父の旅籠で、誰も見向きもしない瀕死の罪人に、私はこっそり握り飯を届けた。ある夜、彼は言った。「俺を助けたことが、どれほどのことになるか、お前にはわかるまい」。その翌日、役人の刀が小屋の戸を破って現れた。私は自分の命が危ないと知りながら、彼の前に立ちはだかった。だが、彼は私を突き放して言った。「行け。俺のことは捨てろ」。その瞬間、私は初めて気づいた。彼の背後に隠された、もっと恐ろしい秘密が何な…

父の旅籠で、誰も見向きもしない瀕死の罪人に、私はこっそり握り飯を届けた。ある夜、彼は言った。「俺を助けたことが、どれほどのことになるか、お前にはわかるまい」。その翌日、役人の刀が小屋の戸を破って現れた。私は自分の命が危ないと知りながら、彼の前に立ちはだかった。だが、彼は私を突き放して言った。「行け。俺のことは捨てろ」。その瞬間、私は初めて気づいた。彼の背後に隠された、もっと恐ろしい秘密が何な...

もう誰も近づこうとしないあの小屋へ、壱は握り飯を持って足を踏み入れた。役人が「生きがしにしておけ。放っておけ」と言い捨てた場所。そこに横たわる男は、息をしているかどうかもわからないほどの瀕死の姿だった。その瞬間、誰も知らない恐ろしい陰謀の扉が、音もなく開かれようとしていた。

山合の小さな里、枯葉原。高い山に囲まれ、一度入り込めばなかなか出られぬ土地だ。里はずれの古びた一軒の旅籠を切り盛りしていたのは、五兵衛という五十がらみの男。妻を早くに亡くし、三人の娘を男手ひとつで育て上げた。上の二人の娘はすでに嫁ぎ、年老いた父のそばに残ったのは、末娘の壱だけだった。

十七歳の壱は、丸い顔に濃い眉、目元には強い意志を宿した娘だった。毎朝、水を汲み、薪を割り、火を炊くのが壱の仕事。父に「奥の客の世話を頼む」と言われれば、「はい」と明るく応じた。壱は苦しい顔を一度も見せたことがなかった。父が咳込めば真っ先に駆け寄り、背を撫でてやる。

旅籠に立ち寄る旅人たちは口をそろえて言った。「あの一杯に、この里の人情がすべて詰まっている」。腹を空かせた旅人が門前に倒れていれば、壱は父に隠れて焦げ飯を握らせてやることもあった。五兵衛が「末えや、うちも決して裕福な暮らしではないのだよ」と窘めると、壱は「父ちゃん、あの人は今晩を越さなければ、明日の朝は見られませぬ」と返す。五兵衛はそれ以上何も言えなかった。

その情の深さがどこから来たのか、五兵衛にはわかっていた。亡くなった妻が、まさにそういう人だったからだ。人を救うのに身分の上下などあろうか。それが亡き母の教えであり、今は壱の胸の中に根を張っていた。

そんなある春の日、里はにわかに騒ぎ立った。都から罪人が一人、流されてくるというのだ。「罪人とは、一体どんな罪人だ」「軽々なことを口にするものではないぞ」「よほど高い地位から転げ落ちたものらしい」と、里の者たちは集まればその話で持ち切りだった。都から落ちてきた罪人など、この山里では滅多にない出来事だ。人々は恐れながらも、興味を隠せなかった。

ところが、いざその罪人が運ばれてくると、里の者は言葉を失った。罪人は輿に乗せられており、むしろの下からは痩せ細った手が力なく垂れ下がっていた。役人たちはその男を引きずり下ろすと、里はずれの崩れかけた小屋へ放り込むように押し入れた。そこが、罪人が過ごすことになる住まいだった。

役人が言った。「この者には、決して手荒な真似をするな。しかし、手厚く世話をする必要もない」。手荒くもするな、世話もするな、とは。里の者たちはその意味を測りかね、ただ遠くから小屋を眺めるばかりだった。

小屋に寝かされていた男は、二十六ほどの年頃だった。血の気のない顔は死人のようで、髪は乱れて顔の半分を覆っていた。目は閉じたまま開く気配もなく、痩せた胸だけがかすかに上下している。「あれをご覧。生きているのか死んでいるのか、生きた心地がしないだろう」「あの様子で、何日持つものか」と、里の人々は囁き合った。誰も、その男が何者で、いかなる罪を犯し、どこから来たのかを知るものはいなかった。

数日が過ぎた。男は一度も目を開けなかった。里の者たちは役人の言葉を守り、誰も小屋に近づこうとしなかった。ただ、壱だけが違った。

「父ちゃん、あの人の世話をさせてください」

五兵衛は驚いた。「壱、あれは罪人だぞ。役人に何と言われるかわからぬ」

「でも、あのままでは死んでしまいます。私は、誰かが死ぬのを黙って見ていることはできません」

五兵衛は長い間、娘の顔を見つめていた。そしてため息をついて言った。「わかった。ただし、絶対に人に見つかるなよ。夜になってから行くのだ」

その夜、壱は握り飯を包み、小さな水差しを手に、そっと小屋へ向かった。傷だらけの戸を静かに開けると、むっとした湿った空気が流れ出た。男は、前日と同じように横たわったままだった。壱は近づき、手を伸ばして、その顔にかかった髪をそっと払った。

