父さん、母さん、聞いてくれ。実はマナが浮気してたんだ。俺はどうしても許せなくて、昨日離婚届を出してきた。
今日は夫の弘樹と義両親が私の退院祝いをしてくれる予定だった。だが、夫の一言で空気は一変する。何も知らない義両親は混乱しているようだ。そこで夫は封筒から数枚の写真を取り出し、義両親の前に並べて事情を説明する。
「実は証拠写真もあるんだ。マナは俺に隠れて、こそこそと浮気を繰り返していた。絶対に許せない」
確かに私と男性が会話しているシーンが映っている。何も知らなければ、三回現場に見えるだろう。
「マナ、三日だけ時間をやる。その間に家から出て行く準備をしろ。それで俺たちは終わりだ」
「いや、三日もいらない。一分あれば十分よ。実は入院前から新居を探していたの。というわけで、今から新居に行くわね」
「お前が新居? なんだその冗談? 意味が分からないぞ」
私は内心でため息をついた。何も知らずに得意げな態度を見せている夫。滑稽に思えたが、ここで感情を挟むのは得策ではない。私は今日のために準備をしてきた。
「必ず後悔させてやるわ」
「冗談なんかじゃない。ちなみに最初から分かってたけど、私に無断で離婚届を出すこともね。そんな戯れ事を信じると思うか。頭でも打ったのか」
夫は一瞬動揺したようだったが、すぐに取り繕うように鼻で笑った。私は夫のその薄っぺらい自信に、長年抑え込んできた怒りを抑えながら冷静に手を次へ進めた。スマホをポケットから取り出し、画面を見せる。
「これを見て」
夫は最初は興味なさそうにしていたが、画面を見た瞬間顔色が一変した。そこに映し出されていたのは、夫が実家の机で離婚届に記入している姿だった。音声も鮮明で、紙をめくる音やペンを走らせる音まで拾われていた。
「実は入院する前から家中に監視カメラを設置していたの」
「お前、正気か? そんなことしてたのか。頭おかしいんじゃないのか」
「監視カメラを設置したのは、あなたが何をしているのか知るため。理由がなければこんなことしないわ」
「侵害だ。お前がやってることは犯罪だろう」
「弘樹、落ち着け。まず話を聞こうじゃないか」
義父が低い声で夫を制した。義母も戸惑った様子で私を見つめる。
「マナさん、一体どうしてそんなことを?」
私は軽く頷き、視線を夫から両親に移した。
「理由は簡単です。弘樹が私を家政婦のように扱い、いびってきたからです」
その言葉に義母は驚いた顔をして夫の方を向いた。
「弘樹、それは本当なの?」
「そんなことあるわけないだろう。こいつの勘違いだ。俺がいつそんなことをしたって言うんだ」
夫は焦りながら言い訳を始めた。私は一度深呼吸して冷静に話を続けた。
「私が入院した理由をお母さんたちは聞いていませんでしたね。実は過労とストレスによるものでした。弘樹が私に過剰な家事を押し付けてきたことが原因です」
「弘樹がそんなことをするなんて私には信じられないわ。普段の弘樹を見ていたら、そんなことをするとは思えない」
義母は顔を曇らせながら首を横に振った。義父も腕を組み、険しい顔で私を見つめた。
「マナさん、俺たちには弘樹がそんな風に見えたことはないんだ。少なくとも俺たちが知っている弘樹は、家族を大事にする息子だよ」
私は心の中でため息をつきながら静かに答えた。
「お父さんとお母さんがそうおっしゃるのも分かります。弘樹はいつも義両親の前ではいい夫を演じていますから。でもそれが本当の姿ではありません。私はずっと弘樹の本性を見てきました」
「父さん、母さん、聞いてくれ。こいつの話を信じちゃいけない。全部こいつの妄想だ。俺がそんなひどいことをするはずがないだろう」
夫は義両親に向き直り、慌てた様子で否定を始めた。義母はまだ半信半疑の様子で、
「でも、マナさんの話にも筋が通っているわ」
と呟いた。夫はさらに声を荒げて私を非難し始めた。
「こいつは自分が浮気してたのを隠すためにこんなことをしてるんだ。俺を悪者にして自分を守ろうとしてるんだよ」
「弘樹、証拠があるかどうかはともかく、マナさんがここまで言うにはそれなりの理由があるはずだ。俺たちが信じられないというだけで終わらせていい問題じゃない」
義父がそう言うと、夫はさらに声を荒げた。
「まあいい。居場所が見つかったんだろう。だったら今すぐ出ていけばいい」
追い詰められた夫は急に話題をそらすように私に向き直り、声を荒げた。その突然の発言に義母が驚いた表情で夫を見た。
「弘樹、何を言ってるの? そんな乱暴なことを」
