泣きながら、それだけは先に言わなければと思って口にした。
「お金は払えません」
その言葉に被せるように、その人は怒鳴るように言った。
「金は後でいい。すぐ診察してやる」
節くれだった岩のような手が、妹ごと俺の背中を抱えるようにして診療所の中へ引き入れた。この夜が俺の人生を丸ごと決めることになるとは、十一歳の俺はまだ知らなかった。
俺の名前は村瀬俊助。三十一歳。都内の医療センターで心臓血管外科をしている。医者になって七年。今では難しい手術も任せてもらえるようになった。周りは天才だなんて呼ぶが、とんでもない話だ。
俺の腕は、たった一人の待ちの背中を追いかけてきただけのものだ。今でも手術室で迷いそうになる夜は、頭の奥であの人の声がする。「順番に潰せ。数をやれ。きついと言える奴はちゃんとやっとる」そういうぶっきらぼうな声だ。俺はその声に七年間支えられてきた。
その先生に、俺はもう一度会うことになる。誰も予想しなかった形で。
話は二十年前の冬に遡る。
俺が育ったのは都内の東の外れにある古い下町だ。川沿いに町工場と長屋が並び、あけぼの商店街という小さな商店街が町の真ん中を貫いていた。八百屋、豆腐屋、金物屋。夕方になると自転車のベルとコロッケの匂いで通りがいっぱいになる、そんな町だった。
うちは商店街から路地を二本入ったところの古いアパートの一階。母と俺と三歳の妹の小春の三人暮らしだ。父はいない。俺が九歳の秋に死んだからだ。父は長距離トラックの運転手だった。体が大きくて日焼けしていて、月の半分は家にいなかった。たまに帰ってくると、俺を風呂屋に連れて行き、瓶のコーヒー牛乳を一本だけ買ってくれた。
風呂屋の帰り道、父はいつも俺の手を引いて歩いた。仕事で鍛えた分厚くて硬い手だった。一度だけ夜道でこう聞かれたことがある。
「しんちゃん、大きくなったら何になる?」
「運転手」
「よせよせ。腰をやられる」
そう言って笑った父の声を、俺は今でも覚えている。将来の話をしたのは、思えばあれが最初で最後だった。
その父が、ある朝、遠い町の駐車場で倒れているのが見つかった。真冬の高速道路だった。まだ三十六歳だった。
葬式の日、母は泣かなかった。俺の前では、ということだと分かったのはずっと後になってからだ。夜中に目が覚めると台所の電気だけがついていて、母が声を殺すみたいに背中を丸めているのを何度か見た。
父の残してくれたものは多くはなかった。わずかな保険金は葬式とそれまでの借金を返すことでほとんど消えたらしい。俺は子供ながらに察するものがあった。炊飯器が壊れた時、母が新品ではなく七流れの品を買ってきたのを見て。
父の一周忌に三人で墓参りに行った。帰り道、母はおぶった小春を揺らしながら、独り言みたいに言った。
「大丈夫。この子たちは私がちゃんと育てるから」
誰に言ったのかは聞かなくても分かった。
それから母は、昼はスーパーのレジ、週の半分は弁当工場の夜勤という生活を始めた。夜勤明けの母は朝の六時過ぎに帰ってくる。玄関の音で目が覚めても、俺は寝たふりをしていた。起きていたと知ったら母が気にするからだ。母は物音を立てないように顔を洗い、それでも味噌汁だけは毎朝作った。寝たふりの布団の中まで湯気の匂いが届く。あの匂いがする限り、うちは大丈夫なのだと俺は勝手にそう決めていた。
夜勤の日の連絡は、冷蔵庫の扉のメモだった。
「しんへ。おかずは冷蔵庫。お風呂沸かしてある。小春をよろしく」
俺はその下に「了解」とだけ書き足す。それがうちの母と俺の交換日記みたいなものだった。ずっと後になって知ったが、母はあのメモを何枚か捨てずに取ってあったらしい。
母の手は、いつの間にかひび割れとあかぎれだらけになっていた。冬の夜、母が寝てから台所にハンドクリームがあるのを見つけて、俺はそれを母の枕元に黙って置いたことがある。翌朝、母は何も言わなかった。ただ、その冬からハンドクリームはずっと枕元にあった。
朝、小春を保育園に送ってから昼の仕事へ行き、夕方一旦帰って晩御飯を作り、夜の九時にまた出て行く。帰って来るのは朝の六時過ぎ。母はそれを当たり前みたいな顔でこなしていた。
母が初めて夜勤に出た晩のことはよく覚えている。小春はまだ二歳で、母の姿が見えなくなると火がついたように泣いた。俺は焦って思いつくことを全部やった。歌った。抱っこした。天井の電気を消したりつけたりした。全部駄目だった。最後に、泣いている小春を背中に乗せて狭い部屋の中をぐるぐる歩いた。すると、ぴたりと泣きやんだ。それから小春は音部が一番好きな子になった。ぐずった夜は、俺が背負って部屋を三周すれば眠る。俺と母だけが知っている、うちだけの取り扱い説明書だった。
夜勤の番は俺が小春の面倒を見た。称午の俺の仕事は、晩御飯の茶碗を洗うこと、小春に歯磨きをさせること、絵本を一冊読んで寝かしつけることだった。
小春は俺のことを「にいにい」と呼んだ。絵本を三回読んでも「もう一回だけ」と言って布団に潜り込んでくる。小さくて温かくて、すぐ寝る。
正直に言えば、うちが貧乏だということは子供の俺にも分かっていた。給食費の袋を母に渡す時、母が一瞬だけ黙る。その一瞬で分かった。友達がゲーム機の話をしている時、俺は輪の少し外で笑っていた。欲しいと言えば母が困る。それが分かる程度には、俺はもう子供じゃなくなっていた。
夕方の買い物も俺の仕事だった。母のメモと小銭入れを持って商店街を回る。豆腐屋で豆腐を一丁。八百屋で野菜を安い順に。肉屋のコロッケは三個買うと、たまに一個おまけがついた。おまけの一個は小春の分と決まっていて、俺が食べていいのは小春が半分残した時だけだった。大体残らなかった。
月に一度だけ、俺は小春を連れて父と行った風呂屋に行った。番台のばあちゃんは、俺たちが行くと瓶のコーヒー牛乳を一本黙って出してくれた。父がやっていたのと同じやつだ。一本を小春と半分こして、俺はいつも瓶の最初の一口を小春に譲った。父がいたらきっとそうしろと言った気がしたからだ。
それでもうちは不幸ではなかったと思う。母の作る焼きうどんはうまかったし、小春は箸が転んでも笑う子だったし。商店街の大人たちは俺の名前を覚えていて、八百屋の田口のおばちゃんはよく売れ残りのみかを袋ごと持たせてくれた。
学校の成績は悪くなかった。というより、金のかからない娯楽が勉強くらいしかなかったというのが正しい。図書室の本はただで読めるし、計算ドリルは何度でも解ける。先生には「村瀬は要領がいい」と言われたが、要領がいいのではなく必死だっただけだ。
「しんちゃんと小春は、お母ちゃんが偉いからね」
田口のおばちゃんはいつもそう言った。そして、ある時こうも言った。
「何かあったら、商店街のはずれの久保田先生のとこへ行きな。あの先生は夜中でも見てくれるから」
その時は「ふうん」と聞き流した。医者なんてうちには縁のない場所であってほしかったからだ。それでもこの一言は、俺の頭のどこかにちゃんと残っていた。
久保田診療所は、商店街の一番はずれの切れかかった角にある古い二階建ての建物だった。色あせた白い壁に「内科・小児科」の看板。俺はその前を通って学校に行くだけで、中に入ったことは一度もなかった。
その診療所の扉を真夜中に叩く日が来るなんて、思ってもいなかった。
その夜のことは、今でも順番までそっくり思い出せる。二月の風の強い金曜日だった。
小春は朝から鼻水を垂らしていた。夕方に保育園へ迎えに行くと、保育士さんから「少し熱っぽいみたいです」と言われた。家で測ると三十七度五分。母は少し迷った顔をしたが、その日は夜勤を休めない日だった。
「おでこ冷やして、早めに寝かせてあげて。何かあったらお母さんの携帯に電話して。すぐには出られないけど、休憩で必ず折り返すから」
母はそう言って夜の九時に出ていった。小春はうどんを半分だけ食べて、いつもより早く眠った。俺は宿題をしてテレビを消して、十一時前に布団に入った。
異変に気づいたのは夜中の一時過ぎだった。小春のうなされる声で目が覚めた。体に触ってぎょっとした。燃えるように熱い。息が浅くて早い。額に手を当てると、汗で前髪が張り付いていた。
「小春、小春、大丈夫か?」
呼びかけると薄く目を開けた。でもその目が俺を見ていなかった。どこか遠くを見たまま、意味の取れないうわごとを言う。いつもなら「にいにい」と手を伸ばしてくる妹が、伸ばしてこない。
体温計を引っ張り出して脇に挟んだ。三十九度八分。頭の中が真っ白になった。
まず母の携帯にかけた。呼び出し音が鳴り続けるだけだった。工場では携帯をロッカーにしまう決まりで、母が着信に気づけるのは休憩の時間だけ。分かっていた。分かっていてもかけずにはいられなかった。二回かけて、三回かけて、繋がらなかった。
救急車という言葉が浮かんだ。俺は受話器を持って「1」と「1」を押して、そこで指が止まった。怖かったのだ。サイレンを鳴らして来る車を、子供の俺が呼んでいいのか分からなかった。それに、救急車はお金がかかるものだと思い込んでいた。本当はただで来てくれることを、十一歳の俺は知らなかったのだ。
財布を開けると十円玉と百円玉で数百円。保険証がどこにあるのかも知らなかった。もし何万円も請求されたら。もし大げさだと怒られたら。
今思えばばかばかしい迷いだ。でもあの夜の俺には、110も119も大人の世界の遠い番号だった。其の時、頭の中で田口のおばちゃんの声がした。
「久保田先生のとこへ行きな。あの先生は夜中でも見てくれるから」
俺は上着を着た。小春に上着を着せて毛布でぐるぐる巻きにして、背中におぶった。三歳の体がこんなに重いなんて知らなかった。玄関で転びそうになりながら、俺はちゃぶ台の上にチラシの裏を置いて鉛筆で書いた。
「小春が熱。久保田診療所に行く」
夜の商店街は、昼間とは別の場所みたいだった。シャッターが全部降りて、街灯が等間隔に光っているだけ。風が路地を鳴らしていた。走ると小春の頭が肩で揺れるから、俺は歩幅を殺して、それでも精一杯急いだ。いつもなら走って五分の道が、果てしなく遠かった。
途中、路地の段差で一度膝をついた。小春を落とさないように変な倒れ方をしたせいで膝小僧をすりむいたが、痛みは感じなかった。犬に吠えられた。遠くで車の音がして、助けを求めようかと思った時には、もう行ってしまっていた。
背中の熱がうつってくる。「小春、もうすぐだからな。もうすぐだからな」返事はなかった。熱い息だけが首筋にかかっていた。
診療所に着いた。明かりは消えていた。分かっていたことだった。夜中の一時半に空いている診療所なんてない。それでも俺はガラスの引き戸を叩いた。
「すみません。すみません」
しんとしていた。もう一度叩いた。拳が痛くなるほど叩いた。
「お願いします。妹が倒れたんです。お願いします」
風の音しかしなかった。
俺はその前にしゃがみ込んだ。背中の小春がずるりと下がって、慌てて抱え直した。その拍子に涙が出た。一度出たら止まらなかった。声を上げて泣いた。泣いたって誰も来ないのに、他にできることがなかった。
「かあちゃん、ごめん。小春、ごめん」
背中の小春の息が、さっきより浅くなっている気がした。この息が止まったらどうしようという考えが一度浮かんでしまったら、もう振り払えなかった。
その時だった。診療所の奥で明かりがついた。ガラス戸の向こうに、ぬっと大きな影が立った。ガラリと戸が開いて、白髪混じりの大柄な年寄りが出てきた。寝巻きの上に白衣を引っ掛けて、サンダル履きだった。その後ろから、小柄な女の人が廊下の電気をつけながら駆けてくるのが見えた。
「どうした」
低い声だった。
「い、妹が熱で目を開けなくて。母ちゃんは仕事で」
