「お前みたいなボロ工場の社長が何を言っても説得力ないよ。うちが融資を止めたら、お前の会社なんてその日のうちに終わりだよ」――高校の同窓会場で、融資担当の同級生に面と向かってそう言われた瞬間、空気が凍りついた。親から継いだ古びた工場を守るため、毎日走り続けてきた俺の技術は本物だ。でも、彼の一言で周囲の視線は一気に冷たくなった。そんな時、一人の女性が現れて「それは違うわ」と声を上げた。彼女が銀行…

「お前みたいなボロ工場の社長が何を言っても説得力ないよ。うちが融資を止めたら、お前の会社なんてその日のうちに終わりだよ」――高校の同窓会場で、融資担当の同級生に面と向かってそう言われた瞬間、空気が凍りついた。親から継いだ古びた工場を守るため、毎日走り続けてきた俺の技術は本物だ。でも、彼の一言で周囲の視線は一気に冷たくなった。そんな時、一人の女性が現れて「それは違うわ」と声を上げた。彼女が銀行...

同窓会の会場で、新谷の声が響いた瞬間、空気が凍りついた。

「お前みたいなボロ工場の社長が何を言っても説得力ないよ。うちが融資を止めたら、お前の会社なんてその日のうちに終わりだよ」

俺は拳を握りしめた。言いたいことは山ほどあったが、ここで感情的になっても何も解決しない。周囲の同級生たちは気まずそうに視線をそらしていた。

その時、澄んだ女性の声が空気を切り裂いた。

「それは違うわ」

振り返ると、淡いミントブルーのドレスを身にまとった女性が立っていた。光だ。高校時代は美化委員で、いつもひっそりと掃除道具の点検をしていた彼女が、今は見違えるほど洗練された美しさをまとっていた。

「新谷君、霧山君の会社は売上高40億円よ。桜エコマテリアルズっていうの、みんなも知ってるでしょ」

その言葉に周囲からどよめきが起こった。新谷の顔が歪む。

「エミ、お前は何を? 」

「私も感動銀行で働いているから知ってるの。霧山君の会社のESG審査資料を確認する機会があったの。特に環境面で画期的な評価を受けているわ」

光は続けた。霧山君はね、親が経営していた古い工場を引き継いだ後、独自の技術開発に取り組んだの。二酸化炭素を吸収するバイオセメントよ。通常のセメントは製造過程で大量のCO2を排出するけど、霧山君が開発したバイオセメントは逆に空気中のCO2を吸収して固定化するの。環境問題に大きく貢献する画期的な技術なのよ。

新谷は顔色を変え、何か言い返そうとしたが言葉が出てこない。その時、彼のスマホが鳴り響いた。彼は画面を見て表情を固くし、「失礼」と言い残して足早に会場を出ていった。

光は新谷が去った後、少し申し訳なさそうに俺に向き直った。

「ごめんなさい。仕事の話をこんな場で出すつもりはなかったんだけど」

「いや、助かったよ。でも、よく俺の会社のことを知ってるね」

「私ね、ESG内部監査の臨時メンバーなの。それであなたの会社の資料を見る機会があって。それに高校の時、あなたが環境に優しい建材の話をしていたのを覚えてたから。あの頃の夢を本当に実現させたんだって、私、感動したの」

俺は驚いた。そんな昔の話を彼女が覚えていたなんて。高校時代、図書室の隅で交わした会話の記憶が鮮やかに蘇ってきた。

同窓会が終わり、ホテルを出ると春の夜風が俺たちの頬を撫でた。俺は駅までの道を送ることを申し出た。光は少し考えてから頷いた。

歩きながら、俺たちは環境技術の話に花を咲かせた。俺の研究内容、バイオセメントの可能性、光の銀行でのESG評価の仕事。高校時代には漠然としていた話題が、今は現実として目の前にある。

「今一番やりたいことは何? 」

光が訪ねた。俺は少し考えてから答えた。

「CO2を吸う白い橋を作りたい」

「橋? 」

「ああ、バイオセメントで作る、CO2を吸収する白い橋だ。人々が毎日渡りながら環境への貢献を目に見える形で実感できる。そんな橋があれば環境技術への理解も広がると思うんだ」

「素敵な夢ね」

感動銀行から追加融資がもらえれば、その夢に一歩近づける。橋に必要な量のバイオセメントが製造できるようになるんだ。

「大丈夫よ。あなたの技術の価値は確かなもの。私も精一杯サポートするわ」

駅に到着し、別れの言葉を交わすべき場所で、不思議とどちらも動こうとしない。

「また会えるか」

思い切って俺が訪ねると、光は優しく微笑んだ。

「もちろん。仕事でも、仕事以外でも」

彼女が差し出した名刺には、プライベートの連絡先も書き添えられていた。

月曜の朝はいつもより晴れやかな気持ちで始まった。しかし、工場に入るなり、直井が心配そうな表情で近づいてきた。

「おはよう。どうした?

