「10秒でいいから、させてほしい」
さとちゃんは戸惑った表情で首をかしげた。
「10秒? 何をするの?」
「何って……その……俺も男だし、部屋で女性としたいことは……一つで……」
俺の名前は宝田正斗、24歳。社会人2年目の普通の会社員だ。実家は海沿いの小さな港町。一人息子の俺は両親の愛情をたっぷり受けて育った。父は6人兄弟、母は4人姉妹で、親戚も多い。人見知りだった俺は、久しぶりに会う親戚にいつもおどおどして、部屋の隅で一人で漫画を読んでいるような子供だった。
そんな俺に、いつも優しく声をかけてくれる人がいた。父の末の妹、さとちゃんだ。父が20歳のときに生まれた末っ子で、俺とは10歳しか違わない。
小学生の頃、高校生だったさとちゃんはよく言ってくれた。
「まさ君、こっちで一緒にトランプしよう」
「まさ君、映画上手なんだね。すごい」
人見知りだった俺は、その優しさに何度救われたかわからない。そして、さとちゃんの笑顔にドキドキして、もっと話していたいと思うようになった。恋っていうものが何なのか、初めて感じたのはあの頃だ。つまり、さとちゃんが俺の初恋だった。
ある年の正月、親戚の集まりにさとちゃんが綺麗な着物を着て現れたことがある。成人式を控えたさとちゃんはとても綺麗で、幼い俺はその美しさに言葉を失った。そして、当時10歳だった俺は我慢できずに告白した。
「さとちゃん、僕、さとちゃんのことが大好きなんだ」
生まれて初めての愛の告白のつもりだった。だがさとちゃんは「嬉しいわ。私もまさ君のこと大好きだよ」と微笑んでくれただけだった。今思えば当たり前だ。10歳も年下の小学生の告白を本気にするはずがない。
だが当時の俺は、大失恋したかのようにひどく落ち込んだ。それ以来、久しぶりに会ってもまともに目を合わせられなくなった。やがてさとちゃんは社会人になり、忙しいとのことで親戚の集まりにも顔を見せなくなった。会えなくなったさとちゃんに想いを募らせるも、子供だった俺にできることは何もなく、時間だけが過ぎていった。
再会が叶ったのは、俺が20歳のときだった。お盆に墓参りに行こうという父に渋々ついていくと、広い仏間にさとちゃんが立っていた。すらっと背の高い女性になったさとちゃんに、俺は驚いて声をあげた。
「おお、さと子もいたのか。地元に帰ってきてるっていうのに、ちっとも顔を見せないじゃないか」
年の離れた妹を可愛がっていた父は、嬉しそうにさとちゃんの肩に手を置いた。さとちゃんはいたずらっぽく笑う。その笑顔はあの頃と同じだった。
「え、まさか……まさ君?」
俺に見とれてぼーっとしていたら、さとちゃんが目を丸くして声をかけてきた。
「あ、はい。お久しぶりです。まさです」
さとちゃんは目を大きく開いた。
「うわ、大きくなったね。今年成人式だっけ? 早いものね。……それで、彼女とかいるの? そりゃいいわよね。まさ君、とってもかっこよくなってるもん。びっくりしちゃったわ、おばさん」
「いや、いないっすよ」
自分を「おばさん」と呼んださとちゃんに、少しショックを受けつつ返事をした。おばさんであることは事実なんだが、その響きがあまりにもさとちゃんに似合わない。
「さと子こそ、もう30歳だろ。結婚を考えてる相手はいないのか? 早く誰かにもらってもらわないと売れ残るぞ」
仏壇の掃除をしながら父が言った。
「仕事でそれどころじゃないわよ。もう30歳って言うけど、まだ30歳。それにお兄ちゃん、その発言、完全にセクハラよ」
「妹相手にセクハラも何もあるかよ」
軽く言い合いを始めた2人に、慌てて俺は割って入った。
「さとちゃん、仕事は何してるの?」
さとちゃんは俺の方を振り返り、にっこり微笑んだ。
「看護師よ。今は地元の小さな病院で働いてる」
「そうなんだ」
優しくて子供好きだったさとちゃんにぴったりだと思った。すると父が「お線香があと1本しかねえな。お前ら2人で買いに行ってきてくれよ。お釣りはお駄賃だ」と言って、俺たちに1000円札を渡してきた。
「お駄賃って、子供じゃあるまいし」
「いらないのか?」
「分かったわ。全く、昔からお兄ちゃん人遣い荒いんだから。行きましょう、まさ君」
さとちゃんは札を受け取り、俺の手を引いた。不意に握られた手の、ふんわりと柔らかい感触にドキドキしてしまう。