言葉がバラバラになった。それでも先に言わなければいけないことがあった。俺は泣きながら言った。
「お金は払えません」
「金は後でいい。すぐ診察してやる」
怒鳴るような声だった。節くれだった大きな手が伸びてきて、妹ごと俺の背中を抱えるようにして診療所の中へ引き入れた。
「貞子、電気とストーブ、毛布も持ってこい」
「はいはい。今つけました」
後で知ったが、女の人は先生の奥さんで、貞子さんと言った。長年この診療所で看護師をしてきた人だった。
診察室に入ると、先生は小春を診察台に寝かせて毛布を剥いだ。体温計を挟み、ペンライトで目を照らし、聴診器を胸に当てる。さっきまで寝ぼけていたはずの人の手付きじゃなかった。
「いつからだ」
「夜中に気づいて。その時は三十九度八分で」
「昼間はどうだった? 飯は食ったか? 吐いたか?」
「朝から鼻水で。夜はうどんを半分だけ。吐いてないです」
「首を触るぞ、坊主。この子は名前何という?」
「小春です。三歳です」
「小春ちゃん。聞こえるか?」
先生が呼びかけても、小春はうっすら目を開けるだけだった。先生の眉間のしわが深くなるのが、横で見ていて分かった。
先生は貞子さんに短く何か言って、点滴の支度をさせながら俺に向き直った。
「坊主、よく聞け。ただの風なら朝まで様子を見ていい。だが、この子は熱の割にぼんやりしすぎとる。悪い病気が隠れとるかもしれん。ここじゃ検査ができん。隣町の総合病院に運ぶ」
「き、救急車ですか?」
「呼んで待って乗せ帰るより、俺の車が早い。ここから十分だ。話は今つける」
先生は診察室の黒い電話を取って、番号も見ずに回した。
「久保田です。よぉ、すまん。三歳の女子、三十九度八分。意識がぼんやりしとる。髄膜炎を疑っとる。ああ、家族は…ああ、俺が連れて行く。十分で着く」
受話器を置くと、先生は白衣を脱いで上着を掴んだ。その間に貞子さんが、点滴の管がついたままの小春を毛布でくるみ、それからもう一枚の毛布を俺の肩にかけてくれた。
「お兄ちゃん、よくここまで連れてきたね」
その一言で、また涙が出た。貞子さんは俺の背中をゆっくり二回さすった。それから玄関の扉に張り紙をした。
「小春のお母様へ。隣町の総合病院に降ります。久保田」
俺が書き置きを残してきたと言ったのを、ちゃんと聞いていてくれたのだ。
先生の車は、診療所の裏に止めてあった古い白いセダンだった。後ろの席に俺が乗り、小春を抱いた貞子さんが隣に乗った。夜の道は空いていた。先生は急いでいるはずなのに、乱暴な運転は一つもしなかった。ハンドルを握る大きな手を、俺はぼんやり見ていた。
「あの、お金、本当に今は…」
言いかけた俺に、先生はバックミラー越しに言った。
「金は後でいい。今はこの子を助けよう。順番の話だ」
病院に着くと、夜間入口に白衣の人たちが待っていた。小春はストレッチャーに乗せられて、明るい廊下の奥へ運ばれていった。俺も追いかけようとして、看護師さんに止められた。膝から力が抜けて、廊下の長椅子に座り込んだ。隣に先生が座った。何も言わなかった。ただ、節くれだった大きな手が俺の頭を一つ、くしゃりと撫でた。
処置の結果が出るまでの時間は長かった。貞子さんが温かいココアを買ってきてくれて、俺は両手で持ったまま、ほとんど飲めなかった。
そして待っている途中、明方の四時前に母が病院に駆けつけた。休憩時間に携帯を見た母は、俺からの着信の数を見て血の気が引いたそうだ。家に電話しても繋がらない。工場に無理を言って相対させてもらい、家に飛んで帰ってくると、ちゃぶ台の上に俺の書き置きがあった。診療所へ走ると、貞子さんの張り紙があった。そこからは自転車で夜道を隣町まで急いできたのだという。
廊下の向こうから走ってきた母は、俺の顔を見るなり「小春は」と言った。
「今治療してもらってる。久保田先生が連れてきてくれた」
母はそこで初めて長椅子の先生と貞子さんに気づいた。事情を聞くうちに、母の顔がくしゃくしゃになっていった。母は廊下の床に膝をつくようにして頭を下げた。
「うちの子たちが、こんな真夜中に。お代も、あの、必ずお支払いしますので」
先生は椅子に座ったまま、めんどくさそうに手を振った。
「予算か。俺は医者で、目の前に救急の子供がおった。見た。それだけの話だ」
「ですが」
「医者はな、金がある人だけを助ける仕事じゃない。目の前で苦しんでいる人を放っておけないだけだ」
ぶっきらぼうな言い方だった。でもその言葉は、廊下の隅まで届いた。
俺は母の隣で、この人は何なんだろうと思っていた。夜中に叩き起こされて怒りもせず、車を出して、金の話を三回されて三回とも同じ顔で断った。俺の知っている大人の誰とも違った。
窓の外がうっすら青くなり始めた頃、処置を担当した当直の医師が出てきて言った。
「点滴が始まって、容態は落ち着いています。山はここから二、三日続きますが、間に合ったと思います」
隣で先生が短く太い息を吐いたのが分かった。母は口を抑えて、その場にしゃがみ込んだ。
小春の病名は細菌性髄膜炎だった。熱を出した子供のごく一部がかかる、命に関わる病気だと後で担当の医師から説明があった。
「あと半日遅れていたら、命が危なかったかもしれません。真夜中のうちに専門の治療へつないでもらえたのが大きかった。紹介してくださった先生の判断に感謝してください」
母は何度も頷きながら泣いていた。
小春はそのまま二週間余り入院した。高熱剤の点滴を続けて熱は一週間ほどで下がり、後遺症もなく退院できると聞かされた日、母は病院の公衆電話の前でまた泣いていた。
俺はといえば、学校が終わると毎日病院に通った。電車で二駅。学校では担任にだけ事情を話した。担任は何も聞かずに、遅れた分のプリントを毎日揃えてくれた。ベッドの小春は日に日に元気になって、しまいには「にいにい」と本の読み聞かせをねだり始めた。俺は病室で本を読みながら、この声が聞けなくなっていたかもしれないのだと思って、何度もページの同じ行を読み間違えた。
入院の間、貞子さんは二度見舞いに来てくれた。一度目は入院の三日目だった。りんごをむいて小春の枕元にうさぎの形に並べて、それから付き添いで来ていた母を廊下へ連れ出して三十分ばかり何か話していた。帰ってきた母の目は赤かったが、顔は来た時より軽くなっていた。
二度目の帰り際、貞子さんはエレベーターの前で、俺にだけ聞こえる声で言った。
「お兄ちゃん、あなたが背負って走ったから間に合ったのよ。あなたは妹さんの命の御人。それを一生忘れちゃだめよ」
御人という言葉の本当の重さを知るのは、もっとずっと後のことだ。それでもあの時、病院の白い廊下ですりむいた膝がじんとしたのを覚えている。
三月の初め、小春は退院した。迎えの日、小春は病院の玄関で「わあ」と言って母と俺を笑わせた。二週間ぶりの外の空気だった。手をつないで駅まで歩く間、小春は電柱の数を数え、すれ違う犬に手を振り、母はその一つ一つに大げさに頷いていた。当たり前の午後がこんなにありがたいものだとは知らなかった。
退院から数日後の日曜日、母は俺と小春を連れて診療所へ挨拶に行った。母の手には封筒と、風呂敷に包んだ重箱があった。中身は母が腕によりをかけた、うちの精一杯の稲荷寿司だった。
日曜の診療所は休みで、先生は二階の住まいから降りてきた。母が封筒を差し出すと、先生は案の上受け取らなかった。
「病院の入院費はもう払ったんだろう。ならそれでしまいだ」
「しまいではありません。深夜の診察代も、車も」
母はあの夜の後で知ったのだ。保険も何もない真夜中の受診で、本来なら全額を預けなければいけないところを、先生が黙って立て替えてくれていたことを。入院の手続きの時、預かり金の連絡先の欄に、先生が自分の診療所の番号を書いてくれていたことを。
「あれは貞子が勝手にやったことだ」
奥から貞子さんの笑う声がした。
「あら、ひどい。お財布を出したのはあなたでしょ」
母は封筒を押し付けるように差し出して、頭を下げたまま動かなかった。長い押し問答の末、先生は降参したみたいに息を吐いた。
「分かった。なら深夜の診察だけもらう。千円だ」
「千円って…」
「そんなもんだ。深夜割引は負けとく。それ以上は受け取らん。その代わり、稲荷寿司は全部もらう。昼飯がまだだ」
先生はさっさと重箱を取り上げて、茶の間の方へ行ってしまった。母は封筒を持ったまま、泣き笑いみたいな顔で立っていた。
後で聞いた話だが、母はどうしても気が済まなくて、後日買い物に商品を忍ばせて置いてきたらしい。すると翌日、それはそっくりそのまま小春への退院祝いという、のし紙付きで帰ってきたそうだ。勝負は母の二連敗だった。母はそれ以来、現金で返すことを諦めて、季節の度に煮物と漬け物を届ける道に切り替えた。
退院から半月ほどした夕方、診療所の白いセダンがアパートの前に止まって、近所を少しざわつかせた。往診の帰りだという先生が、小春の顔を見に寄ったのだ。玄関先で小春の額に手を当てて、喉を覗いて「よし」と言っただけで、茶も飲まずに帰って行った。
「ついでだ。ついで」
車に乗り込みながら先生はそう言ったが、商店街の地図が頭に入っている子供だった俺は、その「ついで」がうちのために遠回りした道だったことを知っていた。
挨拶に行ったあの日、帰り際に貞子さんが小春に小さな紙のカードをくれた。久保田診療所の診察券だった。表に診療所の名前と住所と電話番号が記してあって、名前の欄に「村瀬小春様」と丁寧な字で書いてあった。
「これからは熱が出たら、遠慮なくいらっしゃい。夜中でもいいのよ」
小春はその診察券を貞子さんから両手で受け取って、意味も分からないまま「ありがとう」と言った。立ち会い窓から差す日用の光の中で、その小さなやり取りはばかみたいに平和で、俺は少し泣きそうになった。
そして先生が、その診察券を小春の手からひょいっと取って、裏に万年筆で何か書きつけて、俺に持たせた。裏にはこう書いてあった。
「金は後でいい。命が先。坊主、お前は今度からこれを持っとるだ。かかり。お前の家みたいに、金の心配で夜中に子供を我慢させる家がこの町には陽気ある。心配になったらこの裏を読め。読んだら来い。それだけの札だ」
かすれた四角い不器用な字だった。帰り道、母がぽつりと言った。
「世の中には、ああいう人がいるんだね」
俺は返事をしなかった。代わりに胸の内側で、何かが静かに向きを変えるのを感じていた。ああいう人がいる、で終わらせたくない。俺がああいう人になればいい。まだ言葉にならない輪郭だけのその思いを、十一歳の俺は誰にも言わずに持ち帰った。
その診察券は、その日から俺の宝物になった。
それからのうちと診療所の付き合いは、細く長く続いた。小春が熱を出せば見てもらい、俺が体育で突き指をすれば見てもらい。母は季節の変わり目に煮物や漬け物を届け、先生は「またか」と言いながら全部食べた。田口のおばちゃんに言わせれば、久保田診療所はそういう家を町中に何十件も抱えているとのことだった。
夏には商店街の祭りの休憩所に先生が座った。麦茶を配る貞子さんの横で腕組をして通りを睨んでいるだけなのだが、その席の周りだけ、なんとなく人が安心した顔で歩くのだった。祭りではしゃいで転んだ子供が泣きながら運ばれてきては、消毒と絆創膏と「坊ずは泣くな」の三点セットで送り出されていく。
冬には診療所の前の雪かきを、いつの間にか近所の男たちがやるようになっていた。誰が頼んだわけでもない。「先生の患者が転んだら、先生が休めなくなる」というのが彼らの言い分だった。この診療所が町の人にどう思われているか、それだけで分かるだろう。
