「意見するなら首な。」
課長のその言葉が、工場の空気を凍らせた。俺はただ、自分が設計した品質管理システムのエラーを修理しようとしただけだ。なのに課長は、それを一切やらせてくれない。
「そうですか。では、その通りにします」
俺はそう言って、背を向けた。
俺の名前は細谷。39歳。電子部品メーカーで技術者として働いている。高卒で入社し、独学でプログラミングやシステム設計を学び、ここまでやってきた。能力は評価され、今では本社でシステム開発の中核を担っている。
そんな俺が地方の事業所に異動してきたのは、2ヶ月前のことだ。本社の上司に「君の経験と実績を見込んで、事業所を支えてほしい」と言われ、期間限定の応援として承諾した。異動先の事業所は、新幹線が開通したばかりで、年々拡大している。本社はその成長を後押しするために、技術者を送り込んだのだ。
移動初日、技術部に配属された俺を、ほとんどの社員は温かく迎えてくれた。ただ一人を除いては。
「はぁ。本社から移動って聞いたから、どんな優秀な人物かと思えば。高卒か。厄介なものを押し付けられたもんだ」
そう聞こえよがしに言ったのは、課長の野村だった。有名大学出身で、学歴に強いプライドを持っている。営業部にいたが成績が振るわず、学歴を買われて技術部に異動し、そのまま年功序列で課長になったらしい。技術的な実務はほとんど理解していない。
その日から、野村の嫌がらせは始まった。
「高卒の新人が会議で発言するな。出しゃばるな」
俺が何か意見を言うたびに、野村は必ずと言っていいほど、高卒という言葉で俺を抑え込もうとする。俺は高卒であることを恥じていない。ただ、自分の能力を評価してくれている周りの社員たちがいる中で、野村だけは学歴だけで俺を見下してくる。
実は、俺の家庭は複雑だった。母が再婚し、再婚相手と折り合いが悪く、家庭内で孤立していた。だから早く自立して家を出た。勉強ができなかったわけじゃない。ただ、家にいるのが辛かっただけだ。俺は自分の選択を後悔していない。
本社の上司からは「現場の人間関係を壊さず、まずは信頼を築くこと」と指示されていた。波風を立てず、黙々と仕事をこなし、周囲との関係を大切にすることにした。
そんなある日の午前中、事件が起きた。
工場の作業員から内線が入った。
「品質管理システムにエラーが出てるんです。データの遅延や応答不良も発生しています。別システムのアップデートを行ったら、調子が悪くなったみたいで」
この品質管理システムは、俺が1年前に本社で設計したものだ。特許技術を使った自動品質検査システムで、製品の画像認識やデータ解析で不良品を自動で検出する。独自のアルゴリズムが組み込まれている。半年前にこの事業所に導入されたが、運用で問題が出始めたため、設計者である俺が応援として派遣されたのだ。
俺は考えを巡らせた。導入から半年、工場の生産量は順調に伸びている。処理するデータ量も増え、ログやキャッシュが蓄積している。サーバーの処理能力は限界に近づいているはずだ。そこへ別システムのアップデートが重なり、リソースの競合が起きたのだろう。
俺はすぐに部長に報告した。
「何? 細谷君の報告の通りだとすれば、まずい状態だな。君、対応してくれるかい?」
部長と話し合っている間、野村も同席していたが、話が終わる頃には姿が消えていた。その時は何とも思わなかった。だが、部長にお願いされて工場に急行した時、俺は驚いた。
「すぐに業者に連絡しろ! 何? この程度ならすぐに何とかなる!」
野村がドヤ顔で工場内の人間に指示を出していた。
「ああ、なんだ。高卒なんてお呼びじゃないぞ」
俺の姿を見るなり、野村は不機嫌そうに手を振る。虫を払うような仕草で。
「何をしていらっしゃるんですか?」
「何って、適切な指示を出しているんだ。課長ともなれば、優秀な業者を手配する判断力が重要なんだよ。お前のような現場作業員とは格が違う」
俺はそばにいた作業員に目を向けると、困った表情で首を横に振った。
「今エラーが出ているシステムは特許技術が絡んでいます。外部の業者では対応できないと思います。そこは私がやります」
「生意気な口を聞くな。高卒は黙ってろ。俺の意見が正しいに決まっているだろうが。意見するなら首な。分かったら下がれ。責任を持って必ず解決してみせる」
首、という言葉に、俺は足が止まった。
野村は確かに課長だが、何の落ち度もない俺の首を切れる権利など持っているわけがない。感情に任せて、思いついた言葉をそのまま吐き出しているのだろう。怒りでも悲しみでもなく、ただ呆れだけが俺を満たした。
俺は小さく息をついた。
このままシステムを放置すれば、数時間以内にシステム全体が停止する可能性もある。だが、課長である野村がここまで言うのなら、その通りにすればいい。
周りで見守っていた作業員たちが「やっぱり業者じゃ無理ですよ」「ここは細谷さんに」と野村に進言するが、野村は聞かない。
「お前たちも首になりたいのか! お前らみたいな作業員なんか、いくらでもいるんだぞ!」
別部署の人間の人事にまで口を出せると思っているのだろうか。怒りが込み上げてくる。だが、俺は背を向けた。
「野村課長のおっしゃる通りにします」
普段以上にかしこまった口調でそう告げると、野村は勝ち誇ったように笑った。
「最初からそうすればいいんだ。見てろ。お前なんか出しゃばらずとも、技術部課長ともなれば、責任を持って見事な采配で解決してみせる」
「そうですね。是非そうしてください」
俺は振り返り、にこりと微笑んだ。
野村は知らない。いや、信じていないのだ。俺がこの特許の品質管理システムの設計者だということを。
