夜の工場の事務所。俺は竜二。父が立ち上げた金属加工の工場で働いている。経営はもう崖っぷちで、従業員はベテラン3人だけ。それでも俺はこの場所を守りたかった。役に立ちそうな資格は片っ端から取った。機械、メッキ、アーク溶接。コンサルタントにボイラー、自動整備士まで。だが金の問題は解決しなかった。
ある日、親父に呼ばれて話を聞くと、突然「お見合いに行って欲しい」と言われた。相手は同級生の鈴鹿。初恋の相手だった。彼女は大学で地元を離れ、何年も会っていなかった。しかも学生時代、俺は彼女のタイプじゃないと聞かされていた。
「なんで鈴鹿とお見合いなんだよ。大手の会社に勤めてるんだろうが」
「楠の木に相談されてな。彼氏と別れて引きこもってるらしいんだ。お前と喋ってりゃ元気になるかもしれねえだろうが」
わけのわからない理屈だったが、鈴鹿に会えると思うと嬉しかった。お見合い当日、久しぶりにスーツを着てレストランへ向かった。鈴鹿は数年で見違えるほど綺麗になっていた。清楚な長い髪、水色のタイトなドレス。緊張でうまく話せない。鈴鹿も親父たちの話に合わせるような、俺の知らない振る舞いを見せていた。
庭園を散歩することになり、2人きりになった時、鈴鹿は突然走り出した。木の枝に風船が引っかかり、下で子供が泣いている。鈴鹿はドレス姿のまま木に登り、風船を取って子供に渡した。ドレスが破れていた。
「ドレス破れた」
「気づいてなかったのかよ」
「笑うな。ちょっとジャケット貸して」
ベンチに座り、昔話をしていると、鈴鹿がぽつりと話し出した。
「私、振られた時さ、言われたんだ。庶民臭さに耐えられないって。顔もタイプじゃないし、行動も理解不能。住む世界が違うから別れることにしたって」
「どこのドイツなんだよ。理解不能だ。住む世界だ。神様かなんかか」
「なんで竜二が怒ってんのよ」
「役立たずってなんだよ。さっきのガキはありがとうってあんなに言ってたじゃねえか。鈴鹿は昔からそうだ。困ってる奴がいたらお構いなしに助けに行ってた。そんな鈴鹿と住む世界が違うって言うなら俺はお断りだぜ。鈴鹿を選ぶ」
鈴鹿は泣き出した。「竜二、ありがとう。私これでいいのかな?」
「当たり前だろ。鈴鹿は美人でいい女だから気にすんな」
その流れで俺の家でだらけることになった。昔のアルバムを見ながら話していると、鈴鹿が突然黙り込んだ。そして、とんでもないことを言い出した。
「私たちもう大人だよ。こんな時間に2人っきりでいるんだからね。私はずっと竜二を好きだったんだよ」
鈴鹿はベッドに腰かけ、胸元のボタンを外し始めた。真っ赤にほてった顔で、上目遣いにこちらを見ながら。俺の体は彼女の方へ自然と向かっていた。だが、俺は鈴鹿のボタンを閉めた。
「やけくそでやんじゃねえ。どうしたんだよ」
「竜二、私そんなに魅力ないかな。私そんなにダメな女なのかな」
ボロボロと泣き出した鈴鹿。俺は彼女が思っていた以上に傷ついていることに気づいた。元彼のことがそんなに好きだったんだ。
「言っただろ。鈴鹿はいい女だ。見た目も中身もな。無理に忘れろとは言わねえよ。ただ泣く前に俺のとこへ来いよ。しっかり笑って返してやるからさ。自分を大切にしろよ」
泣きはらした鈴鹿をタクシーへ乗せて見送った。俺を好きだと言ったのはどういう意味だったのか。元彼を引きずっているようだし、気持ちが分からない。ただ次に会った時は平常心でいようと誓った。
それから鈴鹿とはデートを重ねた。家でもすっかり元気になったらしいと親父経由で聞いた。少しでも会いたいと言ってくれ、笑顔で話す鈴鹿を見ていると、元彼のことなんてどうでもいいと思えた。この笑顔をずっとそばで見ていたい。その気持ちが大きくなっていった。
ある日、事務所の電話が鳴った。新規の注文かと期待して出ると、長年継続発注を受けていた大手会社から突然の契約解消の電話だった。最後の綱だった。俺は会社へ乗り込み、必死に頼み込んで応接室まで通してもらった。担当者と、若い男が入ってきた。若い男は浦田と名乗った。鈴鹿を傷つけた元彼だった。
「今回あなたのところとの契約解除を命じたのは僕です」
「理由を聞かせてください」
「理由ですか? うん。いらないからですかね。時代遅れのこだわりの塊、高卒の後継ぎ。信頼なんてくだらないもので縛られていた無駄なものを捨てたというわけですよ」
浦田は鈴鹿との過去を嘲笑った。俺は机を乗り越え、浦田を殴り飛ばしていた。怒りで記憶は曖昧だったが、頬を押さえて倒れる浦田と、倒れた椅子があった。
工場に帰ると、みんなが待っていた。鈴鹿もいた。親父が「殴るか普通」と笑い飛ばし、みんなが背中を叩いてくれた。俺は涙を流した。父さんは免がれないだろう。でもせめてみんなが次もどこかで働けるようにするのが、俺の最後のここでの仕事だと思った。
事務所で鈴鹿と2人になった時、鈴鹿が話し出した。
「浦田君に会ったの?」
「あ、ああ。まあ、契約のことで少しだけな」
「最低でしょ、あいつ」
「は、はあ」
