飲み会の店に着いて、三村が店員に告げた人数は「14人」。俺は社員として数えられていなかった。三村は後ろの連中と一緒になって、ニヤニヤと意地の悪い笑いを浮かべながら俺を見ている。なるほど、そういうことか。
「お前みたいな使えねえ脳なしを社員として扱えるわけねえじゃん。お前なんかバイトだよ」
大の大人が、こんな幼稚な嫌がらせをして恥ずかしくないんだろうか。俺は言い合うのが馬鹿らしくなって、冷静に返した。
「俺は社員じゃないようなので、帰ります」
「おお、帰れ帰れ」
笑い声を背中に聞きながら、俺はさっさとその場を離れた。
俺の名前は川村高一。高校卒業後に今の会社に入り、もうすぐ丸5年になる。決して頭がいいとは言えないが、好きなことに打ち込む集中力と、コツコツ続けることには自信があった。うまくいかなくても諦めずに続ければ、最後にはできるようになる。その努力が形になる過程が好きだった。
会社は小さく、従業員は俺を含めて15人しかいない。高卒は俺だけで、そのせいか周りからの当たりはきつかった。それでも仕事は嫌いじゃなかったし、雇ってくれた社長には恩義も感じていた。真面目に打ち込んでいれば、周りの目も変わると思っていた。
しかし、期待とは裏腹に態度が良くなることはなかった。
「おい川村。これ、今度からお前の仕事な」
一つ上の先輩である三村が、大量のファイルを俺の机の上に積んだ。先週退職した社員が担当していた仕事だ。
「でも、これ社長が新しい人が入るまで全員で担当するって言ってたやつですけど」
「だから、俺たちはお前と違って忙しいんだよ。後輩なら先輩の命令に素直に従え」
そう言い放って、三村は他の社員たちを連れてランチに出かけた。
こうして仕事や雑用を押し付けられるのは今に始まったことじゃない。ランチに誘われたことなんて一度もない。別に仲良くなりたいとは思わないけど、ここまで煙たがられるとさすがにしんどい。それでも、文句を言っても仕方ない。できるのは真面目に努力を続けることだけだ。
営業でもそれは同じだった。真摯な態度で足しげく通い、新しい契約を取れるようにもなった。社長からは「次のボーナスは期待していいぞ」と言ってもらえた。俺は気合いを入れ直して、仕事に取りかかった。
それから数ヶ月後、社長の好意で従業員だけの飲み会が開かれることになった。幹事は三村。当日は全員定時で上がり、予約してある店へ向かった。
「14人で予約した三村ですけど」
14人。従業員は15人で、今日は誰も欠席していないはずだ。不思議に思っていると、三村がこちらを見て何やら企んでいる顔をしているのに気づいた。嫌な予感がしたが、気にしないことにして店に入ろうとすると、三村が俺の前に立ちはだかった。
「おいおい、お前はここまでだから」
「え、どういうことですか?」
「社員は14人です」
その言葉に、後ろの連中もまたニヤニヤし始めた。三村は最初から、俺を除いた14人分しか予約していなかったのだ。
「お前みたいな使えねえ脳なしを社員として扱えるわけねえじゃん」
俺は言い合うのも馬鹿らしくなって、冷静に「俺は社員じゃないようなので帰ります」とだけ言って、その場を立ち去った。笑い声を背中に浴びながら。
それからさらに数週間後のこと。俺がデスクで荷物をまとめていると、気づいた三村が近づいてきた。
「あれ? 何、辞めさせられたの?」
「いえ、自主退職です」
「強がるなよ。とうとうお前の無能ぶりが社長の耳にも届いたんだろ。かわいそうにな」
言い返そうとしたその時、部屋のドアが開いて社長と年配の男性が入ってきた。
「こういち、準備できたか?」
「あ、父さん」
「父さん? その年になってパパに迎えに来てもらうのかよ」
三村の言葉に他の社員たちは笑い始めたが、社長の顔は一気に青ざめていく。
「お前ら、川村社長にご挨拶しないのか?」
「え? 川村社長?」
「まさか、川村薬品のことを知らないのか? うちの一番の取引先だぞ!」
社長の怒鳴り声に、三村たちは一気に顔面蒼白になった。
そう、実は俺は、この会社が取引している中で最大手である川村薬品の社長の息子なのだ。将来父の会社を継ぐために、大学ではなく早く現場の仕事を覚えることを選び、高卒で就職した。しかし父の会社に入れば「社長の息子」という色眼鏡で見られるのが嫌で、父に頼み込んで、当時の社長の了承を得て、ここに入社させてもらったのだ。社長には、俺の正体を他の社員に秘密にしてほしいと頼んでいた。
