「お前、いつからそんな人間になったんだ?」
オーナーの山岡一鉄さんの言葉が、厨房に響き渡った。いや、違う。俺は何も悪いことをしていない。ただ、真実を伝えただけだ。
俺、黒崎正斗は36歳。捜作レストランで副料理長を務めて6年になる。幼い頃から母の影響で料理が好きで、調理師学校で必死に勉強し、必要な資格は全て取得した。学生時代に両親と訪れたこのレストランの味に感動し、当時のオーナーだった一鉄さんに直談判して弟子入りしたのだ。
厳しい指導の日々。一鉄さんから技術を盗めるだけ盗んだ。14年が経ち、俺は妻にも恵まれ、レストランも繁盛するようになった。6年前に規模を拡大し、一鉄さんが経営に専念することになり、料理長の座には一鉄さんの娘である京子さんが就いた。俺は副料理長として彼女を支えることになったが、相性は最悪だった。
就職した当初から、京子さんは俺を勝手にライバル視し、目立たないように嫌がらせをしてくる。料理長と副料理長という上下関係ができてからは、さらにひどくなった。プレッシャーをかけられる毎日だ。
そんなある日、新メニューを決める会議が開かれた。一鉄さんを始め、料理人や食材の取引先も加わった会議だ。
「では、試作品を誰から発表してもらおうか」
「では俺から」
「オーナー、私から発表させてください」
俺の挙手を遮って、京子さんが一歩前に出た。珍しいこともあるもんだと思った。いつもはメニュー案が出てこず、一鉄さんに怒られているのに。京子さんは俺を見てニヤリと笑い、厨房に入っていく。勝ち誇ったような笑みだ。
ところが、京子さんが作り始めた料理を見て、俺はつい声を上げそうになった。彼女が作っているのは、俺が考えていた新作スープと完全に同じものだったからだ。
「完成しました。どうぞご賞味ください」
京子さんが一鉄さんたちにスープを差し出す。皆が美味しいと評価する中、俺は固まってスープを見つめていた。いつ、どこでレシピを盗まれた?
「さあ、正斗、次はお前の番だ」
「オーナー、すみません。今回はいいメニュー案が思いつきませんでした」
頭の中が真っ白になり、思わずそう口にしてしまった。どうやっても、ここで京子さんと同じスープを出すわけにはいかない。盗まれたと証明する術もない。
こうして京子さんのスープが新作として採用されることになった。休憩時間、俺は京子さんに詰め寄った。
「あの新作メニューのスープのレシピは、俺が考えていたものです。どこであのレシピを盗んだんですか?」
「何をわけのわからないことを言っているの?私があなたのレシピを盗んだ?嘘を言うのも大概にしなさい」
「いや、嘘じゃない。あれは間違いなく俺が考えたものでした」
「自分が思いつかなかったからって、何つけないでちょうだい。全くアイデアを出さない上に、料理長の私に向かうなんて」
京子さんは不機嫌そうにそう言うと、ニヤリと笑った。
「あのね、私は将来このお店を継ぐことになるの。そうなったら、あんたみたいな底辺のゴミ料理人はすぐに追い出してやるから」
「店を継ぐのならば、なおさら誤りは認めて謝罪すべきです」
「ひどいわ!あのレシピは私が必死に考えたものなのに!」
京子さんが突然大声を上げて泣き出す。その声を聞いて、一鉄さんが駆け寄ってきた。
「正斗、何を京子にしているんだ?」
「オーナー、俺は別に何もしていません」
「ねえ、お父さん聞いて。私が披露したスープを、正斗君が『俺のレシピを盗んだくせに』って言ってくるのよ」
「正斗、お前、俺の娘の考えたレシピに文句でもあるのか?」
「いえ、違います。ただ、あれは元々俺が考えていたレシピと一緒だったので、京子さんがどうやって考えたのかを知りたかっただけです」
「盗まれた証拠はあるのか?」
一鉄さんの問いに、俺は口を継ぐしかなかった。
「私に負けたから仕返しをしたいだけなんでしょ」
「誰もそんなことしようと思っていませんよ」
「正斗、お前、いつからそんな人間になったんだ?何の証拠もなくレシピに言いがかりをつけるとは何事だ」
一鉄さんの怒声が響いた。他の料理人たちも集まってきたので、俺は素直に謝罪するしかなかった。だが、その時、京子さんが笑っているのが目に入った。俺ははめられたのだと確信した。
さらに悪いことに、京子さんはこのトラブルを利用し、俺についてあることないこと噂を流し始めた。今まで仲の良かった料理人やスタッフからも無視されるようになった。抵抗する術もなく、結局、俺は自ら辞表を書き、レストランを去ることにした。
