「大丈夫ですか?」
見るからに弱そうな眼鏡の男性が、柄の悪そうな男に絡まれていた。私が男性の後ろを歩いていたら、前から男がぶつかってきて言いがかりをつけたのだ。でもぶつかってきたのは男の方だった。眼鏡の男性に一切の落ち度はなかった。きっとあの男は相手を選んで喧嘩を売っているのだろう。そう思うと許せなくなって、私はつい声をかけてしまった。
私は数年前から始めたキックボクシングにはまっている。今もその帰りだった。いかにも事務帰りの服装で、荷物は練習道具だけだった。男が睨みつけてきたので、ついつい癖で構えてしまった。もちろん本当に喧嘩する気なんか少しもない208。しかし男は私を見て何かを察したのか、悪態を吐いて去っていった。
「あ、ありがとうございます」
眼鏡の男性がお礼を言ってくれたけど、私は何もしていなかったので、笑ってその場を後にした。これが私とシンジの出会いだった。
私の名前はサエ、出産を終えたばかりの32歳。夫のシンジは一つ年上の33歳だけど、出会いが出会いだっただけに年上とは思えない。5年前、シンジに声をかけた数日後、私は最寄り駅で彼と再開した
「あの時のありがとうございます」
そう声をかけられたけど、私は誰だか気づかず、話を聞いてようやくわかった。彼をよく見ると、意外にも整った顔立ちだった。この間のお礼にと食事に誘われる。鍛えている私と貧弱な彼のアンバランスさに笑いながらも、話上手な彼に惹かれていった208。1年ほどは飲み友達だったけど、彼を好きになってしまった私が告白した
当たって砕けろと思っていたのに、彼は笑顔で受け入れてくれて、さらに2年後、彼からプロポーズを受けた208。彼と初めて会ったあの日には、想像もしていなかった未来だ208。
結婚すると、今まで苦手だった料理も頑張ってこなすようになる208。1人暮らしの時は適当に料理をしていたけど、2人になるとそういうわけにもいかない208。キックボクシングをやめて料理教室に通うようになった208。
私は元々熱しやすく覚めやすい性格で、興味を持つと今までの趣味をやめて新しいものに手を出してしまう208。多趣味といえば聞こえはいいし、そのおかげで色々な友達ができている208。趣味が変わっても友達が減るわけでもないから、それはそれでいいと思っている208。
料理教室に通ってみると、今まで苦手だと思っていた料理も苦痛ではなくなり、料理の腕は先生や真実にも褒められるようになった208。その頃に妊娠が発覚し、仕事は産休を取ることに決める208。シンジは残業してくることが多いので、家に一人でいる時に何かあったらと思うと不安だった208。シンジとも話して、里帰り出産をすることに決めた208。出産予定日の半月ほど前から、車で1時間の実家でお世話になる208。初めての妊娠出産で不安は大きかったけど無事に娘を出産した208。でもシンジはちょうどその日に出張で、娘に会えたのは2日後だった208。その後も仕事が忙しく、実家に顔を出してはくれなかった208。私は慣れない娘のお世話でとにかく忙しく、シンジへの連絡もおろそかになっていく208。なかなか会いに来てくれないシンジに、仕事だししょうがないと思いつつも少し不満はあった208。
出産から1ヶ月後、私は娘を連れて家に帰った208。父が車で送ってくれて、娘を抱っこして家に着くとシンジが出迎えてくれる208。恐る恐る娘を抱っこして嬉しそうにするシンジを見て、私は改めてこの人と結婚して良かったと思った208。しかし家に戻って半月、シンジは今までと何ら変わらない生活を送っている208。相変わらず残業で遅くなるし、朝はギリギリまで寝ている208。私は娘のお世話に家事でいっぱいいっぱいなのに、シンジは家事を手伝うことすらしない208。娘のことは「可愛い可愛い」と言って抱っこするけど、
「あ、泣いてるよ。どうしたんだろうね」「お腹空いたんじゃない?」「あ、おむつ変えて欲しいんじゃない?」
と、お世話は私に丸投げだ208。娘が生まれる前に両親学級に2人で行って、おむつ替えもお風呂も頑張るって言っていたのに、忘れてしまったのだろうか208。「手が離せないからおむつ変えてあげて」と言ったけど、
