「母さん、呼んでないけど帰ってくれる?」息子の新居の引っ越し祝いに、私は花束と手土産を持って訪れた。でも玄関先で、息子は私を中に入れようとしなかった。この家が立つ土地は、私と亡き夫が息子に託したもの。契約書には、名義は私のままだと書いてある。親戚たちの前で、私は笑顔を保ちながら、静かに携帯電話を取り出した。 「手続きを始めてください」…

「母さん、呼んでないけど帰ってくれる?」息子の新居の引っ越し祝いに、私は花束と手土産を持って訪れた。でも玄関先で、息子は私を中に入れようとしなかった。この家が立つ土地は、私と亡き夫が息子に託したもの。契約書には、名義は私のままだと書いてある。親戚たちの前で、私は笑顔を保ちながら、静かに携帯電話を取り出した。 「手続きを始めてください」...

母さん、呼んでないけど帰ってくれる?

息子夫婦の新居の玄関先で、私は花束と手土産を抱えたまま立ち尽くしていた。家の中では親戚たち15人が集まり、盛大な引っ越し祝いが行われている。俊介が後ろから顔を出して、こう言った。

「今日は若い人だけなんで。お母さんには後日改めてご報告しますね」

誰も私をかえりみない。視線をそらす親戚たちの姿が、すべてを物語っていた。この家が立っている土地は、私となき夫が守ってきた土地だ。地元では村上の名で通る地主の土地だった。結婚当初、2人が家を建てられずにいた時、私はこう言ったのだ。

「あの土地を使えばいい。お父さんもきっと喜ぶわ」

あの日の俊介の笑顔を思い出しながら、私は静かに花束だけを玄関先に置いた。

「手続きを始めてください」

土地管理会社の担当者が、淡々と了解の返事をした。息子は私がただ黙って帰ると思っていたのだろう。でも契約書にはこう書いてある。

「貸主の判断により、いつでも返還を求めることができる」

貸したものは返してもらう。今日のこの選択が、2人のすべてを変えることになる。

あの日のことは今でも鮮明に思い出せる。4年前の初春、俊介と美里が実家を訪ねてきた。2人はソファーに座ると、互いに顔を見合わせて困ったような表情を浮かべていた。

「母さん、実は相談があるんだ」

私は黙って頷いて、お茶を出した。話はマイホームについてだった。結婚して数年が経ち、そろそろ自分たちの家を持ちたいと考えていたのだ。

「でも土地の価格が高騰していて、僕たちの予算じゃとても手が届かない」

美里も困り果てた様子で頷いていた。私は2人の顔を見つめながら、夫・正一のことを思い出していた。正一は生前、地域の商店街組合をまとめる立場にあり、多くの人から信頼されていた人物だった。村上家は代々この地域で土地を守ってきた家系だ。夫が残してくれた土地は、私たち夫婦の思い出が詰まった大切な場所だった。

正一はよくこう言っていた。

「土地は財産じゃない。次の世代に託すものなんだ」

その言葉を思い出した時、私の中で決心がついた。夫が生きていたら、きっと同じことを言っただろう。息子が困っている時、親として手を差し伸べる。それは当然のことだと感じていた。

「あの土地を使えばいい。お父さんもきっと喜ぶわ」

俊介が驚いた表情で顔を上げた。

「本当にいいの?」

私は静かに微笑んだ。夫との思い出が残る土地に、息子夫婦が家を建てて新しい生活を始める。それは私にとって何より嬉しいことだった。ただし、1つだけ条件をつけた。

「名義は私のままにしておくわ。それでいいわね」

俊介は何度も頷いて、感謝の言葉を口にした。

「ありがとう、母さん。本当に助かるよ」

美里も涙ながら私の手を握った。

「お母さん、本当にありがとうございます」

その日の2人の顔は、心から喜んでいるように見えた。私はあの時の2人の笑顔を信じていた。感謝の気持ちはずっと続くだろうと思っていたのだ。

土地の契約書には、貸与契約として正式に記載した。名義はすべて私のもので、返還請求権も明記されている。俊介も書類を確認して納得した上でサインをした。その時の俊介は、母への感謝を忘れていなかった。

工事が始まると、俊介は何度も現場を訪れては進捗を報告してくれた。

「母さん、工事が終わったよ。見に来る?」

私も時々様子を見に行った。少しずつ形になっていく家を見ながら、夫もきっと喜んでいるだろうと思った。家が完成した日、俊介は私を新居に招いてくれた。新しい玄関に立った時、俊介がこう言った。

「母さん、この家は本当に俺たちの夢なんだ。感謝してる」

その言葉を聞いて、私は胸が熱くなった。これからもこの家が2人の幸せの場所になるのだと思った。

しかし、時が経つにつれて、2人の態度は少しずつ変わっていった。最初は週に一度の電話も、月に一度になり、やがて数ヶ月に一度になった。私が訪ねても、美里は玄関先で立ち話を済ませてしまう。

「お母さん、今日はちょっと忙しくて」

そんな日が続いた。ある時、私は勇気を出して俊介に言った。

「俊介、たまには家に帰ってきてくれない?」

俊介は気まずそうに笑った。

「母さん、最近仕事が忙しくてさ。また今度ね」

その「また今度」は、いつまで経っても来なかった。私は次第に、自分が邪魔者にされているのではないかと感じるようになった。夫と築いた思い出の土地を譲ったのに、その感謝はどこへ消えてしまったのだろう。

そして、あの日が来た。引っ越し祝いの日に、私は呼ばれていなかった。玄関先で花束を抱えたまま、私はすべてを悟った。

「手続きを始めてください」

その一言で、私は自分が貸したものを取り戻す決意をした。契約書には、私の権利がしっかりと記されている。この選択が、家族を壊すことになるのかもしれない。それでも、私はもう黙ってはいられなかった。

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