午前5時30分、正確に3回。45年間、1日も欠かさず鳴り続けた目覚まし時計の音が、また今日も私を現実に引きずり下ろしました。隣の布団から聞こえる重苦しい足音。洗面所の水音。すべてが機械のように正確で、私は重たい腰を上げてキッチンへ向かいました。冷蔵庫を開けると、冷気が顔に当たってようやく目が覚める。味噌汁を温め、納豆と梅干を並べる。夫は無言で食卓に着き、最後の1粒までご飯を食べ終えると、何も言わずに立ち上がりました。「行ってくる」その一言だけ。ドアがバタンと閉まる瞬間、家の中に苦しい静寂が戻ってきました。私は食器を洗いながら、冷蔵庫の横に貼られた大量の紙を見つめました。電気代の領収書、ガスの使用量、スーパーのチラシ、そして夫が手書きでびっしりと書き込んだ月間支出表。トイレットペーパーの値段から調味料の減り具合まで、異常なほど細かく数字が並んでいました。ここは私の家じゃない。私はこの「家計」という名の檻に閉じ込められた、給料のない労働者なんだ。テレビをつけると通販番組でキラキラしたネックレスが紹介されていました。画面の中のモデルさんは幸せそうに微笑んでいる。私の人生には、あんな輝きなんて1度もなかった。おしゃれをして旅行に行ったり、友達と美味しいランチを食べたり、そんな当たり前のことさえ、夫には「無駄遣い」だと一蹴されてきました。時刻は午前11時。私は1人で夫の食べ残したおかずを並べて昼食を取りました。スマホを手に取ると、高校時代の友人たちのグループチャットに新しい通知が来ていました。紅葉の散歩道、温泉でのセルフィー、美味しそうな海鮮丼。みんな定年を過ぎて、第2の人生を謳歌しているようでした。「貞子さんも次は一緒に行こうよ。京都の旅館予約したから」友人の由恵からのメッセージに、指が止まりました。返信しようとして、すぐにスマホを置きました。なんて言えばいいんだろう。「行けない」とも言えず、「行きたい」とも言えない。私は45年間、この家に縛られて生きてきた。それが突然、自由になれるなんて、どうしても信じられなかったのです。あの日、私は決心しました。熟年離婚をしよう。このまま死ぬまで、夫の顔色を窺いながら生きるなんて、絶対に嫌だ。そう思ったのは、これが初めてではありませんでした。でも、なぜかその日だけは、別格でした。何かが私の中で、確かに変わり始めていたのです。
離婚届を出した日、私は家を出ました。荷物は2つ。恋々とした思い出や、結婚指輪さえも、すべて置いてきました。手にしたのは、わずかな貯金と、これからの自由だけ。私は小さなアパートを借りて、新しい生活を始めました。最初は本当に不安でした。でも、自分の好きな時間に起きて、自分の好きなものを食べて、誰の顔色も窺わずに過ごす。その何気ない日常が、私にとっては何よりも尊いものでした。友人たちとも再会しました。由恵の誘いで、京都の旅館にも行きました。紅葉を見ながら温泉に入り、美味しい料理を食べて、笑い合った。ああ、私って、こんなに笑えたんだ。この何十年かで、初めて「自分」を取り戻した気がしました。しかし、その幸せは長く続きませんでした。離婚後、元夫から1本の電話がかかってきたのです。今さら何の用よ。嫌な予感がしながら、恐る恐る受話器を取ると、向こうから聞こえてきたのは、思いもよらない言葉でした。「おい、お前の管理が悪かったせいで、家計が破綻した。責任を取れ」信じられませんでした。家計を1円単位まで管理していたのは、あなたの方でしょ。私が使えるお金は、月にわずか数千円。それも、あなたに許された範囲だけ。なのに、なぜ私が責任を取らないといけないの? 「知らないわよ。あなたのせいでしょ」そう言って電話を切ろうとした瞬間、元夫が放った言葉に、私は凍りつきました。「お前のせいで、俺は全部失ったんだ。家も、金も、そして……お前も」その言葉の意味が、すぐには分かりませんでした。でも、翌日、私は全てを思い知ることになります。