「貧乏嫁は一族の恥でしょ。帰ってちょうだい。」 義母は親族写真の並び順を書いたメモを握りしめてそう言った。私は「わかりました」と頭を下げて式場の廊下に出た。今日は義妹・吉野さんの結婚式だ。私はそのドレスを120日かけて縫った。そして、この家の誰も、そのことをまだ知らない。 CTA: 「私は株式会社幸村の代表をしています」…

「貧乏嫁は一族の恥でしょ。帰ってちょうだい。」 義母は親族写真の並び順を書いたメモを握りしめてそう言った。私は「わかりました」と頭を下げて式場の廊下に出た。今日は義妹・吉野さんの結婚式だ。私はそのドレスを120日かけて縫った。そして、この家の誰も、そのことをまだ知らない。 CTA: 「私は株式会社幸村の代表をしています」...

式場の控室の前で義母が言った。「貧乏嫁は一族の恥でしょ。帰ってちょうだい。」
手に持った親族写真の並び順のメモには、私の名前だけがなかった。6年間、この家で私は名前で呼ばれたことがなかった。「あなた」であり「公平の嫁」であり「兄の奥さん」だった。
これでいいと思っていた。年に数回、3時間座っていれば済む話だ。私は家で服のデザインと縫製の仕事をしているとだけ答えていた。それは本当のことだったが、誰も詳しくは聞かなかった。

6年前の結婚の挨拶の日、義母は玄関で私の靴を見て、次に鞄を見て、それから顔を見た。「あら、思ったより普通の方ね」と言った。義父は「仕事は何をしとる?」と聞き、「ぬい子か。女はそれでいい。家に折れるんだから」と言った。公平が反論しようとして、私は袖を引いた。
それ以来、同じやり取りを繰り返してきた。「まだ続いてるの、その内職」と義母。「1枚塗っていくらなの?」「それ物によります」「ほら、そういうのがダメなのよ。ちゃんと決まってないんでしょ」
私は何も訂正しなかった。訂正したところで何も良くならないと分かっていたからだ。肩書きを聞いて態度を変える人は、次の肩書きが出てくればまた変える。私はそれを仕事の方で嫌というほど見てきた。

正月には里子さんが「兄の奥さんってお給料ってあるんですか?」と聞いた。「あります」「え、いくら?」「さ子」と公平が止めたが、彼女は続けた。「だって兄さんの給料で暮らしてるんでしょ?私そういうの尊敬しますよ。私だったら耐えられない」
帰りの電車で公平が言った。「もう行っていいか?」「何を?」「全部だよ。父さんも母さんもさ子も勝手に決めつけてる」「別にいいよ。困ることないし」「困るだろう。俺が困る」
公平さんが困るのは分かる。でも私は困っていなかった。これは強がりではない。この程度の言葉で困るようには、もう6年もこの仕事をやっていなかった。

6月7日、義妹の吉野さんの結婚式の日。
義母が親族室の入り口で言った。「貧乏嫁は一族の恥でしょ。帰ってちょうだい。」
私は「わかりました」と頭を下げて控室を出た。公平が椅子から立ち上がったが、義父が新聞から目を上げずに言った。「今日ぐらい黙っていろ」
私は廊下に立っていた。そこから見える景色はすべて式場のものだ。私が作ったものではない、誰か他の人が作った景色の中に、私は立っていた。それが6年間の自分の立ち位置だと思っていた。

2月のことだ。日本料理店の個室で、義父が取引先の者に頭を下げていた。私はその個室で、袖口を見た取引先の奥様に「それ、あなたですね?」と目だけで問われて、首を振った。義父は私に「黙っていろ」と言った。
そのすぐ後、義母は私を親族写真から外した。