店に向かうまでの間、俺たちは色々と話した。俺が東京の大学で情報工学を勉強していること、将来は開発したアプリが人の役に立てばいいと思っていること。さとちゃんは目をキラキラさせながら俺を見つめ、褒めてくれた。
「すごい、まさ君、すごいね」
その可愛らしい微笑みに胸が締め付けられる。10歳の年の差も忘れてしまうほど、さとちゃんは若くて可愛らしかった。
「ねえ、連絡先教えてよ。せっかくだし、また色々話せたらいいなと思って」
さとちゃんはスマホを取り出した。こうして連絡先を交換した俺たちは、その後頻繁にメッセージをやり取りするようになった。お互いの近況や趣味の話をするうちに、偶然にも同じバンドが好きだということが判明し、一緒にライブに行ったりもした。
「嬉しいわ。まさ君とライブに行けるなんて」
「俺もです。周りに趣味が合う友達がいなくて、ライブはいつも一人で行ってたから」
傍から見ると、俺たちはどんな風に見えるのだろう。10歳しか違わないとはいえ、まさか叔母と甥の関係だとは、多分誰も思わないだろうな。年よりずっと若く見えるさとちゃんと、年相応もしくは老けて見られがちな俺。普通のカップルに見えてたら嬉しいなんて考えては、一人でにやけていた。
「今度東京で研修があるんだけど、ご飯でも行かない?」
ある日、さとちゃんからこんなメッセージが届いた。嬉しくなった俺は、速攻でOKのスタンプを送った。せっかくなら美味しいところにと思い、普段行かない高級フレンチの店を予約したりした。この頃にはもう、俺は自分の気持ちに嘘をつけなくなっていた。さとちゃんと一緒にいると、時間があっという間に過ぎる。ライブに行けるのが嬉しいというより、さとちゃんに会えるのが嬉しいのだ。
当日、店に現れたさとちゃんは相変わらず綺麗で、俺は何度も見惚れてしまった。
「うわ、素敵なお店。ありがとうね、まさ君」
「いや、せっかくさとちゃんが来るならと思ってさ」
「まさ君の彼女が羨ましいわ。デートで使ってる店なんでしょ?」
「いや、いないってば。彼女なんて」
さとちゃんはくすっと笑って俺を見た。なんだか試されてるようで気まずい。
「美味しいわ、このワイン。あの小さかった君と一緒にお酒が飲める日が来るなんてね。なんだか不思議な気分よ」
少し頬を赤らめたさとちゃんが、目をくりくりさせて笑った。明日は休みだというさとちゃん。電車の時間を気にしながらも会話が弾み、気がつけば終電ギリギリの時間になっていた。
「やばいじゃん。駅まで走ろう」
店を出て2人で走り出したものの、さとちゃんはすぐに座り込んでしまった。
「ちょっと飲みすぎちゃったかな。ふらふらしちゃう」
「え、でも終電行っちゃうよ。早く」
焦りながらさとちゃんの手を取るも、立ち上がろうとしない。さとちゃんはすがるような目で俺を見た。
「まさ君のアパートって、この近く?」
「え……うん。まあ、ここから5分も歩けば」
「お邪魔してもいいかな」
俺はどう返事していいかわからなかった。終電をなくした叔母が、甥である俺の家に泊まる。ただそれだけのことだ。別におかしなことではないし、躊躇する理由はないはず。だが、異性として意識しまくっているさとちゃんと一夜を共にするなんて、理性を保てる自信がない。
「昔みたいにトランプでもしようよ」
無邪気に笑うさとちゃんが恨めしく感じる。俺なんて男として見てないんだろうな。それがありありと分かったから。
「じゃあ勝負しよっか。負けた方が何でも言うこと聞くね。どう? 子供の時よくやったよね」
「何でも言うこと聞く?」
「うん」
こうしてさとちゃんは俺の家に来ることになった。
「汚いけど、どうぞ」
まさかさとちゃんを家に入れることになるとは思ってなかったから、洗濯物は山になっているし、ペットボトルは放置してあるし、最高に散らかってる状態だった。
「男の子の部屋って感じね」
さとちゃんは苦笑いしながらリビングの小さなソファーに腰を下ろした。
「よし、じゃあ早速しようか。トランプ持ってきて」
さとちゃんは腕まくりしながら言ったが、いい年した一人暮らしの男の家にトランプなんて早々ないでしょ。
「ゲームならあるよ。勝負ならこれで勝負しない?」
俺はそう言ってゲーム機を出した。
「あ、これしたことあるわ。ブロックを揃えて壊していくやつでしょ」
さとちゃんは身を乗り出してコントローラーを手にした。
