「お父さんが定年退職したら、私と離婚するって言い出したの。」
そう母から電話で聞かされたとき、私は耳を疑った。しかし母の声には悲しみが一切なく、むしろどこか弾んでいたのである。
ついにこの日が来たか、という思いだったのだろう。家の中の爆弾が、ようやく自分の意思で爆発したのだ。
私は野間あゆ子、40歳。企業に勤めながら5歳年上の夫と平穏な日々を送っている。今でこそ人並みの幸せを手に入れた私だが、実家には思い出したくもない地獄のような過去がある。
私が生まれ育ったのは、両親と祖父母の5人暮らしの家庭だ。母は優しい手芸作家で、祖父母も私を目に入れても痛くないほど可愛がってくれた。だが、たった一人、家族の中に暴君がいた。それが会社員だった父だ。
父は何よりも自分が優先で、誰かの都合や気持ちなんて一切考えない典型的な自己中人間だった。少しでも気に入らないことがあれば、すぐに怒鳴り、手を出す。家の中は常に怒号と恐怖に支配されていた
私は母に守られていたおかげで直接殴られることはなかったが、その代わりに母が何度も殴られていた。目の前で母が吹き飛ばされ、壁にもたれかかって涙をこらえる—そんな光景を私は数えきれないほど見てきた。祖父母は自分たちが甘やかして育てたせいだと母に頭を下げていたが、父はそんな祖父母にさえ平気で手を挙げた۔
家庭の空気は常に最悪で、何か一つでも父の機嫌を損ねれば、全員が怒鳴られ、睨まれ、叩かれる。私たち家族はまるで爆弾の上で生活しているようなものだった。母はそんな状況でも文句一つ言わずに耐え抜いた。「子供には罪はないから」—そう言って、どれだけ殴られても私を庇い続けてくれたのである
父は昭和の時代の古い考えを持つ人だった。「女は男の後ろを歩け」「逆らうな」「口答えするな」—そして何より、父は女性蔑視がひどかった。「女に学力は不要」「女はいい男に拾われゃそれでいい」「女にかける金は無駄」—私が学校で高成績を取っても、一度も褒められたことはない。むしろ「調子に乗るな」と吐き捨てられるだけだった
そんな父が、私の出産時に「なんだ、女か」と言ったという言葉を、私は後から聞かされた。それは母が産褥のベッドで震えながら聞いた言葉だったという。その日以来、父は私に一切期待も関心も寄せなかったというわけだ। школаに必要な文具すら「無駄遣いだ」と買ってくれず、その一方で自分の趣味や酒、車には平気で金を使う日々 — そんなある日、私が中学2年生になった頃、事件が起きた
学校から帰宅すると、リビングから父と母の怒鳴り声が聞こえてきた。その声に私は背筋が凍る思いがした。恐る恐る覗くと、いつもは黙って耐えるだけだった母が、顔を真っ赤にして父に怒鳴っていたのだ。どうやら私の進学についての口論だったらしい。「女なんか高校に行かせんでいい。金がもったいない」「これからは女の子だって学歴が必要な時代よ」—父は私が高校に進学することを嫌がっていた。父は母の言葉にぶち切れ、そして容赦なく手を挙げた
壁に叩きつけられるような音、母の悲鳴が響き渡る。私は耳を塞ぎ、声も出せずに震えることしかできなかった。でも、そんな中でも母は折れなかった。あの強くて優しい母が、決して譲らなかったのである。「あゆ子を絶対に高校に行かせる」—母はそれでも意見を曲げず、私の進学を譲らなかった
部屋の外まで漏れ聞こえる母の悲鳴に、私は耳を塞ぐことしかできなかった。その時、祖父がやってきた。「そうやって力で解決できると思っているのか」「親父には関係ない。これは夫婦の問題だ」「夫婦だと? お前は暴力で支配しているだけだ。そんなもの夫婦でも何でもない」—祖父は父に対し強く詰め寄った。「あゆ子が高校に行くのがなぜ悪い? 今の時代、女性の社会進出は当たり前だ」。祖父の言葉に何も言い返せなくなった父は、その時は大人しく引き下がったが、内心は面白くなかったのだろう。実の父親が、自分ではなく母の味方をしたのだ。へそを曲げた父は、そのまま外に出て行ってしまい、帰った時にはひどく酒に酔っていた
