私は机の前で、その書類を見た瞬間、手が震えた。新しい院長が提示した「制約書」——それは、治療後に何が起ころうと一切訴えないことを誓わせるものだった。「これにサインをもらわなければ治療はできないものとして診察を行ってくれ」と、新院長こと竜二は淡々と言った。私は思わず立ち上がり、声を荒げた。断固反対です。こんな書類を見せられたら、患者さんが病院を信用できるわけがないでしょう。すると竜二は眉間にしわを寄せ、いつもの高圧的な態度で切り返した。「もういい加減、私の方針から逸脱するのはやめていただきたい。これだけ言っても分からないのなら、やめてもらって構わないよ」。その言葉に、私は何を言っても無駄だと悟った。
私は二十年間、この病院で医師として働いてきた。前院長は、どんなに経営が苦しくても患者を決して見捨てない人だった。その姿に胸を打たれて、私はここで働き続けてきた。地域の人々からも愛されていた病院だった。だが前院長が急逝し、息子の竜二が後を継いだ瞬間、病院は変わってしまった。彼は効率を最優先し、一日に診察する患者のノルマを設定し始めた。患者一人ひとりと向き合う医療は否定され、利益を出すことだけが目的になった。反対する医師たちに竜二は「従えないなら去ってくれ」と迫り、同僚の何人かは病院を去った。
私は患者を見捨てることができず、病院に残った。しかし、どうしても彼の効率的な診察方法には従えなかった。私はこれまで通り、一人ひとりの患者と丁寧に向き合い続けた。もちろんノルマは達成できない。そんな日々が続いたある日、患者から異変に気づかれた。「先生、何かあったんですか?」。その問いかけに、私は何と答えればいいのか分からなかった。そうして苦しい日々を過ごす中、ついに私は決意した。この病院を去ろう、と。竜二に退職を伝えた後、私は静かに荷物をまとめた。その一ヶ月後のことだった。携帯が鳴り、表示された名前を見て息をのんだ。竜二からだった。「一生のお願いだ。戻ってきてくれ」。そう言う彼の声は、あの日と同じ威圧感はなく、どこか切迫していた。病院は、私の知らないところでとんでもない事態に陥っていたのだ。