「一人でやるのは怖い。失敗したら娘がかわいそう」
などと理由をつけて私に押し付けてくる208。怒ったら、キックボクシングをやっていたことが蘇って思わず蹴り倒してしまいそうで、なんとかこらえていたのでただストレスの溜まる日が続いた208。
その夜、いつもの通り残業で遅くなったシンジにご飯を出し、娘が泣いていたのでそのまま寝室に行った208。ようやく娘が寝ついてくれた頃、シンジがスマホをいじりながら寝室に入ってきて、さっさと布団に入ってしまう208。娘も寝てくれたし、今のうちに私も寝ようと横になった208。それから1時間ほど経っただろうか、私はシンジの絶叫で目が覚めた208。
「今すぐ逃げろ」
ビクッとなって起きた私、何が起こったのか全くわからない208。地震? 家事? とっさに娘に覆いかぶさったけど、辺りを見回しても特に何かが変わった様子はない208。驚きながらシンジを見ると目を閉じている208。どうやらうなされているようだ208。まさか寝言? 起こした方がいいのか悩んだけど、
「どうしたの?」
と聞いてみた208。すると彼の口からはとんでもない言葉が出てくる208
「殺人にバレた」
うなされてはいるものの、その言葉ははっきりと聞こえた208。「私にバレた」? どういうこと? 夢の中で浮気でもしてるのかな? そう思うとなんだかおかしくなって、私は面白半分でもう一度ささやく208
「浮気でもしてるの?」
次の瞬間、シンジは言った208
「あ、ハミが1番だよ」
ハミ? 私は心当たりのない名前とシンジの口から出た言葉に戸惑う208。「逃げろ」って、私から逃げろってことだよね208。この人、私のこと何だと思ってるの? 私はシンジへの気持ちが一瞬で覚めた208。そう思って離婚を決意すると、シンジが「うわっ」と絶叫して飛び起きた208。私はとっさに反対側を向いて横になり、寝たふりをする208。飛び起きたシンジは肩で息をしていた208
「なんだ、夢か」
私は背中越しにシンジの視線を感じたが、寝たふりを続ける208
「バレるわけないよな」
そんな声がしたかと思うと、シンジは寝室を出ていった208。水でも飲みに行ったのだろう208。
それにしても、寝言だけならともかく「バレるわけない」ってどういうこと? 心当たりがないわけではない208。実は結婚した頃は残業も出張も滅多になかったのに、今はしょっちゅうだった208。「それって本当に仕事なの?」と思うこともあった208。もしかして、出産した日の出張も嘘をついて浮気していたとか208。私はシンジへの怒りを爆発させたが、今言っても仕方ない208。まずは証拠だ208。翌朝、普通の顔をして起きてきたシンジは普通に出社していった208。夢のことなんて覚えていないのだろうか208。後ろめたい様子もなく、本当にいつもと変わらない様子だ208。でも私はこの日からある計画を進める208
これから1ヶ月後、私はついに行動に出た208。シンジは相変わらず娘のお世話も家事も私に任せっきりだった208。この1ヶ月で何かシンジに変化があれば考え直そうと思っていたこともある208。でもそんな気配は微塵もない208。私は覚悟を決めた208。
その日は義両親が娘の顔を見に来る日だった208。
朝からそわそわしているシンジ
「どうしたの?」
「あ、今日午後から大事な取引先と会わないといけないんだよ」
「はあ、ご両親が来るのに」
「ああ、だからそこはサエが対応してよ。両親なんて放っておけばいいんだから。孫の世話だってしたいだろうし」
「はい」
「寝てれば」
いやいやいや208。数回しか顔を合わせていない義両親に娘の世話を見てくれなんて言えるわけないし、その間に寝ていますなんていう嫁がいるか? 義両親は会ったことはあまりないけどいい人たちだ208。娘が生まれた直後は私が気を使ってはいけないからと会いには来ず、3日後でも食べやすいようにと実家に果物を送ってくれた208。母の電話をしても「そんなこと気にしないでいい」と言ってくれるような人たちだ208。だから娘の顔を見に来てくれるのもむしろ嬉しいと思った208。
