「親なら当たり前だろ」—…

「親なら当たり前だろ」—...

玄関の外から、息子の声が聞こえてきた。
「親なら当たり前だろ。」
私は手に持っていた鍋を落としそうになった。金曜日の夜、八時。六十九歳の私は、明日からの週末に備えて料理の準備をしていた。
「今週も実家で食べられるね。」
嫁の声が続く。
「お母さん、料理上手だから楽でいいわ。火を使うとったら、月に十万はかかるものね。」
私は玄関の影で、息を殺して聞いていた。私のことを、無料の家政婦としか思っていなかったなんて。

毎週末、土日の二日間、朝から晩まで料理を作り、洗濯をし、掃除をし、孫の世話までしていた。そのために金曜日は買い出しで一日潰れる。
チャイムが鳴った。
「はい、今開けるわ。」
私は何事もなかったように笑顔で玄関を開けた。でも心の中では、静かな怒りが燃え上がっていた。

思えば、この始まりは二年前だった。
「母さん、最近顔を見せてないから、たまには週末に遊びに来てよ」
健太の優しい言葉に、私は素直に喜んでいた。夫を亡くして三年、孫の顔を見るのが何よりの楽しみだった。
最初は月に一回程度の手料理だった。すると嫁の由美子は満面の笑みで言った。
「お母さんの料理、本当に美味しい。また来週も来てください」
来週も、とは思ったが、喜んでもらえるならと引き受けた。
それが、いつの間にか毎週末の習慣になった。今週は用事があって、と断ろうものなら、健太は不機嫌になった。
「親が子供に会いたくないのかよ」
そう言われると、罪悪感で断れなくなった。気がつけば、食材費だけで月五万円。光熱費も跳ね上がり、毎月十万円以上の出費。年金暮らしの私には、正直きつい金額だった。

最初は料理を作るだけだった。でも、要求は次第にエスカレートしていった。
「お母さん、ついでに洗濯もお願いできますか? 平日は仕事で忙しくて、お母さんは時間があるでしょう」
時間がある、だと。私だって平日は病院や買い物、家事で忙しい。でも、そんなことは言えなかった。
「いいわよ、任せて」
笑顔で引き受けたが、洗濯物の量は尋常じゃなかった。一週間分の衣類、シーツ、タオル。洗濯機を三回も回さなければならなかった。
翌週からは、掃除も追加された。
「実は掃除機が壊れちゃって」
それは嘘だった。後で物置に新品同様の掃除機があるのを見つけた。でも私は黙って二階建ての家を隅々まで掃除した。腰痛持ちの私には、階段の上り下りは地獄だった。
さらに、孫の世話も丸投げされた。
「お母さん、今日は友達とランチの約束があるから、翔太を見ててもらえる?」
由美子は五歳の翔太を置いて、さっさと出かけていった。
「おばあちゃん、遊んで」
可愛い孫の頼みは断れない。でも、五歳児の相手を一日するのは、六十代の体にはきつい。公園で走り回り、おもちゃで遊び、絵本を読んであげる。夕方にはへとへとだった。
帰ってきた由美子は、疲れきった私を見ても何も感じないようだった。

最悪だったのは、私の予定を全く考慮してくれないことだ。
「今週末は高校の同窓会があるの」
そう伝えると、健太は眉をひそめた。
「え、でもいつも来てるじゃん」
「たまには私にも用事が」
「母さんの同窓会なんて、どうせ年寄りの集まりでしょう。うちの方が大事じゃない」
結局、私は四十五年ぶりの同窓会を諦めた。友人からの誘いも断らざるを得なかった。
「みち子、最近全然会えないね」
「ごめんなさい、週末は息子の家に」
「毎週? それは大変ね」
友人の心配そうな声が胸に残った。
体調が悪い時も休ませてもらえなかった。
「ちょっと風気味で」
金曜日の夜、健太に電話で伝えると、
「大げさだな。ちょっとの風でしょ。薬飲んで行けば」
「でも熱も三十七度五分あって」
「そんなの微熱じゃん。由美子の親はもっと高齢だけど、元気に手伝いに来てるよ」
私は由美子の親と比較されることもよくあった。結局、熱がある中で料理を作り、洗濯をし、掃除をした。風邪は悪化し、月曜日から三日間寝込んだ。でも、お見舞いの電話は一本もなかった。

