希望は私の子ではない。お前、浮気をしたな。出て行け。息子が塾の算数のテストで毎回零点を取ることに腹を立てた強しは、私が穢したと決めつけ、離婚を迫ってきた。夫は高校で数学教師をしており、出来の悪い息子の点数に腹を立てている。お前とは離婚だ。このどこの馬の骨とも分からん子を連れて、今すぐ出て行け。こんな子は絶対に他人の子だ。強しは私の腕を掴み、無理やり家から追い出そうとした。騒ぎを聞きつけた義母が慌てて止めに入ってくれたのだが、強しが聞き入れることはない。一家の恥晒しは要らん。岐阜も離婚を後押しし、私は泣く泣く実家を出るしかなかったのだ。わずかな着替えだけ持って、希望と二人で歩きながら、私は虚しさに打ちひしがれた。お母さん、僕のせいでごめんなさい。あなたは何も悪くないわ。悪いのはお父さんたちよ。考えてみれば、希望にとってはあの家を出ることが良かったのかもしれない。幸いなことに、私の収入だけでも希望を育てていくことはできる。強しや義父のいない場所で、希望はやりたいことができるのだ。希望の体の不調も良くなるかもしれない。そう思うと、強しとの離婚も受け入れられたのである。私の想像通り、希望は次第に笑顔を取り戻していった。勉強を強制されることもない。義父に怒鳴られることもなくなり、希望は自信を取り戻していったようだ。学校でも教室で授業が受けられるようになり、算数のテストでも常に九十五点以上を取るようになった。それから十五年後、私は希望の母校である高校の特別講演会で、元夫の強しと再会した。こんなところで何をしてるんだ?ああ、そうか。ここで雑用係をしているんだな。強しはこの春から赴任してきたらしく、私のことを学校に雇われた用務員だと思っているようだ。私が何をしてようと、あなたには関係ないわ。ふん。雑用係が偉そうに。おい、これも捨てておけ。強しは空き缶を投げつけてきた。苦労してるんだな。デザイナーの仕事だけじゃ、食べていくのもやっとってか。強しは嫌味な笑みを浮かべながら、私を嘲っている。息子の講演が終わるまで、ちょっと黙ってて。息子?名前が一緒だからって、見栄を張るのも大概にしろよ。今日の講演は別人だ。どう思ってくれても結構よ。私は強しを無視して、ステージに注目した。皆さん、今日は僕のために集まってくれてありがとうございます。二十七歳になった希望が壇上に上がると、生徒や教職員、保護者たちから大きな拍手が湧き起こった。この時、希望は世界で活躍する映画監督として、一躍時の人となっていたのである。元々数学以外に興味がなく、芸能ニュースに疎い強しは、講演会のパンフレットに書かれた名前を見ても、息子とは同名の別人と思っていたようだ。今日この場に、僕の母親も来てくれています。希望の声に合わせて、私にスポットライトが当てられた。今の僕があるのは、母さんのおかげです。会場から大きな拍手が送られ、私も誇らしい気持ちで希望を見つめた。その様子を見ていた強しは、壇上に立つ希望が自分の息子だと気づいたようだ。俺の子を、よく立派に育ててくれた。強しは急に手のひらを返し、私にすり寄ってきた。皆さん、彼は俺の子だ。強しは得意げに鼻を鳴らしたのだが、会場にいた全員が強しに冷ややかな視線を送った。希望は雑誌のインタビューやテレビのトーク番組で、父親からの過剰なスパルタ教育や、私が不貞を働いたと決めつけ離婚させられた過去を、赤裸々に告白していたのだ。その場にいる全員が強しが父親だと知り、強しに対して厳しい目を向けた。いやあ、妻も息子も僕の宝ですよ。周囲の視線に気づいていないのか、強しは声高に言い放つ。僕に父親は、いません。だそうですよ。残念ね。ちなみに、私にも夫はいないわ。おいおい、そんな冷たいこと言うなよ。取り繕うように笑って見せる強しだが、周囲からひそひそ聞こえる声に耐えられなくなったのか、その場を去っていった。その翌日、SNSでは私に空き缶を投げつける強しの姿が投稿された。どうやら生徒の一人がスマホで撮影していたらしい。希望監督のクソ親父が暴挙に走ると題されたその動画は、またたく間に拡散され、コメント欄は強しに対する非難の声で埋め尽くされた。その動画は教育長の目にも止まったようだ。数日後、強しは自宅謹慎処分を言い渡された。これまで自分の教育に自信満々だった強しの、初めての挫折だったのかもしれない。それから間もなくして、強しと義父が私の元を訪れた。すまなかった。この通りだ。俺と、もう一度やり直してくれ。強しも反省している。どうか許してやってほしい。二人は私の前で土下座をして、復縁を懇願してきたのだ。しかし、一方的に私と希望を追い出しておきながら、希望の成功を知った途端に手のひらを返すなど、許せるはずがない。やめてください。私は復縁する気はありません。そんなこと言わずに、俺も反省してるんだ。勝手なことを言わないで。あの時、希望がどれだけ傷ついたと思っているの?あの時はどうかしてたんだ。あずみと一緒になりたいばかりに、俺は……。強しは十五年前に塾講師をしていた。あずみと不倫関係にあったことを、自ら告白した。呆れた。あなたが希望に厳しくしていたのは、愛人のために…?そうじゃない。希望に期待していたんだ。しかし、希望が小学生に上がった頃から、強しはあずみと不倫をしていた。私が家を出ていった後、あずみにも子供が生まれたそうだが、あずみの娘は勉強を嫌がり、毎日絵ばかり書いていたようだ。あずみも娘を虐待し、それでも勉強をしている強しを見限ったらしい。やっぱりお前が最高だよ。