三村たちは俺に興味がなかったから、わざわざ口裏を合わせなくてもバレることはなかった。三村たちは俺がどの取引先を担当しているのか全く把握していなかったから、会社で一番の取引先を俺が担当しているとは思ってもみなかったのだろう。もちろん最初は社長が担当していたが、俺が営業に出るようになってからは、社長が俺に引き継いでくれたのだった。
「まさか、この無能が川村薬品の社長の息子だったなんて…」
「君たちは、そうやって高一君を見下して、飲み会でも彼を弾いたそうじゃないか」
「そ、そんな…」
「高一君からも聞いたけど、君が使った居酒屋の店長さんからも連絡が来たんだよ。あそこの店長は俺の昔馴染みでね。同じ会社の社員に対してあんなことをして、周りも煽るなんて問題じゃないかと言われた」
その話を聞いた社長は、慌てて俺を呼び出して詳しい事情を聞いた。俺は隠す必要もないと思い、飲み会のことや、今まで三村たちからされてきた仕打ちを全て打ち明けた。
社長は深く謝罪してくれ、今後どうしたいかと聞いてくれた。正直、三村たちに囲まれて仕事をすることが嫌になり始めていた俺は、これを機に父の会社へ転職することを決めた。父からも「今なら入社しても、しっかり仕事を続けていればやっていけるだろう」と評価してもらっていた。
「高一から話は聞いていたが、まさか本当にこんなに環境が悪いとはな」
「はい。本当に申し訳ございませんでした」
父に頭を下げる社長を前に、三村たちはただ冷汗を流して立ち尽くすだけだった。
「いえ、社長は悪くないですから。むしろ、ここで働けたおかげで多くのことを学べました」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。引き継ぎの方は問題なさそうかい?」
「はい、資料は出来上がってます」
俺が引き継ぎ資料が入った箱を指さすと、部屋の隅に積まれた箱の山を見て三村は驚愕の表情を浮かべた。箱の数は数十もある。
「紙のものはこれだけですが、PCの共有ファイルにもあるので確認してください」
三村たちが慌ててPCをいじり始め、俺の作ったファイルを開くと、目を大きく見開いて固まった。
「う、嘘だ…。お前がこんなに多くの業務をこなしていたなんて」
「担当取引先なんて、この会社の半分以上あるじゃないか」
「嘘じゃないですよ。だって、三村さんたちの中で、誰か担当したもの、ありますか?」
三村たちは顔を見合わせ、首を振り合った。俺はこの5年間、雑用や事務作業を全て押し付けられてきた。三村たちは「担当者が厄介だ」とか「取引先が小さいから」とか言い訳をして、たくさんの取引先を俺に振ってきた。さらに、先日退職した社員の分も全て押し付けてきたので、こんな莫大な量に膨れ上がったのだ。
俺は頼まれた仕事は全て引き受け、毎日遅くまで残業してこなしていたが、三村たちは気にすることもなく皆で上がっていた。不満はあったが、今にして思えば、全て自分の能力向上につながったと思える。だからと言って、三村たちを許すつもりはないが。
「君たちは、今まで高一君に押し付けて楽をしてきたんだろ。これからはそんなこと許さないからな。各分担は俺の方で決めておいたから、文句を言わずにやってもらうぞ」
青ざめた顔で立ち尽くす三村たちに、俺は頭を下げて父と共に会社を出た。
父の会社に転職してから1ヶ月後のこと。前の会社と今の会社は徒歩で30分ほどの近い距離にあり、俺が営業で外に出た時に三村に遭遇した。三村は俺の姿を見つけると、慌てて駆け寄ってきて立ちはだかった。
「三村さん、お久しぶりです」
「何度も電話したのにお前、なんで出ないんだよ」
俺が会社を去ってから、三村から何度も電話がかかってきていたが、一切出ずに無視していた。だって、もう別の会社の人間だから。
「5年も世話になった先輩の電話を無視するとか、偉くなったもんだな」
「で、何なんですか?」
「お前がいなくなってから大変なんだよ。早く会社に戻ってこい」
三村の話によると、俺から引き継いだ仕事を社長が社員全員に振り分けたせいで、三村たちは毎日残業するはめになっているらしい。業務が滞り、納期を守れなかったりすることが増え、取引先からの信頼も低下。そのせいで何件もの取引先から契約を切られ、会社の経営は傾いてきているのだとか。社長はリストラを決め、三村がリストラ対象の筆頭なのだという。
