「お前のシステムは0点だ。あとはエリートの俺に任せろ」
そう言って、俺のノートパソコンを堂々と初期化した小坂部長。顔には歪んだ笑みが浮かんでいた。明日は2700億の商談の最終プレゼンを控えているというのに。
俺の名前は菅田、45歳。高卒でこのIT企業に入り、這いつくばって働いてきた。学歴はない。だが、1年前から一人で温めてきた大型案件があった。それを成功させれば、ようやく社内での立場も変わるはずだった。
だが、有名大学出身のエリートである小坂部長は、高卒の俺が実力で評価されることを何よりも許せなかったらしい。半年前も、後輩の松本が獲得した仕事を横取りし、自分の手柄だと上層部に報告していた。
「無能が俺より目立つんじゃねえよ」
そう言われた時、俺は歯を食いしばって耐えた。だが今回は、プレゼン資料ごと俺の仕事を消し去ろうとしている。部長の執念はそこまで行き着いていた。
「監査の結果、セキュリティリスクがあると判断された。だからパソコンを初期化しておいたぞ」
そう言い放つ部長の目は、まるで獲物を追い詰めた獣のようだった。しかし、俺には秘密があった。毎日、自宅のパソコンにデータをバックアップしていたのだ。以前、部長に仕事のデータを消された経験があったからこそ、身につけた習慣だ。
松本が立ち上がり、鬼のような形相で部長に迫った。
「部長、わざと初期化したんですね」
「おいおい、言いがかりはやめろ」
「今回の件、しかるべきところに報告します」
「余計なことをするな。お前の評価にも関わるぞ。今後もこの会社で働き続けたいなら、俺に逆らうな」
それは明らかな脅しだった。松本は若いが、俺が育てた優秀な後輩だ。ここで潰されるわけにはいかない。俺は松本を制し、小声で言った。
「小坂部長の言う通りにしろ。お前をまずい立場にさせたくない」
松本はしばらく迷っていたが、最終的に頷いた。
その夜、自宅で俺はバックアップデータが無事なことを確認し、スマホを取り出した。そして、ある人物に連絡を入れた。商談先の大手企業で責任者を務める近藤さん。実は、彼女とは以前から仕事を通じて親しい関係を築いていたのだ。
「小坂部長は仕事ができる人ではありません。このままでは、近藤さんにも迷惑がかかるでしょう」
そう告げると、近藤さんは意外な言葉を返してきた。
「菅田さん、うちに転職しませんか? 実は私も5年前、上司に苦しめられた過去がありまして。小坂部長に一矢報いてやりましょう」
翌日。商談先の会議室の前。俺は内部で交わされる会話に耳を澄ませていた。
「管理システムのバックアップはどういう手法で行うんですか?」
「資料にある通りのやり方です」
自信満々に答える小坂部長だが、技術的な質問になると急に曖昧になる。俺が作ったプレゼン資料をそのまま使っているだけなのだから、当然だ。会議室の空気が徐々に張り詰めていく。
「小坂部長、このプレゼン資料、本当にあなたが作ったものですか?」
近藤さんの鋭い指摘が飛んだ瞬間、俺は扉に手をかけた。
「ご質問には、俺がお答えします」
「菅田、なんでここに!?」
目を丸くする小坂部長を無視して、俺は近藤さんとの質疑応答に臨んだ。淀みなく答えていく。松本も加わった。
「なるほど。分かりました」
近藤さんが満足そうに頷く。小坂部長は呆然とそれを見ているだけだった。
「さて、改めて聞きますが、小坂部長。このプレゼン資料はあなたが作ったものですか?」
「も、もちろんです! 会社の俺のパソコンに元のデータが保存されていますよ」
俺は鞄からノートパソコンを取り出した。
「元のデータはこちらに入っています。編集履歴や日時を確認すれば、こっちが元データだと分かるはずです」
「何を言ってる? そのノートパソコンのデータは俺が消したんだ。元データなんて残ってないぞ」
「データを消した? その言い方だと、まるでプレゼン資料のデータを消すことが目的だったみたいに聞こえますけど」
