退職届けを人事部からもらって、俺はそれを佐部長の机に叩きつけた。給与明細を破り捨てられたその日の翌日、俺は無能なじじと呼ばれたまま、この会社を去るつもりだった。
俺の名前は柿原ひよし、もう58歳だ。高校を卒業してからずっとこの会社で働いてきた。母が働いていた北の物流という小さな会社から始まり、四十年以上もの間、俺はこの会社のためにシステムを構築し、経理のソフトを作り、営業のルートを開拓してきた。だというのに、たった一人の新入り部長に、無能なじじと罵られ、退職金も払わないと言われたのだ。
佐部長は、三年前に営業マンとして他社から入ってきた男だ。有名大学を卒業し、仕事はできるが、口が悪くて傲慢だった。最初から俺に「窓際のおじさんは暇だろ」と言ってきたり、営業部の机を拭けと命じたり、コーヒーを淹れろと指示してきた。そのたびに、俺は黙って従った。会社のためだと思ったからだ。
振り返れば、人生はあっという間だった。俺はサラリーマンの父と専業主婦の母の間に生まれた。父は体が弱く、幼い頃から入退院を繰り返していた。母は懸命に父の看病をしていたが、俺が小学三年生の時、父は亡くなった。現実感がなかった。病院へ行ってももう父には会えないんだなと、仏壇の前で静かに涙が流れた
同級生の正は、もっと幼い頃に父を亡くしていた。俺と正は、長屋で育った幼馴染だ。近くに母方の従兄で五歳上の政治兄さんがいて、俺たちはよく政治兄さんの家に遊びに行っていた。政治兄さんの家は一軒家で、幼い俺たちにとっては広く感じられた。の兄さんも一人っ子で、俺たちを可愛がってくれたし、宿題も教えてくれた
父の死後、母は政治兄さんの父の工場で正社員として働き始めた。俺と正は互いの家を行き来し、一緒に宿題をしたりテレビを見たりして育った。中学になっても仲良くし、一緒に商業高校に通った。あの頃はタイプライターや簿記を学んでいた。俺たちには大学に行けるほど家庭に余裕がなかったので、手に何かつけるために必死だった。放課後は、二人でタイプライターのキーボード配列を覚え、商業英語の教科書を打ちながら練習した
政治兄さんは大学を出て、父の北の物流に入社した。俺が高校卒業間近の頃、政治兄さんが誘ってくれた。「ひよし、うちの工場を手伝ってくれないか」俺は正も一緒でいいかと尋ね、オーケーをもらった。の物流は百貨店での洋服販売に加え、売れ残った商品を寝札を変えて別の百貨店に流す商売をしていた。小さな会社だったが、夏は暑く冬は寒い。事務所だけ冷暖房があり、俺と正は昼休憩だけ事務所に呼んでもらえた。母はパートのおばさんたちと工場で弁当を食べていた
事務所には大きなパソコンがあった。俺と正はパソコンに興味を持ち、政治兄さんに「簡単な打ち込みならできるよ」と言って、事務仕事に誘われた。出荷した商品の打ち込みを順番で行い、経理の補助もしていく。時間が余れば工場も手伝った。仕事はどんどん忙しくなり、二十五歳の時には近くに新工場を建築した。その頃にはデスクトップのパソコンやワープロで資料作成をするようになっていた
まさは相変わらず経理補助をしていて、俺は政治兄さんにルート営業を頼まれた。だんだんとバブルが崩壊し始めたが、百貨店のスーツや女性物のセーターには特に打撃はなかった。新しい営業社員が入ってきたので、俺は最初だけ付き合い挨拶回りをして事務仕事に戻った
三十歳になるとインターネットが普及し始め、俺は詳しいことを学びたくて夜はパソコン教室に通い出した。その頃から少しずつプログラミングも覚えていく。パソコン教室である女性と仲良くなり、三十五歳で結婚した。可愛い一人娘にも恵まれた。妻は娘が小学生の高学年になるとIT企業で正社員として働き出した
俺は七年ほどプログラミングに熱中し、ある程度の知識を習得した。そして配送会社への伝票や受注や出荷の簡単なシステムを構築し、経理のソフトも自分で作った。その頃に社長になった政治兄さんにも喜ばれた。まさとはたまに飲みに行ったり家族ぐるみの付き合いをしたりしていた
会社は順調だった。バブルが弾けてアパレル関係は海外の商品の物流が増えていき、子供服やカジュアルな洋服も取り扱うようになった。季節ごとに棚下ろしをした商品をパソコンにまとめ、事務所も人が増えて総務部や営業部、経理部に分かれていった。人事は総務部が担当し、俺は総務部で資料整理に没頭していった
会社は地方の直営店も持つようになり、システムのチェックに駆け回ることも増えた。やがてスクリーン越しに会話ができる時代になり、パソコンのエラーは電話をしながら直すことも可能になった。俺ももう五十歳だ
その頃、佐という営業マンが他社から入ってきた。の男は仕事のやり手で、あちこちのチェーン店から仕事を取ってくる。結構有名な大学卒で、まだ三十歳前で走り回っていた。しかし佐は結構生意気で、俺に「えっと原さん、これすぐまとめてくれよ。窓際のおじさんは暇だろ」そう言ってくる。俗に言う窓際社員ではなかったが、デスクの場所は窓際ではあった俺。黙って資料を受け取り、サクサクとまとめた。まあ、おじさんと言われてもおかしくないのだが、礼儀というものを知らないのかと、俺には結構苦手な若者だった