そんな父の姿に、私はうんざりしながら母のことを心配していた。「あんなお父さんならいらないよ」「お母さんのためにも、離婚した方がいいんじゃない? 」—私は何度か母に離婚を促してみたのだが、母は「それはできない」というばかりで、耐える生活を選んだのである。今思えば、私のことを考えてのことだったのだろう。しかし当時は、なぜ父と離婚しないのか不思議で仕方なかった。
数年後、高校生になった私は、その後大学への進学を希望するようになったのだが、この時も父は「女に学力は不要だ」とまた反対した。母は「父の言うことは無視すればいい」と、手芸作家としての仕事だけでなく、近所のスーパーでパートも行うようにして、私の学費を捻出してくれたのだ。そのおかげで私は無事に大学を卒業することができ、その後は大手企業に就職することができたのである
「大企業って言っても、女の仕事はせいぜいお茶汲みと上司の機嫌取りだ」。この時の父は、私が自分よりもいい会社に就職した悔しさもあったのだろう。私の努力を評価することもなく、文句ばかりを言っていた。この時には、私は父の言うことに耳を傾けなくなっていた。何を言っても、こちらが疲れるだけで、父の意見が変わることなどない—それが嫌というほど分かっていたのだ。母も同じような気持ちだったのかもしれない。母は私のことに関しては、父の意見を一切無視して、私のサポートに全力を注いでくれていた。高校に合格した時も、大学に合格した時も、就職が決まった時も、母が祖父母と共に祝ってくれたのである
私が就職して1年ほどが経った頃、祖父が脳梗塞で倒れた。夜お風呂に入っている時に、突然倒れたのだ。祖父はすぐに救急車で運ばれ、迅速に処置を受けられたおかげで一命は取り留めたのだが、体の半分に麻痺が残ると言われたのである
祖父はそれからしばらく入院することになったのだが、父は仕事を理由に一度も見舞いに行かなかった。「どうしてお父さんは来ないの?

自分の父親でしょ」「いいのよ。あの人が来る方が、おじいちゃんの心臓に悪いわ」—母は笑いながらそう言ったのだが、実の親が大変な時でさえ顔を見せない父に、私は嫌悪感が湧いた
寝たきりとなった祖父が退院した後は、家族で協力して介護を行おうということになったのだが、その時も父はまた反対した。「男が介護なんて聞いたことがない」「どうせ家で暇してるんだ」「親父の面倒はお前らが見ろ」—そう言って、祖父の介護を全て祖母や母に押し付けたのだ。「介護するのに、男も女も関係ないでしょ」—私は思わず父に意見したのだが、すぐに母に止められた。「でも、お母さん」「いいのよ。どうせあの人には何もできないわ」—母は父に何も期待していないようだ。しかし、母にそう言われると、そうなのかもしれないと妙に納得してしまったのである
父はその傲慢さから、家族全員に疎まれていた。そんな父に介護されても、祖父も嬉しくないだろう—そう思った私は、仕事の休みを利用して、できる限り祖母と母をサポートすることにしたのだ
それから3年後、私は仕事の関係で知り合った実業家の夫と結婚することになった。「一応父親だから」と父にもそのことを報告したのだが、父から祝福の言葉など一切ない。「女は年取ったら飽きられるだけだ」—ありえない言葉を投げつけた父は、私のことを見ようともせず「好きにしろ」と言い放ったのだ。婚約者が実業家ということも気に入らなかったのかもしれない。「無駄にプライドだけは高い父にしてみれば、自分よりも稼ぎがいいことにも嫉妬したのだろう」。どこまでも小さい男だと、私は呆れてしまった
それから半年後に私の結婚式を行ったのだが、そこにも父の姿はなかった。「どうしてお父さんが来てないの? 」「時間の無駄なんですって」「ごめんね。けど、あの人が来ない方が平和に式ができるわよ」「それはそうだけど、本当最低だね」—いくら何でも自分勝手すぎる。娘の結婚式にさえ現れない父を、私は父親だと思うことをやめたのだ。幸い、夫も父のことは理解してくれている。「結婚後も親族として付き合うのは母と祖父母だけだ」という私に、理解を示してくれていたのだ
