「お前には今月付けで会社をやめてもらう。」
10億の新規契約の報告をした直後、突然そんなことを言われた。あまりのことに聞き間違いかと思い、思わず首をかしげてしまった。
「えっと、すみません。もう一度言っていただけますか?」
部長は、面食らっている俺を小ばかにしたように一瞥し、今度は嫌味なくらいゆっくり、そしてニヤニヤと笑いながら同じ言葉を繰り返した。
「お前に会社をやめてもらうと言ったんだ。本社から人員整理の指示が出ていてな。お前がその対象になった。」
「あの、それは具体的にどういう理由でしょうか? そういう話でしたら、こんな急に決定されるものでは…」
「うるさい。お前ごときが地方支社の人間の分際で、本社の意向に逆らう気か?」
俺の抗議を叩きつけるようにして、部長はデスクをドンと叩き、声を荒げる。
「いいから黙って辞表をかけ。あとその大口取引は私が引き継ぐから、きちんと引き継ぎ書を作っておけよ。」
部長は一方的に言いたいことだけを言って、俺を追い払うように手を振った。
なんなんだよ。こんな勝手が許されてたまるか。
俺は怒りと悔しさを胸に会社を去った。後で泣きついてきても遅いからな。そう胸の中でつぶやきながら。
俺の名前は菅原浩司。とある不動産会社の地方支社に勤務している。仕事は主に都市開発や宅地開発、マンション開発などの大規模な物件の開発事業だ。俺が務めている地方支社は親会社ほどの大きな受注はなく、宅地や新築マンションの開発、そしてそれらの維持管理が主な業務になっている。
俺は入社3年目で営業部に配属となってから、ずっと営業畑だ。派手なパフォーマンスはできない性格だったが、その分、努力を惜しまず相手と向き合うようにしている。そんな仕事ぶりが評価されているのか、顧客や取引先は安定した信頼を寄せてくれていた。最近では成績も上向いてきて、責任ある仕事を任されるようにもなっていた。
そんなある日、営業部の部長が本社へ移動することを知らされた。部長は俺が営業部に配属になってからずっとお世話になった人だった。
「君は君らしく、これからも頑張ってくれ。」
そう言ってくれた部長の力強い言葉に背中を押され、俺は精一杯の笑顔でその新たな旅立ちを見送った。
部長の後任は、本社勤務だった村井という人物が担うらしい。この支社は政令指定都市にあるため、周囲が田舎というわけでもないが、本社勤務のエリートがわざわざ移動してくるような明確なメリットがある場所でもない。
噂好きの同僚が早速情報を仕入れてきた。
「何でも、その村井部長は本社で大きなミスをしでかしたらしいんだ。そのミスを焦って隠そうとしたことが余計に混乱を産んで、結局契約が一件パーになったみたいで。」
「うわ、えぐいな。まあ自業自得ではあるけど。」
「ってことは、その村井さんは責任を取らされて、ここに左遷されたってこと?」
「まあそうだろうね。支社勤務の俺たちからしたら、そんな厄介な人間を押し付けられるのは勘弁してくれって感じだけど。」
大抵、左遷されてくる人間というのは、己の行いを反省するどころか、自身の境遇に対する怒りを周囲に撒き散らすのがセオリーだ。俺たちの祈りも天には届かなかったようで、村井部長は初日の自己紹介から早々に俺たちを威圧してきた。
「本社から移動してきた村だ。私の見たところ、どうもこの支社は日和見の人間が多くていかん。私が来たからには、今までのような生ぬるいことは言わせないので、そのつもりで。」
部長はそう言い放って、営業部全体を困惑させた。何とも答えがなく顔を見合わせている俺たちに向かって、馬鹿にしたような一瞥をよこすと、さっさと自席へ戻っていった。
「ねえ、何? あの態度。よろしくの一言くらい言えないの?」
デスクの隣の同僚が、部長に聞こえないように声を潜めながらもプリプリと怒っている。俺は思わず苦笑した。気持ちは分かるが、まあ今まで本社のエリートだった人間にとっては、支社の人間なんて大体下に見ているのだろう。
「まあまあ、向こうも着任したばかりだし、そのうち態度も軟化してくるかもよ。」
そう言って同僚を慰め、まずは今抱えている案件に全力で向き合おうと気を取り直した。
