「お前はもう用済みだ。部屋を片付けて今すぐ出ていけ。」夫が私の署名した離婚届をつまみ上げながら言った。義母は笑いながら「次の嫁はもっとマシよ」と言い放ち、義姉は冷蔵庫を開けたまま「家具は置いてってよ」と続けた。私は「了解」とだけ答えて席を立った。7年間、この家で朝食を4人分作り、風呂は最後に入り、義母の薬を仕分けてきた。黙って署名したのは諦めたからではない。この人たちには1つだけ決定的な勘違…

「お前はもう用済みだ。部屋を片付けて今すぐ出ていけ。」夫が私の署名した離婚届をつまみ上げながら言った。義母は笑いながら「次の嫁はもっとマシよ」と言い放ち、義姉は冷蔵庫を開けたまま「家具は置いてってよ」と続けた。私は「了解」とだけ答えて席を立った。7年間、この家で朝食を4人分作り、風呂は最後に入り、義母の薬を仕分けてきた。黙って署名したのは諦めたからではない。この人たちには1つだけ決定的な勘違...

「次の嫁はもっとマシよ。」

義母が湯のみを置きながら笑った。食卓の真ん中には、捺印したばかりの離婚届がある。夫の姉が冷蔵庫を開けたまま言った。「家具は置いてってよ。どうせ持って行く先もないでしょ。」夫の妹が携帯から顔を上げずに続けた。「私、お姉さんの部屋使うからね。前から決めてたし。」

夫が私の署名した紙をつまみ上げた。「お前はもう用済みだ。部屋を片付けて今すぐ出ていけ。」

「了解。」

4人の視線が一斉に私へ集まった。言い返すと思っていたのだろう。私はボールペンのキャップを押してポケットにしまい、それから顔を上げた。

「皆さん、本当にこの家に住み続けるんですね。」

「当たり前でしょ。」義母の声が台所まで響いた。

「分かりました。」私は席を立った。

黙って署名したのは諦めたからではない。この人たちには1つだけ決定的に勘違いしていることがある。それが何なのか、この食卓の誰もまだ知らない。

私は大和田香織、35歳。都内の資材メーカーで経理をしている。夫の高幸は38歳で住宅設備の会社の営業だ。暮らしているのは私鉄の駅からバスで12分の住宅地にある古い一軒家だ。10分歩けば川に出る。それでも私はこの家が好きだった。

母方の祖母の千代が暮らしていた家で、子供の頃は夏ごとに預けられた。庭の金木犀は祖母が植えたものだ。祖母は5年前に亡くなった。90歳だった。遺言書には「この家には香織に住んでほしい」と書かれていた。祖母の子は私の母1人で、その母も9年前に亡くなった。相続で揉める相手は最初から誰もいなかった。

結婚してすぐ私たちはこの家で祖母と暮らし始めた。祖母が亡くなるまでは3人だった。土地も建物も私の名義になった。登記の手続きは私が1人で終わらせ、高幸は書類を1枚も見なかった。「そういうのはお前の方が得意だろ。」そう言って彼はソファーで野球を見ていた。面倒を押し付けられただけだとその時は思った。違う。あの人は最初から知らないままでいることを選んだのだ。

付き合っていた頃の高幸は祖母の家に連れて行った時、「いい家だな」と言った。あの言葉が何を指していたのか。私は7年かけて知ることになる。

朝は5時半に起きる。4人分の朝食を作り、洗濯機を回し、義母の薬を仕分けてから家を出る。食卓に皿を並べると義母の和子さんが箸を止めた。「香織さん、この魚また駅前のお店でしょう。」「はい。安かったので。」「高幸に骨のある魚を出すのはやめてって言ったわよね。喉に刺さったらどうするの? 」「すみません。次からは切身にします。」「そうして頂戴。あと廊下の隅。埃が溜まってたわよ。」

高幸は携帯を見ながら焼き魚をつついていた。この家で和子さんからも高幸からも「ありがとう」という言葉を聞いた覚えはない。

会社までは電車とバスで片道1時間。買い物をして家に着くのが7時前だ。和子さんが決めた夕飯の時刻は6時半だ。間に合ったことは3年で数えるほどしかない。「遅いわね。お腹が鳴っちゃったわ。」和子さんは箸を持って待っている。台所に立とうとはしない。みんなが食べ始めてから私は自分の分を器によそう。4人掛けの食卓は和子さんと高幸と由美さんでほぼ埋まり、奈々さんまで来ている日は私の席など最初からなかった。「香織さん、立ったままでいいわよね。どうせ台所でつまんでるんでしょ。」由美さんが唐揚げを取り分ける。つまんではいない。私は流し台の前に立ったまま冷めた味噌汁で白飯を流し込んだ。

同居が始まって2週間目にこう言われた。「香織さん、お風呂は最後にしてちょうだいね。お湯が汚れるでしょ。」以来ずっと私は自分の家の湯舟に1番最後に入る。

同居が始まって2年目の秋、居間の壁から祖母の写真が消えた。縁側で猫を抱いた白黒の写真だ。代わりに義父の位牌がかかっていた。「お母さん、あの写真はどこですか? 」「決まってるでしょ。仏さんが先よ。よそ様の写真を居間に置くもんじゃないわ。」よそ。祖母はこの家を建てた人である。私は押入れの奥から額を掘り出し、寝室の棚に置いた。その晩高幸に話した。「あの写真、勝手に外されたの。」「母さんの言うことにも一理あるだろ。仏壇の位牌が後回しってのもな。」「仏壇は元々祖母のものよ。」「細かいこと言うなよ。家族なんだから我慢しろよ。」彼は布団を被って背中を向けた。

その2週間後、私の部屋から荷物が消えていた。仕事の資料も祖母から譲られた着物も全部まとめて廊下に積んであった。高幸の妹の奈々さんがダンボールを運び込みながら言う。「あそこ物置きに使うから。」「聞いてませんけど。」「お母さんがいいよって。」ダンボールの口を開けながら奈々さんは私の顔を見ない。「お姉さん荷物少ないんだからいいでしょ。別に困らないよね。」和子さんは台所で振り向きもせずに言う。「一部屋くらい融通しなさいよ。この家の人間なんだから。」

この家の人間。和子さんはその言葉を3年の間に何百回も使った。使うたびにそれは私を含まない意味になっていった。

出ていけばよかったのだと言われるだろう。私もそう思った夜がある。でもあの遺言書の文字を思い出すと足が止まった。「この家には香織に住んでほしい。」祖母がそう書いた家から私の方が先に出ていくわけにはいかなかった。

その秋も庭の金木犀は咲いた。洗濯物を干していると甘い匂いが2階まで上がってきた。祖母がいた頃と同じ匂いだった。その夜も私は自分の家の台所で立ったまま冷めた味噌汁を飲んだ。

この暮らしがどこから始まったのかを話しておきたい。3年前のお盆の頃に義父の正夫さんが亡くなった。70歳だった。穏やかな人で私に小言を言ったことは1度もない。1度だけ台所で洗い物をしている私の背中に「うちの女どもがすまんな」と言った。それが正夫さんから聞いた最後の言葉になった。

49日の法要が済んだ翌週の夜、和子さんが大きな鞄を下げて玄関に立っていた。「少しの間だけ住ませて頂戴。あの家1人だと広すぎてね。」高幸は玄関で靴も脱がずに言った。「いいよな、香織。部屋は余ってるんだし。」私は迷った。49日が明けた翌週というのはいくら何でも早い。荷物の整理もそんなにすぐには終わらないはずだ。けれど夫をなくしたばかりの人を玄関で追い返すことはできなかった。「どうぞ。奥の和室を開けます。」

その夜のうちに由美さんと奈々さんが荷物を運び込んできた。由美さんがダンボールを積み上げながら言う。「私も週の半分はこっちに泊まるから。お母さん1人じゃ心配だし。」「私も荷物置かせて。あっちのクローゼット狭いんだよね。」奈々さんはもう2階に上がっていた。

その週末、私は1枚の紙を用意した。5年前、祖母の相続手続きを頼んだ司法書士の恵理に言われたことがあったからだ。高校の同級生の恵理という。「香織、1つだけ言っておくね。人をただで住ませる時は1枚だけ書いてもらいなさい。」「え、身内なのに。」「身内だから書くの。仲がいいうちに書くものだからね。仲が悪くなってからじゃ書いてもらえないでしょ。」

私は台所のテーブルに紙を置き、3人に頼んだ。高幸の名前は入れなかった。新しく入ってくるのはこの3人だからだ。書いてあるのは3行だけだ。「この土地と建物の持ち主は大和田香織であること。私たちは無償で使わせてもらうこと。持ち主から求められた時は速やかに出ていくこと。」

奈々さんが老眼鏡を持ち上げて笑った。「何これ? 他人行儀ね。」「形だけなんです。何かあった時のために。」「実印がいるの?

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」「見印で結構です。」本当は実印と役所が発行する印鑑証明書がついているのが1番いいと恵理には言われていた。でもそこまで言うと書いてもらえなくなるからねとも言われた。

和子さんがペンを取った。「じゃあいいわ。書けばいいんでしょ。」由美さんは名前を書きながら鼻で笑った。「香織さんこういうの好きだよね。会社の癖。」「私も押すの? 印鑑どこだっけ? 」奈々さんは面白がって朱肉に指を押し当てて手を汚していた。

3人分の名前と3つの印。日付は3年前の10月10日。その紙は恵理が「覚え書き」と呼んだ。私は家の書類を閉じた黒いファイルの1番後ろに入れた。3人はその日のうちに書いたことを忘れたはずだ。

1週間もすると和子さんは自分の家にいるように振る舞い始めた。夕飯の時刻が6時半に決まったのもこの頃だ。「お父さんはいつも6時半だったの。うちはそういう家なのよ。」「うち」というのがこの家を指していることに気づくまで数日かかった。掃除にも点数がついた。「窓のサッシを指でなぞってご覧なさい。ほら。」「すみません。次の休みにやります。」「休みにやることじゃないでしょ。毎日やることでしょう。嫁なんだから当然でしょう。」

台所の道具も入れ替わった。私が結婚の時に買った片手鍋がある日ゴミ袋に入っていた。「あんな薄い鍋、体に悪いわよ。私のを使いなさい。」捨てられたその片手鍋は祖母から譲られたものではない。それでも自分の家の台所から自分の鍋が消えるという感覚はうまく言葉にできなかった。

仕事から帰ると和子さんは居間のソファーで通販番組を見ている。流しには昼に使った器が重なっている。「あら、お帰り。今日は天ぷらが食べたいわ。」私は買い物袋を下げたまま台所へ直行する。まず洗い物を片付けてから玉ねぎを刻み始める。そういう日が続いた。

その頃から私の頭にずっと引っかかっていたことがある。和子さんはなぜ49日の翌週にあれほど急いでここへ来たのだろう。義父は長く勤め上げた人で蓄えがないはずはなかった。アパートの家賃だって払える。1度だけ高幸に聞いたことがある。「お母さん、あっちの家はどうするつもりなのかしら? 」「解約したって言ってたぞ。もういいだろう、その話は。」彼は毎回同じ言葉で話を終わらせた。

同居が1年経った頃、私は久しぶりに恵理と会った。駅前の商店街の裏にある事務所は、父の代からの古い司法書士事務所を継いだものだ。「香織じゃない。どうしたのいきなり?