俺が医者になりたいと初めて思ったのがいつだったのかは、正確には言えない。ただ、あの夜からずっと俺の中に残っている光景があった。寝巻きに白衣の大男が、電話一本で夜の病院への道を開けていく後ろ姿。ハンドルを握る節くれだった手。あの言葉を言い切った声。
かっこいいというのとも少し違う。ああいう大人がこの世にいるなら、俺もそっち側に行きたい。そういう感じだった。
中学に上がると、俺は新聞配達を始めた。家計の足しにしたいと言ったら、母は最初いい顔をしなかった。子供がそんな心配をするなというのが母の言い分で、勉強に触るならやめさせるという条件付きの許可だった。朝の四時半に起きて自転車で町を回る。配達区域には商店街も入っていて、診療所の郵便受けに新聞を差し込むのが折り返しの目印だった。
冬の朝、診療所の前で雪かきをしている先生とたまに行き合った。
「せが出るな、坊主」
「先生こそ」
「年寄りは朝が早いだけだ」
それだけの白い息の会話が、妙に誇らしかった。
配達は雨の日も雪の日もあった。指がかじかんで新聞を落とす朝も、眠くてたまらない試験前の朝もあった。それでも続けられたのは、給料袋を母に渡す時のあの照れ臭い間があったからだ。母は毎回「ありがとう、半分だけ」と言って、残り半分を俺名義の郵便貯金に入れた。その通帳が後に医学部の受験料と引っ越し代になる。
でも俺はその夢を、長いこと誰にも言えなかった。医者になるには金がかかる。それくらいは中学生になれば分かる。塾に行く金もないうちで、母に無理を言うなんて言葉を口にさせるわけにはいかなかった。
中三の秋、進路のことでそれが破裂した。唇を切ったのは身内だった。法事で会った母の兄、つまり俺の叔父が言ったのだ。
「しん、お前まさか大学なんて考えてないだろうな。あき子、あのな、世の中には身の丈ってもんがある。母子家庭が夢を見ると、ろくなことにならん」
あき子というのは母の名だ。母は何も言い返さず、ただ「心配かけてごめんね」と頭を下げた。その姿を見た瞬間、腹の底が冷たくなった。悔しさよりも、母に頭を下げさせている自分の夢の方が憎かった。
俺は進路希望の紙に「未定」と書いた。三者面談で担任は「成績なら上を狙える。もったいない」と言われても、俺は曖昧に笑ってやり過ごした。隣の母が「すみません。家でよく話し合います」と小さくなるのを、俺は見ていられなかった。
その紙を出した週の土曜日、小春の薬をもらいに診療所へ行くと、先生が待合室で新聞を読んでいた。患者の切れた昼下がりだった。
「坊主、顔に何か書いてあるぞ」
「何も書いてないです」
「書いてある。言ってみろ」
先生の前だとなぜか嘘がつけなかった。俺はぽつぽつと全部話した。医者になりたいと思っていること。金がかかること。叔父に言われたこと。母に頭を下げさせたくないこと。だから、もうこの話は終わりにするつもりだということ。
先生は新聞を畳んで、しばらく黙っていた。それから言った。
「よし、金の話をしよう」
「え?」
「夢の話じゃない。金の話だ。医学部に行くのにいくらかかって、どこから借りられて、どうすれば返せるか。お前、調べたことあるか?」
「ないです」
「調べもせんで諦めるのは、諦めるとは言わん。ただの逃げ足だ」
先生は診察室から紙とペンを持ってきて、待合室の長椅子で俺の隣にどっかり座った。
「国立大学なら学費は抑えられること。授業料の免除という制度があること。奨学金は借金だが、医者になれば返していけること。新聞配達でも家庭教師でも、稼ぎながら通った奴を先生は何人も知っていること」
先生の字でチラシの裏にざっと書き出された数字は、生まれて初めて見る種類の地図だった。険しいが、道は道だ。
「先生はどうやって医学部を出たんですか?」
「俺か。俺は新聞配達と家庭教師と皿洗いだ。学生の頃の飯は、安い月の店を選ぶのが鉄だった」
「先生も、貧乏だったんですか?」
「村を出る時、親父が持たせてくれたのは米と布団だけだ。話にならんくらい貧乏だった」
先生は子供扱いに行って、それきりその話はしなかった。
「道は細いがある。細い道はな、覚悟のあるやつしか歩けん。だから逆に、吸い取る」
先生はそう言って、にやりと笑った。
「お前はどうする?」
俺はその細い道の入り口が、急に目の前に見えた気がした。
「歩きます」
「よし。なら母ちゃんには俺から話すとは言わん。自分で言え。頭を下げるんじゃなく、計画を見せろ。それが筋だ」
その夜、俺は母に初めて自分の口で言った。医者になりたい。国立しか受けない。学費は借りて自分で返す。だから高校の三年間だけ、弁当を作ってほしい。言葉だけじゃない。俺は大学ノートに、先生と書き出した数字を写して見せた。学費、生活費、奨学金の額、バイトの見込み、返す年数。子供の計画だから穴だらけだったと思う。それでも母はそのノートを一ページずつ、ゆっくりめくった。
母はエプロンのひもをずっと握ったまま聞いていた。終わると一度だけ鼻をすすると、言った。
「弁当だけでいいの?」
それが母の返事だった。
その晩、母は寝る前に棚に置いた父の写真の前に、長いこと座っていた。翌朝、母は何事もなかった顔で味噌汁をよそいながら、一つだけ条件を出した。
「体を壊すのだけはなしにしてお父さんとの約束ね」
「はい」と答えた。この家で体の話がどれだけ重いか、分からない年ではなかった。
その冬、俺は生まれて初めて勉強で夜更かしをした。塾には行けないから、参考書は先輩のお下がりと古本で揃えた。分からないところは学校の先生に食い下がって聞いた。
翌年の春、俺は都立高校に受かった。学費のかからない、家から自転車で通う高校だった。合格を報告に行くと、先生は「都立か。よし」とだけ言い、貞子さんは赤飯を炊いてくれた。叔父はそれきり、進路の話をしなくなった。
高校に入ってから、俺は毎週土曜に診療所へ通うようになった。きっかけは掃除だった。ある土曜日、待合室の蛍光灯を変えようとして脚立から降りられなくなっている先生を見かねて、俺が変えた。次の週には薬棚の高いところの整理をやらされ、その次の週には庭の草むしりをやらされた。気づいたら、土曜の午後は診療所の雑用をする日になっていた。
「バイト代は出さんぞ。その代わり、終わったら奥で勉強していけ。分からんところは教えてやる」
それが先生の言い分だった。診療所の茶の間には古いちゃぶ台と傾いた本棚があった。俺はそこで問題集を広げ、貞子さんの入れる番茶を飲みながら、夕方まで勉強した。数学は先生より貞子さんの方が教えるのがうまいということは、二人には内緒にしていた。
診療室の壁の一面はカルテの棚だった。茶色く焼けた紙のカルテが五十音にぎっしり並んでいる。ある時、棚の整理を手伝いながら「この量は何人分あるんですか」と聞いたら、先生は子供扱いに行った。
「さあなあ。数えたことはない。だがな、この棚はこの町の家族の記録だ。じいさんの血圧の横に、孫の水ぼうそうが並んどる。そういう棚は大学病院にもどこにもない。ここにしかない」
先生は自慢というものをほとんどしない人だったが、この時だけは少し自慢に聞こえた。
その二年三年で、俺は先生の仕事を間近で見ることになった。久保田診療所の待合室は、いつも年寄りと子供でいっぱいだった。順番なんて合ってないようなもので、具合の悪い順に先生が勝手に入れ替える。文句を言う患者は一人もいなかった。
診察室の会話は待合室まで筒抜けだった。
「先生、今月ちょっと…」
「体の方が先だ」
その度に先生は机の引き出しから診察券を一枚出して、裏に万年筆であの言葉を書いて渡すのだった。俺が持っているのと同じ、かすれた四角い字。この町のあちこちの家の茶だんすや仏壇の引き出しに、あの札が入っているのだと思うと、なんだか不思議な気持ちがした。
夜中に扉を叩かれるのもしょっちゅうだった。土曜に泊まり込みで試験勉強していた夜、俺は二度それを見た。一度は腹を押さえた酔っ払いの親父さん。一度は熱を出した赤ん坊を抱いた若い夫婦だった。先生は二度とも全く同じ動きで起きて、白衣を引っ掛けて階段を降りていった。
「先生、寝ないで平気なんですか?」
翌朝聞いたら、先生は味噌汁をすすりながら言った。
「平気なわけあるか。年寄りに夜中は応える」
「じゃあ、なんで断らないんですか?」
「扉を叩く方は、応えるどころの騒ぎじゃないからだ。お前が一番よく知っとるだろう」
俺は黙って味噌汁を飲んだ。あの夜、拳が痛くなるまで扉を叩いた感触は、手が覚えていた。
高一の冬には、俺自身が世話になった。インフルエンザで三十九度を出して、母に連れられて診療所に転がり込んだのだ。先生は俺の喉を覗き込んで、開口一番こう言った。
「医者の卵が不養生とは何事だ?」
「まだ卵にもなってません。ただの高校生です」
「口が減らんなら大丈夫だ」
注射と薬をもらって帰り際に、先生は母にこう言った。「この子は根を詰める質だから、飯と睡眠だけは親が見張ってやってくれ」と。熱でぼんやりした頭で、「見張られているのは俺の方だったのか」と思った。
高二の秋には、夜の往診についていったことがある。商店街の三本裏の長屋に住むキヨさんという一人暮らしのばあさんの具合が悪いと、孫だという人から電話が来たのだ。先生は黒い鞄を掴んで、俺には「荷物持ち」とだけ言った。
キヨさんは布団の中で、思ったより元気そうに毒づいた。
「先生、大げさなんだよ。うちの孫は大げさで」
「結構。キヨさん、飯はいつから食っとらん? 言うべ」
「そういうことだ」
先生は診察を終えると、台所を勝手に開けて鍋と米の残りを確かめ、電話口の孫に明日の朝一番で来られるかを確かめた。帰り際には枕元の薬を並べ直し、「食えんようなら明日また来る」と言い置いた。帰り道、俺は聞いた。
「先生、ああいうのも医者の仕事ですか?」
「医者の仕事は病気を見ることだ。だがな、病気ってやつは暮らしの中で起こる。飯を食っとらん。金がない。一人ぼっちだ。病気だけ見て暮らしを見ん医者は、犯人前だ。病気だけ見るな。暮らしを見ろ」
帰り道は先生と二人で、夜の商店街を歩いた。シャッターの降りた通りは、あの夜小春を背負って走った道でもある。先生は歩きながら店の一軒一軒を顎でさして、「あそこのじいさんは腰」「あそこの嫁さんは前速」と、カルテを口で読み上げるみたいに行った。この人の頭の中には、町が丸ごと入っているのだった。
この言葉の重さが本当に分かったのは、大学病院で働き始めてからだ。最先端の手術室は、患者の暮らしから一番遠い場所でもあった。
大晦日の診療所も覚えている。世間が休みに入る前の駆け込みで、待合室は年まで混んだ。最後の患者を送り出すと、貞子さんが年越しそばを五人前茹でて、うちの母と小春も呼ばれて茶の間で紅白を見た。貞子さんと二人きりになった時、一度だけ聞いたことがある。
「貞子さんは、嫌になりませんか? 夜中も日曜も、こんな」
貞子さんはお玉を持ったまま、少し笑った。
「そうね。若い頃は喧嘩もしたのよ。うちはね、子供を授からなかったの。だからあの人、夜中に子供が担ぎ込まれるとね、休みの日の分まで働いちゃうの。ここへ来る子はみんな、うちの子みたいなものだから」
そう言ってから、貞子さんは俺の湯のみに番茶を足した。一度だけ慣れ染めを聞いたことがある。貞子さんは看護学校を出て大きな病院に務めていたのだが、研修で来ていた若い頃の先生が、金のない患者の支払いを黙って肩代わりしているのを見つけたのだそうだ。
「病院中で変わり者って言われてたのよ。でもね、この人が診療所をやるなら、一生退屈しないだろうなって思ったの」
「当たったでしょ」
貞子さんはそう言って、少し得意そうに笑った。
