「バーバ、僕、バーバの子が良かったな」
娘のミカが再婚した翌日の早朝。玄関先に立っていた孫の優馬を見て、私は息を飲んだ。昨日の結婚式で幸せそうに笑っていた8歳の孫が、まるで別人のようにボロボロの姿で震えていた。
「優馬、どうしたの? その格好は」
泥だらけの服は所々破れ、顔には涙の跡がくっきりと残っていた。駆け寄ろうとした私に、優馬は怯えたように後ずさりした。その時、袖から覗いた細い腕に、無数の青あざが浮かんでいるのが見えた。
38年間、小児科で働いてきた私には、それが何を意味するか瞬時に理解できた。
「これ、誰がこんなひどいことを」
震える声で問いかけると、優馬の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ママと新しいパパが、昨日の夜、もうお前はいらない子だって、物置きに閉じ込められて……」
その言葉に、私の全身に怒りが駆け巡った。ミカの離婚後、この5年間も優馬を一緒に育ててきた私に対して、あの子は何ということを。
「ご飯も、3日前から水しか飲んでない」
優馬の小さな告白が、静かな朝の空気を引き裂いた。私の中で、母としての何かが音を立てて崩れ落ちた。
絶対に許さない。我が娘であろうと、この子を傷つけた者を、私は絶対に許さない。
優馬を家に入れ、温かいお茶を飲ませながら、私は自分のこれまでを振り返っていた。
ミカが再婚してから5年間、私は優馬の本当の母親だった。朝は5時に起きて朝食を作り、保育園の送り迎え。夜は絵本を読んで寝かしつける。38年間小児科で看護師として働きながら、休日は全て優馬と過ごしてきた。
その間、ミカへの経済支援も惜しまなかった。シングルマザーは大変だからと、毎月20万円の生活費、優馬の教育費、習い事の月謝、全て私が負担してきた。通帳を確認すると、5年間で2500万円を超えていた。
「母さん、いつもありがとう。健一さんと結婚できたのも母さんのおかげよ」
昨日の結婚式で、ミカは満面の笑みでそう言った。その裏で、息子にこんな虐待をしていたなんて。
「お母さん、これからは僕たちが優馬の面倒を見ますから、もう大丈夫です」
健一と名乗る再婚相手も、調子よく私に頭を下げていた。あの笑顔の裏に、こんな悪魔が潜んでいたとは。
「バーバ、ママはもう僕のママじゃなくなっちゃった」
優馬の震える声に、私の心は引き裂かれそうだった。5年間、私が必死に守り育ててきたこの子を、実の母親が捨てようとしている。
もう我慢はしない。娘であろうと容赦はしない。優馬を守るためなら、私は鬼にでもなってみせる。ミカと健一には必ず報いを受けさせてやる。
お風呂に入れて傷の手当てをしながら、優馬は少しずつ地獄の日々を語り始めた。その内容は、私の想像をはるかに超える残酷なものだった。
「バーバ、ママが健一さんと付き合い始めてから、僕のこと嫌いになったみたい」
優馬の言葉に、私は手当ての手を止めた。
「最初は優しかったんだ。健一さんも『優馬君、これからよろしくね』って。でも、結婚が決まってから変わった」
震える声で優馬は続けた。
「ご飯をちゃんと食べさせてもらえなくなった。朝ご飯はなし。お昼は学校の給食だけ。夜は2人が外食から帰ってきた残り。それも腐りかけてることが多くて、お腹壊しちゃうんだ」
私は優馬の痩せこけた体を見て、涙が止まらなかった。5年前はぷっくりとして健康的だったこの子が、今は骨と皮だけになっている。
「お風呂も週に1回。水道代がもったいないって。でもママと健一さんは毎日入ってる。僕の部屋もなくなった。新婚生活に子供部屋はいらないって、物置きで寝るように言われて」
優馬は小さなリュックからボロボロのノートを取り出した。
「これ、僕の日記。誰にも言えないから、ここに書いてた」
震える手でページをめくると、そこには地獄の記録が綴られていた。
6月10日。健一さんに初めて殴られた。ママは見てるだけ。
7月3日。ママが「あんたなんか生まなきゃよかった」って言った。泣いた。
8月15日。3日間ご飯なし。お腹空いて倒れそう。
9月15日。健一さんが「お前みたいなゴミはいらない」って、熱いお茶をかけられた。火傷が痛い。
最後のページには、昨日の日付でこう書かれていた。