」「近くまで来たから。ちょっと聞きたいことがあって。」恵理は来客用の椅子を引いてお茶を出した。「この前ね、うちの人の同僚の方に駅であったの。『いい家をお建てになりましたね』って言われて、私なんて返せばよかったのかな。」恵理は湯のみに伸ばしかけた手を止めた。「それ、高幸さんは何て言ってるの? 」「まだ本人には聞けてない。聞いたところで話を合わせただけだって言われそうで。」恵理はそれ以上何も言わなかった。

私は祖母から相続したあの家の名義が今どうなっているのかを聞いた。「念のため見ておくね。」「うん。動いてない。手続きしてないんだから当たり前だけど。」「そうよね。ごめん。変なこと聞いて。」「誰かに何か言われた? 」私は黙った。

恵理は湯のみを両手で包んでしばらく私の顔を見ていた。「香織、あの家はあなたのものだからね。土地も建物も。」「うん。」「去年書いてもらった紙、まだ持ってる? 」「持ってる。ファイルの1番後ろ。」「じゃあ大丈夫。」恵理は昔からこうだ。高校の時も私が泣きそうな顔をしている時ほど普通の声で喋った。「相続の話ならいくらでも聞くけど、揉め事になったら私じゃないからね。弁護士さんに回すから。」「揉め事になんかならないわよ。」「ならないならいいの。」恵理は机の引き出しから名刺を1枚抜いて私の手のひらに置いた。「宇川さんっていう弁護士さん。私が信用してる人だから。」「そんな話じゃないってば。」「使わないならそれでいいの。財布に入れとくだけ。」「大げさよ。」「大げさなくらいでちょうどいいの。うちの仕事はね、揉めてから来る人ばっかり。揉める前に来た人は大体無事に済むの。」

その名刺は定期入れの内側にしまった。帰りは恵理が事務所の入り口まで送りに出てきた。「香織、顔色良くないよ。」私は笑ってごまかした。片道1時間の通勤の話と、家では6時半に夕飯がいるという話だけをして事務所を出た。外はもう暗くなっていた。誰かに自分の1日を説明したのは久しぶりだった。毎日感じていたことだが、声に出したのは初めてだった。私は毎日自分の家に帰るために急いでいる。それなのに帰ったところに自分の居場所がない。

バスを降りて坂を上がると家の窓に明かりがついていた。玄関の前に由美さんの車が止まっている。中に入ると居間から由美さんの笑い声が聞こえた。「だからさあ、2階の南側を敬一の部屋にすればいいのよ。あそこは物置きになってるじゃない。」「片ければいいでしょ。どうせ使ってないんだから。」襖の隙間から和子さんと由美さんと高幸の背中が見えた。テーブルには紙が広げてある。間取り図だった。私はコートを着たまま廊下に立っていた。自分の家の間取り図が自分抜きで囲まれている。

和子さんが振り返って言った。「あら、帰ってたの?

」それだけだった。座れとも聞いていけとも言われない。由美さんは間取り図から目を上げずに続けた。「お母さん、この1階の和室ね、ここもいずれ使えるでしょ。」「そうね。あそこは日当たりがいいものね。」1階の和室というのは祖母が使っていた部屋のことだ。私はその言葉に足を止めたけれど、誰も私の方を見なかった。私はコートを脱いで台所へ行った。

その日の夕飯は間に合わなかった。「6時半って言ってあるでしょ。」「すみません。」「香織さんも来たら座ればよかったのにね、高幸。」「いや、あれは家族の話だから。」高幸は箸を持ったまま言った。家族の話。私は聞かなかったふりをして味噌汁をよそった。

その晩、寝室で聞いた。「敬一の部屋ってどういうこと? 」「姉さんがそのうち敬一とこっちに越してきたいって。」「越してくる? この家に。」「まあ、まだ先の話だよ。」「相談してくれてもいいんじゃないの? 」「だから今話してるだろう。」彼は電気を消した。私はしばらく天井を見ていた。高幸は外でこの家のことを誰にどう説明しているのだろう。

翌朝、玄関で靴を履こうとして手が止まった。土間には義母と義姉と義妹の靴が山積みに並んでいて、私の靴を置く場所はもうなかった。

2年前の11月、私は大阪の工場へ2泊3日の出張に出た。経理が現場の棚卸しに立ち合うのは年に1度だけで、その年は私が行くことになっていた。出発の前の晩、私は和子さんに3日分の段取りを伝えた。「3日も家を開けるの?

随分気楽な身分ね。」「仕事です。」和子さんの薬は1週間分に分け、夕飯の下ごしらえも冷蔵庫に入れておいた。

それでも3日ぶりに玄関を開けた時、家の匂いが変わっていることにすぐ気づいた。埃と洗剤とダンボールの匂いだ。「ただいま帰りました。」返事はなかった。廊下の突き当たりの襖が開け放してある。祖母が使っていた1階の和室だ。私はスーツケースを玄関に置いたままその部屋へ行った。

部屋は空っぽだった。畳の上に何もない。日に焼けていない白い跡が3つ残っている。箪笥と裁縫箱と写真のアルバムがあった場所だ。畳の色の違いだけがそこに何かがあったことを覚えていた。代わりに奈々さんのダンボールが6つ並んでいる。

2階から足音が降りてきた。「あ、お帰り。」奈々さんは両手にゴミ袋を下げて立っていた。「奈々さん、ここにあったものどこへやったんですか? 」「え、捨てたけど。」一瞬、言葉の意味が入ってこなかった。捨てた。「だって使ってない部屋じゃん。こんな古い箱とか誰も開けてないでしょ。」「あれは祖母のものです。」「うん。だから古いって言ってるの。」「中を見ましたか? 」「見てないよ。開けたら切りないじゃん。お姉さんのものは廊下に出したでしょ? それ以外はいらないものだってお母さんが言ったの。」奈々さんは私の横をすり抜けてダンボールの口を開け始めた。

階段の途中に敬一君が立っていた。私と目が合うと、彼は何か言いかけてそのまま2階へ戻っていった。私は台所へ走った。和子さんが流しでお茶を入れていた。「お母さん、和室のものは?

」「ああ、片付けさせたのよ。あんなにものを置いておくから風通しが悪いの。カビが生えるでしょ。」「祖母のアルバムがありました。」「よそ様のアルバムをうちに置いてどうするの? 」よそ様。私は声が出なかった。「そんな顔しないでちょうだい。奈々が3日かけて綺麗にしたのよ。むしろお礼を言うところじゃないの。」

その時、玄関から由美さんが入ってきた。敬一君の制服のジャージを抱えている。「ああ、和室すっきりしたね。物が減って良かったじゃない。」「香織さん? 」「よくありません。」「え、何起こってるの? 」その声が本当に不思議そうだったので、私は返事ができなかった。私は上着を掴んで家を出た。

ゴミの集積所は坂を下った角にある。奈々さんが不用品の回収を呼んでその朝に持って行かせていた。台の上には何も残っていない。向かいの家の奥さんが玄関先の落ち葉を掃いていた。「大和田さん、探し物?

」「今朝の業者さんもう行きましたか? 」「7時過ぎに来たわよ。箪笥の箱があったから。あら、立派なのにって主人と話してたの。」私は礼を言ってコンクリートの台の前にしばらく立っていた。その日、向かいの奥さんと電話番号を交換した。その番号は今も私の携帯に入っている。

11月の夕方は暗くなるのが早い。街灯がついて私の影が長く伸びた。家に戻ると居間で高幸がビールを開けていた。「んだよ。どこ行ってたんだ? 」「和室のもの全部捨てられたの? 」「ああ、聞いた。まあしょうがないだろう。」「しょうがない?

」「そんな大事なもんなら鍵でもかけとけばよかったろう。」私は高幸の顔を見た。テレビの光が横顔に当たっている。彼は私を見ていなかった。「鍵をかけろって、自分の家の部屋によ。」「だから大げさなんだって。母さんも奈々もよかれと思ってやったんだ。」「よかれですか? 誰のために? 」「お前のためだよ。物が多いって自分で言ってたじゃないか。」

私は初めて声を上げた。そんな風に叫んだことは結婚してから1度もなかった。「あれは祖母が使っていた部屋なんです。祖母が縫い物をしていた場所なんです。アルバムには祖母と私が一緒に映った写真が全部入っていました。」

居間が静かになった。和子さんが茶碗を置く音がした。「まあ怖い。そんな大声を出さなくたって。」「奈々に謝れって言うの? 」由美さんが腕を組んだ。「アルバムぐらいでしょ。子供じゃないんだから。」「由美さんは敬一君の小さい頃の写真を全部捨てられても『写真ぐらい』だと思いますか?

」「何それ? 関係ないでしょ。」関係はある。けれどこの人たちに通じる言い方は私にはもうなかった。奈々さんは2階から降りてこなかった。4人の誰1人「ごめんなさい」とは言わなかった。

風呂から上がって私は定期入れを開いた。内側に祖母と縁側で撮った写真が1枚だけ挟んである。色が褪せて祖母の輪郭が薄い灰色に見える。祖母と私が一緒に写ったものはこの1枚切りになった。

その夜、私は寝室で天井を見ながらずっと同じことを考えていた。声を上げても届かない。届かないどころかこちらが悪くなる。それが分かってしまった。なら出ていけばいい。その夜も私は自分にそう言った。でも私がこの家から出た瞬間に、この家は本当にあの人たちのものになる。祖母が香織に住んでほしいと書いた家に私だけがいなくなる。それだけは嫌だった。

本当はその時に気づくべきだったのだ。この家が誰のものかを知っているのは、この家の中でただ1人私だけだということに。

布団を抜け出して私は1階の書斎机の引き出しを開けた。家の書類を閉じた黒いファイルが入っている。登記の時に法務局から来た書類と遺言書の写しと毎年の納税通知書。家の名義が私であることを示す書類もある。恵理は「登記識別情報」と呼ぶけれど、私は昔の呼び方で権利書だと思っている。1番後ろのポケットに3年前の紙がまだ底にあった。3人分の名前と3つの印。私はそのページを閉じてファイルを引き出しの奥へ戻した。

出張から帰ったあの11月から4ヶ月後、私が会社から帰ると家の前にワゴン車が止まっていた。2台から出てきたのは巻かれた壁紙とクロスと養生シートだ。和室の襖が外され、畳が上がっていた。「お母さん、これは和室にするのよ。あの部屋、空けるでしょ? 」和子さんは廊下でお茶を出していた。作業服の男性が2人、頭を下げてくれた。「工務店の方ですか? 」「はい。大和田様からご依頼をいただきまして。」大和田様。この家にいる人間は1人残らず大和田姓である。誰を指しているのかは聞くまでもなかった。「この工事、いつ決まった話ですか?