ある時、これ以上は無理だと感じて、私は提案した。
「食費だけでも、少し出してもらえないかしら」
すると由美子は驚いた顔をした。
「え、親が子供からお金を取るんですか?」
「でも毎週だと結構な額に」
「お母さん、年金もらってるでしょう。私たちはローンもあるし、子供の教育費もかかるんです」
健太も援護した。
「そうだよ。親なら子供を助けるのが当たり前だろ」
当たり前。この言葉を何度聞いたことだろう。私の辛さは当たり前。私の出費は当たり前。私の犠牲は当たり前。でも、感謝はどこにもなかった。

最近では、買い物リストまで渡されるようになった。
「これ、土曜日までに買っておいてください」
A4に書かれた食材リスト。高級肉、刺身、フルーツ、お菓子。一回で二万円近くになる買い物。領収書を渡しても、お金が返ってくることはなかった。
私の年金は月十五万円。そこから家賃、光熱費、生活費を引くと、ほとんど残らない。貯金を切り崩す日々。このままでは老後の蓄えがなくなってしまう。そんな不安を抱えながらも、私は断ることができなかった。「親なら当たり前」という言葉が、呪縛のように私を縛りつけていたのだ。

運命の金曜日だった。体調が優れなかった私は、いつもより早めに準備を始めるため、午後六時には息子の家に向かった。普段は八時頃に到着するが、この日は違った。玄関の鍵は、以前もらった合鍵で開けられる。リビングから健太と由美子の声が聞こえてきた。挨拶をしようと近づいた時、聞こえてきた会話に足が止まった。
「今週も実家か。正直めんどくさいよな」
健太の声だった。
「でも、ただで豪華な食事が食べられるんだから、我慢しなさいよ」
由美子が笑いながら答える。
「にしてもお母さん、よく続くわね。毎週毎週文句も言わずに」
「単純なんだよ。うちの母親は、孫に会いたいって言えば何でもやってくれる」
私は息を潜めて聞き続けた。
「最近さすがに太ったよな。動きも鈍いし」
「あら、でも使えるうちは使わないと。火を使うとったら、いくらかかると思ってるの?」
私は足音を立てないように、その場に立ち尽くしていた。二年間の苦労が、全て無駄だったと知った瞬間だった。

「親のくせに子供からお金取ろうなんて。図々しいわよね」
由美子の声が急に冷たくなった。
「財産をもらう時のための投資だと思えばいいじゃない」
「ああ、遺産か。そういう今のうちに機嫌を取っておけば、遺言書も有利に書いてもらえるでしょう」
「でも、大した財産もなさそうだけど」
「あら、知らないの? お母さん、結構貯金持ってるらしいわよ」
私は驚いた。なぜ由美子が私の貯金のことを知っているのだろう。
「この前、通帳がテーブルに置いてあったから、ちらっと見ちゃった」
「おい、それはまずいだろ」
「大丈夫よ。二千万近くあったわ」
「二千万」
健太の声が弾んだ。
「だから今は我慢の時なの。どうせあと十年もすれば。それまではうまく使わせてもらいましょう」
「翔太も懐いてるしな」
「そうそう。おばあちゃん大好きって言わせておけば、何でもしてくれるから」
「本当はおばあちゃん臭いって言ってたけどな」
二人の笑い声。私の心臓が早鐘のように打ち始めた。
「同窓会行きたいとか言い出してさ。年寄りの集まりなんて行かないでしょう」
「そもそも友達なんているのかね?」
「いないでしょう。だから毎週うちに来るんじゃない。寂しい老人の相手も大変だよ」
「まあ、あと少しの辛抱よ。遺産もらったらもう用はないから」
「そうしたら、老人ホームにでも入ってもらうか」
「それがいいわね。お母さんの介護は無理ですって言えば済むし」
私はもう聞いていられなかった。静かに玄関まで戻り、そっと外に出た。

