「中卒には無理だろう。机を整理して、さっさと消えろ」
そう言われた瞬間、頭の中が真っ白になった。システムを作ったのが俺だと分かったのに、あいつは蔑んだような目で俺を見下ろしていた。しかも、仕事を辞めて欲しいと言い出す始末。
なぜ中卒だという理由だけで、ここまで馬鹿にされなければならないのか。俺は中卒であることを特に恥じたことはない。けれど、高校を出ていないことを馬鹿にされるのは、絶対に許せない。その時、心の奥底で「いつか痛い目に合わせてやる」という思いが湧き上がってきた。
俺の名前は緑川悟、36歳。父は機械メーカーに勤め、母はパートをしている。妹はすでに結婚して他県に住んでいる。俺は高校に入学したものの、雰囲気が合わず、2年生の夏に退学してしまった。だから、世間的には中卒ということになる。
理系が得意だった俺は、バイトをしながら独学でシステムエンジニアリングを学んだ。そして19歳の時にシステムエンジニアとして就職した。しかし、SEとしての仕事は激務で、体を壊してしまう。退職後、普段からネットショッピングを利用していたこともあり、物流倉庫での仕事に興味を持った。自分の注文した品物がどのように管理され、届けられるのかを知りたかったのだ。
幸運にも21歳で物流倉庫の倉庫管理の仕事を始めた。倉庫全体の管理をもっと効率的にできないかと考えた俺は、倉庫管理システムの開発を上司に提案した。当時の上司が耳を傾けてくれたおかげで、俺はWMS(倉庫管理システム)を構築し、導入することができたのだ。人的ミスを減らし、情報をリアルタイムで可視化できるようになった。作業効率は格段にアップし、周りのスタッフたちも喜んでくれた。
その後、26歳で結婚し、28歳で父親になった。生涯の伴侶や子供を得たことで、責任を強く感じるようになった。
年月が流れ、物流倉庫の本社から和田部長が視察にやってきた。倉庫内の様々なセクションを見て回り、俺の部署にも現れた。部長はなぜかスタッフ全員の学歴を尋ねてくる。俺の番になり、正直に高校を中退したことを伝えると、部長は目を丸くした。
「なんと、ここに中卒がいるとは全く驚きだよ」
「中卒じゃ高度な仕事はできないだろうから、流れ作業とか決まった仕事しかできないのかもな」
部長はそう言って笑った。中卒というよりも、物流倉庫のスタッフ全員を馬鹿にした物言いだった。俺は思わず言い返そうとしたが、「時間がないから」と言い残し、部長は慌ただしく帰って行った。本当に失礼な部長だと思った。
それから1ヶ月後、部長が再び様子を見にやってきた。以前、俺のセクションをよく視察できなかったからだという。倉庫管理の上司が自動化システムを導入していることを説明すると、和田部長はシステムのメリットについて詳細に尋ねてきた。そして、興味を持った様子で「このシステムは誰が構築したんだ?」と聞いてきた。
もし中卒の俺が構築したと知ったら、見直して技術を褒めてくれるだろうか。ほんの僅かに期待した。しかし、その期待は無惨に打ち砕かれた。
上司が「緑川という社員です」と教えると、和田部長はわずかに眉をひそめた。
「緑川?それは誰だ?」
俺が自分だと名乗り出ると、部長はさらに眉間の皺を深くした。
「は?お前は中卒じゃないか。中卒に構築できるわけがないだろう」
上司が「緑川が構築したのは事実です」とフォローしてくれたが、部長は首を振って否定する。
「中卒には無理だろ。机を整理して、さっさと消えろ」
和田部長は、低学歴の負け犬がWMSなんかを構築できるはずがないと決めつけているらしい。俺のような中卒がこの場にいると作業効率が悪くなるから、職場から出ていけと言うのだ。しかし、上司は俺をかばってくれた。
「それは違います、部長。緑川のおかげで作業効率はアップしているんですよ」
すると和田部長は、「だいぶ前のことだから、嘘をついていて、他の誰かが構築したんじゃないか」と言い出す始末。嘘つき呼ばわりされた俺はカチンと来て反論した。
「WMSを構築したのは確かに俺です。元々SEでしたし、こういうシステムも開発できるんです」
「見栄を張ってもいいけどな」
「見栄なんかじゃありません。中学までしか出ていませんが、それでも頑張ってプログラミングなどの勉強をしたんです」
俺がそう言うと、和田部長は「中卒がいるのはとにかく目障りだから消えろ」と言い放った。
「なぜそんなことを言われなければならないんですか?俺はここでずっと頑張ってきたんです」
悔しくてたまらなかった。高学歴なのは勉強をたくさんしたからだろうし、すごいと思う。しかし、学歴が低いことを馬鹿にされる謂れはない。