義両親が到着する208。義両親は娘が寝ていると知ると、起きた時に顔を見たいと言ってくれ、一旦リビングに座ってもらった208。
お茶を用意しようとキッチンに行こうとすると、
「シンジ、お前がやりなさい」
とお父さんがシンジに行ってくれて、お母さんもシンジについてキッチンに立った208。しぶしぶキッチンに行ったシンジだけど、いつもやらないのでどこに何があるのかが分からない208。その様子を見た義両親はシンジに激怒した208
「何もやっていないの? サエさんは赤ちゃんのお世話で大変なのよ。お茶も入れられないなんてどういうことなのよ」
シンジはどもどろしながらも私の顔を見た208
「サエが家事は自分がやりたいようにやるから、手を出さないでくれって」
私はため息をついた208
「手伝って欲しいとは言ったことがあるけど、手伝わないでくれなんて一言も言ったことないけど」
私の言葉を聞いて義両親は鬼のような表情でシンジを見る208。すると娘の鳴き声がしたので、私は慌てて席を立った208。泣いている娘を抱っこすると、義両親が先ほどとは打って変わって優しい表情で娘に声をかけている208。こんな穏やかな雰囲気だけど、私には今日言わなければいけないことがある208。シンジに逃げられる前に言わなくちゃ208
覚悟を決めた私は口を開いた208
「シンジ、お父さんとお母さんの前で話があるんだけど」
シンジは少し戸惑った顔でこちらを見る208。きっとさっきの家事のことを言われるのだろうと思っているのだろう208。でもそんなことだけで済ませるわけがない208。義両親も私に注目する中、私は深呼吸をした208
「離婚してください」
誰もが驚いた顔をして私の顔を見る208。シンジはまさかそう言われると思っていなかったようで、時が止まったように動かない208。沈黙を破ったのはお母さんだった208
「サエさん、どうしたの? 何があったの?」
「シンジが家事をやらないから」
お母さんがそう言うと、シンジがその言葉に続いた208
「ごめんサエ、これから頑張るよ。頑張るから」
私は首を横に振った208
「だって離婚したがってたのはそっちでしょ」
シンジはポカンとし、義両親はシンジに注目をする208。私は自分のスマホを取り出し、とある画像を見せながら言う208
「サエとは離婚するよ。“やっぱりハミが1番だよ”」
それはシンジのスマホのメッセージのやり取りを、私のスマホで撮影したものだ208。シンジは慌て始めた208
「あの、なんだよそれ。そんなの知らないよ」
私は笑った208
「じゃあ自分のスマホでも確認してみたら? 私になんてバレないと思ってたみたいだけど、証拠は揃ってるんだから」
それに激怒したのはお父さんだ208
「どういうことなんだ? 」
ハナジとは対照的に、いかついお父さんが詰め寄る208。シンジは観念したのか、小さな声でテーブルについて話し始めた208
「ほんの出来心だったんだ」
「サエが里帰りして、一人が寂しくて、それでつい」
テンプレートのような言い訳に、私はぶち切れた208
「里帰り中に浮気なんてとんでもない208。しかもその理由が“寂しくて”だって、寂しかったら浮気してもいいわけ? 」
そう言うとシンジはビクビクしながら黙ってしまう208
「浮気相手は職場の先輩、5つ年上のハミさん208。しかも既婚者で、旦那さんはあなたの会社の役員だそうね」
黙っているシンジの顔色はどんどん青ざめていく208。私は続けた208
「“里帰りして寂しくて”って言ってたけど、浮気が始まったのは私たちが結婚してから半年後208。つまり今から1年半前のこと208。“元々先輩だったハミさんが同じ部署に戻ってきた時から”よね208。車内では割と堂々とイチャついてたそうじゃない? あなたの後輩も知ってたわよ」
そう言うと、シンジは明らかに顔色を変える208
