「病気になったら大人しく老人ホームに行けばいいのに。どうして息子の家に転がり込んでくるの?ああ、気持ち悪い。今すぐ出て行って。あなたのお母さんの匂いで暮らせないわ」
夜も更けた頃、嫁にそう言われて家を追い出された末期癌患者の私。行く場所などない私が向かったのは、冷たい路上ではなかった。嫁の傲慢さを悲鳴に変えてやる。今日の物語が、今始まる。
博多駅のホームで新幹線を降りると、湿った風が顔を撫でた。重いスーツケースを引きずって出てくると、遠くに健一の姿が見えた。手を振って近づくと、健一は周りを見回してから、急いで私のスーツケースを奪い取った。
「母さん、早く車に行こう」
健一はスーツケースを引きずりながら、駐車場へ向かった。何がそんなに急かせるのか、私を振り返りもせずにずんずん歩いていく。息子よ、1年ぶりに会うというのに、そんなに急ぐのかい。
「人が見てるよ。早く」
健一が振り返りながら急かす。私は胸が冷たくなるのを感じた。車に乗り込むと、後部座席はチャイルドシート2つでいっぱいで、お尻を半分だけ乗せて体を縮めて座ると、腰が痛んだ。
「健一、最近どうしてるんだい?病院は順調かい?」
「順調だよ。患者が多くて」
健一はルームミラーで私をちらりと見ると、顔を背けた。息子と1年ぶりに会ったのに、嬉しそうな素振りさえもない。車内は凍りついたようだった。
港区のマンションの玄関に入ると、笑美が出てきた。綺麗な化粧に、高そうな服を着ている。
「お義母さん、靴の土を払ってから入ってください」
笑美は玄関マットを足で軽く叩きながら言う。私は福岡から履いてきたスニーカーを見て、顔が熱くなった。
「ごめんよ。新幹線から降りてきたばかりで」
靴を脱いで土を払ったが、笑美の顔は強張ったままだ。
「子供たちに大福を買ってきたんだよ」
地面に心を込めて選んだ大福と、お小遣いの入った封筒を取り出すと、笑美は顔をしかめた。
「あの子たち、アトピーがあるんです。安全性が確認できない食べ物は食べさせられません」
笑美は大福を食卓の隅に押しやった。お小遣いの封筒には見向きもしない。
「じゃあ、後ででも結構です。お気遣いなく」
笑美は冷たく話を遮った。
「健一はどこに行ったんだい?」
「着替えに入りました。お義母さんもお座りください」
私はソファにそっと腰かけた。笑美が一度奥に入ってから、粘着テープのローラーを持って出てきた。健一が部屋に入った後、笑美は私が座っていたソファの場所を、ゴシゴシと拭き始めたのだ。神経質に毛玉を取り除く姿を見て、気分が悪くなった。新幹線で長時間座っていたせいか、吐き気が込み上げてきた。私は急いでトイレを探して、寝室に駆け込んだ。
「うっ…」
吐き気が込み上げてきて、便器に向かって吐いた。外から笑美のため息が聞こえる。
水を流して口をすすぐと、笑美は鼻をつまんで立っていた。
「お義母さん、寝室のトイレは、私たち夫婦の空間です」
そう言うと、笑美は強力な消臭スプレーを私の周りに吹きかけ始めた。まるで虫を駆除するように、空中にぶしゅぶしゅと。私は気分が悪くて、リビングのトイレに駆け込んだ。トイレのドアを閉めると、壁越しに笑美の声が聞こえた。
「気分が悪いんでしょ?老人ホームに入ってくれればいいのに。息子の家に転がり込むなんて、どうかしてるわ」
私は便器にすがりながら、涙が込み上げてきた。息子の嫁に、こんなことを言われるなんて。ただ、福岡で癌の手術を受けるために、少しの間だけ泊めてもらおうと思っただけなのに。
「お義母さん、早く出てきてください。次は子供たちが使うんですから」
笑美の冷たい声が聞こえる。私はふらふらと立ち上がり、水を流した。病院から処方された痛み止めが効かず、体の節々が痛む。
夜になり、食事の時間になった。食卓には、息子夫婦と孫たちが座っている。私の前には、白米と味噌汁だけが置かれていた。向かいに座る健一は、私の顔をろくに見ようともしない。
「健一、最近、仕事はどうだい?」
「まあまあだよ」
健一はスマートフォンを見ながら、味噌汁を啜っている。私が小学生の頃は、こんな息子じゃなかった。毎日「お母さん、お母さん」とまとわりついてきて、授業参観には絶対に来てほしいとせがんだものだ。その息子が、今は私を疎ましがっている。
「お義母さん、食べたら早く部屋に戻ってください。リビングを占領されると、子供たちがくつろげませんので」
笑美がにこりともせずに言う。私は箸を置いた。
「そうか…。ごちそうさま」
「はい。おやすみなさい」
私は涙をこらえて、物置部屋に向かった。薄い布団が敷かれただけの寒々しい部屋だ。窓も小さく、外の音もろくに聞こえない。
布団に入っても、なかなか眠れなかった。福岡の地所を売却して、癌の治療費に充てようと思っていた。この家に転がり込んだのは、治療を終えるまでの間だけのつもりだった。しかし、その計画は狂ってしまった。
翌朝、健一が病院に連れて行ってくれると言った。私の手術の日取りが決まったのだ。
「母さん、今日からしばらく入院だよ」
