「社長命令で、お前の会社との契約は終了になったから」
そのメールを読んだ時、俺は何が何だか分からなかった。今回の分は確かに納品を完了したばかりだ。もう我が社の薬品は要らないというのか?それに、本当に先方の社長が突然契約終了なんて言うものだろうか。
俺は混乱したまま「社長がお待ちですか?」と返信した。
すると、その直後に徳倉から電話がかかってきた。
「社長が来ているとはどういうことだ!」
大慌ての彼に、俺は「いや、言葉の通りです。桜井社長がいらしていますよ」と答えた。
「なんでうちの社長がそっちにいるんだ。そんなわけがない」
徳倉がそう叫ぶので、俺は桜井社長に電話を代わってもらった。
俺の名前は吉井浩司、42歳。父親は薬剤師で、母も薬局で働いていたと聞く。母は結婚後に専業主婦になり、俺と弟を育ててくれた。中学生ぐらいまでは俺も薬剤師になろうかと思っていたが、学力が足りず医療の道には進めなかった。大学は文学部に進学したが、就職活動をする過程で製薬会社の求人を見つけた。製薬会社に就職するのは通常は薬学部の卒業生が多いとされているらしい。その点は俺も理解できる。しかし、文系から製薬会社に就職することも問題ないと教えられた。そこで、ダメ元で製薬会社に応募してみたのだ。
すると無事に合格することができ、営業担当として配属された。製薬会社の営業は他の業種の営業とは異なり、学ぶことが多い。俺には無理だったろうかとも思ったが、それでも投げ出さずに勉強を続け、営業として成長していくことができたと思っている。
最初は手探り状態ではあったが、顧客との信頼関係を一番に考えて努力をしていった。俺の職場の製薬会社では、地域で大きな薬局を運営するとある会社と取引をしていた。我が社が重要な取引先として認識していた会社でもある。
俺がその会社を担当するようになったが、佐々木社長は我が社に対応的な人で、会社同士いい付き合いができていた。実際に商談に関わる部長も人当たりのいい人であり、俺としても楽しく商談を行うことができていた。
しかし、俺が40歳を過ぎた頃に、部長が交代した。新たに営業部長になった徳倉は、これまでは人事部で権勢を振っていたらしい。しかも大満で、自社が一番というスタンスの人間だという話を聞いた。
その話に、俺はうまく関係性を保っていけるのかと一抹の不安を感じたのである。俺は比較的どういった人とも話せる性質ではあるが、傲慢な人間は実は苦手だ。それでも、長く使ってもらっている薬の納品更新の話をするために、彼の会社に行かなければならなかった。
緊張しながら徳倉の会社に行くと、まず俺は挨拶をした。
すると徳倉は「営業部長の徳倉だ。これからは私が担当する」と威圧感のある声色で言ってきた。さらに彼は「だいぶ前からうちと取引をしているようだが、本当に効く薬なのか?」と資料を捲りながら言ってくる。これまで人事にいたこともあってか、薬のことについては知識がないのかもしれない。俺は「はい。長く使用していただいておりますし、薬の効果が現れていると実証済みですので」と答えた。
それを聞いた徳倉は「そんなものか」と興味なさそうに告げた。俺の説明を聞いて資料も読み終えた徳倉は、次に「もう少し安くならないか」と要求してきた。
しかし、俺は「相場に沿って提示させていただいておりますので、無理ですね」と答えた。一応、上司にもちゃんと価格について相談をして提示していたのだから。
「なら、お前の薬を買わなくてもいいのか?」
徳倉は圧を含んだ声で言ってきた。俺が困っていると、今度は「低価格の半額であれば購入するんだが」とまで言うではないか。
半額でなんて売れるはずがない。我が社の薬を馬鹿にしているのだろうかとさえ思えてしまう。俺は「半額とはいくらなんでも無理ですね。これまでも定価で取引をさせてもらっているんです」と言った。
すると「そうか。それなら薬品はよそに作ってもらうとする」と、彼は遠巻きのように言うのだ。
咄嗟に俺は「半額は無理かもしれませんが、会社で価格の方を検討させていただいてもよろしいでしょうか」と案を出した。それによって、その日は契約には至らなかったものの、半額で売ることは回避できた。