そして対戦の結果。
「ずるいよ、まさ君強すぎる」
「そう? 久しぶりにしたから自信なかったんだけどな」
かなりの点差で俺が圧勝。毎日プレイしてることは内緒にしておこう。
「俺が勝ったよね。さとちゃん、何でも言うこと聞いてくれるの?」
「やだ、覚えてた。もう仕方ないわね。何して欲しいって言うの? 言ってごらんよ」
俺は意を決して言った。
「10秒でいいから、させてほしい」
「10秒? 何をするの?」
さとちゃんは困惑した表情で首をかしげた。
「何って……その……俺も男だし、部屋で女性としたいことは……一つで……」
大人のさとちゃんは、すぐに察してくれたようだ。
「……10秒なら。約束よ」
そう言って、そっと体を委ねてきた。え、マジで? 自分で言っておいて何だが、すんなり受け入れてくれたさとちゃんに心底驚いた。だが体は正直で、俺たちはそっと体を重ねた。そして無我夢中で、獣のように愛し合い、果ててしまった。
「……10秒って言ったのに」
さとちゃんは俺の胸の中で恥ずかしそうに呟いた。
「いや、体感としては10秒だった」
幸せすぎてあっという間だったが、外は白み始めていた。カーテン越しに柔らかく差し込む朝の光。
「え、もう朝? 一体どのくらい俺たちは求め合っていたのだろう」
「こんなに我を忘れた夜、今までなかったわ。どうにかなっちゃうかと思った」
さとちゃんはほてった顔で小さく息を吐いた。俺は我慢できず、隣に横たわるさとちゃんを抱きしめた。
「さとちゃん、俺、今まで言えなかったんだけどさ、ずっと好きだったんだよ。さとちゃんのこと。今こうしてるのが信じられない」
さとちゃんは体を固くした。
「私もよ。でも、こうなっちゃいけなかった。だってあなたはおいっこよ。何度も自分に言い聞かせてた。これ以上好きになっちゃいけないんだって。なのに……」
さとちゃんは涙目で俺を見つめた。お互いどうしたらいいのか分からないまま、ひたすら抱き合った。もう気持ちは止められなかった。
その後も俺たちは連絡を取り合い、食事をしながら楽しく話し、夜はお互いを求め合う生活を続けた。でも、いつも頭のどこかで「これはいけないことだ」とブレーキをかけようとする自分がいた。それはさとちゃんも同じだったと思う。叔母であるさとちゃんとは離れるべきか、それともこの禁じられた恋を続けるべきか。続けるとしても、周囲の反対や社会の目、自分たちの倫理感とどう向き合えばいいのか、悩んでいた。
そんな生活が半年ほど続いた頃、俺はついに決心した。
「さとちゃん、俺、さとちゃんとの関係はっきりさせたい」
「え? はっきりさせるって、どういう意味?」
さとちゃんは不安そうに俺を見た。
「うちの親にちゃんと認めてもらいたいんだ。法律上、俺たちが結婚できないのは分かってる。でも、そうだとしても俺は一生さとちゃんと一緒にいたいから」
「まさ君……私のこと、そこまで考えてくれてたの?」
「もちろんだよ」
「私だってまさ君と一緒にいたいよ。でも……」
両親に話すという俺に、さとちゃんはひどく迷っていた。
「私は10歳も年上なのよ。まだ若いまさ君の未来を奪ってしまうようで、申し訳なくて。お兄ちゃんたちに合わせる顔がないわ」
「じゃあ、別れるの?」
俺の質問に、さとちゃんは少し考えた後、大きく息を吸った。
「……いや、別れたくない。私もまさ君と一緒にいることを選ぶわ。どんなことがあっても2人で乗り越えよう」
そう言って、俺の手を握りしめた。
「おう、2人揃ってどうした? 珍しいな」
2人で実家に帰ると、父も母も驚いていた。
「昔からまさ君はさとちゃんが大好きで、よく一緒に遊んでもらってたわよね」
母は懐かしそうに目を細めた。だが、お揃いの指輪をしてる俺たちに母は気づいた。
「あなたたち、もしかして……」
「もしかしなくても、まあいい。立ち話も何だし、入れ。うまいコーヒーがあるんだ。入れてやるよ」
そう言って父はウキウキしながらキッチンへ入っていった。母は俺たち2人を眺めながら父の後を追う。
「ほら、うまいぞ」
しばらくして嬉しそうにコーヒーを差し出す父に、俺は言った。
「父さん。俺、さとちゃんと付き合ってるんだ」
「え?」
父の手がぴたりと止まった。驚きで目を見開いている。
「いやいや、冗談がすぎるよ。そんなこと言うためにわざわざ帰ってきたのか」