」「先週です。奥様がお留守の時間にお伺いして見積もりを。」奥様というのが誰を指しているのかは聞かなかった。

2階から奈々さんが降りてきた。「あ、お姉さん。私の部屋。床がフローリングになるんだって。」奈々さんの部屋。「え、そうでしょ? 私が使ってるんだから。」

私は工事を止めなかった。畳はもう上がっていたし、材料も運び込まれていた。何より頭を下げてくれた職人さんに今帰れとは言えなかった。

10日後、請求書が届いた。宛名は私の名前だった。148万円。和室6畳をフローリングにしてクロスを貼り替え、エアコンを1台入れた金額である。会社の昼休みに同じような工事の相場を3つ調べた。どれも90万円前後だった。「お母さん、この業者さんどちらで? 」「町内会の岡本さんの息子さんよ。昔からうちで頼んでるところ。」うち。またその言葉だ。「相見積もりはそんな失礼なことできないでしょ。」

封筒を持ったまま台所に立っていた。この家の修繕費を私が出すのは当たり前である。所有者は私だ。屋根も給湯器も名義のある人間が持つのが筋だ。土地と建物を持っている人に毎年かかる税金がある。固定資産税という。5月に届くその納税通知書も宛名は私である。それを払うのが嫌だったことは1度もない。祖母の家を持つというのはそういうことだ。私が飲み込めなかったのはそこではない。私に一言もなく決められたこと。相場より50万円以上高いこと。そして翌週、親戚の集まりでこう言われたことだ。「香織さん、聞いたわよ。高幸君、和室を綺麗にしてくれたんですってね。」和子さんの妹がそう言って笑った。高幸は否定しなかった。「まあ、母さんが住みやすいようにと思ってね。」「香織さんも幸せものよ。こんな家に住ませてもらって。」

こんな家に住ませてもらって。その隣で私は麦茶をついでいた。訂正する言葉は喉まで来ていた。出したところでこの人たちには私の話は聞こえない。工務店に罪はない。あの人たちは和子さんが「息子の家です」というのを信じただけだ。請求書はこの家の名前で届いた。争う相手は和子さんではなく、玄関で頭を下げてくれたあの職人さんたちになる。振り込みは私がした。振り込みの明細は黒いファイルの3年前の紙の手前に閉じた。捨てられない性格なのだと自分でも思う。

その頃から和子さんは家そのものの話をするようになった。「香織さん、この家そろそろ建て替えたらどうですか? だってあちこち傷んでるじゃないの。高幸ももう出世が近いんだし。お金の話になりますけど、そこはね、新しい家は高幸の名義にしておきなさいよ。銀行だって話が早いでしょ。」私は湯のみを持つ手を止めた。名義。和子さんの口からその言葉が出たのはそれが初めてだった。「どうして急に名義の話になるんですか?

」「男の人が持ってる方が世間体もいいのよ。あなただっていつまでも働かないでしょ。」働きます、と言いかけてやめた。

その夜、私は寝つけなかった。和子さんは何を知っていて何を知らないのだろう。息子の家だと思い込んでいるだけなのか。それとも思い込んでいないから名義の話をしたのか。

敬一君のことも話しておかなければならない。義姉の由美さんは4年前に離婚して、それから息子の敬一君と2人で暮らしている。由美さんが敬一君を連れてくるようになったのはその年の秋だ。和子さんがこの家に来て2ヶ月と経っていなかった。「香織さん、敬一の塾、月曜と木曜8時半に終わるから迎えお願いね。」「今週は残業が。」「え、行けないの? 私だって働いてるんだけど。」そのやり取りが2回続いて、私は迎えに行くようになった。月曜と木曜は会社で仕事を切り上げていつもより1本早いバスに乗る。この2日だけは夕飯が7時半になっても和子さんは何も言わなかった。孫のためだからである。

家で夕飯を作り和子さんに出し、それから車で駅前の塾へ向かう。敬一君の分の夕飯は帰ってから温め直した。塾の月謝は最初から私が窓口で払った。「今月ちょっと厳しくて」と言われ、由美さんは1度も出さなかった。それが3年続いた。月に3万5000円。それが3年分になる。1度だけ由美さんに聞いたことがある。「敬一君の塾の分、どうしましょうか? 」「ああ、あれね、まとめて返すから。今、離婚の整理でごちゃごちゃしてて。」「離婚は4年前ですよね。」「まだ終わってないの。香織さんには分からないでしょうけど。」終わっていないことになっていた。その後も「まとめて返す」という言葉だけで、帰ってきたことはない。

夜の駅前で車の助手席のドアを開けると、敬一君はいつも小さく頭を下げた。「ありがとうございます、香織おばさん。」「お腹空いたでしょ? 今日はハンバーグにしたからね。」この家でありがとうという言葉をくれるのはこの子だけだった。その敬一君の塾の月謝も私の口座から出ていた。返して欲しいと思ったことは、正直に言えばあまりない。敬一君に罪はないし、この子が高校に行けたことは私も嬉しかった。ただ「まとめて返す」と言われた年に、由美さんが新しい車を買ったと聞いた時だけ手が止まった。

請求書のことで私はもう1度だけ和子さんに言った。「あの工事、せめて先に相談して欲しかったです。」和子さんは老眼鏡を外して心底不思議そうな顔をした。「高幸の家なんだから、私が決めて何が悪いの?

その夏、義父の三回忌があった。あれからちょうど2年だった。親戚が10人ほど集まり、法要の後はうちの座敷で食事になった。料理は仕出しを頼んだが、それ以外はほとんど私の仕事だった。前の晩は2時まで座敷の畳を拭いていた。和子さんは当日朝から美容院へ行っていた。「香織さん、髪くらい整えたら。親戚が来るのよ。」「はい。時間があれば。」時間はなかった。

和子さんは黒い喪服の胸元を直しながら神座で挨拶をした。「おかげ様で、息子が建てたこの家でこうして皆さんをお迎えすることができました。」私は台所の入り口で盆を持ったまま立っていた。息子が建てたこの家。その言葉は和子さんが親戚に見栄で言ったのではない。和子さんが自分でそう信じているとしか思えない言葉だった。

やがて岐阜の兄の修二さんが私の隣に湯のみを持ってきた。76歳になる人で、耳が遠い分声が大きい。「香織さん、高幸君も立派になったなあ。家まで建てて。あのおじさん、わしらの若い頃は家を建てるなんぞ夢のまた夢よ。」私は返事ができなかった。ここで「違います」といえば義父の三回忌が私と和子さんの言い合いになる。奥から和子さんの妹が寄ってきた。「ねえ、香織さん。お庭のあの木、切ったらどう? 落ち葉が大変でしょう。」「あれは祖母が植えたものなので。」「あら、前に住んでた方の木なの? だったらなおさらね。」前に住んでた方。私は湯のみを下げに立った。座敷を見渡すと親戚の何人かが同じ顔で頷いていた。この家が高幸の建てた家だという話は、この人たちの間でもう当たり前の事実になっていた。

その時、和子さんが由美さんに向かって声を落とすのが聞こえた。「父さんが生きてる時にあれだけ使っていなければ、私だって。」「お母さん。」由美さんの声が短く割り込んだ。和子さんは口を開けたまま言いかけた続きを飲み込んだ。由美さんが横目でこちらを見た。私は盆を持ったまま台所へ入った。何の話だったのか、その時の私には分からなかった。分からないまま、その一瞬だけが妙に残った。

親戚が帰ったのは8時過ぎだった。奈々さんは先に出て行き、由美さんは敬一君を連れて帰った。座敷に残った食器を全部洗ってから居間へ行った。和子さんはソファーに座って足をさすっていた。高幸は缶ビールを開けたところだった。私は書斎から黒いファイルを持ってきて膝の上に置いた。中にはあの覚え書きがある。3人分の名前と3つの印。それを出すつもりだったけれど、そこで手が止まった。あの覚え書きを出した瞬間にこれは話し合いではなくなる。まだ話して分かると、私はファイルを開かなかった。

「お母さん、少しお話ししてもいいですか? 」「なあ、疲れてるんだけど。」「これから先のことなんですけど、そろそろ別のお住まいを考えていただけないでしょうか?

」言葉を選んだつもりだった。それでも部屋の空気が音を立てて変わったのが分かった。和子さんの顔から表情が消えた。「別の住まい。」「はい。同居始めて2年近くになりますし、お母さんもその方が気楽かと。」和子さんは両手で顔を覆ってそのまま声を上げて泣き出した。「私を追い出すの? この年で行くところなんてないのに。そういう意味では、お父さんが亡くなってから私がどんな思いで…」

高幸が缶を置いて立ち上がった。「おい、香織。何の話だ? 」「あなたにも相談したかったの。」「相談? 母さんを追い出す相談か?

」「追い出すなんて言ってない。住むところを一緒に探しませんかって。」「同じことだろうが。」高幸の声が大きくなった。「大体な、母さんがここにいて何が困るんだ。飯だって作ってもらってるだろう。」「作っているのは私です。」「それが嫁の仕事だろう。」出た、と思った。この人は困っているのが誰なのかを1度も考えたことがない。和子さんの泣き声がそれに重なった。私は言い返そうとして口を開いた。この家は私の名義です。たった一言だ。その一言が出なかった。泣いている65歳の人と怒っている夫の前で名義の話を持ち出す自分を想像した。喉が塞がった。

高幸が私に背を向けた。「悪いけど、2度とその話はするな。」そう言って和子さんの背中をさすりに行った。私は黒いファイルを抱えたまま書斎へ戻った。引き出しに戻す時、3年前の紙が指に触れた。あの日、笑いながら名前を書いた3人の字がそこにある。出さなくてよかったのか。その答えはまだ出ていなかった。

話はそこで終わらなかった。1週間ほどして義父の兄の修二さんから家の電話にかかってきた。「香織さん、あんた、和子さんを追い出そうとしとるんだって。」「そういう話ではないんです。」「わしはな、口を出すつもりはないよ。ないけどな。嫁が姑を家から出そうとしとると、そういう話になっとる。」誰から聞いたのかは聞かなかった。親戚の中でどう伝わったのかも想像がついた。「ご心配をおかけしました。もうその話はしません。」「そうか。それがいい。家族なんだから。」家族なんだから。この家でその言葉を聞くのはこれで何度目だっただろう。受話器を置いてから私はしばらく廊下に立っていた。台所では和子さんが鼻歌を歌っていた。

その翌日、由美さんが来てすれ違い様に言った。「香織さん、お母さんに変なこと言ったんだって。あんまり困らせないでよ。」困らせているのは。「え、何? 」「何でもありません。」私は言った。言って潰された。怒られ、泣かれ、親戚にまで話が回って悪者になった。正しいことを言えば通ると信じていた自分がひどく子供に思えた。その日から私はこの家で誰かに何かを頼むのをやめた。

それから9ヶ月ほど、家の中は表向き穏やかだった。私が何も言わなくなったからだ。夕飯は6時半に出し、風呂は最後に入り、敬一君の塾には月曜と木曜に迎えに行く。和子さんは機嫌が良かった。機嫌がいいというのは、この家では私が黙っている状態を指す言葉だった。