「今までお世話になりました」
「やめてしまうのか」
一鉄さんが複雑な表情で引き留めてくれたが、京子さんは「邪魔物が消えて清々するわ」と最後まで俺を嫌っていた。俺は黙って頭を下げ、一鉄さんが何かを言う前にレストランを飛び出した。
レストランを去ってから数日後、ずっと家に引きこもっていた俺は、妻の提案で散歩に出た。外の空気が美味しく感じる。少し遠くまで歩いていると、いい出汁の香りに誘われて古びたうどん屋に立ち寄った。
「どうしてこんなにしっかりとした味なのに、店はこんなに閑散としているんだ?」
うどんの味は抜群だった。俺は主人に美味しかったと伝えた。
「それは良かったよ。この店はもう閉める予定だから、あんたが最後のお客かもしれないな」
「え、こんなに美味しいのにお店を閉めるんですか?」
「ああ、わしも見ての通りだいぶ年を取ったからな。この店を維持するのが難しくなってね」
もったいないと思った。そして、気がついたら口にしていた。
「ご主人、もしよろしければ、この店を譲っていただけないでしょうか?」
最初は困惑していた主人だったが、俺が料理人であることを説明すると「明日からうちへ来い。わしの今までやってきたことを教え込んでやる」と言ってくれた。
それから数年後、俺は約束通りしっかりと修行を積み、うどん屋の主人からお店を譲り受けた。リノベーションして、養殖と出汁を合わせた捜作料理のレストランをオープンすると、初日からお客さんで溢れた。若い子や主婦たちがSNSに拡散してくれたおかげで、予想以上の人気が出た。
そんなある日、妻が見せてくれたSNSに俺は思わず声を上げた。俺の作ったスープがパクりだという誹謗中傷のツイートが出回っていたのだ。謎のアカウントからの発信で、俺についてあることないことが書かれている。
「ねえ、まさと、これって、もしかしたら京子さんの仕業かもしれない」
「ああ、俺は負けないから」
俺はスープで攻撃されているのを逆手に取り、スープをメインにしたランチメニューをSNSで発表した。オリジナリティのあるものにアレンジしたそれは、すぐに話題になった。すると、俺を誹謗中傷していた謎のアカウントが、俺の店に料理を食べに来た人たちから批判を受けて炎上したのだ。
そしてついに、謎のアカウントの主が特定された。俺と妻の予想通り、京子さんだった。特定され、いろんな人にさらされた京子さんのアカウントは当然閉鎖された。
それから数ヶ月。俺は何事もなく過ごしていた。そんなある日、入り口の鈴がお客さんの来店を告げた。
「いらっしゃいませ。え、オーナー?」
「俺はもうお前のオーナーじゃないぞ」
一鉄さんだった。彼は店内を見回しながら「まさにいい店だな」と口にした。
「いや、今日は正斗に謝るために来たんだ」
一鉄さんは数年前の新作メニューのこと、今回のSNSの件について謝罪してきた。
「あの時は本当に申し訳なかった」
「いえ、もう終わったことですから。それより、どうして分かったんですか?」
「俺が経営に専念するために、料理長の座を京子に譲ったのは覚えているな」
「はい。一鉄さんの娘さんですし、文句はありませんでしたよ」
「その京子が、正斗がやめた後から好き勝手にやっていてな。他のスタッフや取引先とトラブルを起こしていたんだ。それに気づいてどうにかしようとしたんだが、自分の娘なだけあって、なかなか追い出せなかった。だが、先日、SNSのことを他のスタッフから聞いて、これ以上は許せないと思ってな。ついに京子を勘当して追い出したんだ」
「そうだったんですね」
「正斗には本当に申し訳ないことをしたと思っている。京子は今、スーパーでパートをしながらどうにか暮らしているそうだ」
「そうですか」
「近々、改めて詫びの品を持ってくる」
「いえ、それは大丈夫ですよ」
「いいや、持ってこさせてくれ。そうしないと俺の気がすまん」
「わかりました。では、今日は俺のおすすめのメニューを食べていってください。腕によりをかけて作るので」
一鉄さんは俺の作った料理を食べて、「本当に一人前になったなあ」と認めてくれた。その言葉が、たまらなく嬉しかった。
俺はこれからも料理に向き合っていこうと思う。もっとたくさんの人が、俺の作った料理を食べて美味しそうにしてくれる顔を見るために。