父は引きつった笑顔のまま声を出して笑った。だが、さとちゃんが言った。
「お兄ちゃん。私、まさ君のこと好きなの」
父は眉間に皺を寄せたかと思うと、「いい加減にしろ。2人してつまらん冗談よ」と大声をあげた。
「ちょっとお父さん、落ち着いて」
なだめる母だったが、その手は小さく震えていた。
「分かってる。俺たちはそういう関係になっちゃいけないんだって。でも、どうしようもないんだ。気持ちに嘘はつけないよ」
拳を握り、立ち尽くす父に俺は続けた。
「認めてもらえなくてもいい。でも、いつか分かってほしい。俺たちが心から愛し合ってるってこと」
そう言って俺たちは頭を下げた。しばらく沈黙が続いた後、父が静かに口を開いた。
「……時間をくれ」
その一言を残し、父は俯いたままリビングを出ていった。
「あなたたちの気持ちは分かったわ。でもお父さん、それを受け入れるには時間がかかると思う。さとちゃんは可愛い妹だし、あなたはたった一人の愛する息子。幸せになってほしいのは2人とも同じよ。もちろん私も同じ気持ちよ」
そう言って母は黙ってしまった。俺たちももうそれ以上何も言えなくなってしまった。とにかく、これからの俺たちを見てもらうしかない。この愛が本物だって信じてもらえる日まで。
その後、俺たちは東京に戻り、一緒に住むための小さなアパートを借りた。さとちゃんは仕事を辞め、今は東京の小さな小児科で働いている。「時間をくれ」と言った父からの連絡は、3年経った今もないまま。何度か連絡をしたが、まともに話をしてもらえない。頑固な父のことだ。もしかしたらもう一生許してもらえないんじゃないかって、弱気になったこともある。
だけど、その年の年末、母から電話がかかってきた。
「まさ君、さとちゃんと仲良くしてる? 元気にしてるの? 2人とも」
心配そうな母の声に、思わず泣きそうになってしまった。
「父さんがね、正月には帰って来いって言ってるわよ」
「一人でじゃないぞ。2人でだ!」
母の後ろから叫ぶ父の大声が、受話器越しに聞こえてきた。
「父さん……ありがとう。うん、帰るよ。さとちゃんと2人で帰るから、よろしくね、母さん」
俺は必死に涙をこらえながら答えた。帰宅したさとちゃんに話すと、さとちゃんはほっとしたのか声をあげて泣き始めた。
「私たち、許してもらえたのかしら? やっと……」
そう言って俺にすがりついてくる。
「一緒に帰ろう。そしてちゃんと認めてもらおう」
俺は小さく震えるさとちゃんを強く抱きしめた。
「久しぶりだな」
2人で実家に行くと、不機嫌そうな父が、照れくさそうな様子で俺たちを出迎えてくれた。
「仲良くやってたのか? 東京でちょっと痩せたんじゃないか。ちゃんと食べてるのか?」
不器用ながらも俺たちのことを気遣ってくれる父。
「俺たち、幸せにやってるよ。痩せたのはダイエットしたからだよ。2人で毎日ジョギングしてるんだ」
「……さとちゃん」
さとちゃんの方を見ると、にっこり笑いながらもどこか緊張している様子だった。
「お兄ちゃん、ごめんね。勝手なことして。でも私、お兄ちゃんに認めてもらいたいの。まさ君と一緒にいること。お願いします」
そう言ってさとちゃんは父に頭を下げた。父は鼻を鳴らし、飲んでいたコーヒーを静かに置いた。
「……特に認めてるさ」
「え! 良かったわね。お父さん、認めてくれたのよ、あなたたちのこと」
俺とさとちゃんを交互に見て、母は嬉しそうに笑った。
「親戚たちが何て言うかは分からんが、お前たちが幸せかどうかが何よりも大切だ。誰が何と言おうと、一緒にやっていく覚悟はあるんだろう。なら俺はもう何も言わんよ。幸せになってくれ。ただそれだけだ」
「お兄ちゃん……父さん。ありがとう」
こうしてようやく両親に認めてもらえた俺たちの関係。もちろん正式に結婚することは叶わないが、俺は誓う。一生さとちゃんを大切にすると。
幼い頃、綺麗で優しいおばさんに初恋をした俺。そもそも初恋は叶わないなんて言うし、ハードルが高すぎる俺の初恋。まさか叶うなんて、思いもしなかった。
「本当に私でいいの? 若い子に目移りしない?」
10歳の年の差を、さとちゃんは未だに気にしているようだ。けど、そんなの全く関係ない。
「するわけないよ。俺は一生さとちゃんを愛してる。約束するよ」
俺は今日も、心からの愛をさとちゃんに伝える。