帰社後に課長に相談すると、「さすがに半額にしてはいけない」と言っていたが、「10%オフであればしてもいい」という。それが我が社で値下げできる限界の幅であるから、早速徳倉に値下げを伝える電話をかけたところ、彼は「10%か」と不満な反応を示した。しかし、「まあ、それぐらいならいいか」と言って、なんとか承諾してくれたのである。おかげで我が社との取引を継続することができた。
とはいえ、要求を聞き入れると何度でも要求を突きつけてくる可能性がある。顧客なのでこんなことは言いたくないが、そういったことも用心をする必要があると思った。納期については余裕のある日程で納品する予定になっているものの、何度も催促の電話をよこしてくる。徳倉は「納期を忘れていないか」「製造は間に合いそうか」などと毎週のように聞いてくるのだ。
契約が決まったなら、何か疑問がある時以外には、こちらを信頼して任せてくれればいいのだ。それなのに、彼は我が社あるいは俺を信頼してくれていないのかと思えてくる。まあ徳倉と俺は二度しか会ってはいないから、信頼はまだ築けていないのかもしれない。とはいえ、発注した側からしてみれば、納品されるまでは進捗状況が気になるだろうということは分かる。
我が社の工場ではピッチでの製造が行われ、なんとか納期に間に合わせて納品することができた。製品の品質には自信があるし、徳倉らも納得してくれるだろうか。俺は「今回もお世話になりました。今後ともどうぞよろしくお願いします」と徳倉にメールを送った。
すると彼は「残念ながら、それはない」と返信してきたため、俺は驚いて「それはどういうことでしょうか」と再度メールを送った。俺の問いに「うちの社長命令で、お前の会社との契約終了になったから」と返してきたのだ。
自分としては何がどうなって契約終了という話になっているのか分からない。今回の分が納品完了となったから、もう我が社の薬品はいらないという話か。そもそも本当に先方の社長が突然に契約終了だなんて言うだろうか。俺はわけも分からずに「社長がお待ちですか?」と返事を送ったのである。
メッセージを送ってすぐに、徳倉から電話がかかってきた。
「社長が来ているとは一体どういうことだ?」
慌てる彼に、俺は「いや、言葉の通りです。桜井社長がいらしていますよ」と教えた。
「なんでうちの社長がそっちにいるんだ。そんなわけない」
徳倉が喚くので、俺は桜井社長に電話を変わってもらう。
「徳倉君、どこにいるんだね」
桜井社長に問われると、「あの…社長、今は出先にいますが」と徳倉は答えた。
「今すぐ佐々木社長の会社に来なさい」
桜井社長にそう言われ、徳倉は「承知しました」と返し、電話を切ったらしい。
その後は徳倉が到着するまで、桜井社長のことは俺と佐々木社長がお相手した。それから30分後、徳倉が我が社にやってきた。彼がここに来るのは初めてだと思う。何せ徳倉の商談は全て彼の会社で行っていたから。
桜井社長の待つ会議室に入るなり、徳倉は「社長、なぜこちらに?」と戸惑う様子。
「新しい話をしようと思ってね」
桜井社長が言うと、徳倉は目を見開いて「え」と驚きを顕わにした。我が社では新薬の開発を行っていて、このほど臨床試験に合格して承認されたのだ。桜井社長は顔を見せがてら、自ら自社と契約をしてほしいと要請してくれたのである。徳倉も商談に同席させるつもりだった桜井社長。だから彼に再三に渡り電話をしていたらしいが、彼が出ないため、桜井社長はこうして一人で我が社にいるということだ。
「申し訳ありません。打ち合わせをしていたものですから」
徳倉が弁解すると、桜井社長は「まあいい」と言った。それを聞いて、さも安心したような表情を見せる徳倉。
すると「こちらとの契約を終了するなど、私がいつ言った?」と桜井社長は徳倉をギロリと睨みながら言った。徳倉は「へ…」と顔面蒼白になり、なぜか視線を逸らす。
桜井社長は徳倉に「君はこちらの吉井さんに“私の命令でこちらの会社との契約を終了する”と発言したね?」と厳しい口調で問い詰めた。
