木村孝太郎、七十五歳。昔に比べれば穏やかな日々を送っているが、たった一つだけ心配事がある。それは孫の数人のことだ。数人は真面目で勉強もできたが、少し引っ込み事案で、競争というものをほとんど経験せずに大人になった。そんな彼が今年の春から入社したのは大手IT企業。企画部に配属されたと聞いたが、大人しい性格の彼が競争の激しい職場でやっていけるのか、考えれば考えるほど不安が募る。
。
週末の夜、長男と孫の数人が自宅を訪ねてきた。顔色の優れない数人に声をかけるが、彼は「なんでもない」と目をそらす。ひとまずリビングに通し、コーヒーを入れると、数人はぽつりと「仕事に慣れなくて疲れているだけ」とだけ話した。息子の話によると、ずっとこの調子らしい。気分転換を兼ねて、用事があるというのでやってきたようだ。息子は数人の肩を叩き、彼に一枚の書類を差し出させる。それは新プロジェクトの発足を記念した渾新会の案内状だった。「社員は家族を一人連れてきていいと言われて、じいちゃんに来てほしいんだ」と退役人が言う。代わりに息子が行くはずだったが、都合がつかないとのこと。「お安いご用だ」と私が応じると、数人の表情が少しだけ和らいだ。
数週間後、渾新会当日の朝。会場に到着し、若手社員とその家族用の席へ向かうと、数人の様子がまた沈んでいることに気づいた。「顔色が悪いぞ。どうした」と問いかけても、彼は「大丈夫」と小さく返すだけだった。そして私たちが自分の席に辿り着いた瞬間、私は言葉を失った。
数人の席に、ゴミ箱が置かれていたのだ。椅子の周りにはゴミが散らばり、そこだけが場違いな別世界と化していた。ネームプレートには確かに「木村かず人」とある。間違いない。孫のための席だ。私が呆然と立ち尽くしていると、後ろから派手なブランドスーツを着た若い男が足音も高らかに近づいてきた。「やっと来たかな、底辺」彼は笑いながら言う。「お前にお似合いの席を用意してやったぞ。どうだ? 嬉しいか? 」数人の拳が握りしめられる。「なぜ、こんなことをするんだ」と震える声で数人が問うが、男は「文句でもあんのか? 言ってみろよ」と威圧的にテーブルの脚を蹴飛ばす。数人は体を震わせ、黙り込んでしまう。その様子に満足した男は「さっさと座れよ。ここは底辺社員の特等席だぞ」とさらに追い打ちをかける。目の縁に涙を浮かべ俯く孫を見て、私は怒りが全身を駆け巡るのを感じた「いい加減にしろ」と思わず声を荒げていた。「これ以上孫を侮辱するなら許さんぞ」男は一瞬驚いた顔をしたが、すぐまた嫌みったらしい笑みを浮かべる。「はあ、なんだじじい。お前も俺に歯向かう気か」私は負けじと問い詰める。「このゴミ箱を用意したのはお前だろうが。一体なぜこんな幼稚な真似をしたんだ」すると男は「うるせえな。お前も溜まってゴミまみれの席に座ってろよ。よく似合ってるぜ」と言い放ち、私の肩を力いっぱい押す。よろめく私を、数人がすぐに支えた。「じいちゃん、大丈夫?

」私は「平気だ、ありがとう」と気丈に答えてから、男を睨みつける。「ここは会社主催の場だというのに、暴言の次は暴力か。君は何を考えているんだ? 」しかし男は焦る様子もなく、得意げに腕を組んで言った。「じじいが俺に説教かよ? 言っとくけどな、俺はこの会社の社長の息子、米ネクラ守る様だぞ。こんなことで負けるわけがないんだよ」私は大きく息を吸い込み、「米ネク守るか。名前だけ覚えておこう。で、なぜこんなことをしたんだ。説明しろ」と迫ったる男は「めんどくさいじじいだな」とため息をつきながら、吐き捨てるように語り始めた。「こいつはうちで使えない出来ない社員なんだよ。れが俺が仕事を振ってやっても『これはあなたの仕事では』とか抜かして全然やらねえ クズなんだよ。しかも比較案を出せって言ってんのに、片くに拒否しやがる」彼の言葉は、どう聞いてもかず人に非があるとは思えない内容だった。むしろ、仕事を押し付けたり成果を横取りしようとしたのはこの男の方だ。「つまり、お前はかず人に仕事を押し付け、拒否されたから腹いせにこんなことをした、というわけか」私がそう言うと、米ネクは「俺はただ時期社長として上下関係を分からせてただけだ」と意味不明な理論を恥ずかしげもなく並べる。私は思わず頭を抱えたくなったが、グッと堪えて告げる。「君のような者が時期社長で本当にいいのか? そして、きちんと孫に謝罪してもらうぞ」すると、米ネクは「はあ?