家の前でしばらく立ち尽くしていた。二年間、七百三十日。私が愛情だと思っていたものは、全て計算だった。息子の笑顔も、嫁の感謝も、孫の「大好き」も、全て遺産目当ての演技だった。
涙が出なかった。悲しみを通り越して、ただ空虚だった。
でも、次の瞬間、私の中で何かが変わった。空虚さが、静かな怒りに変わっていったのだ。
「使えるうちは使う」「遺産目当て」「老人ホーム」。よくもそこまで人を侮辱できたものだ。
私は携帯を取り出し、メッセージを送った。
「体調が悪いので、今日は行けません」
すぐに既読がつき、健太から電話がかかってきた。
「母さん、どうしたの? もう準備してるのに」
「申し訳ないけど、体調が悪くて」
「え、さっきまで元気だったじゃん」
さっき、私はまだ家についていないはずなのに。
「とにかく今日は無理です」
電話を切った。

家に帰ると、私は一つの決意を固めた。十倍返し。二年間受けた屈辱を十倍にして返してやる。
私は日記帳を開き、これまでの全てを記録し始めた。毎週の出費、要求された家事、断った予定、体調不良でも休めなかった日々。そして、あの会話も一言一句間違わずに書き留めた。

まず最初にしたのは、二年間の記録の整理だ。日記、レシート、銀行の通帳。全てを見返した結果は驚くべきものだった。
食費、月平均八万円×二十四ヶ月=百九十二万円。
日用品、月平均二万円×二十四ヶ月=四十八万円。
光熱費の増加分、十四万円。
交通費、十二万円。
合計で二百七十六万円。
さらに、これに私の労働を加算する。料理、掃除、洗濯、育児。一日八時間として計算すると、時給千円として約百五十三万円。
全て合わせると、約四百三十万円。私が息子夫婦に提供した価値だ。

翌日、私は昔からの知り合いである弁護士の事務所を訪ねた。
「田中さん、お久しぶりです。どうされました?」
私は全てを話した。二年間の経緯、そして息子夫婦の本音を。弁護士は真剣な表情で聞いていた。
「なるほど。精神的苦痛も相当なものですね」
「訴えることは可能でしょうか」
「可能です。ただ、家族間の問題は複雑ですが、金銭的な要求は可能です。提供した食事代、労働の対価、さらに精神的苦痛の慰謝料も。ただ、録音などの証拠があればいいのですが」
録音。そうだ、これからは証拠を残そう。

週末に向けて、私は新たな準備を始めた。小型のボイスレコーダーを購入し、使い方を覚えた。そして、演技の練習もした。鏡の前で、何度も。いつも通りの優しい母親。何も知らない人の良い年寄りを演じる練習だ。
次の金曜日、私はいつも通り息子の家へ向かった。胸ポケットには、小さなボイスレコーダー。
「お母さん、今日もよろしくお願いします」
由美子の偽りの笑顔を見ながら、私は内心思った。今日もしっかり証拠を残させてもらうわ。
その日の会話は、全て録音された。
「お母さん、来週は翔太の誕生日なんです。お友達も二十人くらい呼ぶので、料理お願いできますか?」
二十人分の料理。また大変な要求だ。
「もちろん、ケーキもお願いしますね。お母さんの手作りケーキ、評判いいんです」
私は心の中で計算した。二十人分の料理とケーキ。材料費だけで三万は超えるだろう。
「分かったわ」
「あ、それと、うちの両親も呼ぶので、少し豪華にお願いします」
また比較されるのだろうか。
「そうそう。母さん、最近翔太がおばあちゃんの料理飽きたって言ってるんだ」
飽きた。毎週違うメニューを考えているのに。でも私は笑顔を保った。
「そうね。新しい料理も研究してみるわ」
その夜、私は全ての会話を文字に起こした。証拠は着々と集まっていく。