「中卒の分際で意見するな。さっさと荷物をまとめて出ていけよ」
そう言い残すと、和田部長は他のセクションに用事があるからと去っていった。
殴ってやりたいほど頭に来た俺は、迅速にWMSを削除することにした。和田部長が「中卒にはWMSが構築できない」と言っていたのだから、中卒の使っていた机からWMSを消し去ったまでだ。部長の希望通りに元に戻しただけ。せっかく構築し、この場所で重宝していたシステムだから、本心は削除したくなかった。泣きたい気持ちで削除した。
上司や同僚は大いに驚き、削除を止めようとしたが、システムを残していくわけにはいかなかった。机も整理し終えて帰ろうとすると、和田部長が戻ってきた。
「なんだ、まだいたのか。中卒」
「お望み通り、綺麗に整理しました。WMSもすっきりと」
俺の言葉に、和田部長は驚いて目を見開いた。
「なんだと?これから管理作業はどうするんだ?」
「みんなには申し訳ないですけど、今後はアナログな手作業でお願いするしかないですね」
「それか、和田部長が新たに構築しますか?俺より学があってエリートですから、できますよね?」
そう言った俺に、和田部長は「それは専門外だ」と言って拒否した。散々「中卒には無理だ」と言っていたくせに、逃げるとは卑怯だろう。学んでいないのならできなくて当然なのだが。
「とにかく、エリートだかなんだか知りませんが、俺のことを中卒だと馬鹿にする権利は部長にはないと思いますけど」
すると和田部長は「エリートは偉いんだから、何を言ってもいいんだ」と意味不明なことを言い出す。話にならないので、俺は同僚たちへの申し訳なさを抱えつつ、倉庫を後にした。
帰宅してすぐ、ネットで仕事探しを始めた。地元でSEを探している会社があり、そこはソフトウェア開発の専門だった。SEとして復帰するのは不安が大きかった。物流倉庫での勤務期間の方が長かったし、今更SEとして働けるのか疑問だったからだ。でも、身につけた能力を発揮できる場で働きたいと思ったのだ。
思い切って応募し、面接で「ブランクがあるが大丈夫か」と聞いてみた。すると、面接をしてくれた社長が、俺が務めていた物流倉庫の上司と知り合いであることが判明。社長は「管理システムを構築したすごいスタッフがいると聞いていた」と言い、俺の技術に驚いたようだ。そして、それが俺だと気づくと、すぐに採用を決めてくれた。ブランクについては「仕事をしながら勘を取り戻してくれたらいい」と言ってくれたので、助かった。
その日の午後、なぜか和田部長に物流倉庫の本社へと呼び出されてしまった。退職したばかりだったし、嫌だったので抵抗したが、「どうしても来い」と言われ、しぶしぶ訪れた。応接室で待つ俺の前に現れた部長は、相当な剣幕だった。
「お前がWMSを削除したことで、業務が滞り出したじゃないか」
それは俺がシステムを削除した時から分かりきっていたこと。手作業でやるようになれば、WMSがある時に比べて効率が落ちるのは当然だ。
「それは分かってましたけど。俺、部長が『机を整理して消えろ』って言ったので、机で操作していたパソコン内のシステムも削除したんですよね」
「なんだと?今から物流倉庫に戻って再構築しろ」
そう言われても、俺はすでに従業員ではない。要求を拒否すると、部長は「会社に損失を与えたとして訴えるからな」と言い出す。
「無償で構築するなり、新たに高学歴な人を雇って構築してもらえばいいじゃないですか」
そう反論すると、部長は激怒した。
「口答えするな。急いでいるんだ。さっさと物流倉庫に行け」
強制的に要求してくる部長に、俺はある爆弾を投げつけた。部長が既婚者でありながら、物流倉庫の女性スタッフに言い寄っていることを知っていると告げたのだ。部長はその女性に会う目的で物流倉庫を訪れていたらしい。最初に来た時から目をつけていたようだ。根っからの女好きで、最初の段階で品定めしていたのだろう。同じ男として恥ずかしく、許せなかった。しかも、部長はその女性を本社に移動させようと画策しているらしいことを、俺は物流倉庫にいた時から聞いていたのだ。
自分の素行を知られた部長は、大いに焦りを見せた。
「何を言ってるんだ。そんなの出鱈目だ」
「もう広まってますし、みんな知ってますけど」
そう言うと、部長は押し黙ってしまった。返す言葉が見つからないのだろう。
「自分の行動には、もう少し気をつけたらどうですか?」
俺は「そもそも新しい職場が決まったため、WMSの構築をしている余裕がない」と告げ、和田部長を残して本社を出た。