松本が静かに、しかしはっきりと言い放った。小坂部長の顔色が変わる。
「実は、このプレゼン資料は毎回自宅のパソコンに転送してバックアップを取っていたんですよ。だから、ノートパソコンのデータが消えても問題はありません」
小坂部長の顔が赤から青へと変わる。怒り狂って俺の腕を掴むと、会議室の隅へ連れて行った。
「よくもやってくれたな。絶対に後悔させてやるぞ」
「どうぞご自由に。俺はもう、あなたの会社にいる必要はありませんから」
「何? どういうことだ?」
「俺は近藤さんに誘われて、大手企業への転職が決まっています。今回の商談の話を提案してくれたのも近藤さんなんですよ」
小坂部長は最初、何を言われているのか分からない様子だった。だが、俺の言葉を理解した瞬間、顔面は蒼白になった。
「嘘だろ? お前が大手企業に転職なんて」
「いえ、本当のことです。ちなみに、松本さんもうちの会社に転職予定ですよ」
背後から近藤さんがさらなる衝撃の事実を明かす。小坂部長は声も出ない様子だった。
「松本さんに関しては、菅田さんより前に実績がありました。以前、うちの関連企業と仕事をしていただいた際、担当者から高い評価を聞いています。うちの会社は開発部の事業拡大のために複数人の採用を考えていたので、松本さんに来ていただけるなら助かります」
小坂部長は、どんどん追い詰められていく。
「そんな…どうしてエリートの俺じゃなくて、無能なこいつらが…」
「無能と他人を平然とけなす人間性に問題があるのでは? 今回、あなたと接して一緒に仕事をしたいとは思いませんでした。担当者は引き続き菅田さんと松本さんにお願いします」
近藤さんが冷めた声で、容赦なく部長を切り捨てた。さらに追い討ちをかけるように続ける。
「今回の件は、私からあなたの会社に伝えさせていただきます。重要なデータを簡単に消す監査はかなり問題がありますし、今回のプレゼン資料が入ったパソコンです。無関係とは言えないでしょう」
「い、いや、そこまでしていただかなくても…」
小坂部長の顔は青を通り越して白くなっていた。俺も一歩前に出て言った。
「俺を嫌うのは勝手ですが、取引先を巻き込むのは筋違いだ。あなたの身勝手な振る舞いのせいで、会社の信頼が失われていたかもしれないんですよ」
「まともに仕事を回してもらえず、職場での居場所を失い、一気にやつれてしまったのです」
中国語
「小坂部長は運が良かっただけです。しかし、運の良さもここまでです。今回の件で何かしら罰が下るでしょう。きちんと受け止めて、心の底から反省してくださいね」
小坂部長の目に涙が浮かんだ。小さくうめき声をあげながら、力なくその場に崩れ落ちた。
商談相手の大手企業からの苦言は、俺の会社の上層部には効果的だったようだ。すぐに社内調査が始まり、監査は部長の独断でパソコンの初期化を行ったのは、就業規則違反と情報管理規定違反に当たると判断された。その結果、部長は降格と左遷処分となった。
部長を推薦した営業本部長も、今回の件を知り「もう面倒は見切れない」と絶縁を宣言。後ろ盾を失い、今回の失態が社内に広まった部長は、周りから冷めた目で見られるようになった。
少し前、廊下で部長を見かけた。かつて「エリートの俺に任せろ」と豪語していた男が、暗い顔で黙々と床を掃除していた。実力もなく、人望もなく、最後に頼れるものが何もなかった男の末路だ。
一方、俺と松本は近藤さんとの仕事を手早く進めた。一段落したところで、晴れて二人揃って大手企業への転職を果たした。
「先輩、今週、飲みに行きませんか?」
「いいね。いつもの店に行こうか」
俺たちが話していると、近藤さんも笑顔で加わってきた。
「私も連れて行ってくださいよ」
「もちろんいいですよ。近藤さんは酒に強い方ですか? 俺たち、結構飲むんですけど」
「ええ、まあ。そこそこいける方だと思いますよ」
笑顔で会話する二人を見て、俺も釣られて嬉しくなる。
気の合う仲間と、仕事ができる幸福を、心から噛み締めた。



