「旅行は社員だけで楽しむって決めてるんだよ」
呆然とする俺をよそに、先輩はニヤニヤしながら言い放った。旅行の段取りを全部俺に押し付けた上に、俺の部屋を勝手にキャンセルしていたのだ。
あんまりな仕打ちに抗議しようとしたけど、先輩は俺を社員としてすら見てないらしい。
「お前、使えないし、社員としてカウントできねえだろ」
そう言って汚い声で笑う。よく言うよ。今まで両手で数えきれないくらい、この先輩の仕事を片付けてきたっていうのに。感謝されないどころか、そんな仕打ちか。
今まで我慢に我慢を重ねてきた俺は、先輩に対して大きな怒りを抱いた。
「じゃあ、失礼します」
そう言って俺はその場を去ることにした。そんな俺を先輩はニヤニヤしながら見ている。でも、彼はまだ気づいていない。この旅行が、俺にとって最後の幸せな記憶になるなんてことを。
俺の名前は吉田匠。32歳。先日、とある事情から地元の町にある会社の営業部への転職が決まった。
決して大きな会社じゃない。従業員は30名ほど。でも、小さな工場だからこそ、従業員同士の絆が強くてアットホームな雰囲気が魅力なんだと、面接のときに社長から聞かされていた。
俺は働く職場に一番求めていたのは人間関係の良さだった。だから、ここは俺の希望にぴったりだと思っていた。
ある人物に出会うまでは。
その人物というのが、会社の先輩にあたる柳田誠さん。実は誠さんと俺は因縁がある。誠さんと同じ学校に通っていて、2歳差があるけど面識があった。
誠さんの家は代々大企業の経営者や地方議員を排出している名家で、地元でも評判だった。でも、誠さんはそんな実家の名前を利用して、学校を牛耳る存在になっていた。いつも目下のやつらに命令し、パシリとして扱うようなひどい振る舞いばかりしていた。
俺もそんな誠さんのパシリの一人だった。いつも家が貧乏であることを馬鹿にされていた。
「ありがたく思えよ。貧乏人のお前を、俺様が使ってやってるんだから」
心ない言葉ばかり浴びせられ、何かを命令されるのはまだマシな方で、誠さんの機嫌が悪い時は八つ当たりされた。小中学校にいい思い出なんてひとつもない。
もうこんな生活は真っ平ごめんだと思った俺は、あえて少し遠い高校に進学することで、誠さんから離れたのだった。
この先、もう会うことはないと思っていたのに。
初出勤の日、誠さんがこの会社にいることをまだ知らなかった。俺は上司に紹介され、みんなの前で簡単な自己紹介をした。
「吉田匠です。営業職は未経験ですが、精一杯頑張らせていただきます」
そう言って頭を下げたとき、視界の端に見覚えのある顔が映った。
誠さんだ。
誠さんもこちらを見ていた。一瞬、目が合う。そして、彼の口元が歪んだ。あの日と同じ、見下すような笑みだった。
「お前、なんでここにいるんだ?」
誠さんの声に、周りの社員がざわつき始めた。俺はなんとか気を取り直して答えようとしたけど、声が出なかった。
「知り合いなんですか?」
上司がそう尋ねると、誠さんはにやにやしながら言った。
「ああ、同じ中学だったんだよ。こいつ、貧乏でいつも俺の靴磨きやってたんだぜ」
周りから笑い声が漏れる。俺の顔は一気に熱くなり、拳を握りしめた。過去の嫌な記憶が鮮明によみがえってくる。
それでも、今は違う。ここは新しい職場だ。俺は誠さんに負けないように、静かにやり過ごすつもりだった。
でも、誠さんは変わっていなかった。いや、むしろ大人になった分だけ、扱い方が巧妙になっていた。
最初は新人いじめもエスカレートしていき、やがて俺の仕事を奪ったり、報告を遅らせたり、ミスをわざと誘うように仕向けてきた。俺が言い返そうものなら、周りに俺が無能だということを吹聴した。
だんだん、社内での俺の立場が居づらくなっていくのを感じた。それでも、俺はここを辞めたくなかった。転職しても、また同じことが起こるかもしれない。あの頃みたいに逃げたくないと思っていた。
そして、今回の旅行の話が出たとき、誠さんは俺に段取りを押し付けてきた。
「俺は忙しいんだよ。お前がやれよ」
そう言い残して、誠さんは俺にすべてを任せた。俺は仕方なく、旅行の計画を立てた。ホテルの予約、バスの手配、食事の手配。すべてを完璧に準備した。
やがて旅行当日、俺は社員たちと一緒にバスに乗り込んだ。誠さんは一番前の席に座り、後ろの席の社員と大声で話しながら、楽しそうにしていた。
目的地に着いて、みんながホテルの部屋に案内されたとき、俺は自分の名前が部屋割りリストにないことに気づいた。
「あれ?俺の部屋がないんですけど」
そう言うと、誠さんが笑いながら言った。
「ああ、お前の分はキャンセルしたよ。だって、旅行は社員だけで楽しむって決めてるんだ。お前は使えないから、社員として数えてないんだよ」
周りの社員は、困ったような顔をしていたが、誰も俺をかばおうとはしなかった。
俺は呆然とした。あれだけ準備をしてきたのに、最初から俺は外されていたのか。
怒りが込み上げてきて、でも、今までの腹いせにここで何かしたところで、事態は悪くなるだけだ。
「じゃあ、失礼します」
俺はそう言って、ホテルを後にした。
帰りの電車の中で、俺はここまでのことを思い返していた。小中学校のときも、今の会社でも、誠さんはいつも俺を見下してきた。もう許せない。
でも、どうすればいいんだ?会社を辞めるだけでは、何も変わらない。
そのとき、ふと昔の記憶が蘇った。誠さんの実家が税金をごまかしているのを、偶然見かけたことがある。当時は気にも留めなかったけど、今なら証拠になるかもしれない。
俺は次の行動を決めた。誠さんに復讐するために、彼の不正の証拠を集めようと思った。
それから数週間、俺は誠さんの実家や会社の書類を調べた。すると、次々に怪しい取引が見つかった。架空の請求書、裏金の移動、脱税の疑い。これらの証拠がそろえば、誠さんの家は終わりだ。
俺は匿名で役所に告発しようと思った。でも、その前に、もう一度誠さんに会って、直接問い詰めたくなった。
会社に忍び込んで、誠さんのデスクの引き出しを調べた。すると、そこには想定外の書類があった。それは、昔のいじめの証拠だった。誠さんが俺に書かせた謝罪文や、学校に送った脅迫文を写メで撮りためていたのだ。
それを見た瞬間、俺の中で何かが音を立てて壊れた。
この証拠で、誠さんを本当に潰してやる。
俺は書類をコピーし、その日のうちに弁護士のもとへ向かった。



