「お前にはもう会社でやれることはないと思ってくれ」――ワンマン社長は、最愛の息子に仕事を引き継がせるため、6年間顧客と向き合い続けてきた俺を平然と解雇通告した。引き継ぎ役として残された俺の前で、その“ドラ息子”は保険をジョークだと笑い、遅刻は当たり前、顧客との約束も平気で破った。そして偶然を装って、俺の担当顧客との大事な相談日をわざとずらし、俺を嵌めようとした。社長は息子の言い分だけを鵜呑み…

「お前にはもう会社でやれることはないと思ってくれ」――ワンマン社長は、最愛の息子に仕事を引き継がせるため、6年間顧客と向き合い続けてきた俺を平然と解雇通告した。引き継ぎ役として残された俺の前で、その“ドラ息子”は保険をジョークだと笑い、遅刻は当たり前、顧客との約束も平気で破った。そして偶然を装って、俺の担当顧客との大事な相談日をわざとずらし、俺を嵌めようとした。社長は息子の言い分だけを鵜呑み...

「社長、申し訳ありませんが、保険の営業や勧誘にはったりはご法度です。我々はどんな業界よりも法令順を意識していかなければいけません」

同期が社長に詰め寄られていた。一癖ある顧客相手に慎重に交渉を進めていたところへ、社長が通りかかり、「お客を騙してもいい」と取れる発言をしたのだ。オフィス内の空気が凍りつく。社長は俺を睨みつけ、根性論で圧倒した。

「お前程度が優秀だなんだって持て囃されて調子に乗ってるんじゃない? 俺に意見したければセールスで日本一でも取ってみろ」

それ以来、俺への圧力は強くなった。無理な営業命令、細かい雑用の押し付け、残業代のカット宣告。社長からの嫌がらせは1年近く続き、ストレスは限界に達していた。

ある日、社長がオフィスに降臨し、全員の前で発表した。

「明日から法人営業部に私の長男を配属する」

社長の長男・芳孝さん。将来会社を継がせるために退職させて連れてきたと言う。そして社長は俺の名前を呼んだ。

「武田。明日から息子にはお前の仕事を引き継がせることにした。だからな、お前にはもう会社でやれることはないと思ってくれ」

突然の解雇通告。頭が真っ白になる中、上司が必死に引き止めてくれた。引き継ぎができるのは俺しかいないと。どうにか社長を説得し、俺はひとまず会社に残ることになった。

翌日、芳孝さんがやってきた。理系大学を出ただけあって賢く、仕事の基本もすぐに覚える。だが、彼は周囲に混ざろうとしなかった。そして本格的に顧客対応が始まると、本性を現し始めた。

「保険なんてジョークグッズみたいなものだよ。掛け金だけだって相当なもんだ。何事もないのに払えるなら、その金をプールしておけばいいのに」

そう言って半笑いする。仕事を舐めかかって、何事にも不誠実に振る舞った。挨拶もろくにせず、名刺を雑に扱い、遅刻は当たり前。

「せめてしっかりと定時に出勤してもらえますか?」
「どうして? そう言われても、この会社の決まりを守る価値を感じないよね」

斜め上からの言い草に、俺も上司も何も返せない。

そんなある日、俺が休憩に行っている間に、芳孝さんが顧客からの電話を受けた。地元の建設会社・大山社長からの契約見直しの相談だった。俺はスケジュール帳に日時を書き入れ、準備を始めた。

数日後、芳孝さんが遅刻した。連絡を取ろうとしたところで、逆に電話がかかってきた。

「おい、火曜日だって言っただろうが! 俺がどれだけ必死に謝って誤魔化したと思ってるんだよ!」

俺は混乱した。

「待ってください。建設会社との相談は明日のはずです。今日は火曜です」
「あ? 今日だよ。俺はそう言ったよな?」

電話は一方的に切られた。上司と顔を見合わせる。俺は確かに芳孝さんから「来週の水曜の11時」と聞いていた。だが芳孝さんが戻ってくると、逆上して俺に詰め寄った。

「あんたが来ないから客が怒ったんだよ! 人のせいにするな! 俺はちゃんと火曜日だって言ったんだ!」

その騒ぎに社長が顔を出した。社長は息子の話だけを聞いて鵜呑みにし、俺を断罪した。

「だからお前は用済みだと言ったんだ。首だよ。解雇だ」

俺が謝ろうと抗おうとするよりも先に、社長と芳孝さんの相手をするのが心底嫌になった。

「わかりました。今までお世話になりました」

俺はすんなり解雇通告を受け入れた。上司が止めようとしたが、手で制した。その日のうちに退職届を出し、荷物をまとめた。嫌なものから自分を切り離せればいい。それだけだった。