その2年後、祖父が他界した。心筋梗塞だったらしい。朝、母が起こしに行った時には、すでに体が冷たくなっていたようだ。母から連絡を受け、夫と共に葬儀に出席した私は、その場に父がいないことに愕然とした。しかし、私以外の親戚たちは、父の不在を気にしていないようだ。みな、父に悩まされてきたのだろう。当然のことのように葬儀が進行され、僧侶を務める祖母をねぎらって帰っていく—その光景が異様にも見える中、私も気にしないようにしたのだ
しかし、それから2ヶ月後。祖父の49日の法要も終わっていないというのに、父は祖父の遺産である土地を、家族に何も相談しないまま売却してしまった。どうやら祖父の葬儀が行われている最中に、父は不動産屋に行っていたらしい。祖父の土地がいくらで売れたのかさえ誰にも知らされず、父はその売却金を全て自分の投資に使ったのである
さすがに母も呆れていたのだが、そこは祖父の方が一枚上手だった。祖父は生前のうちに、資産の大半を祖母と母の名義に変更していたのだ。ある日、母が私の自宅を訪ねてきた。「これはおじいちゃんから、あなたに」—母が差し出したのは、祖父が所有していたマンションの権利書だった。「父にバレないように、ずっと隠し持っていたの」—祖父は父の暴挙を予測していたのだろう。全ての準備を整えた上で、旅立っていったのだ
祖父の偉大さに、頭が下がる。しかし、事件はこれだけで終わらなかった
父が投資した株が、大暴落したのだ。その時初めて分かったのだが、父は土地の売却金5000万を全て株に投資したのだとか。損失は1000万以上に及び、支払いができない父は、今度は母の実家に泣きついた。母に一言の相談もなく、勝手に母の実家へ上がり込み、土下座して頼んだのだという。「そんな大金を借金して返す当てがあるの? 」「そんなもの、投資ですぐに返済できる」—父は、しゃあしゃあと母の両親に「自分が返済するから」と、一時的に借金を依頼したようだ
しかし、それでもまだ投資で設けようとしている父に、横で聞いていた私でさえも呆れてしまった。「もしまた出したらどうするの? 」「それはお前が返せばいい」「夫婦なんだから当然だろ」「どうして私が、あなたの勝手な借金を返さなくちゃいけないの?
」「うるさい」「つべこべ言わず、俺の言うことを聞いておけばいいんだ」—父は自分勝手に怒鳴るばかりで、母の両親が「夫だから仕方なく」お金を貸してくれたというのに、感謝の言葉は一言もなかったのである。「妻が亭主に尽くすのは当たり前だろう」—平然と言い放つ父に、さすがの母も呆れを隠せない様子だった。「実家からはお金を借りただけよ」「ちゃんと返済はしてくださいね」「何度も言わせるな」「亭主の借金は妻が返す」「当たり前のことだ」—ニタニタと笑いながら、父は借金を自分で返すつもりなどないようだった
父はいつもそうだ。自分勝手に行動するくせに、その後始末はいつも母に押し付けた。小さい時はよく分かっていなかったものの、中学生にもなれば大人の話も理解できるようになる。それと同時に、父の傲慢さにも気づき、私は次第に父を軽蔑するようになっていったのだ
そんな中、母はいつもは我慢しているのだが、この時は珍しく私に愚痴をこぼしてきた。というのも、父は昔から身勝手ではあったのだが、この頃から輪をかけて家族を振り回すようになっていたのだ。父の周りには女の影がちらつくようになり、「最低限の生活費のみ家に入れるだけで、投資に資金を注ぎ込んでいるのも本当だとは思うが、収入の大半を愛人に貢いでいたのではないか」—母はそう思っていた。父が家に帰ってくると、必ず女物の香水の匂いがする。そればかりか、外泊も頻繁にしていた
母にしてみれば、そんな父に愛想が尽きるのは当然なのである。しかし、父に浮気の事実を追求しても、はぐらかされるばかりでまともな話にならない。言い訳ができないと分かると、暴力を振るう—結局、母が口を閉ざし、耐えるしかなかったのである
やがて父は65歳になり、定年退職を迎えることになった。父が退職すれば、白昼堂中家にいることになる。母は真剣に悩み始めた。「お父さんが定年を迎えたら、離婚しようと思うんだけど」「それがいいよ。あの人がずっと家にいたら、お母さんの寿命が縮まるわ」「でも、素直に離婚してくれるかしら」「逆上されたりしたら」—母から離婚を言い出したら、父が怒り狂うかもしれない。その結果、母の命が脅やかされるかもしれない—と思うと、簡単に離婚とも言えないと、私と母は頭を悩ませた