勉強は正直に言って苦しかった。授業とバイトと診療所の往復で、一日はいつも足りなかった。高二の冬の模試では、志望校の判定は下から二番目だった。結果の紙をちゃぶ台に置いたら、先生はふんと鼻を鳴らした。
「で、やめるのか?」
「やめません」
「なら順番に潰せ。全部いっぺんに賢くなろうとするな。医者の勉強も同じだ」
高三の冬は、診療所のちゃぶ台が俺の陣地になった。夜、診療所の戸締まりの時間まで粘る俺に、貞子さんは決まって握り飯を二つ出してくれた。塩を効かせた、子供の拳より大きい握り飯だ。
「頭はお腹が空くのよ。うちの人もね、国家試験の時は一日に五個食べたんですって」
「五個? 昔の人だからね」
「奥から聞こえとるぞ」
という声がして、貞子さんと二人で笑った。あの冬に食べた握り飯の数が、俺の学力の半分くらいを作ったと今でも思っている。
小春もよく診療所についてきた。小学生になった小春は、待合室の年寄りたちのアイドルで、貞子さんに折り紙を教わったり、順番待ちのばあちゃんの話し相手をしたりしていた。自分が三歳の冬にこの診療所で命を救われたことを、小春は母から聞かされて知っていた。ある日、小春は貞子さんに教わって金色の折り紙でメダルを折った。裏に「久保田先生 金メダル」と書いて、診察の合間の先生の首にかけたのだ。先生は「なんだこれは」と言いながら、そのメダルを診察室の柱に画鋲で止めた。メダルは色あせても、ずっとそこにあった。
高三の三月、合格発表の日。俺の受けた大学は北の県の国立で、発表は昼の十二時に学校のパソコンで見られることになっていた。前の晩はほとんど眠れなかった。布団の中で何度も寝返りを打って、しまいには枕元の財布から診察券を出して、豆電球の明かりで裏の字を読んだ。
「落ちたらまた来年受ければいい。命まで取られるわけじゃない」
そう思ったら、明け方少しだけ眠れた。
朝、母は何も言わずにいつもより大きい弁当を持たせてくれた。蓋を開けると、おかずの卵焼きがいつもの倍あった。何も言わない母のそれが、精一杯の応援だった。母は仕事を休めず、「見たらすぐ電話して」と言って出ていった。
昼過ぎ、進路指導室のパソコンの前で、俺は自分の番号を三回探して三回とも見つけた。医学部、合格。隣で見ていた担任が、俺より先に声をあげた。職員室から出てきた他の先生たちにまで、次々に肩を叩かれた。事務室の電話を借りて母のスーパーにかけると、母は「はいはい」と二回言ったきり、電話の向こうでしばらく何も言わなかった。売り場の隅で泣いているのが、音で分かった。
学校を出て、俺は自転車で診療所へ走った。商店街に入ると、八百屋の店先から田口のおばちゃんが「しんちゃん、どうだった」と叫んだ。受かったと言うと、おばちゃんは前かけで目を押さえて、みかを一袋無料で自転車のかごに突っ込んだ。豆腐屋の親父さんが出てきて、金物屋のおばさんが出てきて、診療所に着くまでの二百メートルで、俺は街中に合格を知られた。後日、法事で顔を合わせた叔父は、罰が悪そうに「大したもんだ」とだけ言った。母はその隣で、少しだけ得意そうな顔をしていた。
昼下がりの待合室には患者が三人いた。診察室の戸が開いていて、先生が年寄りの背中に聴診器を当てているのが見えた。俺は待合室の入り口に立ったまま順番を待った。待ちきれなかった。目があった瞬間、口が勝手に動いた。
「先生、受かりました」
先生の手が一瞬止まった。
「そうか」
それだけだった。先生は診療に戻った。診察中の年寄りの方が「しんちゃん受かったのか」と大騒ぎして、待合室の三人が拍手して、奥から飛んできた貞子さんがエプロンで顔を覆った。
その晩、診療所の茶の間でお祝いになった。母と小春も呼ばれた。肉は先生が商店街の肉屋で「一番いいやつ」と言って買ってきたもので、貞子さんは卵を人数分より多く出して、小春は肉より先にご飯ばっかり食べて笑われた。母は先生と貞子さんに酌をしながら、何度も同じ話をした。あの夜どれだけ心細かったか。診療所の張り紙を見つけた時、どれだけ救われたか。先生はその度「何度目だその話は」と茶化して、貞子さんに「あなたは黙って聞いてあげなさい」と叱られていた。
宴の途中、先生は猪口で一杯だけ酒を飲んだ。酒を飲む先生を見たのは、後にも先にもその晩だけだ。
「坊主」
「はい」
「いいや。もう坊主はやめるか。しん」
「はい」
「なんで医者になろうと思った?」
今更の質問だった。俺は少し考えて、正直に答えた。
「あの夜、先生が金は後でいいって言ったからです」
「そうか」
「あれからずっと考えてました。なんで先生はああ言えるんだろうって。損得で言ったら、絶対損をするのに」
先生は箸を置いた。それから、遠くを見るような目になった。
「俺には、妹がおってな」
初めて聞く話だった。隣で貞子さんが静かに手を止めるのが分かった。
「みねという妹だ。俺が中学一年の時、七つで死んだ。腹の病気だった」
先生の生まれは、山合の貧しい村だったという。戦後の貧しさがまだ残る頃の話だ。村に医者は一人。見てもらうには金がかかった。みねが腹が痛いと言い出してから、親父は三日迷った。金がなかったからだ。医者に連れて行った時には、手遅れだった。
「よく笑う妹だった。兄ちゃん兄ちゃんと、犬みたいに俺の後をついて回った。最後の晩、あいつは俺の手を握って『兄ちゃん、腹が減った』と言った。それが最後だ」
俺は、膝の上の自分の拳を見ていた。背中に小春の熱を感じたあの夜道が蘇ってきた。もしあの夜、診療所の明かりがつかなかったら。もし先生が金の話を先にする人だったら。小春の命もあそこで終わっていたかもしれないのだ。
茶の間が静寂に包まれた。
「医者が悪いんじゃない。親父が悪いんでもない。貧乏が悪い。だがな。あの三日の間に、誰か一人でも『金は後でいい』と言ってくれる大人がおったら、みねは死なずに住んだ。俺は一生それを考え続けとる」
先生は湯のみに視線を落とした。
「だから俺は医者になった。俺の診療所に来る奴には、同じ思いはさせん。金は後でいい。命が先。それだけのことを言うのに、資格が要ったから取った。それだけの男だ。俺はそれだけのために医者になった人が、三十年夜中の扉を叩く音に応え続けている」
俺は何か言おうとして、何も言えなかった。代わりに、あの夜からずっと聞きたかったことを聞いた。
「先生。あの夜、俺と小春が扉を叩いた時、迷惑じゃなかったですか?」
先生は顔をあげて、心底呆れたという顔をした。
「あほう。この俺はな、あの夜、寝床で聞いとったんだ。子供の声で『妹が倒れた』と来た。飛び起きながら、俺はみねのことを思っとった。ああ、来たかと思った。今度は間に合う側になれるか、とな」
先生はそこでふっと笑った。
「間に合っただろう」
俺は頷いた。頷くことしかできなかった。帰り際、貞子さんが玄関で俺にそっと耳打ちした。
「みねちゃんの話ね。あの人が自分から人に話したの、私の知る限り初めてよ。何十年も連れ添った人がそう言うんだから」
俺は預かったものの重さに、玄関先で立ちすくんだ。あの言葉は教訓なんかじゃない。あの人が一生かけて背負っている、たった一人の妹の命なのだった。
出発の前の晩、母が改まって俺に小さな包みをくれた。開けると、黒い革の財布だった。デパートの包装紙がついた、うちの家計からすれば清水の舞台から飛び降りるような買い物だった。
「大人になるんだから、財布くらいちゃんとしたのを持ちなさい」
俺は古い財布から中身を移した。最後に、あの診察券を新しい財布の一番深いところに入れた。母はそれを見て、何か言いかけてやめて、ただ笑った。
旅立ちの朝はあっけなかった。俺はダンボール三箱の荷物を送って、上野駅から北へ向かうことになっていた。前の日に挨拶に行くと、先生は「駅にはいかん。診療がある」と言った。平日だから当然だった。代わりに、玄関先でこう言った。
「しん。一つだけ言っておく。体だけは壊すな。医者の不養生は、患者への裏切りだ」
「はい」
「よし、行ってこい」
それから先生は、思い出したように付け加えた。
「医者になったらな、患者の顔を覚えろ。病名より先に、名前を覚えろ。それができん医者に、患者は本当のことを話さん」
「はい」
「返事だけは昔からいいな、お前は。それだけだ」
握手も見送りもなかった。ただ、あの節くれだった大きな手が、十一歳の時と同じように俺の頭をくしゃりと一つ撫でた。十八歳の背は、もう先生とほとんど並んでいたのに。
翌朝、改札の前で母と小春が手を振った。その少し後ろにエプロン姿の貞子さんがいて、駅弁と番茶の入った水筒を持たせてくれた。
「行ってらっしゃい。体に気をつけてね。あの人、夕べしんちゃんの合格通知の話を三回もしたのよ」
貞子さんの弁当は手作りだった。握り飯と卵焼きと、タコの形のウインナー。十八歳に持たせる中身ではなかったが、それが良かった。窓の外で、見慣れた川と鉄橋が過ぎていく。
電車が動き出してから、俺は財布の中の診察券を出して裏を見た。この言葉に恥じない医者になる。窓の外を流れていく町に向かって、俺はそう約束した。
悔しいことに、涙は上野を出て十分もしないうちに出た。
十八歳の春だった。
ここから先は駆け足で話す。大学の六年間は、勉強とバイトで塗りつぶされた。朝は新聞配達。日中は講義と実習。夜は家庭教師。仕送りは受け取らなかった。代わりに母は月に一度、ダンボールで米と缶詰とレトルトのカレーを送ってきた。箱の隅には毎回、小春の描いた手紙が入っていた。最初はひらがなだらけだった手紙が、年を追うごとに漢字が増え、字が大きくなっていくのが、離れて暮らす俺の暦だった。
帰省は年に二回、盆と正月。帰る度に俺は診療所に顔を出した。先生は俺の顔を見ると決まって「単位は落としとらんか」と聞き、貞子さんは決まって俺の痩せ具合に文句を言い、ちゃぶ台に飯を並べた。
「解剖はどうだ?」
「きついです。覚えることが多すぎて」
「よし、その調子だ」
「どこがですか?」
「きついと言える奴は、ちゃんとやっとる証拠だ。楽だと言い出したら、怒鳴りつけてやるところだった」
先生の髪は帰省の度に白くなっていった。それでも診療所の戸口は変わらず開いていて、待合室には変わらず年寄りと子供がいて、診察室からは変わらず「ある時でいい」が聞こえてきた。
二十四歳で医師免許を取った。合格を電話で伝えると、先生は「そうか」とだけ言った。十八歳の春と全く同じ言い方だった。ただ、受話器の向こうで貞子さんの「おめでとう」がやけに大きく聞こえて、その後ろで何かをどけるような音がした。後から貞子さんに聞いたら、先生は電話を切った後、押入れから酒を出してきて一杯だけ飲んだそうだ。
俺は初期研修を経て、心臓血管外科を選んだ。理由は二つある。一つは救命の最前線に立てること。もう一つは父だ。駐車場で父をたった一人で死なせた、真冬の高速道路のような心臓の病気と、俺はメスで戦えるようになりたかった。そのことを先生に話すと、先生は珍しく長いこと黙っていた。
「そうか。親父さんの土俵か」
「はい」
「なら、腕のいい師匠のおるところへ行け。心臓は根性じゃどうにもならん。手数だ。一にも二にも、数をやれ」
その言葉通り、俺は手術数で名の通った都内の医療センターの門を叩いた。二十六歳の春だった。
そこからの五年間を、俺はほとんど病院の中で生きた。心臓血管外科の世界は、想像の何倍も厳しかった。深夜のホットライン、緊急手術、人工心肺、0. 1ミリ単位の手技。最初の二年は、手術室で立っている以外のことが何もできなかった。それでも数だけは逃げなかった。先生の言葉通り、来た症例は全部拾った。休日は縫合の練習に通い、当直は人の嫌がる日を全部引き受けた。