さらに、別の準備も進めていた。銀行で全ての口座の名義を確認。幸い、全て私の単独名義だった。そして、新しい遺言書の下書きを始めた。全財産を福祉団体に寄付する。健太には一円も残さない。
弁護士事務所で正式な遺言書を作成した。
「本当によろしいですか?」
「はい。息子は私を財布としか見ていません。なら、その財布は別の人のために使います」
準備は整いつつあった。録音された証拠、詳細な金銭記録、新しい遺言書。そして最後の準備として、私は親しい友人たちに事情を話し始めた。
「みち子さん、そんなひどい目に?」
友人たちは皆怒ってくれた。
「二年間もよく我慢したわね。私ならとっくに縁を切ってるわ」
味方がいることが心強かった。
全ての準備が整った時、私は決行日を決めた。翔太の誕生日パーティーの日。その日に、全てを終わらせる。

翔太の誕生日パーティー当日。私は朝四時から準備を始めた。二十人分の料理、手作りケーキ。全て完璧に用意した。材料費は四万円を超えたが、これが最後だと思えば安いものだ。
息子の家に着くと、すでに飾り付けがされていた。
「お母さん、今日はよろしくお願いします」
由美子は上機嫌だった。きっと、無料の家政婦がいることが嬉しいのだろう。
パーティーが始まり、子供たちの歓声が響く。
「すごい、美味しそう!」
「翔太君のおばあちゃん、料理上手!」
子供たちの純粋な反応に、少し心が痛んだ。でも、決意は変わらない。
由美子の両親も到着した。
「あら、みち子さん、相変わらず大変ね。私たちは由美子に手伝いなんてさせませんけどね」
比較され、見下される。いつものことだ。

パーティーが盛り上がっている最中、私は静かに席を立った。
「ちょっとお手洗いに」
誰も私を気に留めない。私はバッグから封筒を取り出し、テーブルの上に置いた。中身は、弁護士からの内容証明郵便。そしてもう一つ、録音した会話を文字起こしした書類。
リビングに戻ると、ちょうどケーキの時間だった。
「さあ、おばあちゃんのケーキよ」
みんなが集まったところで、私は口を開いた。
「皆さん、ちょっとお話があります」
騒ぎが静まった。
「実は、今日で私はこの家に来るのを最後にします」
健太が驚いて立ち上がった。
「母さん、何を言ってるんだ?」
「テーブルの上に書類を置いてあります」
由美子が封筒を手に取った。
「これは内容証明?」
「そうです。二年間の食費、労働費、慰謝料。合わせて一千万円を請求します」
場が凍りついた。
「よ、冗談でしょう」
健太が声を震わせて言う。
「冗談ではありません。詳細は全て記録してあります」
私は続けた。
「それから、もう一つの書類も見てください」
由美子が震える手で書類を開いた。顔が青ざめていく。
「これは、あなたたちの本音です。『ただ飯食い』『家政婦代わり』『遺産目当て』。全て録音してあります」
由美子の両親も書類を覗き込んだ。
「由美子、これは本当なの? みち子さんをこんな風に利用してたの?」
健太は必死に弁解しようとした。
「違う! これは言葉のあやで…」
「言葉のあや?」
私は冷たく笑った。
「『どうせあと十年もすれば』って言ったわよね。私の死を待っているのが言葉のあや?」
子供たちも、何か大変なことが起きていると察して静かになっていた。
「それから、遺産の件ですが」
私は最後の爆弾を投下した。
「全額、福祉施設に寄付することにしました。あなたたちには、一円も残しません」
「そ、そんな!」
由美子が叫んだ。
「お母さんの財産でしょう? 自由にしていいんですか?」
「あら、どうせ大した財産もないって言ってたじゃない。なら関係ないでしょう」
私は由美子の言葉をそのまま返した。
健太が土下座する勢いで頭を下げた。
「母さん、ごめん! 本当にごめん! 謝るから!」
謝罪。私は息子を見下ろした。
「二年間、毎週末を奪われた時間は戻ってこないのよ」
「でも、親子じゃないか!」
「親子?」
私は鼻で笑った。
「『親なら当たり前』って言ったのは誰? なら、子供が親に賠償するのも当たり前でしょう」
完璧な論法だった。
由美子の両親が口を開いた。
「みち子さん、本当に申し訳ありません。娘がこんな…」
「あなた方に罪はありません」
私は優しく言った。
「ただ、由美子さんは私を見下していましたよね。『手伝いなんてさせません』って」
由美子の母親が、恥ずかしそうにうつむいた。
パーティーは完全に崩壊していた。招待客の親たちも、気まずそうに帰り始める。
「これで失礼します」
私は立ち上がった。
「待って!」
由美子が必死に呼び止める。
「一千万円なんて、払えるわけないじゃない!」
「でも、『家政婦を雇ったら月に十万はかかる』って言ってたわよね」
私は計算して見せた。
「月に十万円×二十四ヶ月=四百八十万円。これに慰謝料を加えれば、一千万円でも安いくらいよ」
「でも、払えないなら裁判になります。録音もありますし、勝ち目はないでしょうね」
健太が青い顔で聞いた。
「裁判になったら、職場にも知られるでしょうね。親を騙していた人間だって」
それは、社会的な死を意味していた。
「分割でも構いませんよ」
私は最後の提案をした。
「月々十万円。八年ちょっとで完済です」
月十万円。くしくも、私が毎週末に使っていた金額と同じだった。
「あ、それから、さよなら」
私は振り返った。
「翔太君には罪はないから、誕生日プレゼントは置いていくわ」
小さな包みをテーブルに置いた。
「でも、もうおばあちゃんじゃないから。田中さんと呼んでもらってね」
翔太が泣き出した。
「おばあちゃん、行かないで!」
私の心が少し痛んだ。でも、もう後戻りはできない。
「ごめんね、翔太君。でも、あなたのパパとママが悪いことをしたの」
子供にも真実を知る権利はある。
家を出ると、春の風が心地よく頬を撫でた。二年ぶりの、自由な週末の始まりだった。
携帯が鳴り続けていたが、私は電源を切った。もう、振り回されることはない。二百七十六万円の損失に対して、一千万円の請求。確かに十倍ではなかった。でも、失った時間と尊厳を考えれば、これでも安いくらいだ。

