「底辺企業は信用0だ。というわけで、今日で契約中止な。」
取引先の部長・沢部の言葉に、俺と林は言葉を失った。特許を取得した在庫管理システムの契約更新の大切な日に、まさか門前払いを食らうとは思ってもみなかった。
俺の名前は桜井、38歳。30歳の時、大学の同期である林と神田の3人でシステム開発会社を立ち上げた。社員は俺たちを含めてわずか10名。何年もかけて開発した在庫管理システムは1年前に特許を取得したが、開発費用のせいで赤字が続いていた。
「桜井君、契約取ってきたわよ。」
元気よくオフィスに入ってきたのは神田だ。業界中堅の会社で、担当者はいい人そうだったらしい。契約書の内容について色々聞かれたが、ちゃんと説明して納得してもらったと言う。
「さすがだ。身内には厳しいけど、取引先には評判いいよな。」
横から口を挟んだのは林だ。俺たちは大学時代からの長い付き合いで、こんな軽口は日常茶飯事だ。
神田が取ってきた契約は無事に締結され、しばらくは平和な日々が続いた。しかし半年が経過した頃、暗雲が漂う。窓口担当が会社を辞め、別の人に引き継がれることになった。
新しい担当者は総務部の新部長、沢部という人だった。元々他の会社で働いていたが、少し前に転職してきたらしい。
最初の挨拶の時から、沢部長はおかしかった。
「俺はコスト削減を第一としている。お前たちとの取引価格だが、少し高すぎじゃないか。」
自己紹介もそこそこに、突然クレームを言ってきたのだ。
「我が社のシステムは特許取得の特殊なものなので、その分高値をつけさせていただいてます。価格も契約条件も全て了承いただいた上でサインをしていただいていますが、ご負担をおかけして申し訳ございません。」
なるべく相手を刺激しないよう、説明と共に頭を下げた。しかし下手に出たのは逆効果だったらしい。沢部長はさらに強気な態度に出てきた。
「ならば価格を下げろ。」
「申し訳ございません。それはできかねます。」
「は?あのな、俺の言ってることを理解できないのか?お前、どこの学校出身だ?」
学歴をネタに因縁をつけようとしているのか。しかし俺が告げた大学名に、沢部長は予想外の反応を示した。
「おい、今何て言った?その大学は俺の第一志望だったんだぞ。」
そこまで言って口を閉ざす。しばらく俺を睨んでいたかと思うと、恨めしそうにこう叫んだ。
「なんでお前みたいな生意気な若造があの大学に入れたんだ?」
沢部長は手早く荷物をまとめると、椅子から立ち上がり、「今日のところは帰ってやる」と、なぜか少し慌てて立ち去った。
会議室の外まで声が聞こえていたらしく、林が心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫だったか?」
「迷惑かけたか?」
「いや、いいよ。それにしてもあの沢部長とやら、学歴コンプレックスを持っているようだな。多分、沢部長は俺たちの大学に入りたかったけど受験で落ちたんじゃないか。もしくは中退したとか、そんな感じの言い方だったぞ。」
林の言葉に俺は頷いて返した。あの時沢部長の目に浮かんでいたのは、嫉妬の感情だった。
沢部長は顔を合わせるたびに嫌味を言って絡んできた。我が社のシステムは特殊なため、1ヶ月に1度取引先へ行き定期チェックを行っている。チェックは俺の担当だ。一応この会社の社長ではあるが、人手が足りないため社長業以外もこなしている。
沢部長はそれをネタにして俺を馬鹿にしてきた。
「底辺企業の社長は大変だな。学歴が良くても、こうやって下っぱの仕事をしなきゃならんとは。」
さらに俺の会社が赤字経営であることを知ると、それをネタにして脅すようなことを言ってきた。
「赤字の底辺企業と付き合ってたら、うちにも迷惑がかかるよな。いっそ契約中止にしちゃおうかな。どうする?」
含み笑いを浮かべる沢部長に、俺はなるべく平静を装って対応する。
「経営に関して不安を抱かせてしまったのであれば申し訳ありません。現在、赤字解消に向け様々な施策を打っています。今後にご期待いただければ幸いです。」
静かに返すと、沢部長はつまらなそうな顔をする。俺が困惑したり、契約中止はやめてくれと頼み込む姿を見たいのだろうか。世の中には他人を貶めて弱る姿を見て楽しむ人間がいる。沢部長もそういう類いの人間なのだろう。
