「水が欲しい…」
3度の熱でうなされる私の声は、かすれてほとんど届かなかった。それでも私は必死に絞り出した。誰か、水をください。
返ってきたのは、冷たい一言だった。
「自分で何とかしてください。私は忙しいんですから。」
バタン。ドアが閉められる音が、部屋に響いた。私の義娘、綾根さんの言葉だった。
静まり返った部屋で、私は天井を見つめた。38年間、市役所の職員として真面目に働き、夫を亡くしてからは息子のために尽くしてきた。その私が、今、熱で苦しんでいても、この家の誰も助けてくれない。それが現実だった。
その瞬間、私の中で何かが静かに、しかし確実に変わった。
もう、この理不尽な扱いに耐える必要はない。
そう、心の底から悟ったのだ。
あの日を境に、私の人生は大きく動き始めた。自分自身の尊厳を取り戻すための、新しい一歩を踏み出すことになったのだから。
思い返せば、この家に越してきたのは10年前のことだった。夫を病気で失い、一人暮らしをしていた私を、息子の正志が心配してくれた。
「母さん、一緒に暮らそう。子供たちも母さんに会いたがっているから。」
その優しい言葉に、私は全財産を投げ打って家を建てた。土地は私の名義のまま、建物だけを正志との共有名義に。老後の安心を買ったつもりだった。
最初の数年は、本当に幸せだった。朝5時に起きて、家族5人分の弁当を作り、掃除に洗濯、夕食の準備。市役所で培った段取りの良さで、テキパキと家事をこなした。
「お母さんの料理、本当に美味しいです。」
「おばあちゃん、大好き!」
綾根さんも孫たちも、私を慕ってくれていた。私も、第2の人生を家族のために捧げることに、生きがいを感じていた。
しかし、5年ほど前から、少しずつ変化が現れ始めた。
綾根さんは私を、もはや家族ではなく「お手伝いさん」として扱うようになったのだ。感謝の言葉は減り、命令口調が増えていった。
「お母さん、これやっておいてください。」
私の存在は、当たり前のものになっていった。それでも私は、家族のためだと自分に言い聞かせてきた。しかし、それはただの自己欺瞞に過ぎなかった。
最初は、本当に些細なことから始まった。
「お母さん、この味噌汁、ちょっと薄くないですか?」
朝食の席で、綾根さんが眉をひそめて言った。私は40年以上、同じ分量で味噌汁を作ってきた。それでも、素直に作り直した。
「申し訳ありません。すぐに作り直しますね。」
しかし、文句は日に日にエスカレートしていった。
「お母さん、掃除機のかけ方が雑です。ほら、ここにホコリが残っているじゃないですか。」
「洗濯物の畳み方が気に入りません。もっときちんと角を合わせてください。」
「買い物の品選びがダメです。もっと新鮮なものを選んでください。」
私は必死に改善しようと努力した。掃除は隅々まで丁寧に、洗濯物は定規で測ったように正確に畳み、買い物は開店直後に行って一番新鮮なものを選んだ。それでも綾根さんの不満は収まらなかった。
やがて、文句は家事の質から、私の人格そのものを否定する言葉へと変わっていった。
「お母さんって、本当に時代遅れですよね。今時、そんなやり方をしている人なんていませんよ。」
テレビで新しい調理器具が紹介されているのを見ながら、綾根さんが言った。
「私の時代は、手間をかけることが愛情だと教わりましたから。」
そう答えると、綾根さんは鼻で笑った。
「だから、役立たずなんですよ。もっと効率的にやってください。」
役立たず。
その言葉が、心に深く突き刺さった。38年間、市役所で市民のために働き、定年後も家族のために尽くしてきた私が、役立たずだというのか。
さらに追い打ちをかけるように、綾根さんは私の記憶力まで疑い始めた。
「お母さん、さっき言ったこともう忘れたんですか?認知症じゃないですか?」
買い物リストに書いた品物を、私は決して忘れたりしない。それなのに、綾根さんは私を認知症扱いする。そんな日々が続くうちに、私は考えるようになった。
この家のために、私はすべてを捧げてきた。自分の財産も、時間も、労力も。なのに、私が受けるのは否定と侮蔑ばかり。一体、私は何のためにここにいるのか。
あの日、熱でうなされる私に、綾根さんが見せたのは、まさに彼女の本心だったのだろう。私はこの家にとって、用が済めば邪魔な存在でしかないのかもしれない。
でも、もういい。私は決めた。
これからは、自分自身のために生きる。38年間、誰かのために尽くしてきた人生に、終止符を打つ時なのだ。
その決意を胸に、私は静かに動き始めた。まずは、信頼できる弁護士に相談することから始めよう。そして、この家をどうするか、自分の人生をどう立て直すか、じっくりと考えるつもりだ。
もう二度と、誰かの「役立たず」なんて言わせない。