健一は事務的に言った。私は荷物をまとめて、手術着に着替えた。病院のベッドで横になっていると、懐かしい思い出が蘇ってきた。健一が小さかった頃、よく病院に連れて行ったものだ。あの頃の健一は、注射を恐がって泣いていた。
手術の前日、私は田中の弁護士に電話を入れた。
「先生、手術が終わったら、手続きを進めてください」
「承知しました。鈴木さん、手術が成功することをお祈りしています」
私は力を振り絞って、ベッドから起き上がった。
手術室に運ばれていく時、健一が付き添ってくれた。しかし、その目は冷たかった。
「母さん、がんばって」
「ああ」
私は手術台の上で、深く息を吸った。麻酔がかかっていく感覚の中で、私は強く誓った。
「絶対に、生きて帰る。そして、見返してやる」
手術は成功した。しかし、目が覚めた時、そこに健一の姿はなかった。ただ、無機質な機械音だけが響いている。私はひとりぼっちだった。
数日後、退院してマンションに戻ると、笑美はそっけなかった。
「お義母さん、しばらくは大人しくしていてくださいね。洗濯や掃除は私たちがやりますから」
「すまないね」
「そんなことより、早くお金の工面をしてくださいね。この家のローンもあるし、あなたの入院費だって自費で払ったんですから」
私は言葉を失った。私は自分の入院費を支払うために、福岡の実家を売却するつもりだった。しかし、その売却金は、まだ振り込まれていなかったのだ。
「もう少し待ってくれ。弁護士に確認してみるから」
「はあ?まだ待てって言うの?あんた、私たちに寄生するつもり?」
笑美の声が鋭くなる。私は黙ってうつむいた。
その後も、私の居心地の悪い日々は続いた。食事は、家族のものとは別に、粗末なものが出された。洗濯物も「汚いから」と言って、自分で処理させられた。私はただ、死んだように日々を過ごすしかなかった。
そんなある日、一通の封書が届いた。福岡の地所の売却代金の支払いが確定したという通知だ。私は、その知らせを待っていた。
私は封筒を開け、中の書類を確かめた。そこには、信じられないほどの金額が書かれていた。私が癌で苦しんでいた間、夫が遺してくれた土地が、とんでもない値上がりをしていたのだ。私は、このお金で、すべてを終わらせることにした。
退院して数週間後のこと。私は、家族を食事に招待した。
「なあ、今日はいい店を予約したんだ。みんなで行こう」
健一と笑美、そして孫たち。私は高級な料亭に、彼らを連れて行った。個室には、嫁が好きな料理を並べた。
「何これ…。すごいね…。お義母さん、お金、あるの?」
笑美が目を丸くする。
「ああ。実はな、マンションの土地が売れたんだ。お前たちに、少し分けようと思ってな」
私はそっと、通帳をテーブルに置いた。そこには、10億円という数字が並んでいた。
「じゅ、10億…」
笑美の顔色が一瞬で変わった。見下していた老いた義母が、突然、大金持ちになったのだ。
「これからは、私たちの好きなように生きることにした。あんたらに、もう何かを頼むつもりはない」
私は立ち上がった。
「ちょっと、母さん…」
健一が引き止める。しかし、私は振り返らなかった。
「これまで、よくしてくれたな。ただし、これからは、その恩返しをしてもらうぞ」
私は冷たく言い放ち、料亭を後にした。
翌日、私は新しいマンションを購入した。港区のタワーマンションの最上階だ。そこから見える景色は、まるで自分が王様になったかのようだった。私は弁護士を雇い、健一たちへの対応を任せることにした。私はもはや、あの家の住人ではないのだ。
数日後、健一が私の新しいマンションに現れた。
「母さん、笑美が悪かった。俺からも謝る。だから、許してくれないか」
そう言って、健一は頭を下げた。しかし、私は首を振った。
「お前たちの顔を見たくない。もう、連絡もしてくるな」
「母さん!」
「出て行け」
私は健一を追い返した。これで、終わったのだ。癌との闘いに勝利し、私は第二の人生を手に入れた。この10億円で、私は残りの人生を好きなように生きる。もう、誰の顔色も伺わない。
私は窓辺に立ち、東京の夜景を見下ろした。過去の屈辱は、これで全て報われた。私はようやく、自由を手に入れたのだ。
数年後、私は田舎の海辺で暮らしていた。穏やかな日々が流れ、私はすっかり健康を取り戻していた。あの時、10億円を手にしていなければ、私は今頃どうなっていただろうか。あの嫁にこき使われ、死んでいたかもしれない。
しかし、私にはもうひとつ、大切なことがある。息子の健一が、愛する女性と結婚して、幸せに暮らしていることだ。彼はあの後、笑美と離婚し、私のもとを訪ねてきた。
「母さん、すまなかった。俺がバカだった」
「いいんだよ。もう、すべて過去のことだ」
私は息子と和解した。そして、孫たちとも、たまに会うようにしている。彼らが、私の生きる活力となっているのだ。
私は今日も、海辺の家で穏やかに暮らしている。10億円のお金は、私に自由と平穏を与えてくれた。しかし、それ以上に大切なものは、家族との絆だ。お金で解決できないものを、私はこの手で掴み取ることができたのだ。
癌は克服し、私は今、人生を謳歌している。
あの時の判断は、間違っていなかった。私はそう、確信している。