仕方なしに「はあ…」と肩を落とした徳倉が答える。
「私は契約を終了するなんて一度も言っていないぞ」
桜井社長は怒りに満ちた声で言い、徳倉を見た。
実は、徳倉がその場に到着するまでの30分間、俺は「社長命令で我が社との契約が終了になった」と彼に言われたことを桜井社長に告げていたのだ。その時、桜井社長は「なんですって。そんなことを命令するはずがないじゃないですか」と合わせてだった。そして「そのようなことは断じてないので、これをお許しください」と俺たちに頭を下げた。
自社の社長に頭を下げさせるなんて、徳倉は罪なことをしたと俺は思う。頭を下げられた我が社の佐々木社長は「桜井社長、おやめください」と慌ててしまったのである。
徳倉は自分の暴言が自社の社長にまで伝わるとは思わずにいたのだろう。俺と電話をした時に、すぐそばに社長がいるとは知らなかったんだから。
さて、暴言が桜井社長にバレた徳倉は、その理由について問われた。
それに対して、彼は「なんとなくむしゃくしゃして」とありえない理由を口にしたのだった。どうやら徳倉はストレスが溜まっていたことで、その吐き口として俺たちに嫌がらせをしていたそうなのだ。50歳を超えたいい大人がすることではないと、俺は年下ながら彼を情けなく思ってしまった。社長命令だなんて言って嘘をついたなら、いずれはバレると分かりそうなものだ。
また、俺は徳倉の態度の数々、値上げを迫ってきたこと、催促するように度々連絡をしてきたことを桜井社長に告げた。それは桜井社長が「もしや他にも何かあったのなら、言ってほしい」と言ったからだ。双方の会社の関係性にも影響しかねないため、教えることは躊躇われた。しかし、とりあえず伝えることにしたのだ。
値上げることや催促すること自体は、商売の中ではよくあることなのかもしれない。しかし徳倉のやり方は、俺がこれまで接してきた取引先の誰とも異なっていた。
俺の話を聞いていた桜井社長は、徳倉に対して「随分と取引相手に対して態度が悪いらしいな」と言った。桜井社長によると、最近徳倉に対してクレームが他社から入るようになってきたという。どうやら徳倉の態度が悪いのは、俺たちに対してだけではなかったようだ。それを桜井社長から明かされて、徳倉は顔を伏せている。とても罰が悪くて仕方ないに違いない。営業職にも関わらず態度が悪いとは、話にならないだろう。
「桜井社長は我が社の評判を落とすようなことはせんでくれ」と激怒した。
「相手になめられたくなかったんですよ」
徳倉が反論すると、「何を考えているんだね、君は」と桜井社長が一括した。聞いている俺も、こんな思考の人物がいることに驚きを禁じ得ない。取引というのは舐められるとか舐められないの話ではないだろう。同じ営業職として呆れてしまう。
桜井社長は「取引相手とはいい関係を築かなければいけないことぐらい知っているだろう」と俺たちに向かってではないことを徳倉を叱る。さらに「部長になったからと言って奢るんじゃないぞ」と言った。
これまで黙っていた我が社の佐々木社長は「まあまあ桜井社長、これぐらいでいいではないですか」と言って抑えようとした。それを遮るように、桜井社長は徳倉に「謝りなさい」と指示をする。これまでの勢いもなく、か細い声で「すみませんでした」と徳倉が謝罪すると、
「私にではなく、佐々木社長と吉井さんに対してだ」
と低い声で言った。それに従うしかない徳倉は、俺たちの方を向きながら「すみませんでした」と頭を下げたのである。
そして改めて桜井社長も「ご不快な思いをさせてしまいましたが、お許しください」と頭を下げた。さらに彼は「徳倉については、営業部から外すことを考えておりますので、ご安心ください」とも言う。それを聞いた時、徳倉はぎょっとした顔で「え…」と桜井社長の方を向いた。
「それは本当ですか?」
と慌てふためく徳倉に「当たり前だ。君を信じていた自分が情けないよ」という桜井社長。そして我々に向けて「この通り、新薬の取引は是非お願いしたいと思います」と切実そうにそう言ったのである。