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彼が俺に差し出したのは、感動銀行のロゴが入った封筒だった。

「今朝届いた。開封しておいた。すまん」

俺は中身を取り出した。一瞬、目の前が真っ暗になる感覚があった。

「株式会社桜エコマテリアルズ 御中 追加融資の申請は凍結とさせていただきます。また、既存融資枠の設備資金使用も当面の間、停止措置とさせていただきます」

信じられない思いで何度も読み返す。どういうことだ? 先週まで問題ないと言われていたはずだ。俺はすぐに新谷に電話をしたが、何度コールが鳴っても彼は電話に出なかった。

「今から銀行に行くぞ」

「おい、落ち着け。まずは状況を整理しよう」

直井が俺の袖を掴んだが、俺は思わず声を荒げた。

「冷静になんてしてられない。この融資が止まればパイロットプラントの増設が遅れる。国交省との共同試験までの期限はあと20日だ」

感動銀行の支店に行っても、新谷の姿はなかった。支店長の佐々木さんに会おうとしたが、30分以上待たされた挙句、「本部からの指示です。詳細は担当の新谷から連絡があるでしょう」と冷たくあしらわれた。

俺は勇気を出して光に連絡を入れた。今朝の出来事を伝えると、彼女は驚きと困惑の声をあげた。

「そんなの、おかしいわ。ESG評価は高かったのに」

カフェで会うことになり、詳しく説明すると、光は真剣な表情で聞いていた。

「それは本当に不自然ね。何か別の要因があるはず。私が調べてみる」

「え、でも、それって規約違反じゃないのか? 大丈夫なのか? 」

光は少し迷いがちに唇を噛んだ。

「多少のリスクはあるけど、でも黙って見ていられないわ。あなたの会社の技術は本物よ。環境問題の解決に貢献する可能性を秘めている。それが不当な理由で潰されるのを、私は見過ごせない」

「君に迷惑はかけたくないんだ。仕事に影響が出たら」

「大丈夫。慎重にやるわ。それに、ESG監査の一環として見ることは職務の範囲内よ。不自然な操作があれば、それこそが調査対象になるけど」

翌日、俺は思い足取りで星野建設の本社ビルを訪れていた。取引先との約束を守れなくなるかもしれない。そんな報告は経営者として最も辛いものの一つだ。星野社長に融資が打ち切られたことを伝えると、彼は驚きの表情を隠さずに尋ねてきた。

「何があったんですか?

俺が昨日の出来事を詳細に説明すると、星野さんは深く考え込む様子を見せた。そして、突然明るい声で言った。

「新しい銀行を紹介しますよ。私の知り合いで、環境技術に理解のある融資担当がいるんです」

予想外の申し出に俺は一瞬言葉を失った。

「星野さん、桐山さんの技術は本物です。私はそれを信じています。これまでの試作品を見せてもらって、その可能性は十分に理解しています。だからこの契約は必ず実現させたい」

その時、俺は思い出したように尋ねた。

「ところで、感動銀行の融資担当って新谷さんですか? 」

「え? はい。そうですが」

「彼は今、元気ですか? 」

その質問に俺は思わず「え?

」と声をあげていた。星野さん、新谷のことをご存知なんですか? 星野さんは少し躊躇した後、ゆっくりと頷いた。

星野建設から戻る途中、スマホが震えた。画面を見ると光からのメッセージだった。

「急いで銀行に来て。重要な情報があります」

銀行に着くと、光は裏口で待っていた。いつもの穏やかさはなく、緊張した面持ちだ。俺たちは銀行から少し離れた小さなカフェに入った。客が少ない奥のテーブルに座ると、光はノートパソコンを開いた。

「見つけたわ。これ。先週の木曜日の深夜2時17分。通常、銀行のシステムはメンテナンス以外では深夜にアクセスされることはないの。でも、この時に新谷のIDでリモートアクセスがあったわ。そして彼がアクセスしたのは、あなたの会社の強度試験データよ。CSVファイルが書き換えられているわ」

俺の心臓が早鐘を打った。

「書き換えられた? 」

「ESG審査の一環で、建材の強度データも評価対象になるの。あなたの会社が提出したデータが改ざんされていたのよ」

信じられない話だった。俺は画面を食い入るように見つめた。証拠は確実だ。システムは全てのアクセスを記録している。

「なぜ新谷がそんなことを? 」

「分からないわ。でも、これは確かな証拠よ。あなたの会社のデータが意図的に改ざんされた。それによって審査結果が覆されたんだわ」

その時、カフェのドアが開く音がした。俺たちは反射的に振り向いた。そこに立っていたのは、新谷だった。

彼はゆっくりとした足取りで俺たちのテーブルに近づいてきた。

「エミ、お前が銀行のシステムに不正アクセスしているって噂を聞いたんだが」

その言葉に光の肩が一瞬強張った。だが、彼女の目には決して曇ることのない強い光があった。

「アクセス権限内の業務よ。ESG内部監査チームのメンバーとして」

新谷の顔に不適な笑みが浮かぶ。彼は光のノートパソコンの画面をちらりと見た。

「なるほど。だから桐山の会社のデータを調べていたのか」

「これはあなたが書き換えたの?

