義母は、私が一口も食べたことのない寿司を、夫にだけ持たせ続けた。
結婚して最初の頃は、すべてが順調だった。夫の裕介は高校時代の同級生で、優しくて誠実な人。彼の父は地元企業の社長で、結婚の挨拶に行った時は緊張で足が震えたものだ。義父は温厚で話しやすい人だったが、問題は義母だった。私の前では一度も笑わず、目つきはいつも冷たかった。
ある日、裕介の仕事の書類を義実家に届けることになった。急ぎの用事だと聞き、私は夕方の忙しい時間に義実家へ向かった。玄関に迎えてくれたのは、出かける準備をしている義父だった。
「さき子さん、助かったよ。私は今から出るけど、夕飯でも食べて帰りなさい」
義父はそう言って書類を持って出ていった。残されたのは私と義母。できることなら二人きりになりたかったが、逃げるわけにもいかない。挨拶だけ済ませて帰ろうとすると、義母が言った。
「夕飯ね。お寿司でも取ろうかしら」
義母はどこかに電話をかけ、こう言ったのだ。
「寿司を頼んだから、裕介に持って帰ってちょうだい」
私は頷くしかなかった。
「いつまでそんなところにいるの?あなたは礼儀がなってないわね」
玄関で立ち尽くしていた私に、義母がいきなり怒り始めた。慌てて靴を脱いで家に上がり、何か手伝いを申し出ると、義母は見下したようにため息をついた。
「あなた、指示がないと何もできないの?私が働いていた時なんて、そんなんじゃ仕事にならなかったわよ」
洗い物を見つけて「私、食器を洗いますね」と言うと、義母は私を止めた。
「あなた、エプロンはどうして持ってこないの?それにそのお皿はいくらすると思ってるの?あんたなんかに扱えるものじゃないのよ」
書類を届けに来ただけなのに、どうしてエプロンが必要なんだろう。腑に落ちない気持ちが顔に出てしまった。
「なんなのその顔は。私の言うことに文句があるの」
そこへインターホンが鳴り、注文した寿司が届いた。優しそうな寿司屋の大将が配達に来てくれた。私は会釈をしたが、義母はそれでは足りなかったようだ。
「はあ、すみません。常識のない嫁で」
義母が私を睨みつける。私は頭を下げるしかなかった。大将は「またよろしくお願いします」と帰っていった。
義母は私に寿司の折を渡した。
「裕介に食べさせてちょうだい」
地元では有名な寿司屋さんで、値段が張るので私は食べたことがなかった。滅多にないチャンスだと少し喜んだのも束の間、義母は私を見下すように言った。
「もちろん裕介だけよ。あなたは嫁には来たけど、家族だなんて認めてないわ。でもこのことを裕介に言ったら承知しないからね。あなたはうちで食べてから帰ったことにしなさい」
あまりにも意味が理解できず、私は何も言えなかった。義母は「よかったわね」と言って、私を家から追い出した。
裕介に言うべきかどうか、ずっと悩んだ。でも、私が言って裕介と義母の関係を悪くしてしまっては申し訳ない。義父の会社で働いている以上、義実家との関係を壊すわけにもいかない。
結局私はコンビニでおにぎりを買って家に帰った。仕事を終えて帰ってきた裕介は、書類を届けてくれたことへのお礼を言い、私が差し出した寿司を見て目を輝かせた。
「お寿司ありがとう。あれ?でも一つ、さき子の分がないけど」
「あ、私はお母さんと一緒に頂いたから大丈夫」
私は反射的に嘘をついた。裕介は安心した顔で寿司を開ける。目の前で美味しそうに食べる裕介を見ていると、さっきのことを言ってしまいそうだった。私は家事をするふりをして、その場を離れた。
それから数ヶ月、同じようなことが続いた。義母に呼び出されては家事を押し付けられ、荷物運びをさせられ、帰りには決まって裕介の分だけ寿司を渡される。これは立派な嫁いびりだと分かっていたが、口が裂けても言えなかった。
ある日、また義母に呼び出された。お昼時に電話が来たので、ご飯も食べずに慌てて家を出た。義実家には珍しく義父がいて、お寿司を食べながら仕事をしていた。裕介は休日出勤でいない。義母が私を呼びつける時は、決まって裕介がいない時なのだ。