結婚式の日。ママが「もう優馬はいらない。新しい子供が欲しいから」って、物置きに閉じ込められた。死にたい。でも、バーバに会いたい。
私は日記を握りしめ、激しい怒りに身を震わせた。
「バーバ、知ってる? 僕の児童手当ても、前のパパからの養育費も、全部ママと健一さんが使ってるんだ。『お前には1円も使わない』って」
優馬は袖をまくり、腕の傷を見せた。
「これは健一さんがタバコを押し付けた跡。これはママが包丁で脅した時についた傷。これは昨日、結婚式の後、邪魔者扱いされた時」
私の理性は完全に吹き飛んだ。看護師として虐待のケースは数多く見てきたが、実の娘がここまでするとは。
「学校の先生に相談しようとしたら、ママが『余計なこと言ったら殺す』って。健一さんも『施設に入れるぞ』って脅すんだ」
優馬はポケットからくしゃくしゃになった紙を取り出した。
「これ、ママが書いてた施設への相談の下書き。ゴミ箱から拾った」
そこには、美香の字で児童相談所への相談内容が綴られていた。「手に負えない問題児」「暴力的で手がつけられない」「親権を放棄したい」という嘘の内容ばかりだった。
「バーバ、僕、本当は良い子にしてたよ。お手伝いもしたし、勉強も頑張った。でもママは『お前の存在自体が迷惑』って」
私は優馬を強く抱きしめた。この子の体温は明らかに低い。栄養失調、脱水症状、そして精神的外傷。医学的に見ても、これは命に関わる虐待だ。
「昨日の結婚式で、ママが親戚に言ってた。『優馬あ、もうすぐいなくなるから』って。みんな笑ってた」
その瞬間、私の中で何かが決定的に変わった。もはやミカは私の娘ではない。優馬を地獄に突き落とした悪魔だ。
スマートフォンで優馬の傷を全て撮影した。日記も手紙も、全て証拠として保管する。明日、病院で正式な診断書を取る。児童相談所、警察、弁護士。使えるものは全て使う。
「バーバ、僕、もうママのところに戻りたくない。死んじゃうかもしれない」
「大丈夫。もう2度と戻さない。バーバが絶対に守るから」
優馬は安心したように、私の腕の中で眠りについた。その寝顔を見ながら、私は決意した。ミカには地獄を見せてやる。法的にも、社会的にも、経済的にも、カタをつけるまで叩き潰す。2度と優馬に近づけないようにしてやる。
翌朝、私はミカに電話をかけた。
「ミカ、優馬が私の家にいるわよ」
電話の向こうで一瞬の沈黙の後、ミカの声が響いた。
「え? 何それ? 勝手に連れ去ったの? それって誘拐じゃない」
しゃぶる娘の声に、私の怒りは静かに燃え上がった。
「話があるから、健一さんと一緒に来なさい。1時間以内に」
「何よ、その命令口調。母さんこそ、人の子供を勝手に……」
私は電話を切った。もう演技に付き合う必要はない。
1時間後、ミカと健一が家に押しかけてきた。ミカは真新しいブランドのワンピースを着て、健一は高級そうなスーツ姿だった。私が2500万円支援した金で買ったものだろう。
「母さん、優馬はどこ? 早く返してよ。警察呼ぶわよ」
ミカは玄関で腕を組み、威圧的な態度を取った。
「お母さん、誘拐は重罪ですよ。穏便に済ませたいなら、今すぐ優馬を渡してください」
健一も脅すような口調で言った。
私は2人をリビングに通した。
「優馬は2階で寝ています。昨日から何も食べていなかったようで、衰弱していました」
その言葉に、ミカは慌てたように言い訳を始めた。
「それは優馬が勝手に家出しただけよ。最近、反抗期で新しいお父さんに馴染めないだけ。子供にはよくあることでしょ」
「そうですよ。優馬君は嘘つきなんです。注目を引きたくて作り話をする癖があるんです」
健一も調子を合わせた。
私は静かに立ち上がり、テーブルに証拠を並べ始めた。
「では、これらを説明してもらえる?」
まず、優馬の体の傷の写真を見せた。ミカの顔から血の気が引いた。
「これは転んだだけよ。子供はよく怪我するもの」
「転んでタバコの火傷ができるの? 包丁の切り傷ができるの?」
次に、優馬の日記を開いた。
「『ママが生まなきゃよかったって言った』『健一さんに殴られた』『3日間ご飯なし』。これも全部嘘?」
「ミカ、健一さん、言い訳を重ねるのはやめなさい」