光の声は静かだったが、その一言は鋭い刃物のように空気を切り裂いた。新谷の表情が一瞬揺らいだ。

「何の話だ? 」

「とぼけないで。先週木曜日、深夜2時17分。あなたのIDでリモートアクセスがあった。霧山君の会社の強度試験データが改ざんされたの」

新谷の顔から血の気が引いた。彼は素早くカフェの中を見回し、誰も聞いていないことを確認すると声を落としていった。

「今なら内部に収めてやる。そのデータを消してこのことは忘れろ。じゃなかったら君は首だ」

その言葉に俺は思わず立ち上がりかけた。だが、光は冷静を崩さず、むしろ毅然とした態度で新谷を見据えていた。

「何を言ってるの? 首だなんて、あなたの一存じゃ決められないわ」

「君は臨時メンバーだ。上に話を通せば簡単に外せる」

「そんな脅しが通用すると思ってるの? ESG評価の不正操作。これは単なる内部問題じゃない。金融庁の調査対象になるわ」

光は冷たく言い放った。新谷の体に汗が浮かんだ。彼は椅子を引き、俺たちの向かいに腰を下ろした。その手はかすかに震えていた。

「分かってないな、エミ。これはお前が思っている以上に大きなところが関わっている。俺一人の問題じゃない」

「どういう意味だ?

俺は静かに尋ねた。新谷は深いため息をついた。

「言っても無駄だ。もう手遅れなんだよ。とにかくこの件から手を引け」

「冗談じゃない。引くわけにはいかないんだ」

俺はゆっくりと立ち上がった。カフェのテーブルに両手をつき、新谷をまっすぐ見据えた。彼の表情が硬くなった。

「お前には分からないだろう、桐山。これはもう決まったことなんだ」

「決まったこと? 誰が決めた? 不正なデータ改ざんで会社を潰そうとする奴らか? 」

俺の会社には毎日朝早くから工場に来て汗を流す従業員がいる。彼らには家族がいて、生活がある。俺の技術を信じて取引をしてくれる会社もある。それだけじゃない。俺たちが開発している技術は、この先何十年もの未来に影響を与える可能性を持っている。CO2を吸収するバイオセメント。この技術で救われる人がどれだけいると思う。

新谷の目が揺れた。彼は言葉を返そうとしたが、俺はそれを許さなかった。

「環境問題は待ってくれない。誰かが動かなければ変わらない。その誰かに俺がなると決めたんだ。何があっても負けるつもりはない。例え相手が銀行でも、大企業でも、どんな大きなところでもだ」

俺は右手を握りしめた。

「ふざけるな」

新谷が突然テーブルを叩いた。カップが揺れ、コーヒーがこぼれる。

「何も分かっていない。お前みたいな夢見がちな奴が、どうして未来を変えられると思える?

俺だって昔はお前と同じだったんだよ。高い理想を持ってこの業界に入った。でも現実は違う。何もかも簡単に潰されるんだ。お前の技術なんて、この世界じゃ邪魔でしかないんだよ」

彼の声は怒りに震えていた。その目には憎しみと焦りが混じっている。

「新谷君、落ち着いて」

光が諭すように言ったが、新谷の怒りは収まらなかった。

「黙れ。お前もだ。こんなボロ工場社長のために自分のキャリアを棒に振るつもりか。こいつの技術なんて絵に書いた餅だ。こんな奴の夢物語に付き合って、自分の将来を台無しにするなんて」

「それ以上、桐山さんのことを悪く言うのはやめなさい」

穏やかだが力強い声が新谷の叫びを遮った。振り向いた先には、星野さんが立っていた。星野さんはゆっくりと新谷に近づき、彼の向かいの席に座った。カフェの空気が一変する。

「新谷さん、久しぶりですね」

星野さんの声は静かだったが、その一言一言には重みがあった。新谷は星野さんを見つめ、言葉を失っている。

「3年前はお世話になりました。今の自分の会社があるのはあなたのおかげです」

その言葉に新谷の表情が変わった。光は驚きの表情を浮かべる。

「あの豪雨災害の後、橋が流されてうちの現場が孤立した時のことは忘れません。銀行はどこも融資を渋る中、あなただけが手を差し伸べてくれた。『この橋は地域の命綱だ』と言って、即日で緊急融資を決断してくれた。あの5000万円がなければ、資材も運べず、工期も守れず、うちの会社は潰れていたでしょう。あなたの決断で地域の交通も守られ、私の会社も生き残れたんです」

星野さんは懐から一枚の写真を取り出した。そこには修復された橋と笑顔で並ぶ作業員たちの姿があった。

「でも、だからこそ、今回のやり方には納得できない。どうして桐山さんの会社のデータを改ざんするような真似を。あなたは人の可能性を信じる銀行員だったはずです」

星野さんの表情が厳しくなる。新谷は言葉に詰まり、うつむいた。

「なぜこんなことをしているのか、理由を聞かせてください」

星野さんの声は攻めるというより、心から理解したいという思いに満ちていた。カフェの空気が凍りついたように静まり、新谷はゆっくりと顔をあげた。その目にはもう怒りはなかった。そこにあるのは、ただ深い諦めと悲しみだけだった。

「あの豪雨の日、星野さんから連絡を受けた。橋が流されて村が孤立した。緊急に資金が必要だと。だけど、それは本部の審査では絶対に通らない案件だった」

新谷は両手で顔を覆った。

「でも村の人たちが危険な状態だと聞いて、俺は融資申請書の担保評価を改ざんした。星の建設の資産価値を水増しして、本来なら融資不可能な5000万円を無理やり通した。さらに内部承認プロセスも省略した。完全な規定違反だった。それだけじゃない。事後報告では災害緊急対応として書類を作り直した。虚偽報告だ。本来なら犯罪行為に近い」