本人の前では無表情を貫いているが、さすがにストレスが溜まる。沢部長の会社から自社へ戻ると、林や神田に愚痴を言うのがいつもの流れだ。
「全く、とんでもない人だな。」
「桜井君が相手だから、沢部長は調子に乗るのよ。筋トレが趣味の林君なら、そこまで絡まれないんじゃない?」
「まあ確かに。担当変わるか?」
Yシャツの上からでも分かる林の筋肉を見ながら、俺は苦笑いを浮かべた。
「大丈夫。お前も忙しいだろ。俺の方で対応するからさ。」
しかし、俺たちを襲う苦難はこれだけでは終わらなかった。
ある日のこと、沢部長の会社へ定期チェックに行く予定だったが、予想外の仕事が入ってしまった。
「私が行くわ。」
「すまん。神田、頼む。」
神田に代打を依頼し、俺は仕事を片付ける。2時間後、帰社した神田の顔には焦りがにじんでいた。
「桜井君、ごめん。」
「どうしたんだ?急に。」
「沢部長の会社と、取引中断になるかもしれないわ。」
神田の言葉は狭い車内に響き渡り、社員たちが一気にざわついた。
「何があったんだ?」
林の問いかけに、神田は沈んだ顔で答えた。
「沢部長に無理やり迫られたの。大声をあげて助けを求めたら、別の社員が駆けつけてくれたわ。おかげで何事もなかったんだけど、あの人、私の勘違いだって言い張って。」
そして神田にこう言い放ったそうだ。
「問題を起こすような社員がいる会社とは、今後の取引を考えなければならないな。」
話を聞いた林と俺は、神田のせいではないと慰めた。しかし神田は自分を責め続けた。
「私のせいよ。これ以上あなたたちに迷惑がかかる前に、私、会社やめた方がいいのかも。」
「お前のせいじゃない。辞めるなんて言わないでくれよ。」
林が必死で説得する。
「そうだ。林の言う通りだよ。悪いのは沢部長だ。今後の対応は俺に任せてくれ。」
俺が担当を変わっていれば、神田はあんな目に遭わなかった。その自責の念が胸に刺さったが、今は謝るより先にすべきことがある。
この日以来、神田は思い悩んだ様子で仕事をするようになる。ムードメーカーの神田がこの調子なので、他の社員もどこか暗い空気になってしまった。
悪いことはさらに続く。
「桜井、この会社は知ってるか?」
林が見せてきたのは、創業間もないシステム会社のホームページだった。
「知らないなあ。ここがどうかしたのか?」
「沢部長の会社が、ここと契約の話をしているらしい。在庫管理システムを導入するつもりなんだと。」
林は広い人脈を持っていて、業界内に知り合いが多い。そのおかげで今回の話を聞いたのだろう。
「うちのシステムを使ってるのに。」
俺の問いかけに、林は苦い顔で頷いた。
「乗り換えを考えているのかも。」
沢部長とは、神田の一件以降さらにギスギスした関係になっている。乗り換えを検討していても不思議ではなかった。
「もし沢部長の会社との契約がなくなったら、黒字転換はだいぶ先になるだろうな。うちの経営も危なくなるかも知れん。何か手を打たないと。」
俺と林は顔を突き合わせてため息をつく。
「ちょうど1週間後に特許システムの契約更新手続きがあるな。その時にそれとなく聞いてみよう。」
「俺もついていくよ。嫌な予感がするから。」
林のありがたい提案に、俺は頷いて返した。
1週間後、特許システムの契約更新手続きのため、俺たちは沢部長の会社へ向かった。会社を出る際、神田が沈んだ顔をしていたのを思い出す。もし先日の件で何か言われたら、神田は悪くないと主張しなければ。
そんな気持ちでエントランスに入り、受付の女性社員に声をかける。
「沢部長と約束している桜井と申します。」
「確認いたします。」
女性社員が内線で電話をかける。すると困ったような表情に変わった。
「ここで少々お待ちいただけますか?」
「え?はい、わかりました。」
いつもならすぐ通してもらえるのだが、今日は少し様子が違う。それから30分もの間、俺たちは待ちぼうけを食らった。
「約束の時間はとっくに過ぎてるぞ。」
林が苛立ちを見せた次の瞬間。
「なんだ、まだいたのか。」
含み笑いを浮かべた沢部長が姿を表した。
「特許更新の件でお約束しているはずですが。」
苛立ちを抑えつつ声を上げると、沢部長の笑みが深くなる。
「その件なんだけど、底辺企業は信用0だ。というわけで、今日で契約中止な。」
「なんですって?」