「それは優馬の妄想よ。最近、現実と空想の区別がつかなくて。母さん、優馬は精神的に問題があるの? 私たちも困ってて」
「そうです。専門医に見せようと思っていたところなんです」
健一が援護射撃をした。
私は冷笑を浮かべた。
「なるほど。では、これはどう説明する?」
私はスマートフォンを取り出し、録音を再生した。
「お前なんかいらない子だ。新しい子供が欲しいから、お前は邪魔。施設に入れてやる」
ミカと健一の声が、はっきりと録音されていた。実は昨日、優馬のポケットに小型録音機を忍ばせていたのだ。2人の顔が青ざめた。
「これは……その言葉は……」
「これは、ミカが書いた施設への相談の下書きよ。『手に負えない問題児』『親権を放棄したい』。自分で書いたものよね」
ミカは震え始めた。健一は開き直ったように声を荒げた。
「だからなんだ。子供の1人や2人、どうしようが親の勝手だろ」
その瞬間、ミカの本性も現れた。
「そうよ。私の人生に優馬は邪魔なの。健一さんとやり直したいの。母さんには関係ないでしょ」
ついに化けの皮が剥がれた。
私は用意していた書類を取り出した。
「関係ない? 私は5年間、優馬を育ててきた。あなたは産んだだけで、母親じゃない」
「何よそれ? 私は母親よ」
「母親が虐待して、死にそうになって、それで母親?」
私は病院で取った優馬の診断書を見せた。栄養失調、脱水症状、多発性打撲、火傷、切り傷、そして重度のPTSD。担当医は「命に関わる虐待」と診断していた。
ミカと健一は顔を見合わせた。
「さらに、児童手当てと養育費の横領。これは詐欺罪にあたります」
私は通帳のコピーを見せた。優馬名義の口座から、ミカたちの口座への不正な送金記録が全て記されていた。
「母さん、これは誤解よ。優馬のために使ったお金……」
「嘘はもういい。ミカ、あなたは昨日の結婚式で親戚に言ったそうね。『優馬はもうすぐいなくなる』って」
ミカは言葉を飲んだ。
「誰から聞いたの?」
「親戚の山田さんから電話があった。心配して教えてくれたのよ。みんな、あなたたちの異常さに気づいていた」
健一は開き直ったように言った。
「で、どうするつもりだ? まさか実の娘を訴えるつもりか?」
「ええ、そのつもりよ」
私は弁護士からの書類を見せた。
「児童虐待、詐欺、刑事告訴。その準備は整っています」
ミカが泣き崩れた。
「母さん、お願い。やめて。私は娘でしょ」
「娘? 優馬を地獄に落とした人を、私は娘とは認めない」
「でも……でも……」
「児童相談所と警察にはすでに通報済み。もうすぐ来るはず」
その時、玄関のチャイムが鳴った。
「あら、もう来たみたい」
健一は逃げようと立ち上がったが、私は冷たく言い放った。
「逃げても無駄よ。優馬の傷、日記、録音、診断書、全ての証拠を提出済み。あなたたちに逃げ場はない」
ドアの向こうから男性の声が聞こえた。
「児童相談所です。田中美香さん、いらっしゃいますか?」
ミカは私にすがりついた。
「母さん、お願い。取り消して。私を助けて」
私はミカの手を振り払った。
「優馬も同じように助けを求めていた。でも、あなたは無視した。今度はあなたが無視される番よ」
児童相談所の職員が帰った後、私は本格的な制裁の準備に取りかかった。ミカと健一は一時保護という形で、当面は優馬に接触できなくなったが、これで終わりではない。
私は長年の友人である弁護士の山崎に連絡を取った。
「山崎先生、お願いしていた件、進めてください」
「わかりました。親権変更申し立て、刑事告訴、民事訴訟、全て準備できています。田中さん、本当にいいんですね。実の娘さんを」
「娘は優馬を捨てました。私も娘を捨てます」
電話を切ると、次は銀行へ向かった。38年間の貯金、退職金、全てを確認する。優馬を守り、ミカを完全に叩き潰すには、相当な資金が必要だ。
銀行では、ミカへの送金記録を全て印刷してもらった。5年間で2500万円。これらは全て優馬の養育のためという名目だった。
「これは贈与の錯誤、または詐欺による取り消しが可能です」
山崎弁護士は自信を持って言った。
次に向かったのは警察署だった。担当の刑事は優馬の傷を見て、顔を曇らせた。
「これはひどい。明らかな虐待です。傷害罪、保護責任者遺棄罪が適用できます」