銀行口座を確認すると、離婚時に受け取った慰謝料はもちろん、積み立ててきた貯金までもが、すべて引き出されていたのです。犯人は、言うまでもありません。元夫でした。私はショックと怒りで、体中が震えました。あのドケチで、自己中で、私を人間扱いしなかった男が、なんてことをしてくれたんだろう。警察に届けることも考えました。でも、そんなことをしても、お金は戻ってこない。それに、私はあの男と、もう2度と関わりたくありませんでした。私はこのまま、何もできずに終わってしまうのか。そんな絶望の中、私はある決意をしました。もう誰にも、私の人生を台無しにさせない。私は自分で、自分の人生を取り戻すんだ。それは、ただの強がりではありませんでした。私はこれまで培ってきた、あの「細かい家計管理」の技術を活かすことにしたのです。
私は、小さな家計簿アプリの使い方を研究し始めました。そして、それを自分なりにアレンジして、驚くほど精密な家計管理システムを作り上げたのです。元夫のもとで嫌というほど身につけた、1円単位の管理術。それは、私にとっては呪いのようなものでした。でも、今はそれが武器になる。私は節約しながら、少しずつお金を貯めていきました。パートで働きながら、空いた時間は資格の勉強をしました。何か自分にできることを見つけたくて。すると、以前の職歴を活かして、経理の仕事を得ることができたのです。小さな会社でしたが、社長は私の仕事ぶりを認めてくれました。そして、何よりも嬉しかったのは、そこで出会った人たちが、私を「1人の人間」として扱ってくれたこと。それは、夫と暮らしていた45年間では、決して得られなかった感覚でした。ある日、職場の同僚が声をかけてくれました。「貞子さん、うちの母がね、介護のことで悩んでるんです。よかったら相談に乗ってもらえませんか」私は快く引き受けました。そして、何気ない会話の中で、ふと思いついたのです。私が培ってきた家計管理の技術は、高齢者の生活を支えるのに使えるかもしれない。それを機に、私は「家計相談」のサービスを始めました。最初は口コミだけでしたが、徐々に利用者が増えていきました。「おかげで、貯金ができるようになりました」「夫との関係が、少し良くなった気がします」そう言ってくれる人たちの顔を見るたびに、私は確かに思いました。私の人生は、まだ終わっていない。むしろ、ここからが本当の始まりなんだって。あの日、家を追われるように出てきた私。涙に暮れた日々もありました。でも、私は確かに、自分の力で立ち上がりました。そして今、私の目の前にいるのは、私の相談に来た、ある1人の女性です。彼女は、私と同じように、年老いた夫の介護に疲れていました。涙ながらに話す彼女を見て、私は思わず、自分の経験を話しました。すると、彼女はこう言ったのです。「お宅のご主人は、今どうされてるんですか? 」その瞬間、私はハッとしました。そういえば、あの男は、今どうしているんだろう。あれから、何の連絡もありません。気になって、少しだけ調べてみることにしました。すると、思わぬ事実が判明したのです。元夫は、離婚後に経営していた小さな運送会社を畳んで、今は無職でした。そして、身寄りもなく、アパートで孤独に暮らしているということでした。私が洗濯も、食事も、掃除も、すべてやっていたからです。今ごろになって、やっと自分の失ったものがどれほど大きかったのか、思い知ったのでしょう。それを聞いたとき、私は複雑な気持ちになりました。嬉しい?

それは違う。ただ、目の前に広がっている現実に、私は静かな衝撃を受けていました。彼がどれほど苦しい思いをしているのか、私には分かります。しかし、彼のもたらした苦しみも、私は忘れていません。頭では「自業自得だ」と分かっていても、胸のどこかで、何かが引っかかるのです。私はこの後、どうすればいいのでしょう。このまま忘れて、自分の生活を続けるべきなのか。それとも、何か別の道を選ぶべきなのか。私は今、まさに、その選択の前に立っています。