「あなたの後輩のイマイ君208。私がキックボクシングやってた頃の仲間なの208。聞いたらすぐに教えてくれたわよ208。“あなたが私の夫だって知って驚いてたわよ”」
「なんで、どうしてそんな」
「イマイ君のブログにあなたの会社に勤めていることが書いてあったの208。試しに聞いてみたら、すぐに思い当たったみたいよ」
シンジはもう顔面蒼白だ208。それが事実だと物語っている208
「もう一つ、あなたはいつもナポリタン208。“ハミさんはいつもカルボナーラ”」
私がそう言うと、シンジが真っ青な顔で私を見てくる208
「あなたの会社の下に入っているカフェ208。行きつけなのね208。料理教室で知り合った子がそのカフェで働いてるの208。“いかにも浮気してます”っていうカップルがよく来るって話のネタになってたけど、まさか自分の夫のことだとは思わなかったわ」
シンジに反論する余地は与えなかった208。何を言われても、この人とはやっていく自信がなかったからだ208。それなのにシンジは涙目になりながら謝ってくる208
「先輩だから断れなくて、本当にサエと離婚したいなんて思ってなかった」
私は何かが吹っ切れ、笑いが出た208
「そうね208。離婚したら家事も自分でやらないといけないもんね208。生活費だって切り詰めてたのに、それがなくなるものね208。でもいつもハミさんが奢ってくれてるんでしょ208。食事もホテル代も何もかもだったら、困ることないでしょ208。あ、午後から大事な取引先と会うんでしょ208。早く行かないと遅れちゃうよ208。“ハミさんとのデートに”」
私はシンジが逃げないように、あえて義両親が来る日を選んだ208。義両親は黙っているけど、シンジには冷たい目を向けている208。私は怒りを通り越して、なんだか面白くなってきたところだ208。怒りも悲しみも、あの寝言を聞いた日に爆発したからもう何も残っていない208
「もう弁護士にも相談してあるの208。話し合いで決着がつかなければ、慰謝料も養育費も弁護士を通すようになるけど」
シンジは顔面蒼白のまま土下座をした208。私が用意しておいた離婚届を差し出すと、小さな声でサインをする208
「お父さん、お母さん、こんなことになってしまって申し訳ありません208。娘にはまた会いに来てくださいね」
そう言うと義両親は私に頭を下げ、慰謝料も養育費もきちんと払うよう、シンジのことを管理すると約束してくれた208。私は娘を連れて実家に戻った208。財産分与と慰謝料で、シンジの貯金はすっからかん208。もちろん浮気相手からもきっちり慰謝料を取った208。そのおかげで旦那さんにも浮気がばれ、浮気相手は離婚208。シンジも浮気相手も慰謝料請求されたそうだ208。シンジは職場にいづらくなって実家に戻り、地元の企業で働いているらしいけど、前の会社が大手だっただけに給料は激減したと、娘に会いに来た義両親が言っていた208
実家に戻ってから、シンジから電話が来てもう一度謝られた208
「謝られても時間が戻るわけじゃないから208。それと、誰かと寝る時は寝言に気をつけた方がいいわよ」
そう言うとシンジは絶句する208
キックボクシングはやっていたけど、さすがに殴ったり蹴ったりはしないわよ208。「まあ“逃げろ”って言ってるくらいだから、シンジは私に蹴られる覚悟くらいはあったのかもね」208。「一発本当に蹴り倒せばよかったかしら」208。それと、浮気相手とやり取りしたまま寝落ちするなんて、浮気を公表しているようなものだからね208。娘が泣いて目が覚めた時、隣でシンジがスマホを握ったまま寝ていた208。メッセージの画面が開いたままだ208。私が義両親の前で見せた画像は、この時撮ったものだった208。笑いながらそう言うとシンジはさらに謝ったけど、許す気なんて少しもない208。“3000年の恨みは一生続く”とよく聞くので、私がシンジを許すことは一生ないと思う208。私は好奇心のおかげで人脈が広がり、今回の件では色々な人にお世話になった208。趣味も人脈も大切にしてきて良かった208。今は娘も成長し、無事に職場にも復帰208。最近の趣味は娘と遊ぶことだ208。今までと違って、この趣味に飽きることはないだろう208