「ああ、さき子さんとはこれからお買い物に行くのよ」
義母が義父にそう言った。そんな話は聞いていなかったが、私は義父の背中越しに飛んでくる義母の鋭い視線から目をそらして頷くしかなかった。
義父が仕事に出かけた後、義母が怒鳴った。
「何してるの?その寿司、返してきなさい。ついでにこの買い物もしてきてちょうだい」
渡されたメモには、お米5キロ、牛乳、味噌など、明らかに重いものばかりが書かれていた。
「え、これを一人で?」
「そうよ。何か文句ある?」
私は睨まれ、しぶしぶ首を横に振って、寿司を返しに寿司屋へ向かった。
寿司屋に着いて大将に用件を伝えると、大将はこう言った。
「ああ、お嫁さんが来てくれたのか。今日は人手不足で取りに行けなくて申し訳ない。寿司は美味しかったか?」
私は言葉に詰まってしまった。それを見た大将が心配そうな顔をする。
「ああ、もしかして寿司が苦手なのか?そういう人もいるからな。気にすることないよ」
優しそうな目を見て、私は涙が滲んでしまった。
「お母さんが、嫁は家族じゃないというので、いつも見るだけです。ここのお寿司は一貫も食べたことがありません」
私はついにそのことを口にしてしまった。
「おい、なんだって?」
大将は態度を変え、大きな声を出す。私はこの人が義母と親しく話していたことを思い出して、まずいことを言ってしまったと後悔した。
大将は矢継ぎ早に質問してくる。
「いつも旦那がいないから嫁と食べるんだって言って寿司を頼んでたぞ。旦那は外食だから今日は嫁と食べて、息子には寿司を持たせるって、よく言ってたぞ」
「それは多分、お父さんとお母さんの分です。私は主人への寿司を渡されるだけで、嫁の分際でこんな高級な寿司を食べようとしているのかって言われてます。それで、いつもお母さんと一緒に食べたことにさせられていました」
「じゃあ、そこの旦那も裕介君も、そのことを知らないっていうのか?」
私は黙って頷いた。
「どうして何も言わないんだ」
「主人はお父さんの会社で働いていますし、それを言って実家との関係がこじれてしまったら困ります」
色々な思いが溢れて、涙がこぼれた。すると大将は優しく笑った。
「ああ、そうか、そうか。でも大丈夫だ。あそこの旦那も裕介君も、そんなことでどうこうなる男じゃないよ。もしかして、お嫁さんはお昼を食べてないのか?だったら今握ってやるから食べていきな」
「でも、お母さんに買い物を頼まれていて…」
大将は買い物の内容を聞くと、驚き、呆れたようにため息をついた。
「ああ、そんなの断ればいいんだよ」
「あ、まあ、そういうわけにもいかないか」
私は頭を下げて寿司屋を後にした。
なんとか重い荷物を持って義実家に戻ると、義母が仁王立ちで待っていた。
「遅かったじゃない。何してたのよ」
「あ、すみません。ちょっと時間がかかっちゃって」
「本当に使えない嫁ね。あなたっていつもそう。さっさと裕介と離婚して出ていけばいいのに」
まだまだ文句が続きそうな雰囲気だったが、突然義母の言葉が途切れた。ちょうどその時、玄関のドアが開いて裕介が入ってきたのだ。その後ろには義父の姿もある。
「母さん、どういうことだ?」
裕介が義母に詰め寄ると、義母はごまかし始めた。
「あ、何のことよ。私は何もしてないわよ」
でも、今の声が聞こえてしまっているのにごまかせるはずがない。すると義父が口を開いた。
「寿司屋の大将から全部聞いたぞ。だから裕介と一緒に帰ってきたんだ。部下には厳いお前だったが、仕事上は筋が通っていた。でもこれはただの嫁いびりだろ」
普段の義父からは想像できない厳しい口調だった。義母は私を睨みつけるが、もう隠す必要はなくなった。
「今だって、私は一口も食べていない寿司を返しに行かされて、これを買ってこいって言われたんです」
そう言って買ってきた荷物とメモを見せた。しかもメモには「無能な嫁でも買い物くらいはきちんとしてくるように」と義母の字で書かれている。
