「そんな見窄らしい学校じゃ、こっちが困るんですよ。せっかく一人娘の結婚式だってのに、何でもいいから早く着替えてください。」
俺はその言葉に抵抗した。すると、今度は女が信じられないことを言い放つ。
「結婚式の服も身につけられない貧乏人は、立ち見に決まってるわ。嫌なら帰ればいいじゃない。」
その言葉を聞いた男は、嫌がる俺たちを無理やり立ち上がらせ、あろうことか本当に式場の壁際に立たせようとした。
怒りで顔が真っ赤になっている俺に気づいた妻の太子は、あえて落ち着いた口調で「帰りましょう」と促した。
俺は「そうだね」とだけ言って、会場を後にした。
俺の名前は大村慎吾。今年73歳になる、どこにでもいる普通の爺さんだ。
俺の親父は俺が小学生の頃に事故で亡くなった。それにより家庭はあまり裕福ではなく、俺は中学卒業と共に働き始めた。
しかし、その会社も俺が入社して数年後、残念ながら倒産してしまう。
それでも、どうにかこの年まで生き抜いてこられたのは運が良かったとしか言いようがない。
もちろん、それは俺一人の力でここまで来たわけではない。たくさんの人たちにお世話になった。
一番の功労者は、何と言ってもいつも俺のそばにいてくれた妻の太子だ。給料のせいで途中で仕事を変えたこともあり、精神的に参ってしまう時期もあったが、そんな時も太子は俺を見捨てず支えてくれていた。
おかげで太子には今でも頭が上がらない。
俺はまだ一応仕事は続けてはいるが、ほとんどリタイア状態である。今、我々老夫婦の楽しみといえば、たった一人の孫・日和の成長だ。
と言っても、日和は20代の青年であり、決して小さな子供ではない。今は立派な社会人として建設会社で働いている。
元々大学でも建築を学んでいた日和は、その会社に入ることを第一に考えて頑張ってきていた。だから入社が決まった時、普段大人しいあいつにしては珍しく飛び上がって喜んでいたっけ。
今でもあの時のことを思い出すと、自然と頬が緩んでしまう。
そんな日和が、先日突然、うちにある女性と共に訪ねてきた。
「じいちゃんとばあちゃんに合わせたい人がいる」というのだ。
そうして日和に促されて家に入ってきたのは、月子さんというとても綺麗なお嬢さん。どうやら日和と同い年らしい。入社が縁で親しくなり、そのまま交際を開始したようだ。
日和は恥ずかしそうにしながらも、覚悟を決めたように俺にこう報告してくれた。
「僕、この人と結婚します。」
この間まで赤ん坊だった孫が結婚とは。通りで俺たちも年を取るわけだ。
俺と太子はそんなめでたい報告がただただ嬉しくて、その晩は月子さんを精一杯もてなすことにした。
俺たちのハイテンションぶりに日和は若干呆れつつも、持ち前の優しさで笑って許してくれた。正直、あの時の自分のテンションの高さを思い出すと今でも恥ずかしい。
月子さんは恐縮しつつも、俺たちの行為を決して無下にせず受け取ってくれた。なんとも感じの良い女性だ。
俺たちはこの人になら、子供の頃から可愛がってきた日和を任せられると安心した。
その夜が素晴らしい時間になったことは言うまでもない。
その後、正式に入籍した日和と月子さんから、俺たちに結婚式の招待状が届いた。
太子は結婚式にどんな服を着ていこうかと、早くも頭を悩ませている。
こんな様子を見て俺は「せっかく一人の日和の晴れ舞台なんだから、お前も新しいドレスでも買ったらどうだ?和装がいいなら着物でもいいぞ」と太子に提案してみた。
しかし太子はすぐに「そんなもったいないことするくらいなら、その衣装代を日和と月子さんへのご祝儀に回した方がよっぽどいいわ」と笑う。
太子は昔からかなりの倹約家である。もっとも、彼女をそうさせたのは、俺がかつて仕事に苦戦していた頃、金銭的にも苦労をかけてしまったせいでもあるのだが。
しかし太子はこんな風に節約することを苦に思わない性格なのだ。恥ずかしいので面と向かって本人に告げたことはないが、俺は太子のこういう明るいところがとても気に入っている。
太子が古いドレスを着ていくのなら、俺もいつもの無難なスーツで構わないだろう。そもそも、あくまでも主役は日和と月子さんという未来ある2人なのだから。
年を取った俺たちは邪魔にならないよう、なるべく地味な服装で出席することに決めた。
そして、ついに結婚式当日。
俺は年に似合わず子供のようにウキウキしながら、最寄りの駅から式場へと足を運ぶ。