5ヶ月前の日曜だった。私は午前中に会社の月次決算を片付けに出て2時前に帰った。玄関に見たことのない靴があった。白いパンプスで、ヒールの細い、この家の誰のものでもない靴だ。居間から笑い声が聞こえた。襖を開けると和子さんとお茶を飲んでいる女性がいた。年は30ぐらいだろうか。膝を揃えて座り、こちらを見て立ち上がった。「初めまして。宮原舞と申します。」「高幸の会社の後輩さんよ。近くまで来たからって言ってくださったの。」和子さんの声が、私に対して使う時の半分の高さになっていた。「大和田香織です。お茶菓子、何か出しましょうか? 」「あら、舞衣さんが持ってきてくださったのよ。ほら、駅前のお店の。」テーブルの上に和子さんが好きな最中の店の包み紙があった。私が買って帰ると、いつも「甘すぎる」と言われる店である。「舞衣さんはね、本当に気が利くのよ。台所も勝手に片付けてくださって。」「勝手にすみません。食器、あそこで良かったですか? 」「ええ、大丈夫です。」私はそう答えた。食器棚の並びが変わっていた。祖母が使っていた小鉢が1番上の段に移されていた。私が背伸びをしないと届かない段だ。「使いにくかったらすみません。よく使うものを下にした方がいいかと思って。」「いえ、ありがとうございます。」お礼を言った自分の声が遠くから聞こえた。

私はお茶を入れ直して2人の前に置いた。舞衣さんが座ったまま天井を見上げた。「素敵なお家ですね。天井が高くて。」「そうでしょ。息子が建てたのよ。」和子さんが胸を張った。舞衣さんは「ああ」という顔で頷いた。その頷き方は初めて聞いた話に対するものには見えなかった。「築何年なんですか?

」「さあ、40年は経つんじゃないかしら。建てたのは高幸だけど。」40年前、高幸は生まれていない。舞衣さんはそこには触れなかった。和子さんが舞衣さんの手を取って笑った。「あなたがお嫁さんだったら最高なのにね。」私の目の前で言った。舞衣さんは困った顔をして湯のみを見ていた。その困り方が、初めて言われた人の困り方ではないことに私は気づいた。

夕方、由美さんと奈々さんが来た。玄関で舞衣さんの靴を見て2人は顔を見合わせて笑った。奈々さんが気軽に手を上げる。「舞衣ちゃん来てたんだ。」初対面の呼び方ではなかった。由美さんが座布団に腰を下ろしながら言った。「高幸には舞衣ちゃんくらいの子の方が合ってるわよね。」奈々さんが続ける。「お兄ちゃん、絶対そっちの方がいいって前から言ってるじゃん。」舞衣さんは「やめてください」と小さく言った。その声が笑っていた。

私は台所で夕飯の支度をしていた。人数は5人になり、私の分を入れて6人分になった。襖の向こうの会話が換気扇の音の合間に切れ切れに届く。「2階、見せていただいてもいいですか? 」「いいわよ。南側のお部屋なんて日当たりがいいのよ。」階段を上がる足音が2つ聞こえた。私はまな板の上の手を止めた。和子さんが客を2階へ上げたのはこの3年で初めてだった。

7時に高幸が帰ってきた。玄関で舞衣さんの姿を見ても彼は驚かなかった。「なんだ、来てたのか。」「お邪魔してます。」「まあ、ゆっくりしていけよ。」そう言って彼はネクタイを緩めながら居間に入った。初めて家に来た会社の後輩に対する態度ではなかった。帰りの遅い妻に対する態度なら私も知っている。それに近かった。4人が笑っている輪の中に彼は自然に座った。私は台所で人数分の湯のみを洗っていた。背中で5人分の笑い声を聞いていた。

9時前に舞衣さんが帰り、私は玄関まで送りに出た。彼女は靴を履いてから玄関先で振り返った。「今日はごちそうさまでした。」「いえ、お気をつけて。」舞衣さんは頭を下げて門を出た。そして迷わず生け垣の切れ目まで歩いて足を止め、そこで2階の窓を見上げた。その窓は玄関からも道路からも見えない。生け垣の切れ目に立った時だけ見える。彼女はどこに立てば2階が見えるかをもう知っていた。それから坂を降りて行った。

私は玄関に鍵をかけて居間へ戻った。テーブルの上の湯のみを片付けていると、奈々さんが2階から降りてきた。「お姉さん、車の修理代のことなんだけど。」電柱をこすったあの22万円の。私が言うと奈々さんは口を尖らせた。「返すって言ったじゃん。私、まだ待ってよ。」その前の月、奈々さんは電柱に車の後ろを擦った。泣きつかれて私が修理工場へ振り込んだ。22万円。「返す」という言葉はそのままになっている。「急いでませんよね。お姉さん稼いでるもんね。」奈々さんは冷蔵庫からプリンを出した。スプーンを加えたまま、思い出したように振り返る。「あ、そうだ。舞衣ちゃん、ここの2階好きだって。」「そう。」「お姉さん、2階の物置きいっぱいだもんね。もったいないって話してたの。」そう言って奈々さんは階段を上がっていった。話していた。誰と。いつ。私はその質問をしなかった。すればその日から警戒される。

その夜、寝室で高幸に聞いた。「宮原さんって、よくうちに来るの? 」「今日が初めてだろ? 」「そう?

」「なんだよ。変な勘繰りするなよ。」私は天井を見ていた。初めての人が2階の窓の見える場所を知っているだろうか。初めての人に食器棚の並びを変えられるだろうか。和子さんは舞衣さんに何と言っているのだろう。「こういう子がお嫁さんだったら最高なのに。」あれは冗談ではない言い方だった。何かをもう決めている人の言い方に聞こえた。

この3年で私は何度も傷ついてきたけれど、その夜の感情は傷ついたというのとは違った。もっと乾いた、事務的なものだった。確かめよう。それだけを思った。高幸の寝息を聞きながら携帯のカレンダーを開いた。翌週の火曜に予定を1つ書き出した。確かめるための予定である。懸念の欄は空欄のままにした。

その火曜、私は会社を早退した。高幸は朝から接待だと言って出ていった。6時前に彼の会社の最寄り駅に着き、改札の見えるコーヒーの店に入った。7時10分に2人が並んで出てきた。舞衣さんが先に歩いて、高幸がその半歩後ろにいた。2人はロータリーを渡ってタクシーに乗った。コーヒーを飲み終えてから店を出た。手は震えなかった。

土曜の朝、郵便受けの私宛ての封筒が開けられていた。カードの明細だ。和子さんが台所から言った。「見たわよ。あなた随分服を買うのね。」「私宛てです。」「うちの中の郵便でしょ。このうちの人間なんだから。」翌週には会社の共有の番号に電話がかかってきた。「お醤油がないの? 帰りに買ってきて。」「今、就業中です。」「あら、電話くらいいいじゃないの。」部署の若い子が私を見る目を変えた。

私は恵理の事務所へ行った。相談ではなく報告のつもりだった。話を終えると恵理は腕を組んで天井を見た。「香織、私は登記と書類の人だからね。ここから先は私の仕事じゃない。」「うん。」「宇川さん、覚えてる? 名刺を渡した人。」「財布に入ってる。」「電話しな。今日。」

その週の土曜に私は宇川正子さんの事務所を訪ねた。52歳の女性で、机の上に書類の山がなかった。黒いファイルごと持っていった。権利書、遺言書の写し、納税通知書、リフォームの振り込み明細、塾の月謝の領収書。そして1番後ろの3年前の紙。宇川さんは1枚ずつ見てから、最後の3年前のあの紙で手を止めた。「この覚え書きはどなたのお考えで? 」「司法書士の友人が進めてくれました。」「いいお友達ですね。」宇川さんは老眼鏡を上げた。「大和田さん、まず家のことです。所有者はあなたで、ここは動きません。」

「出ていってくださいということはできるんでしょうか?

」「言えます。書面でお伝えして、相当の猶予期間を設ける。応じていただけなければ次の手続きに進みます。」「進んだらどうなりますか? 」宇川さんは間を置かない。「早くて半年。長ければ1年ほど見ていただくことになると思います。」「その間は同じ家で顔を合わせながらになりますね。」半年から1年。毎朝5時半に起きて6時半に夕飯を出し、最後に風呂に入りながら裁判の書類を待つ。その光景を想像した瞬間、答えが出た。「あの家は手放そうと思います。」

宇川さんは驚かなかった。「売るということですね。」「はい。」「あなたはあの人たちを困らせるために売るんですか? 」「違います。私があの家から出て行きたいんです。」「それならやり方があります。」宇川さんは覚え書きをもう1度手に取った。「こういうお話になると必ず2つのことを言い出す方がいます。生活費を入れていた、もらう約束だった。この2つです。」「入れて頂いたことはありません。」「言うんです。ご本人の中では本当のことになっていますから。」宇川さんは署名の欄を指でなぞった。「この1枚はその2つを最初から塞いでいます。ご自分の字とご自分の印。」

それから私は高幸と舞衣さんのことを話した。宇川さんはメモを取る手を止めなかった。「日時と場所はその日のうちに。」「写真は撮った方がいいですか? 」「無理をなさらないで。あなたが集めるものより、あの方たちが残しているものの方が多いはずです。」

高幸の携帯は洗面所の棚に置きっぱなしになっていることが多かった。家計の口座から引き落とされるカードの明細には私の知らない支払いが並んでいた。私は何も問い詰めなかった。ただ日時と場所を書き続けた。3ヶ月分の記録が薄いノート1冊になった。日時と場所と、2人が入っていった建物の名前が並んだ。

もう1つ、宇川さんは私に言った。「大和田さん、あなたから出ていくと、言わないでください。」「どうしてですか?