「それに、いつもお寿司はこちらで頂いたことにして、裕介の分だけ寿司を持たされていました。お父さんには寿司を二人分持たせたと言っていたそうですが、私はお寿司を一口も食べたことはありません。でもそれを裕介には言うなと口止めされていました」
すると義母は笑いながら反論した。
「やあね。そんなの冗談じゃない。寿司は二人で食べると思って持たせたわよ。当然じゃない」
そこに裕介が口を挟んだ。
「でも、お礼の電話をした時、さき子は実家で食べたからって言ってたよな」
「あ、それは…」
義母はしどろもどろになる。私はそれを見て笑顔で言った。
「仕方ありませんよね、私。嫁の分際ですし、家族ではないんですものね。お母さんに言われた通り、裕介とは離婚しないといけないかもしれませんね」
裕介との離婚なんてしたくなかったけど、義母さんの急な呼び出しや嫁いびりに耐えるのも、重い荷物を持たされるのも、そろそろやめにしたい。
これまで義母の行いを暴露してやると、義母の顔色は青く変わっていく。そのタイミングでインターホホンが鳴った。そこには寿司屋の大将が立っていた。
「ああ、これお嫁さんが食べてくれよ。俺からのサービスだ」
そう言って、とても一人前とは思えない量が入った寿司桶を置いて去っていった。
次の瞬間、義父が口を開いた。
「ああ、裕介、お茶だ。さき子さんにお茶を入れてやれ」
頷いた裕介は私の手を引いてテーブルに座らせ、お茶の用意をしてくれた。義父は私の前に寿司桶を置いてくれる。義母は玄関で立ち尽くしていたが、誰も相手にせず、そのうち二階に消えてしまった。
初めてのお寿司に大興奮の私。とても食べきれないと思っていた量のほとんどを食べてしまった。すると、二階から義母が怒って戻ってきた。
「あなたはどっちの味方をするのよ。あの子の味方をするなら離婚よ」
義母は義父に詰り寄る。しかし義父はあっさりとそれ了承した。
「ああ、それでいいぞ」
義父は続けて言った。
「お前の母さんは昔、ひどい嫁いびりに合ってた。だから俺はお前と結婚する時、もし息子ができてお嫁さんがきた時、嫁いびりをするようなら即離婚だと念押しされたんだ」
義母は当てが外れたのか絶望したような顔をしたが、義父はさっさと離婚の準備を始める。私は義母の財産分与の中から嫁いびりの慰謝料としてお金をいただいた。
結局、義母は本当に離婚されて家を追い出された。お金に困って経理の経験を生かして就職活動をしているらしいが、今はパソコンもできないと仕事にならないと言われ就職できないそうだ。
そして私はこの度めでたく妊娠し、それを機に退職した。裕介は男の子か女の子かと言いながら日々名前を考えているし、義父も初孫が楽しみだそうで、でれでれになりながらベビーグッズを買ってきてくれる。
これからの生活が楽しみだ。
それとは別の話になる。俺の名前はリクト。今年28歳になる会社員だ。別の会社に務めている彼女のみさトとは合で知り合い、3年の付き合いになる。みさトは今年で30歳になることもあってか、最近では会うたびに結婚の話題を持ち出すことが多い。そのせいで少し気が重く感じることもあるが、俺はみさトの将来を真剣に考えていたので、先日プロポーズした。
結課として彼女は喜んでくれたが、「気持ち的にはもちろんOKよ。でも両親にきちんと認めてもらってからお返事したいの」と言って1度断られてしまい、ちょっトショックだった。それを同僚のかに話すと、「結婚するのか。おめでトう」と言われた。
「いや、だからまだ式に決まったわけじゃ」
「もう決まったも当然だろ。ご家族への挨拶頑張れよ」
かのおかげでなんだか勇気が湧いてくる。当たり前だろ。俺はシャキッとした頭で残業に取かりかかった。
みさトの両親への挨拶当日。俺はクリー二ングに出しておいたスーッに袖をとおし、何度も自宅の鏡で髪並みをチェックしていた。こんなに緊張したのは就職活動の面接以来。いや、それ以上だ。うろうろと落ち着かない様子の俺を見て、みさトが優雅に紅茶を飲みながらクススと笑う。みさトは俺を迎えに朝早くから我が家を訪れていた。