それに対して佐々木社長は「分かりました。こちらとしましても、是非よろしくお願いいたします」と穏やかな表情で言った。しかも、商談の担当には桜井社長が俺を指名してくれて、商談自体は後日改めて行うことになった。こうして、ひとまずは騒動が収まったと思う。
それからの徳倉がどうなったのかと言うと、首にはならなかったようだ。しかし、部長職は剥奪となったらしく、彼は魂が抜けたようになってしまったそう。社内の窓際部署に平社員として移動が決定したのである。部長にまでなっていたのに役職が何もなくなったのだから、相当な屈辱だろう。しかし、自分の行いが招いたことだ。これを機に、しっかりと反省してくれればいいのだが。
徳倉が移動になってから、俺は彼の会社に商談をしに訪れた。新たに営業部の部長となった人物は、徳倉とは打って変わって話しやすく穏やかな人だった。新薬の商談のため「失敗できない」と緊張して臨んだが、徳倉を熱心に聞いてくれたし、好感触だった。価格についても適正な範囲で決まったし、納期にも十分な余裕があるだろう。無事に契約まで済ませて、俺はほっと胸を下ろし、帰社のために廊下を歩いていた。
すると、向かい側から見覚えのある人物が歩いてくるのに気づいてしまった。配置換えに追いやられたと聞き、社内で会うことはないだろうと思っていたが、鉢合わせてしまったのだ。向こうが俺に気づかなかったなら、声をかけずすれ違おうと思っていたが、あいにく他にはあまり人通りがなく、すぐに気づかれてしまったらしい。険しい顔をした徳倉が「なんでお前がこんなところにいるんだ」と聞いてくるので、俺は「新薬の商談に来たんですよ」と答えた。
「そうだったな。俺が窓際に追いやられて、嬉しいか?」
「そんなことありません」
と答えた俺。すると徳倉は「嘘つけ。本当は腹の中で笑ってるんだろう」と尋ねる。こんなことを言う時点で、まだ反省はしてくれていないようだ。
「本当にそんなことないですから。俺はあなたに反省してもらえれば、それでいいんです」
と言った。
「俺はお前のせいで部長の座を追われてしまったんだ。お前のこと忘れないからな。覚えておけよ」
とまた言ってきた。
やはり全く反省の気配がない。俺や我が社への恨みだけが、彼の中で燻っているようだ。全く残念なことだ。
俺は「そんなことをいつまでも言っているようでは、あなたが復活することはできませんよ」と言ってやった。脅迫のつもりはなく、本当のことだと思ったから言っただけ。
俺の言葉を聞いた徳倉は「何だ?生意気なんだよ、お前は」と声を少し荒げた。会社の誰かに聞かれたらどうするというのだろう。騒動の現場を見られたりしたら、徳倉の会社での立場がますます悪くなるだろう。別に徳倉がどうなろうと知ったことではないのだが、それに俺もこの会社の中でトラブルを起こしたくない。
「落ち着いてください。そんなに怒鳴らなくても」
と抑さえた声で俺は言った。それでもなお徳倉は「うるさい。お前に指図は受けたくないんだよ」と言う。
今の職場がよほど面白くないのだろうか。営業部の第一線で働いていたのだから、そのギャップは激しいものかもしれない。気持ちがやさぐれてしまっているのも分かる。
「分かりました。俺はすぐに去るので、落ち着いてください」
と言って、その場を離れた。後ろから「おい、ちょっと待て」などと聞こえてきたようだが、気にせずに俺は歩く。
我が社の新薬は無事に桜井社長の会社へと納品された。会社を通して、会社で運営している各薬局へと輸送されるらしい。先方でも我が社の新薬の宣伝をしてくれていて、なかなかで評判が広まっていた。それに伴い問い合わせも増加し、営業部の電話は鳴りっぱなし状態だ。需要が拡大していき、取り扱いたいという薬局などから注文が相次いでいる。また、これまで取引のなかった会社からも注文が来るようになった。俺たちも慌ただしくあちこちを営業で飛び回っているのだ。
それは、何よりも薬を必要としている患者様のため。薬によって一人でも多くの人の病の症状が緩和されたりすることが望みだ。我が社の新薬を含めた薬が、多くの患者様の元に届くことを願っている。