「お願いします。あの子たちを、2度と優馬に近づけないでください」
私は集めた証拠を全て提出した。日記、録音、診断書、写真。刑事は1つ1つ丁寧に確認していった。
「これだけ証拠があれば、逮捕状請求は確実に通ります。早ければ明日にも」
次は市役所へ向かった。児童手当ての不正受給について相談するためだ。
「優馬君の児童手当てが、養育していないミカさんに支払われていたということですね」
担当者は深刻な表情で書類を確認した。
「これは不正受給に当たります。返還請求と同時に、詐欺での告発も可能です」
夕方、私は優馬の通っている小学校を訪れた。担任の先生は、優馬の状況を聞いて涙を流した。
「実は、優馬君の様子がおかしいことには気づいていました。でも、お母さんが『大丈夫です』というので……もっと強く介入すべきでした」
「先生のせいではありません。ミカは巧妙に隠していましたから」
先生は優馬の学校での様子を詳しく教えてくれた。給食を異常なほどがっつく姿、体育の着替えで見えた青あざ、いつも悲しそうな表情。
「裁判になったら、証言していただけますか?」
「もちろんです。優馬君のためにできることは、何でもします」
帰宅すると、優馬はまだ眠っていた。看護師の経験から、これは体が回復を求めている証拠だと分かった。点滴の準備をしながら、私は次の計画を練った。ミカの勤務先への通報、健一の会社への連絡、そしてSNSでの情報拡散。社会的制裁も必要だ。虐待する親に逃げ場を与えてはいけない。
夜、山崎弁護士から連絡があった。
「田中さん、親権変更の緊急申し立てが受理されました。また、財産保全命令も出ました。ミカさんと健一さんの口座は凍結されます」
「ありがとうございます」
「それと、養育費の件ですが、元夫からの支払い記録を確認しました。月15万円、5年間で900万円。これも優馬君のために使われていない。これも横領ですね」
「はい」
「元夫にも連絡を取りました。彼も怒っており、ミカさんを訴えると言っています」
私は優馬の寝顔を見つめた。この子のために、私は何でもする。たとえ鬼婆と呼ばれても構わない。
深夜、ミカから何度も着信があった。留守電には泣きながらの謝罪が入っていたが、私は削除した。もう遅い。
「バーバ」
優馬が目を覚ました。
「ママはもう来ないよ。バーバが守るから」
「本当にずっと一緒にいてくれる?」
「約束する。もう誰も優馬を傷つけさせない」
優馬は安心したように、また眠りについた。
翌朝、ニュースでミカと健一の逮捕が報道されるだろう。近所の人たちは驚くかもしれない。でも、それでいい。虐待の真相を世間に知らせる必要がある。
私は優馬の部屋を準備し始めた。新しいベッド、机、本棚。これから始まる新しい生活のために。ミカたちとの戦いは、まだ始まったばかりだ。
翌朝7時、玄関のチャイムが鳴り響いた。ドアを開けると、刑事が数名の警官を連れて立っていた。
「田中美香と健一の逮捕状が出ました。現在、身柄を確保に向かっています」
その30分後、ミカから電話がかかってきた。泣き叫ぶような声が聞こえた。
「母さん、警察が来た。助けて。手錠をかけられる」
「それがあなたの選んだ道よ」
「お願い。優馬のためにも、こんなこと……」
「今更、何を言っているの?」
電話の向こうで、警官の声が聞こえた。
「田中美香、児童虐待及び詐欺の容疑で逮捕する」
電話は切れた。
その日の午後、ニュースで大きく報道された。「実母による壮絶な児童虐待、祖母が告発」という見出しが踊った。ミカの勤務先である化粧品会社には、抗議の電話が殺到した。
3日後、私は優馬を連れて家庭裁判所へ向かった。親権変更の審判だった。法廷で、ミカは手錠をかけられたまま現れた。やつれた顔で、必死に言い訳を並べた。
「裁判官、これは誤解です。母が大げさに……」
しかし裁判官は冷たく証拠を確認していった。
「田中美香さん。あなたは息子の優馬君に対し、身体的虐待、精神的虐待、ネグレクト、そして経済的搾取を行いました。これらの事実を否定しますか?」
「それはしつけの範囲で……」
「しつけで火傷を負わせることが? 3日間食事を与えないことが?」