「そんなに緊張しないで大丈夫だよ」
「いや、無理だよ。マジでドキドキして落ち着かないんだ」
「私を大事にしているってことを伝えてくれれば大丈夫」
ご両親は一人娘のみさトを目に入れても痛くないくらい可愛がって育ててきたそうだ。門前払いされやしないかと想像するだけで、胃が痛くなる。
「しっかり伝えるよ」
みさトの家に着くと、穏やかな笑顔のお母さんが出迎えてくれる。
「あら、いらっしゃい。今日は娘のために来てくれてありがとう」
「こ、こちらこそ。お時間をいただきありがとうございます。本日はよろしくお願いいたします」
緊張が全身から滲み出ている俺の様子に、みさトの母は「あらあら」と笑っていた。お父さんもこれくらい穏やかそうな人ならいいんだけど、俺は小さい希望を胸に部屋に通された。
扉が開かれ、正面に座っていたみさトの父が立ち上がる。俺は挨拶をするために口を開いた。
しかし、何も言うことはできなかった。頬に強い衝撃と激しい痛みが走る。気がついた時には壁を背にそのまま床に尻り持ちをついていた。一瞬何が起きたのか分からないくらい突発の出来事だった。頬を抑えて恐る恐る見上げると、みさトの父が拳を握ったままの形相でこちらを見下している。
「娘を傷物にしやがって。お前との結婚など認めん」
なんとか視線だけを動かすと、お茶を運んできたみさトの母が俺を見てびっくリして固まっていた。みさトはと言うとなぜかニコニコと嬉しそうだ。何この状況?俺は普通に交しの挨拶にきただけだ。娘を傷物にしたもりなど全くない。
「ほらリクト。しっかり私への気持ちをパパにアピーるしなきゃ。土ゲザーか」
極めつけがみさトのこの発言だ。土下座しろと言うのか。みさトはこんなふ抜けの何がいいんだ。
あまりのことに呆然としていると、みさトの父が鼻を鳴らす。みさトの母が氷を巻いた濡れタオルを持ってきて俺の頬に当てがってくれた。
「余計なことをするな」
みさトの父が俺の頬からタオルを奪いとる。なんだこの父親は。それにみさトもみさトだ。だんだんと怒りの感情が満ちてきた俺はすっト立ち上がり、ひとまずみさトの母に頭を下げてお礼を言う。
「今日は帰ります。また後日話しましょう」
そう言って俺はさっさとみさトの実家を後いにする。後ろから「ちょっト、リクト、土下座してパパを説得してよ」と言うみさトの声が飛んでくるが、俺は決して振り返らなかった。
一刻も早く外に出たい。殴られた恐怖、怒り、いたまらなさ。なんだか自分が情けなくさえ思えて涙が出てきそうだ。
外をとぼとぼ歩いていると、少しずつ頭が冷えて落ち着いてくる。しかし反対にみさトの父に殴られた頬がじんと熱くものすごく痛いだ。気がつくと俺はか電話をかけていた。土曜日で休日ということもあり、かはすぐに俺の電話に出て心配して駆けつけてくれた。
みさトの家での出来事を、かはただ黙って聞いてくれて、「マジかよ。大変だっとな。頬が真っ赤に晴れてるし、唇も切れてるぞ。とにかく病院に行こぜ」と言ってくれる。
俺は言われるままにかの付き添いで病院へ行き、念のため診断書の依頼をした。診察してもらった帰り道、俺はかに頭を下げる。
「ごめん、迷惑かけた」
「ばか、気にすんなよ」
俺はため息をつく。「俺、どうしたらいいのかな?」
深刻な表情の俺に、かはしばらく考込み口を開いた。
「お前がこんな理不尽な目にあっのに、少しも彼女がお前の味方になってくれなかったのかな。1度こういうことがあると、またあるかもしれないぞ」
かの言葉に俺ははっト顔を上げた。この後に及んで、みさトの父をどう説得しようなどと考えてしまっていた自分を殴ってやりたい。いや、もう殴られてるけど。
あんな非常識な父親をお父さんって呼べるか。しかも理不尽に殴られた俺を、みさトはろくに心配もしてくれなかった。仮に結婚してまた理不尽な目に会っ時、みさトは俺の味方になってくれるのか?