」「あなたから出た場合、家を出た事実だけが残ります。追い出された事実は残りません。待てますか? 」私は頷いた。待つのは7年やってきたことだ。

その帰り道、不動産の会社に電話を入れた。仲介を2社と、買い取りもする会社を1社。仲介の2社の返事は同じだった。「売ること自体はできる。ただ、買う人に引き渡す日までに住んでいる4人を売主の責任で全員出しておく約束がつく。その目処が立たないうちは預かれない。空き家にしていただければ、この辺りなら3400万円前後でしょうか。実際に拝見しないと確かなことは申し上げられませんが。」その上でそう言われた。残った1社の折り返しは3日後で、担当が伺えるのは早くて夏になると言われた。

2ヶ月前、私が有給を取った日の午前中にその人は来た。和子さんは習い事、由美さんは仕事、奈々さんは勤務先の美容室で、家には私1人だった。「いつか自分の店を持つ」のだと奈々さんは会うたびに言っていた。買い取りの会社の沢谷健吾と名乗ったその人は40半ばに見えた。家の中を歩いたのは15分ほどで、2階には上がらなかった。「建物の痛み具合は細かく拝見しなくて結構です。」「見ないんですか? 」「うちは建物を壊して更地にする前提で値段を出しますので。拝見しているのは、どなたが何をお使いかというところです。」沢谷さんは玄関の框までを測り、それから門の外で前の道の幅を測った。「道が狭いですね。ここが狭いと2つに割った時、片方に家が建たないんです。」その人は建物ではなく土地の形だけを見ていた。金木犀の下を通る時、その人は1度だけ枝を見上げた。「立派な木ですね。」「祖母が植えたんです。」「そうですか。」それだけだった。

金額の提示は1週間後に届いた。仲介の2者の数字より随分低い。その差の理由は沢谷さんが家に来た日に1度だけ口にしていた。「建物は取り壊しますので値段はつきません。お引き受けしているのは、いつ引き渡していただけるかが読めない分です。うちはその読めない分を持つ商売ですので。」私はその紙を3日見てから「はい」と答えた。

1ヶ月前、私は売買の契約を結び、手付金を受け取った。契約を確かなものにするために先に受け取る代金の一部である。私の方から契約を白紙に戻すには手付金の倍の額を返さなければならない。それができるのも決済日までのわずかな間だけだ。同じ週に、職場から歩いて15分のマンションも決めた。家賃は11万8000円。1人には多すぎる部屋だが、日当たりだけで選んだ。そこまで済ませて家に帰り、いつも通り6時半に夕飯を出した。後は向こうが言い出すのを待つだけだった。

10月半ばの金曜日だった。朝、高幸が珍しく玄関で振り返った。「今日は早く帰るから、飯はいい。」「そう。」それだけだった。会社で伝票を打ちながら、その一言のことを考えていた。

夕方、家に着くと玄関に由美さんと奈々さんの車が止まっていた。和子さんと由美さんと奈々さんが金曜の夜に揃うのは法事の時以来だった。居間の襖を開けると4人が食卓を囲んで座っていた。テーブルの上には何もない。料理もお茶も茶菓子もない。和子さんの前にだけ湯のみが置いてあった。和子さんが上座に座り、その隣に高幸。向かいに由美さんと奈々さん。4人掛けの食卓に4人が座っていて、私の分だけ台所の丸椅子が一脚運んであった。

高幸が私を見て言った。「お帰り。座って。」私はコートを腕にかけたまま座った。和子さんが咳払いをして背筋を伸ばした。「香織さん、今日はね、大事なお話があるの。」「はい。」「高幸から言わせるわ。あなたたちの問題だもん。」あなたたちの問題だと言いながら、和子さんは神座を動かなかった。由美さんは腕を組んでいた。奈々さんは携帯をいじりながら時々こちらを盗み見ていた。3人ともこの先どうなるかを知っている顔だった。

高幸が足元の鞄から折り目のついた大きな紙を出した。折り目を伸ばして私の前に置く。離婚届だった。夫の欄にはもう署名がしてある。証人の欄にも2人分の名前が入っていた。大和田和子、大和田由美。親子で母と娘で書いてあった。形式的には問題ないのだと後で知った。それでもこの家がどういう家かが、その2行に出ていた。

高幸が私の顔を見ずに口を開いた。「もう終わりにしよう。7年色々あったけどさ、お互いのためだと思うんだ。」「お互い? 」「そうだよ。お前だってもう疲れてるだろ。正直、お前はもう用済みだ。母さんの世話もこれからは俺たちでなんとかする。」俺たちというのは。「宮原舞衣さんも入っていますか?

」「それは今関係ないだろう。」和子さんが割って入った。「香織さん、そういう詮索をするからダメなのよ。器が小さいって高幸も言ってたわ。」用済み。その言葉が出た時、由美さんが小さく笑ったのが聞こえた。

私はテーブルの上の紙を見た。書かなければいけない欄は思っていたより少なかった。名前と住所と本籍と捺印する場所。それから婚姻前の氏に戻るものの本籍という欄があった。元の戸籍に戻るか新しく作るか。私は新しく作る方に丸をつけた。両親のいない戸籍に戻るより、自分で1つ作る方がいい気がした。

「ペンありますか? 」「え? 」高幸が顔を上げた。「ペンです。持っていないので。」和子さんが立ち上がって電話台の引き出しからボールペンを取ってきた。私は自分の名前を書いた。大和田香織。7年書いてきた名前である。印鑑から印判を出して押すと、朱肉が少し滲んだ。4人がその紙を覗き込んでいた。捺印し終えた紙は高幸の方へ滑らせた。「はい。これで良し。」和子さんが手を打った。その顔に隠しきれない笑みが浮かんでいた。

「次の嫁はもっとマシよ。」私に向かって言ったのではない。高幸に向かって、私の前で言った。由美さんが冷蔵庫を開けながら言った。「家具は置いてってよ。どうせ持って行く先もないでしょ。」麦茶を出して自分の分だけコップについでいた。奈々さんは携帯から顔を上げずに続けた。「私、お姉さんの部屋使うからね。前から決めてたし。」「2階の南側でしょ。荷物さっさと出してよ。」由美さんが横から言った。「あの部屋、次の人が使うんじゃないの? 」奈々さんが顔を上げた。「え、あの部屋は私が使うって言ったよね。舞衣ちゃんが好きだって話はしてたけど、あげるとは聞いてないんだけど。」由美さんが顎で2階を示した。「お母さんがそう言ってたわよ。」「奈々、ちょっと。」和子さんが早口で遮った。「後で話しましょう。」3人の話の中で、私はもう出ていった人になっていた。

高幸が私の署名した紙をつまみ上げた。インクが乾いたかを確かめるように指先で軽く振る。「部屋を片付けて今すぐ出ていけ。」私は椅子の背に凭れた。腹は立たなかった。待っていた言葉がようやく向こうから出た。

「了解。」4人の視線が一斉に私へ集まった。言い返すと思っていたのだろう。泣くか、すがるか。せめて理由を聞くと思っていたのだろう。和子さんが眉を上げた。「了解って、あんた。」「今すぐと言われましたので、そのつもりで動きます。」「まあ、聞き分けのいいこと。」私はボールペンのキャップを押してポケットにしまい、4人の顔を順番に見た。和子さん、高幸、由美さん、奈々さん。「皆さん、本当にこの家に住み続けるんですね。」一瞬、誰も答えなかった。私の質問の意味は4人には届いていなかったらしい。「当たり前でしょ。」和子さんの声が台所まで響いた。「何よ、今更。この家の人間なんだから。」「そうですか。」「香織さんこそ、どこに行くつもりなの?

実家もないんでしょ? 」「分かりました。」私は立ち上がった。コートを腕にかけたままだったことにその時気づいた。

2階へ上がって私は電気をつけた。物置きになっていた元の私の部屋には、奈々さんが置いたままのダンボールが積んである。その隙間に私の衣装ケースが2つ押し込まれていた。下の階から笑い声が聞こえてきた。誰の声かはもう聞き分けようとも思わなかった。「ああ、すっきりした。早く舞衣ちゃん呼んだら。」「まだ早い。届け出してからだろ。」「月曜に出すの? 」「昼休みに行ってくる。」

私は衣装ケースを引っ張り出して蓋を開けた。7年で増えたものは思ったより少なかった。持って出るものと置いていくものを分ける必要すらなかった。この家にある家具のうち、私が買ったものはっきり覚えている。食卓も椅子も洗濯機も居間のソファーも食器棚も2代目の冷蔵庫も全部そうだ。家具の領収書も日々の買い物のレシートも、黒いファイルの隣の箱に念のため入れてある。

私は畳に座り、鞄から手帳を出して12月のページを開いた。1ヶ月前に書き込んだ日付がもうそこにある。残りの代金を受け取って鍵を渡す日だ。私は火曜に家を出ることに決め、10月のページに戻って、その次の週の日付に小さく印をつけた。私がいなくなってから沢谷さんに来てもらう日である。それから携帯を開いて沢谷さんに1通だけ送った。「予定通りお願いします。」「承知しました。」という一言だけがすぐに帰ってきた。窓の外で庭の金木犀が風に揺れていた。その年の花はもう終わりかけていた。階下ではまだ笑い声が続いていた。

翌日の土曜から私は荷造りを始めた。出ていけと言われたのだから、言われた通りにするだけだ。午前中に引き取りの業者へ電話を入れ、日曜の午後に来てもらうことにした。和子さんはその電話を廊下で聞いていた。「何を頼んだの? 」「家具の引き取りです。」「家具って、どの?

」「私が買ったものです。」和子さんの顔から笑みが消えた。

日曜の1時にトラックが来た。作業服の男性が3人、玄関で頭を下げた。「大和田様、まずどちらから? 」「居間のソファーとテーブルと椅子を4脚。台所の食器棚と2代目の冷蔵庫。洗面所の洗濯機です。1台目の冷蔵庫は祖母のものですから置いていきます。」「ちょっと待って。」和子さんが廊下に出てきて両手を広げて立ちはだかった。「何を勝手に持ち出すの? うちの家具でしょ。」「私が買ったものです。」「離婚するんだから置いてきなさいよ。うちのものを持ち出すなんて泥棒じゃないの。」作業服の3人が動きを止めた。

私は書斎から箱を持ってきて廊下に置いた。年ごとに分けた領収書の束が入っている。「自分のカードの明細が残っているものだけにしなさい」と宇川さんには言われていた。婚姻中に買ったものはどちらのものか揉めることがあるからだという。「ソファーは5年前の4月。私の名前とカードの番号が入っています。」私は1枚ずつめくった。「食器棚は同じ年の5月。冷蔵庫は3年前の11月です。お母さんがいらっしゃった翌月に4人分になったので買い替えました。」「そんな紙、いくらでも作れるでしょう。」「作れませんよ、これは。」和子さんは領収書を掴もうとして途中で手を止めた。私は箱を持ったまま業者の人に頷いた。「お願いします。」3人が動き出した。和子さんは玄関の柱に手をついたまま何も言わなくなった。

そのうちに由美さんが来て、廊下の様子を見るなり声を上げた。「ちょっと何これ? うちの居間が空っぽじゃない?

」「うちのですか? 言葉の綾でしょ? 」「細かいわね。本当、まあいいわ。新しいの買えばいいんだしね。お母さん。」「そうね。舞衣さんの好みもあるでしょうし。」2人は空になった居間で家具の話を始めた。私はその横を通って2階へ荷物を取りに上がった。

家が空になっていく音というものがある。私はそれをその時初めて聞いた。ソファーが運び出されると居間の床の色が変わっているのが見えた。食器棚の後には壁の日焼けの跡が四角く残った。4人掛けの食卓と椅子が消えて、そこに何もない空間ができた。高幸が2階から降りてきてその空間を見た。「おい、飯はどこで食うんだよ。」「買えばいいと思います。」「はあ。」持ち出さないのは、元々この家にあった祖母の茶箪笥と仏壇です。仏壇のことは後で渡辺さんから電話があった。「更地にする前にお寺さんに拝んでもらって、仏壇から魂を抜くお性抜きという法要がいります。」

奈々さんが1階の自分の部屋から出てきた。前の年に和子さんが勝手に業者を呼んでフローリングにした部屋である。「ちょっと、私のエアコンは。あれは工事で入れたものなので置いていきます。」「よかった。」148万円を払ったのは私だ。外して持っていくこともできた。そうしなかったのは、あの請求書のことで揉める時間が惜しかったからである。その時間はもう別のことに使うと決めていた。

その後、奈々さんが続けてこう言った。「ていうか、私ずっと待ってたんだよね。あの部屋。お母さんがずっと『あそこは何なのね』って言ってたし。」「それはいつからの話ですか? 」「え、覚えてないけど、お姉さんが来る前からじゃない?