星野さんは驚いたように新谷を見つめた。新谷はテーブルを強く握りしめた。

「半年後、佐々木支店長が内部監査で俺の不正を発見した。彼は他の支店長に報告せず、俺を自分の下につけた。言うことを聞かなければ、このことを上にばらすと」

光が驚いて声をあげた。新谷は苦しそうに頷く。

「それ以来、俺は支店長の手足となって働くようになった。支店長は旧セメント連合の元幹部と癒着している。彼らから高額な接待を受け、優遇金利で融資を流す見返りに個人的な利益を得ているんだ。そんな支店長にとって、桐山の会社は脅威なんだ。CO2を吸うセメントは、既存のセメント業界を根底から覆す。だから支店長は俺に、霧山の会社の強度試験データを改ざんして不良品に見せろと命じた。支店長の指示で、俺は深夜にシステムに侵入し、数値を書き換えた。ESG評価も操作した」

カフェの静寂の中で、その告白は重い響きのように響いた。星野さんの顔からは血の気が引いていた。彼はまじまじと新谷を見つめ、唇を震わせながら言った。

「そんなあなたが、そこまでのリスクを背負ってまで、息を深く吸い込み、星野さんは決意を固めたように姿勢を正した。

「新谷さん、もうこれ以上あなたに罪を重ねてほしくない。過去のことは全て公表します。私から」

その言葉に新谷が驚いたように顔をあげる。

「うちの会社も無傷では済まないでしょう。融資審査の不正を知りながら受け入れたのですから。でも、あの時救われた命がある。そのことに後悔はありません。だからあの時のあなたにもう一度戻ってほしい。人を信じ、未来を信じる銀行員に」

星野さんの声は震えていたが、その目には揺るぎない決意があった。カフェのテーブルの上で、彼はゆっくりと手を伸ばし、新谷の拳を覆うように握った。

「人は間違いを犯します。でも、それを認める勇気があれば、また歩き始められる。私も、あなたも、まだまだこれからです」

ゆっくりと新谷の目から一筋の涙が伝った。俺と光は言葉もなく二人を見つめていた。新谷の拳が開き、星野さんの手をしっかりと握り返した。彼の肩は大きく震え、涙は止まらなかった。

「もう一度、やり直せるだろうか」

「もちろんです。一緒に正しい道を歩きましょう」

星野さんは確かな声で答えた。

新谷の告白から数日後、俺たちは反撃の準備を整えていた。工場の事務所に集まったのは、俺、直井、光、そして新規一転した表情の新谷だった。

「これが光が見つけてくれた、改ざん前後のデータの証拠だ」

俺はノートパソコンを開き、スクリーンに画面を映し出す。光がESG監査チームのメンバーとして発見した、新谷のIDでのログイン記録と改ざんの痕跡。彼女の機転のおかげで、共同試験のデータが書き換えられた証拠は確保できた。

「でも、これだけでは佐々木支店長の関与を証明するには弱い。彼は新谷の単独犯行だと言い逃れるだろう」

直井が眉間にしわを寄せていった。

「そうだな。何か他に方法はないかな? 」

俺は腕を組んで考え込んだ。確かに現時点では、佐々木の指示があったことを示す直接的な証拠はない。沈黙が部屋に流れた。その時、新谷が静かに口を開いた。

「佐々木との会話を録音してある」

え、みんなの視線が新谷に集まった。彼は少しうつむきがちに続けた。

「あの夜、データ改ざんの指示を受けた時、自分の身を守るために録音していたんだ。以前から佐々木の不正な指示が増えていて、いつか自分が犠牲になるかもしれないと思っていたから」

新谷はポケットからボイスレコーダーを取り出した。

「このボイスレコーダーは、着ているスーツの内ポケットにいつも入れていた。証拠を残さない支店長だが、直接の会話では油断していたんだ」

新谷がボタンを押すと、会議室には佐々木の声が響き渡った。

「新谷、桐山の案件はどうなっている? 」

「審査は順調です。ESG評価も高く、融資は問題なく通りそうです」

「それは困るな。あの会社の技術は旧セメント連合にとって脅威だ。特にCO2を吸収するバイオセメントなどというものが実用化されれば、業界は大打撃を受ける」

「しかし支店長、彼らの技術は基準をクリアしています。審査を止める理由が」

「理由など作ればいい。データを改ざんするんだ。具体的な指示はメールで送る。明日までに処理しろ」

録音は鮮明で、佐々木の声に含まれる威圧の調子まではっきりと伝わってきた。これは決定的な証拠だ。

「でもこれだけじゃない。新谷は続けて、熱い封筒を取り出した。これは佐々木と旧セメント連合の企業との接待の記録だ。俺は彼の経費申請書類を管理していたから、不自然に高額な接待費が計上されていることに気づいていた。それらの日付と金額を全て記録しておいたんだ」

封筒からは、日付、場所、相手の名前、額が細かく記された表が出てきた。俺は新谷に向き直り、真剣な表情で言った。

「これで佐々木の不正を証明できる。金融庁に提出しよう。すでに内部告発として、光が発見したログデータの資料を送っている。明日、ヒアリングがある」

翌日、金融庁の会議室。厳粛な雰囲気の中、俺たちは証言台に立っていた。向かい側には顔面蒼白の佐々木支店長。彼の傍らには銀行本部の役員たちが座っている。

光が最初に証言した。

「ESG内部監査タスクフォースのメンバーとして、不自然なデータの変更に気づきました。その調査過程で、桜エコマテリアルズの強度試験データが何者かによって改ざんされていたことが判明しました」