そのとき、男の目がかすかに開いた。

壱は息をのんだ。その目は、激しい光を宿していた。瀕死の体にありながら、男の瞳は驚くほど強く、鋭かった。

「……誰だ」

かすれた声で男が問うた。壱は握り飯を差し出しながら、名乗った。「壱と申します。旅籠の娘です。よかったら……食べてください」

男はしばらく壱の顔を見つめていたが、ゆっくりと手を伸ばし、握り飯を受け取った。彼は一口かじると、しばらく黙って噛み、そして静かに言った。「……俺を助けたことが、どれほどのことになるか、お前にはわかるまい」

壱には、その言葉の意味がわからなかった。ただ、この男がただの罪人ではないことだけは、確かに感じ取れた。男は続けた。「俺は……お前が思うような人間じゃない。名を聞いても、きっと後悔するぞ」

「名など、聞きません」壱は静かに首を振った。「私は、あなたが生きていてくれるなら、それでいいのです」

男は何も言わなかった。ただ、その目に一瞬、何かが揺らいだように見えた。

それからというもの、壱は夜ごと、こっそりと小屋を訪れるようになった。握り飯を渡し、水を飲ませ、傷の手当てをした。男はほとんど言葉を話さなかったが、日を追うごとに、その体は少しずつ回復していった。

ある夜のこと、壱が傷に塗る薬草をすり潰していると、男が突然口を開いた。「なぜ……こんなことをするのだ」

「なぜ、ですか」

「俺は重罪人だ。お前の国を裏切ったかもしれないような男だぞ。それでも、俺の世話をするのか」

壱は手を止めて、男を見つめた。「私は、あなたが何をしたか知りません。でも、目の前で苦しんでいる人がいたら、助けたい。それだけです」

男は長い沈黙の後、静かに言った。「お前のような者が……都にも、いればよかったのに」

その言葉の意味を、壱はそのとき、まだ知らなかった。しかし、次の夜、男は弱々しい声で、自分の名を告げた。「……政臣だ。都で、ある疑いをかけられてな。すべては……濡れ衣だ」

「濡れ衣……」

「俺が言っても信じてもらえまいが、俺は無実だ。だが、この国では、一度疑われれば、それで終わりだ。誰も……真実など見てはくれぬ」

政臣は唇を噛みしめた。その目には、怒りと絶望が入り混じっていた。壱は黙って彼の手を握った。その手は、氷のように冷たかった。

「私が……あなたのことを信じます。私は、あなたが何を言おうと、あなたを信じます。だから……どうか、生きてください」

政臣は目を見開いた。そして、初めて、その顔にかすかな笑みが浮かんだ。「……変わった娘だな」

壱も微笑んだ。「よく言われます」

そのときだった。小屋の外で、何かが物音を立てた。

壱と政臣は、同時に身を固くした。戸の隙間から、月明かりに照らされた人影が一つ、動く気配がした。壱の心臓が嫌な音を立てた。誰かが……見ていたのか。

「……お前か、娘」

低い声が、戸の向こうから聞こえてきた。役人だ。壱は息を殺した。政臣は素早く彼女の手を引き、自分の背後に隠した。

「気づかれたか」

声は嘲るように笑った。「裏切りの罪人が、娘ひとりに助けられるとはな。これでお前の企みも、すべて露見したわけだ」

壱の足が震えた。だが、政臣は動じなかった。「彼女は関係ない。俺が脅して助けさせていたんだ。すべて俺の仕業だ」

「黙れ、罪人」

戸が勢いよく開かれた。月明かりの下に、役人の姿が浮かび上がる。その手には、刀が握られていた。壱は思わず、政臣の前に立ちはだかった。

「やめてください! この人は、何も悪くありません!」

役人は冷たく笑った。「悪くない? お前こそ、何を知っているんだ。この男が、どれほどのことをしたのか、知っているのか」

「私は……!」

政臣が壱の肩を掴み、後ろに下がらせた。「やめろ、壱。これ以上、お前を巻き込むわけにはいかない」

「でも、あなたは!」

「行け」

政臣の声は、冷たく固かった。その目には、諦めの色が浮かんでいた。「……お前は生きろ。俺のことは、捨てろ」

壱は首を振った。涙がこぼれ落ちた。「嫌です。私は……私は絶対に、あなたを置いて逃げたりしません」

役人が、ゆっくりと刀を構えた。「無駄な抵抗はやめろ。少女よ、お前の命が惜しければ、そこをどけ」

そのとき、政臣が動いた。壱を押しのけるようにして、前に出ると、役人に立ちはだかった。「……この娘を逃がせ。俺は、お前たちに従おう」

「政臣さまっ!」

壱の叫び声が、夜の山里に響いた。

Thumbnail