しかし、そんなある日、父から思いがけない告白があったのだ
「俺が定年退職したら、お前とは離婚する」「どうして離婚するんですか? 」「決まってるだろう」「俺は、余性を若い彼女と過ごすんだ」「白く時中、ババアの顔を見るのはごめんだ」—父の言い分はあんまりだったのだが、母にしてみれば願ったり叶ったりの展開だった。父は母がもっと驚くと思っていたのだろう。「嬉しい気持ちを隠しもしないで、平成を装う母に、表紙抜けしたような顔を見せていた」
「離婚するのはいいけど、浮気していたんだから、慰謝料は払ってもらいます」「慰謝料だ」「まあいい」「それで後腐れなく別れられるんだ」「安いもんだ」「父は数年前から、夜の宮屋で働いている花ぶりという若い女性に入れ込んでいたようだ」「俺の退職金3000万は、彼女のために使う」「慰謝料以外の財産分与はなしだ」「そう」「好きにすればいいわ」「私は何も困らないから」「決まりだな」「1週間以内に荷物をまとめて出ていけ」—父は記入済みの離婚届けを突きつけた
「分かったわ」「お幸せに」—母は、ガッツポーズが出そうな気持ちをぐっとこらえたらしい。迷わず離婚届けを受け取り、その翌日には役所に提出したそうだ。その日のうちに、母から喜びの電話がかかってきた。「離婚できたわ」「これで私は自由よ」「おめでとう」「お母さんもようやく自分の人生が歩めるね」「ええ、これからは自由に生きていくわ」—母の声は、これまで私が聞いたことのない弾んだものだった
「住むところはどうするの? 」「適当に探すわ」「1人だから、小さなアパートで十分だしね」—母は当然のように1人暮らしをしようとしていたのだが、私は母に同居しないかと提案したのだ。幸い、夫も母との同居に賛成してくれている。「母がこれからの人生を、何の不安もなく自由に生きていくには、その方がいい」と思ったのだ
しかし、母は遠慮したのか最初は同居を嫌がった。「嫁の親と同居なんて、旦那さんが嫌がるわ」「私は運良くいい旦那さんだったけど、同じようにできる自信もない」「お母さんなら大丈夫よ」「旦那さんだって快くしてくれているわ」「だからね、遠慮しないで」—嫌がる母を、無理やりに同居はさせられない。しかし、これまで母の苦労を嫌というほど見ている私は、どうしても母を1人にさせたくなかったのだ
「お母さん、僕からもお願いです」「うちは見ての通り共働きで、あゆ子一人に家事を押し付けてしまっている」「このままだと、僕がいつかあゆ子に捨てられてしまいそうなんです」「そんなことないわ」「こんなに素敵な旦那様を、あゆ子が捨てるわけない」「それは分からないわ」「だから、お母さんがここに来て家事を手伝ってちょうだい」「そしたら私たちも、夫婦円満で暮らしていけると思うの」—半ば強引だったかもしれないが、夫と2人で説得した結果、母は私たちとの同居を了承してくれたのである
数日後、我が家にやってきた母は、晴れやかな顔をしていた。「長年背負ってきた重荷から、ようやく解放されたのだ」—そう思うと、私も自然と笑みがこぼれた。「これからよろしくお願いします」「約束通り、家事はちゃんとやらせてもらう」「それに生活費もきちんと払わせてもらうから」「そんな生活費なんていいよ」「これからは、お母さんのやりたいことをやって欲しいの」「そうはいかないわ」「ただ居候するだけなんて、私が耐えられない」—母は何を言っても、それだけは引かなかった。私たちは母の申し出をありがたく受け入れ、同居を開始したのである
それから3日後、仕事をしていると、父から頻繁に着信が入った。「何の用か」と電話に出ると、父は焦った様子を見せている。「どうやら朝から何度も母に電話をかけているのだが、繋がらないらしい」—それもそのはず、母は離婚届けを提出するのと同時に、父の番号を着信拒否にしていたのだ。「朝から何度も電話をかけてきて、一体何? 」「母はなんで出ないんだ?