」私が来る前から。祖母がまだ生きていた頃に、物置きとして見ていた部屋は、あの人たちの中ではもう自分たちのものだったらしい。

その時、玄関で由美さんの声がした。「お母さん、舞衣さんの引っ越し、再来週でいいって。」「あら、早いのね。」「アパート解約しちゃったんだって。高幸がせかしたらしいわよ。」「いいのよ、由美。どうせこの家に来るんだから。」「でもあの子たちが今月中に出るって聞いてるみたいよ。」「あら、そんなことを言ったかしら。高幸が言ったんじゃないの? 」和子さんは笑って、それきりその話をしなかった。私は廊下に立ったままその会話を聞いていた。教えようかと1度だけ思ったけれど、私がこの家で何を言っても、最後には私が嘘つきになる。奈々さんが私の横で悪気なく言った。「舞衣ちゃんには、お母さんがこの家をあげるって言ったんだから、当然でしょう。」あげる。台所から和子さんの声が返った。「奈々。余計なこと言わないの。」「本当じゃん。」私は何も言わなかった。言うことは何もなかった。和子さんにはこの家を誰かにあげる権利がない。そんなことはこの家で私だけが知っていた。

月曜の朝、高幸は「昼休みに離婚届を出してくる」と言って出かけていった。夕方に「出してきた」とだけ高幸から連絡があった。日が暮れる頃、玄関のチャイムが鳴った。敬一君が立っていた。塾のリュックを背負ったままだった。「あの、母さんに言われて。いや、嘘です。俺が来ました。母さんは行かなくていいって言ったけど。」私はダンボールを2つ彼に渡した。車まで運ぶ間、敬一君は何度か口を開きかけてやめた。最後に後部座席の扉を閉めてから、こちらを見ずに言った。「3年間、ありがとうございました。」「ご飯、美味しかった? 」「うまかったです。」ずっとその言葉で泣きそうになったので、私は車の鍵を探すふりをした。

その夜、私は最後の荷物をダンボールに詰めた。定期入れの写真と、寝室の棚に置いた祖母の額と、黒いファイルと領収書の箱と、衣類と鍋を2つ。それに1番上の段から下ろした祖母の小鉢。それだけだった。

火曜の朝、私は庭に出た。金木犀のその年に伸びた若い枝を1本だけ切った。時期が悪いのは知っている。3ヶ月前に園芸店で聞いておいた。「この季節に切った枝は根がつかないことの方が多い」と言われた。それでも私はその1本を濡らした新聞紙に包んだ。台所の窓から和子さんが見ていた。「何してるの、そんなところで? 」「お世話になりました。」和子さんは答えなかった。その代わり指を折って何かを数えていた。舞衣さんが越してくるまでの日数を数えているのだと思った。

そのまま私は玄関で靴を履いた。土間にはもう私の靴を置く場所を気にする必要がなかった。車に積んだのはダンボールが2つと鍋が2つと、濡れた新聞紙に包んだ枝が1本。和子さんは廊下の奥に立っていた。「2度と戻ってこないでちょうだいね。」「そのつもりです。」「全く、恩を仇で返すってこういうことを言うのよ。」私は玄関の鍵をポケットから出して1度だけ手のひらで確かめた。それから鍵をかけずにドアを閉めた。まだ人が住んでいる家だからだ。坂を降りながらバックミラーを見ると、庭の金木犀が視界の端をよぎった。それが私があの家を見た最後になった。

新しい部屋は職場から歩いて15分のところにある。1階が薬局になっている建物の4階。南向きの掃き出し窓のある居間と寝室にする部屋がもう1つ。エレベーターがないのでダンボールは4階まで自分で運んだ。6つ目で腰が悲鳴を上げ始めた。それでも誰かの機嫌を伺ってから頼む必要はもうなかった。

運び上げて、私は最初に枝を挿した。水の入ったコップに、切り口を斜めに削って立てた。つかないかもしれない。それでもいい。つかなかったら、その時はその時だ。その夜、私は買ってきた惣菜を皿に移して床に座って食べた。テーブルがまだなかった。持ち出した家具はあの日そのまま買い取ってもらった。あの家で使っていた家具は新しい部屋へ運ぶ気にならなかった。

食べ終わってしばらく、気づかなかったことがある。急がなくていいのだ。6時半に合わせる必要も、風呂の順番を待つ必要もない。私は湯舟に湯を張って1番最初に入った。3年ぶりだった。湯の中で自分が声を出して泣いていることに途中で気づいた。悲しくはなかった。涙が出る理由がその時の私には分からなかった。今なら分かる。あの家で私は3年、泣く場所を持っていなかった。

翌朝、恵理から電話が来た。「宇川さんに任せてよかったでしょ?

私、紹介しただけで中身は何も聞いてないからね。」「うん。」「香織、ご飯は食べてる? 」「座って食べてる。」「何それ? 」「立って食べなくていいのがこんなに楽だとは思わなかった。」恵理はしばらく黙ってから「そっか」とだけ言った。

会社では離婚のことを上司にだけ伝えた。扶養届の関係でそうするしかなかった。部署の若い子が翌週、給湯室で言った。「大和田さん、最近ちょっと顔付き変わりましたね。」「そう? 」「前より息してる感じです。」妙な日本語だと思ったが、当たっている気がした。

そこから先で何が起きたのか、私はその場で見ていない。後で敬一君と向かいの家の奥さんと買い取りの会社の沢谷さんから聞いた話をつなぎ合わせている。だから細かいところは違っているかもしれない。それでも大筋は多分間違っていない。

私が出ていった翌週の水曜、舞衣さんがキャリーケースを引いて坂を上がってきたのだという。和子さんは玄関の外まで出て迎えたそうだ。「いらっしゃい。今日からここがあなたの家よ。」舞衣さんは頭を下げて家の中に入った。そして居間で足が止まったらしい。由美さんが座布団に座ってテレビを見ていて、奈々さんが台所でカップ麺にお湯を入れていたからだ。「あの、由美さんと奈々さんは私が来るまでに出られると伺っていたんですけど。」「あら、由美は週の半分こっちにいるのよ。奈々はここに住んでるの。」「誰がそんなこと言ったの?

」「そうなんですね。」「これから家族になるんだから、仲良くしてちょうだいね。」「舞衣さんから、その、今月中には何? 」舞衣さんはそれ以上言わなかったという。2階の南側の部屋には奈々さんの荷物がまた運び込まれていた。舞衣さんの荷物は廊下に置られたままになった。

そうだ。夕方に高幸が帰ってきて5人で夕飯を食べた。舞衣さんだけがその輪の外に座っていた。食卓はもうないので、居間の床に座布団を敷いて買ってきた弁当を並べたのだという。「新しいテーブル、舞衣さんの好きなの選んでいいわよ。」和子さんはそう言って笑ったらしい。「前の人が全部持っていっちゃったから、揃えないといけないのよ。テーブルも椅子も食器棚もね。」「あの、それは気にしないで。」「うちのお金でいいんだから。」舞衣さんは「はい」と答えた。

その夜のことは、後に舞衣さん側の弁護士から出た書面にそのまま書かれていた。「今月中って言ってましたよね。」「まあ、そのうちだよ。急ぐ話じゃないだろ。」「私、部屋もう引き払っちゃったんですけど。」「実家みたいなもんだと思えばいいって。」実家。高幸はその言葉を自分の口で使ったのだという。それでもその夜は全員がこう思っていたそうだ。これで理想の生活が始まると。

和子さんは翌朝、新しいソファーの色の話をしていたそうだ。その同じ朝の10時過ぎ、インターホンが鳴った。出たのは和子さんだった。新聞の勧誘だと思ったのだという。モニターにはスーツを着た男の人が映っていた。片手に黒い鞄を下げてまっすぐ立っていた。和子さんが玄関を開けると、その人は名刺を差し出した。「お世話になっております。私、沢谷と申します。」「はあ。」「引き渡しに向けまして、お家の様子を確認に参りました。」和子さんはその言葉の意味が分からなかったのだという。分からないまま「はあ」ともう1度言ったそうだ。和子さんは名刺を裏返してまた表に戻したという。「引き渡しって、何の? 」「こちらの売買でございます。」「土地と建物のうちは何も売りませんけど。」「はい。売主様は大和田香織様です。」

そこで和子さんの手から名刺が落たのだという。沢谷さんは玄関先で順を追って説明した。売買の契約はもう結ばれていること。所有権を移して鍵を受け取るのは12月であること。舞衣さんが廊下から出てきてこう聞いたらしい。「12月って、何の話ですか? 」「現況のままを引き受けする案件でございますので、書類の手続きと段取りにお時間をいただいております。」今回の契約では、住人が残っている現況のまま買い取る条件になっていた。つまり退去の問題も含めて売主側が引き受ける契約だった。その言葉の意味をその時正しく理解した人はあの家にいなかったのだと思う。

「あの家はどうなるんですか?

リフォームとかされるんですか? 」舞衣さんがそう聞いたそうだ。「更地にいたします。2世帯のお家を建てる予定でございます。」「更地? 」「はい。建物はお取り壊しになります。」その言葉の後、しばらく誰も何も言わなかったという。和子さんは震える手で高幸に電話をかけ、高幸は営業先から1時間で帰ってきたそうだ。玄関に立っている沢谷さんを見るなりこう言ったという。「うちの母が何か騙されてるんですよ。俺の家ですよ。」「ここは失礼ですが、どちらでご確認なさいましたでしょうか? 」「確認って、住んでるんだから俺の家でしょ。」沢谷さんは黙って鞄から1枚の紙を出したそうだ。「大和田高幸様でいらっしゃいますか?