「母さん、これ以上家にこいつを置いておく理由なんてないだろう。居場所があるって言うならさっさと出ていけばいいんだ」
「今日は新居には行かないわ。別の用事があるから」
私は冷静に言い放った。夫は苛立ちを隠そうともせず、不満げに睨みつけてきた。
「別の用事だ。なんだそれ? 荷物をまとめるのに忙しいとか言うんじゃないだろうな」
「弘樹の愛人に行くつもりよ」
私は一瞬も目をそらさずに答えた。リビングは瞬時に凍りついた。義母は手を口に当て、目を丸くしている。義父は厳しい表情を浮かべながら、私と夫を交互に見つめていた。
「何だと?」
義父の低い声が室内に響いた。夫は驚いたように目を見開いたが、すぐに嘲笑に変えた。
「くだらない冗談を言うな。証拠もないくせに出鱈目なこと言いやがって」
「出鱈目かどうか、これから確認すればいいじゃない」
私は肩を軽く竦め、微笑みを浮かべたまま返した。義母が慌てた様子で口を挟む。
「弘樹、何のことなの? 愛人だなんて。そんな話、私たちは聞いたこともないけれど」
「俺が浮気なんてするわけないだろう」
夫は大げさなジェスチャーで否定し、義母を安心させるように力強く頷いた。
「そうなら行くのに問題はないはずね。潔白なら何も心配いらないでしょう」
私は静かにそう言うと、夫をじっと見据えた。夫はわずかに顔を引き攣らせたが、すぐに鼻で笑って強がって見せた。
「いいだろう。お前がどんな茶番を企んでいるか知らないが、付き合ってやるよ」
「お父さん、お母さんも一緒に来てください。きっと弘樹の潔白が証明されるだけですから」
私は皮肉を込めて、静かに義両親に声をかけた。義父は眉間に皺を寄せ、険しい顔をしながら頷いた。
「そこまで言うのなら、確かめてみるしかない」
義母は不安そうに夫を見た。
「弘樹、大丈夫よね。本当に何もないのよね」
「だから言っただろう。何もないって」
夫は声を荒げ、苛立ちを隠せなくなっていた。それでも強がるように私を睨み返す。
「言ってやるよ。好きなだけ無駄足を踏ませればいい」
私は立ち上がり、
「では、車で行きましょうか。時間を無駄にしないためにも」
と穏やかに言い放った。義父と義母は困惑した表情を浮かべながらも、私の提案に従うことにした。夫は大股で先に歩き出したが、その背中からは焦りが滲み出ているように見えた。私は小さくため息をつきながら、彼を追うように玄関に向かった。
夫と義両親を連れて、私は愛人宅へと向かった。車内は静まり、誰一人として口を開こうとはしない。夫は腕を組んで黙り込み、義父と義母もお互いに困惑した表情を浮かべていた。私だけが冷静に目的の場所を目指して車を走らせた。
目的地に着いたのは、町外れにある小さな住宅だった。
「ここがその愛人宅だっていうのか」
車を止めると、夫が苛立った様子で皮肉っぽく聞いてきた。私は淡々と答えた。
「ええ、そうよ」
私は車を降り、その家のインターホンを押した。しばらくして、中から一人の女性と中年の夫婦が現れた。義両親はその顔を見て、驚きの声を上げた。義母は手を口に当て、震える声で言った。
「リナ…? どうしてここにいるの?」
そう、夫の愛人は、義両親が経営する会社で働く女性、リナだった。彼女は私と夫の夫婦関係を知った上で、夫と関係を持っていたのだ。リナの両親も、娘が既婚男性と関係を持っていたことを知らされており、顔色を変えていた。
夫は完全に動揺し、何も言い返せなくなっていた。義父は激怒し、義母は泣き崩れた。私は冷静に、リナと夫の関係を証明する写真や、夫が私に無断で離婚届を出したこと、そして私に対する日々の暴言や態度の記録を見せた。
義父は夫を怒鳴りつけ、離婚を支持した。義母も、夫の行動を許せないと泣きながら言った。私は慰謝料と養育費を請求することを伝え、夫はうつむくしかなかった。
その後、私は正式に離婚した。夫は会社でも評価を落とし、リナとの関係も破綻した。リナもまた、周囲からの非難を浴び、仕事を失った。
私は新しい生活を始めるために、以前から探していた新居へと引っ越した。義両親は私に謝罪し、今後も何かあったら助けると言ってくれた。私はこれを機に、もう誰かのために自分を犠牲にするのはやめようと決意した。新しい職場も見つけ、自分の力で生きていくことを選んだ。
あの日、家族の前で夫の嘘を暴き、真実を明らかにしたことで、私はようやく自由を手に入れたのだ。もう二度と、誰かの所有物として扱われることはない。自分自身の人生を、自分の力で歩んでいく。それが、私が選んだ新たな道だった。