太子はそんな俺の年甲斐もない様子に苦笑いしつつも、やはり彼女も同じように楽しみにしていることは明白だった。
どうやら式は現代風に親族のみの出席らしい。あまり派手なことが好きではない、物静かな日和らしい選択である。
でも、このくらい小規模な方が俺たちも落ち着いて若い2人を祝ってやることができる。
俺たちは係の者に案内され、テーブル席に腰かけた。
久しぶりにあった親戚たちと談笑していた、その時。
昭和のヤクザかと見紛うほど派手な空色のスーツの男と共に、ギラギラと眩ゆい銀色のドレスに身を包んだ連れの女が現れる。
俺はこの間違いな2人組は、うっかり式場に紛れ込んだ部外者なのではと思ったが、実際のところは全く見当違いだった。
2人組は俺たちに近寄り、こう言ったのである。
「ああ、どうも初めまして。月子の父の皐です。アルタイル運送の営業部長をやってます。こっちが妻の花恵です。」
ああ、この2人が、あの純粋で飾り気のない月子さんの両親だなんて。
俺と太子はとても信じられず、思わずお互いに顔を合わせてしまう。
俺は気を取り直して「日和の祖母です」と挨拶した。
すると、2人は俺たち夫婦をじろじろと、まるで品定めでもするように見た後、ふっと鼻で笑うではないか。
俺はその態度を不審に思った。
その予感は、残念ながらズバリ的中することになる。
皐は俺たちに対し、「もしかしてまだお着替えなさってないんですか?でしたら急いで控え室の方へ。なんでしたらそこまでご案内しましょう」と言った。
俺も太子も、ドレスコードに違反するような服装では決してない。ちゃんとスーツとドレスを着ているのだから。
そりゃ購入してからかなりの時を経た年代物ではあるが、だからといってボロボロに破れたり汚れたりしているわけではない。
それに、服というものは別に新しければいいというものでもないだろう。
俺は少しむっとしつつも、きっぱりと「この服装のままで大丈夫です」と皐に言った。
皐と花恵は信じられないといった風に目を大きく見開いて首を横に振る。
「いやいやいや、そっちが良くても、そんな見窄らしい格好じゃこっちが困るんですよ。せっかく一人の月子の結婚式だってのに、何でもいいから早く着替えてきてください。」
俺はそのとんでもなく無礼な言葉に抵抗した。しかし皐は「そんな格好では困る」の一点張りである。
俺と太子はすっかり弱ってしまった。周りの親戚たちも俺たちをひそひそと噂の種にしている。
俺たち夫婦は何とも肩身の狭い思いでいっぱいになった。
せっかくの日和の結婚式だというのに、どうしてこんな辛い思いをしなければならないのだろう。
俺の悲しみは皐たちへの怒りへと変わっていく。それと同時に、花恵は皐に耳を寄せながら「そんな時代遅れの格好のままでいたいっていうのなら、そうですね。なあ、どうする?」と皐にアドバイスを求めた。
すると花恵は、信じられない言葉を放つではないか。
花恵は俺たちを嘲笑いながら「結婚式の服も身繕いできないような貧乏人は、立ち見に決まってるでしょう。嫌ならとっとと帰ればいいじゃない」と言ってのけたのだ。
こんな酷いセリフ。これから親戚付き合いが始まる人間に対する言葉でないことは明らかである。
その言葉を聞いた皐は、嫌がる俺たちを無理やり立ち上がらせ、あろうことか本当に式場の壁際に立たせようとした。
さすがにここまでプライドをズタズタに傷つけられては、俺も黙っているわけにはいかない。
俺は皐に「この無礼の落とし前はいずれ必ずつけてもらいますからね」と宣言した。
皐は「やれるもんならやってみてくださいよ。まあ、あんたみたいなただの貧乏な爺にできることなんて何一つないでしょうけどね」と笑う。
俺は怒りで顔が真っ赤になっているのが自分でも分かった。
そんな様子に気づいた太子は、俺の怒りを沈めるためにあえて落ち着いた口調で「帰りましょう」と俺を促す。
俺は「そうだね」と頷くことしかできない自分自身にも腹が立ってしまった。しかし、これ以上この場に留まっていても仕方がない。相手は俺たちとはまるっきり価値観の違う奴らなのだから。
こいつらと比べたら、まだ宇宙人と喋った方がよっぽど話が合うんじゃないかという気がしてくる。
俺は太子に手を引かれながら、しぶしぶ会場を後にした。
帰りの電車の中、俺の目から自然と悔し涙が溢れてくる。