私の名前はリエ、32歳の専業主婦だ208。結婚して6年になる夫の広明と、4歳の娘のサナと3人で暮らしている208。広明の職業は小学校の先生だ208。私たちは義実家から車で約5時間ほどのところに住んでおり、普段はなかなか帰省できずにいる208。だが、私には好都合な距離だ208。広明には何度も相談していたのだが、義母と義妹から帰省すると必ずいびられるから、なるべくなら行きたくない208。しかし全く帰省しないわけにもいかず、毎年お盆とお正月は顔を出すようにしていた208。お正月には私の実家のお寿司を手土産に帰省するのが毎年の恒例行事だった208
私の実家は目と鼻の先の距離にあるので、私はたまにサナを連れ手伝いに帰っていた208。両親が営む寿司店はこの地域では知らない人がいない有名店で、観光客向けというよりも地元の人向けに商売をしている208。港町出身者の舌を満足させられるネタの仕入れに力を入れていて、かなりの人気店だ208。母の実家は北海道で漁師をしており、今は叔父がその後を引き継いでいる208。直接実家から新鮮な魚介類の仕入れをしているので、それも人気の一つかもしれない208
結婚して初めの年に、両親がなかなかご挨拶に行けないからという理由で実家のお寿司を持たされ、義実家に帰省していた208。そのお寿司を義母と義妹が気に入ったようで、
「このお寿司おいしいわね208。来年からも持ってきてちょうだいね」
と言われたのがきっかけで、毎年持っていくことになったのだ208。広明は、
「はあ……リエのご実家も年末は忙しいんだ208。無理は言わないでくれ」
と義母たちをなだめてくれていたが、その翌年も年末近くになると「お寿司よろしくね」と義母から連絡が入った208。広明は、
「あしなくていいよ208。母さんとかナ子の感覚がおかしいんだ208。しかもあの味音痴の2人にこんな美味しい寿司を食べさせるのはご両親に申し訳ないよ」
と言っていたが、2年目は私の妊娠の報告も兼ねていたので、お寿司を持っていくことに208。実家に到着すると、義母は私からお寿司を奪い取り、早速親戚に「自慢の寿司」と自慢げに見せびらかした208
お寿司を取られた私と広明はリビングへと進み、義父に挨拶をしに行く208。私たちは毎年大晦日から元日まで義実家に滞在している208。本当は日帰りで行きたいが、片道5時間の距離なので仕方ない208。そして大晦日の夜、私が持ってきたお寿司とおせち料理が並んでいる食卓を囲み宴会が始まった208。義父が私のグラスにビールを注ごうとしてくれた時、広明は私が妊娠しているから飲めないことを伝えてくれたのだ208。義父は、
「ああ、おめでとう208。生まれてくるのが今から楽しみだな」
とニコニコしていた208。ただその言葉を聞いた義母と義妹の顔が歪んだ208
「私もまだなのに、なんであんたが先に」
と義妹の声が聞こえた気がしたが、私の気のせいだろうか208。しかし次の義母の言葉で現実を受け入れた208
「はあ、妊娠?

ああ、かナ子ちゃんもまだ妊娠してないっていうのに208。なんで先に妊娠してるの? 結婚だってかナ子ちゃんよりも先だし208。」
「嫁の立場をわきまえたらどうなの」
と義母が私に吐き捨てたのだ208。その時の私は、冗談を受け流すように「ははっ」と笑っていたと思う208。仮に義父に言われるなら考える余地もあるのだが、私と7歳も離れた妹208。広明と比べると10歳も離れているのだ208。兄の広明が先に結婚することは特に違和感はないだろう208。しかし私の妊娠報告から、義母と義妹の嫁いびりがひどくなっていく208
「来年からはリエさんがお寿司の他に飲み物も準備してきてちょうだいね208。私たちは買い物に行くのも大変だし、ビールがあればとりあえずいいから。かナ子ちゃんの飲みたいものも、年末が近づいたらリクエストするわ」