そんなことするわけねえじゃん」と吐き捨て、なんと私の胸ぐらを掴んできた。「また暴力か。いい加減にしないと、俺は本気を出すぞ」そう脅すと、米ネクはさらに下品に笑う「底辺のくせに偉そうにすんなよ」私は、もう堪らず、小さく呟いた。「絶対に、貴様を許さん」しかし、その言葉さえも彼は「じじいの強がり」と嘲笑うだけだった
その時だった。「何をしているんですか? 」突然背後から響いた女性の声に、場の空気が凍りつく。振り返ると、スーツ姿の女性が立っており、彼女はすぐさま私たちの間に入ると、米ネクの手を払いのけた。「一体何なんですか、この状況は? 」彼女は驚きと困惑の混ざった表情でそう言うと、米ネクはなぜかニヤニヤと彼女を舐め回すように見つめる。「結構いい女じゃんか。名前は? あまり見ない顔だが、部署はどこだ?
」そう言って彼女の肩を抱こうとするが、彼女はパシッとその手を払いのけた。「ちょっと何なんですか! 」すると、米ネクは逆上して右腕を振り上げる。とっさに私は彼女の前に立ちはだかり、彼の腕を掴んだ。「いくらなんでもそれはないだろうよ、女性に手を上げるとは。この手を下ろせ」周囲の注目が集まり始めたことに気づいた米ネクは、しぶしぶ手を下ろすしかなかったが、まだ反発の色を隠さない。「この男何なんですか? 」私の問いかけに、彼女が答える。「社長の息子で、この会社で働いているらしい。しかし言動に問題がありすぎる」彼女はため息をつきながらそう言うと、今度は私に向き直った。「では会長、彼を首にしますか? 」その言葉に、米ネクはギョッとした顔で彼女を見た。「はあ?
会長? 首? 何の話をしてんだ? 」彼女は淡々と答える「ご存知なかったんですか?
このお方は、この会社の会長なんですよ」米ネクの顔が、見る見るうちに強張っていく。「そんなまさか…冗談だよな」しかし彼女は構わず名刺を差し出す。「冗談ではありません。私は会長の秘書をしております香川と申しますよその後、私はゆっくりと補足説明を加えた。「確かに、私は会長という肩書きを持っているが、後進に道を譲るべきだと思い、今は第一線からは退いている。だから、君が私を知らなくても無理はない」米ネクは、恋のように口をパクパクさせるだけだったが、やがて我に返ると、今度は数人に向かって怒りの声を上げた。「おい、お前、なんでじいさんが会長だって言わなかったんだよ! 普通自慢するだろうが! 隠してたなんて卑怯だぞ! 」しかし私は、米ネクに冷たく言い放った。「まだ寝ぼけたことを言っているのかろうず人は、君のような馬鹿ではないんだ」米ネクは「なんだと?
」と食ってかかるが、私は言葉を続ける。「そもそも、会長の孫だと公表したら、周りが正当に評価してくれなくなるかもしれないだろうだから、かずはあえてそれを隠していたんだよ。「そんな…まさか」米ネクは呆然と呟くしかなかった。「素情を知らなかったのは仕方ないだろうだが、だからと言って、こんなことをしていい理由にはならないというのは、さすがの君にも分かるだろうよ」そう私が問い詰めると、米ネクはまだ反発する気配を見せる。「な、なんだよ! 孫をコ入社させたじじいが、一番えらそうなことを言うな! 」私は深いため息をつき、「かずは素情を隠していたんだよもちろん、上層部にもね」と告げた。「入社試験や面接では、会長の孫であることは一切打ち明けず、自分の力だけでこの会社に入社したんだ」米ネクは、みるみる悔しそうな表情を浮かべ、私から目をそらした。私は、そこで秘書に指示を出す。「すまないが、大手子会社社長に連絡を入れてくれ。のアホの今後について、きっちり話をつけなければいけない」秘書が「承知しました」と答えると、米ネクは慌てて私にすがりついた。「待ってくれよ! 頼む!