林が困惑の声をあげる。驚き混乱している俺たちを、沢部長は心底楽しそうに見ていた。しかしここで感情を見せれば、この男の思うつぼだ。
「俺を不審者扱いするような女がいる会社だぞ。そんな会社のシステムは、特許取得でも信用できないね。今後何かしらの問題が起こるに違いない。そうなる前に、我が社は別の信用できる会社と契約することにした。」
なぜか勝ち誇ったように胸を張り、沢部長が続ける。
「学歴があっても所詮この程度だ。会社経営なんかやめて、バイトでもしたらどうだ?お前らには安い給料の仕事がお似合いだぞ。」
林の顔が怒りで赤くなる。このままでは沢部長に掴みかかりそうな勢いだ。大事になる前に、俺は一歩前に出て沢部長に向かい冷静に告げた。
「わかりました。契約は中止ということで、我々はこのまま帰社します。」
「おい、桜井。」
止めようとする林の発言を片手で制し続けた。
「ただし、再契約はできませんよ。いいですね。」
「は?なんだそれ?別に構わないけど。底辺企業と再契約なんか絶対しねえわ。」
「そうですか。わかりました。帰るぞ。」
最後まで感情を表に出さず、俺は踵を返す。
「ちっ、生意気なやつ。」
沢部長の不機嫌な声が聞こえてきたが、スルーして足早に立ち去った。
翌日、俺たちはいつも通り仕事をしていた。昨日沢部長の会社との取引がなくなったと神田に伝えた際、神田は安心と困惑の入り混じった複雑な顔をしていた。
「辞めないでくれよ。」
林の懇願に、神田は苦笑いで頷いて返した。
「うん。分かってる。ごめんね。不安にさせて。もう大丈夫だから。」
沢部長の会社との契約がなくなったのは正直痛い。しかしおかげで神田という友人を失わずに済んだ。
「さて、俺は営業に行ってくるわ。」
林が立ち上がり、神田も続けて椅子から腰を上げる。
「私も行ってくるわ。1日でも早く新しい取引先を見つけないと。」
「うん。2人とも頼むよ。」
笑顔で見送ろうとした次の瞬間。
「どうしたんだ?」
「沢部長から電話だ。」
スマホの画面を確認すると、沢部長の名前が表示されていた。初めての顔合わせの際、お互いに携帯スマホの番号を書いた名刺を交換していたのだ。
「何の用だ?」
林と神田が緊張した顔で俺を見る。首をかしげつつ、とりあえず電話に出てみた。2人にも聞かせた方がいいかと判断し、スピーカーにして通話開始ボタンを押す。
「もしもし。助けてくれ。」
電話が繋がった瞬間、大声が聞こえてきた。
「どうしたんですか?」
「今日から使い始めたシステムが誤作動を起こしたんだ。考えられない数量の自動発注が走って、取引先から大量の荷物がどんどん届いてるんだよ。」
神田が驚きに目を見開く。対して俺は冷静に返した。
「システム会社に連絡はしたんですか?」
「もちろんした。でも繋がらないんだよ。同じ在庫管理システムだし、お前でも対応できるだろ。今すぐうちに来てくれ。」
呆れている俺の代わりに、林が声をあげた。
「申し訳ございませんが、我が社は他社システムの運用や管理業務はしていません。」
「じ、じゃあ、お前たちのシステムを再契約する。急遽導入してくれ。」
今度は俺が口を開いた。
「昨日言いましたよね。再契約はできないと。」
「そんなの知らん。口約束なんか向こうだ。」
「知らないでは済まされませんし、口約束ではありません。契約書に書かれていることですから。」
沢部長の声が一瞬途切れる。
「は?なんだそれ?嘘だろ?」
「契約書の第12条に記載されています。契約終了後、当社との再契約は一切行わないと。特許技術の流出防止のため、一社につき1契約限りにしているんですよ。前の担当者は了承してサインをしました。」
完全に言葉を失った沢部長に対し、林から衝撃の事実が明かされる。
「ちなみに沢部長が新しく契約した信用できる会社とやらですが、業界内で評判最悪の会社ですよ。契約金だけ取って納品せずに逃げるって噂があるんです。」
「え?そうなの?」
神田が驚きの声をあげる。そう、林は沢部長が契約した会社に問題があると最初から知っていたのだ。以前俺に教えてくれた林は、沢部長には助言しないでおこうと言った。
「どうせ俺たちの話なんか聞いてくれないだろうし、時間の無駄だよ。」
そして現在に至るというわけだ。
「警察に相談することをお勧めします。では。」
「おい、待ってくれ。」
沢部長が何か叫んでいたが、躊躇せず電話を切る。