「あ、もしかして竜二が殴ったのって浦田? さすがだわ」
鈴鹿は浦田のことが忘れられなかったんじゃなかったのか。鈴鹿は明らかに剣幕をむき出しにした顔をしている。
「あ、ちょっと待て。お前、あいつに振られて落ち込んでて立ち直れなかったんだよな」
「まあ、そうだね。でも彼のことが好きだったからというより、女として三流だとか、住む世界が違うのに付き合ってやってるのを感謝しろとか、散々自分を否定されたことから立ち直れなかったんだ」
「私が立ち直れたのは竜二のおかげ。竜二の言葉の方が私は信じられたんだ。竜二はいつも正直だもんね」
後日、鈴鹿の家に呼ばれた。鈴鹿の親父さんが2人きりで話があると言う。
「鈴を追い詰めたのは私だ。祖父の代からの会社を潰すわけにはいかなかった。そのために鈴鹿を使った。どうにか大手の会社関係者と結婚させ、会社を安定させるつもりだった」
「それって、あ、政略結婚だ」
「あの時の私に罪悪感などなかった。早くに妻をなくし、唯一の娘である鈴鹿をいかに会社のために役立てるか、両親とも話し合っていた。最低だろう」
「そっすね」
俺が流れるように肯定したことが、親父さんにはよほどの驚きだったようだ。俺もしまったと思ったが、親父さんは眉を下げて笑った。
「君は本当に正直な男だね。きっとそういうところが鈴鹿も好きなんだろう。ようやく自分の間違いを自覚したのは浦田君と破局した時だ。鈴鹿は土下座して謝ってきたよ。ごめんなさい。役立たずでごめんなさいと」
「そんなことないっす。そりゃことは嫌な感じすぎるけど失格じゃない。俺、小学校の頃はめちゃビビリでいじられては泣いてたんです。そんな時いつも助けてくれたのは鈴鹿でした。男子相手でも張り合ってた。だから俺聞いたんです。なんで鈴鹿はそんなに強いのかって。鈴鹿は笑顔で言ったんです。大好きなパパが言ってたの。怖くても堂々と立つ人が本当に強いんだよって。私そうなるんだって」
親父さんは手で目を隠しながら何度も頷いた。「ああ、分かるよ。私は父親を名乗っていいのかな?」
「もちろんすよ」
そこへ鈴鹿が入ってきた。「話終わった?」
「ああ、今から本題だよ」
「りジ君、工場の話は森から聞いている。そこで後継の君に話があるんだ。うちとの共同経営を考えてほしい」
「ええ、いや、だってそちらは浦田の傘下になってますよね」
「パパ独立することにしたんだよね。あの会社、聞こえのいいこと言ってきたのは初めだけ。無茶なことばっかり言ってきてうんざりしてたんだ。だからもう浦田とは完全にさよならすることに決めたんだ」
俺んとこはもう泥舟だ。まだ沈むかどうかがすぐそばにある泥舟だ。手を組める。工場を、みんなを助けられる。答えは1つしかなかった。
「よろしくお願いします」
月日が経ち、森木制作所は新しい会社として生まれ変わった。親父たちが突きめていた職人技術が海外企業の目に止まり、とんでもない額の契約金を得た。鈴鹿が英語とSNSに強かったのも助かった。俺たちは泥舟から大型客船へ乗り換ることができたんだ。
ある日、俺と鈴鹿が外で一緒にいる時、浦田が高級車を寄せてきた。
「いや、僕の言った通り底辺同士うまくいってるみたいじゃないか。うちから切られたバカ。うちを切ったバカ。すぐに気がつくだろうよ」
「私たちの選択が間違っていたって言うんですか?」
「それ以外ないじゃないか。今だって実は不安で仕方ないんだろう」
「何をするにも不安はある。だから真剣なんだろう。不安のねえことなんて世の中ないだろうが。俺たちもあんたもな」
「笑ってられるのも今のうちですよ」
浦田は鼻を鳴らして去っていった。堂々と立って言い放った鈴鹿の姿は、まさにあの時と同じ姿だった。俺は必ずできると確信を持った。
さらに月日が流れ、俺と鈴鹿は結婚し、子供が1人いる家族となった。浦田の会社は内部分裂を起こし、規模を縮小せざるを得なくなったらしい。風の噂だと、浦田の傲慢さが原因だそうだ。まさに崖っぷちだ。だが俺は生き延びることを知っている。奴がどうなっていくのかを見届けるつもりだ。
「りジ、パッキング終わった?」
「おう、だいぶ慣れたもんだよ。子育て大変な時に一緒に入れなくて悪いな」
「何言ってんだか。竜二は昔も今もずっと私のそばにいてくれるよ」
「鈴鹿もな」
大きな鳴き声がベビーベッドから聞こえて、俺たちは一緒に駆けつけた。お腹が空いたようだ。たくさん食べて、たくさん寝て、たくさん愛されて大きくなってほしい。その頃にはお前に伝えたい話がもっと増えているから。
今でも忘れないこと。それは俺には、理不尽な土下座をしてでも守りたいものがあるということだ。自分を犠牲にしても守りたいものがある。効率を優先する今の時代には古臭いと言われるかもしれない。だが人生の中で、自分をかけられるものが1つくらいあってもいいんじゃないだろうか。そのためなら己を投げ打てるものがあってもいいんじゃないだろうか。俺は思う。守るために堂々とそれができる人。それが超かっこいい人なんだって。