と義母から要求された208。広明や義父に聞かれないように義妹を2人の元に置き、義母が私に嫌がらせをするという、見事な連携プレイ208
「広明にこのことを言ったらどうなるか分かってるんでしょうね208。専業主婦で身寄りのないあんたが行くところはどこにもないのよ208。」
なんて言っている208。普段の私ならば多少言い返していただろうが、妊娠中の体で余計なストレスを感じたくなかったので、その場は「分かりました」と言って終わらせた208
その翌年からも年末になると実家のお寿司を持ち、子供を抱えたまま義母からリクエストされたお酒を調達して義実家へ208。「どうせ食事も足りないだろうから」とスーパーでオードブルやおつまみも購入した208。実は義母も義妹も、大食選手権で高成績を取れるのではないかというほど食べるのだ208。2人は見るからにビッグサイズで、本人に聞いたことはないが0. 1tはあるかしらと思うほどの巨体なので、私はいつも巻き物しか食べられなかった208。オードブルなどを購入したおかげで私も空腹は免がれたのだが、
「お母さん、これ今日買ってきた分のレシートです」
と義母に全てのレシートを渡すと、
「ああ、何? あ、ありがとう208。こんなにするのね208。ごちそうさま」
とレシートを懐にしまう208
「挙げ句の果てに、あなたたちを家に泊めてやるんだから、これくらいいいでしょう」
なんて言い出す始末208。確かに毎回一泊して帰ってはいるが、それにしてもお寿司抜きで4万以上の支払いをこちらで負担するのはちょっと辛い208。ガソリンもかかるし、高速代もかからないのだ208。しかし広明は、
「あの人には何言っても無駄だからもういいよ208。俺の小遣いから支払うようにするから208。悪いな」
と私に頭を下げてきたので、何も言えなくなった208
そんな年末年始が数年続いたのだが、今回のお正月に事件は起こった208。毎年実家のお寿司を持っていくことが当たり前と思い込んでいる義母と義妹だったのだが、今回寿司を切り盛りしている大将の父が交通事故に巻き込まれ、足を骨折したのだ208。手は使えるが、動き回ることも仕入れに顔を出すことも困難なので、最低でも1ヶ月は店を休業することを余儀なくされた208。この時12月上旬208。これから稼ぎ時だという時に、踏んだり蹴ったりだ208。父の後を継ぐため、兄が数年前から実家に戻り修行している208。兄も握れることは握れるのだろうが、頑固な父からまだ「お客様にお出しできる白物じゃない」と許可をもらえていないので、休業する他なかった208なので今回は義実家にお寿司を持っていけない208
広明にその胸を相談すると、
「お父さんも災難だったね208。こうなったらお店は仕方ないけど、ゆっくり休んでもらおう208。うちの実家は気にしなくていいよ208。毎年タダで高級寿司が食べられるって感覚がおかしいんだから208。父さんだけはなんだかかわいそうだけど」
と言ってくれたのだ208。私は味方になってくれる夫を持って幸せだと思う208。本当に広明は義父のことが大好きだ208
義父は小学校教師で、ダメなことはダメ、褒めるところは褒めるというメリハリがある人208。そんな義父の背中を見て、小学校教師に憧れていたようだ208。反対に、夫は義母と義妹が苦手だという208。義母は昔から基本的に適当な人間で、誰かが何とかしてくれると思い込んでいる節がある208。義妹は広明と10歳離れていてかなりわがまま208。「女の子が欲しかった」義母は義妹を無条件で可愛がっていたらしい208。「欲しいというものは何でも買い与え、やりたい放題させていた」結果がこれだ208。そんな2人から離れたい一心で、広明は地元から離れた大学に通い、そのままその地で教員になったと聞いたことがある208
広明の助言で、今回はお寿司ではなくおせち料理を持っていくことにした208。しかし12月に入っているのでおせちの予約は終了しているところばかりなので、私は母に手伝ってもらい手作りのおせちを持っていくことにした208。実家の寿司店は休業しているのだが、叔父からいろんな魚介類を送ってもらっていたので、その魚も持っていくことにした208。そして迎えた大晦日、義実家へと向かう208