新たな職場でSEとして再スタートを切ったが、働きやすく居心地もいい。この職場に決めて良かったと思う。
そんなある日の昼、物流倉庫時代の上司から電話がかかってきた。元上司によると、WMSを再構築して欲しいという。和田部長に再構築を頼まれたが断ったと告げると、あの部長は大騒動になっているのだという。
和田部長の素行は本社の上層部にも知られることになり、社長にまで呼び出されたらしい。全力で否定していたが、言い寄っていた女性従業員に告発されたのだ。告発した女性は、その後居づらくなったのか退職したらしい。その穴を埋めるため、物流倉庫の在庫管理チームは大わらわになっているという。おまけに、和田部長だけでなく、誰も俺の構築したようなWMSを構築できなかったそうだ。
まあ、そうだろうと思う。俺は自慢じゃないが、なかなかのプログラマーだと自負している。様々な場所でWMSは使用されているが、俺の構築したWMSは一味違う。徹底した細やかさとスピーディさを追求したのだ。きっと他の誰にも真似できないだろう。
しかし、元上司は「緑川君のWMSがなければ、作業効率が落ちてダメなんだ」と言う。元上司にはよくしてもらっていたし、そこまで言われたら断れない。和田部長の件については処分が下されるだろうとも言うので、俺は話を受けようと考えた。
「分かりました。でも、今の職場の社長の許可を得てからでもいいですか?」
「ああ、それでいいよ。ただ、なるべく急いでくれると助かるよ」
そう言って電話を切った。午後になるとすぐに社長のところへ行き、事情を説明した。今の社長は俺が物流倉庫を辞めた理由を知っているので、正直に話した。すると社長は「元上司とも縁があるから、快くいいよになってあげなさい」と言ってくれた。優しい社長で本当に良かった。
それから俺は、今の職場の仕事に加えて、元職場のWMS構築も引き受けることになった。思ったよりもハードな日々だったが、それでも充実していた。WMSの構築を始めてから2ヶ月後、ようやく運用にこぎつけた。なんと前よりもさらにパワーアップしたものが構築できたかもしれない。SEとして復帰したことで、エンジニアとしての感覚が戻ってきたのだろう。物流倉庫の上司やかつての仲間からは、とても喜んでもらえた。仕事の一環として報酬までもらえることになった。
元仲間によると、和田部長は女性に告発された後、閑職へと追いやられたらしい。おまけに奥さんにまで離婚すると言われ、泣きながら詫びて追いすがったという噂もある。噂が広まり、会社に居づらくなったのか、和田部長はとうとう会社を辞めていったのだとか。女性問題だけでなく、俺を退職に追い込み、作業効率まで低下させたのだから、仕方がないと思う。その後、和田部長はハローワークに通っているらしいが、エリートで部長をしていたというプライドが邪魔して、なかなか新しい仕事が見つからないようだ。自業自得とはまさにこのことだろう。俺のことを散々馬鹿にしておいてこのざまだ。正直、笑いが込み上げてくる。
それからというもの、俺の構築したWMSの評判が広まった。元同僚がSNSで広めてくれたらしい。すると、いつしか俺がSEをしていることが明らかになり、WMS構築の依頼が今の会社を通して舞い込むようになった。力を入れて構築したシステムが世に認められた気がして、嬉しかった。職場の社長も「WMSの事業を拡大しよう」と言ってくれた。
WMSは俺が現地で作業しなくても、各地で構築してもらうことができる。物流倉庫で構築したのは自社内のサーバーに構築するオンプレミス型だったが、クラウド型にすれば会社のサーバーにアクセスしてもらうだけで利用できる。パッケージ型なら、パッケージ化したソフトウェアを各パソコンにインストールしてもらえばいい。俺が1つWMSをクラウド上やパッケージで用意すれば、手軽に利用してもらえるのだ。
俺のWMSは使いやすいと評判が広まり、全国各地から導入の依頼が殺到した。とてもありがたいことだ。WMSが評判になったことで、SEとしての本来の仕事も忙しさを増した。話題のシステムを構築した俺のいる会社だから信頼できると思ってもらえたのかもしれない。
そして1年後、俺は社長からジェネラリストへの昇格を伝えられた。ジェネラリストになると幅広い対応ができるようになり、収入もアップ。家族との暮らしにも金銭的に余裕が持てそうだ。
和田部長との出会いは最悪だったが、彼のようにはなるまいと思っている。これからも俺はSEとして、さらなる高みを目指していきたい。