しばらくして、前の職場から連絡があった。今度は社長からの呼び出しだ。ひとまずスーツを着て向かうと、社長と険しい顔をした芳孝さんが待っていた。

「君が辞めてから、顧客が解約を申し出ている。契約額だけで言えば10億は下らないはずだ。大口顧客の解約が多い。もう一度顧客を任せてやる。会社に戻してやるつもりだ。そして改めて息子を手伝え」

社長は平然とそう言った。俺の担当顧客の規模すら知らなかったのか。自分の行いに疑問も持たず、正しいことしかしていないと信じている。その態度に脱力した。

その時、かつての上司が入ってきた。

「大山さんというお客様が解約のお話でいらっしゃいました」

大山さん。俺の解雇騒動の発端になった顧客だ。新人時代からの顧客で、あの日の相談に俺は顔を合わせていない。俺は社長たちと一緒に大山さんの元へ向かった。

「大山様、申し訳ございませんでした。私が相談の約束を間違ってしまったばかりに」

頭を下げると、大山さんから深いため息が漏れた。

「私は確かに怒っています。ですが、武田さんにではありません。あなたのご息子だそうです。あの日、相談に来たのは」

社長が動かなくなる。背後で芳孝さんが罰が悪そうに後ずさる。

「あなたは一体、どういう了見であの日席に着いたんでしょう?」
「おっしゃることの意味が分からない」
「そうでしょうね。相談当日もあなたは何もできなかった。こちらの話も理解せず、業績も知らない。話にならなかった。そうだと私は言ったはずです」

大山さんに追い詰められ、芳孝さんの虚勢は剥がれ落ちていった。

「保険なんて金額さえ間違えなければ問題ないはずなのに。それなのに細かく言われて躾けられて、それで腹が立ったんですよ。そもそも俺には指導役も引き継ぎ役もいらない。だから相談の日をずらして教えてやったんだ。俺が談を決めればそれで結果になるんだから」

途切れ途切れに告白された真実に、オフィスは凍りついた。

「ちょっとあんた、何してくれてるんだ!」
「はあ? 大体あんたが偉そうにしたからだ」

元上司が芳孝さんを食い止め、社長は口を開けたまま立ち尽くす。大山さんはきっぱりと言い放った。

「私は会社よりも武田さんという人を信頼していた。保険の契約に関して、それ以外に言うことはありません。ご息子のような、仕事に対して未熟な考えを持つ方を人に向き合わせる会社とは、命に関わる保険の話はしたくない」

社長は何もできないただの人になっていた。解約の手続きは元上司たちが引き受けた。

大山さんたちが去った後、社長は俺に泣きつくように頼んだ。

「武田君。武田さん、お願いします。どうか復職を。待遇はこれまで以上に。それに役職も用意する。だからどうにか顧客を会社に戻してくれ」

俺は目を閉じた。答えは決まっていたが、まだ踏ん切りがつかない。目を開けると、自分のデスクで放心状態の芳孝さんが見えた。

「結構です。僕はただ、解放していただければそれで」

社長が追いすがるのを振り切り、俺は職場を出た。

その後、大山さんは本当に保険を解約し、社長と芳孝さんへの苦言を残していったそうだ。一方で、俺や法人営業部には火のないことを言い続けていたという。

そして今、俺は保険業界に帰還している。あの日、前職場に呼び出された時、俺はすでに転職先の内定を得ていたのだ。大学時代の同期が大手保険会社に掛け合ってくれたおかげだった。

前の職場はどうなったか。芳孝さんは顧客からも同僚からも見放され、騒動の責任を問われて解雇された。社長も、顧客激減の原因を作り、これまでのワンマン体質もあって、役員会で吊し上げられ猛反対を受け、退任が決まったという。

「武田、順調だな」
「おかげ様で」

俺は転職先で初心に戻り、丁寧に顧客と向き合い実績を積んだ。成績や数字にこだわるのではなく、心を大事にして。来年からは課長就任も打診されている。庭が自分への信頼の証として受け入れた。これからも自分の道を信じて、誠実に一つ一つの仕事に向き合っていくだけだ。

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