今日はこんな悔し涙なんかじゃなく、日和を祝して感動の涙を流すつもりだったのに。
そんなことを考えれば考えるほど、俺の目からはどんどん涙がこぼれてきた。
太子はそんな俺に、そっとハンカチを差し出してくれる。俺は太子の優しさに救われるような気持ちで、一目もはばからず涙を流した。
翌日の朝、俺は久しぶりにある男に電話をかけた。どうしても少し聞いておきたいことがあったからだ。
それから数時間後、俺と太子がお茶を飲んでいると、玄関のチャイムが鳴った。
インターホンのカメラモニターを見ると、玄関前に立っているのは皐と花恵だった。
突然の訪問に驚きつつも、インターホンに出た。
皐は昨日までの傲慢な態度とはまるで違う態度である。かなり憔悴した様子で「あの、皐ですが、少しお時間よろしいでしょうか」とボソボソとたどたどしい話し方で答えた。
正直、こいつらにはもう二度と会いたくはなかったが、せっかく訪ねてきた客をそのまま返してしまうのは大人としてあるまじき行為である。だから俺は2人を家の中へと招き入れることにした。
客間を通してからも、皐と花恵のオドオドした様子に変わりはない。まるで何かとてつもなく強大なものに怯えているような感じだ。
俺はさっさと話を終わらせたかったので、今日2人がやってきた要件を尋ねる。
すると皐は突然床に手をついた。そして、こんなことを言い始めた。
「昨日は大変失礼なことをしてしまいまして、大変申し訳ございません。まさかあなた様が、うちのアルタイル運送の創業者かつ現最高顧問でいらっしゃったとは、重ね重ね申し訳ございません。」
そう謝るや、2人は床に頭を擦りつけるように土下座した。
俺と太子は、夫婦の昨日からの豹変ぶりに面食らってしまったが、ひとまず顔をあげるよう2人を促す。
どうやら俺が今朝電話をかけた、アルタイル運送の現社長・水希から直接皐に連絡が行ったらしい。
と言っても、俺は水希に「営業部長の皐という男は一体どういう男なのか。仕事はちゃんとしているのか」とただ聞いただけなのだが、元より勘のいい水希は、おそらく皐が俺に何かしでかしたに違いないと気づいたのだろう。
先ほど皐が「創業者」と言った通り、アルタイル運送は俺が20代の頃に立ち上げた会社だ。
就職していた会社が倒産してしまい、仕事を失った俺は、意を消してこの運送会社を起こした。
もちろん最初から万事うまくことが運んでいったわけではないが、社員一同が一丸となって働いたおかげで、今では大企業に成長。嬉しいことに部下たちも皆立派に育ってくれたので、俺は数年前にリタイアを決意したのだ。
しかし、そんな俺の決意を水希に強く止められたおかげで、最高顧問の役職を未だに担っている。
なにせ最高顧問といえど、ほとんど仕事らしい仕事はないので、正直肩書きだけの役職ではあるのだが。
俺が何度も促してどうにか顔をあげた皐は、床に膝をついたまま「本当に何と言ってお詫びすればいいのか」とつぶやいている。
そんな皐を、花恵は仕切りに攻めている。花恵の言葉はますますヒートアップしていくようだ。
花恵は皐に「本当にこの人は昔からバカなんです。いつも後先考えずに行動して」とこき下ろしている。
皐はそんな花恵の言葉にカチンと来たらしい。
なんと2人は、あろうことか夫婦喧嘩を始めた。
俺と太子はどうしていいのか分からず、ただただ顔を見合わせるばかり。
他人の家に謝罪に来たくせに、この常識外れな2人はどうして夫婦喧嘩など始められるのだろうか。
自分たちだけの世界に浸っている新婚さんならともかく、2人とももういい年の中年である。
こんな幼稚な奴らが、俺が汗水垂らして作り上げた会社の営業部長とその妻だなんて。
俺は呆気に取られて、ものも言えなくなってしまった。
俺の大きなため息に気づいた皐は、ますます花恵への攻撃を強める。
なんて情けないのだろう。
俺は仕方なく2人の間に入って、この無意味な喧嘩を止めることにした。
俺の仲裁によって、どうにか2人は落ち着きを取り戻したらしい。
俺は改めて、昨日のことについて「どうしてあんな無礼を働いたんだ」と尋ねた。
皐は言葉を濁しながら「まさかあなたがアルタイル運送の役員だったなんて知らなかったから」と、さっきも言った言い訳を繰り返すばかりである。
俺が聞きたいのはそんなことではない。俺は「相手がどんな身分の人間であろうと、娘の結婚相手の祖父母に対する態度として、昨日の君たちの行いは完全に間違っている」と皐夫婦を説いた。