」「なんで離婚したんだから、当然着信拒否してるに決まってるでしょ」「なんだって、そんなバ鹿な話があるか」—父は、母が電話を拒否していることに苛立ちを見せた。「もう他人なんだから、当然でしょ」「それで、何の用なの? 」「じゃあ、あゆ子でいい」「お前は俺の娘なんだから」「一体何? 」「頼む」「助けてくれ」—父は突然、懇願してきた
一体何事なのかと思いながらも、心の中では「どうせロクでもない話だ」と思っていたのだが、案の上、父の話は身勝手なものだったのだ。父は母と離婚して、花ぶりと結婚しようと考えていたようだが、その花ぶりに退職金の大半を騙し取られたのだという。退職金が入金された翌日には、父の口座から大金がごっそり引き出されていたようだ。父が気づいた頃には、花ぶりはそれまで勤めていた店もやめていて、住んでいたアパートも引き払われていた。慌てた父が警察に駆け込むと、そこで花ぶりの手配写真を見せられたのだとか。ようやく花ぶりが結婚詐欺師だということに気づいた父は、自分の置かれている立場に気づいたようだ。それまで自分の給料の大半を花ぶりに貢いでいたため、父に貯金など残っていない。「母と離婚した後は実家を離れ、花ぶりと暮らしていた父は、行く当てもないのである」
「俺も、一緒に住ませてくれ」「は? 」「なんであんたを住ませなきゃいけないの?
」—私は父を受け入れるつもりなど一切ない。しかし、追い込まれた父は、必死に食い下がった。「これからは、お前たちに養ってもらうんだからな」「親を養うのは、子の務めだろうが」「は? 」「あんた、何言ってるの? 」—私は呆れてしまった。「けれど、父はまるで当然のように言い放ったのだ」「女の遺産相続よりも、男の遺産相続の方が偉いんだ」「それ、本気で言ってるの? 」「当然だろ」「この世の中、男の方が偉いんだ」—あまりの言い分に、私は呆気に取られてしまった。父は自分勝手を通り越して、謎の理論を展開したのだ
「お母さんは、居候なんかじゃないわ」「生活費だってきちんと支払ってくれてるし、家事も全部やってくれてるの」「あなたとは違うから」—母は手芸作家として人気があり、父よりも高収入を得ていた。そのため、私から申し出た同居にも、生活費を支払うことを約束してくれたのだ。父は何も言い返せなくなったのか、電話を切った
しかし、その日のうちに、私の自宅に押しかけてきたのである。「母に生活力があると知った父は、復縁を求めるつもりらしい」
「今すぐ、戻ってこい」「あゆ子に生活費を払えるなら、俺ともやり直せるだろう」—父は相変わらずの上から目線で、母に命令していた。「何を言ってるの?
」「私たちはもう離婚したのよ」「他人のあなたと暮らすなんて、ありえないわ」「妻のくせに、俺に逆らうのか」「お前に拒否権はない」「だから、私とあなたはすでに離婚が成立してるの」「もう、あなたの妻じゃないわ」「うるさい」「俺に逆らうな」—父は、嫌がる母の腕を引っ張り、無理やり連れ帰ろうとした。「それ以上やったら、警察に通報するわよ」「できるものなら、やってみろ」「自分の妻を連れ帰るのが、何の罪だって言うんだ? 」「いい加減にして」「もう、あなたは他人なの」—父は、母がどれだけ「離婚が成立した」と言っても全く理解しようとせず、強引に母を連れ帰ろうとした
そこへ、祖母が買い物袋をぶら下げて訪ねてきた。「いい加減にしなさい」—すでに事情を聞いていた祖母は、身勝手な言い分ばかり言っている父を厳しく叱責した。祖母は、長年祖父の介護に尽力した母に感謝していたのである。母は祖父の介護だけでなく、祖父母の身の回りのことも献身的に行ってきたのだ」。祖母の体のことを思いやり、祖父の介護はできるだけ自分が行っていた母のことを、祖母も分かっていた。直接口に出して感謝することは少なかったかもしれないが、祖母と母は気持ちが通じていたのだ
「あなたを甘やかしすぎたわ」「今後一切、家の敷居をまたがないで」「それはどういう意味だ? 」「あなたとは、親子の縁を切るわ」「母さんとも、他人なら、私とも他人よ」—祖母の言葉に、父は大きく動揺した
母にも祖母にも拒絶された父は、私の足元で土下座を始めた。「お前が味方についてくれたら、母さんも祖母も考え直してくれる」—父は何を思ったのか、私が父の味方に着くと思っているようだ。「残念だけど、私はお母さんの味方よ」「あなたが父親だって思ったことなんて、ないわ」—私は、それまで抱えていた思いを全て吐き出した
「恩知らずが」「誰のおかげで大学まで行けたと思っているんだ」—私が父を拒絶すると、父は態度を急変させ、私に対しても毒づいてきた。「しかし、高校も大学も、ずっと進学を拒んでいたのは父なのだ」「それでも私が大学まで卒業できたのは、全て母のおかげなのである」—母は父のお金を使うことで、後々父が私に対しても傲慢な態度を取らないように、無理をして仕事を増やし、私の学費を自分の収入で賄なってくれた。「私が感謝するのであれば、それは母に対してなのである」—母は学費以外にも、常に私の気持ちを最優先にしてくれた。その恩は、測り知れないものがある。その反面、父は私のやること全てに反対し、いつも私の気持ちを掻き乱していた—そんな父に、何を感謝すればいいのだろうか
「私だけじゃない」「これまでお母さんやおばあちゃんが、どれだけあんたに苦しめられたと思ってるの?