三十一歳になった今、俺は緊急手術の執刀を任されるようになっている。「この年での執刀は異例だ」「天才だ」という人もいる。冗談じゃないと俺は思う。天才なんてものじゃない。俺はただ、あの診療所の茶の間で言われたことをずっと守ってきただけだ。順番に潰せ。数をやれ。きついと言える奴は、ちゃんとやっとる。
俺の医者人生の節々には、いつもあのぶっきらぼうな声があった。ただ、正直に白状しなければいけないことがある。医者になってからの俺は、その御人にほとんど何も返していなかった。盆も正月も、呼び出しがあれば病院へ戻った。帰省は年に一回になり、二年に一回になり、しまいには年賀状だけになった。月に一度の母からの電話に「ちゃんと食べてる」と聞かれて、「食べてる」と嘘をつくのが癖になった。年賀状の返事には、毎年あの四角い字で一言だけ書いてあった。
「体だけは壊すな」
それを見て安心して、また一年病院に沈む。その繰り返しだった。
母と小春が町を離れたことも、疎遠に拍車をかけた。小春が高校を出た年、母の勤め先の店舗が変わって、二人は隣町に引っ越した。その少し後に、小春は職場で出会った坂本という男と結婚して、母親になった。あのあけぼの商店街も、俺が知っている姿ではなくなった。八百屋の田口のおばちゃんは店を畳んで娘さんのところへ行き、豆腐屋も金物屋もシャッターを下ろした。再開発の話が出ているらしいと、母から聞いた。
そして去年の正月、先生からの年賀状が初めて来なかった。嫌な感じがして診療所に電話をかけた。おなじみになった電話番号は、「現在使われておりません」。
血の気が引いた。すぐ母に電話した。母が昔の近所付き合いに聞いてくれた話では、久保田診療所は三年前に閉院したとのことだった。先生の年齢と建物の老朽化と、後を継ぐ人がいなかったこと。夫婦は診療所を引き払って、商店街の裏の都営住宅の方へ移ったらしい。詳しい部屋までは、誰も知らなかった。
三年前。俺が年賀状しか出さなくなっていた間に、あの診療所は静かに閉じていたのだ。
行かなければ、と思った。町へ行って近所を当たって、引っ越し先を探せばいい。先生が一人、町から消えたのだ。あの商店街で聞いて回れば、誰かは知っているはずだ。そう思いながら、俺は行かなかった。行けなかった、と言いたいところだが、嘘になる。当直とカンファレンスと緊急手術の隙間に、半日の暇くらい作ろうと思えば作れたはずだ。ただ、怖かったのだと思う。子供の頃に人生を救ってもらって、医者にまでしてもらって、その報告を年賀状一枚で済ませてきた俺が、今更どの面下げて行けるというのか。
ぐずぐずしているうちに、季節はまた冬になった。
あの夜が来たのは、二月の風の強い金曜日だった。小春をおぶって夜道を走ったあの夜と同じ季節の、同じ曜日だった。もちろん、そんなことは後から数えて気づいたことだ。
その晩、俺は当直だった。日付が変わる少し前、救命救急センターのホットラインが鳴った。受けた救急部の医師から、すぐに俺のPHSが鳴らされた。
「村瀬先生、緊急です。高齢男性、路上で倒れているところを通行人が発見。血圧低下、意識レベル低下。胸から背中にかけての痛みの訴えあり。解離疑いです」
「受けます。何分で着く?」
「十分」
「それと先生、身元不明です。所持品に身分証がないそうです。小銭入れだけで、名前の分かるものが何もない」
処置室で待っていると、サイレンの音が近づいてきて、ストレッチャーが運び込まれてきた。
「身元不明の高齢男性です。推定八十歳前後。公園脇の路上で倒れているところを通行人が発見。意識レベル低下、頭部に外傷あり。血圧80の50、下がってきています」
古い焦げ茶色のコートを着た、白髪の年寄りだった。額が切れて、血が目尻までこびりついていた。倒れた時にぶつけたのだろう。顔色は蠟のように白かった。
「映すぞ。1、2、3」
台に移してモニターをつけ、服を切り開く。ルート確保。採血。エコー。手を動かしながら、俺は患者の顔を見た。深いしわ、白いほうぼうひげ。うっすら開いた目は天井のライトを見ているようで、何も見ていなかった。
「じいさん、聞こえるか? 分かったら手を握って」
反応はなかった。ただ、うわごとみたいにかすれた声が漏れた。
「背中…痛い」
エコーを当てると、解離の疑いは濃くなった。頭を打っているから、頭のCTも一緒に撮る。幸い、頭の中は無事だった。続けて上がってきた増強CTの画像を見た瞬間、処置室の空気が固まった。
急性大動脈解離、スタンフォードA型。心臓を出てすぐの大動脈の壁が避けて、血液が壁の中に流れ込んでいる。放っておけば解離は心臓に向かって進み、心臓を包む膜の中に血が溢れて止まる。発症からの死亡率は、一時間ごとに上がっていく。緊急手術以外に助かる道のない病気だ。そして、俺がこの手に叩き込んできたまさにその病気だった。
「手術です。準備を」
俺がそう言った時、処置室の空気がわずかに揺れた。当直の医師が、CTの画面を見ながら低い声で言った。
「村瀬先生、推定八十歳ですよ。それに、この方、身元不明です。既往歴も内服歴も何も分からない。ご家族の同意も取れない」
若い研修医も、困りきった顔で続けた。
「警察には問い合わせていますが、身元が分かるまでどれくらいかかるか。手術となると同意書が必要で…」
「同意を待っている間に、解離が心臓に届いたら?」
俺が言うと、処置室が静かになった。誰も答えなかった。答えは全員分かっていた。それでも、八十歳。身元不明。リスクの塊みたいな緊急手術に踏み込むことに、みんなの足がすくんでいた。すくんで当然だった。これはそういう手術だ。
その時だった。処置の続きで患者の腕を消毒しようとして、俺はその手を見た。
節くれだった、岩みたいにごつごつした大きな手だった。指の関節が太くて、爪が短くて、手の甲に古い傷の跡がいくつもある。長年水仕事か力仕事をしてきた人の手。それでいて、指先だけが妙に繊細な形をしている手。
心臓が、嫌な音を立てた。
俺はこの手を知っている。どこで、とはまだ言えなかった。ただ、この手に頭を撫でられたことがある。そう思った瞬間、処置室の照明が、一瞬あの夜の診療所の丸い電灯に見えた。
「先生、どうしました?」
看護師の声で我に返った。俺は首を振って、消毒の続きをした。まさか、と思った。よく似た手の年寄りなんて、いくらでもいる。そう自分に言い聞かせた。でも、鼓動は早くなったままだった。
手術の方針を巡って、処置室の隣の詰所で短い協議になった。俺は即時執刀を主張した。麻酔科医は年齢とリスクを並べた。研修医は同意の問題を繰り返した。押し問答の間にも、モニターの数字はじりじりと悪くなっていった。
麻酔科医の言い分は、医学的には何ひとつ間違っていなかった。既往歴が分からない。飲んでいる薬が分からない。八十歳の体に人工心肺を回して持つかどうかも分からない。全部その通りだ。この病気は手術しなければ確実に死ぬ。手術しても助かるとは限らない。それでも、時計の針は待ってくれない。壁の時計を、俺は何度も睨んだ。
そこへ、看護師の一人が処置室から駆け込んできた。持ち物の確認をしていたベテランの看護師だった。
「先生、ご本人の持ち物、これだけでした。身元の手がかりになるか分かりませんが」
トレーの上に、ハンカチと小銭入れと、それから古い紙のカードが数枚乗っていた。俺はそれを何気なく手に取った。厚めの名刺より少し大きいカード。角がすり切れて、日に焼けている。印刷された文字を読んだ瞬間、俺は自分の心臓の音を聞いた。
「久保田診療所 内科・小児科」
その下に、番地まで忘れたことのないあの商店街の住所が記してあった。
「まさか」
声に出ていたと思う。震える指でカードを裏返した。裏には、かすれた万年筆の字でこう書いてあった。
「金は後でいい。命が先」
四角い、不器用なあの字だった。俺の財布の中で二十年間眠っている診察券と同じ、同じ手が書いた、同じ言葉だった。
トレーの上の残りのカードも、全部裏返した。全部に同じ字で、同じ言葉が書いてあった。一枚だけじゃない。何枚も持っている。つまり、これはもらった側の持ち主じゃない。配る側の持ち主だ。診察券を配る側の人間は、この世に一人しかいない。
全身の血が一度に下がって、一度に戻ってきた。なぜ。という問いが頭の中で渦を巻いた。なぜ先生がここに。なぜ身元不明で。なぜ路上で。貞子さんはどうした? まさか貞子さんの身にも何か。
分かっていることは二つだけだった。処置台の上の患者は、久保田先生。俺の御人であるということ。そして、このまま手をこまねいていれば、助からないということ。
俺は研修医を捕まえて、早口で伝えた。
「この人には家族がいる。妻の貞子さんと二人暮らしのはずだ。診療所は閉院したが、昔の住所なら分かる。あけぼの商店街のはずれ。近くの都営住宅に移ったと聞いたことがある。警察にそう伝えて、探してもらってくれ」
自分の声が、少しずつ医者の声に戻っていくのが分かった。取り乱している暇はない。この夜に限っては、俺が取り乱した分だけ、助かるものも助からなくなる。
俺は処置台に駆け寄った。血の気のない顔、白いほうぼうひげ、深いしわ。血の跡と酸素マスクが、その顔をずっと隠していた。でも、分かってしまえば、どうして分からなかったのかと思うほど、その顔だった。
寝巻きの上に白衣を引っ掛けて、真夜中の戸口に立っていた人。ハンドルを握っていた大きな手。合格の日に「そうか」と言った人。俺の頭を二度、くしゃりと撫でた人。
「先生」
酸素マスクの下の顔は答えなかった。
「先生、久保田先生。俺です。しんすけです。分かりますか? 村瀬俊介です」
まぶたがわずかに動いた気がした。でも目は開かなかった。モニターの警告音が、また一段階嫌な音に変わった。
俺は顔をあげた。詰所の全員がこっちを見ていた。
「この人の身元、俺が保証します。久保田先生。久保田診療所の元院長で、この町で四十年、町医者をやってきた人です」
言いながら、声が揺れた。揺れたままで言い切った。
「この人は、二十年前に俺の妹を救ってくれた先生です」
処置室が、静まり返った。
「十数年前の冬でした。三歳の妹が夜中に髄膜炎を起こして。金もなくて、救急車を呼ぶことさえ怖くて。俺はこの人の診療所の扉を叩くことしかできなかった。この人は寝巻きのまま出てきて、最初に何て言ったと思いますか?」
誰も答えなかった。俺はトレーの診察券を持ち上げた。
「『金は後でいい。すぐ診察してやる』。そう言ったんです。それで妹は生きて、今は母親になってます。この裏の言葉は、この人が四十年、金のない患者に配り続けてきた言葉です」
麻酔科医が、黙ってCTの画面に目を戻した。研修医は、何かを言いかけてやめた。
そこへ、連絡を受けた島崎部長が到着した。うちの心臓血管外科の部長で、俺に手術の全てを叩き込んだ人だ。五年前、駆け出しの俺を面接で取ってくれた人でもある。事情を聞かれて、俺があの夜の話を馬鹿正直に全部喋ったら、部長は腕を組んで一言。
「うちは体力しか見とらんのだがな」
それがこの人なりの照れ隠しだと知るのは、だいぶ後になってからだ。
部長は白衣の単発にいつも通りの仏頂面で、CTを十秒眺めていた。
「A型だ。解離の入り口は、心臓出てすぐだな」
「この騒ぎは何だ?」
俺は同じ説明を繰り返した。二十年前の夜のこと。この人が誰なのか。そして最後に、頭を下げた。
「執刀させてください。今度は、俺が助けます」
島崎部長は腕を組んで、俺を見た。長い沈黙だった。
「村瀬、一つだけ聞く。お前のそれは、私情か?」
「私情です」
即答した俺に、部長は眉をあげた。俺は続けた。