俺の異動が決まった時、部長が野村に俺のことを説明しようとしたが、野村は俺の経歴書を見ようともしなかった。
「有名大卒の私に高卒の経歴書なんて見せないでください。時間の無駄です」
そう言って、経歴書を机に投げ返したのだ。
午後、野村が呼んだ業者が工場に到着した。だが、野村が呼んだのは一般的なシステムを扱う業者で、特許技術を含む専門を知らずに来ていた。
「ここまで複雑な設計は難しいです。特許ならなおさら」
業者は首を横に振り、これ以上は無理だと告げて撤退してしまった。
「それでもプロか!」
野村はそう叫んで業者に詰め寄ったが、もう後の祭りだ。
システムは完全に停止し、品質検査ができなくなった。製造ラインも止まり、1時間で約500万円の損失が出る状況になった。
知らせを受けた事業所長がやってきた。
「一体どうなっているんだ!」
事業所長は真っ先に俺と部長の元へ来た。俺と部長、他の社員たちも揃って野村に視線を向ける。
「私が対応しようとしたところ、野村課長が自分が解決すると言い張って、私を排除したんです」
俺が事実を告げると、野村は勢いよく首を横に振った。
「ち、違います! これはその……そう、細谷が! 高卒社員の細谷が余計な真似をしたせいでシステムが壊れたんです!」
野村は相変わらず高卒を強調し、俺を指さす。
「細谷君は確か、このシステムの設計者だったはずだが?」
事業所長の発言に、野村は間の抜けた顔になった。
「設計者……?」
部長や同僚たちが声をあげた。
「野村課長の言っていることは嘘です。細谷君はシステムの異常を報告し、迅速に対応すべく工場に向かいました。しかし、野村課長の強い制止により、手を出すことができなかったのです」
「僕は何度も説明しました。細谷さんがシステム設計者だということも、本社からどういう目的で移動してきたかも。ですが、課長は聞く耳を持たなかった。事業所長にも相談しましたが、証拠がないと動けないと言われて……」
部長は俺に何度も謝った。
「すまない。証拠を取るように言われていたんだ。まさかこんな形で証拠が揃うとは思わなかった」
「工場の作業員からも裏付けは取っています。細谷君の発言に嘘はありません」
部長の証言に、同僚たちも頷いた。
「そうですよ。そもそも課長は普段から細谷さんを目の敵にして、高卒だ高卒だって繰り返しては、細谷さんの意見や行動をいつも否定してました」
野村は完全に孤立無援になった。青白い顔で、口をパクパクさせている。
「これ以上意見するなら首、と言われました。私はその時点では、野村課長にそこまでの権限はないと思って、気にしていませんでした。そもそも首になるようなことはしていませんし。問題は次の発言でした。『技術部課長ともなれば、責任を持って見事な采配で解決してみせる』と。そこまで言うのならと、私は引き下がったのです。とはいえ、何もしていなかったわけではありません。復旧作業に必要な資料や手順は、自分の中でまとめておきました」
「さすが細谷君だ。すぐに動いてもらえるかな?」
事業所長がほっとしたように言う。
「はい。お任せください。工場からエラーログのデータを頂いて、分析していましたので、すぐに取りかかれます」
「ま、待て!」
野村が、この期に及んで俺を静止する。
「まだ何か? このままではどんどん損失が増えていきますよ」
俺が冷たく言うと、野村は言葉を詰まらせた。
「そもそも開発者ってどういうことだ? 私は聞いていないぞ!」
野村の言葉に、俺だけでなく周りからもため息が漏れる。
「君は、本当に困った男だな」
部長が呆れたように首を横に振った。
野村は、もう言い逃れができないと観念したのか、その場で膝をつき、頭を下げた。
「も、申し訳ございませんでした……」
「君が謝罪すべきは私ではない。この細谷君。いや、この部署の全員。それから、君が困らせた工場の者たちだ」
事業所長は言いながら、俺や部長たちに向けて自らも頭を下げた。
「事業所長として私も謝罪する。野村君に課長を任せていたのは私の責任だ。本当に申し訳ありませんでした」
野村を除く技術部の面々が、それぞれ顔を見合わせた。
俺は土下座の姿勢になっている野村を見下ろした。
「『意見するなら首』とおっしゃいましたが、それでよろしいでしょうか?」
あえて尋ねると、野村の顔が屈辱に歪んだ。
「……よろしくお願いします」
俺はふっと笑い、工場へ向かった。
サーバールームに直行し、ログファイルの削除とキャッシュのクリア。競合している別システムとのリソース配分を調整する。独自アルゴリズムの再構築には30分ほどかかったが、午後5時、システムは完全に復旧した。工場から歓声が上がるのが聞こえた。
それから1ヶ月後、野村は依願退職という形で会社を去った。実質的には解雇だが、本人の経歴を考慮して整えたのだろう。事業所長は本来なら懲戒解雇に値すると人事部に報告したと、後で聞いた。今回のシステムトラブルにおける判断ミス、責任に対する姿勢、そして普段からのパワハラ的言動の数々が、総合的に判断された結果だ。
この一件はすぐに本社へも報告された。俺を派遣した上司からは「よくやった」という言葉をもらい、「組織の問題点が明らかになって良かった」とも言われた。
俺は予定通り応援移動の期間を満了し、本社へ戻ることになった。
「細谷君には、本当に迷惑をかけた」
「いえ。皆さんがよくしてくださったから、楽しくもありました。色々勉強にもなりましたし、感謝しています」
部長がほっとしたように笑い、俺たちは握手を交わした。
本社に戻れば、新しい仕事が待っている。俺はこれからも、技術者として、上司として、成長していきたいと思う。決して、野村のような上司にはならないと心に誓いながら。