しかし、そんな常識的な言葉で納得してくれるような頭を、残念ながらこの2人は持ち合わせていないらしい。
花恵は俺たちにこんなことを言ってきた。
「でも、最高顧問であられるようなこ立派な方が、どうしてあんなに見窄らしい格好をなさってたんですか?おかしいじゃありませんか?」
俺は「俺たち夫婦は無駄なものに金をかけるようなタイプではない」と花恵に伝えたが、どうやら彼女はさっぱり理解できないらしい。
皐も右に同じといった具合で、腑に落ちない顔をしている。
価値観の合わない人間には、何を言ったところで通じないだろう。
俺は諦めて、さっさと彼らに帰ってもらいたくなった。
しかし皐は、そんな俺の気持ちなどお構いなしで自分の都合をひたすらに主張している。
「ですから、どうか今回のことは水に流していただいて、今後の私の出世のためにも水希社長にお口添えをお願いします」なんてセリフを言い放つではないか。
花恵も「給料を上げていただけたら、この人もさらに会社のために役に立ちますので」と、気持ちの悪い作り笑いを浮かべている。
一体こいつらはどこまで図々しいのだろうか。
俺のうんざりした様子を気の毒に見ていた太子は、ついに口を開いた。
「あの、申し訳ありませんが、昨日のこともあって主人もかなり疲れていますので、そろそろお引き取り願いましょうか。」
花恵は太子をじろじろと見て、ふっと鼻で笑う。
そして、太子の今日の服装についても「最高顧問の夫人がそんな格好をしていては、さすがに体裁が悪いですよ」なんて意見を述べ始めた。
太子はいつもと同じプチプラブランドのワンピース姿だ。別に少しもおかしいところなんてない。
2人に笑われたことに無性に腹が立った俺は、花恵にこう切り出した。
「今朝の電話で水希から色々聞いたんだが、どうやら君はあまり仕事熱心ではないようだね。」
俺の言葉に皐はドキッとしたらしく、大きく目を見開く。
これは水希から、皐が営業部の業績を誤魔化していることや、部下に対してパワハラのひどい態度を取っていると報告が上がっていることなどを聞いたと明かした。
皐は明らかに動揺したらしい。
それは花恵も同じことのようだ。
俺は皐に追い打ちをかけるためにも「もう二度とうちに尋ねてこないように。迷惑だよ」と告げてみた。
そんな俺の言葉に皐夫妻は再び慌て出した様子で、まるで論理の成立しない弁解を始めようとする。
俺はもうこいつらの言葉を耳にするのも嫌になってきたので、一刻も早く出ていくようにと2人を追い立てるように促した。
皐は納得いかない表情で、しぶしぶうちから出ていく。
俺は2人が出ていったのを見届けてから、ようやく一息つけた。
その気持ちは、どうやら太子も同じだったらしい。太子は安心したように、ふっと大きく息を吐いた。
その後、皐は水希に呼び出され、業績の不正やハラスメント疑惑の説明を求められた。
皐はお得意の嘘八百を並べ立てたが、そんなものが通用する水希ではない。
長年俺の右腕として働いてきた水希は、皐の言葉が偽りであることをすぐに見抜き、厳重な処分を下した。
だが、プライドの高い皐は処分を受け入れられなかった。
皐は花恵に何の相談もせず、引退退職したそうだ。
そのことが花恵の癇に障ったのは言うまでもない。
大喧嘩の末、2人は離婚という最悪の結末に至った。
月子さんからも俺たちへの態度を非難されていたらしく、今では縁を切られているような状態だ。
他人を馬鹿にすれば全てを失うことになると、皐夫婦には肝に銘じてほしいが、果たして今後生きていくことができるかは、あくまでもあの2人次第である。
一方、俺はといえば、相変わらず太子と平穏な日々を送っている。休みの日に日和と月子さんが遊びに来てくれるのを心待ちにしている毎日だ。
月子さんは俺たちをまるで実の祖父母のように、常に敬意を持ちつつ慕ってくれている。俺たち夫婦はそれが嬉しくて仕方ない。
今度の休日には、俺たち4人で観光地へ旅行へ行く計画もしている。今から楽しみだ。
仕事の方は相変わらずだが、今回の皐の一件を経て、どうやら水希にも思うところがあったらしい。
水希からは「幹部の社員の育成をやってみてもらえないか」と依頼されている。
どうやらまだまだ俺はリタイアさせてもらえないようだ。
俺は今後も精力的に働きながら、心優しい若夫婦との交流も楽しんでいきたい。