「私情です。でも、手は乱れません。この人に対する手術だけは、俺は一生できません。この人の前でだけは、絶対に」
部長はもう十秒、俺の目を見ていた。それから、詰所の全員に聞こえる声で言った。
「方針、緊急手術。同意は取れる状況になり次第、救命を優先する。責任は俺が持つ。記録にそう残せ。警察への問い合わせと家族の捜索は、研修医と看護で続行。村瀬、執刀はお前だ。俺が外回りで、助手に立つ」
「ありがとうございます」
「礼はいらん。それより一つ訂正しておく」
部長はCTの画面を顎でさした。
「執刀で手術が乱れる奴は、そもそも執刀には呼ばん。お前を呼んだのは、今夜この病院で動ける人間の中で、この手術を一番数やっとるのがお前だからだ。勘違いするな」
それがこの人なりの言葉だということは、五年も下で働いていれば分かる。俺はもう一度だけ頭を下げて、手術室へ走った。
手術室へ向かう廊下で、さっきのベテラン看護師が追いついてきて、透明な袋に入れた診察券を俺に見せた。
「お預かりしておきます。終わったら、ご本人にお返ししましょう」
それから、袋の裏の字にちらりと目を落として、その人は言った。
「いい言葉ですね。うちの救急に張りたいくらい」
麻酔科医も、手術室の前で待っていた。さっきまで反対していた男は、俺と目が合うと短く言った。
「全力でやります。麻酔は任せてください」
俺は短く礼を言った。あの診察券は、そこにあるだけで人を動かす。四十年、この町でそうだったように。
手洗い場で爪の先まで洗いながら、俺は一度だけ目を閉じた。まぶたの裏にあの夜が見えた。診療所の奥に灯った明かり。ガラリと開いた戸。妹ごと背中を抱えた、大きな手。あの夜、先生は間に合ってくれた。今度は、俺の番だ。
手術室に入ると、いつもの顔ぶれがいつもの位置についていた。器械出しの看護師が器具の最終確認を終え、麻酔科医が薬剤を読み上げる。俺は患者の顔を、布がかかる前にもう一度だけ見た。
「久保田さん、八十歳。急性大動脈解離に対する緊急の人工血管置換術を行います。よろしくお願いします」
チームの「お願いします」が重なった。あの夜、この人はたった一人、電話一本で夜の橋をかけた。今夜は十人掛かりだ。それでも、やっていることの本質は同じなのだと俺は思うことにした。目の前の命を、放っておかない。それだけだ。
布がかかる前に見た先生の体は、記憶より一回りも小さかった。あんなに大きく見えた肩も胸も、八十年分の歳月に削られて薄くなっていた。それでも、この薄い胸が、四十年この町の夜を支えたのだ。メスを持つ手にあの夜の診療所の明かりを思い浮かべて、俺は最初の一歩を踏み出した。
手術は深夜の二時に始まった。胸を開くと、大動脈は今にも破れそうに膨らんで、紫色に変わっていた。解離は思ったより長い。人工心肺を回し、体温を下げ、心臓を止める。避けた血管を切り取って、人工血管に置き換えていく。やるべきことは頭に全部入っていた。何百回とやってきた手順だ。
それでも、開いた胸の中で弱々しく動いているのが誰の心臓なのかと思うと、指先の感覚が一段階鈍くなるのが分かった。四十年、夜中の扉を叩く音に応え続けた心臓だった。雪の日も、往診に出て、俺と小春のために真冬の夜道でハンドルを握った心臓だった。止めていい心臓じゃない。
一度だけ、ひやりとする場面があった。長年の血圧の負担のせいか、血管の壁が思った以上にろくなっていて、縫い合わせた場所から出血がにじんで、止まりにくいのだ。当て布を足し、縫い方を変え、縫い目を細かくする。焦れば焦るほど手は遅れる。分かっているのに、指先がわずかに焦った。
「村瀬、呼吸」
向かいから、部長の低い声が飛んだ。俺は息を整えた。持針器を持つ、縫う、結ぶ、切る。その繰り返しの中で、頭の芯だけが妙に静かになっていった。
ふと、あの言葉を思い出した。
「医者はな、金がある人だけを助ける仕事じゃない。目の前で苦しんでいる人を、放っておけないだけだ」
あの夜明けの病院の廊下で、この人はそう言った。先生、俺は今、目の前のあなたを放っておけません。あなたに教わった通りにやってるだけです。だから、戻ってきてください。
夜が開ける頃、人工血管はつなぎ終わり、心臓は自分の力で動き出した。血圧が安定して、出血がないことを確かめて胸を閉じたのは、朝の十時過ぎだった。八時間を超える手術になった。
「戻ったな」
部長が、ぼそりと言った。手術室の空気が、ようやく緩んだ。俺はマスクの中で長い息を吐いた。膝が笑いそうになるのをこらえた。モニターの上で、規則正しい波形が流れていくのを、俺はしばらく黙って見ていた。世界で一番きれいな模様に見えた。
先生はICUに移された。鎮静でまだ目は覚まさない。覚めるまでには数日かかる。八十歳の体に八時間の手術だ。これからの数日が、もう一つの山だった。
更衣室で着替えながら、俺はロッカーの財布を開けて、あの診察券を出した。二十年分すり切れた札の裏の字を、指でなぞる。
間に合いましたよ、先生。声には出さずに、そう報告した。それから、報告する相手はまだ眠っているのだと思い出して、一人で少し笑って、少し泣いた。
身元が正式に分かったのは、その日の昼前だった。警察から病院に連絡が入った。昨夜遅く、高齢の女性から「夫が帰らない」と相談が出ていた。特徴が一致した。久保田、八十歳。元医師。妻・貞子と二人暮らし。
午後、その人は警察官に付き添われて、ICUの面会口に現れた。久しぶりに見る貞子さんは、随分小さくなっていた。背中が丸くなり、髪は真っ白で、杖をついていた。それでも、面会口で立ち止まって深々と頭を下げる姿勢は、診療所の受付にいた頃のまま、少しも変わっていなかった。
「主人が、大変お世話になりまして」
貞子さんは俺の顔を見て、そう言った。分からないのだ。無理もなかった。最後に会ったのは六年前。研修一年目の正月だ。しかも、今目の前にいるのは手術着姿の、一晩寝ていない男だ。あの「しんちゃん」だと思う方が、どうかしている。
俺は名乗ろうとして、うまく声が出なかった。二度目で、やっと出た。
「貞子さん、俺です」
「…はい」
「二十年前の冬に、三歳の妹をおぶって、真夜中の診療所の扉を叩いた、小学五年の男の子です。村瀬俊介です」
貞子さんの目が、ゆっくりと見開かれていった。杖が、床に落ちた。
「しんちゃん?」
「はい」
「じゅんちゃんなの? あなたが、主人を…」
「俺が手術しました。心臓の大きな血管が避ける病気でした。手術は成功です。まだ眠っていますが、山は越えつつあります」
貞子さんは両手で口を覆い、崩れそうになるのを俺は慌てて支えた。杖を拾って持たせても、貞子さんはしばらく言葉にならない声を出して、泣いた。
「ごめんなさいね。ごめんなさいね」
と繰り返すので、「何がですか」と聞いたら、貞子さんは涙だらけの顔で言った。
「だって、あなた。こんな、こんな立派になって。あの人がね、ずっと言ってたのよ。あの子はきっといいお医者さんになるって。しんちゃんの年賀状が来るたびに、仏壇でもないのに年賀状に手を合わせるのよ、あの人」
今度は、俺の方が言葉を失った。
面会時間まで、俺は貞子さんを家族控室に案内して、話を聞いた。聞きたいことが山ほどあった。診療所を閉めたのは、三年前の春だという。先生の膝と目が年齢に勝てなくなったこと。建物の老朽化の問題。後を継ぐ医者を探したが、あの立地であの経営では、来る人がいなかったこと。最後の診療日には、待合室に入りきらないほど人が来て、先生は最後の患者を見終わった後、誰もいなくなった診察室で白衣を畳んで、長いこと座っていたそうだ。
「今は、商店街の裏の都営住宅にいるの。診療所の建物は、そのままよ。取り壊すお金もないし。あの人、売る話には全部首を振ってね」
「年賀状が去年から届かなくなったのは、それでですか?」
「ああ、ごめんなさいね。引っ越してから一年は郵便屋さんが転送してくれたんだけど、それも切れてしまって。年賀状はね、途中で力尽きちゃって。あの人ったら、しんちゃんの分だけは自分で書くっていって、机に置いたまま。ほら、あの性格でしょ。改まった手紙が書けないのよ。書きかけの年賀状なら、今もうちにあるわ」
俺は黙って、うつむいた。電話一本かければ済んだのだ。半日町を歩けば、分かったのだ。書きかけの年賀状のせいじゃない。俺が来なかっただけだ。
「それで、夕べ先生はどうしてあんな時間に外に?」
貞子さんは、少し困ったように笑った。
「公園の向こうのアパートの二階のね、お子さんが夕方から熱を出したんですって。お母さんが一人で見てるのを、あの人、散歩の途中で聞いちゃったのよ。それで、夜中に様子だけ見に行って。もう、見られる体じゃないのにね。『朝一番で病院へ行きなさい。タクシー代はなければ貸すから』って。その帰り道だったの」
「ああ、二階のお子さんはね、朝一番に病院にかかって、大事なかったそうよ」
ああ、と思った。二十年経っても、この人はあの夜のままだった。
「診察券をね、まだ持ち歩いているのよ。診療所はもうないのに。誰かが困ってると、あの札の裏に同じ言葉を書いておいて、渡すの。『見られんけど、心配するな。命が先だ』って。バカでしょ? うちの人」
「バカじゃないです」
俺は首を振った。
「その札に、俺はずっと生かされてきました」
それから、俺はずっと言えずにいたことを、やっと言った。
「貞子さん、すみませんでした。閉院のこと、去年知っていたのに。尋ねもせずに、こんな形でしか会いに来られませんでした」
貞子さんは、ゆっくり首を振った。
「医者が忙しいのはね、いいことなのよ。あの人がいつも言ってたわ。腕のいい医者ほど、忙しい。忙しくない医者には、患者が見られとらんって。それにね、しんちゃん。あなた、ちゃんと間に合ったじゃないの?」
間に合った。その一言に、どれだけ救われたか分からない。
その夜、先生の血圧が一度大きく崩れた。日付が変わる頃、ICUから連絡が来て、俺は当直でもないのに病院へ走った。術後の心臓がふらついていた。薬を調整し、数字と睨み合い、夜明けまでICUの椅子から動かなかった。朝方、数字は持ち直した。力が抜けてICUの隅で天井を見上げていたら、いつの間にか後ろに島崎部長が立っていた。
「昨日、私情と言ったな。あれは、撤回する」
部長はモニターを一瞥して、言った。
「私情も二十年抱えれば、執念という。悪い手術じゃなかった。ついていてやれ。ここが戻るまでが、お前の手術だ」
それから三日、俺は仕事の合間の全てをICUで過ごした。二日目の夜、ICU担当の研修医が遠慮がちに聞いてきた。
「村瀬先生、その患者さんの話、聞かせてもらえませんか? 処置室にいた看護師さんから、少しだけ聞いたんですけど」
俺はモニターの波形を見ながら、ぽつぽつと話した。あの夜のこと。診察券のこと。その裏に書かれた言葉のこと。研修医は黙って聞いて、最後に言った。
「僕、そういう医者になりたくて、この仕事を選んだんでした。思い出しました」
その顔を、俺は笑えなかった。俺自身が、忙しさにかまけてあの診療所から遠ざかっていた張本人だからだ。あの夜の話は、多分この研修医の口から病院の中に、静かに広がっていった。
貞子さんは、毎日面会時間きっかりに来た。ガラス越しに先生を見て、看護師に丁寧に頭を下げて、帰っていく。持ってくる紙袋には、洗い立ての肌着と髭剃りと先生の老眼鏡が入っていた。目を覚ましたら、すぐ新聞が読めるようにだそうだ。
「あの人、新聞がないと機嫌が悪いから」
と貞子さんは大真面目に言った。
三日目、帰り際に貞子さんは紙袋を俺に押し付けた。中には、握り飯が二つと番茶の入った水筒が入っていた。