」「そうです。」「恐れ入ります。土地と建物の持ち主は、国の帳簿に記録されております。登記簿と申します。そこに乗っているご所有者は大和田香織様でございます。」「だからそれは俺の妻で、元奥様とお伺いしております。」その一言で高幸は黙ったらしい。

私の携帯が鳴ったのはその後だった。昼前の経理部は静かで、私は席を立って非常階段の踊り場に出た。「おい、お前、家を売ったのか? 」「はい。」「はいってなんだよ。勝手にそんなことしやがって。」「勝手ではありません。私の家です。」電話の向こうで和子さんの声が重なった。何を言っているのかは聞き取れなかった。「ふざけるな。ここは俺が。」「あなたが建てた家ではありませんよ。」言ってしまってから、自分の声が思っていたより低いことに気づいた。「知らなかったなんて言わないでくださいね。」「知らねえよ、そんなこと。」「5年前、相続の書類を全部私がやりました。あなたは1枚も見なかった。見ようともしなかった。」「だから何だよ。」「法務局へ行けば誰でも他人の家の持ち主の名前が書かれた紙を取れます。600円です。」私は踊り場の手すりを見ていた。「あなたは取れなかったんじゃない。取らなかったんです。分かっていて言っているんですよね。」返事はなかった。代わりに受話器の向こうで誰かが電話を奪う音がした。

その後のことは沢谷さんが後日私に教えてくれた。和子さんが「じゃあ私たちはどうなるんですか」と詰め寄ったのだという。沢谷さんはこう答えたそうだ。「当社が現況のままでお引き受けしております。今後のご相談は当社から改めてご連絡を差し上げます。」「相談って、追い出すってことでしょ? 」「私からはそういう申し上げ方はいたしません。」その人はそれ以上のことを一言も言わなかった。法律のこともこれから何が起きるかも口にしなかった。言わないというやり方があの場で1番重かったのだと思う。

由美さんは「香織さんは何を考えてるの」と繰り返し、奈々さんは「私の部屋は」と言ったそうだ。舞衣さんは廊下で黙って立っていた。その間に1度だけ、和子さんがひと言だけを聞いたらしい。「あの、この日はどなたがお決めになったんです? 」「売主様からご指定をいただいております。」指定したのは私だ。家を出る日を決めた時に、その次の週の中で1日を選んで沢谷さんに伝えてあった。偶然ではない。自分がいなくなってから来てもらうように私が決めた日だった。困らせるためではない。あの玄関に並んで立てば、私はまた1から説明することになる。もう説明したくなかった。

由美さんと奈々さんは言うだけ言って居間へ引っ込み、玄関に残ったのは和子さんだけになったという。沢谷さんは玄関先で鞄から書類を出して確認事項を読み上げた。測量の立ち合いのこと。残していくものの扱いのこと。「それからこちらの写しをお預かりしております。」沢谷さんが出したのは1枚の紙だった。和子さんが受け取って老眼鏡を外し、目を近づけたという。そこには3行だけ書いてあった。「この土地と建物の持ち主は大和田香織であること。私たちは無償で使わせてもらうこと。持ち主から求められた時は速やかに出ていくこと。」日付は3年前の10月10日。その下に3人分の署名と3つの印。大和田和子、大和田由美、大和田奈々。「これ、何?

」「売主様からお預かりした資料の一部でございます。」和子さんは自分の名前を指でなぞったそうだ。和子さんはその字が自分のものだと分かるまでに随分時間がかかったのだという。

その日の夕方、私は宇川さんの事務所に寄った。「向こうから連絡が来ましたか。」「そうでしょうね。今後、直接お話にならないでください。全部こちらへ。」私は頷いて鞄から手帳を出した。12月のページの日付をもう1度確かめた。仲介の会社は空き家にできれば3400万円だと言った。私が受け取る額はそこから1200万円低い。その1200万円で私は何を買ったのか。「出ていってください」と書面で伝えて、応じてもらえなくて訴える。早くて半年、長ければ1年。その間ずっとあの人たちと同じ家で顔を合わせて裁判の書類を待つ。私はその時間を買わずに済ませた。あの人たちに向かって「出ていってください」と言い続けなくていい。言い続ける役目はお金で人に渡した。安い買い物だったとは思わない。それでも私はその値段で良かったと思っている。

帰りの電車で、鞄の中の紙が1枚指に触れた。契約の時に沢谷さんから預かっていた書類の控えである。その資料の1枚目に、3年前の日付と3人分の名前があった。

その日から何日も携帯が鳴り続けた。着信は60件を超えた。「全部こちらへ」と宇川さんには言われていたが、4日目の夜に1度だけ出た。「お前、家を売ったのか? 」「はい。」「取り消せよ。」「契約は済んでいます。手付金も受け取りました。」受話器の向こうが和子さんの声に変わった。「香織さん、あなた頭がおかしいんじゃないの? 私たちが住んでるのよ。家族を路頭に迷わせるつもりなの? 」「私も家族じゃありませんよ。離婚届は受理されています。出したのは高幸です。」和子さんが息を吸う音がした。「それに『出ていけ』と言われましたので。今すぐ部屋を片付けて出ていけと。」「あれはあなたの部屋のことでしょ?

」「はい。ですから片付けました。」

その後、私はもう1つだけ言った。「和子さん。」3年間、私はこの人を1度も名前で呼んだことがなかった。向かってはいつも「お母さん」だった。名前で呼ぶのに必要だったのは、離婚届1枚と4日間だった。「何よ、いきなり名前で。」「義理の母でも亡くなりましたので。」電話の向こうで何かが倒れる音がした。その電話の途中で由美さんの声が割り込んできた。私に聞かせるつもりはなかったのだと思う。「お母さん、だから言ったじゃない。確かめておきなさって。あんたのせいでしょ。お父さんのお金、あんたの離婚で全部。」「全部じゃないわよ。奈々の店の分だってあるじゃない。」そこで通話が切れた。言葉の断片が勝手な形になっていった。4年前の由美さんの離婚の後始末に、義父は生前かなりの額を出した。残りと保険金は、葬儀が済むより先に奈々さんが店を持つ話へ回すと決まっていた。店の土地と内装の資金が出た後で話が流れ、戻ってきた額はほとんどなかったという。

敬一君からの2度目の連絡はこうだった。「おばあちゃんが謝りたいって言ってる。でも、家のことは返して欲しいって言ってる。」その2つを同じ文に並べられる人なのだ。3年前、岐阜の49日が済んだ翌週、和子さんはアパートをもう引き払っていた。年金は入るけれど、部屋を借りるには敷金と礼金の現金がいる。家賃を立て替えてくれる保証会社の審査もある。その審査では緊急連絡先として、いざという時に電話に出てくれる身内の名前を1人欠かされる。そのどれも和子さんは持っていなかった。だからあの夜、「少しの間だけ」と言いながら鞄1つで玄関に立っていた。私は3年間その理由を知らずに朝食を4人分作っていた。

由美さんは私が出ていった後、泊まる回数が増えたそうだ。家賃を浮かせられる場所があの家しかなかった。奈々さんも同じで、荷物を置ける部屋だけが残っていた。あの家がなくなると困るのは和子さんと由美さんと奈々さんだった。高幸の方も似たようなものだった。舞衣さんに「持ち家がある」と言ってしまった。和子さんがあの家にいることは舞衣さんも知っていた。知らなかったのは由美さんと奈々さんのことだ。あの2人はほとんど住んでいる。私が出た後もそれは変わらない。ここは高幸が多分伝えていなかった。1度以上引けなくなる。だから彼は急いだ。証人の欄に和子さんと由美さんの名前を先に書かせて、金曜の夜に紙を出した。母親は住むところがなくて、息子は言った手前があって。2人とも同じ家にすがっていた。その家は2人のものではなかった。

宇川さんは離婚届が出された翌日に、まず高幸本人へ「住人の通知」を出していた。1週間ほどして向こうにも弁護士がついた。沢谷さんが来てから半月後、宇川さんからその弁護士へ書面が出た。内容はその前に説明を受けていた。「まず家のことです。離婚の時は夫婦で築いた財産を分け合います。財産分与と言います。ただ、相続で受け取った家は夫婦で築いたものではありませんから、原則としてその対象にはなりません。」「原則と言いますと、例外がないとは申しません。ただ、元のご主人は取得にも修繕にも税金にも1円もお出しになっていない。争って通る話ではないと思います。」宇川さんは決して「勝てる」とは言わなかった。その言い方が却って信用できた。

「それから、住んでいらっしゃる方のことです。無償で住ませていた関係は、原則として新しい所有者には主張できません。家賃を払っていた借家人の方とはそこが違います。」「夫はどうなりますか? 」「少なくとも『配偶者だから当然に住み続けられる』という根拠は、離婚によって失われます。あの覚え書きは必要ではありません。ただ、必ず出てくる話を先に塞いでいます。」

売買をやめられないかという話は一蹴で消えたそうだ。持ち主が自分の家を売る時、住んでいる人にそれを止める道はない。その上で、必ず出ると宇川さんが言っていた話が出てきた。向こうの弁護士からの返事にはこう書いてあったそうだ。「生活費を入れていた。将来この家をもらう約束だった。」宇川さんは覚え書きの写しを添えて一行だけ返した。「ご本人の署名と印です。」

慰謝料の請求書も同じ封筒に入れた。不貞についての請求額は、高幸と舞衣さんの2人合わせて300万円である。「お2人合わせてという形にします。同じ1つのことに対する請求ですので。」「通りますか? 」「争えば削られる額です。ただ、あちらは早く終わらせたいはずですから。」私が代わりに払った分は別の紙にした。和子さんと由美さんと奈々さんの分は1通ずつ内容証明で出します。いつ誰に何を送ったかを郵便局が記録してくれる出し方です。和子さんにはあのリフォームの代金。由美さんには敬一君の塾の3年分。奈々さんには車の修理代。「あのリフォームの分は争いになれば長引きます。頼んだのがお母様でも、直したのはあなたの家ですから。取り壊される家ですけど。そう申し上げます。ただ、通ると決まった話ではありません。」

宇川さんに聞かれて私は考えた。「敬一君の分は、いりません。」「よろしいんですか? 3年分で126万円ですよ。」「あの子は『ありがとう』って言ってくれた子なので。」宇川さんは黙ってその行に線を引いた。返してもらうことにしたのは、148万円と車の22万円、合わせて170万円だけになった。

書類にサインをしながら私は聞いた。「あの人たちは、いつ気づいたんでしょうか?