裁判官は優馬の診断書を読み上げた。栄養失調、PTSD、多発性外傷。ミカは泣き崩れた。
「また、児童手当て及び養育費、総額900万円を私的に流用した事実も認められます」
健一も隣で蒼白になっていた。
「判決を言い渡します。親権者を田中ミカから田中澄江へ変更します。また、田中美香及び健一に対し、優馬君への接近禁止命令を発令します」
ミカが叫んだ。
「いや、優馬は私の子よ。母さん、お願い!」
私は立ち上がり、ミカを見下ろした。
「あなたはもう母親ではない。優馬の記憶から、あなたの存在を消してあげる」
法廷を出ると、山崎弁護士が待っていた。
「民事訴訟の準備も整いました。2500万円の返還請求、慰謝料1000万円、合計3500万円の損害賠償請求を行います」
1週間後、ミカの勤務先から解雇通知が届いたと聞いた。健一の会社も逮捕の事実を知り、解雇したという。ミカの携帯には、誰からも連絡が来なくなった。友人も親戚も、皆が距離を置いた。
ある親戚は私に電話してきた。
「澄江さん、よく決断されました。実は前からミカさんの様子がおかしいと思っていました」
2週間後、刑事裁判が始まった。検察官はミカと健一の罪状を淡々と読み上げた。
「被告人らは8歳の男児に対し、継続的な暴力、食事制限、精神的虐待を行い、その生命に危険を及ぼしました」
法廷には、優馬の担任教師、近所の人々、そして元夫も証人として出廷した。元夫は怒りを込めて証言した。
「養育費は息子のためだと信じて払い続けていました。まさかミカが息子を虐待していたなんて。私もミカを訴えます」
ミカは必死に減刑を求めたが、裁判官は厳しい表情で判決を下した。
「田中美香、懲役3年、執行猶予なし。健一、懲役2年6ヶ月、執行猶予なし」
ミカが絶叫した。
「いや、刑務所なんて……母さん、助けて!」
私は傍聴席から、静かに見つめるだけだった。
判決後、ミカは面会を求めてきたが、私は拒否した。代わりに弁護士を通じて最後の通告を送った。「2度と優馬に関わるな。出所後も接触したら、再び告訴する」
民事裁判も、私の全面勝訴だった。ミカは3500万円の支払いを命じられた。当然、払える金などない。自己破産するしかないだろう。ミカたちの家は競売にかけられた。家具も車も、全て差し押さえられた。ミカが自慢していたブランド品も、全て没収された。
3ヶ月後、優馬は違えるように元気になっていた。体重も増え、笑顔が戻った。学校でも友達が増え、成績も向上した。
「バーバ、今日ね、テストで100点取ったよ」
「すごいね、優馬。よく頑張った」
もうママのことを思い出さなくなった。
「バーバが本当のママみたい」
その言葉に、私は涙が出た。これで良かったのだ。
半年後、刑務所からミカの手紙が届いた。便箋いっぱいに、謝罪と懇願が綴られていた。
「母さん、私は最低の人間でした。優馬を傷つけ、母さんを裏切りました。でも、もう1度チャンスを……」
私は手紙を破り捨てた。チャンスは何度も与えた。ミカはその全てを踏みにじった。
1年後、地元の新聞に小さな記事が載った。「虐待、出所後も孤独、支援者なく生活困窮」。ミカは刑期を短縮されて出所したが、帰る場所はなかった。仕事も見つからず、生活保護を受けているという。健一とは拘置中に離婚し、彼も出所後は行方不明になった。
優馬の9歳の誕生日、私たちは盛大にお祝いをした。友達もたくさん呼んで、楽しいパーティーになった。
「バーバ、僕、幸せだよ。バーバの子になれて、本当に良かった」
「私も、優馬を守れて幸せよ」
その夜、優馬は私に聞いた。
「バーバ、ママはどうして僕を嫌いになったの?」
私は優馬を抱きしめた。
「ママは病気だったの。心の病気。でも、それは優馬のせいじゃない」
「僕、もうママのこと許してもいい?」
「優馬が決めることよ。でも、許すことと、また一緒に暮らすことは違うからね」
「うん。分かった。僕はバーバと一緒がいい」
2年後、ミカから1度だけ「遠くから優馬を見たい」という連絡があった。私は拒否した。優馬は新しい人生を歩んでいる。過去の亡霊に、その幸せを壊させはしない。
ミカと健一は全てを失った。仕事、家、家族、友人、社会的信用、そして未来。これが、子供を虐待した者への報いだ。
