「え、私が作るんですか?もうすぐ完暦を迎える義母は、自宅に親族を呼んで盛大に祝いたいと言い出したんです。そして当日、全員分の料理を私に作れと。『完暦はよろしくね。俺たちの顔に泥を塗るなよ』と夫は言いました。」
祝の3日前、私の体に異変が起きました。キッチンで目まいを起こして、そのまま倒れてしまったのです。意識が遠のく中、聞こえたのは夫の声だけ。目を覚ましたのは5時間後でした。過労で倒れたようです。
3日間の入院を経て、私は義母の完暦祝当日に退院しました。祝いが始まると、夫がテーブルに料理を並べます。でも、それは全てコンビニ弁当でした。
「これで祝ったつもり?」
「ああ、絶縁だ。」
夫の不穏な言葉に、家族と親族はざわめきました。私も動揺を隠せませんでした。
私は高瀬ひかり、29歳。生命保険会社で営業事務として働いています。高校卒業後、すぐに就職しました。実家は小さな町工場を経営していましたが、業績は悪く、いつも父が頭を抱えていました。父は私が工場を手伝う提案を断固拒否し、「うちの泥に光を乗せられない」と呟いていました。
母は最後まで大学進学を勧めてくれましたが、私は就職を選びました。「気を使っているわけじゃないから」と伝えて。今でもその決断を後悔していません。
入社5年目、実家の工場が倒産しました。父だけでなく連帯保証人だった母も自己破産し、実家を出ることになりました。引っ越し代は私が負担。その後、借金が重なった父が突然病に倒れ、そのまま亡くなりました。さらに母までもが脳梗塞を発症し、緊急搬送。一命は取り留めたものの、右半身に麻痺が残りました。
「また迷惑をかけてしまってごめんなさい。光を苦しめたくないのに。」
「謝らないで。私がお母さんのこと支えていくから。」
そう言ったものの、内心は不安で仕方ありませんでした。父の葬儀と母の入院費で出費が増え、貯金は数千円程度。カードローンで借金して、なんとか危機を乗り越えました。
職場では後輩のケトがいつも気にかけてくれました。「高瀬さんならすぐに私を追い抜きますよ」と笑う彼に、次第に好意を抱くようになりました。でも、自分と彼では釣り合わない。そう思って、意識しないようにしていました。
完暦祝の当日、コンビニ弁当を見て義母が怒り狂いました。夫は「お前が作らなかったからだ」と私を責めます。親族の視線が痛いほど刺さりました。私はその場で立ち上がりました。
「もう、ここにはいられません。」
そう言って、私は家を出ました。行く先は決めていません。ただ、このままでは自分の人生が壊れてしまう。そう感じたのです。
その後、私は借金を返すために必死で働きました。ケトが心配して連絡をくれましたが、私は全て断りました。自分で立て直さなければならない。そう思ったからです。
数年後、私はなんとか借金を完済しました。実家の近くで一人暮らしを始め、母を施設に移しました。夫からの離婚届は、受け取らずに置いてあります。
ある日、スーパーでケトと再会しました。彼は結婚していて、小さな子どもを連れていました。「元気そうですね」と彼が言いました。「ええ、なんとか」と私は答えました。
その日の夜、私は久しぶりに母に電話をしました。「元気にしてる?」と母が言います。「うん、大丈夫」と私は答えました。その瞬間、私は思いました。あの日家を出て、本当に良かったのだと。
「もしあの日、我慢し続けていたら、私は今ごろどうなっていたのだろう。」
そう呟きながら、私は明日の仕事の準備を始めました。