「俺、みさトとの結婚は考直す」
ぽつりとつく俺の言葉にかは、ポンと俺の背中を叩いた。
「そうだな。俺もその方のがいいと思う。まあ元気出せよ。治っらなんかうまいもんでも食おぜ」
こういう時友達がそばにいて良かっと思う。
翌日、何度目かのスマホの振動で俺は目を覚まし、眉を寄せる。寝ぼけまな子でスマホの画面を見ると、みさトからの大量の着信履歴が。思わず声が出てしまうくらい驚き、同時に頬の痛みで顔を仕める。鏡を見ると左頬が晴れて変な色になっていた。医者の話では骨折はしていないようだか、こんな風になっているのを見るとなんだか心配になる。
保剤をタオルで巻き頬を冷やしていると、再びスマホが着信を告げた。表示を見るとまたみさトだ。俺はため息をついて机の引き出しからボイスレコーダーを取り出す。主に仕事上会議などで使用しているものだ。俺は録音ボタンを押し、みさトからの着信に出た。
「ああ、リクト。ようやく出た。全くどういうつもりなのよ。あれからパパがもっト怒っちゃっ大変だっんだからね」
みさトの高だか高だい声が耳をつく。大の大人の男にいきなり本気で殴られたんだぞ。と言うか他に言うこトないのか?病院に行ったり色々と他にも大変だっんだよ。
「パパが私に手を出したのは許すって。私が説得を頑張ったおかげなんだからね。だからリクト、今がチャンスよ」
全く話が噛み合わなくて俺は頭を抱えた。みさトってこんなに自分勝手で変なやつだっけ?自分のかノ女なのに3年も付き合ってきたのに、俺は何も分かっていなかっんだな。
「は、もう被害届け出したよ」
実は病院に行った後のことだ。俺はかの進めで警察に被害届けを出していたのだ。ようやくみさトのマシンガン・トークが止まる。被害届けという単語と俺の突き離すような言い方にびっくリしたようだ。
「え、冗談だよね。だっ将来リクトのお父さんになる人だよ」
「ならないよ。だっみさトと結婚しないから」
「そ、そんなそれだけはやめて。被害届けも取下げて」
みさトは必死に訴える。
「あれはパパが私のお願いを聞いただけなの?」
俺はもう通話を切ろようとしていたが、やめだ。どういうこと?
「私がパパに頼んだのよ。リクトの愛情を確かめたいから、一発リクトを殴って欲しって。それでも食い下がっ私との結婚を許して欲しいっ言ってくれたら、それは本物の愛でしょ」
思わず声が大くなり、全身が脱力する。少女マンガのヒロインかよ。確かに前から少し子供っぽいところはあったが、そこが可いと思っていた。だが認識を改めよう。少し子供っぽいのではなく、脳内がお花畑なのである。
「とにかく今夜、もう一度私の家にきて話し合いましょう」
俺は断るつもりだったが、みさトは俺の返事も聞かずに電話を切ってしまう。付き合いきれないし、もう関わりたくないので無視を決め込むつもりだったが、俺はふと考えた。みさトは俺の職場を知っている。つまりみさトの父もまた簡単に俺の職場を知ることができる。そこからみさトの父が俺の職場に突撃してくるところまで妄想が膨らみ、俺は頭を振った。ありえそで怖い。
正直行きたくないが、俺は腹を決め、もう一度みさトの実家へ行くことにした。
その日の晩、俺は再びみさトの実家を訪れ、昨と同じようにみさトの母が優しく出迎えてくれる。部屋に通されると、殴られた時のこトを思出して手が震えた。廊下の間のみさトの父はソファーにふんぞり返っている。
「リクト、きてくれたのね」
ヒーローと再会したヒロインのように嬉しそうに駆け負けてくるみさト。俺は腕に絡みついてくるみさトの手をさりげなく振り払う。
「お前、被害届けを出したらしいな。ちょっト俺が鉄拳制栽してやったらっ、ケツの穴の小せ男だぜ。娘を傷物にされたんだから父親として当たり前の権利だろが」
みさトの父は品のない口調で俺を小ばかにし、グラスを煽る。こいつ酒を飲んでいるのか。言葉や態渡からも反省しているようには見えない。
「みさトの大事な父親を簡単に警察に突き出すだなんて。お前のみさトへの気持ちなんてその程渡っことだな」
「そうですか。俺はあっさりと切返した」
「え?」
俺の言葉にみさトと父は声を揃えて慌てる。見事なシンク。さすが親子と言うべきか。