彼女は淡々と事実を述べた。その声には揺るぎない確信があった。次に新谷が前に進み出た。彼の手は震えていたが、目には決意の光があった。

「私が佐々木支店長の指示によりデータを改ざんしました。これは3年前の私の不正融資を弱みに取られたためです」

会場にどよめきが起こる。

「しかし、それは本来あってはならないことでした。今回、全ての事実を明らかにすることで、私の責任を果たしたいと思います」

新谷は録音機を取り出し、金融庁の調査官に差し出した。

「これは佐々木支店長が私にデータ改ざんを直接指示した時の会話です。さらに、これらの資料は支店長と旧セメント連合の企業との不適切な関係を示す経費記録です」

彼は震える手で一連の資料を提出した。佐々木支店長の顔からさらに血の気が引いていくのが見て取れた。最後に俺が証言台に立った。

「私たちは当初から正しいデータを提出していました。バイオセメントの強度試験の結果は基準値を十分に上回っています。そして何より、このセメントはCO2を吸収する画期的な環境技術です」

俺はUSBメモリを差し出した。

「ここには改ざん前の元データと、光が発見した改ざんのログ記録が入っています。新谷さんの録音証拠と合わせれば、佐々木支店長が旧セメント連合からの見返りを受けて、意図的に我が社の融資を妨害しようとした事実が明らかになるはずです」

俺の言葉が会議室に響き渡ると、佐々木支店長の顔が見る見るうちに青ざめていった。彼は慌てて立ち上がり、机を強く叩いた。

「これは全て新谷の暴走です。新谷は以前から問題社員でした。3年前の不正融資を見ればそれは明らかです」

佐々木支店長は周囲を見回し、懸命に弁明した。しかし、金融庁の調査官は冷静に言葉を放った。

「佐々木さん、録音された会話であなたの声が確認できています」

佐々木支店長の顔から血の気が引いた。彼は言葉を失い、よろめきながら椅子に崩れ落ちた。調査官は立ち上がり、重々しい声で宣言した。

「本日を持って、感動銀行第三支店に対する金融庁の強制調査を開始します。佐々木支店長、あなたは即刻職務停止処分とします。調査完了まで、全ての銀行関連の業務から離れていただきます」

数日後、俺が工場の事務所で書類に目を通していると、直井が新聞を手に入ってきた。

「おい、霧山。佐々木が逮捕されたぞ」

直井が広げた新聞には、「関東銀行元支店長 背任容疑で逮捕」という見出しが踊っていた。記事によれば、佐々木は特定企業への融資妨害と引き換えにセメント業界からの不正な利益供与を受けていた疑いがあるという。

その午後、星野さんから連絡があった。会社に来てほしいという。星野建設に到着すると、応接室に通された。そこには星野さんと共に、見覚えのある顔があった。新谷だ。彼は俺を見ると、すぐに立ち上がり深々と頭を下げた。

「桐山、本当に申し訳なかった」

新谷の声には以前の尖りが消えていた。代わりに、静かな決意が感じられる。

「新谷さんは今日からうちの経理部長として働くことになりました」

星野さんが穏やかに説明した。俺は驚いて新谷を見た。

「銀行は懲戒解雇になった。当然の結果だ。不正を犯した上に、支店長の悪事に加担していたのだから。だけど、そんな俺に星野さんが手を差し伸べてくれたんだ」

新谷は目を伏せた。星野さんは微笑んで言った。

「彼の金融知識は一流です。それに、過ちを認めて立ち直る勇気を持った人間は信頼できますからね」

新谷は真摯な表情で俺を見つめた。

「桐山、俺がお前の会社の融資を凍結したのは、佐々木に脅されていたからと、もう一つ理由があるんだ。同窓会の時、エミがお前を守ろうとしている姿を見て、嫉妬したんだ。彼女がお前の技術を高く評価し、お前の味方になった時、俺の心が歪んでしまった」

彼は拳を握りしめた。

「霧山の会社のデータを改ざんした時、自分がどれだけ卑怯なことをしているか分かっていたけど、止められなかった。弱さに負けた自分が、本当に情けない。霧山の会社と技術の未来に、少しでも償えることがあれば、俺は何でもするつもりだ」

俺は静かに頷いた。

「それじゃあ、お前の金融知識で、環境技術に投資する新しい仕組みを一緒に考えてほしい」

新谷の表情が明るくなった。その目に涙が光る。

「ああ、いくらでも協力する」

星野さんが笑いながら俺たちの肩を叩いた。

「これからは前を向いて歩いていこう。過去の過ちも未来の可能性に変えることができる」

金融庁の調査から一週間が過ぎた朝のことだった。工場の事務所で俺たちが今後の見通しについて話し合っていた時、鳴り響く電話に直井が出た。

「はい、桜エコマテリアルズです。え、本当ですか? 分かりました。すぐに伺います」

直井の声のトーンが変わり、俺は思わず彼の方を振り向いた。彼の表情が明るく変わっていくのが見えた。電話を切った直井は、まるで子供のように顔をほころばせて言った。

「感動銀行から連絡だ。融資の凍結が解除されたって」

「本当か?