」「調べればすぐに分かることでした。調べなかったのは、知りたくなかったからだと思いますよ。知っていることと認めることは別ですから。3年もあれば、認めない方が楽になります。」相続してからの5年、私も同じことをしていた。この家は私のものだと知っていて、認めさせるのを先延ばしにし続けた。リフォーム代に固定資産税は入れなかった。あれは所有者の私が払うものだ。祖母の家を持つというのはそういうことだった。

和子さん宛ての内容証明が届いた日の夜、最後の電話があった。留守番電話に声が残っていた。「香織さん、あの、あれは冗談よ。『義理の嫁がどうとか』って、あれは。」声はそこで途切れていた。

それから10日ほどして、また有給を取ってあの坂を上がった。測量と残していくものの確認をする日である。測量の立ち合いは平日にしか組めないのだと沢谷さんに言われていた。売主が立ち合わないと終わらない要件なので、行かないという選択肢はなかった。沢谷さんと土地の境い目を測って図面にする土地調査士の方と私。それに両隣りの方と裏に住むご主人が順番に庭へ出てきた。境い目はこちらだけで決められるものではないという。立ち合いの日時は沢谷さんから先に伝わっている。4人が待っていたのだと思う。交渉をしに来たのではない。悔しさを見て書類に署名をしに来ただけだ。そう言い聞かせて車を降りた。金木犀の花はもう終わっていて、裸の枝が冬の光に光っていた。

調査士の方が三脚を立てて機械を覗き始めた時、玄関の扉が開いた。和子さんが出てきた。その後ろに由美さんと奈々さんが続いた。仕事を休んだのか、高幸もいた。最後に舞衣さんが玄関の中に立ったままこちらを見ていた。和子さんが庭に降りてきた。「香織さん、話し合いましょう。私たちだってちゃんと生活費を入れていたのよ。」「入れていただいたことはありません。お米も私が買っていました。」和子さんが言葉に詰まった。そこへ由美さんが割り込んだ。「大体ね、ここは私の実家なのよ。私の実家を勝手に売らないでちょうだい。この家は、いずれもらう約束だったんだから。お父さんもそう言ってたし。」「高幸さんのお父さんは、そんなことをおっしゃる方ではありませんでした。」「言ったの。私は聞いたんだから。」

私は鞄から黒いファイルを出し、1番後ろのポケットから1枚の紙を抜いた。沢谷さんに預けたのは写しで、こちらが原本である。「これを。」和子さんの指先が紙を持ち直せずにいた。由美さんが横から覗き込む。3行と日付と3人分の署名と3つの印。「『この土地と建物の持ち主は大和田香織である』と書いてあります。『私たちは無償で使わせてもらいます』とも。『持ち主から求められた時は速やかに出ていきます』とも。」和子さんが顔を上げた。「この前も同じ紙を見せられたけど、こんなの覚えてないわ。」「3年前の10月10日です。和子さんが『他人行儀ねえ』と笑いながら書かれました。由美さんは『こういうの好きだよね』と言いながら書かれました。奈々さんは印鑑を探して朱肉で指を汚しました。」

3人が黙った。私は由美さんの方を見た。「由美さん、さっき『私の実家を勝手に売らないで』とおっしゃいましたね。」「言ったわよ。」「由美さんの実家だったことは1度もないですよ。」私は紙の署名の欄を指した。「ご自分の字です。ご自分の印です。」由美さんは口を開けたまま何も言わなかった。奈々さんが横から手を伸ばして紙を覗き込んだ。写しは和子さんが引き出しにしまい込んだままだったらしく、奈々さんが見るのは初めてだった。「これ、私の字だ。」「はい。」「え、なんで? 私こんなの書いた覚えないんだけど。」「印鑑を持ってきて、朱肉に指を当てて笑っていらっしゃいましたよ。」奈々さんは自分の指先を見た。3年前のその指が今の自分を止めている。

「私の荷物は、あの部屋の期限までに引き取っていただければ結構です。日時は所有者が変わってから売主さんからご連絡があります。」高幸が庭に降りてきて由美さんの手元を覗き込んだ。「俺は書いてない。その紙に俺の名前はないだろ。」「はい。ありません。」「じゃあ俺には関係ないな。」私は彼の方を見た。「はい。あなたには関係ありません。あなたはこの家の持ち主の夫として住んでいただけです。離婚した時点で、この家にいる理由そのものがなくなりました。」「理由って、俺は。」「今あなたがここにいるのは、私が黙っているからです。それ以上の理由はありません。」

玄関から舞衣さんが出てきて高幸の腕を掴んだ。舞衣さんが沢谷さんの話を廊下で聞いてから3週間が経っていた。アパートはもう引き払った後で、この家にい続けるしかなかったのだという。「高幸さん、3週間待ちました。『この家はあなたの』だってもう一度言ってください。」「いや、だからそういう細かいことは。」「細かいことですか? 私、部屋を引き払ったんですよ。『なんとかなる』って聞いていた話と全然違うじゃないですか。」舞衣さんの声が高くなった。和子さんが割って入った。「舞衣さん、落ち着いて。これから住む家をみんなで探しましょう。」舞衣さんは和子さんの顔をまっすぐ見た。「なんで私が、高幸さんのお母さんの住むところまで一緒に探さなきゃいけないんですか? 」誰も何も言わなかった。舞衣さんはキャリーケースを引き出し、振り返らずに坂を降りていった。

その音が消えてから、和子さんが息子を見た。「あんたが、この家は自分のものだって言ったんでしょ。家族なんだから、あんたが何とかするのが当たり前でしょ。」「母さんだってそう思ってたんじゃないか。」「思わされたのよ。」由美さんが金切り声を上げた。「私はどうすればいいのよ。ここがなくなったら、敬一の下宿代まで私が持つことになるじゃない。」「高幸、あんたが何とかしなさいよ。弟なんだから当然でしょ。」奈々さんが高幸に詰め寄った。「私の荷物どうしてくれるのよ、お兄ちゃん。」4人が同時に喋り出した。3年間この人たちが私に言っていた言葉が、そっくりそのまま互いへ向いていた。嫁なんだから当然でしょう。家族なんだから我慢しろ。この家の人間なんだから。その言葉が今度は母から息子へ、姉から弟へ、妹から兄へ飛んでいた。違うのは、言われた側が言い返すところだけである。

2階の窓に敬一君が立っているのが見えた。その日は学校の創立記念日で、母親に連れられてきていたのだと後で聞いた。目が合うと彼は小さく頭を下げてカーテンを閉めた。私は庭の隅でそれを見ていた。頭の中に浮かんだのは3つの場面だった。立ったまま冷めた味噌汁で白飯を流し込んだ。居間から祖母の写真が外されて「よそ様の写真」と言われた。自分の部屋の荷物を廊下に出されて「物置きに使うから」と言われた。そのどれもがこの家の中で起きたことだ。私の家の中で。

「皆さん。」私が声を出すと4人が黙った。「この家の人間は、祖母と私だけでした。」和子さんが何か言いかけて口を閉じた。私は続けた。「3年間、そうおっしゃっていましたよね。『この家の人間なんだから』と。」「私はそんなつもりじゃ。」「私にできることは、12月にこの家の鍵を売主さんにお渡しすることだけです。」私は沢谷さんの方を見て、それから4人に向き直った。「皆さんに『出ていってください』という権利は、12月までまだ私にあります。ですが、使わないと決めました。『出ていってください』という役目は、もう売主さんにお任せしてあります。12月からはあちらが決めます。私ではありません。」

和子さんが声を上げた。「じゃあ、どうすればいいのよ。」「そちらの会社とお話しください。私に電話をされても何も動きません。」「そんな冷たいこと言わないで。3年も一緒に暮らしたじゃないの。」和子さんの声が初めて小さくなった。「はい。3年一緒に暮らしました。じゃあ、その3年で私が座って夕飯を食べた日は1日もありません。」和子さんが黙った。「冷たいのは、どちらだったんでしょうか?

」言い終えて、自分の声が震えていないことに気づいた。7年かかったが、私は初めて最後まで喋りきった。

調査士の方が「お立ち合いは以上です」と声をかけてきた。私は差し出された測量確認書の隅に署名した。この家の土地の形について私が名前を書くのはこれが最後だった。

12月の午前、有休を取って残りの代金の受け渡しに立ち合った。銀行の一室には沢谷さんと、売主が手配した司法書士の方がいた。その人は私の免許証と委任状、それに戸籍の写しを確かめた。「登記の名前が大和田香織様のままですので、先に名前を書き換える申請を出します。移転と同じ日に。」旧姓に戻った分、書類が1枚増えていた。実印も今の名字で登録し直したものだ。その人が顔を上げた。「これで登記できます。」沢谷さんが携帯を耳に当て「着金いたしました」と言った。私は印を押し、鍵を渡した。祖母の家の鍵は玄関のものと勝手口のもので2本ある。あの家にはまだ4人が住み、それぞれ鍵を持っている。私が2本返したところであの家が開かなくなるわけではない。それでも2本とも渡してしまうと、手のひらには何も残らなかった。

帰りに駅前の食堂でうどんを食べた。座って湯気を見ながら、それだけのことが嬉しかった。店を出たところで恵理から電話が来た。「終わった? 」「終わった。今うどん食べてた。」「1人で? 」「1人で座って。」「良かったじゃない?

義家族が家を出たのは翌年の6月だという。その間のことは噂で聞いた。由美さんは駅から遠いワンルームに移った。舞衣さんともあの日を最後に切れたらしい。引き渡しの後も半年住んだ分は、家賃に当たるお金として4人に請求されたらしい。和子さんは部屋を借りるのに2度断られたという。保証会社の審査が通らなかったのだ。私が部屋を借りた時と同じだった。審査には「いざという時に電話に出る身内の名前」を1人書かなければならない。高幸は家賃と慰謝料の分割で手いっぱいで、由美さんも奈々さんもその欄に名前を書くとは言わなかった。書ける名前があの人にはもうなかった。由美さんはただで泊まれて夕飯の出る場所を失い、奈々さんはトランクルーム代を自分で払うことになった。誰も破滅していない。他人の家を自分の家として使う暮らしだけが終わった。

あの家はやがて取り壊され、2世帯の分譲住宅になるのだと後で知った。壊れたんだ。それでも、あの人たちの家として残るよりいい。祖母の写真は戻らない。アルバムも、廊下に積まれたまま消えた着物も戻らない。縁側もなくなる。あの人たちが出た後、菩提寺に相談して仏壇のお性抜きをしてもらい、祖母の遺影だけをこの部屋の棚に移した。茶箪笥は置ける場所がなかった。戻せたのはその遺影と、庭から切ってきた枝1本だけだった。

離婚して私は旧姓の古野に戻った。会社で名刺を作り直してもらった日、総務の人が名前を2度読み上げた。「古野香織さん、古野香織さん。」自分の名前が口の中で落ち着くのが分かった。私は今も同じ会社で経理をしている。住まいは職場から歩いて15分。家賃11万8000円だ。朝は7時に起きればいい。夕飯の時刻を誰かに決められることもない。ベランダにはあの日切った枝を挿した鉢がある。「つかない」と言われたが、春に根がついた。秋に花が咲くかは分からないが、葉は増えていく。

年が明けて、敬一君から一通だけ連絡が来た。大学に受かったという報告と、短い文が添えてあった。「香織おばさんのご飯、うまかったです。」私は「おめでとう」とだけ返した。返してもらわなかった塾代が惜しいと思ったことはない。170万円は月々わずかずつしか戻ってこない。それでも毎月、振り込みの記録は残る。

3月の終わり。元夫からメッセージが来た。「母さんも反省している。1度話せないか。」反省という言葉は誰のためのものだろう。それから一行だけ返した。「次の嫁はもっとマシなんですよね。」返事は来なかった。私はその番号をブロックした。

あの日、あの人は言った。「部屋を片付けて今すぐ出ていけ」と。だから私は言われた通りにした。私の部屋を片付けた。それだけではなく、私の家事ごと片付けた。祖母は遺言に「この家には香織に住んでほしい」と書いた。その家を手放した日、私は少し祖母に申し訳ない気がしたけれど、今はそうは思っていない。祖母が住んで欲しかったのはあの建物ではない。自分の家で座って食事をして、1番最初に風呂に入る人間として、私に暮らして欲しかったのだと思う。それは今、この部屋でできている。明日も6時に会社を出て、買い物をして、8時に水をやる。それから座って夕飯を食べる。そういう毎日を続けていきたい。