その日から、三ヶ月が経った。土曜日の朝、私は優雅にコーヒーを飲みながら新聞を読んでいる。
「みち子、今日のランチはイタリアンでいい?」
友人の英子が電話してきた。
「いいわよ。十二時に行きましょう」
こんな当たり前の約束ができることが、今はとても幸せだ。
英子とのランチの後は、絵画教室だ。
「田中さん、今日の作品も素敵ですね」
先生に褒められて、心が弾む。実は、絵を描くのは四十年ぶり。若い頃の趣味を、やっと再開できたのだ。
日曜日は、ボランティア活動の日。地域の子供食堂で料理を作っている。
「田中さんの料理、本当に美味しい」
「今日のハンバーグ、最高!」
子供たちの笑顔が、私の元気の源だ。ここでは、私の料理は「当たり前」ではなく「感謝」されるもの。人の役に立てることが、こんなにも幸せだとは。

先月、健太から手紙が届いた。
「母さんへ。あれから家庭は崩壊しました。由美子は毎日のように言い争い、翔太は情緒不安定になっています。お金の件ですが、本当に支払います。月十万円、必ず振り込みます。由美子も今は働いています。パートですが、必死です。僕も残業を増やしました。正直、きついです。でも、これが母さんが二年間感じていた苦しみなんですよね。毎週末、自由を奪われ、お金も時間も搾取される。今、身を持って理解しています。母さん、本当にごめんなさい」
手紙を読んで、複雑な気持ちになった。でも、許すつもりはない。信頼は一度壊れたら、簡単には戻らない。
実際、今月も十万円が振り込まれていた。このお金は、全額子供食堂に寄付している。汚れたお金でも、使い方次第で誰かの幸せになれるのだ。

