「出て行ってよ。あなたの匂いでこの家に住めないわ。病気なら大人しく老人ホームに行けばいいでしょ。気持ち悪いんだよ。」
夜遅く、嫁の笑美にそう罵られて、私は息子の家から放り出された。末期癌の患者である私を、しかも一年ぶりに会ったばかりの私を、嫁は玄関から追い出した。スーツケース一つ持って、私は冷たい夜道に立っていた。涙は出なかった。ただ、胸の奥で何かが凍りつくのを感じた。
思えば、最初からおかしかった。博多駅のホームで新幹線を降りて、久しぶりに会う息子の健一は、私の顔を見ても笑わなかった。車に乗せられても、後部座席はチャイルドシートで占領され、私は体を縮めて座るしかなかった。「病院は順調かい? 」と聞いても、健一はルームミラーから視線を外して、「うん、元気だよ」とだけ言った。冷たい車内の空気の中で、私は窓の外の景色を見つめることしかできなかった。
港区の高級マンションに着くと、笑美が綺麗な顔をしかめて待っていた。「靴の土を払ってから入ってください」と言われて、私は福岡から履いてきたスニーカーが急に恥ずかしくなった。孫たちへのお土産に買った大福を渡そうとすると、「あの子たちアトピーなんです。安全なものしか食べさせられないので」と押しのけられた。お小遣いの封筒も無視された。せめて夕飯でも一緒に…と思った矢先に、あの言葉が飛んできたのだ。
「出て行ってよ。」
私は何も言い返せなかった。健一も、笑美に怒ることもなく、ただ黙って俯いていた。それが何よりも辛かった。私はスーツケースを引きずりながら、深夜のタクシーに乗り込んだ。運転手に「どこまで? 」と聞かれても、行き先なんてなかった。ただ、一つだけ浮かぶ場所があった。それは、ずっと私が貯めてきた秘密の口座。そして、あの場所へ向かう決意を固めた。
タクシーが向かったのは、高級ホテルだった。スイートルームを予約して、私はベッドに倒れ込んだ。窓の外には東京湾が広がり、朝日が水面に反射してキラキラと輝いていた。ルームサービスでアワビ粥を頼んだ。1万5000円。昔の私なら驚いただろう。でも今は違う。私はゆっくりと、その最高級の味を噛みしめた。
「これが、本物の食事ってやつか。」
部屋に置かれたバースデーケーキのろうそくを吹き消して、私は静かに誓った。この人生、最後の一年で、私は自分を取り戻す。笑美の傲慢さも、健一の無関心も、全部ひっくり返してやる。そして私は、あの計画の第一歩を踏み出した。それは、私が死んだ後に、二人がどれほどの代償を払うことになるか、まだ誰も知らない。電話帳の端に書かれた弁護士の名前、そして、私がこっそり集めてきた証拠たち。それらが動き出すのは、もうすぐだった。