「お前が戻ってくれば、またお前に押し付けて俺は営業に回ることができて、リストラを回避できる。だから、さっさと戻ってこい」
三村の態度を見るに、奴は一切反省していないようだ。俺はため息をついて、提案をばっさりと切り捨てた。
「戻りませんよ。そもそも、俺は三村さんから見たら社員じゃなかったんですよね。アルバイトのような俺がやってきた仕事くらい、三村さんたちなら楽勝でこなせるんじゃないですか?」
「お前は小さいことを根に持ちやがって」
「今までほとんど残業もしないで楽しんできたんですから、今が踏ん張り時だと思いますよ」
「うるせえな! 俺がリストラされたらお前の責任だからな。責任とって、お前の会社で俺を雇えよ」
勝手に人に責任をなすりつけて意味の分からないことを言ってくる三村に、呆れるしかなかった。
「そんなことできるわけないじゃないですか」
「なんでだよ。お前が父親に頼んでくれればいいだけじゃねえか」
「息子に頼まれても、君みたいな人間を雇うつもりはない」
俺の後ろから急に父の声が聞こえて、驚いて振り向くと、険しい顔をした父が腕を組んで立っていた。部下を従えているところを見ると、どこかに出かける途中のようだ。
「げ…、川村社長…」
父の顔を見た三村は、あっという間に青ざめていく。
「我が社に、チームプレイを大切にできない人間は必要ない。今日のことは、君のとこの社長にきっちり報告させてもらうからな」
父が言い放つと、三村は俯き、拳を握りしめて震え始めた。そんな三村の横を通り過ぎようと俺が歩き出すと、三村はカッと顔を上げて唐突に俺に殴りかかってきた。
「お前のせいで!」
俺は三村の拳を間一髪でかわすと、その腕を取って地面に組み伏せた。実は俺は高校時代柔道部に所属しており、今でも暇があれば後輩の指導のために部活に顔を出している。そのおかげで体が自然と動き、三村を取り押さえることができた。
「くそ! 離せよ!」
「つくづく、どうしようもない野郎だな、君は」
俺は暴れ続ける三村を押さえたまま、父に頼んで警察を呼んでもらった。駆けつけた警察に三村は連行されていき、俺は約束に遅れそうだったため、急いで取引先へ向かった。
その後、警察から訴えるかどうかの確認の連絡が来たが、実際に殴られたわけでもなかったので、俺は訴えることはしなかった。しかし当然、三村の会社には連絡が行き、社長の耳にも入ったらしい。そこに俺の父がクレームの電話を入れたことで、社長は激怒し、三村を解雇したそうだ。
さらに、三村は今まで定時で上がってまっすぐ家に帰っていたわけではなく、浮気をしていたらしい。残業続きでなかなか会えなくなって不満に思っていた浮気相手が、会社を首になった三村を見限り、奥さんに浮気を暴露した。怒った奥さんは三村に離婚を突きつけ、慰謝料を請求した上、家を追い出したそうだ。
仕事も住む場所も失い、高額の慰謝料の支払いもしなければいけなくなった三村は、泣く泣く田舎の実家に帰っていったのだとか。まさに因果応報だろう。今回のことで三村がしっかり反省し、生き方を立て直してくれればいいのだが。
俺はと言うと、今は父の会社で営業部長として働いている。高卒でも若い俺が急に部長に抜擢されたことで、周りからは驚きの声が上がったが、それもすぐに収まった。役職を笠に着たりせず、率先して現場に足を運び、部下とのコミュニケーションもしっかり取るように心がけたことで、皆に理解してもらい、認めてもらうことができたのだ。
ちなみに、前の会社ともちゃんと取引を続けていて、迷惑をかけたお詫びにと新しく手掛けることになった案件の契約を持っていくと、社長はとても喜んでくれた。新しく担当になった人は、俺を見下していた社員の1人だったが、今はもうわだかまりも解けて、真摯に契約を進めてくれている。
今回の一件で、俺は学歴が低くても頭が良くなくても、諦めずに日々努力を重ねていけば必ず結果は出るのだということを、身を持って知ることができた。今後はいつか父の会社を継ぐために、勉強しないといけないことも多くなるだろう。分からないことばかりだと分かっているが、俺は今後も諦めずに努力を続けて、前に進み続けるつもりだ。そして、自分自身の人生を切り開いていき、絶対に幸せを掴み取って見せると決意を固めた。