親父にだけは、言わないでくれ! 」彼の目からは、今になってようやく涙が溢れ出てくる。「今更泣いても無駄だ」私は、吐き捨てるように言った。「貴様には、きっちりお灸を据えるつもりだから、覚悟しておけ」その言葉に、米ネクは魂が抜けたように、その場に座り込んでしまった。私は近くにいた男性社員に米ネクを連れ出すよう命じ、彼は腰を抜かしたまま連行されて行った
翌日の朝、私は会長室で数人と共に待っていた。そこへ、社長が訪れ、深く頭を下げた。「この度は、うちのバカ息子が大変申し訳ございませんでしたろう孫さんにまでひどい扱いをしたと聞き、親として恥ずかしく思います」謝罪の言葉が聞けたのは良かったが、私はそこで切り出した。「社長が謝って済む問題というわけにはいかない事態でね」私は、事前に秘書に調査させていた資料を社長に差し出す。「ご子息の言動はあまりにも知切でひどいものだったした。それなのに、我が社に入社できたというのは、少々疑問に感じてね、少し調べさせてもらったんだよ」資料をめくりながら、私は続ける。「まず、入社経緯に関してだが、筆記試験の結果は合格ラインを大きく下回っていた」さらに、面接でも社長の息子であることばかりをアピールし、質疑応答もめちゃくちゃだったらしいではないか」私は、あえて核心を言葉にせず、社長に問いかける。「それなのに、彼はなぜか内定を勝ち取り、この春、うちの孫と共にこの会社に入社した。妙だとは思わんかね? 」社長の顔からは、脂汗が吹き出してくる。「…はい。その、…申し訳ございません」言葉をつまらせながら、社長は俯いて認めた。「ちゃんと直入に言えよ、君は息子をコ入社させたんじゃないのか? 正直に答えろ」社長は「はい、そうです…」と、蚊の鳴くような声で答えた。「やっぱりそうか」私は静かに頷き、続けた。「うちは身内だからという理由だけで入社を禁止しているわけではないよしかし、内定基準を満たしていることが条件だ。それは、社長である君なら分かっていたはずだぞ」震える社長を見つめながら、私はさらに重ねる。「さらに、この調査結果によると、君の息子は清社員を見つけては立場を利用し、仕事を押し付けたり、時には成果の横取りまでしていたらしいじゃないかよ」私は資料を机に置き、宣言した。「車内の風気をここまで乱すのなら、彼を我がに置いておくことはできない今よって、米ネク守るを超会解雇とする。それと、君も不当なコ入社を斡旋したとして、研究処分とする」社長は、がっくりと肩を落とし、「…承知いたしました」と弱々しい声で返事をするしかなかった
それから数日が経過し、米ネクの嫌がらせから解放された数人は、以前のように明るい表情を取り戻し、仕事に励んでいた。れで人心をを一息ついたのも束の間、今度は、我が社の社運をかけた新プロジェクトが、ライバル企業に模放されてしまったのだっライバル企業の発表内容は、類似というレベルではなく、完全に同じだったの海に私を含め社員全員が驚愕した。さらに悪いことに、そのタイミングで大口取引先から契約キャンセルの連絡が相次ぎ、車内は連日混乱していた。原因解明の調査を急いだが、手がかりは掴めず、車内には重苦しい空気が広がるばかりだったしかし、詳しい調査を進めるうちに、先日解雇となった米ネクラのパソコンのメール履歴に、不審なやり取りが発見された年相手は例のライバル企業で、プロジェクトのファイルがいくつも送信されていたのだっメールは削除されていたが、車内のメールソフトは、削除したものでも一定期間はバックアップが保存される仕組みになっており、記録はしっかりと残っていた。そして、パソコン内からは「謎の取引先担当者一覧」というエクセルファイルまで見つかっためたそこには、取引先の担当者の名前と電話番号がずらりと並んでいたしろ、他の社員たちが見覚えがないと言うことから、米ネクが独断で作っていたものであることは明らかだったろう察するに、取引先の担当者に直接連絡をし、我が社の嘘の悪表を流していたのだえろう。つまり、解雇された腹いせに、会社を窮地に追い込むことが彼の狙いだったのだ+私は頭を抱えながら、秘書に言った。「厄介なことになったな」秘書は「米ネクという男は、悪魔のような人間ですね…正直、怖くなってきました」と呟くえ私は気持ちを引き締める。「ああ、だが、このまま手をこまねいていては、あいつの思う壺だこうなったら、私も自ら問題解決のために動くことにしよう」そう決意したその時、会長室のドアがノックされたい秘書が扉を開けると、そこには数人の姿があったっている「忙しい時にごめんかもしれないけど、今の会社の状況を聞いて、いてもいられなくて」そう言って、数人は私の元へと歩み寄ってきた。それから、じいちゃんを真っ直ぐ見つめ、言った。「じいちゃん、今回の問題、俺にも協力させてくれないか?