だが、それからも村井部長は支社の雰囲気に馴染むこともなく、日々が過ぎていった。そればかりか、部内で一番遅く出勤してきたかと思えば、滅多に自席から動くことはない。そして一日中何をしているのかといえば、ひたすらスマートフォンやパソコンを触っていたり、ひどい時には居眠りをしていたりする。
着任して一ヶ月が経ってもその状態で、俺はあまりにやる気のない村井部長の姿に深く失望してしまった。最初からこちらを見下しているのは分かっていたし、着任当初の態度からして問題があるのはその通りなのだろう。だがそれでも俺はどこかで期待していたのだ。本社勤務だったエリートの仕事ぶりを間近で見る機会なんて、支社にいる限りは滅多にない。自己紹介であんなことを言うくらいなのだから、言動に問題はあるにしろ、さぞ研ぎ澄まされた仕事ぶりを披露してくれることだろうと、正直少し楽しみにもしていた。
だが蓋を開けてみれば、村井部長は自身の仕事をほとんど部下に押し付けて、一日中遊んでばかりいる。もはや入社1年目の新人の方が数倍仕事をしているほどだ。
自分のことは棚に上げて、部下の成績には過剰なほど敏感だった。今日も部長の机の前には、一人の部下が丸められて立たされている。その顔色は、こちらの胸が痛くなるほど青ざめている。村井部長は、部下のそんな様子を顧みもせず、ネチネチと彼のミスをあげつらっていた。
「お前さ、入社して何年目なんだよ。今時新人でさえこんなミスしないぞ。それにお前、この頃全然契約が取れてないじゃないか。なんだ? さては私を舐めてんのか?」
「そ、そんな…そのようなことは決して…」
「ふん。じゃあその証拠に、契約の一つでも取ってきてみろよ。」
いきり立って怒鳴る村井部長の姿を、フロアにいる誰もが白けた目で見ている。この仕事は一件ごとの金額が大きい分、そんなに簡単に新規契約など取れるものではない。今やり玉に挙げられている部下だって、毎日様々な手段を工夫して顧客獲得に一生懸命になっていることは、部内の人間なら誰でも知っていることだ。それを、仕事もしない人間がああだこうだと貶していいはずがない。
俺はたまらず声を上げ、二人の間に割って入った。
「お話中失礼します。彼に電話がかかってきていて、どうも急ぎの要件みたいで。」
そう言って部下を呼べば、あれだけ怒鳴ったのにまだ怒鳴り足りないのか、不服そうな顔をしながらも村井部長はさっさと手を振り、部下を解放した。
「すみません。どちら様からのお電話ですか?」
密かにほっとした顔をして足早に俺へと近づいてきた部下に、俺はこっそり囁いた。
「ああ、ごめん。電話は嘘。そうでも言わなきゃ解放してもらえないだろう。適当に応対してる振りして、そのまま外回りに行くといいよ。」
俺の言葉に一瞬驚いたような顔を浮かべた部下が、わずかに微笑んで頭を下げた。
困ったことに、村井部長が着任してからというもの、こうしたことは日常茶飯事となっていた。そのあまりの暴君ぶりに、部内の誰もが辟易している状態だ。だが仮にも相手は部長だ。こちらから抗議もできず、俺たちは日を追うごとに徐々に疲弊していくのだった。
そんな中、俺は以前より営業をかけていた新規の顧客と、10億の大口契約を交わすことが決まった。この支社では稀に見る大口案件である。
さすがにこの実績を示せば、少しは村井部長の態度も軟化するのでは。俺は内心そんなことを思いながら、早速報告を上げた。
「なるほど。その件は了解した。」
俺の報告に素っ気ない返事をした部長だったが、その後、思いもよらないことを言い放ったのだった。
「なあ、菅原。すまんが、お前には今月で会社をやめてもらう。」
「え? はい?」
あまりにも突然そんなことを言われたものだから、俺は瞬間、聞き間違いかと思い、思わず首をかしげてしまった。
「えっと、すみません。もう一度言っていただけますか?」
すると村井部長は、面食らっている俺を小ばかにしたように一瞥すると、今度は嫌味なくらいゆっくり、そしてニヤニヤと笑いながら同じ言葉を繰り返した。
「お前に会社をやめてもらうと言ったんだ。実はな、私は本社から人員整理を命じられていたんだよ。そして残念だが、お前がその対象になっていた。」