「契約中止になったし、俺たちには関係ない話だ。」
俺の言葉に、神田と林が頷く。
「あの人にかまってる暇なんかない。神田、営業行こうぜ。」
オフィスを後にする2人を見送り、俺も仕事に戻った。
電話の翌日。
「そろそろ休憩するか。」
昼の12時を過ぎ、パソコンから視線を外した。他の社員たちはすでに昼休憩に入っている。
「桜井、外に食べに行かないか?」
「私も行きたい。」
「いいね。行こうか。」
3人で外に出ようとしたが、思わぬ来訪者により阻止される。
「開けてくれ。」
インターホンが鳴ったかと思うと、オフィスの入り口をどんどんと叩く音が聞こえてきた。関係者立ち入り禁止のため普段は施錠してある。その扉を大声を上げながら沢部長が叩いていた。
「何のようですか?」
林が神田の前に立ち、守るような姿勢を取る。俺は扉を開けつつ、沢部長が勝手に入れないよう入り口に立ちふさがった。
「うちと再契約しろ。」
「ですから、契約書に書かれている通り無理なんです。お引き取りを。」
「俺はそんな契約書なんか知らん。」
今まで冷静さを崩さなかった俺だったが、とうとうぶち切れてしまった。
「担当者なのに、なぜ契約書の内容を知らないのですか?職務怠慢ですね。普段からちゃんと仕事をしていないんでしょうかね。何のために契約書があるかご存知ないんですか?沢部長みたいに、身勝手な理由で約束を破るのを防ぐためです。」
怒った俺の強気な態度に、沢部長は面食らっている。
「契約書に違反した場合、相手から訴えられる可能性があります。沢部長はその覚悟がおありなんですね。」
「え?俺はそんなつもりは。」
「では、どういうつもりで我が社に乗り込んできたんです?」
沢部長の勢いがどんどんそがれていく。視線をあちこち彷徨わせ、額に汗を滲ませていた。
「沢部長、今回の誤作動でいくらの損失が出ました?その損失分と、我が社との年間契約料、どちらが高くつきます?」
俺の問いかけに、沢部長の体がびくりと跳ねる。一気に青くなった顔色から、損失の大きさが伺えた。
「判断を誤りましたね。」
沢部長の体がブルブルと震えている。少しの間何かを考えている様子だったが、唇を強く噛むと、ゆっくり俺に向かって頭を下げてきた。
「た、頼む。助けてくれ。このままじゃ俺は責任を追求される。もしかしたら会社を追い出されるかもしれない。」
「それだけで済めばいいけどな。損害賠償請求されたりして。」
林のつぶやきは、沢部長の耳にしっかり届いたようだ。取り乱し、俺にすがりつこうとしてきた。
「今までのことは謝る。2度と同じ過ちは繰り返さないと約束するから。」
「沢部長は我が社を信用ゼロと言いました。俺もあなたに同じことを思っています。俺はあなたを一切信用していません。」
沢部長の顔に絶望の感情が広がっていく。
「それにうちの特許管理システムは、すでに新しい契約先が見つかってるんですよ。業界1位の会社で、俺と仲のいい大学の先輩が務めている会社です。先輩の紹介のおかげで話がスムーズに進んで、来週にも契約締結する予定ですよ。」
林の言葉に、沢部長は完全に言葉を失った。昨日林が営業をかけに行ったのが、業界1位の会社だ。人脈の広い林がいてくれてよかったと、心の底から思う。
「お引き取りを。」
沢部長の目から光が失われた。ふらふらと立ち上がったかと思うと、背中を丸めて俺たちの前から立ち去る。
「自業自得だな。」
沢部長の後ろ姿を見送りながら、林が呟いた。
その後のことは、林から聞いた話になる。沢部長の会社では、在庫管理システムは停止を余儀なくされ、代替が見つかるまで社員は手作業で対応したが、処理が追いつかず複数の取引先への納品が遅延。沢部長の会社の評判は一気に落ち、事件から2ヶ月後、沢部長は会社を去った。実態はほぼ解雇だったようだ。
そしてつい先日、沢部長を街中で見かけた。手には転職雑誌を持ち、目はうつろで、表情は暗い。あちらは俺に気づいていなかったので、人混みに紛れて沢部長の横を通り過ぎる。
怒りはもうなかった。ただ、守るべきものを守りきったという静かな満足感だけが胸にあった。
現在、俺たちは忙しい日々を送っている。経営も安定してきたので、新しいシステムの開発を始めたのだ。
さて、今日も頑張って働くぞ。今日も俺は、頼れる仲間たちと共に仕事に励んでいる。