思わず立ち上がった俺の手から、持っていたペンが床に落ちた。直井は頷きながら続けた。

「佐々木支店長の解任が来て、我々の案件を最優先で再審査してくれたんだ。ESG評価も、光さんのタスクフォースの元の報告書が採用されたらしい」

ほっとした安堵の息が自然と口から漏れた。これで工場は守られる。従業員の生活も、技術の未来も、全てが前に進める。

「でも、問題があるんだ。融資が確実に降りるまで、まだ2週間かかるらしい。本部での承認手続きがあるから」

直井の表情が少し曇った。俺は前のめりになった。

「2週間か。でも国交省の共同試験まではあと10日しかない」

直井は複雑な表情で頷いた。

「そうなんだよ。融資が降りる前に共同試験の準備をしなきゃいけない。材料の追加仕入れ、試験用のサンプル製造、検査費用。それらを賄うには、少なくとも3000万円が必要だ。今の資金じゃ」

「何かいい案はないか? 」

俺が問いかけると、直井は珍しく迷いがちな表情を見せた。

「実はある。ブリッジローンだ」

「ブリッジローン? 」

「融資が確実に降りることが決まっている。今、その融資が実行される2週間の橋渡しとして、短期の融資を受ける方法だ。金利は高いけど、この非常時にはやむを得ないだろう」

俺はしばらく考え込んだ。確かにリスクはある。でも、今はそれを取る時なのかもしれない。その時、事務所のドアが開いた。入ってきたのは光だった。

「おはよう。聞いたよ。融資が解除されたって」

光の笑顔は春の日差しのように明るかった。

「ああ、でも融資実行までに時間がかかるんだ」

光は俺たちの表情を読み取り、すぐに状況を理解したようだった。

「ブリッジローンを検討してるのね」

直井が驚いた表情で尋ねる。

「どうして分かったんだ? 」

光は少し誇らしげに微笑んだ。

「銀行員よ。こういう状況で取る選択肢は限られてるわ」

彼女は鞄を取り出した。

「実は、準備してきたの」

「え?

俺が驚いた声をあげると、光は続けた。

「星野建設が保証人になるブリッジローンの仮審査が通ったわ。金利は年6%。高いけど、2週間だけだから実質負担は少ないはず」

俺と直井は言葉を失った。俺は窓の外を見た。工場では従業員たちが黙々と働いている。彼らの懸命な姿に胸が熱くなった。

「よし、やろう。この橋を渡って、次のステージに進もう」

「ええ、一緒に渡りましょう」

光が微笑み、その手が机の上で俺の手に触れた。

ブリッジローンが実行されてから、工場は昼夜を問わず動き続けた。国交省の強度試験まであと7日。その期限に向けて、全員が一丸となって試験サンプルの製造に取り組んでいた。

「霧山、こっちを見てくれ」

若い研究員が顕微鏡から顔を上げて言った。俺はその横に立ち、接眼レンズを覗き込む。そこには微細な結晶構造が見えた。

「このバイオマテリアルが安定してきました。CO2固定化率も予想以上です」

「よくやった」

研究員の肩を叩きながら、俺は安堵のため息をついた。バイオセメントの核心部分であるバクテリアと鉱物によるCO2固定化プロセスが順調に進んでいる。それは希望の光だった。

ふと顔をあげると、デスクの隅で小さく体を丸めて眠っている光の姿があった。彼女も毎日仕事帰りに工場に来て手伝ってくれていた。その姿に胸が熱くなる。そっと上着を脱いで彼女の肩にかけた。

「ありがとう」

小さく呟いた言葉は寝息の中に溶けていった。

国交省の強度試験当日。俺たちのサンプルはあらゆる試験を完璧にクリアした。圧縮強度、曲げ強度、耐久性。全ての項目で基準値を大きく上回る結果を出した。

「桐山さん、素晴らしい結果ですね。特に興味深いのは、この強度がCO2を固定化しながら実現されているという点です。これは建設業界に革命を起こす可能性を秘めています。国交省としても、この技術の普及を支援したいと思います」

俺の胸が高鳴った。これは夢の第一歩だ。CO2を吸う白い橋を架ける。その夢への道が、今開かれようとしていた。

翌日、国交省から正式な認定書が届いた。封筒から取り出した一枚の書類を、俺たちは呆然と見つめた。長い苦闘の末に、ついに手にした公式認定だ。これで俺たちの技術が正式に認められたんだ。直井は黙って俺の肩を叩き、光は目に涙を浮かべていた。工場中から拍手が湧き起こった。その音は古い工場の天井に響き、新たな時代の幕開けを告げるようだった。

強度試験合格の一週間後、俺たちは記者会見を開いた。会場となったホテルの会議室には、多くの報道関係者が詰めかけていた。

「桐山社長、このバイオセメントの最大の特徴は何ですか? 」

「二酸化炭素を吸収し、固定化する点です。通常のセメント製造では大量のCO2が排出されますが、私たちの製品は逆に環境中のCO2を吸収します。具体的な数値は、1立方メートルあたり年間約120kgのCO2を固定化します。これは杉の木約10本分に相当します」

報道陣からどよめきが起こった。

「強度は従来の製品と比べてどうなのでしょうか? 」

「国交省の試験では、従来のセメントを15%上回る強度が確認されています」

会場が再び騒然となる。カメラのフラッシュが何度も焚かれた。

「桐山社長、技術の応用先として最初に考えているのは? 」

その質問に、俺は一瞬光の方を見た。彼女は客席の最前列で静かに頷いていた。

「CO2を吸う白い橋を架けたいと思っています」

「白い橋?