ここに来ての全く身に覚えのない話に、俺はぐっと眉を寄せた。
「あの、それは具体的にどういう理由で? そもそもそういう話でしたら、こんな急に決定されるものでは…」
だが俺の抗議を叩きつけるようにして、村井部長は怒りを込めて声を荒げる。
「うるさい。お前ごときが地方支社の人間の分際で、本社の意向に逆らう気か。」
「いえ、そうではなく、まずは具体的な話を…」
村井部長がデスクをドンと叩き、俺の言葉を遮る。
「えい、小賢しい。お前は何だかんだと私の邪魔ばかりしよって。いいから黙って辞表をかけ。あとその大口取引は私が引き継ぐから、きちんと引き継ぎ書を作っておけよ。」
必要以上にこちらを威嚇するようにしてそう怒鳴った後、要件は済んだとばかりに村井部長は俺を追い払いにかかった。こちらの言い分など全く聞く耳持たないという態度に、俺は怒りよりも無力感を覚え、やがて無言でとぼとぼとその場を後にした。
周囲を見渡せば、同僚たちが困惑した面持ちで俺のことを見ていた。何か言葉をかけようとしてくれた同僚もいたが、同僚たちも突然のことに言葉が出ないようだった。無言で見つめてくる同僚たちに、俺は曖昧に頷いて見せて、自分のデスクに戻った。
そうして俺は、無理矢理の退職を余儀なくされたのだった。
翌日、これからどうしようかと思い悩みつつも、ショックを引きずっていた俺は、何をする気も起こらず、ダラダラとベッドの上で天井を眺めていた。
そんな時、俺のスマートフォンが立て続けに着信を知らせる。画面に表示された相手は、なんと村井部長だった。この後に及んで何の用事だと思ったが、あまりにもしつこく電話がかかるので、しぶしぶ応答する。
「はい。もしもし。」
「おい、どうなってんだ?」
耳をつんざくその大声に、俺は思わずスマートフォンを遠ざける。
「お前が契約したあの10億の案件、今朝、先方から一方的に契約破棄されたぞ。」
俺がその声に顔をしかめている間にも、村井部長は息継ぎをする暇もなく俺に怒鳴り散らしていた。
「お前、何か変なことでも吹き込んだんじゃないだろうな。というかお前が担当してたんだから、お前が何とかしろ。おい、聞いてんのか?」
きっと電話口で彼は顔を真っ赤にして、分別のない子供みたいに喚いているのだろう。相変わらずのその態度に、俺は深くため息をついてしまう。そうして淡々と答えた。
「お言葉ですが、私はもう退職した身ですので、それはご自分でどうにかしてください。」
「ふざけるな。そんな勝手が通用すると思ってるのか。」
勝手を言っているのはどっちだよ。と思ったが、今更そのことにツッコミを入れても仕方がない。代わりに、重要なことを告げた。
「それと、お気づきになっていないようなのでお伝えしておきますが、その案件の相手は私の父親です。」
「はあ?」
瞬間、村井部長の声がぴたりと止む。この反応は、本当に知らなかったんだな。俺は呆れた。少しでも引き継ぎ書を読んでいれば、すぐに気づくことだろうに。そんなことすらも彼は行っていなかったのだ。しかも10億という大きな契約だというのに。
「お前の父親が…なんで…」
村井部長のボソボソとつぶやく声が、かすかに聞こえてくる。今、部長はどんな顔をしているのだろうか。それが見られないのが少し残念だ。
「お、おい、本当のことなのか。からかってるんじゃないだろうな。」
「失礼なことを言わないでください。本当のことですよ。」
ことの始まりは、村井部長が着任してくる半年前まで遡る。祖父が亡くなり、俺の父が遺産として駅前の一等地を譲り受けたのだ。ただ、いざ土地だけあってもどうしていいか分からない。そこで俺は父に、マンションを建ててみてはどうかと進めた。駅前の一等地、需要は絶対にあると俺は踏んでいた。
そしてこの度、10億の契約となったわけだが、そこに来ての今回の騒動である。俺が強制的に首になったと知った父は、当然ながら激怒していた。そうして今朝の契約破棄へと繋がったのだろう。俺は破棄するよう頼んではいないが、こうなることは必然だったと言える。身内ながら、父は曲がったことが大嫌いな性格でして。
最後に付け加えれば、電話口の村井部長は、しばらく絶句し、それから一点小刻みに震える声で恨めしそうに吐き捨てた。