ある日、スーパーで由美子に会った。以前の派手な格好はなく、地味な服装で、やつれた顔をしている。
「お母さん…いえ、田中さん」
由美子が気まずそうに声をかけてきた。
「こんにちは」
私は淡々と挨拶だけして、通り過ぎようとした。
「待って!」
由美子が呼び止める。
「あの…翔太が、おばあちゃんに会いたがって…」
「それは残念ですが、もう他人ですから」
冷たいようだが、これが現実だ。
「でも、翔太は罪は…」
「罪はありませんね。でも、親の行いの結果は、子供にも影響するものです」
私は続けた。
「あなたも言ってたでしょう。『おばあちゃん臭い』って」
由美子の顔が真っ赤になった。
「あれは…」
「子供は親の鏡です。親が祖母を軽蔑していれば、子供も同じように育ちます」
もう、話すことはなかった。

先日、健太の会社の同僚だという人から連絡があった。
「田中さんの話、健太から聞きました。彼、本当に反省していますよ。毎日遅くまで残業して」
「そうですか」
「ただ、あまりに無理をしていて、体調を崩しがちで…」
私の心が少し動いた。でも、それは自業自得だ。私も二年間、体調が悪くても休ませてもらえなかった。相手は黙り込んだ。
「健太には、これが良い薬になればいいんですが」
電話を切った後、少し考えた。確かに、息子の体調は心配だ。でも、だからと言って許すことはできない。私も何度も体調を崩しながら、奴隷のように働かされたのだから。

最近、新しい変化もあった。絵画教室で知り合った紳士、山本さんとお茶をする仲になったのだ。七十五歳の山本さんは、奥様を亡くされて三年。趣味の絵を通じて、少しずつ親しくなった。
息子との確執を話すと、山本さんは優しく言った。
「誰にでも過去はあります。大切なのは、これからどう生きるかです」
この年齢で、新しい出会いがあるとは思わなかった。人生は、本当に分からないものだ。
子供食堂での活動も充実してきた。
「田中さん、来月から週二回に増やしませんか? 需要が増えていて、田中さんの料理を楽しみにしている子供たちがたくさんいるんです」
週二回。昔、息子の家に通っていたのと同じ頻度だ。でも、意味は全く違う。あの時は義務と搾取。今は、喜びと貢献。
「はい、喜んで」
私の返事に、代表は嬉しそうに微笑んだ。

先日、孫の翔太から手紙が届いた。たどたどしい字で、一生懸命書かれていた。
「おばあちゃんへ。ごめんなさい。パパとママが悪いことをしたって聞いています。僕も臭いなんて言ってごめんなさい。本当はおばあちゃんの料理が大好きでした。また会いたいです」
涙が出た。罪のない孫まで巻き込んでしまった。でも、これも現実なのだ。親の行いは、子供の人生に影響する。健太と由美子には、それを身を持って知ってもらう必要がある。私は返事は書かなかった。でも、翔太の手紙は大切に保管している。いつか翔太が大人になった時、真実を理解してくれることを願って。

先月、私の誕生日だった。六十九歳の時は、金曜日に必死で準備をしていた記憶しかない。でも、今年は違った。友人たちが、サプライズパーティーを開いてくれたのだ。
「みち子、誕生日おめでとう! 七十歳の記念よ!」
絵画教室の仲間、子供食堂のスタッフ、近所の友人たち。みんなが集まってくれた。山本さんも、素敵な花束を持ってきてくれた。
「田中さん、これからも素敵な人生を」
涙が止まらなかった。これが本当の幸せなんだと実感した。
血のつながりだけが家族ではない。心が通い合う人たちとの時間こそが、人生の宝ものなのだ。
今、私は心から言える。あの時、息子夫婦の本音を聞いてよかったと。もし聞いていなかったら、私は今も奴隷のような生活を続けていただろう。
「親なら当たり前」という呪縛から解放されて、初めて自分の人生を生きることができた。

私は今、本当に幸せだ。週末は自由に使え、感謝される場所があり、大切な友人がいる。これ以上、何を望むだろう?
「親なら当たり前」ではなく、「ありがとう」と言われる人生。それが、私の選んだ道だ。

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