「はい。人々が毎日渡りながら、環境への貢献を目に見える形で実感できる橋です。橋には専用のカウンターをつけ、どれだけのCO2が固定化されたかをリアルタイムで表示します」

その構想を話すと、報道陣は一斉にペンを走らせた。

「それは素晴らしいビジョンですね。実現の見通しは? 」

「星野建設さんと携し、来年前半の完成を目指しています」

翌朝、俺が工場に着くといつもよりはるかに賑やかな雰囲気に包まれていた。事務所に入るなり、受付の女性が慌ただしく電話対応している姿が目に入った。

「桜エコマテリアルズでございます。お問い合わせありがとうございます」

彼女の額には小さな汗が浮かんでいた。一方で、もう一台の電話も鳴り続けている。俺は思わず駆け寄って受話器を取った。

「はい、桜エコマテリアルズです」

「昨日の記者会見を拝見しました。弊社は神奈川で中規模の建設会社を経営しております。是非、御社のバイオセメントを使わせていただきたいのですが」

応答している間にも、さらに別の電話が鳴り始めた。何が起きているのか分からず、俺は困惑した表情で奥を見ると、直井が何枚もの紙を抱えて現れた。

「社長、大変だ。昨日の記者会見の記事が全国紙の一面に載ったんだ。それだけじゃない。海外メディアも取り上げている。『CO2を吸う革命的建材』って」

直井が広げた新聞には、昨日の記者会見の写真と共に大きく俺たちの技術が紹介されていた。

「それから、これを見てくれ」

彼がタブレットを差し出した。画面には次々と届くメールが表示されている。

「昨夜から問い合わせが押し寄せてるんだ。現時点でもう70件以上。ゼネコンからの大型オファーも3件ある」

俺は言葉を失った。コピー機が唸りをあげ、ファックスが次々と紙を吐き出している。電話は鳴り止まず、メールの通知音が絶え間なく響く。古びた工場の事務所が、突如として活気に満ち溢れていた。

受注が増え始めてから一ヶ月、俺たちの会社は急速な成長を遂げていた。工場には新しい機械が入り、従業員も倍に増えた。融資凍結問題で失われた時間を取り戻すかのように、全てが加速度的に動き始めていた。

関東銀行の融資担当者も変わった。佐々木支店長の一件以来、銀行側も体制を一新。そして、新しい担当者として指名されたのは、他でもない光だった。

「こんにちは、霧山君。今日は定期報告の日ね」

光が事務所に入ってきた。銀行のスーツ姿の彼女は、いつも以上に凛としていた。

「ああ、待ってたよ」

俺は立ち上がり、会議室へと案内した。二人きりの空間で、なぜか少し緊張する。

「先月の売上は予想を30%上回ったわ。特に公共事業からの引き合いが強いわね」

光は資料に目を通しながら言った。

「環境に配慮した建材への需要が、想像以上に大きかったんだ」

「生産能力の拡大は順調。第二工場の建設が来月から始まる。それまでは現状の設備で何とか乗り切るつもりだ」

会議は淡々と進む。彼女は鋭い質問を次々と投げかけ、俺は経営者として誠実に答えていく。それは完全にプロフェッショナルな関係だった。会議が終わり、資料をまとめ始めた時だった。

「君、明日の夜、時間ある? 」

光の唐突な質問に、俺は手を止めた。

「明日? ああ、多分大丈夫だけど」

「じゃあ19時に駅前で待ち合わせしない?

「いいけど、何かあるのか? 」

「何かあるわけじゃないけど、君と仕事以外でも会いたいなって」

光の声は少し照れくさそうだった。彼女の頬が薄く赤く染まるのを見て、俺の胸が高鳴った。

「わかった。楽しみにしてるよ」

光は微笑み、軽く会釈してから部屋を出ていった。扉が閉まると同時に、俺は椅子に深く沈み込んだ。

翌日の夕方、俺は緊張の面持ちで駅前に立っていた。普段着とはいえ、いつもより少しだけ気合いを入れた服装を選んだ。時間は18時55分。

「霧山君」

振り返ると、光が小走りに近づいてきた。仕事の時のスーツ姿とは違い、淡い桜色のワンピースに身を包んだ彼女は、まるで別人のように見えて思わず胸が高鳴った。

「待った? 」

「いや、今来たところだよ」

嘘だ。実際は30分前から来ていた。

光が連れて行ってくれたのは、駅から少し離れた小さなイタリアンレストランだった。窓際の席に案内され、ワインを注文する。柔らかなキャンドルの光が、彼女の輪郭を優しく照らしていた。

「霧山君は、高校時代から変わらないわね」

「そうか。随分変わったと思うけど」

「見た目は大人になったけど、本質は同じよ。環境のことを考え、未来のために行動する。そういう姿勢は高校の時から変わらない」

光の言葉に少し恥ずかしさを感じた。

「当時は本当に無謀だったよ。CO2を吸うセメントを作りたいなんて言って、みんなに笑われた。笑わなかったのは、光だけだよ」

光はグラスを持つ手を止め、真剣な表情で言った。

「私ね、ずっとあなたのことを見てたの。高校の図書室で環境工学の本を読んでいた姿。科学の実験でみんながふざけている中、真剣に取り組んでいた姿。そんなあなたの姿に、私はいつも勇気をもらってたの。銀行に入ったのも、あなたみたいな人を応援できる仕事がしたかったからなの」