」「そんな人を、私が助けるわけないでしょ」—私の強い態度に、父は説得を諦めたようだ。「ふん」「俺にも、逆転のチャンスはある」「俺が金持ちになった時に、泣きついてきても知らないからな」「せいぜい後悔するなよ」—そう言い残すと、父はすごすごと引き上げていった。「逆転のチャンスがあるというなら、やってみればいい」—定年を迎えた一介のサラリーマンに、何ができるというのだろうか
父はこれといった資格があるわけでも、技術があるわけでもない。ましてや人間性は最悪なのだ—そんな父を、お金を払って雇う人などいない。のちほど、父は最終職場の内定をもらったが、前の職場での人柄の悪さが伝わり、内定が取り消されたのだ
住む家も収入もなくした父は、わずかに残っていた資金で安いアパートを借りて、1人で暮らし始めた。しかし、父は家事などやったことがない.常日頃から「家事は女の仕事だ」と言って、何もしようとしてこなかったのだ—そんな父に、1人で暮らす能力などあるはずもなく、わずか1ヶ月も経たないうちにゴミ屋敷と化したのである。近隣住民からも大家の元にクレームが入り、何度か注意されたようだが、大家が高齢の女性だったことから、父は傲慢な態度で改善を拒否したのだ
その後、残りのお金を全て使い、投資に手を出した父は、見事に大損失を抱えた。父が投資した会社は直後に不正が発覚し、あっという間に株価は大暴落したのだ。その瞬間、父が所有していた株券は、ただの紙切れと化したのである
そのことで生活に困窮した父は、愛用していた車と時計を売却することにしたようだ。とはいえ、車は劣化が激しく購入価格の1割にも満たない価格にしかならなかった。。時計もハイブランドではなかったため、数万円の現金を手にするのみとなり、父は愕然としたのだとか。それでも背に腹は変えられず、両方を売却したのだが、父はそのお金さえも投資に使ってしまった。しかし、元々投資に才能などない父は、あっという間に吸い取られ、途端に生活の危機に追い込まれたのである
負債の補填に奔走することになった父は、「無職でも資金を融資してくれる」という話に飛びつき、闇金から借金をしたようだ。返す当てなどないというのに、無計画にもほどがある—のちほど、父はすぐに借金取りに追い回される日々となった。父はしきりに私に助けを求めてきたのだが、私はすでに父と縁を切っており、援助もしないと突き離した
土下座しながらも、借金取りに捕まりたくない父は、必死で逃げていたらしい。しかし、彼らから逃げられるはずもなく、数ヶ月後、返済の滞った父は、人知れずどこかへ連れ去られたらしい。今頃は、強制労働の日々を過ごしているだろう
その後の私たち夫婦と母は、穏やかで楽しい日々を送っている。父がいないというだけで、何もかもがいい方向へと向かっていったのだ
時々、祖母が手作りの煮物などを持ってきてくれることもある.そんな時は、夫の両親も呼んで、みんなで食卓を囲むのだ—家族の団らんを感じられる瞬間だった**
食卓に流れる時間は、温かい空気が流れ、楽しい会話が飛び交う—こんな温かい時間を求めていた私も、大満足なのである。来週には、母も祖母となるのだ。「これからも、小さな命のために笑って頑張ってもらわないと困る」—私は、幸せという鎖で母をつなぎながら、ようやく手に入れた家族の温かさを大切にしていこうと思っているのだ