「顔が受験の時のしんちゃんに戻ってるわよ。食べなさい」
握り飯は、高三の冬にちゃぶ台で食べたのと同じ、少し塩の効いた大きな握り飯だった。ICUの廊下で食べたら、目の奥が熱くなって困った。
先生が目を覚ましたのは、手術から四日目の朝だった。それまでの四日間、俺は時間を見つけてはICUに下り、眠っている先生の顔を見た。自発呼吸が戻り、人工呼吸器の管が外れ、数字が一つずつ落ち着いていく。ベッドの脇で、俺は先生の手を何度も見た。点滴の針が入った、節くれだった大きな手。この手があの夜、真夜中の受話器を握って、小春の命の道をつないだのだ。今度はこっちが繋ぐ番だと、何度でも思った。
ICUの看護師から「先生が目を覚まされました」と連絡をもらって、俺は病棟の階段を駆け下りた。エレベーターを待つ時間が惜しかった。
ベッドの脇に立つと、先生は天井を見ていた。酸素マスクは外れて、細い管だけが鼻に残っている。頬はこけて、ほうぼうひげは白く伸びたままだったが、目には光が戻っていた。ぼんやりと天井を泳いでいたその目が、ゆっくりと動いて、俺を捉えた。
「先生、分かりますか? ここは病院です。先生は心臓の血管の病気で倒れて、手術を受けました。手術は、うまくいきました」
先生はしばらく、俺の顔を見ていた。麻酔の名残りで、まだ焦点の合いきらない目だった。それでも、その目が俺の名札を読み、それからもう一度俺の顔に戻ってくるのが分かった。乾いた唇が、ゆっくり動いた。
「しん…すけ…か」
「はい」
返事が、それしか出なかった。二十年経っていた。俺の背は伸びて、白衣を着て、この人の心臓を八時間縫った後だった。それでも、この人の前では、あの夜の扉を叩くことしかできなかった十一歳のままだった。
先生の目が、俺の顔から天井へ戻った。何かを思い出そうとするように、しばらく黙っていた。それから、かすれた声で言った。
「妹さんは、元気か」
一瞬、何を聞かれたのか分からなかった。分かった瞬間、目の奥が焼けるように熱くなった。この人は今、目を覚ましたばかりだ。自分がなぜここにいるのかも、まだ半分も分かっていないはずだ。その頭で、最初に確かめたのが、それだった。あの夜、診察台に寝かせた小さな患者のことを、この人はまだ診察の途中みたいに気にかけていた。
「元気です」
涙がこぼれる前に、言った。
「元気です。あれから一度も大きな病気はしていません。結婚して、去年、女の子を産みました。先生のおかげで、今は母親になりました」
先生は天井を見たまま、ゆっくりと二回、瞬きをした。
「そうか」
しわの寄った目尻が、ほんの少しだけ緩んだ。
「そうか。よかった」
それだけ言うと、先生は疲れたのか、また眠ってしまった。俺はベッドの柵を握ったまま、しばらくそこを動けなかった。後ろで看護師が、そっと鼻をすする音がした。
先生の回復は、八十歳という年齢を思えば驚くほど順調だった。目を覚ました翌日には、貞子さんの持ってきた老眼鏡で新聞を読み始め、三日目には看護師の点滴の注文に口出しをして、師長に叱られた。そのくせ、廊下を歩くリハビリだけは誰より素直にこなして、担当の理学療法士を感心させた。それでいて、夜勤明けの若い看護師には「あんたも夜中働きか、ご苦労なことだ」と労いを張るみたいな言い方をするので、病棟ではあっという間に人気者になった。
一週間でICUを出て、一般病棟の個室に移った。個室にしたのは病院の計らいで、正確に言えば事情を知った看護師長が「あの診察券の先生でしょう。相部屋なんてとんでもない」と譲らなかったからだ。あの夜の処置室の話は、もう病院の隅々まで行き渡っていた。
個室に移って数日後の日曜、母と小春が見舞いに来た。赤ん坊連れの面会は本来なら断られるところだが、あの看護師長が「短時間なら」と特別に通してくれた。
小春は、生後十か月のひなを抱いていた。病室の扉を開けた母は、ベッドの先生を見るなり、廊下に響く声で「先生」と言ったきり、絶句した。随分久しぶりの再開だった。付き添ってきた貞子さんと母は、廊下で手を取り合って、しばらく二人で泣いていた。
「あき子さん、ちっとも変わらないわね」
「貞子さんこそ」
と言い合っていたが、正直どちらも随分変わった。それでも手を取り合った瞬間に離れていた時間が消えるのだから、人の縁というのは不思議なものだ。
母はベッドの脇まで進んで、深く長く頭を下げた。
「久保田先生。村瀬あき子です。あの節は、小春が本当に本当にお世話になりました」
先生はベッドの上で、目を丸くしていた。
「ああ、稲荷寿司のお母さんか」
「覚えていてくださったんですか?」
「うまかったからな、あれは」
母は泣き笑いになった。それから、小春が進み出た。
「先生、小春です。あの夜、兄に負ぶわれて運ばれた、三歳の小春です」
先生は小春の顔をじっと見た。それから、その腕の中の赤ん坊を見た。
「私、あの夜のことを覚えていません。熱で、全部忘れてしまいました。だから、助けられた意味が分かってからも、きちんとお礼を言えないまま、二十年が経ってしまいました」
小春の声が、途中から震えた。
「でも、私が今日ここにいるのも、この子がこの世にいるのも、先生があの夜、扉を開けてくださったからです。先生。ありがとうございました」
小春は深く頭を下げた。釣られたように、腕の中のひなが「ああ」と声をあげた。先生は何も言わなかった。ただ、点滴の管のついた右手をゆっくりと持ち上げて、ひなの方へ伸ばした。小春がそっと近づけると、ひなの小さな手が、先生の節くれだった人差し指を、きゅっと握った。
「握力は合格だ」
先生がそう言ったので、病室中が笑って、笑いながらみんな少し泣いた。
帰り際、廊下まで見送りに出た俺に、小春が言った。
「今日はね、もう一人、お礼を言いたい人がいるの」
「ん? 誰だ?」
小春はひなを抱き直して、まっすぐ俺を見た。
「兄ちゃんに。あの夜、私を背負って走ってくれて、ありがとう」
不意打ちだった。これまでこの妹は、俺に礼なんて言ったことがなかった。言われたくてやったことでもなかった。それなのに、廊下の真ん中で目の奥が一気に熱くなって、俺は返事の代わりに、小春の頭をくしゃりと一つ撫でた。あの人が俺にしてくれた、あの撫で方だった。
さっき病室の戸口から見ていた光景が、目に焼きついて離れなかった。あの真冬の夜、診療所の診察台の上に上がった小さな命が、二十年経ってもっと小さな命を連れて、同じ人の指を握っている。命はこうやって、繋がっていくのかと思った。そして、その繋がりの結び目に、この不器用そうな年寄りの大きな手があるのだった。
その晩、眠る前の病室に俺はもう一度寄った。先生は起きていて、窓の外を見ていた。都会の夜景を眺める横顔は、なんだか診療所の茶の間にいた頃より小さく見えた。
「先生、調子はどうですか?」
「傷が痛む。飯がまずい。看護師が厳しい」
「順調ですね」
「ふん」
俺は丸椅子をベッドの横に寄せて、白衣のポケットから財布を出して、その中の一枚を抜いて先生の手元に置いた。角がすり切れて、色が変わって、四隅が丸くなった久保田診療所の診察券だった。裏の字は、長年擦れて薄くなっても、まだ読めた。
先生はそれを手に取って、しばらく黙っていた。
「持っとったのか」
「二十年、ずっと財布に入れてました。お守りでした」
先生は診察券を指先で、ゆっくり撫でた。
「国家試験の朝も。初めての執刀の朝も。患者さんを亡くして、立てなくなった夜も。これを、見てました。金は後でいい。命が先。俺はこの言葉に恥じない医者になれてるのかって、その度に聞いていました」
「先生、一つ、告白してもいいですか?」
「なんだ」
「あの夜、手術の前に先生の診察券がポケットから出てきた時、俺、怖かったんです。再開できたのが、よりによって手術台の上で。もし俺の手が届かなかったら。俺は今度こそ、と」
先生は診察券から顔をあげた。
「だが、逃げんかった」
「逃げたら、先生に顔向けできない」
「なら、それでいい」
先生は診察券を俺に返して、ふんと鼻を鳴らした。
「言っとくがな、しん。俺はあの晩、別に感情を持ってたわけじゃないぞ。血管の老化だけは、どうにもならん」
「分かってます」
「手術の記録は、後で全部読ませろ。自分の胸の中で何があったか知らんままじゃ、気持ちが悪い」
「先生、患者は安静に」
「患者である前に、医者だ。四十年、そう生きてきた。今更変えられるか」
俺は笑って、降参した。この人は胸を八時間開かれても、この人のままだった。それが、どうしようもなく嬉しかった。
その数日後の夕方、貞子さんが病室で一枚の年賀状を俺にくれた。
「家の机の引き出しにね、ずっと入ってたの。もう、ごめんなさいね」
表の面には、俺の住まいの住所と「村瀬俊介様」というあの四角い字。裏には、たった二行だけ書いてあった。
「診療所は閉めた。達者でやってるか」
そこで止まっていた。三年前の、書きかけの知らせだった。ベッドの先生は、窓の方を向いて聞こえないふりをしていた。
「先生、この続き、何て書くつもりだったんですか?」
「忘れた」
貞子さんが笑いながら、教えてくれた。
「『いつかお前の手術を見てみたい』って続けるんだって、何度も下書きしてたのよ。でも、あの人、照れ臭いって言って、とうとう出せなくて」
俺は年賀状の字を、何度も読み返した。
「見てみたいどころではなくなりましたね」
と言ったら、先生は「趣味の悪い願いが叶ったもんだ」と言って、窓の方を向いたまま、しばらくこっちを向かなかった。
帰り際、戸口で振り返ると、先生は俺の財布の方を顎でさしていた。
「札は、お守りに書いたんじゃないぞ」
「え?」
「『読んだら来い』という札だ。二十年も持っとって、一度も来なかったのは、お前くらいのもんだ」
俺は頭をかいた。「すみません」と言うと、先生は初めて声を出して笑った。傷に響いたらしく、すぐに顔をしかめたが、それでも笑っていた。
退院の日が見えてきた頃、俺は先生と貞子さんに、恩返しの話を切り出した。切り出し方は、割れながら不器用だった。入院費のこと。退院後の住まいのこと。生活のこと。俺にできることは、全部させてほしい。頭を下げてそう言った俺に、先生はベッドの上で偽りもなく言った。
「いらん」
「先生」
「金はいらん。あの夜と同じだ。助けたくて助けただけだ。それは、お前も同じだろうが。お前、俺から手術代を余分に取る気か」
「取りません」
「なら、なしだ」
取り付く島もなかった。貞子さんは横で、困ったように笑っているだけだった。
でも、俺には金を返す以外に、どうしてもやりたいことが一つあった。それは、入院中からずっと頭の中で形になりつつあった。
数日後、俺は企画書の紙の束を持って、病室へ行った。
「先生、金は受け取ってもらえないので、別のものを受け取ってください」
「なんだ、藪から棒に」
「構想書です。読んでください」
先生は老眼鏡をかけて、紙をめくり始めた。表紙には、こう書いてあった。
「久保田基金(仮称)設立構想。夜間・休日の子どもの急病に、お金の心配なく医療を届けるために」
中身は、俺がこの数週間、寝る間も惜しんで書いたものだった。お金の不安で夜間の受診をためらう家庭のための、医療費の立替えと相談の窓口を作ること。地域の診療所と救急病院をつなぐ連絡網を作って、あの夜の先生が電話一本でやってくれたことを、仕組みとして残すこと。立ち上げの資金は、俺が出すこと。病院の同僚や、話を聞きつけた看護師長が、もう手伝いを申し出てくれていること。