あいつらは無能だから捨ててやったんだ。捨てられたの間違いじゃないの?何を言ってるんだ?そんなわけないだろう。あずみの娘は、俺のことを一度もパパと呼ばなかった。きっとあずみが他の男と作った子なんだ。強しは、娘にパパと呼ばれないからと、あずみが不貞を働いていたと決めつけているようだ。あんたのことをパパと呼ばなかったその子の気持ちが、よく分かるよ。そうね。あなたのような人に捨てられたあずみさんにも、同情するわ。希望には、あずみの娘の気持ちが痛いほど分かるだろう。自分も同じ思いをしてきたのだ。とにかく、復縁するつもりはありません。分かったら、帰ってちょうだい。私は二人に帰るように促した。しかし、二人は居座ったのだ。息子は反省している。私が保証する。だから、戻ってきてくれないか。お断りします。どうせ、家事をする人がいなくて困っているだけでしょ。実は数年前に、義母は義父に愛想を尽かして出ていったのだ。それまで家事の一切を義母任せにしていた二人は、料理はおろか掃除も洗濯もできない。義母がいなくなった家は、ゴミ屋敷と化していたのだ。強しと二人、寂しい生活を強いられ、見渡せば部屋中ゴミだらけ。そんな日々に嫌気が差していた義父にしてみれば、何としてでも私を説得したかったのだろう。しかし、そんなことは私には関係のないことだ。自分たちが招いた結果なのである。近々、希望と海外に移住することになってるの。だから、何をどう言われても、復縁はありえません。これ以上居座るのなら、警察を呼びますよ。私が毅然と言い放つと、二人は顔を見合わせ、肩を落として去っていった。しばらくして、強しは多くの教え子たちから告発された。強しは我が子のみならず、教え子たちにも暴力的指導をしていたようだ。事件が明るみに出た直後は、教育委員会もそのような事実はないと否定していたのだが、それを受けた生徒たちは次々にSNSに動画を投稿し始めた。強しが教室で問題が解けなかった生徒を必要以上に叱責する様子や、個別指導と称してスパルタ指導をする様子が次々に上げられ、その一つ一つに、最低な教師、即刻解雇しろとコメントが殺到する。動画の中で強しは常に自信満々に自賛し、生徒たちを睨みつけていた。拳を振り上げ、恐怖で生徒を従わせている様子は、誰が見ても異常だったのだ。その後、問題は教育委員会のみならず裁判へと発展した。強しの指導のせいでパニック障害を患ったとして、被害者たちが訴訟を起こし始めたのだ。そのニュースはテレビでも大きく取り上げられ、問題の収拾を図りたい教育委員会は、強しに懲戒解雇を言い渡した。強しは動画は捏造だと反論したのだが、取り繕った言い訳が通用するはずもなく、裁判は強しの全面敗訴で幕を閉じたのである。その後、教育委員会自体の隠蔽体質が問題になり、当時の教育長までもが辞任する事態へと発展した。強しには多額の損害賠償の支払いが命じられたのだが、強しの資産を全て売っても支払い金額には及ばなかった。義父は泣く泣く実家を処分し、支払いに応じたのだが、家をなくした二人は小さなアパートに移り住み、生活することになったのだとか。傲慢な義父も、大学での傲慢な態度が問題視され、教授職を失ったそうだ。仕事をなくした強しは、再就職を試みた。しかし、六十歳を目前にして、数学以外の知識もない。一般企業での仕事の経験もない強しを雇ってくれる会社など、見つかるはずがない。ようやく採用されたのは介護の仕事だったのだが、強しは利用者に傲慢な態度を取り続け、入社して三日で首になってしまったようだ。いよいよ追い込まれた強しは、コンビニやガソリンスタンドで年下のバイトリーダーに怒鳴られながら、生活費を稼いでいたらしい。しかし、そんな日々に強しが耐えられるわけがない。案の定、他のアルバイトとトラブルを起こし、首になったようだ。その後は日雇いのアルバイトで、なんとか食いつないでいるのだとか。身勝手な言動が原因だというのに、強しは態度を改められないようだ。義父もまた、周囲の人間を見下す性格が災いし、近所付き合いがなかったため、孤独な老後を送っているらしい。その後、私と希望はニューヨークへと移住した。希望の次の作品の撮影が、ニューヨークを舞台にした映画になる予定なのだ。希望は映画監督として、数々の賞を受賞している。我が子ながら、誇らしく思う。十五年前、希望は絶望の縁に立たされていた。強しの異常な教育に心を病み、回復は困難かと思われたのだが、私と二人で暮らす中で、希望は動画の作成に興味を示した。私は希望がやりたいことを全力で応援するため、映像クリエイターの道を進ませたのだ。すると、みるみる笑顔を取り戻していき、才能を開花させていった。高校に上がる頃には、希望の作品に注目が集まるようになり、次第に映画の監督に興味を持つようになったのである。デビュー作は大学二年生の時で、新人賞を獲得した。それからは、希望は階段を登るように才能を大きく開花させていった。私たち親子にとって決して平坦な道のりではなかったが、それでも希望と二人で歩んできた道が、私にとっても誇りなのだ。希望の作品は、多くの人に勇気を与えている。私もその一人だ。私は雑貨デザイナーとして活動する傍ら、アパレルデザインにも挑戦し始めた。希望の支えもあり、徐々にファンが増え、今ではブランドを立ち上げるほどになったのだ。これからも希望と二人で、自由な未来に向かって歩いていこう。私たちらしく、世界の人々に喜んでもらえる作品に、全力を注いでいくのである。