「今日はチージャーのところに行くの」
無邪気な笑顔でチャイルドシートに座る娘208
「そうだね、楽しみだね」
私が聞くと、
「これあげるの」
とサナは数日前に書いていた絵を大事そうに持っていた208。サナも義父が大好きだ208。義父は帰省すると必ずサナと遊んでくれるからだろう208。しかし義母と義妹はほとんどサナを構わないので、サナは2人のことをよく覚えていないようだった208
何はともあれ、5時間かけて義実家へ到着すると義父が出迎えてくれた208
「ああ、よく来たね208。遠くて疲れただろう208。サナも久しぶりだね」
サナは玄関先で早速、後ろ手に隠していた義父へのプレゼントを恥ずかしそうに差し出した208
「ジーチャンにあげるの、サナが描いたの」
「ああ、ありがとう208。嬉しいな208。家の中に入ってから見ることにしよう」
と義父がサナを抱き上げ家の中に入っていく208。義父に抱かれたサナは嬉しそうだ208
リビングへ行くと、おやつを食べながらテレビを見ている義母と義妹と男性がいた208。「そういえば義妹、結婚したと言っていたのだ」208。顔合わせは今日が初めて208。早速リビングにて挨拶を交わすことになり、持ってきたおせち料理を風呂から出してテーブルに並べる208。買ってきた飲み物も準備をし、私も着席した208
「初めまして208。この度かナ子さんと結婚させていただいた涼です208。よろしくお願いします」
とても礼儀正しい男性だった208
「初めまして208。かナ子の兄の広明です208。そしてこちらは妻のリエで、こっちが娘のサナです208。こんな妹ですが、よろしくお願いします」
「“こんな”って何よ208。お兄ちゃんひどいんだから」
こんな会話でわあいとしていた時、
「さあ、お食事でもしましょう208。リエさん、お寿司出してちょうだい」
と義母が仕切り出した208
「あ、申し訳ありません208。今年は父が怪我をしてしまい、お寿司はないんです208。その代わりと言っては何ですが、今年はおせち料理を作ってきました208。これと親戚から送られてきた金目鯛を持ってきたので、後で塩釜にしようかと思ってます」
昔は北海道ではお正月に鯛の代わりに金目鯛を食べる習慣があり、よく祖父の家で金目鯛を食べていたのだ208。「高級魚だから」と、毎年実家に送ってくれていた208
「はあ208。もうそんなの聞いてないわよ208。」「しかも手作りのおせちって、まずそうね208。」「しかも金目鯛、正月と言ったらでしょ」
といいながら、こちらへ押し付けてきた208
「はあ208。正月なら寿司用意しろよ208。うまい寿司が食えって、かナ子が自慢してたから来たのに」
挨拶を終え、ぺろぺろ飲んだ義妹は、先ほどの礼儀正しい青年とは思えない口調で怒っている208。よくよく顔を見ると真っ赤になっていた208。酒に弱いのだろう208
そんな言葉に火がつくように、かナ子も、
「そうよ208。お寿司がないなんてお正月じゃないわ208。今すぐどこかで買ってきなさいよ208。」「あ、でもスーパーの安物なんてダメよ」
と笑いながら言っている208
その瞬間、私はテーブルに並んでいるおせちを黙々としまい込んだ208
「分かりました208。じゃあ、もう2度と来ませんから」
私は静かにそう伝えた208。すると広明がその風呂を持ち、サナを抱き上げて、
「俺ももうこの家には来ないわ208。」「昔から母さんとかナ子には迷惑かけられっぱなしで、限界だ」
とリビングを出ていく208
義母とかナ子は突然目の前から料理を奪われ、呆然としていた208。そんな中、義父は玄関にやってきて、
「忘れ物だよ208。」「家では刺身を食べる人がいないから、持って帰って食べなさい」
と冷蔵庫に閉まっておいた金目鯛とあるものを手渡してくれる208。サナが悲しそうな顔をして
「ジーチャンは一緒に行かないの?