一方、優馬は愛情に包まれ、健やかに成長している。正義は確実に実現された。
3年後、優馬は11歳になっていた。すくすくと健康的な体つきになった彼は、もう昔の面影はない。今日は優馬の小学校の運動会だった。
「バーバ、見てて。今日のリレー、絶対1位取るから」
朝から興奮気味の優馬を見て、私は心から幸せを感じた。3年前、ボロボロの姿で玄関に立っていたあの子が、今はこんなに輝いている。
運動会では、優馬は約束通りリレーで1位になった。ゴールした瞬間、真っ先に私の方を向いて手を振った。
「バーバ、やったよ!」
周りの保護者たちが温かい目で見守ってくれた。皆、事情を知っている。最初は好奇の目もあったが、今では温かい応援に変わっていた。
帰り道、優馬が突然言った。
「バーバ、僕、将来医者になりたい」
「医者? どうして」
「バーバみたいに、傷ついた子供を助けたいんだ。僕みたいに苦しんでる子供がいたら、助けてあげたい」
私は涙が込み上げてきた。この子は自分の辛い経験も、他者を助ける力に変えようとしている。
「素敵な夢ね。バーバも応援するよ」
「うん。頑張る」
その夜、優馬が眠った後、私は日記を開いた。この3年間の記録が、びっしりと綴られている。最初の頃は、優馬の悪夢やパニック発作との戦いだった。夜中に「ママが来る」と泣き叫ぶ優馬を、何度抱きしめたことか。カウンセリングに通い、少しずつ心の傷を癒していった。1年後には笑顔が増えた。2年後には友達を家に呼べるようになった。そして3年後の今、優馬は完全に立ち直った。
ミカのその後も、風の噂で聞いていた。出所後、生活保護を受けながら安アパートで1人暮らし。仕事は日雇いの清掃員。かつての華やかな生活は、もう2度と戻らない。健一は出所すぐに姿を消した。借金取りに追われ、逃亡生活を送っているという噂もある。
ミカの元夫は、養育費を私に直接振り込むようになった。
「息子のために使ってください。ミカには2度と渡しません」
皆が優馬を支えてくれている。血の繋がりではなく、愛情で繋がった本当の家族ができた。
ある日、学校の保護者会で児童虐待についての講演を頼まれた。私は自分の経験を話した。
「実の娘でも、孫を虐待していたら告発する。勇気が必要でした。家族の絆に縛られて、子供を犠牲にしてはいけません」
講演後、1人の母親が近づいてきた。
「実は、うちの姉が子供を……でも、身内だから言い出せなくて」
「今すぐ行動してください。子供の命に躊躇はいりません」
私の経験が、他の子供を救うきっかけになればいい。
優馬の12歳の誕生日、サプライズがあった。
「バーバ、これ」
優馬が手作りのアルバムを渡してくれた。開くと、この3年間の写真がぎっしり。そして最後のページには、優馬の手紙があった。
「バーバへ。僕を救ってくれてありがとう。バーバは僕の本当のお母さんです。血は繋がっていないけど、心で繋がっている。僕は世界一幸せな子供です。大好きだよ、バーバ」
私は泣いた。嬉し涙だった。ミカを告発したことを、1度も後悔したことはない。あの時行動しなければ、優馬は今頃どうなっていたか。もしかしたら、命さえ失っていたかもしれない。
実の娘を失った悲しみはある。でも、それ以上に優馬という宝物を守れた喜びの方が大きい。
私は今年で71歳になった。あと何年、優馬と一緒にいられるかわからない。でも、優馬が成人するまでは、必ず見守り続ける。それが私の使命だ。
夕暮れ時、優馬と公園を散歩した。
「バーバ、僕、約束する。大人になったら、今度は僕がバーバを守るよ」
「ありがとう。でも、バーバは優馬が幸せなら、それでいいの」
「僕は幸せだよ。バーバのおかげで」
手をつないで歩きながら、私は思った。正義は必ず勝つ。子供を虐待する者には、必ず報いが来る。そして、愛情は血縁を超える。これが、私たちが証明したことだ。
ミカと健一は全てを失い、孤独の中で生きている。一方、優馬と私は愛と幸せに包まれている。これが因果応報というものだろう。
虐待に苦しむ子供たちへ。諦めないで。必ず助けがある。そして、大人たちへ。子供の小さなSOSを見逃さないで。行動する勇気を持って。
私たちの物語が、誰かの勇気になることを願っている。