意外な援軍もあった。あの夜、詰所で同意の問題を繰り返した研修医だ。事情を知ったその人が、「制度や書類の面倒をまとめて引き受けます」と言ってくれたのだ。「あの晩、規則の話しかできなかった自分が、ずっと引っかかっていたので」というのが、その人の弁だった。規則を知り尽くした人が味方につくと、こんなに心強いのかと思った。
そして、基金の配るカードの裏には、あの言葉を印刷させてほしいこと。
先生は、長いこと黙って読んでいた。読み終わっても、しばらく何も言わなかった。窓の外を見て、それからまた表紙に戻って、ぽつりと言った。
「名前が、気に食わん」
「え?」
「久保田基金とは何だ。新聞紙くさか。俺は、まだ死んどらんぞ」
「先生の名前を残したいんです。先生と貞子さんの、四十年を」
「いらん。そんなもんは」
一言で断られて、俺が二の句を告げずにいると、横から貞子さんが静かに言った。
「あなた。私はね、いい名前だと思う」
「貞子」
「あなたが意地を張って名前を出さなかったら、あの言葉はあなたと一緒にお墓に入るのよ。これでいいの? あの子たちが、みねちゃんの代わりに助けられる子たちが、これから何人もいるのよ」
みね、という名前が出た瞬間、先生の顔から意地の突っ張りが抜けた。先生は構想書に目を落とした。随分長いこと、表紙の文字を見ていた。それから、老眼鏡を外して、目頭を親指でぐっと押さえていた。
「好きにせい」
それが、許可の言葉だった。
「ただし、一つだけ条件がある」
先生は目頭を押さえたまま、続けた。
「相談の窓口にはな、必ず人を置け。電話の音声案内なんぞで済ませるな。夜中に子供を抱えた親が聞きたいのは、案内じゃない。人の声だ。あの夜のお前に必要だったのは、何だった?」
俺は即答できた。
「扉を、開けてくれる人でした」
「そういうことだ」
その夜、家族にも構想を話した。電話の向こうで、母はしばらく黙ってから、「お父さんも、喜ぶね」と言った。小春は「基金の名前、久保田なの? 先生、そう言ったの?」と笑い、それから真面目な声で「私にも、手伝えることを探しておいて」と言った。
数日後、病室の帰り際に、貞子さんが廊下でぽつりと教えてくれた。
「あの人ね、診療所を閉めた日に、こう言ったのよ。『俺の四十年は、結局あの言葉一つだった』って。しんちゃん、あの言葉、生きていくのね」
「はい」と答えた。それ以上は、廊下では言えなかった。
退院が近づいたある日、島崎部長が珍しく病室に顔を出した。互いに仏頂面の年寄り同士、名刺も出さずに短い挨拶だけの、妙な対面だった。帰り際、部長は先生にこう言った。
「久保田先生。うちの村瀬は、いい外科医です。あなたがあの町で仕込んだ『患者への目』だけは、私にも教えられんものでした」
先生はふんと鼻を鳴らして、こう返した。
「目じゃない。あれは、あの夜の怖さを覚えとるだけだ。忘れん奴が、いい医者になる」
二人の会話は、それで終わりだった。廊下に出た部長が、少しだけ笑っていたのを、俺は見なかったことにした。
退院の日は、三月の終わりのよく晴れた日だった。病院の玄関まで、俺は二人を見送りに出た。タクシーが待っていた。見送りは俺だけではなかった。玄関の内側には、当直のはずの看護師が何人も並んでいて、先生は「大名行列じゃあるまいし」と文句を言いながら、一人ずつにちゃんと頭を下げて回った。
最後に、あのベテラン看護師が進み出て、透明な袋に入ったままの診察券の束を、うやうやしく先生に返した。
「お預かりしていました。先生。私たち、この言葉の元で働きます」
先生は束を受け取って、一瞬だけ泣きそうな顔をした。それから、いつもの仏頂面に戻って「頼む」と言った。
貞子さんが先に乗り込んで、先生は乗る前に、玄関の前で振り返った。入院中にすっかり伸びたほうぼうひげは、貞子さんの言いつけで、きれいに剃られていた。記憶の中より小さくなった体に、あの焦げ茶色のコート。それでも、まっすぐ立って俺を見る目は、診療所の戸口に立っていたあの夜と同じ目だった。
「世話になった」
「いえ」
先生は、それから少しだけ黙って、照れたように視線を横へ逃した。
「立派になったな」
たった一言だった。でも、その一言は、あの夜からずっと、俺がこの人に言われたくて生きてきた一言だった。
「先生が、俺を医者にしてくれたんです」
「違うな」
先生は即座に言った。
「医者になったのは、お前の足だ。俺は、扉を開けただけだ。だがまあ、あの夜の扉は、開けてよかった」
先生はそう言って、俺の肩を、あの大きな手で一つ叩いた。十一歳の頭を撫でた手は、三十一歳の肩を叩く手になっていた。
タクシーが走り出す。後ろの窓越しに、貞子さんが小さく手を振るのが見えた。先生は前を向いたままだった。それでいて、窓が開いて、あの声が飛んできた。
「しん。体だけは、壊すなよ」
「医者の不養生は、患者への裏切りですよね」
俺が叫び返すと、窓の向こうで先生が笑ったのが、後ろ姿でも分かった。タクシーが角を曲がって見えなくなるまで、俺は頭を下げていた。
それから一年半が過ぎた。久保田基金は、去年の秋に正式に立ち上がった。初日の式典らしい式典はなかった。テープカットも風船もない。集まった俺たちの前で、先生が診療所だった建物の引き戸に手をかけて「開けるぞ」と一言。ガラリと開けた。それだけだった。それが、良かった。あの建物の扉は、いつだってそうやって開いてきたのだ。
夜間や休日に子どもが急病になった時、お金の心配なく病院へ行けるように。医療費の立替えと相談を引き受ける、小さな基金だ。地域の診療所と救急病院をつなぐ連絡網も、少しずつ形になってきた。立ち上げの時、声をかけた医者仲間や看護師が、驚くほど大勢、手弁当で集まってくれた。
夜の電話は、当番の相談員に直接繋がる仕組みにした。最初の冬にかかってきた夜の相談の電話は、百件を超えた。立て替えたお金は、驚くことにほとんどの家庭が、暮らしが落ち着いた頃にきちんと返しに来る。中には、返しに来たついでに「うちにできることはありませんか」と基金の手伝いを申し出てくれる親までいる。あの言葉で送り出された人は、後で金以上のものを返しに来るのだ。それを四十年前から知っていた人が、一人だけいたわけだ。
話を聞いた島崎部長は、「物好きが」と言いながら、顧問の欄に黙って判を押してくれた。
相談の窓口は、あのあけぼの商店街のはずれにある久保田診療所だった建物だ。先生が売らずに残していたあの建物を、老朽化だけ直して基金の相談室にした。待合室の長椅子も、傾いた本棚も、あの丸い電灯も、そのまま使っている。診察室だった部屋の柱には、色あせた金色の折り紙のメダルが画鋲で止まったままだ。小春が幼い日におった、あの金メダルだ。改修の職人さんが剥がそうとしたら、先生が「それは触るな」と言ったらしい。
週に三日、昼間だけの小さな窓口だが、扉を開けると今でも消毒液と畳の匂いが少しだけする。
窓口には、先生の言いつけ通り必ず人がいる。曜日によっては、その人は貞子さんだ。七十七歳になった元看護師は、「私は電話番よ」と言いながら、相談に来た母親の背中を、あの頃と同じ手付きでさすっている。ICUで先生の話を聞きたがったあの研修医も、今では基金の当番の一人だ。月に二回、相談室の奥で文書を手伝いながら、先生の講釈を浴びている。「最近の若い奴は」で始まる先生の講釈は、本人曰く「教科書より効く」らしい。
先生も、月に何度か顔を出す。心臓の経過は良好で、散歩と血圧の薬は欠かせないが、口の悪さは全開だ。退院の後には宣言通り手術の記録を全部読んで、俺の縫い方にまで注文をつけた。相談室の奥の椅子に座って茶を飲みながら、若い相談員に、文句とも助言ともつかないことを言う。この前は、俺が届けた基金のカードの束を眺めて、こう言った。
「ふん。字が俺よりうまいのが、気に食わん」
カードの表には基金の名前と窓口の電話番号、裏にはあの言葉が印刷してある。金は後でいい。命が先。印刷の下には、小さく先生の直筆を写したものが添えてある。かすれた四角い、不器用な字。俺はこの一枚を、これから何百枚、何千枚と、あの夜の俺みたいな誰かに手渡していくつもりだ。
母は去年からスーパーの仕事を少し減らして、週に一度、基金の事務を手伝ってくれている。小春は二人目を身ごもった。この春は、家族みんなで相談室の花壇に花の苗を植えた。俺が高校の頃に草むしりをやらされた、あの花壇だ。
商店街には再開発の計画が今も出たり引っ込んだりしている。それでも、相談室の周りだけは、少しずつ人の出入りが戻ってきた。先生の散歩コースは、家から相談室までの一本道だ。途中のパン屋で貞子さんとアンパンを半分こするのが、心臓に悪いからと内緒にしている習慣であることを、町の全員が知っている。
ひなは二歳になって、相談室の待合室を我が物顔で走り回り、先生に「こら」と言われて先生の膝によじ登る。先生はまんざらでもない顔で、されるがままになっている。
俺はといえば、相変わらず病院で心臓を縫っている。いつか大病院を出て、あの町で小さな診療所をしようかと考える夜が、正直に言えばある。まだ答えは出ていない。ただ、その日が来たら使う建物は、もう決めてある。
ただ、当直の夜の意味が、少しだけ変わった。
つい先週のことだ。深夜の救急外来に、若い母親が駆け込んできた。腕の中には、ぐったりした男の子。三歳だという。高熱で、呼びかけへの反応が鈍い。母親は受付で財布を握りしめたまま、泣きながら何度も同じことを言っていた。
「すみません。あの、お金が今、足りないんです。月末で。あの、それでも、見てもらえますか?」
ずっと迷っていたのだという。財布の中身を数えて、朝まで待とうとして。でも、子供の息がおかしくて、いても立ってもいられずに、走ってきたのだと。
受付の前で立ち尽くすその人に、当直だった俺は駆け寄って、こう言った。
「お金は後でいい。今は、この子を助けましょう」
母親が、弾かれたように顔をあげた。その顔は、あの夜、診療所の戸口で明かりを見上げた十一歳の俺の顔だった。
男の子はすぐに処置室へ運ばれて、点滴が入って、明け方には熱も意識も落ち着いた。重い病気ではなかった。それでいい。何事もなければ、それが一番いいのだと、あの人が教えてくれた。
帰り際、深々と頭を下げる母親に、俺は基金のカードを一枚渡した。母親はカードの裏を読んで、また少し泣いた。
「あの、この言葉は…」
「俺の御人の言葉です。四十年、この町の夜を守ってきた、年寄りの言葉です」
カードを差し出した自分の手が、ふと目に入った。与薬の仕事と消毒で荒れた、節の目立ち始めた手だった。あの人の手には、まだ遠い。それでも、少しずつ近づいてはいるだろうか。いつか俺の手も、誰かの記憶の中で、あの夜の先生の手みたいに残るだろうか。
母親と男の子を乗せたタクシーを見送って、俺は白み始めた空を見上げた。
人は、誰かに扉を開けてもらった記憶があるから、今度は自分が誰かの扉を開けられる。あの真冬の夜、たった一枚の診察券に書いてもらった言葉を、俺はこれからも手渡していく。この命が続く限り。それが、あの夜に間に合ってくれた人への、俺の恩返しだ。
恩は返すものじゃない。次に手渡すものだ。あの人は最後まで「形なし」と言いはるだろうから、俺は勝手にそういうことにしている。
この前の日曜、相談室に顔を出したら、先生が奥の椅子でうたた寝をしていた。膝には、ひなが四人乗って、一緒になって眠っていた。貞子さんが二人に一枚の毛布をかけてね、「いい眺めでしょ」と笑った。
俺は、「いい眺めです」と答えた。あの夜、泣きながら叩いた扉の内側に、今はこんなに温かい昼下がりがある。商店街のはずれの小さな診療所には、今夜も小さな明かりが一つ残してある。夜道の誰かが、迷わずその扉を叩けるように。