」私は驚いた。昔から引っ込み事案で、自分の気持ちをなかなか口にしなかった数人が、はっきりと意志を表明している。「その気持ちは嬉しいが、今回の問題は竿筋縄ではいかんぞ」と私が言うと、数人は「それは分かっているさだけど、渾新会でじいちゃんにあれだけ助けてもらったのに、会社の窮地を黙って見ているだけなんて、俺にはできないよ」と、強い眼差しで言い返した。私は、彼の成長を目の当たりにし、胸の奥が熱くなるのを感じた。同時に、どこかで彼をまだ子供扱いしていた自分が恥ずかしくもあった「分かったよ、それなら、私の仕事を手伝ってくれ」私はそう言って、早速行動を開始した。
その後、私は数人と共に、契約を打ち切られた取引先に出向くための準備を始めた私たちは、取引先に提出する報告書を作成した。
そこには、我が社の経営状況は一切悪い状態ではないこと、そして今後も互いにとってメリットがあることを裏付ける正確なデータを、細かく記したちそ後日、各取引先を訪れ、直接会って説明した。「悪表は全て虚偽であり、事実無案である」と、かず人と共に説明して回ったのた並行して、私は秘書に米ネクのさらなる調査を進めるよう命じた 結果、私の読み通り、米ネクが解雇後に各取引担当者へ連絡を行っていたことが発覚しためた一部の取引先では、車内電話が自動録音される仕様になっており、その通話音声も入手することができたたさらに、車内のサーバーログを再確認したところ、我が社のプロジェクトデータが米ネクのパソコンから不正アクセスに近い形で操作されていた痕跡も見つかり、これが決定的な証拠となったえ後日、私は法務部と協力し、米ネクに対して訴訟を起こしたっ米ネクは当初こそ自身の潔白を訴えていたが、こちらが揃えた数々の証拠を突きつけると、次第に勢いを落とし、最終的には莫大な損害賠償を支払うこととなった。当然、彼一人で支払える額ではないため、父である社長に頼ったらしいが、社長は「こうなったのは全て自分の責任である」と知らしめるために、あえて助けは出さなかったようだっ結果、米ネクは闇金で借金をし、損害賠償を支払ったものの、その後は人らしい生活はできていないようだった噂では、返済の目度が立たず、裏社会の人間に命を狙われているという話も聞こえてくる そして、社長も息子の失態にショックを受け、ほどなくして騒動の責任を取るとして辞任したっていた新プロジェクト横流し事件は、連日メディアでも大きく取り上げられたえその結果、ライバル企業は社会的信用を失い、業績がどんどん悪化していき、倒産寸前だとも噂されているい 今度こそ、ようやく平穏な日常が戻ってきた私はほっと一息ついたえ一方の数人は、というと、今回の件をきっかけに、精神面が以前より強くなったように感じるよその成長を見守ることができて、私は嬉しく思うそこれからも、私は孫の成長を影ながら見守り、そしてどんな困難が訪れても、誠意ある行動で乗り越えていくつもりだいそして、次の挑戦に備えるべく、私は決意を新たに、深く深呼吸をした