「お、お前、それ、わざと言わなかったな。」
「わざととは語弊があります。引き継ぎ書を少しでも開けば、すぐに分かったことです。まさか部長が引き継ぎ書すら読まないとは、私も思っていなかったので。」
電話の向こうでは、ギリギリという音がかすかに聞こえた。どうやら村井部長は歯ぎしりしているらしい。けれどそれには構わず、「それでは失礼します」と俺はさっさと電話を切ったのだった。
だが、話はそれだけで終わらなかった。さすがにそのまま10億の契約を逃すのはまずいと思ったのだろう。今度は村井部長が直接、我が家を訪れたのである。
しかし、口では謝罪に来たと言いながら、その態度は相変わらず偉そうだった。
「この息子さんとは色々誤解がありまして。とりあえずこの書類にサインをいただければ、こちらとしても息子さんの処遇を今一度考えてみますので。」
愛想笑いのつもりか、玄関先でヘラヘラと頬を緩める村井部長の姿は、ただでさえ怒りが収まっていない父をさらに怒らせることとなった。
「よくも人の家に押しかけた挙げ句、その偉そうな態度は何だ? それにあの土地はもう他の会社と契約をし直した。お前、今度こうやって押しかけてきたら警察呼ぶぞ。」
ちなみに父の名誉のために言っておくが、普段の父は、多少頑固ではあるが、ごく普通の穏やかな人間である。ただ、根っからの昔気質であるため、理屈が通らないことや礼儀を弁えない相手に対しては、それ相応の態度を示すのだ。
「し、失礼しました。」
鬼のような形相で鬼神のごとく怒り狂う父を前にして、さすがの村井部長もそれ以上は何も言わず、そそくさと退散したのだった。
それから数日が経った頃、村井部長の前任であり、本社へと引き抜かれた元部長が、俺の父と、それから俺に会うために我が家へとやってきた。
「この度は菅原様にも大変なご迷惑をおかけいたしまして、誠に申し訳ございません。」
「いえ、こちらこそ、息子が大変お世話になったと聞いております。」
事前にアポイントメントを取り、丁重な物腰の元部長には、父も冷静にその話を聞く姿勢を示す。すると元部長は、その後の村井部長の処遇について話し始めた。
本社の元部長が面会にやってきた時点で分かっていたことだが、今回の一件は本社にも報告が上がっていた。そしてそこには、根本的な原因となる村井部長の支社での態度も含まれていた。その結果、村井部長には相応の処分が下ることになったらしい。部長職は当然ながら解任。降格の上、さらに遠くの、いわゆる僻地と呼ばれる支社への移動が命じられたようである。また、俺を突然解雇した件については、それも本社からの人員削減などではなく、俺の取ってきた10億の契約を我が物とし、支社での評価を上げて本社へ戻るためだったと聞いた。
「菅原君。君は村井の私利私欲に巻き込まれたんだ。それもこれも、私の監督不行き届きが一因にある。本当に済まなかった。」
その場で深々と頭を下げる元部長に、俺は慌てて首を振った。
「そんな、頭をあげてください。それに私だって、相手に流されずにもっと抗議するべきでした。せっかく頑張れと励ましていただいたのに、至らない部下で。」
だが俺のその言葉に、元部長は顔を上げ、真摯な面持ちで続けた。
「分不相応な申し出なのは重々承知しているのだが、君さえよかったら、またあの支社で勤めてくれないだろうか。もちろん、お父上の契約は破棄されたままでいい。ただ、あの支社には君が必要だ。」
その言葉に俺はちらっと横に座る父を見た。すると父は、「お前の好きにしろ」とばかりに深く頷く。その無言の激励を受け、俺は口を開いた。
「私でよければ、こちらこそよろしくお願いします。」
そうして俺は無事、職場復帰を果たした。父の持っている土地についてだが、別の会社と契約したというのはあの時の方便であり、父はもう一度支社と再契約を交わしてくれることとなった。今後のマンションの管理や保守点検も、俺が責任を持って受け持つこととなり、復帰早々、俺は忙しくも充実した日々を過ごしている。
「君は君らしく」という元部長の言葉を胸に、俺はこれからも努力を惜しまず、精一杯仕事に取り組もうと改めて心に誓ったのだった。



