「親父の遺品みたいなボルトか」――そう言って鼻で笑った同級生の顔を、今も忘れられない。十五年かけて父が作り上げた特許ボルトを、半額で納品しろと言い放った男。無理なら契約中止だと。断れば会社は潰れる。だが、受け入れれば父の技術を侮辱することになる。父の遺した開発ノートの最後のページにはこう書いてあった。「技術は正直だ。正直な人間に渡せ」。その言葉の意味を、俺はようやく理解し始めていた。そして、…

「親父の遺品みたいなボルトか」――そう言って鼻で笑った同級生の顔を、今も忘れられない。十五年かけて父が作り上げた特許ボルトを、半額で納品しろと言い放った男。無理なら契約中止だと。断れば会社は潰れる。だが、受け入れれば父の技術を侮辱することになる。父の遺した開発ノートの最後のページにはこう書いてあった。「技術は正直だ。正直な人間に渡せ」。その言葉の意味を、俺はようやく理解し始めていた。そして、...

「親父の遺品みたいなボルトか」――そう言って鼻で笑った男の顔を、俺は今でも忘れられない。鬼工業の営業部長、模擬。中学高校の同級生で、今は俺の会社の主要取引先の担当者だ。その日、彼はアポイントもなしに俺のオフィスへ現れ、ソファに深く座って、出した茶すら口にせず言い放った。「特許ボルトの納品額、半額にしてくれ」

俺は言葉を失った。半額。冗談を言う時の顔ではなかった。「無理なら契約中止で。まあ、俺たちの中だから特別に頼んでるんだが」――彼は軽く笑った。自分だけが場を支配していると思っている人間の笑い方だった。父と二人で十五年かけて作り上げたものを、こいつは寝札の数字としか見ていない。父が若い頃、粗悪なボルトが原因で起きた構造事故で、同僚が右手の指を三本失った。あの時の音が耳から離れないと、父は一度だけ話してくれた。材料の選定から加工精度の追求、耐久試験の繰り返し。開発ノートは七冊にもなった。特許が取れたのは開発を始めて十五年目のこと。その翌月、父は倒れた。脳梗塞だった。意識は戻らなかった。

葬儀が終わり、父の机の引き出しを開けると、開発ノートが綺麗に並んでいた。最後のページには父の字でこう書いてある。「技術は正直だ。正直な人間に渡せ」。その言葉の意味を、俺はまだ理解していなかった。

会社を継いで一年。現実は想像より厳しかった。父の信頼で成り立っていた取引の一部が他社へ流れていき、今や売上の四十パーセントを鬼工業一社に依存している。模擬の父が創業したオーナー企業だから、取引が始まったのも「同級生の会社だから」という一声だった。その恩義がある分、俺は模擬に強く言えない。昔から何かあるたびに「俺たちの中じゃないか」と言って、無理を通す男だった。父が生きていた頃は、父がうまく間に入ってくれた。しかし今、俺にはその器量がない。来月の給料、職人たちの生活、工場の維持費――数字を並べるたびに胸の奥が重くなった。

「半額では品質を維持できません」――俺がそう言うと、模擬はこう返した。「似たようなものが海外で安く出回ってるって話もあるしさ。来週、直接話そう」。そう言って立ち去った。来週、彼の上司を連れてくるつもりなのだろう。つまり、これは最後通告だ。従うか、契約を打ち切られるか。どちらにしても、俺は追い詰められている。

父の開発ノートを開き、最後のページをもう一度読んだ。『技術は正直だ。正直な人間に渡せ』。この言葉の意味を、俺はやっと理解し始めていた。技術を守るためには、正直でい続けるしかない。しかしそのためには、この男に契約を切られても構わないという覚悟が必要だ。

俺は数日間、他の取引先に当たったが、どこもいい返事はなかった。四社目は露骨に態度が変わった。「鬼工業との取引が終わるんですか? 少し様子を見させていただけますか」――そう言われて、電話を切られた。市場は冷徹だ。父が十五年かけて築いた信頼も、特許ボルトの価値も、数字で物事を判断する人間には響かない。

期限まであと数日。俺は携帯を手に取り、模擬の電話番号を表示させた。コール音が三回鳴り、四回目に相手が出た。「もしもし、広瀬だが」――そう言った瞬間、俺の手は汗ばんでいた。この電話で何を伝えるのか。半額を受けるのか。それとも、契約を切られても技術を守るのか。答えは、もう決まっている。ただ、その言葉を口にする前に、俺は一つのことを確かめなければならなかった。それは、父が本当に伝えたかったこと――技術は正直な人間に渡せ、という言葉の真の意味だ。

みなさん、この後、私が選んだ道を聞きたいですか? ――それは、父が遺した言葉を裏切るかどうかの選択でした。

Thumbnail