」
と義父を見上げていた208。サナには申し訳ないことをしたと思ったが、我慢の限界だったのだ208。すると義父はサナにこう言った208
「ジージャンは今日は一緒に行けないけど、今度サナちゃんのお家の近くに引っ越すかもしれない」
意味深な言葉に私と広明は顔を見合わせた208。サナはとても嬉しそうに、
「約束だよ」
と小指を差し出し、絡めている208
私たちが車に乗り込むと、我に帰った義母とかナ子が駆け追ってきた208
「ちょっと、おせちまで持って帰るとはどういうことよ」
「そうよ208。置いていきなさいよ208。」「今年はオードブルもないんだから、私たちが食べるものがないじゃない」
そんなことを叫んでいる2人を抑え、義父が「早く行きなさい」と言ってくれたので、広明が車を出した208。サナは窓を開けて笑顔で義父に「またね」と手を振っている208
1日の大半を移動時間に費やした大晦日208。何はともあれ無事帰宅することができ、人心地ついた208。サナは疲れたようで、すっかり眠っていた208
「今年の年越しそばは、カップそばね」
なんて笑いながら、広明と2人で新年を迎えた208。こんな年越しの仕方は初めてだったが、義実家で過ごすよりも何倍もいい208
として年明け早々、広明の電話が鳴り響いている208
「パパ、電話出なくていいの? 」
サナが何度も鳴る電話を持ってきて、広明に差し出していた208
「ああ、いいよ208。どうせ母さんだ」
「パパ、バーバからなら、サナが出る」
なんと、サナが電話の通話ボタンを押してしまったのだ208
「なんですぐ電話に出ないのよ208。」「ちょっと、あんたたち、さっさとおせちとお寿司持ってこっちに来なさい」
義母の声が、スピーカーでもないのに全員にはっきり聞こえた208。その声にびっくりしたサナが私の前で携帯を落とし、泣き出してしまったのだ208。その携帯を拾い上げ、私が対応する208
「お母さん、昨日もお伝えしましたが、もう私たちはお母さんたちとは縁を切らせていただきます208。今後一切連絡して来ないでください」
それをスピーカーで聞いていた義母とかナ子208
「へっ、縁を切るなんてどういうこと? 寿司を買ってこいって言っただけじゃない」
「あなたたちに縁を切られたら、お金の援助してもらえないじゃない」
「これまでも当然のように私たちにお金を払わせて、お寿司から飲み物、おつまみまで我が物顔で食べてたじゃないですか208。」「それに“お金の援助”って、お父さんから渡されていたお金を盗んでいたことですか? 」
私がそう言うと、
「なんで知ってるのよ」
義母の声は明らかに動揺していた208
「先日そちらから帰る時にお父さんに聞いたんですよ208。“毎年お母さん経由でお金を渡してた”って208。」「私たち1度ももらったことありませんが」
実は義父の貯金から毎年「お寿司代」や「飲み物代」として5万円ほど包んでくれていたようだ208。今回初めて義父から直接渡されて知った208
「そんなあなたたちに実家のお寿司を食べられていたかと思うと残念です208。」「でももう、お母さんとかナ子さん、リツさんとは関わらないので関係ないですけど208。」「それでは、さようなら」
そう言って私は電話を切り、義母と義妹を着信拒否にした208。その後義母と義妹からは連絡はなく、幸せに暮らせている208
1月中旬、岐阜から広明に電話があった208。義父は義母と離婚をしたという208。実は義母は友人に進められた株を、勉強もしないまま始め、義父が2人の老後のためにとコツコツ貯めていた貯金を使い込んでいたようだ208。しかも何も知識がないまま続けているので大赤字208。これに義父は大激怒した208。今回の件も重なり、4月からこちらに引っ越してくる208。そう、義父は今小学校の校長として務めているのだが、3月で定年だ208。退職後にこちらに来るということだった208。「先日サナに行っていた“近くに引っ越してくる”とは、このことだったのだろう」208
近所に越してくるなら、と私たちと同居することを提案208。義父は申し訳なさそうにしていたが、受け入れてくれた208。義母は義父から「出て行け」と離婚直後に追い出されたようで、かナ子夫婦に泣きついた結果、なんとか受け入れてもらえたらしい208。しかし、がいくら節約をしても、かナ子と義母の食費のせいで家計が圧迫されているとか208。さらに義母が支払う義父への慰謝料も肩代わりしているらしい208。かナ子は旦那に捨てられないようにと、アルバイトの面接を片っ端から受けたようだが、極度の汗っかきのかナ子が面接会場に着く頃には汗で顔がぐちゃぐちゃ208。「いつも時間ギリギリに到着なので化粧直しの時間も取れず、“清潔感がない”とどこにも受け入れてもらえない」そうだ208。義母と2人で毎日内職に追われているらしい208。このままだと「結婚式を上げたがっていた義妹の夢は叶わなさそうだ」208
一方、私たちは義父が我が家に来るまでの約3ヶ月、毎日サナの「ジージャンまだいつ来るの?
」という言葉を聞くことになる208。「ジージャンと暮らせる」ことを楽しみにしているようだ208。私もジージャンとの同居を楽しみにしている208。これからも我が家は、楽しい未来しか待っていないだろう208