「私を愛してないの?」
金切声を上げるみさトに、俺は本音を語った。
「とても大事に思ってた。でもお父さんには理不尽に殴られ、君の本姓も分かって、君と一生を添遂げるなんて無理だっ気がついたんだ。プロポーズはなかっにしほしい。俺は今日これを言いにきたんだよ」
俺が言い終えると、みさトはへたり込んだ。見る見るうちに涙が溢れてくる。みさトの父は発狂したように大声を上げ、俺の胸ぐらを掴んだ。
「てめえ、みさトを傷物にしただけでなく泣かせやがっな。大体被害届けが何だっつうんだよ。俺が殴った証拠だっない」
また殴られると瞬時に悟った俺は固く目を閉じ歯を食い縛る。しかし、みさトの母の「証拠ならありますよ」という言葉がみさトの父の拳を止めた。
みさトの母は穏やかな微笑みのまま、ある場所を指さしている。そこには棚があり、さらにその上には小形のカメラ。ペット用のカメラだ。顔色を変えたみさトの父が慌ててカメラを叩き落とすが、「もうクウーに保存されているから無駄よ」とみさトの母は笑っている。
「俺もみさトさんとの電話でのやリ取リを録音しておいたので、お父さんが殴ったことの証明になるかもしれません」
俺の言葉が追い打ちとなり、みさトの父は顔を真っ赤にして叫げを上げた。そのままガシャーンとものすごい音を立ててそこら中のものひっくり返したりして暴れまくる。泣き続けているみさトと状況に困惑している俺の手を引き、みさトの母は俺たちを別の部屋へ避難させてくれた。
その時聞いたことだか、みさトの母は長年、夫のモラハや暴力に悩まされていたらしい。そのためペット・カメラを使って証拠を集め、熟年離婚を計画していたそうだ。そんな時みさトの父が俺を殴ってしまった。俺が自分と重なり、いざという時はカメラの映象で俺を手助けしようと思ってくれていたらしい。
やがて遠くからサイレンの音が近づいてくるのが聞こえ、到着した警官たちが暴れるみさトの父を連行していった。騒ぎを聞きつけた近隣の住民が「これはたごとじゃない」と通報をしたようだ。
「リクト、考直して。お父さんの被害届けを取下げて。そして私を幸せな花嫁にしてよ」
すがるようにみさトが俺の腕を引くが、俺は首を横に振った。こんな状況でも自分がヒロインかのような思拷は変わらないらしい。
「まだそんなことを言っているのか。元はといえばみさトが馬鹿げたお願いをお父さんにしたせいでもあるんだぞ」
俺の言葉に、みさトは俺のシャツの袖を掴んだまま俯く。
「愛情を試される俺の気持ちを考えたら、今回みたいなこトはしちゃいけないっすぐに気がついたはずだ。俺は頬だけじゃなく気持ちも傷ついたよ。だかもうみさトとの結婚は考えられない」
俺は改めてまっすぐみさトの目を見て真剣に伝えた。
「分かっ。ごめん」
みさトはようやく諦めたのか、俺のシャツから手を離す。こうしてみさトとの交際は幕を下ろした。
みさトの父は一晩竜留場で過ごし、次の日には解放された。頭が冷えたらしく、弁護士に依頼して俺に謝罪と示談の交渉をしてきた。俺も弁護士に依頼して示談に応じることに。結課、俺はみさトの父から慰謝料と治療費として示談金60万円を受け取った。被労届けを取下げることにはなっだが、みさトの父に反省させることができたので気持ちはすっきりしている。
後日、「俺のこトは許さずとも構わん。だか娘のこトは許して嫁にもらっくれないか」という言をみさトの父の弁護士からもらっが、「絶対に嫌ですと伝えてほしい」と俺が言うと弁護士は苦笑していた。警察沙汰になっことでみさトと父は近所から白い目で見られているようだし、俺とみさトが結婚することで丸く納めたいのかもしれないが、自業自得だ。
1ヶ月後、年願叶って離婚できたみさトの母から聞いたことだか。みさトは同僚や友達に俺との破局理由を話し、ドン引きされて孤立。理解されないことに夜泣きになって、高い会費の結婚相談所に複数登録し、馬の王子を探しているらしい。自分のどこが悪かっ自覚して父親をどうにかしない限り、みさトに明るい未来はないだろう。
俺はと言うと頬の痛みもすっかリなくなった。今夜はたくさんお世話になっかにおい焼肉をご馳走する予定だ。俺も久しぶりにうまい飯を食べて元気をつけようと思う。