光の目には、決して揺がない意思の光があった。

「光、俺が言葉を探していると、彼女が俺の手に自分の手を重ねてきた」

「霧山君、私、あなたのことが好きよ」

彼女の声は小さかったが、確かな思いが込められていた。俺は光の手を握り返した。震える指が互いに絡み合う。

「俺も同じだよ。君と一緒にいると、何でもできる気がする。CO2を吸う白い橋を架けることも、世界の環境を変えることも、君がいれば全部現実になる気がするんだ」

光の目に涙が光った。俺は彼女の手をしっかりと握り、その目を見つめた。

春の日差しが降り注ぐ、CO2を吸う白い橋の完成式。川に架かる橋の姿は、まさに白鳥が羽を広げたかのような美しさだった。橋の袂には赤いカーペットが敷かれ、多くの来賓と報道陣が集まっていた。桜エコマテリアルズのCO2を吸うバイオセメントを使用した世界初の橋として、この日を待ち望んでいた人々が大勢駆けつけていた。

「霧山、そろそろ始まるぞ」

直井が緊張した面持ちで俺に声をかけた。普段は作業着姿の彼も、今日はきちんとしたスーツに身を包んでいる。その後ろには社員たちの姿があった。

「ありがとう、みんな。今日という日を迎えられたのは、お前たちのおかげだ」

俺はそう言って社員たちを見渡した。

「桐山さん、そろそろご挨拶を」

市長が手招きした。俺は深呼吸して壇上に向かった。その時、客席の中に光の姿を見つけた。彼女は若草色のワンピース姿で、俺に向かって小さく頷いた。

式典は滞りなく始まった。市長の挨拶、テープカットの儀式、そして、いよいよ俺の番が来た。

「本日は、CO2を吸う白い橋の完成式にお集まりいただき、誠にありがとうございます。この橋は、単なる通路ではありません。未来への架け橋なのです。私たちの子供たち、その子供たちのために、少しでもいい環境を残す。そんな思いを形にしました」

スピーチの言葉がスムーズに口から出てくる。不思議と緊張はなかった。この瞬間のために、俺はここまで来たのだから。

俺は橋の中央に設置された大型デジタルカウンターを指さした。

「このカウンターは、橋が吸収したCO2の量をリアルタイムで表示します。橋が完成してからの一週間で、すでに杉の木50本分を超えるCO2を固定化しています」

その言葉に会場からどよめきが起こった。

「そして何より、この橋がきっかけとなって、環境について考える人が増えることを願っています。毎日の通勤、通学で渡るたびに、地球環境のことを少しだけ思い出してほしい。それが私たちの願いです」

スピーチが終わると、大きな拍手が湧き起こった。テープカットの後、いよいよ橋の開通。最初に渡るのは、地元の小学生たちだった。

「ああ、綺麗な橋」「見て見て、数字が動いてる」

子供たちは橋の中央に設置されたカウンターの前で歓声を上げていた。カウンターの数字は、彼らが橋を渡るたびにわずかに増える。それは彼らの一歩一歩が、未来を変えていることの象徴だった。

「先生、この橋はCO2を食べるんですか?

「そうよ。車や工場から出る排気ガスを、この橋が吸収してくれるの」

先生の説明に、子供たちの目が輝いていた。その様子を見ながら、俺はふと横を見た。光が静かに近づいてきていた。俺は彼女に手を差し出した。

「約束通り、一緒に渡ろう」

光はその手を取り、二人で橋の上を歩き始めた。橋の袂には白いバイオセメントが太陽の光を反射して輝いている。

「霧山君、私たち、やったわね」

「ああ。でも、これはまだ始まりに過ぎない」

「そうだな。次は世界の空を軽くしよう」

「この橋の技術を発展させて、高層ビルの外壁材や高速道路の防音壁にバイオセメントを使用すれば、都市そのものがCO2を吸収する巨大な浄化装置になる」

「ええ、私たちなら、きっとできるわ」

光は俺の目をまっすぐに見つめ、静かに頷いた。橋の下を流れる川の水面に、俺たちの姿が映っていた。白い橋と寄り添う二人。カウンターの数字が再び一つ増え、子供たちの歓声が響いた。未来への第一歩は、確かに踏み出されていた。

父から引き継いだ古い工場の社長として、CO2を吸収するバイオセメントという常識外れの技術を追求していた時、困難は予想以上に襲ってきた。融資の凍結、データの改ざん、様々な妨害。でも、俺は信じる道を変えなかった。なぜなら、この技術が本物だと、心の底から分かっていたからだ。確信とは、単なるアイデアではない。それは、幾度となく諦めそうになりながらも、立ち上がり続ける執念だ。そして何より、その信念に共感し、力を貸してくれる仲間の存在が不可欠なのだ。信念を持って立ち上がれば、必ず共に歩む人が現れる。一人では不可能だった確信も、彼らと一緒なら、確かな形となって世界に生まれるのだ。