その頃、またシステムを新しく構築していた。営業の人間から見れば、ただパソコンで遊んでいるようにしか見えないかもしれない。俺はまを誘って居酒屋へ行き、愚痴をこぼした。「あの新しい営業マンに俺、おじさんって言われちまったよ。年は取りたくないな」「仕事はできるらしいが口が悪いよな」まさも聞こえていたらしい。「俺にも聞こえていたよ。今の世代の若者ってことなんだろうな」「かなりいい大学を卒業しているみたいだな」「自己紹介で自分で言っていたから笑ったけど、それは言えてる」そんな風に話して、時代だと飲み込めばいいのだが
その後も佐は「窓際のおじさん、今日はこれを頼む。新しい店舗の営業の書類なんだ」と言ってくる。「はい」俺はそう一言で返事をしておいた「おじさん、営業部のデスクが埃だらけなんだよ。ちょっと拭いておいてくれない? みんな忙しいからさ」「はいはい」え、範囲は一回じゃないの? それともいやいやの返事。そんな風に目上の人に敬語も使えない佐に、俺は黙ってすぐ営業社員の机を拭きに行った
俺は従兄である社長にメールをしておいた。「社長、あの佐なんだが、結構口が悪いようだよ。よかったら防犯カメラを一つオフィスにつけて欲しいんだが」「ああ、あの他社から来た佐か。仕事はできるんだがな。分かった。今度の休日につけておくよ」こうして一応オフィスにカメラを設置してもらった
またいつも通り佐に資料を頼まれた時、俺は注意を試みた。「佐君、僕は君から見ればおじさんに違いない。けどここは一応会社なんだよ。できたらもう少し丁寧な日本語を話してくれないかな」「は、おじさんはおじさんだからいいじゃん。何を言っても無駄なようだな」「バットホームな会社じゃん。そんな硬いこと言わないでよ」「はい、はい。じゃあ今日の資料はこれだね。やっておくよ」注意してもダメだったので、俺はもう諦めた
時は流れ、佐は営業成績を上げ、三十八歳になると総務部に入ってきたしかも部長である。俺は社長と正と食事に行くことになった。この時ばかりは居酒屋の個室で名前で呼び合い、今後の会社の流れの打ち合わせだ「いつもご苦労だな。ひよし、まさも今日はゆっくり飲んで好きなものを食べてくれよな」「社長、いや、政治兄さんありがとう」「政治兄さんって聞こえが懐かしいな」「僕も幼い時は本当によく遊んでもらったのを思い出すよ」「あの時はまだ小さかったな。宿題も教えてもらって本当に助かってましたよ」そして「しかし今回なぜ佐が総務に? 」「ちょっと考えがあってな」「まさ、営業部の方で不正な領収書が上がってないか調べておいて欲しい。ちょっと帳簿を見たのだが、経費がかなり大きい」「なるほど、そういうことですかね」「きちんと見ておきます」「それにひよしに対しても相変わらずの態度だしな」「あの口の悪さをこれからもっと見ておくよ。カメラではよく聞こえているからさ」「ありがとう」「部長になればもっと偉そうになるだろうと思ってさ」「なるほど」そして「しかしよく頑張ってくれてる二人には昇給とボーナスは励むよ」「お母さんをもっと近くに住ませてあげなよ」「それは嬉しいです」「政治兄さんありがとう、そうするよ」
そうして俺と正は母を同じマンションの別の部屋に住ませてあげることができた。の母は長らく看護師をしていた。の兄さんは母の弟の息子だ。はもう六十三歳、俺たちはもう五十八歳だ。あと二年で定年退職になる
それから部長となった佐は、社長の予想通り傲慢になる。さすが社長の目は鋭い。俺は佐にいろんな雑用などを命じられていた。「オフィス内のモップ掛けをしたり、部長のコーヒーを入れたり、机を拭かされたりしていた」その上には「ああ、いつまでも窓際のじじ、何をぼんやりしてるんだ」「少し考え事」その時、俺は防犯システムを考えていたんだ。「考え事なんてしてるんじゃないよ、爺が。そんな暇があるならこの書類を片付けておいてくれ」「さ、佐部長、わかりました」俺はそう言って分厚い書類を取りに行き、パソコンにまとめていくい
もうすぐ娘も結婚か。そんなことも資料まとめながら考えていた。娘は大学を出て、外資系の会社に入り、大学時代一緒だった男性と交際し、結婚が決まっていた。寂しくなる俺だり母はとっくに退職して、今は正のお母さんとも仲が良く、サークル活動の習い事やベランダでの花育てを楽しんでいるようだ
そして娘はもう嫁いでいった。日曜日に行われた結婚式には正も参加してくれ、俺は涙を我慢して娘を見送ったんだ 。小さな結婚式ではあったが、綺麗なウェディングドレス姿の娘だった。仕事は忙しかったが、元気に娘を送り出すことができた。かなり寂しいのだが、ここは一つ親離れをしないといけない
今回の資料は今までの総務部の資料を分かりやすく佐部長のためにまとめるという仕事なので、難しい仕事ではなかった。なのでゆっくり打っていたのだが「おいおい、さすがにじじだな。もっと早く打てないのか?