吉野さんが2年前に私のところへ来た。「こういうのが着たいんです」と写真を見せてきた。「相手もいないのに」と彼女は笑った。「40歳で結婚することを笑わないでくれる人に作ってほしい」
私は引き受けた。採寸して、白い布で3回仮縫いして、それから本番。全部で120日かかった。右肩が下がっているのを直してほしいと言われた。20年布を運んできた人だと分かった。
彼女は「着たい」と言った。私は「作りましょうか」と言った。それだけだった。それだけの話だった。

さ子さんが吉野さんのドレスの縫い目を見た。「これレンタルの縫いじゃない」と彼女は言った。レンタルは複数の人が着るから縫い代が熱い。でもこれは全然暑くない。「この人の体しか着られない縫い方」
彼女は3年分のブランドの投稿を全部見たと言っていた。写真を見たくらいで分かるわけないと義母は笑ったが、さ子さんは「分かるんだよ。私それだけはずっと見てたんだから」と言った。目が濡れていた。

「この人が誰か本当に知らないの?」と吉野さんは言った。
義母は眉を寄せた。「誰って?公平のお嫁さんでしょ?」
「それだけ?」「それだけって?それ以外に何があるの?」
吉野さんは大きく息を吸った。そして、あの3人が6年間一度も口にしなかった名前をはっきりと言った。「幸村千ずさん」

廊下が静かになった。
義父の顔から表情が抜けた。義母の手が震えていた。さ子さんは床にしゃがみ込んだ。
私は自分の名前がこの廊下で読み上げられたことに、少し奇妙な気持ちでいた。6年間この家ではなかったことだ。
「株式会社幸村の代表をしています」と私は言った。
義父の膝が揺れた。壁に手をついた。「うちが来週木曜に伺う」そこで言葉が切れた。
さ子さんが口を開いた。「あの、社長って呼ぶの?私この人のことなんて呼べば?」
「今まで通りでいいですよ」と私は答えた。「兄の奥さんで結構です」
さ子さんの顔が歪んだ。「そんな無理です」

義父が一歩私の方へ来た。「あんた、まさか」
「はい。株式会社村の代表をしています」
義父は3回ほど口を開けて閉じた。やっと出た言葉は「来週の木曜のことだが」だった。
「お父さん、私は静かに言った。その件は私からは何も申し上げられません」
「何もというのは、その」「今日は吉野さんの結婚式です。この話はここまでにしましょう」
義父は口を開けたまま何も言えなかった。

吉野さんが義母に言った。「さっきな、何て言ったっけ?」
義母は首を振った。「覚えてない」
「覚えてないんだ」吉野さんは一歩前に出た。「じゃあ私が教えてあげる。『貧乏嫁は一族の恥でしょ。帰ってちょうだい』そう言ったんだよ」
義母の顔が白を通り越して灰色になった。
義母が私の方へ来た。「千ずさん。ごめんなさいね。私たち冗談で言っただけなのよ」
「そうなんですね」
「そうなの。あなた真面目だから間に受けちゃったんでしょ。うちの家はね、昔からこういう軽口を言う家で」
「そうなんですね」
「もちろん家族よ。あなたは家族。当たり前じゃない」
義母は自分で頷いた。「ほら、写真も入ってね。並び順こっちで直すから」メモを広げた。「ここ、お父さんの隣。いえ、真ん中がいいわ。真ん中に立って」
「お母さん」吉野さんが言った。「さっき部害者って言ったよね。それは、さ子が。お母さんは『一族の恥』って言ったよね。冗談で言うことなの?それ」
義母は答えなかった。

親族紹介は予定より8分遅れて始まった。
義父が1人ずつ名前を読み上げていく。「長女の吉野です。長男の公平。そのカ内の」そこで義父は1度止まった。「その内の血ずです」
短い沈黙があった。6年でこの人が私の名前を口にしたのはそれが初めてだった。
私は頭を下げた。「肉雲も千ずです。よろしくお願いいたします」
それだけ言った。仕事の話も会社の名前も出さなかった。