」「ああ、すみません」そう言われて俺は少し指を早く動かす。全く俺のことを何かとターゲットにして、いつも俺の様子を見ている感じだ
正と飲みに行き、近況と佐部長の営業時代の経費がどうだったかを聞くと、毎晩飲み歩いている領収書が出てきたようだ。すでに社長には報告済みらしい。「正、前はおじさんだったが、最近はじじだぞ」「まあ、じじではあるのだが、本当一回だけしか苗字で呼ばれたことないわ」「皆も佐部長のことをよく思ってないよ」「みんな社内メールでブツブツと言ってるからさ」「あれじゃ皆に嫌われるよな」「若い営業社員へも偉そうだし」「営業部長は他にいるのにさ、かのT大卒だからって偉いと思ってるんだろうな」「そうだろうな。歴が良くてもあの人格じゃな」そんな風に二人でぼやいていた
そして俺ももうすぐ退職を迎える。あっという間の定年だ。娘から赤いトレーナーが送られてきて、ちょっと恥ずかしい気分だ。部屋着にするのだが
そして最後の給料日前日。佐部長がにやりと笑っている。給与明細を渡してもらうために呼び出された俺。「佐部長、退職は明日ですよ」「ああ、無能なじじには早めにやめてもらおうと思ってな」「じじに払う退職金はない」そう言って佐部長は俺の給与明細を破り捨てたんだ「ちょっと何をするんですか? 一体どういうことですか? 」「だから無能なじじは今日で首な、、」俺はそう言われたのだ
高卒からずっと働いてきたこの会社だが「俺はよくわかりました」そう言って、残りの引き継ぎだけすると佐部長に申し出て、俺は人事部へ行って退職届けをもらう。そして佐に退職届けを叩きつけたんだ
俺は今まで自分で会社のために作ってきたシステムをUSBメモリにそっと移し、全てのシステムを削除したんだ。そうして皆に深々とお礼をしてデスクを片付けてオフィスを出て行った。引き止めた正に、俺は少し目配せをしておいたんだ。そして俺は社長にも報告しておいた。防犯カメラで全てを社長も見ている
その翌日のこと、俺はゆっくり眠っていたんだが、、すぐ正から電話があった「外部長が今までのシステムが使えないと騒いでいる」「経理のシステムもだ」「が、大丈夫だよ。一時の問題だよ」「後で社長と一緒にオフィスに行くからさ」「これが広吉の手口か」「分かった」トイレから電話をそっとかけてきた正だった。しかし全てのシステムが使えずに本社も直営店もパニックになっている。社長は後でSEが来るからとりあえず落ち着くようにと言っていたらしい
そして俺は夕方、社長と一緒にオフィスに出向く。「この人がSEだよ。もう大丈夫だから安心しろ」そして「さて、ちょっと聞きたいのだが、なぜお前は勝手に柿原君を首にしたんだ? 柿原君の退職届けは人事部でまだ預かっておるが」「あ、あの、それは」「柿原君の退職日は今日だ」「それに退職金はきっちり僕が用意してあるのだが」「柿原君は我が社の全てのシステムを構築してくれた」「その上で、従業員である柿原君は今後この会社での専務を命じた」「そして柿原君と、もう四十年以上働いてくれている経理部の田村正君に、新しく総務の部長を任せる」「同じ君にも退職金は二千万円だ」「だからもう君の席はない」「すぐデスクを片付けろ」「え?
いや、それはどういうことですか? 」「さて、T大卒の割には頭が悪いようだな」「これが今までの佐から柿原に対するパワハラの動画だ」「目上にじじとは何事だ? 」そう言った社長はスマホで動画を流した。オフィスはシーンと静まり
そこで社長が「次に、これが佐の不正な領収書だ」「いえ、これはあ、あの、接待費です」こういった佐の顔はすでに青ざめ、声は震えている「佐の夜の接待報告は上がっていない」「それに、こんなに毎日同じスナックに通うのは経費としても出たらめがある」「この分は損害賠償として支払ってもらう」「さて、さっさとオフィスから出て行ってくれ」「懲戒解雇とする」「え、僕が、ちょ、懲戒解雇、、」こう小さく震えた声で言いながら涙を流して佐は会社から出ていったのだ
オフィス内からは拍手の波が湧き上がった。その後四十前である佐は、最終就職先がなく、離婚もされて、どこかで昼も夜もアルバイトで働いているようだ。経費の無駄遣いの分は弁護士を通して一括で支払われたらしい
一方で俺は次期社長として専務になり、正が総務部の部長になったんだ。俺と正は長い付き合いになったが、これからも一生の友達として付き合っていくことだろう。そう、俺たちの仲むつまじい母たちのように