親族写真はその紹介の後に撮った。義母は結局、並び順のメモを出さなかった。私は公平の隣に立った。シャッターが3回鳴った。3回とも私はレンズの中にいた。
披露宴で吉野さんはこう言った。「今日着ているドレスは作ってくれた人がいます。名前は言いません。本人が嫌がるので」
会場が少し笑った。「ただ1つだけ言わせてください。私はこの人に40歳で結婚することを笑われませんでした。それだけです。ありがとうございました」

義父が3度私の方へ来ようとした。3度とも公平が先に立って通路を塞いだ。「父さん、なんだ?今日くらい姉ちゃんの結婚式に集中したら」
2月の日本料理店で義父が公平に言った言葉だった。同じ言葉が4ヶ月後に同じ人へ帰っていた。
帰り際、義父が車寄せで待っていた。「来週の正談のことなんだが。うちも必死なんだ。42人おる」
「仕事に家族は関係ありません」と私は言った。「関係させたら音社の42人が1番損をします。もし今回恩社が選ばれたとしても、その時必ず誰かが言います。あそこは社長の身内だからだと」
義父は黙った。
私は頭を下げて車寄せから離れた。背中から声が聞こえた。「千ずさん。工場を見た時、未目が揃っとると言うたそうだな。沼たから聞いた」
「言いました」
「本当にそう思ったか?」
私は振り返った。「思いました。揃っていました」
「そうか」義父はそれ以上何も言わなかった。

2日後の6月9日月曜の朝、私は出社してすぐ利益送犯の申告書を出した。
相手方の写名、代表者名、自分との関係、その関係を知った日付。それだけを書く欄がある。
「三雲法制株式会社 代表取締まり役 三雲 配偶者の父 知った日 5月30日」
副社長の桜葉さんが言った。「知った日は10日前ですね」
「はい」
「規定は知った日から速やかにです。10日は速やかとは言いません」
「はい」
「ですが記録には残ります。あなたが送らせた理由も一緒に残ります。それでいいですか?」
「それでお願いします」

その日から私はその案件の資料に一切触れなくなった。会議の議題からも外れた。聞かないことが私の唯一の仕事になった。
6月12日木曜、三雲法制の一時審査のヒアリングがうちの会議室で行われたが、私は終日、雑居ビルの仕事場にいた。10時から5時まで、私はそちらへ行かなかった。
7月3日木曜、三雲法制に一時審査の結果が届いた。向上審査へ進む2者にその名前はなかったという。
義父から公平へ電話があった。「血が落としたんだろう」
公平が携帯を私に渡した。「お父さん、私は先定から外れています。理由も結果も私は聞いていません」
「本当か?」「6月9日に申告書を出しました。記録は残っています。ごがあれば音社から正式に紹介してください。私ではなくうちの調達がお答えします」
義父はそれ以上言わなかった。
吉野さん経由で聞いた話では、通知には3つ書かれていたそうだ。品質管理の記録が工程ごとに残っていないこと、納期が遅れた時の手順が決まっていないこと、価格以外に選ぶ理由が書かれていないこと。

10月10日、うちの新作の発表会があった。会場の奥に毎年恒例の展示がある。今年は白い扉から1人で歩いてくる花嫁の写真にした。顔は入れない。入れるのは布と背中だけだ。投資番号と制作日数だけ。第147番、120日。
吉野さんと大輔さんが2人で見に来た。写真の前でしばらく黙って立っていた。「あの日ね」彼女が言った。「千ずさんの名前を言った瞬間の母たちの顔。私、多分一生忘れない」
「私もです」
公平が横で笑った。「俺は笑いそうになるのを我慢するので必死だった」
3人で笑った。

義母たちは肩書きを聞かないまま私を部害者と呼んだ。でも吉野さんは私が何者か知る前からずっと隣にいてくれた。だから私が大切にしたいのは、名前を覚えた後に頭を下げる人ではない。何もわからないうちから名前で呼んでくれた人の方だ。
来年の一着を決める時期が、そろそろ来る。

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